鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

はてなダイアリーのサービスが終了ということで、はてなブログで鉄腸野郎Z-SQUAD!改め鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!へ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。

ヴァレスカ・グリーゼバッハ&"Western"/西欧と東欧の交わる大地で

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EUの発展によってますますヨーロッパの境界が緩やかになりながらも、いやだからこそと言うべきか西欧と東欧という地域の交わりを描き出そうとする作品が増えてきている。近年で最も話題になったのはマーレン・アーデ監督作「ありがとう、トニ・エルドマン」だ。今作は父と娘の関係性を描き出すと同時に、西欧(ドイツ)と東欧(ルーマニア)の力関係/権力勾配などを描く作品でもあった(ちなみにこのブログに時々出てくるルーマニア人の友人とその家族にはこの映画とても不評である)さて、そんなアーデ監督、プロデューサーとしてもそんな西欧と東欧の交わりを綴る作品を製作していた。ということで今回はドイツとブルガリアが交わりあう、ヴァレスカ・グリーゼバッハ Valeska Grisebach監督作“Western”を紹介していこう。

マインハルト(Meinhard Neumann)たちドイツ人建設作業員たちは、水力発電所を建てるためにブルガリアの辺境にある風光明媚な田舎町へとやってきた。彼らは故郷でするのと同じように黙々と建設作業に励むのだったが、1つ問題なのは地域住民と言葉が通じないことだった。そんな言語の障壁に直面しながらも、マインハルトらは作業を進めようとする。

まず監督は作業員たちの日常風景を丹念に描き出そうとする。男たちは拠点となる場所にドイツ国旗を立てた後、作業を開始する。単純な肉体労働は勿論のこと、重機を操縦して川を渡ろうとしたり、水道施設を稼働させようとしたりと業務は多岐に亘る。そうして1日の終わりには仲間同士で寄り集まり酒を酌み交わしていく。いわゆるベルリン派と呼ばれるグループに属するグリーゼバッハ監督の演出は、トーマス・アルスランアンゲラ・シャーネレクがそうであるように、余計な装飾は一切加え立てない淡々さを誇っており、素朴の先にある禅的な境地へと辿り着こうとする意思が見て取れる。

そんな彼らとブルガリア人の邂逅はあまり良いものとは言えない。作業員たちが川辺で休憩していると、向こう岸に同じく遊びにきたらしいブルガリア人の女性たちが現れる。その中の一人が泳いでいる途中に帽子を落としてしまうのだが、それを作業員が拾うことになる。彼はすぐに帽子を渡そうとはせずに、女性をからかい始める。それに怒った女性たちは作業員たちを尻目に立ち去ってしまう。これが後にも続く禍根になるとはドイツ人は予想していない。

そんな中でマインハルトだけは積極的にかつ友好的にブルガリア人たちと関わろうとする。青年ヴァンコ(Kevin Bashev)に馬の乗り方を教わったり、仕事を続けるうち出会ったアドリアン(Syuleyman Alilov Letifov)と仲良くなり彼が携わる工事を手助けしたり、時には言葉も通じないながら賭博の輪にも果敢に入っていきまんまと勝利してみせる。表面上は寡黙な中年男性といった風だが、ドイツ人の中では最も好奇心に満ち、異文化を受け入れようとする意気が旺盛な人物という訳だ。

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物語は上述したような緊張感と親しみの間を行き交うような展開を見せる。女性をからかった事件は村中に広まることとなり、住民たちの中にはドイツ人に対して敵愾心を見せる者もいて、状況が一気に張り詰める瞬間がある。その一方で共同体に深く分け入っていくマインハルトはヴァンコの家族に受け入れられて、活気に満ちる宴会に参加、言葉は分からないなりに彼らと打ち解けていく。

ここで印象的なのは撮影監督Bernhard Kellerの映し出す、ブルガリアの勇壮な風景の数々だ。険しい丘陵地帯に深い緑が散らばる様は頗る印象的であり、その険しさの中には崇高なる美すらも見出だすことができる。この崇高さこそが良きことも悪しきことも清濁合わせ飲んだ上で、全てを抱きとめるような應揚さにすら繋がっていることが本作の特徴でもある。

更にそんなマクロ的視点だけでなく、Kellerは人々の動きや表情などミクロ的視点からも物事を印象的に映し出していく。そこで初めに際立つのが肉体の存在だ。男たちは腕を、時には上半身それ自体を露出しながら肉体労働に明け暮れることになる。険しい道を歩む、工事用具を振り上げる、岩を砕く。そういった武骨な動作の数々は、しかしその性質とは裏腹な形で繊細に捉えられていくのだ。また劇中に現れる馬たちが野生を悠然と歩く姿もまた脳裏に焼きつく類いのものであり、ここでは肉体の躍動が重要視されている訳である。こういった描写が積み重なることで、物語は奥行きを増していく。

そしてドイツ人とブルガリア人の間で会話が成り立たないからこそ、彼らの表情に意味が滲み始めるのをカメラは見逃さない。今作に出てくる人物たちはほとんどが素人俳優だが、誰も彼もみな良い面構えをしていて、その顔が様々な感情に揺れ動く様を見るのはそれだけで映画の快楽を味わっているような感覚を覚えるだろう。中でもマインハルト役を演じるMeinhard Neumannは印象に残る顔立ちだ。常に冷静沈着で無表情を崩さない彼だが、それでも顔に穿たれた皺が何よりも饒舌に彼の心情を語り続けるのだ。是非とも今度も俳優を続けて欲しいところである。

劇中、マインハルトとブルガリア人の友人アドリアンが酒を飲みながら語り合う場面がある。とはいえ何度も書いている通り言葉は通じないため、殆どの言葉は一方通行だ。それでも細かい動作や似ている言葉を互いに読み取っていく中で、ふと会話が通じる瞬間というものがある。偶然なのか必然なのか、それは誰にも分からない。だが監督は、そこに言葉が通じ合わない者同士でも理解しあえるではないか?という可能性を、物語を通じて追求しようとする。

ブルガリア語とドイツ語/東欧と西欧が交じり合う地において、肉体の躍動や表情の微かな動きが繊細に掬い取られていく事で、言葉を越えた先で理解しあえる小さな奇跡にも似た一瞬が浮かび上がる。“Western”とは違う言語や違う文化を持つ人々が様々な場所で交錯する現代に、仄かに輝ける光なのだ。

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私の好きな監督・俳優シリーズ
その201 Yared Zeleke&"Lamb"/エチオピア、男らしさじゃなく自分らしさのために
その202 João Viana&"A batalha de Tabatô"/ギニアビサウ、奪われた故郷への帰還
その203 Sithasolwazi Kentane&"Woman Undressed"/ Black African Female Me
その204 Victor Viyuoh&"Ninah's Dowry"/カメルーン、流れる涙と大いなる怒り
その205 Tobias Nölle&"Aloys"/私たちを動かす全ては、頭の中にだけあるの?
その206 Michalina Olszańska&"Já, Olga Hepnarová"/私、オルガ・ヘプナロヴァはお前たちに死刑を宣告する
その207 Agnieszka Smoczynska&"Córki dancingu"/人魚たちは極彩色の愛を泳ぐ
その208 Rosemary Myers&"Girl Asleep"/15歳、吐き気と不安の思春期ファンタジー!
その209 Nanfu Wang&"Hooligan Sparrow"/カメラ、沈黙を切り裂く力
その210 Massoud Bakhshi&"Yek khanévadéh-e mohtaram"/革命と戦争、あの頃失われた何か
その211 Juni Shanaj&"Pharmakon"/アルバニア、誕生の後の救いがたき孤独
その212 済藤鉄腸オリジナル、2010年代注目の映画監督ベスト100!!!!!
その213 アレクサンドラ・ニエンチク&"Centaur"/ボスニア、永遠のごとく引き伸ばされた苦痛
その214 フィリップ・ルザージュ&「僕のまわりにいる悪魔」/悪魔たち、密やかな蠢き
その215 ジョアン・サラヴィザ&"Montanha"/全てはいつの間にか過ぎ去り
その216 Tizza Covi&"Mister Universo"/イタリア、奇跡の男を探し求めて
その217 Sofia Exarchou&"Park"/アテネ、オリンピックが一体何を残した?
その218 ダミアン・マニヴェル&"Le Parc"/愛が枯れ果て、闇が訪れる
その219 カエル・エルス&「サマー・フィーリング」/彼女の死の先にも、人生は続いている
その220 Kazik Radwanski&"How Heavy This Hammer"/カナダ映画界の毛穴に迫れ!
その221 Vladimir Durán&"Adiós entusiasmo"/コロンビア、親子っていうのは何ともかんとも
その222 Paul Negoescu&"O lună în Thailandă"/今の幸せと、ありえたかもしれない幸せと
その223 Anatol Durbală&"Ce lume minunată"/モルドバ、踏み躙られる若き命たち
その224 Jang Woo-jin&"Autumn, Autumn"/でも、幸せって一体どんなだっただろう?
その225 Jérôme Reybaud&"Jours de France"/われらがGrindr世代のフランスよ
その226 Sebastian Mihăilescu&"Apartament interbelic, în zona superbă, ultra-centrală"/ルーマニアと日本、奇妙な交わり
その227 パス・エンシナ&"Ejercicios de memoria"/パラグアイ、この忌まわしき記憶をどう語ればいい?
その228 アリス・ロウ&"Prevenge"/私の赤ちゃんがクソ共をブチ殺せと囁いてる
その229 マッティ・ドゥ&"Dearest Sister"/ラオス、横たわる富と恐怖の溝
その230 アンゲラ・シャーネレク&"Orly"/流れゆく時に、一瞬の輝きを
その231 スヴェン・タディッケン&「熟れた快楽」/神の消失に、性の荒野へと
その232 Asaph Polonsky&"One Week and a Day"/イスラエル、哀しみと真心のマリファナ
その233 Syllas Tzoumerkas&"A blast"/ギリシャ、激発へと至る怒り
その234 Ektoras Lygizos&"Boy eating the bird's food"/日常という名の奇妙なる身体性
その235 Eloy Domínguez Serén&"Ingen ko på isen"/スウェーデン、僕の生きる場所
その236 Emmanuel Gras&"Makala"/コンゴ、夢のために歩き続けて
その237 ベロニカ・リナス&「ドッグ・レディ」/そして、犬になる
その238 ルクサンドラ・ゼニデ&「テキールの奇跡」/奇跡は這いずる泥の奥から
その239 Milagros Mumenthaler&"La idea de un lago"/湖に揺らめく記憶たちについて
その240 アッティラ・ティル&「ヒットマン:インポッシブル」/ハンガリー、これが僕たちの物語
その241 Vallo Toomla&"Teesklejad"/エストニア、ガラスの奥の虚栄
その242 Ali Abbasi&"Shelly"/この赤ちゃんが、私を殺す
その243 Grigor Lefterov&"Hristo"/ソフィア、薄紫と錆色の街
その244 Bujar Alimani&"Amnestia"/アルバニア、静かなる激動の中で
その245 Livia Ungur&"Hotel Dallas"/ダラスとルーマニアの奇妙な愛憎
その246 Edualdo Williams&"El auge del humano"/うつむく世代の生温き黙示録
その247 Ralitza Petrova&"Godless"/神なき後に、贖罪の歌声を
その248 Ben Young&"Hounds of Love"/オーストラリア、愛のケダモノたち
その249 Izer Aliu&"Hunting Flies"/マケドニア、巻き起こる教室戦争
その250 Ana Urushadze&"Scary Mother"/ジョージア、とある怪物の肖像
その251 Ilian Metev&"3/4"/一緒に過ごす最後の夏のこと
その252 Cyril Schäublin&"Dene wos guet geit"/Wi-Fi スマートフォン ディストピア
その253 Alena Lodkina&"Strange Colours"/オーストラリア、かけがえのない大地で
その254 Kevan Funk&"Hello Destroyer"/カナダ、スポーツという名の暴力
その255 Katarzyna Rosłaniec&"Szatan kazał tańczyć"/私は負け犬になるため生まれてきたんだ
その256 Darío Mascambroni&"Mochila de plomo"/お前がぼくの父さんを殺したんだ
その257 ヴィルジル・ヴェルニエ&"Sophia Antipolis"/ソフィア・アンティポリスという名の少女
その258 Matthieu Bareyre&“l’Epoque”/パリ、この夜は私たちのもの
その259 André Novais Oliveira&"Temporada"/止まることない愛おしい時の流れ
その260 Xacio Baño&"Trote"/ガリシア、人生を愛おしむ手つき
その261 Joshua Magar&"Siyabonga"/南アフリカ、ああ俳優になりたいなぁ
その262 Ognjen Glavonić&"Dubina dva"/トラックの棺、肉体に埋まる銃弾
その263 Nelson Carlo de Los Santos Arias&"Cocote"/ドミニカ共和国、この大いなる国よ
その264 Arí Maniel Cruz&"Antes Que Cante El Gallo"/プエルトリコ、貧しさこそが彼女たちを
その265 Farnoosh Samadi&"Gaze"/イラン、私を追い続ける視線
その266 Alireza Khatami&"Los Versos del Olvido"/チリ、鯨は失われた過去を夢見る
その267 Nicole Vögele&"打烊時間"/台湾、眠らない街 眠らない人々
その268 Ashley McKenzie&"Werewolf"/あなたしかいないから、彷徨い続けて
その269 エミール・バイガジン&"Ranenyy angel"/カザフスタン、希望も未来も全ては潰える
その270 Adriaan Ditvoorst&"De witte waan"/オランダ映画界、悲運の異端児
その271 ヤン・P・マトゥシンスキ&「最後の家族」/おめでとう、ベクシンスキー
その272 Liryc Paolo Dela Cruz&"Sa pagitan ng pagdalaw at paglimot"/フィリピン、世界があなたを忘れ去ろうとも
その273 ババク・アンバリ&「アンダー・ザ・シャドウ」/イラン、母という名の影
その274 Vlado Škafar&"Mama"/スロヴェニア、母と娘は自然に抱かれて
その275 Salomé Jashi&"The Dazzling Light of Sunset"/ジョージア、ささやかな日常は世界を映す
その276 Gürcan Keltek&"Meteorlar"/クルド、廃墟の頭上に輝く流れ星
その277 Filipa Reis&"Djon África"/カーボベルデ、自分探しの旅へ出かけよう!
その278 Travis Wilkerson&"Did You Wonder Who Fired the Gun?"/その"白"がアメリカを燃やし尽くす
その279 Mariano González&"Los globos"/父と息子、そこに絆はあるのか?
その280 Tonie van der Merwe&"Revenge"/黒人たちよ、アパルトヘイトを撃ち抜け!
その281 Bodzsár Márk&"Isteni müszak"/ブダペスト、夜を駆ける血まみれ救急車
その282 Winston DeGiobbi&"Mass for Shut-Ins"/ノヴァスコシア、どこまでも広がる荒廃
その283 パスカル・セルヴォ&「ユーグ」/身も心も裸になっていけ!
その284 Ana Cristina Barragán&"Alba"/エクアドル、変わりゆくわたしの身体を知ること
その285 Kyros Papavassiliou&"Impressions of a Drowned Man"/死してなお彷徨う者の詩
その286 未公開映画を鑑賞できるサイトはどこ?日本からも観られる海外配信サイト6選!
その287 Kaouther Ben Hania&"Beauty and the Dogs"/お前はこの国を、この美しいチュニジアを愛してるか?
その288 Chloé Robichaud&"Pays"/彼女たちの人生が交わるその時に
その289 Kantemir Balagov&"Closeness"/家族という名の絆と呪い
その290 Aleksandr Khant&"How Viktor 'the Garlic' Took Alexey 'the Stud' to the Nursing Home"/オトンとオレと、時々、ロシア
その291 Ivan I. Tverdovsky&"Zoology"/ロシア、尻尾に芽生える愛と闇
その292 Emre Yeksan&"Yuva"/兄と弟、山の奥底で
その293 Szőcs Petra&"Deva"/ルーマニアとハンガリーが交わる場所で
その294 Flávia Castro&"Deslemblo"/喪失から紡がれる"私"の物語
その295 Mahmut Fazil Coşkun&"Anons"/トルコ、クーデターの裏側で
その296 Sofia Bohdanowicz&"Maison du bonheur"/老いることも、また1つの喜び
その297 Gastón Solnicki&"Introduzione all'oscuro"/死者に捧げるポストカード
その298 Ivan Ayr&"Soni"/インド、この国で女性として生きるということ
その299 Phuttiphong Aroonpheng&"Manta Ray"/タイ、紡がれる友情と煌めく七色と
その300 Babak Jalali&"Radio Dreams"/ラジオには夢がある……のか?
その301 アイダ・パナハンデ&「ナヒード」/イラン、灰色に染まる母の孤独
その302 Iram Haq&"Hva vil folk si"/パキスタン、尊厳に翻弄されて

Iram Haq&"Hva vil folk si"/パキスタン、尊厳に翻弄されて

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さて、このブログでは移民という立場から様々な物事を描き出す映画を多く紹介してきた。それは個人的理由から政治的理由、自発的なものから止むに止まれぬものまで、種々の理由で国から国へと移住する人々がこのテン年代においてどんどん増えてきているからというのも1つの原因だろう。例えばNele Wohlatz監督の“El futuro perfecto”は親の都合でアルゼンチンに移住してきた少女がスペイン語を覚える過程で自身の人生を切り開く姿を描いた作品であり、ジョナス・カルピニャーノ監督の「地中海」ブルキナファソから命からがらイタリアに移住を果たした難民の青年たちが直面する過酷な現実を描いた作品だった。さて今回紹介するのはノルウェーにおけるパキスタン移民とその文化を描き出したIram Haq監督作“Hva vil folk si”を紹介していこう。

今作の主人公は16歳の高校生ニーシャ(Maria Mozhdah)、彼女はノルウェーに住むパキスタン移民の2世だ。家の中ではなるべく両親を怒らせない貞淑パキスタン人の娘を演じながらも、外ではバスケにお酒にと年相応に騒ぎまくるとそんな二重生活を送っている。しかしある時、家に気になる青年を連れ込んだのを父親であるミルザ(Adil Hussain)に見つかった時から、彼女の人生の歯車は狂い始める。

序盤において印象的なのは、ニーシャの暮らしぶりの傍らで描かれるパキスタン移民であることの難しさだ。恋愛関係などが厳格なことに苛立ちを隠せないニーシャであるが、彼女を抑圧するのは何も父親だけではない。そのミルザ自身友人の男たちから、彼女の行動が自分たちの娘に影響を与えたらどうするんだ?と詰問され苦境に陥る。パキスタン人としての尊厳が損なわれるのを人々は最も懸案している。抑圧の淵源はつまりパキスタン系コミュニティそのものなのだ。

その大いなる不可視の抑圧がニーシャを危機へと陥れる。暴力で以て従わせようとする父親から逃げてシェルターへと避難していたニーシャだったが、話し合いで解決しようと提案する家族に同意し、彼らの元へ戻ってしまう。しかしミルザはそんな彼女を拉致したかと思うと、そのままパキスタンへと向かい、叔母の元にニーシャを置き去りにしてしまう。こうして彼女は慣れない異国の地での生活を余儀なくされる。

パキスタンでの生活は苦労の連続だ。食事も言語も何もかもノルウェーとは違う文化の数々に驚かされるのと同時に、今まで経験したことのない雑用まで任されてしまいニーシャは見る間に疲弊していく。それでも数ヶ月が経つと生活にも慣れてはくるが、それは言わばストックホルム症候群的な親しみであり、罰のために誘拐され遺棄されたことには変わりない。何でも監督自身が主人公と同じような経験をし、それを映画に翻案した故か、そこには息苦しいリアリズムが宿っている。

その過酷な内容とは裏腹に、撮影監督であるNadim Carlsenが映し出すパキスタンの風景は息を呑むほどの美しさを誇っている。色とりどりのベールを纏った人々が行き交う活気に満ちた市場に、邸宅の屋上から見える橙と桃の彩りが混ざりあう黄昏の空、そしてその空に舞い上がる凧の数々。私たちはそこにパキスタンの光の部分を見いだすことになるだろう。

しかしその裏側には勿論のこと、闇の部分も存在しているのだ。パキスタンでの生活にも慣れたニーシャは、同じ邸宅に住む甥のアミール()という青年と交流を深めることになる。そして真夜中に家を抜け出して、路地裏で唇を重ねあうのだが、そこに現れるのが警察官たちだ。彼らはアミールを警棒で滅多打ちにすると、ニーシャを裸にさせ撮影、その写真で家族を脅迫するまでに至る。激怒した叔母は、しかしニーシャを庇うかと思えば、アミールを誘惑したニーシャの全責任があると全てを彼女に擦りつけてしまう。パキスタンとその文化圏における女性差別――時には当の女性本人ですらもそれに荷担してしまう事実――の実態を、監督はヒリヒリするような辛辣さで以て描き出していく訳だ。

そしてそれらは最後に父と娘の関係性へと収斂していくこととなる。最初は自身の考えを高慢に押しつける単純な悪役としてミルザは描かれるが、段々とコミュニティの責任を背負う故の悲哀が満ちる内面をも綴られていき(“お前は家族の、私の尊厳を踏みにじったんだ!”)終盤においては再び2人が対面することとなる。背景に何かがあるから、では高慢は許されるということはないが、それでも彼がニーシャの苦境を理解する時に見せる行動は“Hva vil folk si”の核として、感慨深く観る者に迫ってくるだろう。

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私の好きな監督・俳優シリーズ
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その293 Szőcs Petra&"Deva"/ルーマニアとハンガリーが交わる場所で
その294 Flávia Castro&"Deslemblo"/喪失から紡がれる"私"の物語
その295 Mahmut Fazil Coşkun&"Anons"/トルコ、クーデターの裏側で
その296 Sofia Bohdanowicz&"Maison du bonheur"/老いることも、また1つの喜び
その297 Gastón Solnicki&"Introduzione all'oscuro"/死者に捧げるポストカード
その298 Ivan Ayr&"Soni"/インド、この国で女性として生きるということ
その299 Phuttiphong Aroonpheng&"Manta Ray"/タイ、紡がれる友情と煌めく七色と
その300 Babak Jalali&"Radio Dreams"/ラジオには夢がある……のか?
その301 アイダ・パナハンデ&「ナヒード」/イラン、灰色に染まる母の孤独
その302 Iram Haq&"Hva vil folk si"/パキスタン、尊厳に翻弄されて

アイダ・パナハンデ&「ナヒード」/イラン、灰色に染まる母の孤独

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シングルマザーの苦境を描き出した作品は少なくない。社会の停滞や腐敗の影響をまず真っ先に受ける筆頭が周縁の中の更に周縁にいる彼女たちであり、日本でも彼女たちを見舞う苦境や悲劇についての報道が止むことがない。そして国が違えば彼女たちの直面する現実は、核は同じにしろ少しずつ様相を異にしていく。それは映画を観るだけでも明らかだ。ということで今回はイランにおけるシングルマザーの苦境を描き出した作品、アイダ・パナハンデ監督作「ナヒード」を紹介していこう。

中年女性ナヒード(Sareh Bayat)はシングルマザーとして愛息子であるアミール・レザ(Milad HosseinPour)を懸命に育てる日々を送っていた。しかし家賃や学校の授業料が払えず支払いを待ってもらったりと、今はかなりの苦境に陥っている。マスード(Pejman Bazeghi)という恋人がいるにはいるのだが、元夫であるアフマッド(Navid Mohammadzadeh)に親権を取られてしまうことを恐れて、再婚に一歩踏み出せずにいた。

今作はそんなナヒードの日常を丹念に描き出していく。料理や洗濯を淡々とこなしていく中で、母親の心も知らずに散々悪口を叩いてくる反抗期のアミール・レザを必死にしつけるかと思えば、管理人の元へと赴いて家賃の期日を引き伸ばしてもらおうと懇願する。いやいやながらアフマッドにアミール・レザを預けた後には、マスードの働くモーテルへ行き彼と束の間の語らいを交わしていく。

この日常の数々は、撮影監督Morteza Gheidiのカメラによって端正かつ陰鬱に切り取られていく。日々の風景は常に灰色に覆われており、そこからはナヒードの切実な不安や燻る怒りが滲み渡っている。中でも印象的なのはナヒードとマスードが待ち合わせる海岸の光景だ。鬱々たる色彩の波が幾重にも重なり、鈍い音を響かせる。凍てついた海風が画面から吹きつけてくるような寒々しい風景には、ナヒードが抱く癒しがたい孤独すらも表れているのだ。

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そんな中で彼女の人生が進展を見せる。マスードに説得された後に意を決したナヒードは、彼と2ヶ月の一時婚という契約を結ぶことになる(一時婚とはイスラム法で定められた独自の結婚方式)そして彼女は息子を預けている間は、マスードの邸宅で彼の妻として生活するようになり、楽しい時を過ごすこととなるのだったが……

しかしそうして誰かが幸せな心地になると、更なる不幸に陥る者がいる。今回の場合はアミール・レザがそうだ。母といる時ですら毎日怒られ、その怒りからか学校や塾をサボり続けている上、父に預けられた時は賭博場に連れていかれ彼がボロボロに負ける姿を、そして時には借金取りによってリンチされる姿を目撃することになる。正直言って2人とも借金まみれで悲惨な状況にある。それ故にアミール・レザはうちひしがれながらも、未だ子供であるままに人生を自分で選び取らざるを得なくなる。

それでもやはり物語の主となるテーマはイランにおいて女性が置かれた過酷な現状のついてだ。アフマッドはギャンブル狂だった故に愛想を尽かして離婚したのだが、マスードも表面上は優しく献身的ながら過度に紳士的な態度からは傲慢な態度が透けて見えてくる。しかし誰か男に頼らずシングルマザーとして生きていくには、イランという国はそう優しく出来ていない。そうしてナヒードは苦境に陥るのだ。

そして物語が展開するにつれそのテーマは明確なものとなっていく。密かに結婚していたことがアフマッドにバレたことでナヒードはアミール・レザを奪われてしまう。更に一時婚は売春婦のための制度だと家族に責められた末、彼女は自宅に軟禁されることになる。全ての責任がナヒードに転嫁され、彼女は実家で孤独な日々を送る。その姿にはイランの息苦しい社会体制がこれでもかと濃厚に浮き上がってくる。

「ナヒード」は1人の女性が直面する苦しい現実を通じて、イラン社会に未だ根強く残る女性に対する抑圧を描き出していく。物語全体に満ちる灰の色彩は正にナヒードの心だ。その陰鬱な色彩が晴れる時が、いつかはやってくるのだろうか? 私たちは深い余韻の中でそう思いを馳せることになるだろう。

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私の好きな監督・俳優シリーズ
その201 Yared Zeleke&"Lamb"/エチオピア、男らしさじゃなく自分らしさのために
その202 João Viana&"A batalha de Tabatô"/ギニアビサウ、奪われた故郷への帰還
その203 Sithasolwazi Kentane&"Woman Undressed"/ Black African Female Me
その204 Victor Viyuoh&"Ninah's Dowry"/カメルーン、流れる涙と大いなる怒り
その205 Tobias Nölle&"Aloys"/私たちを動かす全ては、頭の中にだけあるの?
その206 Michalina Olszańska&"Já, Olga Hepnarová"/私、オルガ・ヘプナロヴァはお前たちに死刑を宣告する
その207 Agnieszka Smoczynska&"Córki dancingu"/人魚たちは極彩色の愛を泳ぐ
その208 Rosemary Myers&"Girl Asleep"/15歳、吐き気と不安の思春期ファンタジー!
その209 Nanfu Wang&"Hooligan Sparrow"/カメラ、沈黙を切り裂く力
その210 Massoud Bakhshi&"Yek khanévadéh-e mohtaram"/革命と戦争、あの頃失われた何か
その211 Juni Shanaj&"Pharmakon"/アルバニア、誕生の後の救いがたき孤独
その212 済藤鉄腸オリジナル、2010年代注目の映画監督ベスト100!!!!!
その213 アレクサンドラ・ニエンチク&"Centaur"/ボスニア、永遠のごとく引き伸ばされた苦痛
その214 フィリップ・ルザージュ&「僕のまわりにいる悪魔」/悪魔たち、密やかな蠢き
その215 ジョアン・サラヴィザ&"Montanha"/全てはいつの間にか過ぎ去り
その216 Tizza Covi&"Mister Universo"/イタリア、奇跡の男を探し求めて
その217 Sofia Exarchou&"Park"/アテネ、オリンピックが一体何を残した?
その218 ダミアン・マニヴェル&"Le Parc"/愛が枯れ果て、闇が訪れる
その219 カエル・エルス&「サマー・フィーリング」/彼女の死の先にも、人生は続いている
その220 Kazik Radwanski&"How Heavy This Hammer"/カナダ映画界の毛穴に迫れ!
その221 Vladimir Durán&"Adiós entusiasmo"/コロンビア、親子っていうのは何ともかんとも
その222 Paul Negoescu&"O lună în Thailandă"/今の幸せと、ありえたかもしれない幸せと
その223 Anatol Durbală&"Ce lume minunată"/モルドバ、踏み躙られる若き命たち
その224 Jang Woo-jin&"Autumn, Autumn"/でも、幸せって一体どんなだっただろう?
その225 Jérôme Reybaud&"Jours de France"/われらがGrindr世代のフランスよ
その226 Sebastian Mihăilescu&"Apartament interbelic, în zona superbă, ultra-centrală"/ルーマニアと日本、奇妙な交わり
その227 パス・エンシナ&"Ejercicios de memoria"/パラグアイ、この忌まわしき記憶をどう語ればいい?
その228 アリス・ロウ&"Prevenge"/私の赤ちゃんがクソ共をブチ殺せと囁いてる
その229 マッティ・ドゥ&"Dearest Sister"/ラオス、横たわる富と恐怖の溝
その230 アンゲラ・シャーネレク&"Orly"/流れゆく時に、一瞬の輝きを
その231 スヴェン・タディッケン&「熟れた快楽」/神の消失に、性の荒野へと
その232 Asaph Polonsky&"One Week and a Day"/イスラエル、哀しみと真心のマリファナ
その233 Syllas Tzoumerkas&"A blast"/ギリシャ、激発へと至る怒り
その234 Ektoras Lygizos&"Boy eating the bird's food"/日常という名の奇妙なる身体性
その235 Eloy Domínguez Serén&"Ingen ko på isen"/スウェーデン、僕の生きる場所
その236 Emmanuel Gras&"Makala"/コンゴ、夢のために歩き続けて
その237 ベロニカ・リナス&「ドッグ・レディ」/そして、犬になる
その238 ルクサンドラ・ゼニデ&「テキールの奇跡」/奇跡は這いずる泥の奥から
その239 Milagros Mumenthaler&"La idea de un lago"/湖に揺らめく記憶たちについて
その240 アッティラ・ティル&「ヒットマン:インポッシブル」/ハンガリー、これが僕たちの物語
その241 Vallo Toomla&"Teesklejad"/エストニア、ガラスの奥の虚栄
その242 Ali Abbasi&"Shelly"/この赤ちゃんが、私を殺す
その243 Grigor Lefterov&"Hristo"/ソフィア、薄紫と錆色の街
その244 Bujar Alimani&"Amnestia"/アルバニア、静かなる激動の中で
その245 Livia Ungur&"Hotel Dallas"/ダラスとルーマニアの奇妙な愛憎
その246 Edualdo Williams&"El auge del humano"/うつむく世代の生温き黙示録
その247 Ralitza Petrova&"Godless"/神なき後に、贖罪の歌声を
その248 Ben Young&"Hounds of Love"/オーストラリア、愛のケダモノたち
その249 Izer Aliu&"Hunting Flies"/マケドニア、巻き起こる教室戦争
その250 Ana Urushadze&"Scary Mother"/ジョージア、とある怪物の肖像
その251 Ilian Metev&"3/4"/一緒に過ごす最後の夏のこと
その252 Cyril Schäublin&"Dene wos guet geit"/Wi-Fi スマートフォン ディストピア
その253 Alena Lodkina&"Strange Colours"/オーストラリア、かけがえのない大地で
その254 Kevan Funk&"Hello Destroyer"/カナダ、スポーツという名の暴力
その255 Katarzyna Rosłaniec&"Szatan kazał tańczyć"/私は負け犬になるため生まれてきたんだ
その256 Darío Mascambroni&"Mochila de plomo"/お前がぼくの父さんを殺したんだ
その257 ヴィルジル・ヴェルニエ&"Sophia Antipolis"/ソフィア・アンティポリスという名の少女
その258 Matthieu Bareyre&“l’Epoque”/パリ、この夜は私たちのもの
その259 André Novais Oliveira&"Temporada"/止まることない愛おしい時の流れ
その260 Xacio Baño&"Trote"/ガリシア、人生を愛おしむ手つき
その261 Joshua Magar&"Siyabonga"/南アフリカ、ああ俳優になりたいなぁ
その262 Ognjen Glavonić&"Dubina dva"/トラックの棺、肉体に埋まる銃弾
その263 Nelson Carlo de Los Santos Arias&"Cocote"/ドミニカ共和国、この大いなる国よ
その264 Arí Maniel Cruz&"Antes Que Cante El Gallo"/プエルトリコ、貧しさこそが彼女たちを
その265 Farnoosh Samadi&"Gaze"/イラン、私を追い続ける視線
その266 Alireza Khatami&"Los Versos del Olvido"/チリ、鯨は失われた過去を夢見る
その267 Nicole Vögele&"打烊時間"/台湾、眠らない街 眠らない人々
その268 Ashley McKenzie&"Werewolf"/あなたしかいないから、彷徨い続けて
その269 エミール・バイガジン&"Ranenyy angel"/カザフスタン、希望も未来も全ては潰える
その270 Adriaan Ditvoorst&"De witte waan"/オランダ映画界、悲運の異端児
その271 ヤン・P・マトゥシンスキ&「最後の家族」/おめでとう、ベクシンスキー
その272 Liryc Paolo Dela Cruz&"Sa pagitan ng pagdalaw at paglimot"/フィリピン、世界があなたを忘れ去ろうとも
その273 ババク・アンバリ&「アンダー・ザ・シャドウ」/イラン、母という名の影
その274 Vlado Škafar&"Mama"/スロヴェニア、母と娘は自然に抱かれて
その275 Salomé Jashi&"The Dazzling Light of Sunset"/ジョージア、ささやかな日常は世界を映す
その276 Gürcan Keltek&"Meteorlar"/クルド、廃墟の頭上に輝く流れ星
その277 Filipa Reis&"Djon África"/カーボベルデ、自分探しの旅へ出かけよう!
その278 Travis Wilkerson&"Did You Wonder Who Fired the Gun?"/その"白"がアメリカを燃やし尽くす
その279 Mariano González&"Los globos"/父と息子、そこに絆はあるのか?
その280 Tonie van der Merwe&"Revenge"/黒人たちよ、アパルトヘイトを撃ち抜け!
その281 Bodzsár Márk&"Isteni müszak"/ブダペスト、夜を駆ける血まみれ救急車
その282 Winston DeGiobbi&"Mass for Shut-Ins"/ノヴァスコシア、どこまでも広がる荒廃
その283 パスカル・セルヴォ&「ユーグ」/身も心も裸になっていけ!
その284 Ana Cristina Barragán&"Alba"/エクアドル、変わりゆくわたしの身体を知ること
その285 Kyros Papavassiliou&"Impressions of a Drowned Man"/死してなお彷徨う者の詩
その286 未公開映画を鑑賞できるサイトはどこ?日本からも観られる海外配信サイト6選!
その287 Kaouther Ben Hania&"Beauty and the Dogs"/お前はこの国を、この美しいチュニジアを愛してるか?
その288 Chloé Robichaud&"Pays"/彼女たちの人生が交わるその時に
その289 Kantemir Balagov&"Closeness"/家族という名の絆と呪い
その290 Aleksandr Khant&"How Viktor 'the Garlic' Took Alexey 'the Stud' to the Nursing Home"/オトンとオレと、時々、ロシア
その291 Ivan I. Tverdovsky&"Zoology"/ロシア、尻尾に芽生える愛と闇
その292 Emre Yeksan&"Yuva"/兄と弟、山の奥底で
その293 Szőcs Petra&"Deva"/ルーマニアとハンガリーが交わる場所で
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その299 Phuttiphong Aroonpheng&"Manta Ray"/タイ、紡がれる友情と煌めく七色と
その300 Babak Jalali&"Radio Dreams"/ラジオには夢がある……のか?

Babak Jalali&"Radio Dreams"/ラジオには夢がある……のか?

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さて、皆さんはラジオをお聞きになられるだろうか。私の場合、昔はちょいちょい聞いていたのだが、今はもっぱら映画のPodcastばかり聞いている。テレビについてもそうなのだが、歳を取るにつれ、決まった時間に決まった番組がやるからその時間にラジオの前に座るみたいな行為が億劫になってしまったのだ。だからいつでもどこでも自由に聞けるPodcastばかりになってしまった訳だが、周りにはリスナーはたくさん居て、特にRHYMESTER宇多丸がパーソナリティをしている「アトロク」はかなり人気である。ということで今回はそんなラジオ、というかラジオ局の日常に迫ったイラン映画である、 Babak Jalali監督作“Radio Dreams”を紹介していこう。

舞台はサンフランシスコにあるPARS-FMというラジオ局、ここは世界に散らばる在外イラン人のためにニュースや文化についてのペルシア語番組を放送している場所だった。そんな会社で番組責任者として働く中年男性が今作の主人公ハミド(Mohsen Namjoo)である。彼は理想主義者として頑固に番組編成を考えながらも、その度に部下には嫌な顔をされ、上層部からは反発を受けるなどその現状にイラつきを抑えられずにいた。そして今日も番組途中に下らないCMを挟まれ、イライラは募るばかりである。

今作を構成するのはそんなラジオ局の日常である。“イラン人の日々”と題したコーナーではアメリカへやってきたイラン人移民たちの体験談を放送したかと思うと、文化番組の一環としてロシアのミサイル特集を放映するためハミドは部下にわざわざロシア語民謡を歌わせる。更にCMの挿入に怒り心頭の彼は社長へ直談判に行くが、巡り巡って何故か社長が部下に対してレスリングを教えることになったりする。

そして今作はこうした日常が積み重なって形を成すとある1日を描き出していく。この日のゲストはKabul Dreamsというアフガニスタン最初のロックバンドと呼ばれるスリーピースバンドだ。彼らは自身らが最も尊敬するバンドであるMetallicaジャムセッションをするために、このラジオ局までわざわざやってきた訳である。しかしMetallicaは一向にやってくることがない。その間も番組を続けて時間を稼ぐハミドたちだったが、無情にも時は過ぎていく。

ラジオ局の内幕を描いた作品だと三谷幸喜ラヂオの時間などが思い浮かぶが、ではこの作品がああいった大騒動が巻き起こるぞ!というコメディかと言えば全く違う。テンションは頗る低体温で、真顔のユーモアがしれっと挿入される妙な雰囲気が今作の特徴だ。スローペースの中でも、監督と編集のNico Leunen&Babak Salekは台詞や行動の間と形容すべきものをとても大事にする。シリアスな番組の直後にブッ込まれる商業主義丸出しCM、ハミドの物思う仏頂からしれっとレスリングの特訓が挿入される奇妙なテンポ、この微妙に現実離れしてるようなしてないような感覚が作品の要になっているのである。

そしてMahmood Schrickerの手掛ける音楽も大事な要素の1つだ。物語の随所に流れるギターの音、まるで空気がゆったりとうねるようなアンビエントな音色は、故郷から遠い国で生きる人々のアンニュイな心地を表現するようで印象的だ。この妙なユーモアに満ちた映画にもっと真剣な思索の層をもたらすと、そんな美しさが響き渡っている。

更に物語それ自体においても音楽は重要だ。Metallicaが実在のバンドであることを知っている方は少なくないだろうが、アフガニスタンのバンドKabul Dreamsも実在するバンドである。ググれば音源もガンガン出てくる。Metallica好きを公言する通り、彼らは衝動炸裂な演奏を劇中で聞かせてくれる訳であるが、Metallicaの方は本当にやってくるのだろうか。それについては、まあ、本編を観てのお楽しみということで(IMDBとか見るとバンドメンバーの名前があるかないかで出演しているか否か分かってしまうので、ネタバレされたくない方は見ないように)こうして現実とフィクションが虚実ない交ぜになることで、作品の不思議な雰囲気がいっそう深まっていくのである。

とはいえ今作の本当の主人公はハミドである。イランでは著名な小説家だったが、何らかの理由でアメリカへと移住、現在はラジオ局で無聊を託っている。そんな中で理想を達成しようと偏屈さそのままに突き進んでいく姿には、在外イラン人の悲哀やプライド、熱意など様々な感情が滲んでいる。こういった風に“Radio Dreams”にはイランという国への一筋縄では行かない愛に満ちている訳である。

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Phuttiphong Aroonpheng&"Manta Ray"/タイ、紡がれる友情と煌めく七色と

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さて、ヴェネチア国際映画祭はメキシコの映画作家アルフォンソ・キュアロンの最新作“Roma”が金獅子賞を獲得したことで、幕を閉じることとなった。だが私が興味あるのはメインのコンペティション部門よりもサイドのオリゾンティ部門である、とは前も言った。なので私は映画配信サイトFestival Scopeでこの部門の作品を片っ端から見ている訳だが、今年オリゾンティ部門で大賞を獲った作品までもここで配信しているのだから驚きである。と来たら観るしかない訳であって、今回紹介するのは正にそのオリゾンティ部門大賞受賞作である、タイから現れた新鋭Phuttiphong Aroonpheng監督作“Manta Ray”だ。

Phuttiphong Aroonphengは1976年タイに生まれた。シラパコーン大学でファイン・アートを、ニューヨークのデジタル映画アカデミーで映画製作について学ぶ。撮影監督としても活躍しており自身の作品と共に、アラブ首長国連邦の作品"Dalafeen"(2014)や東京フィルメックスで上映されたジャッカワーン・ニンタムロン監督によるタイ映画「消失点」(2015)などを手掛けている。

映画監督としては2006年製作の"Going to the Sea"からキャリアが始まり、2011年にはスーパー8で撮影された"A Tale of Heaven"などを手掛けるが、Anoonpheng監督の名前が一躍有名となったのは2015年製作の短編「観覧車」(dTVで現在配信中)だった。ミャンマーからタイへと渡ろうとする難民の親子が辿る不思議な道筋を描いた作品はクレルモン=フェラン映画祭などで上映され、シンガポール国際映画祭では特別賞を受賞するなど広く話題となった。そして2018年には初の長編作品である"Manta Ray"を完成させる。

タイの海辺に位置するとある漁村、そこに住む1人の名もなき若者(Wanlop Rungkamjad)が今作の主人公だ。彼は漁港で働いている漁師であり、海の上に浮かぶ家で独り暮らしている。暇な時は近くの森へとまだ使えそうな廃棄物や宝石の原石などを探しに行っていたのだが、ある時その森で行き倒れている男性を発見し、彼を自身の家へと連れ帰ることとなる。

その男()は隣国であるミャンマーから逃げてきたロヒンギャ難民らしいのだが、彼は一言も喋らない故に詳しいことは全く分からない。若者は男にトンチャイという名前――タイの有名な歌手から取った名前だ――をつけて、傷が治るよう手当てし、その末に同居生活が始まる。

序盤において“Manta Ray”はそんな2人が送る日常を、ダルデンヌ兄弟を彷彿とさせる社会的リアリズムを以て淡々と描き出していく。若者はトンジャンを献身的に介護し、彼はみるみる内に回復していき、一人でも行動できるまでになる。それでも若者は“いたいだけここに住んでていいぞ”と通じるのかも分からない言葉をかけて、蚊帳の中で一緒に眠ったり、バイクで2人乗りをして町まで出掛けるなどその仲を深めていく。

監督は彼らの日常の背景にある漁村の風景も美しく綴っていく。大海原に船で乗り出していき上半身裸で魚を捕っていく漁師たちの勇姿、漁港に犇めきあいながらそれぞれの仕事を成し遂げる人々が醸し出す熱気、人だかりに溢れ白い光に照らされた活気ある町の夜市、そういった風景の数々が丁寧に積み重ねられていくことによって、2人の暮らしにも精緻なリアリティが宿っていく。

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だが本作にあるのはリアリズムだけではない。いや、リアリズムの中に現実を越える美しい詩情が見出だされていくというべきだろうか。雲に半分隠れる太陽に満ちていくのはほのかな郷愁であり、打ち捨てられた海岸線の寂しさは漁村の寂れた未来を予言するようだ。そして2人の挙手挙動にも日常の中にこそ宿るのだろうリリシズムが存在する。物言わぬ男の傍らでタバコを吸う若者の姿には孤独と喜びが混ざりあい、イルミネーションを施した部屋の中で虹色のネオンに包まれながら踊る彼らの姿にはユーモアとペーソスが混ざりあうのだ。

そしてその詩情が呼び込むのは白昼夢的な手触りだ。私たちが目撃するだろう冒頭の不思議な光景や、波のたゆたいをそのまま反映したかのような映像美、その随所で撮影監督出身者らしい映像へのこだわりが感じられるが、この作家性は、例えば近年のタイ映画界を代表する作家アピチャッポン・ウィーラーセタクン(私は余り好きじゃないけど)やアノーチャ・スイッチャーゴーンポン(私はこちらの方が好き、最高)などのそれと近い場所に位置していると言っていいだろう。まるで午後の温もりの中で微睡んだ時に瞬く夢のような触感を持っているとそんな美しい作品群の最先端に、今作はあるのだ。

だが観客は今作を観るうち、何故若者はこんなにも難民の男を甲斐甲斐しく世話するのだろうかと疑問に思うかもしれない。ある時若者は、自分は昔妻と一緒にこの家に住んでいたが彼女はどこぞの男と逃げてしまったと語り始める。見捨てられた故の寂しさが若者をこの行動に突き動かしているのだろうか。しかしそれ以上の感情がここには宿っているような様子にも、観客は気づくだろう。

この作品において印象的なのは、2人が見つめあう姿が幾度となく描かれることだ。先述したダンスの場面、観覧車で向かい合いながら座っている場面、若者が男に対して水への潜り方と呼吸法を教える場面、そんな2つの視線が交錯する場面には濃厚な親密さが満ちることになる。それは友情なのだろうか、それとも愛情なのか。いや、そこには友情とも愛情ともつかない曖昧な感情が存在しているのである。そしてこの感情は2つの情の間を漂い、一体どこへと辿り着くのだろうかという濃密な緊張をも湛えているのだ。

だがこうして描かれる緊張感は、後半において意外な形に捻れていくこととなる。ここから先はネタバレになる故に余り大っぴらに語ることは出来ないが(しかし英語あらすじでは普通にネタをばらしている。私としては読まないことをお薦めしたい)敢えて言うならば、今作は昔から存在するある1つのジャンルを新鮮な形で描き直した上で、予想もしない場所へと観客を連れてゆく作品であると言えるだろう。とはいえそういったギミックが存在せずとも、“Manta Ray”は類い希なヒューマニズムと白昼夢的な眩惑の感覚を持ち合わせた、オリゾンティ部門大賞に相応しい1作であることは間違いない。

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その237 ベロニカ・リナス&「ドッグ・レディ」/そして、犬になる
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その241 Vallo Toomla&"Teesklejad"/エストニア、ガラスの奥の虚栄
その242 Ali Abbasi&"Shelly"/この赤ちゃんが、私を殺す
その243 Grigor Lefterov&"Hristo"/ソフィア、薄紫と錆色の街
その244 Bujar Alimani&"Amnestia"/アルバニア、静かなる激動の中で
その245 Livia Ungur&"Hotel Dallas"/ダラスとルーマニアの奇妙な愛憎
その246 Edualdo Williams&"El auge del humano"/うつむく世代の生温き黙示録
その247 Ralitza Petrova&"Godless"/神なき後に、贖罪の歌声を
その248 Ben Young&"Hounds of Love"/オーストラリア、愛のケダモノたち
その249 Izer Aliu&"Hunting Flies"/マケドニア、巻き起こる教室戦争
その250 Ana Urushadze&"Scary Mother"/ジョージア、とある怪物の肖像
その251 Ilian Metev&"3/4"/一緒に過ごす最後の夏のこと
その252 Cyril Schäublin&"Dene wos guet geit"/Wi-Fi スマートフォン ディストピア
その253 Alena Lodkina&"Strange Colours"/オーストラリア、かけがえのない大地で
その254 Kevan Funk&"Hello Destroyer"/カナダ、スポーツという名の暴力
その255 Katarzyna Rosłaniec&"Szatan kazał tańczyć"/私は負け犬になるため生まれてきたんだ
その256 Darío Mascambroni&"Mochila de plomo"/お前がぼくの父さんを殺したんだ
その257 ヴィルジル・ヴェルニエ&"Sophia Antipolis"/ソフィア・アンティポリスという名の少女
その258 Matthieu Bareyre&“l’Epoque”/パリ、この夜は私たちのもの
その259 André Novais Oliveira&"Temporada"/止まることない愛おしい時の流れ
その260 Xacio Baño&"Trote"/ガリシア、人生を愛おしむ手つき
その261 Joshua Magar&"Siyabonga"/南アフリカ、ああ俳優になりたいなぁ
その262 Ognjen Glavonić&"Dubina dva"/トラックの棺、肉体に埋まる銃弾
その263 Nelson Carlo de Los Santos Arias&"Cocote"/ドミニカ共和国、この大いなる国よ
その264 Arí Maniel Cruz&"Antes Que Cante El Gallo"/プエルトリコ、貧しさこそが彼女たちを
その265 Farnoosh Samadi&"Gaze"/イラン、私を追い続ける視線
その266 Alireza Khatami&"Los Versos del Olvido"/チリ、鯨は失われた過去を夢見る
その267 Nicole Vögele&"打烊時間"/台湾、眠らない街 眠らない人々
その268 Ashley McKenzie&"Werewolf"/あなたしかいないから、彷徨い続けて
その269 エミール・バイガジン&"Ranenyy angel"/カザフスタン、希望も未来も全ては潰える
その270 Adriaan Ditvoorst&"De witte waan"/オランダ映画界、悲運の異端児
その271 ヤン・P・マトゥシンスキ&「最後の家族」/おめでとう、ベクシンスキー
その272 Liryc Paolo Dela Cruz&"Sa pagitan ng pagdalaw at paglimot"/フィリピン、世界があなたを忘れ去ろうとも
その273 ババク・アンバリ&「アンダー・ザ・シャドウ」/イラン、母という名の影
その274 Vlado Škafar&"Mama"/スロヴェニア、母と娘は自然に抱かれて
その275 Salomé Jashi&"The Dazzling Light of Sunset"/ジョージア、ささやかな日常は世界を映す
その276 Gürcan Keltek&"Meteorlar"/クルド、廃墟の頭上に輝く流れ星
その277 Filipa Reis&"Djon África"/カーボベルデ、自分探しの旅へ出かけよう!
その278 Travis Wilkerson&"Did You Wonder Who Fired the Gun?"/その"白"がアメリカを燃やし尽くす
その279 Mariano González&"Los globos"/父と息子、そこに絆はあるのか?
その280 Tonie van der Merwe&"Revenge"/黒人たちよ、アパルトヘイトを撃ち抜け!
その281 Bodzsár Márk&"Isteni müszak"/ブダペスト、夜を駆ける血まみれ救急車
その282 Winston DeGiobbi&"Mass for Shut-Ins"/ノヴァスコシア、どこまでも広がる荒廃
その283 パスカル・セルヴォ&「ユーグ」/身も心も裸になっていけ!
その284 Ana Cristina Barragán&"Alba"/エクアドル、変わりゆくわたしの身体を知ること
その285 Kyros Papavassiliou&"Impressions of a Drowned Man"/死してなお彷徨う者の詩
その286 未公開映画を鑑賞できるサイトはどこ?日本からも観られる海外配信サイト6選!
その287 Kaouther Ben Hania&"Beauty and the Dogs"/お前はこの国を、この美しいチュニジアを愛してるか?
その288 Chloé Robichaud&"Pays"/彼女たちの人生が交わるその時に
その289 Kantemir Balagov&"Closeness"/家族という名の絆と呪い
その290 Aleksandr Khant&"How Viktor 'the Garlic' Took Alexey 'the Stud' to the Nursing Home"/オトンとオレと、時々、ロシア
その291 Ivan I. Tverdovsky&"Zoology"/ロシア、尻尾に芽生える愛と闇
その292 Emre Yeksan&"Yuva"/兄と弟、山の奥底で
その293 Szőcs Petra&"Deva"/ルーマニアとハンガリーが交わる場所で
その294 Flávia Castro&"Deslemblo"/喪失から紡がれる"私"の物語
その295 Mahmut Fazil Coşkun&"Anons"/トルコ、クーデターの裏側で
その296 Sofia Bohdanowicz&"Maison du bonheur"/老いることも、また1つの喜び
その297 Gastón Solnicki&"Introduzione all'oscuro"/死者に捧げるポストカード
その298 Ivan Ayr&"Soni"/インド、この国で女性として生きるということ
その299 Phuttiphong Aroonpheng&"Manta Ray"/タイ、紡がれる友情と煌めく七色と

リン・シェルトン&「アラサー女子の恋愛事情」/早く大人にならなくっちゃなぁ

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リン・シェルトン&"We Go Way Back"/23歳の私、あなたは今どうしてる?
リン・シェルトン&"My Effortless Brilliance"/2人の男、曖昧な感情の中で
リン・シェルトン&"Humpday"/俺たちの友情って一体何なんだ?
リン・シェルトン&「ラブ・トライアングル」/三角関係、僕と君たち
リン・シェルトン&"Touchy Feely"/あなたに触れることの痛みと喜び
リン・シェルトン&「不都合な自由」/20年の後の、再びの出会いは
リン・シェルトンの経歴および長編作についてはこちらの記事参照

マンブルコア作品は主人公の半径数mの世界だけを描き出す故に、ぬるま湯のような関係性に浸かり続ける若者たちの話が多かった。しかしマンブルコアに属する作家たちが成熟するにつれて、彼らはそのぬるま湯から抜け出して新たな作品を作っていこうとし、実際にぬるま湯の関係性に決着をつけるコミットメントについての作品が作られ始めた。今回紹介するリン・シェルトン監督の第6長編“Laggies” aka「アラサー女子の恋愛事情」は正にその趨勢を象徴するような作品となっている。

この物語の主人公はメグ(サンダーパンツ!キーラ・ナイトレイ)という28歳の女性、彼女は20代も後半に差し掛かりながら定職にもつかずプラップラ生きる日々を送っていた。だが何もかもを先延ばしにしてきた末、友人であるアリソン(アンブレイカブル・キミー・シュミット」エリー・ケンパー)の結婚式の日、長年の付き合いである恋人のアンソニー(「スノーデイ/学校お休み大作戦」ポール・ウェバー)からプロポーズされてしまう。気が動転したメグは車で逃走を図るのだったが……

序盤において描かれるのはメグのダメダメな性格についてだ。冒頭においてはしゃぎまくるメグと友人たちを移した10年前のビデオ映像が流れるのだが、彼女はその時代の感覚を今でも引きずったままに歳を取ってしまった訳だ。周りは大人になり結婚したり子供を妊娠したりと、確実に人生のステージを進んでいっているのに、彼女だけが取り残されてしまっている。その癖就職カウンセラーの元に行くと言いながら、実家のソファーに寝転んでテレビを見ていたりと、本人に前へと進む気がないのだ。そこでプロポーズだなんて、彼女にとっては寝耳に水の出来事だった訳である。

そして夜の町へと逃げ出したメグは、偶然アニカ(「27年後……」クロエ・モレッツ)という少女たちに出会う。酒を買ってあげたのが縁でメグは彼女たちと仲良くなり、スケートボードで遊んだり、家に大量のトイレットペーパーをブン投げたりといろいろなバカやりまくってあの頃に戻ったような感覚を味わう。こうしてアンソニーと結婚から逃げ続けるため、なし崩し的にメグはアニカの家に居候することとなる。

この“Laggies”はシェルトン作品史上、最もマンブルコアから離れて且つ最もメインストリームに近い作品となっている。過去の荒削りさは全く皆無の洗練ぶり、俳優陣も前作に続き有名俳優が勢揃いという豪華さ、何より違うのは今作は初めてのシェルトン自身が脚本を執筆していない(執筆者は小説家のアンドレア・シーゲル)点と言えるかもしれない。だが本作には確かにシェルトンの代名詞である深いヒューマニズムが宿っており、その意味では紛れもなくシェルトン作品だと言えるだろう。

その通りに監督はヒューマニズムを縁として、繊細に登場人物の心情を追いながら物語を進めていく。同居生活を始めたは良いが、メグは速攻でアニカの父親であるクレイグ(「N.Y. 少女異常誘拐」サム・ロックウェル)に見つかり、詰問されてしまう。しかし嘘をこねくり回した末、クレイグから許可を勝ち取ったメグは居候を続けるのだったが、同時にシングルファーザーだというクレイグに対して惹かれ始めている自分にも気がつくことになる。

さて、ここからは俳優陣を順に追っていこう。まずサム・ロックウェルはいつものハジケキャラを封印して節度ある弁護士役を演じており、いつもとは違う雰囲気を漂わせている。クロエ・モレッツは正に今どきといった感じの少女を巧みに演じており、ナイトレイ演じるメグとの掛け合いは抜群に楽しい。そして彼女の存在感があってこそ、今作は年の離れた女性同士の友情もの(ロマンシスもの)としても珠玉の出来となっている。

そしてメグを演じるキーラ・ナイトレイだが、彼女は時代物に多く出演(2018年の最新主演作も小説家コレットの伝記映画“Colette”だ)しているクラシックな英国人俳優な訳で、現代劇の印象はラブ・アクチュアリーぐらいしかない。そんな人物がアメリカの典型的なダメダメこじらせ女子役を演じるというのはミスマッチ、かと思いきやいやいやさすがの演技力で以て、等身大のダメっぷりをあっけらかんと演じきる姿は驚嘆の声を上げる他ない。

“Laggies”に描かれるのは上述の通り、ぬるま湯に浸かっているような生活を送る女性のフラフラを描き出した作品だ。しかし劇中で彼女は友人にこう言われる。“自分をダメにするのは止めて、大人にならなくちゃ”と。そうしてメグは様々な騒動を乗り越えながら、誰かに道を決めてもらうのではなくて自分で道を決めていけるような大人になっていく。だからこそ“Laggies”は変化を恐れている人々に捧げられるべき、ちっぽけだけど輝いている勇気についての物語なのだ。

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結局マンブルコアって何だったんだ?
その1 アーロン・カッツ&"Dance Party, USA"/レイプカルチャー、USA
その2 ライ・ルッソ=ヤング&"You Wont Miss Me"/23歳の記憶は万華鏡のように
その3 アーロン・カッツ&"Quiet City"/つかの間、オレンジ色のときめきを
その4 ジョー・スワンバーグ&"Silver Bullets"/マンブルコアの重鎮、その全貌を追う!
その5 ケイト・リン・シャイル&"Empire Builder"/米インディー界、後ろ向きの女王
その6 ジョー・スワンバーグ&"Kissing on the Mouth"/私たちの若さはどこへ行くのだろう
その7 ジョー・スワンバーグ&"Marriage Material"/誰かと共に生きていくことのままならさ
その8 ジョー・スワンバーグ&"Nights and Weekends"/さよなら、さよならグレタ・ガーウィグ
その9 ジョー・スワンバーグ&"Alexander the Last"/誰かと生きるのは辛いけど、でも……
その10 ジョー・スワンバーグ&"The Zone"/マンブルコア界の変態王頂上決戦
その11 ジョー・スワンバーグ&"Private Settings"/変態ボーイ meets ド変態ガール
その12 アンドリュー・ブジャルスキー&"Funny Ha Ha"/マンブルコアって、まあ……何かこんなん、うん、だよね
その13 アンドリュー・ブジャルスキー&"Mutual Appreciation"/そしてマンブルコアが幕を開ける
その14 ケンタッカー・オードリー&"Team Picture"/口ごもる若き世代の逃避と不安
その15 アンドリュー・ブジャルスキー&"Beeswax"/次に俺の作品をマンブルコアって言ったらブチ殺すぞ
その16 エイミー・サイメッツ&"Sun Don't Shine"/私はただ人魚のように泳いでいたいだけ
その17 ケンタッカー・オードリー&"Open Five"/メンフィス、アイ・ラブ・ユー
その18 ケンタッカー・オードリー&"Open Five 2"/才能のない奴はインディー映画作るの止めろ!
その19 デュプラス兄弟&"The Puffy Chair"/ボロボロのソファー、ボロボロの3人
その20 マーサ・スティーブンス&"Pilgrim Song"/中年ダメ男は自分探しに山を行く
その21 デュプラス兄弟&"Baghead"/山小屋ホラーで愛憎すったもんだ
その22 ジョー・スワンバーグ&"24 Exposures"/テン年代に蘇る90's底抜け猟奇殺人映画
その23 マンブルコアの黎明に消えた幻 "Four Eyed Monsters"
その24 リチャード・リンクレイター&"ROS"/米インディー界の巨人、マンブルコアに(ちょっと)接近!
その25 リチャード・リンクレイター&"Slacker"/90年代の幕開け、怠け者たちの黙示録
その26 リチャード・リンクレイター&"It’s Impossible to Learn to Plow by Reading Books"/本を読むより映画を1本完成させよう
その27 ネイサン・シルヴァー&「エレナ出口」/善意の居たたまれない行く末
その28 ネイサン・シルヴァー&"Soft in the Head"/食卓は言葉の弾丸飛び交う戦場
その29 ネイサン・シルヴァー&"Uncertain Terms"/アメリカに広がる"水面下の不穏"
その30 ネイサン・シルヴァー&"Stinking Heaven"/90年代の粒子に浮かび上がるカオス
その31 ジョセフィン・デッカー&"Art History"/セックス、繋がりであり断絶であり
その32 ジョセフィン・デッカー&"Butter on the Latch"/森に潜む混沌の夢々
その33 ケント・オズボーン&"Uncle Kent"/友達っていうのは、恋人っていうのは
その34 ジョー・スワンバーグ&"LOL"/繋がり続ける世代を苛む"男らしさ"
その35 リン・シェルトン&"We Go Way Back"/23歳の私、あなたは今どうしてる?
その36 ジョー・スワンバーグ&「ハッピー・クリスマス」/スワンバーグ、新たな可能性に試行錯誤の巻
その37 タイ・ウェスト&"The Roost"/恐怖!コウモリゾンビ、闇からの襲撃!
その38 タイ・ウェスト&"Trigger Man"/狩人たちは暴力の引鉄を引く
その39 アダム・ウィンガード&"Home Sick"/初期衝動、血飛沫と共に大爆裂!
その40 タイ・ウェスト&"The House of the Devil"/再現される80年代、幕を開けるテン年代
その41 ジョー・スワンバーグ&"Caitlin Plays Herself"/私を演じる、抽象画を描く
その42 タイ・ウェスト&「インキーパーズ」/ミレニアル世代の幽霊屋敷探検
その43 アダム・ウィンガード&"Pop Skull"/ポケモンショック、待望の映画化
その44 リン・シェルトン&"My Effortless Brilliance"/2人の男、曖昧な感情の中で
その45 ジョー・スワンバーグ&"Autoerotic"/オナニーにまつわる4つの変態小噺
その46 ジョー・スワンバーグ&"All the Light in the Sky"/過ぎゆく時間の愛おしさについて
その47 ジョー・スワンバーグ&「ドリンキング・バディーズ」/友情と愛情の狭間、曖昧な何か
その48 タイ・ウェスト&「サクラメント 死の楽園」/泡を吹け!マンブルコア大遠足会!
その49 タイ・ウェスト&"In a Valley of Violence"/暴力の谷、蘇る西部
その50 ジョー・スワンバーグ&「ハンナだけど、生きていく!」/マンブルコア、ここに極まれり!
その51 ジョー・スワンバーグ&「新しい夫婦の見つけ方」/人生、そう単純なものなんかじゃない
その52 ソフィア・タカール&"Green"/男たちを求め、男たちから逃れ難く
その53 ローレンス・マイケル・レヴィーン&"Wild Canaries"/ヒップスターのブルックリン探偵物語!
その54 ジョー・スワンバーグ&「ギャンブラー」/欲に負かされ それでも一歩一歩進んで
その55 フランク・V・ロス&"Quietly on By"/ニートと出口の見えない狂気
その56 フランク・V・ロス&"Hohokam"/愛してるから、傷つけあって
その57 フランク・V・ロス&"Present Company"/離れられないまま、傷つけあって
その58 フランク・V・ロス&"Audrey the Trainwreck"/最後にはいつもクソみたいな気分
その59 フランク・V・ロス&"Tiger Tail in Blue"/幻のほどける時、やってくる愛は……
その60 フランク・V・ロス&"Bloomin Mud Shuffle"/愛してるから、分かり合えない
その61 E.L.カッツ&「スモール・クライム」/惨めにチンケに墜ちてくヤツら
その62 サフディ兄弟&"The Ralph Handel Story”/ニューヨーク、根無し草たちの孤独
その63 サフディ兄弟&"The Pleasure of Being Robbed"/ニューヨーク、路傍を駆け抜ける詩
その64 サフディ兄弟&"Daddy Longlegs"/この映画を僕たちの父さんに捧ぐ
その65 サフディ兄弟&"The Black Baloon"/ニューヨーク、光と闇と黒い風船と
その66 サフディ兄弟&「神様なんかくそくらえ」/ニューヨーク、這いずり生きる奴ら
その67 ライ・ルッソ=ヤング&"Nobody Walks"/誰もが変わる、色とりどりの響きと共に
その68 ソフィア・タカール&「ブラック・ビューティー」/あなたが憎い、あなたになりたい
その69 アンドリュー・バジャルスキー&"Computer Chess"/テクノロジーの気まずい過渡期に
その70 アンドリュー・バジャルスキー&「成果」/おかしなおかしな三角関係
その71 結局マンブルコアって何だったんだ?(作品リスト付き)
その72 リン・シェルトン&"Humpday"/俺たちの友情って一体何なんだ?
その73 リン・シェルトン&「不都合な自由」/20年の後の、再びの出会いは
その74 リン・シェルトン&「ラブ・トライアングル」/三角関係、僕と君たち
その75 リン・シェルトン&"Touchy Feely"/あなたに触れることの痛みと喜び

リン・シェルトン&"Touchy Feely"/あなたに触れることの痛みと喜び

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リン・シェルトン&"We Go Way Back"/23歳の私、あなたは今どうしてる?
リン・シェルトン&"My Effortless Brilliance"/2人の男、曖昧な感情の中で
リン・シェルトン&"Humpday"/俺たちの友情って一体何なんだ?
リン・シェルトン&「ラブ・トライアングル」/三角関係、僕と君たち
リン・シェルトン&「不都合な自由」/20年の後の、再びの出会いは
リン・シェルトンの経歴および長編作についてはこちらの記事参照

この世界で女性が生きていくということ、男性同士の間で紡がれる友情について、2人の女性と1人の男性をめぐる三角関係……リン・シェルトン監督は自身の作品で以て様々なテーマを描き出してきたが、その傍らには他のマンブルコア映画と同じように肉体性とも言うべき要素が併置されてきた。しかし今回紹介するシェルトン監督の第5長編“Touchy Feely”はその肉体性を傍らではなく中心に据えた、初めての作品となっている。

この作品には2人の主人公がいる。まず1人目がアビー(「私だけのハッピー・ウェディング」ローズマリー・デウィット)という中年女性だ。彼女はマッサージ・セラピストとして活躍している人物で、ジェシー(「デッドライン 境界線」スクート・マクネイリー)という恋人と順調だったりと人生も順調だ。だがジェシーと一緒に住もうという提案によって人生の段階が1つ進もうとしていた時に事件が起こる。何の脈絡もなしに感覚が過度に敏感なものとなり、人の肌に拒否反応を起こし触れられなくなってしまったのである。

2人目の主人公はアビーの兄であるポール(ジーサンズ はじめての強盗」ジョシュ・パイス)だ。彼は娘のジェニー(「賢く生きる恋のレシピ」エレン・ペイジ)を助手として歯医者を経営しているのだが、もはや仕事はルーティン作業も同じで情熱も何もかもが消え去り、病院も閑古鳥が鳴くような始末になっていた。しかしその現状に対して危機感を抱いたジェニーが行動を起こしたことから、事態は大きく動き出すこととなる。

冒頭、産毛が静かに揺れる肌に1つの手のひらが触れるという場面がある。この映像と題名が象徴するように“Touchy Feely”は誰かに触れることについて、皮膚感覚についての映画だと表現できる。アビーがマッサージ師として誰かの肌に手を乗せる瞬間、もしくは恋人としてジェシーと唇を重ね合わせる瞬間、そういった他者に触れることの数々がとても繊細に、撮影監督ベンジャミン・カサルキーのカメラに捉えられていく訳である。しかし時に彼はカメラを顕微鏡並に皮膚へと肉薄させることでそこに宿る不気味な側面をも捉えていくのである。

そのコントラストは正に物語そのものにも影響していく。事態がうねりを見せる頃、ポールはブロンウェン(「カウボーイ・ウェイ/荒野のヒーローN.Y.へ行く」アリソン・ジャネイ)という女性と出会う。彼女は精神的なパワーである“Reiki”(つまり日本語の“霊気”である)の使い手であり、それに興味を抱いたポールは彼女に教えを請うことになる。こうして霊気の鍛練を通じて他者に触れる方法を学びとったポールはそれを治療の際にも駆使し、患者たちを癒していく。これが評判を呼び病院はいつにも増して満杯、彼は他人に触れる喜びを知り始めるのだ。

逆にアビーは誰かに触れることの恐ろしさに直面することとなる。触れようとすると嘔吐してしまうほどの拒否反応が出てくる中で、彼女はジェシーにすら触れられなくなり、これがきっかけで2人は離ればなれになってしまう。他者に触れるということは他者の人生をも変えることなのだ。今までもそれは知っていながらも真剣に向き合うことはなかったアビーは、人生が急転しようとしていたこのタイミングで以てその重圧に耐えきれなくなる限界へと辿り着いてしまったのである。

さて前作「ラブ・トライアングル」の時点でその片鱗は見せていたが、今作で監督は大量に有名俳優を起用、形式的にマンブルコアから距離を置こうとする傾向が顕著になっている。前作から続投のデウィットは勿論、この中で最も知名度が高いだろうエレン・ペイジ、知る人ぞ知る曲者俳優スクート・マクネイリー、先日「アイ・トーニャ」でアカデミー助演女優賞を獲得したアリソン・ジャネイ「アドベンチャー・ランドへようこそ」「女性鬼」など脇役としてお馴染みなジョシュ・ペイス、彼らに加えてシンガーソングライターとして活躍する日系アメリカ人のトモ・ナカヤマがジェニーに片想いする青年役で出演、“奇跡”と呼ばれる歌声も披露している。こうした有名俳優陣による巧みな演技のアンサンブルが物語を引き締めると共に、今までのシェルトン作品とはまた違う質感を宿していることは間違いないだろう。

そして監督とアビーは彼らの力を借りて、触れることについての探求を深めていく。その旅路の行き着く先にある思い出に触れた時、アビーは愛おしげに語る。“私の身体とあなたの身体、1つだった時のこと、完全に1つだった時のことを覚えてる”と。この言葉に代表されるように、“Touchy Feely”は誰かに触れることの痛みと喜びを描き出した美しい作品であり得る。こうして肉体性を中心に据えた本作はシェルトン監督にとって1つの区切りになったのだろうか、彼女は次回作においてマンブルコアから離れて、最もメインストリームへと肉薄することとなる。

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結局マンブルコアって何だったんだ?
その1 アーロン・カッツ&"Dance Party, USA"/レイプカルチャー、USA
その2 ライ・ルッソ=ヤング&"You Wont Miss Me"/23歳の記憶は万華鏡のように
その3 アーロン・カッツ&"Quiet City"/つかの間、オレンジ色のときめきを
その4 ジョー・スワンバーグ&"Silver Bullets"/マンブルコアの重鎮、その全貌を追う!
その5 ケイト・リン・シャイル&"Empire Builder"/米インディー界、後ろ向きの女王
その6 ジョー・スワンバーグ&"Kissing on the Mouth"/私たちの若さはどこへ行くのだろう
その7 ジョー・スワンバーグ&"Marriage Material"/誰かと共に生きていくことのままならさ
その8 ジョー・スワンバーグ&"Nights and Weekends"/さよなら、さよならグレタ・ガーウィグ
その9 ジョー・スワンバーグ&"Alexander the Last"/誰かと生きるのは辛いけど、でも……
その10 ジョー・スワンバーグ&"The Zone"/マンブルコア界の変態王頂上決戦
その11 ジョー・スワンバーグ&"Private Settings"/変態ボーイ meets ド変態ガール
その12 アンドリュー・ブジャルスキー&"Funny Ha Ha"/マンブルコアって、まあ……何かこんなん、うん、だよね
その13 アンドリュー・ブジャルスキー&"Mutual Appreciation"/そしてマンブルコアが幕を開ける
その14 ケンタッカー・オードリー&"Team Picture"/口ごもる若き世代の逃避と不安
その15 アンドリュー・ブジャルスキー&"Beeswax"/次に俺の作品をマンブルコアって言ったらブチ殺すぞ
その16 エイミー・サイメッツ&"Sun Don't Shine"/私はただ人魚のように泳いでいたいだけ
その17 ケンタッカー・オードリー&"Open Five"/メンフィス、アイ・ラブ・ユー
その18 ケンタッカー・オードリー&"Open Five 2"/才能のない奴はインディー映画作るの止めろ!
その19 デュプラス兄弟&"The Puffy Chair"/ボロボロのソファー、ボロボロの3人
その20 マーサ・スティーブンス&"Pilgrim Song"/中年ダメ男は自分探しに山を行く
その21 デュプラス兄弟&"Baghead"/山小屋ホラーで愛憎すったもんだ
その22 ジョー・スワンバーグ&"24 Exposures"/テン年代に蘇る90's底抜け猟奇殺人映画
その23 マンブルコアの黎明に消えた幻 "Four Eyed Monsters"
その24 リチャード・リンクレイター&"ROS"/米インディー界の巨人、マンブルコアに(ちょっと)接近!
その25 リチャード・リンクレイター&"Slacker"/90年代の幕開け、怠け者たちの黙示録
その26 リチャード・リンクレイター&"It’s Impossible to Learn to Plow by Reading Books"/本を読むより映画を1本完成させよう
その27 ネイサン・シルヴァー&「エレナ出口」/善意の居たたまれない行く末
その28 ネイサン・シルヴァー&"Soft in the Head"/食卓は言葉の弾丸飛び交う戦場
その29 ネイサン・シルヴァー&"Uncertain Terms"/アメリカに広がる"水面下の不穏"
その30 ネイサン・シルヴァー&"Stinking Heaven"/90年代の粒子に浮かび上がるカオス
その31 ジョセフィン・デッカー&"Art History"/セックス、繋がりであり断絶であり
その32 ジョセフィン・デッカー&"Butter on the Latch"/森に潜む混沌の夢々
その33 ケント・オズボーン&"Uncle Kent"/友達っていうのは、恋人っていうのは
その34 ジョー・スワンバーグ&"LOL"/繋がり続ける世代を苛む"男らしさ"
その35 リン・シェルトン&"We Go Way Back"/23歳の私、あなたは今どうしてる?
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その46 ジョー・スワンバーグ&"All the Light in the Sky"/過ぎゆく時間の愛おしさについて
その47 ジョー・スワンバーグ&「ドリンキング・バディーズ」/友情と愛情の狭間、曖昧な何か
その48 タイ・ウェスト&「サクラメント 死の楽園」/泡を吹け!マンブルコア大遠足会!
その49 タイ・ウェスト&"In a Valley of Violence"/暴力の谷、蘇る西部
その50 ジョー・スワンバーグ&「ハンナだけど、生きていく!」/マンブルコア、ここに極まれり!
その51 ジョー・スワンバーグ&「新しい夫婦の見つけ方」/人生、そう単純なものなんかじゃない
その52 ソフィア・タカール&"Green"/男たちを求め、男たちから逃れ難く
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その54 ジョー・スワンバーグ&「ギャンブラー」/欲に負かされ それでも一歩一歩進んで
その55 フランク・V・ロス&"Quietly on By"/ニートと出口の見えない狂気
その56 フランク・V・ロス&"Hohokam"/愛してるから、傷つけあって
その57 フランク・V・ロス&"Present Company"/離れられないまま、傷つけあって
その58 フランク・V・ロス&"Audrey the Trainwreck"/最後にはいつもクソみたいな気分
その59 フランク・V・ロス&"Tiger Tail in Blue"/幻のほどける時、やってくる愛は……
その60 フランク・V・ロス&"Bloomin Mud Shuffle"/愛してるから、分かり合えない
その61 E.L.カッツ&「スモール・クライム」/惨めにチンケに墜ちてくヤツら
その62 サフディ兄弟&"The Ralph Handel Story”/ニューヨーク、根無し草たちの孤独
その63 サフディ兄弟&"The Pleasure of Being Robbed"/ニューヨーク、路傍を駆け抜ける詩
その64 サフディ兄弟&"Daddy Longlegs"/この映画を僕たちの父さんに捧ぐ
その65 サフディ兄弟&"The Black Baloon"/ニューヨーク、光と闇と黒い風船と
その66 サフディ兄弟&「神様なんかくそくらえ」/ニューヨーク、這いずり生きる奴ら
その67 ライ・ルッソ=ヤング&"Nobody Walks"/誰もが変わる、色とりどりの響きと共に
その68 ソフィア・タカール&「ブラック・ビューティー」/あなたが憎い、あなたになりたい
その69 アンドリュー・バジャルスキー&"Computer Chess"/テクノロジーの気まずい過渡期に
その70 アンドリュー・バジャルスキー&「成果」/おかしなおかしな三角関係
その71 結局マンブルコアって何だったんだ?(作品リスト付き)
その72 リン・シェルトン&"Humpday"/俺たちの友情って一体何なんだ?
その73 リン・シェルトン&「不都合な自由」/20年の後の、再びの出会いは
その74 リン・シェルトン&「ラブ・トライアングル」/三角関係、僕と君たち