鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済藤鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Atiq Rahimi&"Our Lady of Nile"/ルワンダ、昨日の優しさにはもう戻れない

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さて、ルワンダである。この国で有名なのは哀しいが虐殺という痛ましい歴史だろう。現在は目覚ましい復興を遂げているが、その虐殺の前、ルワンダにどんな現実が広がっていたか知っている人は少ないのではないだろうか。今回はそんなルワンダの知られざるを歴史を描き出した作品、Atiq Rahimi監督作"Our Lady of Nile"を紹介していこう。

舞台は1973年、ルワンダは10年前にベルギーからの植民地化から解放されながらも、その影響は未だに甚大な物だった。そんな状況でベルギーの白人たちが経営するキリスト教系の寄宿学校で、ルワンダ人の少女たちはこの国の未来を担うため勉学に励んでいた。そんな彼女たちが今作の主人公である。

まずこの作品は少女たちの青春を描き出していく。学校で勉強をする傍ら、彼女たちはマリア様に奉仕するために活動をする。だが学校には様々な少女がいる。ある男性に恋文を書く少女がいれば、数学のテストでカンニングをして教師に叱られる少女がいる。そこには青春の輝きが宿っているのだ。

監督であるRahimi(日本では小説「灰と土」「悲しみを聞く石」の作者として有名だろう)の演出は溌剌として軽妙なものだ。彼はルワンダの豊饒なる大自然に囲まれながら、少女たちの青春が弾けていく様を軽やかに捉えていく。どの少女たちも等しく賢く、等しく無邪気であり、そんな彼女たちの笑顔がそうして捉えられていく光景には喜びが満ち溢れている。

だがそこにルワンダの当時の状況が否応なく関わってくる。学校ではフランス語の使用が厳守され、彼女たちの母国語であるルワンダ語は禁じられている。自分たちの言語を使えない心労はいかばかりのものだろう。学校の授業でもヨーロッパの歴史は教えられながら、ルワンダの歴史は顧みられることがない。少女たちは猛烈なまでに白人化・ヨーロッパ化されていっているのである。

そんな中で印象的な挿話がある。学校の近くにはプランテーションが存在するのだが、少女の1人であるヴェロニカ(Clariella Bizimana)はその領主であるフォンテナイ氏(Pascal Greggory)と出会う。彼に肖像画を描いてもらったことで親交を深めた彼女は、フォンテナイ氏が自分の民族であるツチ族を崇拝していることを知る。そんな彼の異様な執着に感化され、彼女は民族主義的な思想に陥っていく。

ここにおいては少し解説が必要だろう。元々ルワンダでは人々は平穏に暮らしていた。だがドイツやベルギーなど白人による植民地支配がはじまると、鼻の大きさや肌の色などを外観の違いから人種を区別し始め、多数派のフツ族は差別的な扱いを受けることになる。その中でツチ族は、白人たちから高貴と見做されていた。この歴史が2人の関係性には反映されているのである。

そして事件が起こる。グロリオサ(Albina Kirenga)という少女はフツ族であるのだが、ある時彼女たちは自分たちのした悪戯を隠すため、ツチ族に襲われたをつく。この嘘は学校に衝撃を与え、それは広く波及していく。更に現状に不満を持っていたグロリオサフツ族としての誇りに目覚め、ツチ族との対立を煽り始める。

不穏なる現状が物語を包みこむにつれて、前半に見られた瑞々しさは跡形もなく消えていく。少女たちの絆は容易く崩れ去り、その間には不気味な緊張感ばかりが満ち渡ることとなってしまう。そこに安らぎは存在しない。憎しみと恐怖だけが少女たちの心を突き動かしていく。

今作はフランス在住のルワンダ人小説家Scholastique Mukasongaの同名小説を元にしている。実際の経験に裏打ちされた物語は生々しく、痛切だ。そして物語は憎しみの激発に直面する。少女たちは大いなる歴史のうねりに巻き込まれていく。全てはもはや後戻りできないところまで来てしまっている。私たちは、鮮烈なまでの衝撃を以てそれを知ることになるだろう。

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私の好きな監督・俳優シリーズ
その351 Shahrbanoo Sadat&"The Orphanage"/アフガニスタン、ぼくらの青春
その352 Julio Hernández Cordón&"Cómprame un revolver"/メキシコ、この暴力を生き抜いていく
その353 Ivan Marinović&"Igla ispod plaga"/響くモンテネグロ奇想曲
その354 Ruth Schweikert&"Wir eltern"/スイス、親になるっていうのは大変だ
その355 Ivana Mladenović&"Ivana cea groaznică"/サイテー女イヴァナがゆく!
その356 Ines Tanović&"Sin"/ボスニア、家族っていったい何だろう?
その357 Radu Dragomir&"Mo"/父の幻想を追い求めて
その358 Szabó Réka&"A létezés eufóriája"/生きていることの、この幸福
その359 Hassen Ferhani&"143 rue du désert"/アルジェリア、砂漠の真中に独り
その360 Basil da Cunha&"O fim do mundo"/世界の片隅、苦難の道行き
その361 Mona Nicoară&"Distanța dintre mine și mine"/ルーマニア、孤高として生きる
その362 Siniša Gacić&"Hči Camorre"/クリスティーナ、カモッラの娘
その363 Vesela Kazakova&"Cat in the Wall"/ああ、ブレグジットに翻弄されて
その364 Saeed Roustaee&"Just 6.5"/正義の裏の悪、悪の裏の正義
その365 Mani Haghighi&"Pig"/イラン、映画監督連続殺人事件!
その366 Dmitry Mamulia&"The Climinal Man"/ジョージア、人を殺すということ
その367 Valentyn Vasyanovych&"Atlantis"/ウクライナ、荒廃の後にある希望
その368 Théo Court&"Blanco en blanco"/チリ、写し出される虐殺の歴史
その369 Marie Grahtø&"Psykosia"/"私"を殺したいという欲望
その370 Oskar Alegria&"Zumiriki"/バスク、再び思い出の地へと
その371 Antoneta Kastrati&"Zana"/コソボ、彼女に刻まれた傷痕
その372 Tamar Shavgulidze&"Comets"/この大地で、私たちは再び愛しあう
その373 Gregor Božič&"Zgodbe iz kostanjevih gozdov"/スロヴェニア、黄昏色の郷愁
その374 Nils-Erik Ekblom&"Pihalla"/フィンランド、愛のこの瑞々しさ

ルーマニアの映画批評、世界の映画批評~Interview with Flavia Dima

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さて、日本の映画批評において不満なことはそれこそ塵の数ほど存在しているが、大きな不満の1つは批評界がいかにフランスに偏っているかである。蓮實御大を筆頭として、映画批評はフランスにしかないのかというほどに日本はフランス中心主義的であり、フランス語から翻訳された批評本やフランスで勉強した批評家の本には簡単に出会えるが、その他の国の批評については全く窺い知ることができない。よくてアメリカは英語だから知ることはできるが、それもまた英語中心主義的な陥穽におちいってしまう訳である(そのせいもあるだろうが、いわゆる日本未公開映画も、何とか日本で上映されることになった幸運な作品の数々はほぼフランス語か英語作品である)

この現状に"本当つまんねえ奴らだな、お前ら"と思うのだ。そして私は常に欲している。フランスや英語圏だけではない、例えばインドネシアブルガリア、アルゼンチンやエジプト、そういった周縁の国々に根づいた批評を紹介できる日本人はいないのか?と。そう言うと、こう言ってくる人もいるだろう。"じゃあお前がやれ"と。当然だ、私はそのためにルーマニア語を勉強し、ルーマニア映画を観て、ルーマニアの映画批評を読んでいるのだ。そんな中で私の中に芽生えたのは"誰もルーマニアの映画批評の現状を伝えようとしないならば、じゃあ私がやるしかないだろう!"と。ということで今回の記事はその1つの達成である訳である。

今回インタビューを行ったのは、弱冠26歳でルーマニアの映画批評界を背負って立つ人物Flavia Dima フラヴィア・ディマである。彼女はFILM MENUやAcoperișul de Sticlăなどのルーマニアで有名な映画誌に批評を寄稿し、英語でも批評を執筆している人物(そういった批評家はルーマニアにはとても多い)である。最近、日本の映画界でも話題になった記事にMUBI Notebook掲載のアルベール・セラのインタビュー記事があるが、このインタビュイーを務めた人物がこのDimaである。彼女を追えば、ルーマニアの批評界ひいては世界の批評界を知ることができる、そんな人物に今回はインタビューを行った。批評家としての始まり、ルーマニアで批評を担う場所、エドワード・ヤンとの出会い、ルーマニア映画批評界の未来などなど興味深い話をたくさん聞くことができた。

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済藤鉄腸(以下TS):まずどうして映画批評家になろうと思ったんですか? どのようにして映画批評家になったんですか?

フラヴィア・ディマ(以下FD):長い話を短くしましょう。私はジャーナリズムを専攻していて、クルジュで勉強していました。クルジュではトランシルヴァニア国際映画祭、ルーマニアで最も大きな国際映画祭が開催されていました。私が師事していた教授の1人がAperiTIFFという映画の日刊紙で仕事をしており、毎年4人の学生をボランティアとして編集室に呼んでくれました。それで3年間、映画祭を内側から体験し、1日に6本の映画を観ることを続けた結果、今ここにいる訳です、要約するならば。

なぜ映画評論家になりたかったについてですが……現代映画(もしくはそれ以外でも)についての議論に参加していると感じる切迫さ以上に、今は批評的な立場がより求められているということです。そしてこの仕事が時おり極端なまでに見返りがあることも否定できません(金銭的にはそうでなくとも、精神的なレベルで)特に仕事を通じて、映画芸術の存在を近くに感じながら、映画の内側で多くの時間を過ごした時には。

TS:映画に興味を持ち始めた時、どんな映画を観ていましたか? そしてその時、ルーマニアではどんな映画を観ることができましたか?

FD:嘘はつかないようにしましょう。映画について基本的な知識を得るにあたっての主な手段はトレントでした、はは。ルーマニアではレンタル店が既に絶滅していて、公共のビデオテークもほとんどの場合まともに機能してなかったんです。

救いになったのはその時クルジュに住んでいたことです。この街はとても強靭で活動的な映画文化を持っていて、トランシルヴァニア映画祭(多くの意味で私にとって本当の母校です)の開催地でもありました。シネマテークはなかったんですけどね。その頃、街の旗艦的な映画館であるCinema Victoria チネマ・ヴィクトリアがとてもいい番組編成をしていました。午後3時には学生や年金生活者のため無料で映画を上映していて、"あまり人気ではない"――つまりはより美学に満ち、形式として挑戦的な――作品をいつも上映していました(ここで私の最も敬愛する現代作家の1人、ブリュノ・デュモンに出会いました。カミーユ・クローデル ある天才彫刻家の悲劇」が上映されていたんです)無一文であるジャーナリズム専攻の学生として、私は週に2日はこの午後3時の上映――学生たちからはほぼ伝説的な評判を獲得していました――に参加するようになりました。それから映画を学ぶ学生たちと交流し、映画を通じて打ち解けあうようになったのもこの場所ででした。ある意味で私の人生の中ですこぶるロマンティックな時期で、よくその頃が懐かしくなります。

どんな映画を観たかに関してですが……私の叔父が「死ぬまでに観たい映画1001本」という本をプレゼントしてくれて、古典についての知識を磨くのに便利な導になってくれました。本当のことを言うとリスト的なものは嫌いなんです――ですがあなたがシネフィル初心者の時、"あなたの心を爆裂させる10本のサイケな映画たち"みたいなお粗末なリストでもアントニオーニやヒティロヴァ、パラジャーノフホドロフスキーについて語ってくれるので、とても便利な訳です、はは。

TS:ルーマニアの映画批評の現状についてどうお考えですか。外側から見ると、とても良好に思えます。何故ならCălin Boto カリン・ボトDiana Smeu ディアナ・スメウAndreea Pătru アンドレーア・パトル、そしてあなたなど才能のある批評家たちが多くいるからです。しかし内側からはどう見えるのでしょうか?

FD:最低でも外からは良好に見えるのは嬉しいですね、はは。実際あなたが名前を上げた人物に、その他の素晴らしい才能たち――たとえばAndrei Gorzo アンドレイ・ゴルゾIrina Trocan イリナ・トロカンGeorgiana Mușat ジョルジャナ・ムシャト、映画誌FILM MENUの面々、それにキュレーターに転向したOana Ghera オアナ・ゲラAndrei Tănăsescu アンドレイ・タナセスクら――は批評が立ち上がるにあたっての主要な核であり原動力です。仕事における障壁を越えて、彼らの作品が境界線を越えて世界的に評価されるのは素晴らしいことでしょう。

しかし他方で、ローカルな映画産業にのみ舵を切る方向性を深める現状もあります。時おり余りにも親和的なんです。現状において批評家に仕事を与えるのは中立的なメディアよりも"パルチザン"的なメディアです。彼らは否定的なレビューを書かない(もしくは影響が余りない場合だけ書くかです)か、日常の営みから切り離されたものとして映画を観る"脱政治的"な人間ばかりを育てようとしています。最も金払いがいい存在でもありますが。私がとても恐れているのは今、もうすぐで破裂する泡のような蜜月の真っ只中にあるのではないかということです。そして極めて不安定な求人市場で、批評で生計を立てるという現実に直面せざるを得なくなる訳です。

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TS:あなたはAcoperișul de Sticlăというオンラインの映画雑誌に参加していますね。日本の読者にこの雑誌について説明してくださいませんか。そしてこの雑誌はルーマニア映画と批評においてどういった機能を果たしているでしょうか?

FD:Acoperișul de Sticlăはこの10年間において、独立した映画批評の拠点でした。この時代は映画誌FILM MENUが映画館やUNATC*1と組織的な軋轢に見舞われていたんです。その中でIrina TrocanAndra Petrescu アンドラ・ペトレスクはFILM MENUの初期にも関わっていたんですが、他のいわゆる"スローシネマ"的な映画批評サイトに触発されて、この計画の主核を担ってくれました。とてもオープンな知識空間を養うとともに若い書き手や映画を学ぶ学生に親和的だったんですが、それ以上にAcoperișul de Sticlăがユニークだったのは、映画の政治的な側面に興味のある批評家――たとえば私やAlex Miricioi アレックス・ミリチョイなどの書き手――にとって、現代映画についての視点を育むホームになってくれたことです。とても白熱した状況であり、私たちはその心を捧げたんです。

今は多くの編集室が日ごと問題に直面するように、この雑誌も空白期にあります。しかし現在はカムバックを予定しています。この状況に一石を投じますよ、はは。

TS:あなたはどのようにAcoperișul de Sticlăに参加しましたか? それは映画批評家であるあなたにとってどんな意味を持っていますか?

FD:十分には言い表せませんが、Acoperișul de Sticlăは今の私を作ってくれた場所です。映画批評家として切磋琢磨した場所なんです。主にレビューを書いていましたが、IrinaやAlex、Georgianaには頭痛の大きな種になっていたようです。今ではいい友人ですけどね、はは。そしてここは映画に対する自分の思考の深め方を学んだ場所で、そこに形を与えることができました。自分の批評が掲載されるという経験も積めました。そして仲間たちの批評家から多くの素晴らしい作品を見つけることができました。素晴らしい、本物の贈り物でした。

TS:あなたや同僚の批評家たちはAcoperișul de Sticlăで、女性作家や彼女たちの作品を特集する"Girls on Film"という記事を書いてますね。自分としては特にヴェラ・ヒティロヴァの記事に感銘を受けました。ルーマニアの雑誌において女性監督について書くということにはどんな意味があるでしょう?

FD:ありがとう! "Girls on Film"はルーマニアにおける映画批評にとってとてもユニークなものです。それは女性作家のみを特集し、映画史において不公平な形で見過ごされている彼女たち――映画史において最初の女性作家アリス・ギィを含めて――を皆に知ってもらうという意味からです。

Alex Mircioiがこの特集の立役者です。ルーマニアにおいては前代未聞の特集です。女性作家を無視する雰囲気が出来上がっている(ダイレクトに女性嫌悪的とは言わないまでも)なかで、世界とルーマニア両方から彼女たちを紹介する特集でも、こんなに大々的なものは、ルーマニアでは初めてです。この今の時代に必要な、野心あるプロジェクトに貢献できてとても誇らしいです。

TS:英語で書くのと、ルーマニア語で書くのとでは何か違いがありますか?

FD:難しい問いですね。当然、私の母語ですからルーマニア語の方が安心感を感じます。楽しめるんですよね。英語で書いた記事は何というか……もっと大人しい?と感じます。ルーマニア語ではもっと詩的になれるんですよ、はは。

他の問題はとても自然なものです。英語ではもっと多くの読者と対面することとなります。より飽和状態にある、競争率の激しい場所で書く必要があるんです。だから重要なのはこの遊び場を知ること、何か書く前に主題についてリサーチすることなんです。何か新しくユニークなものを書くことが、記事を適切なものにする秘訣なんです。レビューにしろ、インタビューにしろ、レポートにしろ、分析にしろ。

TS:あなたはベルリンやロカルノサラエボなど多くの映画祭に参加していますね。このことはルーマニア人の映画批評家としてどのような意味を持ちますか?

FD:実用的な意味でですか? 私は映画祭でプレミア上映されたルーマニア映画について書く、この国の最初の批評家の1人になれますね、はは。いいスタートを切れます。議論の土台を作る責任を担える訳ですが、とても興奮することです。何が来るか分からないまま映画を観ることのできる数人に選ばれたというのもいいことです(これはもっと一般的なことですが)他には、世界のメディアとの繋がりを作り、より広い読者に作品を届けるためにとても大切な時間だとも思ってます。

TS:あなたの作品の中で素晴らしいものの1つがKinoscopeに掲載されたエドワード・ヤンについての記事です。とても力強い、声高なものでした。あなたはどのようにエドワード・ヤンと彼の作品を見つけたんでしょう? 彼はルーマニアでは有名ですか?

FD:どうもありがとう! 残念ですが、エドワード・ヤンはこの国では全く有名でないと言わざるを得ません。数人のシネフィルのためにあるだけといった具合です。ルーマニアで作品が上映されたかも分からないんです。なので出来る限り彼の作品を広めようと努めています。去年の春には、私の生徒たちに「牯嶺街少年殺人事件」を見せました。マラソンさながら4時間見続けるという経験はとても衝撃的でした。

彼を見つけたのは、自分の映画文化に対する価値観に疑義を持った、つまりとてもヨーロッパ中心主義的だと思った時期でした。こう思ったのでたくさんの東アジア映画(その時知っていたのは黒澤明ウォン・カーウァイなどの巨匠による作品でした)を観るというチャレンジを課しました。そしてホン・サンスツァイ・ミンリャンアピチャッポン・ウィーラセタクン大島渚という作家たちを貪ったんです。そうしてエドワード・ヤンを見つけました。

ですが実はこの物語の重要な部分について嘘をついています。ある時、私は"Nice to See You"という曲のファンメイドMVを観たんです。どこにもその映像についての情報はなかったんですが、その映像のもとが台北ストーリー」だった訳です。富士フィルムのネオンの看板、そこから放たれる光を浴びながら、天井にいるチンの姿を何度も見ました。このイメージがしばらくの間私に憑りついていましたが、偶然あの場面を演出したヤンについての記事に出会いました。謎は解けた訳です。そして自然と映画を観るために全力を注いでいました。残りはもう歴史です。

(ちなみにこのインタビュー後、前述のFILM MENUが主催するシネクラブで台北ストーリー」の上映が決定した。ディマもそこに参加しているのだが、今作のルーマニア公開は初だそうで、彼女にとっても悲願だったようだ。めでたい)

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TS:あなたにとって最も影響力のあるルーマニア人の書き手(映画もしくは文芸批評家、哲学者、小説家……)は誰ですか?

FD:難しい質問ですね。映画の分野でいえばAndrei GorzoCristian Ferencz-Flatz クリスティアン・フェレンツ=フラッツは、私が思うに、最も重要な知識人であり理論家だと思います。もっと答えの幅を広げるなら、最初の影響元はルーマニアシュールレアリストたちです。Gell Naum ジェル・ナウムGeo Bogza ジェオ・ボグザGherasim Luca ゲラシム・ルカなど。彼らは私の趣味や興味を形作ってくれました。私の作品自体には見えないでしょうけども。

TS:作品が世界中のシネフィルが読むべきであったり、広く翻訳されるべきであったりするルーマニアの映画評論家は誰でしょう?

FD:私の知る限り、ルーマニア語の批評が翻訳されたことはないので、基礎的なものを挙げましょう。Andrei Gorzoの"New Romanian Cinema"についての批評、そして先に挙げたAlex Miricioiの批評です。更にLeo Șerban レオ・シェルバンは様々な意味で、ルーマニアにおける現代の映画批評にとって父親的な存在でもあります。

TS:ルーマニアの現代映画で最も重要な映画は何だと思いますか?

FD:今批評家によるここ十年のベスト映画リストを編纂してるので、それに関してはまだお伝えできませんが、ここ30年を対象にした個人的なリストにおいてはLucian Pintilie ルチアン・ピンティリエ(紹介記事)や、Cristi Puiu クリスティ:プイユ(紹介記事)とコルネリュ・ポルンボユ(紹介記事)の初期作、Andrei Ujică アンドレイ・ウジカ(紹介記事)の全作品(思うに、ルーマニア国外で決定的にかつ目に見える形で影響のある監督は彼が唯一なのでは)それに、もちろんRadu Jude ラドゥ・ジュデ(紹介記事)も入ります。私にとっては最も創造的で多産なルーマニア人作家だと思っています。それから今影響力があり、作品がここ数年来のルーマニアの風景を変えている女性作家の名前を上げたいと思っています。例えばAdina Pintilie アディナ・ピンティリエ(紹介記事)、Ivana Mladenovic イヴァナ・ムラデノヴィチ(紹介記事)、Ana Lungu アナ・ルング(紹介記事)、Teona Galgoțiu テオナ・ガラゴツィユなどです。

TS:日本の映画好きがルーマニアの映画史を知りたい時、どんな映画を観るべきでしょう? そしてその理由は?

FD:ルーマニア映画に親しむための入り口はたくさんあると思います。筆頭はジャンル的なアプローチの映画、もしくは歴史的な作品。もっとも、あなたが聞いているのはルーマニア革命前の芸術映画について聞いているんでしょうから、ならLucian PintilieMircea Daneliuc ミルチャ・ダネリュク(紹介記事)、Alexandru Tatos アレクサンドル・タトスが入り口になるでしょう。意見の相違はあるにしろ象徴的であり、神話的でもあります(特にPintilieの"Reconstituirea"(紹介記事)はそうです)。現代の映画作家にも素晴らしい人物はいます。例えばCristi Puiuです。もっと楽しい側面を持った映画が好きなら、Ion Popescu-Gopo ヨン・ポペスク=ゴーポ(紹介記事)とElisabeta エリサベタ・ボスタンをオススメします。

TS:ルーマニアの映画批評の未来についてどう思いますか。明るいですか、それとも暗いですか?

FD:いくつかの導的な光を除けば真っ暗で、恐れを抱いています。批評を成り立たせるのも、新しい才能を鼓舞するのも、すこぶる難しい状況です。読者がいない、財政的なサポートがない、仕事が安定しない……これを言うのは心苦しいですが、プレミア上映のための無料チケットを手に入れ、お腹が空いてるからと上映後のビュッフェを野蛮に扱う、それでは十分でなくなっています。腹の立つことに主流メディアは、極めて稀な例外を除いて、フルタイムで批評家を雇用しようとはしません。主要紙は世界的にブランドを確立しているにも関わらずルーマニア映画についてほんの少ししか特集しようとしないんです。ジャーナリストを送って軽薄な記事や安いニュースばかり書かせます。そして彼らはPRエージェントが望むように書き直すか、もしくは露骨な形でコピペします。映画に関する公の議論や意識に対して醜い効果を与えているのは明白でしょう。そしてPR業界に関してですが、この新たな分野は批評的な議論を、そしてそれに携わるプロたちを生きたまま食い散らかしています。業界ではより大きな存在で、当然給料もよりいいですからね。

なので不幸なことに、ルーマニアの映画批評はゆっくりと、少しずつ趣味になってきています。批評は輝きを放ち、とても多くの若い批評家が映画祭のワークショップに参加しているにも関わらずです。この分野でプロとしてキャリアを積み上げたいと願う私たちにとって、安定した無関係な仕事なしに生活していくのは大変です(それは不幸なことに、世界的なレベルで、多くのクリエイティヴな仕事で起こっていることでしょう)アカデミアの庇護を受けられたとしてもです。私は教職に携わる幸運に恵まれました。素晴らしい経験で、多くのレベルでとても重要です。しかし映画の心臓や動脈、つまり映画芸術そのものや映画祭には程遠いんです。

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*1:Universitatea Nationala de Arta Teatrala si Cinematrografica I.L. Caragiale I.L. カラジャーレ舞台芸術・映画国立大学のこと。映画誌FILM MENUはこの大学の機関誌

Nils-Erik Ekblom&"Pihalla"/フィンランド、愛のこの瑞々しさ

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さて、毎年冬に東京ではフィンランド映画祭が行われる。日本では未公開である現代のフィンランド映画を上映してくれる有り難い映画祭だ(個人的にはいつかルーマニア映画祭とかも上映されないかなと羨ましく思っている)という訳で今回はそれに合わせてフィンランド映画を紹介しよう。しかしもちろんそれは映画祭ですら上映されない未公開作、Nils-Erik Ekblom監督作"Pihalla"だ。

今作の主人公はヘルシンキに住んでいる青年ミク(Mikko Kauppila)だ。ある日、両親が不在の中、彼は兄のセブ(Juho Keskitalo)に唆されて自宅でパーティを開くことになる。パーティは大盛況だったが、客たちが騒ぎ過ぎて部屋の中にはゴミが散らばる大混乱ぶりだ。しかも両親が帰ってきてしまい大激怒、ミクは彼らと共に田舎の療養地へ連れて行かれることとなる。

序盤はよくある青春映画という趣だ。ミクが開くパーティは当然のごとく大騒ぎで、若さがどこまでも炸裂している。その中で彼は気になる相手であるサンナと二人きりになり、良い感じの雰囲気になるのだが、何か理解できない感情のせいでキスより先に行くことができない……

そんなミクは田舎で退屈な時間を過ごすのだが、ある時エリアス(Valtteri Lehtinen)という同年代の青年と出会う。両親のせいで少しも騒ぐことができなかったミクだが、彼とは意気投合して、お喋りを繰り広げたり、ビールを飲み交わしたりする。そうして愉快に時間は過ぎていくのだったが……

物語が進むにつれて、2人の関係性には微妙な雰囲気が付き纏うことになる。友情でもなければ、愛情でもない頗る微妙な雰囲気だ。監督の演出はまだ長編2作目ということもあり、とっ散らかった話下手なところがあるのだが、そのぎこちなさが彼らの関係性のぎこちなさに重なるところがあり、とても愛おしく思えてくる。

しかしそんな微妙な関係性は突発的ながら官能的なキスから、勢いよく愛情関係へともつれ込んでいく。若々しい愛情と衝動のままに、彼らは唇を重ね合わせ、互いの身体を抱き、その温もりを共有するように身体を重ね合う。その瑞々しさはとても爽やかなものだ。

ゲイ映画含めてLGBTQ映画には、LGBTQであることの苦悩が付き纏う作品が多いが、今作はそういった要素はサラッと流していく。代りに描かれていくのは、人を愛することの難しさと喜びという普遍的なテーマだ。今作はゲイ映画としての面白さと普遍的な愛の物語としての面白さの2つが同居していると言える。

とはいえ演出のぎこちなさもあってか、青春映画としては突出したところがない、平凡な出来であると言わざるを得ないところがある。だがその平凡さはまた、ゲイであるミクたち若者の等身大の恋物語にはとても合っている。劇的なものはないし、現実離れして美しいものもない。だが日常の中にあるかけがえのなさが今作では確かに描かれている。それは今の平凡な日常を生きるゲイの青年たちに希望を与えるものだろう。

"Pihalla"フィンランドからやってきた、瑞々しい青春映画でありゲイ映画だ。彼らの愛おしさは深いものであり、私たちはミクとエリアスの幸せを願わずにはいられないだろう。

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私の好きな監督・俳優シリーズ
その351 Shahrbanoo Sadat&"The Orphanage"/アフガニスタン、ぼくらの青春
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その357 Radu Dragomir&"Mo"/父の幻想を追い求めて
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その359 Hassen Ferhani&"143 rue du désert"/アルジェリア、砂漠の真中に独り
その360 Basil da Cunha&"O fim do mundo"/世界の片隅、苦難の道行き
その361 Mona Nicoară&"Distanța dintre mine și mine"/ルーマニア、孤高として生きる
その362 Siniša Gacić&"Hči Camorre"/クリスティーナ、カモッラの娘
その363 Vesela Kazakova&"Cat in the Wall"/ああ、ブレグジットに翻弄されて
その364 Saeed Roustaee&"Just 6.5"/正義の裏の悪、悪の裏の正義
その365 Mani Haghighi&"Pig"/イラン、映画監督連続殺人事件!
その366 Dmitry Mamulia&"The Climinal Man"/ジョージア、人を殺すということ
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その371 Antoneta Kastrati&"Zana"/コソボ、彼女に刻まれた傷痕
その372 Tamar Shavgulidze&"Comets"/この大地で、私たちは再び愛しあう
その373 Gregor Božič&"Zgodbe iz kostanjevih gozdov"/スロヴェニア、黄昏色の郷愁
その374 Nils-Erik Ekblom&"Pihalla"/フィンランド、愛のこの瑞々しさ

Gregor Božič&"Zgodbe iz kostanjevih gozdov"/スロヴェニア、黄昏色の郷愁

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さて、スロヴェニアである。この国はイタリアと国境を接しており、歴史的にも大きな結びつきを見せていた。特にイタリアが枢軸国として侵略戦争を行っていた第2次世界大戦時代、2つの国の国境付近では静かなる激動が起こっていた。今回はそんな状況を極個人的な視点から描き出した作品、〇監督によるデビュー長編"Zgodbe iz kostanjevih gozdov"を紹介していこう。

大工のマリオ(Massimo De Francovich)は妻と一緒に山奥で暮らしていた。孤独ながらも平穏な生活が続く中で、しかし戦争の影がスロヴェニアに近づいてくるにつれて、妻の体調がどんどん悪くなっていく。彼は彼女を治す術を探すのだったが……

もう1人の主人公はマルタ(Ivana Roščić)という若い女性、彼女は栗を取って売るのを生業としていたが、そうして暮らす人物はもはや彼女だけになっていた。彼女は愛した男の帰還を待ちながら、独りで暮らし続けていた。そんな中、マリオとマルタは出会い、変わりゆくスロヴェニアを共に見つめることになる。

まず際立つのは、2人を包みこむ自然の豊かさだ。撮影監督であるFerran Paredesが捉える、濃厚なる影を纏った暗緑色の自然は、まるで闇のように彼らの周りを漂い続ける。その異様な暗さは、第2次世界大戦という忌まわしき歴史によって更に濃厚なものへとなっていく。ここにおいて、自然の中に安らぎというものは存在しないのである。

だがその安らぎの不在を越えるものを提供するのが、今作をいろどる色彩の豊かさである。世界には常に夕暮れに満ちるだろう橙色と紫色が存在し続けている。これが黒い闇の間で光を放つ様はすこぶる美しいものだ。その色彩は常に黄昏の侘しさへと接続されていく。

そしてそれはどこか遠い場所への郷愁へと繋がる。例えば、この映画を観た私は2019年の東京にいた。そうでいながらも、同時に私は1940年代のスロヴェニアにどこか切ない懐かしさを抱いたのだ。確かにその実情は厳しいものかもしれないが、それすらも越えてあの美しさに私は郷愁を抱いたのだ。2019年と1940年代、日本とスロヴェニア、その時間的にも地理的にも遠い場所を繋げる力が今作には存在しているのだ。

この郷愁は、スロヴェニアを含めた旧ユーゴスラビア映画には多く観られたものだった。例えばIvica Matić監督によるボスニア映画"Žena s krajolikom"だ。今作はある1人の画家の生涯を描き出した作品だが、それゆえに絵画的な色彩感覚が駆使されており印象的だ。そしてその自然を綴る深い色彩が、観る者の心から郷愁を喚起するのである。

そうした不穏さや郷愁とともに、この"Zgodbe iz kostanjevih gozdov"は物語を展開させていく。静かなる激動によって翻弄されていく2人の姿を繊細な筆致で描き出していくのだ。そして彼らは1つの終りへと突き進んでいき、自身も歴史へとその姿を変えていくのだ。

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私の好きな監督・俳優シリーズ
その351 Shahrbanoo Sadat&"The Orphanage"/アフガニスタン、ぼくらの青春
その352 Julio Hernández Cordón&"Cómprame un revolver"/メキシコ、この暴力を生き抜いていく
その353 Ivan Marinović&"Igla ispod plaga"/響くモンテネグロ奇想曲
その354 Ruth Schweikert&"Wir eltern"/スイス、親になるっていうのは大変だ
その355 Ivana Mladenović&"Ivana cea groaznică"/サイテー女イヴァナがゆく!
その356 Ines Tanović&"Sin"/ボスニア、家族っていったい何だろう?
その357 Radu Dragomir&"Mo"/父の幻想を追い求めて
その358 Szabó Réka&"A létezés eufóriája"/生きていることの、この幸福
その359 Hassen Ferhani&"143 rue du désert"/アルジェリア、砂漠の真中に独り
その360 Basil da Cunha&"O fim do mundo"/世界の片隅、苦難の道行き
その361 Mona Nicoară&"Distanța dintre mine și mine"/ルーマニア、孤高として生きる
その362 Siniša Gacić&"Hči Camorre"/クリスティーナ、カモッラの娘
その363 Vesela Kazakova&"Cat in the Wall"/ああ、ブレグジットに翻弄されて
その364 Saeed Roustaee&"Just 6.5"/正義の裏の悪、悪の裏の正義
その365 Mani Haghighi&"Pig"/イラン、映画監督連続殺人事件!
その366 Dmitry Mamulia&"The Climinal Man"/ジョージア、人を殺すということ
その367 Valentyn Vasyanovych&"Atlantis"/ウクライナ、荒廃の後にある希望
その368 Théo Court&"Blanco en blanco"/チリ、写し出される虐殺の歴史
その369 Marie Grahtø&"Psykosia"/"私"を殺したいという欲望
その370 Oskar Alegria&"Zumiriki"/バスク、再び思い出の地へと
その371 Antoneta Kastrati&"Zana"/コソボ、彼女に刻まれた傷痕
その372 Tamar Shavgulidze&"Comets"/この大地で、私たちは再び愛しあう
その373 Gregor Božič&"Zgodbe iz kostanjevih gozdov"/スロヴェニア、黄昏色の郷愁

Tamar Shavgulidze&"Comets"/この大地で、私たちは再び愛しあう

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昔から女性を愛し、女性に愛されてきた、いわゆるレズビアンという人々がいた。しかし彼女たちの愛と人生は平坦なものではあり得なかった。社会の同性愛者への不理解や偏見に晒され、そして個人的な苦悩にも苦しめられ、愛する者と別たれてきた人々も多いだろう。今回紹介するのは、そんなレズビアンたちに捧げられる作品、Tamar Shavgulidze監督によるデビュー長編"Comets"だ。

主人公はナナ(Ketevan Gegeshidze)という中年女性だ。彼女は娘であるイリーナ(Ekaterine Kalatozishvili)とともに、首都トビリシから自身の故郷へ休養に来ている。暑くなる夏にはいつもそうなのだ。彼女たちは実家の庭に出て、その豊かな自然を味わいながら、会話を紡ぎ始める。

まず際立つのは監督であるShavgulidzeの演出法である。彼女はナナとイリーナの会話を、カメラを固定しながら真正面から、一切の動きもなしに描き続ける。会話をしながら、ナナは集めてきた果物の処理をし、イリーナはどこか不機嫌そうに辺りを見回す。長回しであるが故に、この光景が一切の途切れなく続いていく。そうすることで彼女たちの表情や動作もまた途切れなく描かれ続け、親密な現実性が増していくのである。

この演出法は、映画史において元も偉大な人物といっても過言ではないシャンタル・アケルマンの演出法に似たものだ。彼女はその長大な傑作「ジャンヌ・ディエルマン」で同じような演出を使い、専業主婦の日常を異様な現実味と緊張感を以て描き出していた。監督自身、インタビューで彼女が24歳で作った作品「私、あなた、彼、彼女」は印象的だったとその敬愛を語っている。

そんな親密な時間が流れる最中に、1人の中年女性が現れる。彼女の名前はイリーナ(Nino Kasradze)、娘と同じ名前である女性とナナは旧交をぎこちなくも旧交を温めあう。2人は30年振りに再会を果たしたらしい。そして彼女たちは再び言葉を紡ぎ始める。

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だがそうして時間が進んでいく中で、何か不穏な化外が漂い始めるのにも観客は気付くだろう。2人は言葉の裏側にある意味を見通そうとし、互いの心の中に宿る感情を探り当てようとする。それは何故なのか、2人の間に何があったのか。そういった好奇心を私たちは擽られることとなる。

そして映画において、30年前に起こったことの数々が星の瞬きのように描かれることとなる。ドア越しに会話をしていたあの時、中年になった2人がいるこの庭で思い思いの時間を過ごしていた時、一緒に野外上映で映画を観ていた時。その親密な時間は、彼女たちが心から愛し合っていたことを饒舌に語るだろう。

だがその愛し合っていた記憶が、なぜ離れ離れになった今の距離感に繋がってしまうのか。監督はそれに答えを用意しないままに、しかし現在の2人の様子を静かに見据え続ける。彼女たちは近づいては離れていく。冷たい雰囲気を醸し出すかと思えば、息を呑むほどの官能性に包まれることもある。この余りにも複雑な変遷の流れを、監督はありのままに提示するのである。

そして最も印象的な光景の1つとして挙げられるのは、その微妙な現在の中で突如煌めく過去の一場面だ。ある時2人は野外上映へと赴き、SF映画を観賞する。その鑑賞している時の彼女たちを、監督は真正面から長回しで描き出す。並んで映画を観る姿、時おり片方が片方に甘える姿、そこには蕩けるような愛の美しさが存在している。

だがその愛は現在において再び燃え上がるのだろうか。物語はそれを宙吊りにしていく。だが今作が息を呑む美しさを魅せるのは、この宙吊りが思わぬ飛躍をする瞬間だ。今作の題名は"Comets"、彗星を意味する言葉であるが、その通り宇宙的な規模へと発展するのだ。その壮大さには思わず言葉を失った。"Comets"は個人的で小さな愛の風景を、驚きの地平へと接続する作品だ。"私たちは再び巡りあう。私たちは再び愛しあう。この大いなる大地で……"

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その370 Oskar Alegria&"Zumiriki"/バスク、再び思い出の地へと
その371 Antoneta Kastrati&"Zana"/コソボ、彼女に刻まれた傷痕

Antoneta Kastrati&"Zana"/コソボ、彼女に刻まれた傷痕

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個人的な意見だが、最近のコソボ映画は頗る繊細な作品が多い。例えばBlerta Zeqiri"Martesa"Lendita Zeqiraj"Shpia e Agës"など、静かに紡がれていく風景を背景として、登場人物たちの心情が丹念に描かれていく。そしてその中にはコソボ人としての壮絶な過去やアイデンティティの探求というテーマが込められていることが多い。さて、今回はそんな系譜の最先端に位置するだろうコソボ映画、Antoneta Kastrati監督作"Zana"を紹介していこう。

今作の主人公であるルメ(Adriana Matoshi)は、夫であるイリル(Astrid Kabashi)と彼の母とともに、コソボの田舎町で静かに暮らしていた。しかし彼女には1つ問題があった。家族の皆から子供を待望されているのに、妊娠できないのだ。日々は過ぎていくが、その中で人々の彼女への不満は膨らんでいく。

まず今作はルメの日常を淡々と描き出していく。例えば彼女は夫や姑と一緒に、テレビを観ながら朝食を取る。そこには少しだけ家庭内での権力関係が見え隠れする。その他にもルメは洗濯をしたり、動物たちの世話をしたりする。その日常は普通のもののように思えるが、その裏側では何かが蠢いているのが感じられるだろう。

コソボでは今でも信仰療法士(healer)という存在が広く信じられており、家族に連れられてルメも彼らの元へと赴くことになる。その時彼女は、過去に刻まれた傷が不妊の原因ではないかと占われる。家族はそれについて問い質すのだが、ルメは沈黙を貫き続ける。

その過去に対する沈黙に関連して、ルメは劇中を通じて悪夢を見続けている。深い水溜りに沈んだ牛の死骸、森を襲いくる激しい爆撃……それらの悪夢は日常に溶け込んだ形でルメに迫りくる。その魔術的リアリズムに裏打ちされた悪夢は、ルメに刻まれた傷の深さを饒舌に語る。

更にもっと現実的な悪夢までもが彼女を襲うことになる。家族からは子供を作れと圧力が常にかけられる。まるで子供が作れない女性は不完全だとでも言う風に。姑からは心無い言葉を投げ掛けられ、村には悪意ある噂が広まっていく。

監督はこの光景を通じて、コソボの田舎町に巣食う女性差別的な価値観を描き出していく。先述した作品を監督した現代コソボの女性作家たちは女性たちをめぐる問題を意識的に描こうとしているが、今作のテーマも正にそれである。元々コソボ映画界は規模が小さかったが、そこに女性作家が入る余地はなかった。しかし現在、むしろ海外で注目を集める作家は女性たちである。今、とうとう女性たちの問題を描きそれが世界的に評価されるフェイズが来ている。"Zana"はそれを象徴してもいる。

今作は様々な悪夢に直面する女性の受難劇であるが、それを支える存在がルメを演じるAdriana Matoshiである。彼女は先述の2作他、海外の映画祭で話題になるコソボ映画には全て出ていると言ってもいいほど広く活躍している。彼女はコソボ映画界のミューズなのである。そんなMatoshiは悪意を一身に背負いながらも、感情を抑圧し秘密を隠し続ける女性を静かに熱演している。その姿には現在の活躍を全く以て納得させる力強さが宿っている。

"Zana"コソボで女性が生きることについての物語だ。今作を観た後には、女性として、この地を踏み締めることの苦しみ、悲しみはこんなにも深いものなのかと、私たちは絶望感を抱くことになるかもしれない。

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私の好きな監督・俳優シリーズ
その341 Abbas Fahdel&"Yara"/レバノン、時は静かに過ぎていく
その342 Marie Kreutzer&"Der Boden unter den Füßen"/私の足元に広がる秘密
その343 Tonia Mishiali&"Pause"/キプロス、日常の中にある闘争
その344 María Alché&"Familia sumergida"/アルゼンチン、沈みゆく世界に漂う
その345 Marios Piperides&"Smuggling Hendrix"/北キプロスから愛犬を密輸せよ!
その346 César Díaz&"Nuestras madres"/グアテマラ、掘り起こされていく過去
その347 Beatriz Seigner&"Los silencios"/亡霊たちと、戦火を逃れて
その348 Hilal Baydarov&"Xurmalar Yetişən Vaxt"/アゼルバイジャン、永遠と一瞬
その349 Juris Kursietis&"Oļeg"/ラトビアから遠く、受難の地で
その350 済藤鉄腸オリジナル、2010年代注目の映画監督ベスト100!!!!!
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Oskar Alegria&"Zumiriki"/バスク、再び思い出の地へと

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良きにしろ悪しきにしろ、子供時代の思い出というのは人々にとって重要な意味を持つ。それは再現したり、修正したりすることができないからだ。だがそれでももう一度この思い出を再現しようとする者は確かに存在する。その過程では一体何が起こるのか。この思わぬ余波を描き出した作品が今回紹介するバスク映画、Oskar Alegria監督作の"Zumiriki"だ。

まず映し出されるのは、何者かが撮影したホームビデオである。ナレーションで以てその撮影者は明らかにされる。監督の父親だ。彼は自身が住む地域の文化を残すために、絶えず周りの風景を撮影し続けていた。そしてそこにはまだ子供であった監督も映っている。監督の思い出はそうしてこのホームビデオの映像と不可分となったのだ。

大人になった監督は、父の意志を受け継ごうと故郷の文化を映画として残そうとする。例えば彼が写すのは、この地に住む羊飼いたちの姿だ。彼らはみな80代であり、彼らが亡くなってしまえば文化も消えてしまう。ゆえに彼はその生活ぶりを映像に残していく。そして深夜には彼らに質問を重ね、古いバスク語の響きを録音していく。

こうして文化を残していく中で、彼はある場所へと再訪を遂げる。それは国境付近にある川だ。その中心には昔小さな島が浮かんでいた。しかしダムが建設されたことによって、その島は水の底に沈んでしまう。それでも監督の心にその風景は深く刻み込まれていたのだった。

そして彼はこの思い出を現在に再現しようと奔走することになる。まず行うのは、小屋の建設だ。川辺に小さな小屋を建て、そこに思い出の詰まった記念品を集めていく。更に彼はそこで独り実際に住むことになる。それによってこの地に思い出をまた芽吹かせようとしているのだ。

監督は自身の生活ぶりをつぶさに撮影していく。周囲には豊饒たる深緑の森、その色を濃厚に反映した川、鳥たちの清冽な鳴き声。様々なる美が広がっている。監督は大地を耕して作物を作ったり、自然の中で読書や詩作に勤しむこととなる。編集はとても小気味よく、軽やかなリズムで以て自然生活が綴られていく様は解放感に満ち溢れている。

だが監督はそれ以上の領域へと足を踏み入れていく。彼は自然に文字通り身を委ねていくのだ。彼は森中に監視カメラを設置して、動物たちの姿を観察していく。さらにその行動を真似して、例えば身体中に泥を塗りたくるなどの逸脱した行為に打って出る。彼は生温い決意で以て思い出を再現しようとしているのではない。すこぶる本気なのだ。

そんな本気の自然回帰ぶりに、観客である私たちは当惑をも覚えるだろう。動物の生態を真似たり、白い全身タイツを纏って自然の中で思索を重ねる。その度を越した身の委ね方は隠者の生活そのもので、シリアスな笑いすら誘われることがある。だがこの物語を体感するうちに、この自然への没頭が子供時代への深く真摯な思いに裏打ちされているということが、観客にも分かってくるだろう。

"Zumiriki"とは"川に浮かぶ小さな島"を表す言葉である。それは正に監督がこの隠者としての生活を始めるきっかけとなった場所である。この島はもう戻ってくることはないだろう。しかしそれを蘇らせようとする思い出への旅路は、監督の人生に新たなる意味を宿すこととなる。"Zumiriki"はその豊かな記録なのだ。

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