鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済藤鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Radu Jude&"Îmi este indiferent dacă în istorie vom intra ca barbari"/私は歴史の上で野蛮人と見做されようが構わない!

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ラドゥ・ジュデ&"Cea mai fericită fată din ume"/わたしは世界で一番幸せな少女
Radu Jude&"Toată lumea din familia noastră"/黙って俺に娘を渡しやがれ!
Radu Jude & "Aferim!"/ルーマニア、差別の歴史をめぐる旅
ラドゥ・ジュデ&"Inimi cicatrizate"/生と死の、飽くなき饗宴
Radu Jude&"Țara moartă"/ルーマニア、反ユダヤ主義の悍ましき系譜
ラドゥ・ジュデの経歴及び今までの長編作品のレビューはこちら参照。

第2次世界大戦において、ルーマニアは枢軸国側として悍ましい戦争犯罪を犯していた。その最も大きなものがオデッサの虐殺だ。1941年、ルーマニア人はオデッサに集められたユダヤ人40万人を虐殺したのだ。この罪は今でもキチンと清算はされないままでいる。そんな中でルーマニア映画作家Radu Jude ラドゥ・ジュデはそんな自国の罪を普通ではない形で描くことを選んだ。その結実こそが彼にとっての集大成たる第6長編"Îmi este indiferent dacă în istorie vom intra ca barbari"だ。

今作の主人公は芸術家であるマリアナ(Ioana Jacob ヨアナ・ヤコブ)という女性だ。彼女には現在進行中の計画がある。それこそがオデッサの虐殺を再演することだ。彼女は資料や武器、衣装を集め、歴史博物館を拠点として、舞台の準備を進めていく。

物語はそんなマリアナの苦闘を描き出していく。この計画の準備は一筋縄では行かない。何せ自国の歴史の闇を描く計画だからである。例えばエキストラは今作を"反ルーマニア"的として離脱を表明する。出資者はスピルバーグシンドラーのリストを作ったように、もっと観客が喜ぶような作品を製作しろと脅してくる。障壁は想像以上に多いのだ。

Judeは撮影監督であるMarius Panduruと共に、腰の据わった長回しで以て目前の光景を観察していく。この演出はデビュー長編である"Cea mai fericită fată din lume"から第4長編"Inimi cicatrizate"まで一貫したものであるのだが、ここではその作風を更に尖鋭化させて登場人物たちの一挙手一投足を詳細に焼きつけていくのだ。

そうして長回しは舞台的な空気感へと結実していく。例えばルーマニアの人々が銃を持って構えドイツ兵の行動を再演する、手を挙げて逃げ惑いユダヤ人たちの行動を再演する。その様には"演じること"に否応なく付随する奇妙な生々しさが宿っている。

この舞台的な作風はこの作品それ自体の構成とも密接に繋がっている。つまり今作は舞台製作についての作品であり、ある意味でメタ的な感触を伴っているのである。ドイツ兵など演じる俳優たちを演出するマリアナを演じるIoana Iacobを演出するRadu Judeといった風に、入れ子構造がここには広がっているのだ。

さてここで普通のルーマニア人がオデッサの虐殺についてどう思っているのかを見てみよう。マリアナと彼女の愛人である男(Șerban Pavlu シェルバン・パヴル)との会話でこんな言葉が出てくる。オデッサの虐殺について話をしようとすると、共産主義の方がもっと酷かったと話を逸らしてくると。今のルーマニア人はオデッサの虐殺という自国の黒歴史に触れたくない訳である。

更に彼らはSergiu Nicolaescu セルジュ・ニコラエス監督の"Oglinda"という作品を鑑賞する。今作は第2次世界大戦時代にクーデターを起こした将軍Ion Antonescu ヨン・アントネスクを英雄として描いた作品だ。しかし彼はヒトラーを信奉する人物であり、ルーマニアにおけるホロコーストに関係したことでも有名だ。それ故に今作は"ファシスト映画"として非難されている。マリアナたちもまるでZ級映画を観るようにこの映画を腐しながら楽しむのだが、その時ちょうど将軍がホロコーストへの関与を否定する場面が現れる。つまりは右翼監督による虐殺隠匿が繰り広げられる訳だが、それが普通にテレビで流されてしまうのだ。マリアナは"もしドイツだったらこんなの流せる?"とこの状況を皮肉る。

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マリアナの行動原理には、ルーマニアに広がるこういった現実があるのである。世界の右傾化に共鳴するように、ルーマニアでも過去の罪と嘘が公然と罷り通ってしまっている。そんな状況を根本から引っくり返し、ルーマニアの暗部を白日の下に晒さないといけない、そんな固い意志が存在している訳だ。

そんな状況でマリアナはモヴィラ(Alexandru Dabija アレクサンドル・ダビジャ)という出資者の1人と論争を繰り広げることとなる。先述した"観客が喜ぶものを!"という主張は彼のものだ。彼は観客に親和的な感動の秘話を幾つも持ち出し、こういったものを作品にしろと迫ってくる。この光景は国が認めるような芸術だけを作るべきだと主張する人間がいる日本の状況と驚くほど似通っている。それに対してマリアナは敢然と立ち向かっていく訳だ。

そんな主人公であるマリアナの人物造形は今作の牽引力の核でもあるだろう。自分の計画のためには猪突猛進で進んでいきながら、ただの行動に終わらない怜悧な知的さも彼女は持ち合わせている。その積極的で攻撃的な芸術家ぶりはすこぶる魅力的なものだ。

その姿に私はあるキャラクターを思い出した。それは先日エミー賞で3部門を獲得した作品「フリーバッグ」の主人公フリーバッグである。皮肉屋で猪突猛進、面倒臭く生き汚い。我を通しまくりで周囲と衝突しまくる孤高の女。そんなフリーバッグがもし芸術家になってルーマニアの歴史の暗部に対峙したとしたら、こんな光景が広がっていたかもしれない。低音ボイスも彼女を想起させる。

そんなマリアナを演じるのはIoana Iacobである。ドイツとルーマニアを股にかけて活躍する人物で、主な活躍の舞台は演劇である。そんな彼女が上演の物語に主演するのだから正に適役というべきだろう。彼女はルーマニアをめぐる混沌に身を挺して飛び込んでいき、この物語を牽引していく。

そして上演が行われる訳であるが、そこでは勇猛なパレードが演じられることになる。この絢爛たる様に観衆が集まり始め、そんな彼らへ軍曹から国を賛美する演説が届けられる。それは愛国的なものから始まり、さらにはユダヤ人を排斥するような外国人差別的なものへと変わっていく。しかし観衆たちは反感を示すどころか、共感を示すことになるのだ。こうしてこの光景を目撃する私たちは、同時にルーマニアの歴史が改竄されていく様を目撃する。そこに生起する恐怖は正にポスト真実を象徴するようなものなのである。

"Îmi este indiferent dacă în istorie vom intra ca barbari"ルーマニアの負の歴史を複雑なままにかつ軽やかに描き出そうとするRadu Judeの真骨頂的な作品だ。その力強さは観客がが生きる国それぞれ――私たちにとっては日本――に巣食う悪すらも浮き彫りにしていくだろう。

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ルーマニア映画界を旅する
その1 Corneliu Porumboiu & "A fost sau n-a fost?"/1989年12月22日、あなたは何をしていた?
その2 Radu Jude & "Aferim!"/ルーマニア、差別の歴史をめぐる旅
その3 Corneliu Porumboiu & "Când se lasă seara peste Bucureşti sau Metabolism"/監督と女優、虚構と真実
その4 Corneliu Porumboiu &"Comoara"/ルーマニア、お宝探して掘れよ掘れ掘れ
その5 Andrei Ujică&"Autobiografia lui Nicolae Ceausescu"/チャウシェスクとは一体何者だったのか?
その6 イリンカ・カルガレアヌ&「チャック・ノリスVS共産主義」/チャック・ノリスはルーマニアを救う!
その7 トゥドール・クリスチャン・ジュルギウ&「日本からの贈り物」/父と息子、ルーマニアと日本
その8 クリスティ・プイウ&"Marfa şi Banii"/ルーマニアの新たなる波、その起源
その9 クリスティ・プイウ&「ラザレスク氏の最期」/それは命の終りであり、世界の終りであり
その10 ラドゥー・ムンテアン&"Hîrtia va fi albastrã"/革命前夜、闇の中で踏み躙られる者たち
その11 ラドゥー・ムンテアン&"Boogie"/大人になれない、子供でもいられない
その12 ラドゥー・ムンテアン&「不倫期限」/クリスマスの後、繋がりの終り
その13 クリスティ・プイウ&"Aurora"/ある平凡な殺人者についての記録
その14 Radu Jude&"Toată lumea din familia noastră"/黙って俺に娘を渡しやがれ!
その15 Paul Negoescu&"O lună în Thailandă"/今の幸せと、ありえたかもしれない幸せと
その16 Paul Negoescu&"Două lozuri"/町が朽ち お金は無くなり 年も取り
その17 Lucian Pintilie&"Duminică la ora 6"/忌まわしき40年代、来たるべき60年代
その18 Mircea Daneliuc&"Croaziera"/若者たちよ、ドナウ川で輝け!
その19 Lucian Pintilie&"Reconstituirea"/アクション、何で俺を殴ったんだよぉ、アクション、何で俺を……
その20 Lucian Pintilie&"De ce trag clopotele, Mitică?"/死と生、対話と祝祭
その21 Lucian Pintilie&"Balanța"/ああ、狂騒と不条理のチャウシェスク時代よ
その22 Ion Popescu-Gopo&"S-a furat o bombă"/ルーマニアにも核の恐怖がやってきた!
その23 Lucian Pintilie&"O vară de neuitat"/あの美しかった夏、踏みにじられた夏
その24 Lucian Pintilie&"Prea târziu"/石炭に薄汚れ 黒く染まり 闇に墜ちる
その25 Lucian Pintilie&"Terminus paradis"/狂騒の愛がルーマニアを駆ける
その26 Lucian Pintilie&"Dupa-amiaza unui torţionar"/晴れ渡る午後、ある拷問者の告白
その27 Lucian Pintilie&"Niki Ardelean, colonel în rezelva"/ああ、懐かしき社会主義の栄光よ
その28 Sebastian Mihăilescu&"Apartament interbelic, în zona superbă, ultra-centrală"/ルーマニアと日本、奇妙な交わり
その29 ミルチャ・ダネリュク&"Cursa"/ルーマニア、炭坑街に降る雨よ
その30 ルクサンドラ・ゼニデ&「テキールの奇跡」/奇跡は這いずる泥の奥から
その31 ラドゥ・ジュデ&"Cea mai fericită fată din ume"/わたしは世界で一番幸せな少女
その32 Ana Lungu&"Autoportretul unei fete cuminţi"/あなたの大切な娘はどこへ行く?
その33 ラドゥ・ジュデ&"Inimi cicatrizate"/生と死の、飽くなき饗宴
その34 Livia Ungur&"Hotel Dallas"/ダラスとルーマニアの奇妙な愛憎
その35 アドリアン・シタル&"Pescuit sportiv"/倫理の網に絡め取られて
その36 ラドゥー・ムンテアン&"Un etaj mai jos"/罪を暴くか、保身に走るか
その37 Mircea Săucan&"Meandre"/ルーマニア、あらかじめ幻視された荒廃
その38 アドリアン・シタル&"Din dragoste cu cele mai bune intentii"/俺の親だって死ぬかもしれないんだ……
その39 アドリアン・シタル&"Domestic"/ルーマニア人と動物たちの奇妙な関係
その40 Mihaela Popescu&"Plimbare"/老いを見据えて歩き続けて
その41 Dan Pița&"Duhul aurului"/ルーマニア、生は葬られ死は結ばれる
その42 Bogdan Mirică&"Câini"/荒野に希望は潰え、悪が栄える
その43 Szőcs Petra&"Deva"/ルーマニアとハンガリーが交わる場所で
その44 Bogdan Theodor Olteanu&"Câteva conversaţii despre o fată foarte înaltă"/ルーマニア、私たちの愛について
その45 Adina Pintilie&"Touch Me Not"/親密さに触れるその時に
その46 Radu Jude&"Țara moartă"/ルーマニア、反ユダヤ主義の悍ましき系譜
その47 Gabi Virginia Șarga&"Să nu ucizi"/ルーマニア、医療腐敗のその奥へ
その48 Marius Olteanu&"Monștri"/ルーマニア、この国で生きるということ
その49 Ivana Mladenović&"Ivana cea groaznică"/サイテー女イヴァナがゆく!
その50 Radu Dragomir&"Mo"/父の幻想を追い求めて
その51 Mona Nicoară&"Distanța dintre mine și mine"/ルーマニア、孤高として生きる

Tashi Gyeltshen&"The Red Phallus"/ブータン、屹立する男性性

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さて、ブータンは敬虔な仏教国である。それに裏打ちされた迷信も未だに根強く信じられている。そしてこの状況が抑圧的な構造を創り上げることもまま存在する。今回紹介するのはそんなブータンの現状を描き出した意欲作、Tashi Gyeltshen監督の初長編"The Red Phallus"を紹介していこう。

この映画の主人公は16歳の少女サンゲイ(Tshering Euden)だ。彼女はブータンの人里離れた田舎町に父であるアプ・アッツァラ(Singye)と共に住んでいる。彼は魔除けのための男根像を作る村唯一の職人であるのだが、サンゲイはそのせいで村人たちから疎まれていた。彼女は深い孤独の中で生き続けていた。

まず今作はそんなサンゲイの孤独の構図を丹念に描き出していく。彼女には友人がいないので、通学路をたった独りだけで歩いていく。さらに学校に着いたとしても、黒板には"アプ・アッツァラのチンコ"という言葉とともに男根が描かれていたりと、彼女は常に虐めに晒されている。家に帰ったとしても、父は罵詈雑言ばかりを吐き散らかし、自分を愛する素振りは微塵も見せない。

彼女の孤独を際立たせるのは、ブータンに広がる宏大な自然である。空には常に分厚い雲がまるで禍々しい竜のように広がり、太陽が照ることはほとんどない。そして地表には深緑色の木々や草々が繁茂し、その間には薄紫色の霧が蔓延っている。この光景は恐怖と畏敬を同時に、観客の心の中に浮かび上がらせるような力強さを持ち合わせている。

そして撮影監督のJigme Tenzingはそんな風景の数々を鷹揚たる態度で以て切り取っていく。彼はロングショットを多用しながら、巨大な自然に宿る巨大な崇高さを余すところなく映し取っていく。そしてその自然の中には、孤独に歩き続けるサンゲイの姿がある。この人間のちっぽけさというものが今作を構成する要素の1つとなっている。

今作を観ている際に想起したのはチベット映画作家ペマ・ツェテンの作品群だ。彼の作品はチベットの宏大な自然を背景として、人々の営みを描き出すものだった。撮影における自然と人間の対比もよく似通っている。おそらくこれは偶然ではないだろう。実はブータンに生きる民族の8割はチベット系で、ブータン公用語ゾンカ語とチベット語は文字を共有している。この2つの国には共通する精神性があるのだろう。

サンゲイにはある秘密がある。それは妻子のある中年男性パサラ(Dorji Gyeltshen)と実は関係を持っていることだ。彼らは広い野原の片隅で逢瀬を重ねている。だがある日、その秘密が父であるアプの知るところとなってしまう。彼は娘を誘惑したパサラの元へ赴くのだが、この行動が事態をさらに複雑なものにしてしまう。

今作の核となる要素はそんな父アプと娘サンゲイの関係性である。彼はいわゆる昔気質な人物で、娘への愛情を表に出さず辛くばかり当たる。そんな中で男根像を彫る後継者を探しているのだが、女性であるサンゲイは眼中にない。自身も虐めの根源であるこの職業を継ぐ気はないのだが、彼に無視されている現状には相反する思いを抱えているのだ。

この映画の題名は"The Red Phallus"、"赤い男根"を意味するものだが、これはアプが彫る男根像を意味するとともに物語に現れる有害な男性性を示しているとも言える。今作に出てくる男性2人はともに抑圧的な人物であり、サンゲイに精神的な暴力を加えてくる。それによって彼女は窮地に追いやられていく。有害な男性性によって苦しめられる女性の姿をサンゲイは体現しているのである。

しかしその果てに少女は反抗へと打って出る。それはこの社会に屹立する家父長制への反乱なのだ。"The Red Phallus"は迷信が深く根づいたブータンにおいて、1人の孤独な少女の姿を描き出した力強い作品だ。

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私の好きな監督・俳優シリーズ
その351 Shahrbanoo Sadat&"The Orphanage"/アフガニスタン、ぼくらの青春
その352 Julio Hernández Cordón&"Cómprame un revolver"/メキシコ、この暴力を生き抜いていく
その353 Ivan Marinović&"Igla ispod plaga"/響くモンテネグロ奇想曲
その354 Ruth Schweikert&"Wir eltern"/スイス、親になるっていうのは大変だ
その355 Ivana Mladenović&"Ivana cea groaznică"/サイテー女イヴァナがゆく!
その356 Ines Tanović&"Sin"/ボスニア、家族っていったい何だろう?
その357 Radu Dragomir&"Mo"/父の幻想を追い求めて
その358 Szabó Réka&"A létezés eufóriája"/生きていることの、この幸福
その359 Hassen Ferhani&"143 rue du désert"/アルジェリア、砂漠の真中に独り
その360 Basil da Cunha&"O fim do mundo"/世界の片隅、苦難の道行き
その361 Mona Nicoară&"Distanța dintre mine și mine"/ルーマニア、孤高として生きる
その362 Siniša Gacić&"Hči Camorre"/クリスティーナ、カモッラの娘
その363 Vesela Kazakova&"Cat in the Wall"/ああ、ブレグジットに翻弄されて
その364 Saeed Roustaee&"Just 6.5"/正義の裏の悪、悪の裏の正義
その365 Mani Haghighi&"Pig"/イラン、映画監督連続殺人事件!
その366 Dmitry Mamulia&"The Climinal Man"/ジョージア、人を殺すということ
その367 Valentyn Vasyanovych&"Atlantis"/ウクライナ、荒廃の後にある希望
その368 Théo Court&"Blanco en blanco"/チリ、写し出される虐殺の歴史
その369 Marie Grahtø&"Psykosia"/"私"を殺したいという欲望
その370 Oskar Alegria&"Zumiriki"/バスク、再び思い出の地へと
その371 Antoneta Kastrati&"Zana"/コソボ、彼女に刻まれた傷痕
その372 Tamar Shavgulidze&"Comets"/この大地で、私たちは再び愛しあう
その373 Gregor Božič&"Zgodbe iz kostanjevih gozdov"/スロヴェニア、黄昏色の郷愁
その374 Nils-Erik Ekblom&"Pihalla"/フィンランド、愛のこの瑞々しさ
その375 Atiq Rahimi&"Our Lady of Nile"/ルワンダ、昨日の優しさにはもう戻れない
その376 Dag Johan Haugerud&"Barn"/ノルウェーの今、優しさと罪
その377 Tomas Vengris&"Motherland"/母なる土地、リトアニア
その378 Dechen Roder&"Honeygiver among the Dogs"/ブータン、運命の女を追って

Dechen Roder&"Honeygiver among the Dogs"/ブータン、運命の女を追って

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さて、ブータンである。巷では世界一幸福な国と言われていたり、その言説に反するように真逆のことが語られたりと、日本ではその全容が定かではない。そんな国について知りたい時、一体何が役に立つかといえば、もちろん映画な訳である。ということで今回は未知の国であるブータンから現れた文芸映画、 Dechen Roder監督の初長編作品"Honeygiver among the Dogs"を紹介していこう。

今作の主人公は警察官であるキンレイ(Jamyang Jamtsho Wangchuk)という男だ。上層部の命令で、彼はブータンの田舎町で起こった殺人事件を捜査することになる。ある村で修道院長が何者かに殺害されたのだ。キンレイは村へと赴き村人に話を聞いていくのだが、その捜査線上に"悪魔"と呼ばれる女性が浮上する。

彼女の名前はチョデン(Sonam Tashi Choden)という。友人だという少女の証言を頼りに、とうとうチョデンと邂逅を果たす。キンレイは身分を偽り彼女に近付いていき、成り行きから彼女の旅に随行することになる。この旅路の最中に、キンレイはチョデンの素性を暴こうとするのだったが……

この作品の核となるのはチョデンという女性の存在だ。"悪魔"と呼ばれる彼女は、しかし穏やかで優しく、その名を示すような様子は見られない。それでも旅を続けるうち、何か不審な動きをすることにキンレイは気付く。彼女は森の草を焼き、不気味な儀式をするのだ。その光景が脳に焼きつき、彼は更に不思議な夢をも見ることになる。探ろうとすればするうち、むしろ謎は深まっていく。

そういった幻惑的な光景の数々を取り巻くのが、ブータンに広がる崇高なる自然だ。豊かな木々の合間には濃厚な霧が常に満ち満ちており、不穏な雰囲気を漂わせている。ふとした瞬間に何か恐ろしい妖怪でも現れ、私たちを襲うとでもいった風に。だがその恐れは畏れでもあり、この霧満ちる緑色の深淵を見ているうちに、私たちは畏怖に打たれることともなるだろう。

そんな中で、突如チュデンが失踪してしまう。彼女を探し求めるキンレイは同時に殺人事件の裏側をも知ることになる。事件が起きた当時、村では聖地と敬われる土地の権利に関して紛糾していたらしい。そしてそこにチュデンも関わっていたと。だからこそチュデンは修道院長を殺害してしまったのか、それとも……そしてキンレイは迷宮へと迷い込むこととなる。

今作はいわゆる運命の女、ファム・ファタールを軸としたノワール作品としての趣を持ち合わせている。キンレイはチュデンの幻惑的な魅力に酔わされて、闇の世界にその身を沈みこませていく。この狂わされる男というのはノワール映画の典型とも評すことができるだろう。今作の脚本はある意味でノワールの王道を堂々と進んでいくと言える。

だがRoder監督の演出は、例えば50年代のハリウッド映画や現代のネオノワール作品とは遠く隔たったものとなっている。彼女はブータンの大いなる自然を背景として、非常に遅々たるリズムで以てキンレイの彷徨を描き出している。そこにはピアノ線が張り詰めるような緊張感は存在しない代わりに、ドイツのロマン主義絵画と相対するような神聖さが存在しているのだ。そしてこの神聖さの中をキンレイは歩き続ける。この重々しい足取りが謎を更に深めていくのである。

更に今作に特徴的なのは、ブータンの文化がノワールという様式へ多分に注入されている点だ。監督は今作の出発点がダキニ天という仏教における神の一種にあると語っているが、物語内においてもチョデンが彼女の伝説について語る姿が挿入される。このブータンにしか存在し得ない特異性によって、物語は異様なる幻影へと姿を変えていくのだ。

"Honeygiver among the Dogs"は長い歴史を持つノワール映画が、ブータンという地で脱構築・再解釈されて生まれた作品だ。この土着的な魅力を味わう事のできる時、様々な国の映画を観て良かったと思えるのである。

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さてここからはAsian Movie Pulseに掲載されたRoder監督のインタビューの翻訳をどうぞ。ブータン映画界の現状や今作の構想源など興味深い事柄が網羅されているのでぜひ読んで欲しい。*1

●映画製作における最初の経験について教えてくれませんか?

始めたのは2004年、24歳の頃です。映画に興味があってニューヨークに少し住んでいたんですが、その時はただレストランで働くだけで下。生きるためにお金を稼ぐ必要があったからです。ニューヨークでは誰もが映画を作ろうとしていて、そのお金を稼ぐためにレストランで働いてるんです! いい経験ではありましたが生きるにはキツかったです。その時4人の友人がプレゼントにハンディカムを買ってくれました。とても感動しましたし、今振り返ると本当に大切なプレゼントだったと思います。それからブータンに戻ったんですが、映画監督は多くありませんでした。特にドキュメンタリーや商業的ではない分野の映画を作る人はいません。テレビ番組や商業映画を作る人ならいますが、その間に誰もいません。なので私は最初にハンディカム撮影の小規模なドキュメンタリーを作りました。舞台は私の故郷の村で、叔母がゾンカ語の読み書きを習うクラスを撮影しました。とても保守的な語りで、際立ったものや政治的なものは一切ありませんが、そこで編集なども学ぶことができました。時間はかかりましたが、嬉しかったのは何か月か後、多くのミーティングを経て、作品がテレビで放映されたんです。私にとっては新しい経験で、テレビ局の人々にとってもそうでした。実は外部の作品を放映したのが初めてだったんです。とても嬉しかったです。国立のテレビ局でお金も払ってくれました。それで、作品自体は学生映画のようであったとしても、自信がもらえました。それから誰も作っていなかったのでドキュメンタリーを作り続けました。雇われ仕事もやり始め、TV番組に規模の大きいドキュメンタリーを作ったりしました。金払いが良かったので最初の長編を計画することにもなりました。完成には10年以上かかりましたが。

●あなたは独学で映画を学んだと言いましたね。ブータンに映画学校あるんですか、それともインドやアメリカに留学する必要がありますか?

ブータンに映画学校はありません。小さな頃、留学したいと思ったこともありませんでした。ブータンに映画産業は存在しないので、興味はあっても将来的に仕事をする機会がなかったんです。さらに留学はとても高額で、インドには競争相手もたくさんいました。私には後ろ盾がなかったので、ここに可能性はないと思ったんです。

●女性であることは障害になりましたか?

いえ、そうは全く思いません。ブータンはとても平等な社会であって、インドなどの周辺国とは違うんです。ですから仕事をするにあたって差別を受けたり意気を挫かれたことはないです。しかし驚いたのは、そういう問題がないのにブータンで映画製作をする女性が多くないことです。思うに(女性はそういう仕事をしないという)思い込みや習慣が刻まれているんでしょう。

●ということはあなたはお手本であるということですね。おそらくあなたの存在によって、この分野で働く女性は多くなるでしょう。

そうですね!今作の後、会議などを撮影するという雇われ仕事を頼まれる機会があったんです。最初はやりたくなかったですが、自分がこれをやれば人々は女性もこういう仕事をこなせると思うかもしれないと思ったんです。実際私の元に来て"ああ、君は女性なんだね!"と言ってくる人もいました。なので私の存在が彼らの無意識に刻まれたことが、とても幸せです。

●あなたは若者たちが自身のキャリアを築けるよう、映画祭を運営しているそうですね。この計画について教えてくれませんか?

ええ、私と夫のPema TscheringはBeskop Tshechu映画祭の発足人です。私の経験を元にこの映画祭を始めました。短編を製作している時、サポートしてくれる機関や上映する場所がなかったんです。先に言った通り、TVか商業映画だけが選択肢だったので、映画を観たり上映する可能性が存在しない、若者が映画監督になりたいとそもそも思わなくなると感じました。なので映画祭は公共への教育的な役割も果たしています。無料でかつ上映場所は公共空間、ティンプーの中心地にある場所を予約して、そこに大きなスクリーンを設置するんです。私は映画作家に自身の作品を上映する場所を与えて、栄光も味わえるよう努力しています。賞を作り、国際的な審査員を招聘するなど、ここには欠けていた正しい映画祭の環境を作りました。私たちブータン人は映画祭も共同体的な感性も持っていません。産業はとても未熟で、商業映画しか毎年賞が与えられません。努力はしていますがとても厳しい状況で、いつも助成金を得られる訳ではない。日々行き当たりばったりです。全ては時間と金があるかに依るんです。

●今年は開催されますか?

まだ分かりません。前は2016年に開催しましたが、状況は更に厳しくなっています。映画を上映するためにライセンスや許可を取るのは官僚主義的悪夢ですよ。

●1つの家庭に2人の芸術家がいる状況はどのようなものですか?

(笑) 正直に言いますと、2人とも自分の仕事の方がずっと大切だと思ってるのでちょっと大変です。だけども時間を柔軟にやりくりできて、その間に色々とやりとりもできるのでその点はいいです。だから赤ちゃんを育てながら、私たち2人がここに来れた訳です。

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●"Honeygiver Among the Dogs"の構想がどこから来たか教えてくれませんか?

多くの異なるインスピレーションが1つになっている訳ですが、主な構想源はダキニ天の物語です。母は小説家で、幸運なことに私に色々なことを離してくれました。こういう話を聞ける少女は多くないことを知って、自分は更に幸運な立場にいると分かりました。私たちは男性――彼らはいつだって仏教徒の男性なんです――の物語を聞きながら育ちます。誰もがその物語や光景、映画を知っていますが、誰も仏教徒の女性については語りません。とても悲しいことで、彼女たちについてもっと知りたいと思いました。だからそんな物語を見つけ出し、繋がりを創り出すために個人的な旅を始め、それを映画にしたんです。伝記映画のようにたった1人の女性を描くということはしたくありませんでした。様々な女性の人生が繋がる様を見つけ出したかったです。そんな個人的な調査は映画において探偵が行う調査に重なっていきました。彼の抱く疑問、彼の考え方は旅の初めにおける私のそれと同じなんです。

●森で撮影された光景の数々はとても女性的でスピリチュアルなものであり、ティンフーでの光景と拮抗しています。そこでは男たちが行動し、物語はとても物質的になります。あの土地についての問題は現実的な問題で、現在のブータンで起こっていることなんですか?

今、人々はとても物質主義的になってきています。過去が全て良かったとは言いたくないですが、この物質主義が環境や人間の営みを犠牲にしていることには反感を覚えます。幸運なことに、ブータンでは国王が森林伐採を制限する法を通してくれたので、環境は守られています。なので今作の物語は現実的ではないです。しかし契約が紙で書かれなかったので別の人間が権利を主張するなどの問題が過去に起こっていて、そういったものにインスパイアされてはいます。大きな問題ではないですが、実際確かにありました。今作のコンセプトについて書いてる時、何が物質主義にかかわる問題か悩んでいましたが、友人が先と似たような話――彼女の隣人が同じような経験をしたと話してくれたんです。

●2人の主人公を創り上げる際のインスピレーションはなんでしたか?

チョデンについては何かを基にはしたくなかったんです。全ての女性を表現したいと思ったんです。キンレイについては彼を演じる俳優(Jamyang Jamtsho Wangchuk)に多くの映画を見せて、人物像を作ってもらいました。例えばプリズナーズL.A.コンフィデンシャルなどのノワール映画、表情を研究してもらうためにはサイレント映画を、そしてウォン・カーウァイ作品も観てもらいました。それからトニー・レオンの演技を研究して欲しいともお願いしました。存在感、空間への感性、堂々たる態度、それに浮かべる困惑……彼には多くの映画を観てもらいました。逆に、チョデン役の俳優(Sonam Tashi Choden)からは演じるための頼りは何か聞かれましたが、それはないと答えました。全く新しいイメージを纏って欲しかったし、捉えどころのないことがこの人物の本質なんです。演技経験は初めてで困惑していましたが、頼りにすべきものはないのでそれについて教えることはできないと言いました。

●物語の初め、キンレイが調査を始める時、村人たちはチョデンは"余所の人間だから"悪魔だと語りますね。こういった偏見が田舎にはあるんでしょうか?

そういう訳ではありません。問題は村人たちが彼女を嫌っていて、その理由が彼女が余所者だからというより異なる存在であるからということで。彼女が異なる存在なのは、誰も彼女について、彼女がどこから来たか知らないからです。ダキニ天は頻繁に旅をし、決まった場所に定住しないという事実を反映したかったんです。

●今作を製作する際、何か障害や問題に直面しましたか?

それはもう完全な悪夢と言う感じでした! 自分は映画をプロデュースする必要もありましたが、どうすればいいか全く分かりませんでした。ブータンにはプロデューサーはいません。財務を担当する人物はいますが、プロデューサーは雇えなかったので自分で自作のプロデューサーになるしかなかったんです。とても疲れる経験でした。監督と編集も担当していたからです。人々を指揮し、キャストやスタッフをロケ地に連れて行ってました。1日の最後には彼らを送り、朝は迎えに行ったんです。ケータリングの予算もないのでお茶も入れていました。身体的にとても疲れました。プロデューサーの仕事なんてする必要がなければと何度思ったことか。この仕事は他の仕事にも影響しますからね。物流管理的な問題で頭の中はいっぱいで、ブータンより外の国際的な映画祭でどう映画をプレゼンしていいかも分かりません。ググりましたよ、"プロデューサーは何をやるのか?"って、どれだけ疲れるか想像も絶するほどでした。監督をして、編集もして、プロデュースにさらに録音も。実際に痛みや病に襲われ健康診断も行いました。とても病んでいましたが理由も定かではなかったんです。赤ちゃんはいい時に来てくれたと思います。病に陥ることから守ってくれるサインのようでした。

●気分は良くなりましたか? あなたの作品は国際的にとても評価されていますね。

ええ、今はとても幸せです。私には1本の完成した映画作品があり、赤ちゃんもいて、万事快調に思えます。私はとても幸運でした。今は何がやりたくなろうとも容易に思えるだろうなと感じています。予算やサポートを受けることも何もかも。新しい計画についていくつか構想がありますが、赤ちゃんが育つまで待つ必要があるでしょう。彼女を授かった時「彼女が2ヵ月になったら仕事が始められる」と思いました。しかしそれが4ヵ月になり、今や7ヵ月で、たぶんこれが9ヵ月になり最後には1年になるだろうなと……準備ができたら自然と分かるでしょうし、突き詰めたいアイデアだってあるんです。

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私の好きな監督・俳優シリーズ
その351 Shahrbanoo Sadat&"The Orphanage"/アフガニスタン、ぼくらの青春
その352 Julio Hernández Cordón&"Cómprame un revolver"/メキシコ、この暴力を生き抜いていく
その353 Ivan Marinović&"Igla ispod plaga"/響くモンテネグロ奇想曲
その354 Ruth Schweikert&"Wir eltern"/スイス、親になるっていうのは大変だ
その355 Ivana Mladenović&"Ivana cea groaznică"/サイテー女イヴァナがゆく!
その356 Ines Tanović&"Sin"/ボスニア、家族っていったい何だろう?
その357 Radu Dragomir&"Mo"/父の幻想を追い求めて
その358 Szabó Réka&"A létezés eufóriája"/生きていることの、この幸福
その359 Hassen Ferhani&"143 rue du désert"/アルジェリア、砂漠の真中に独り
その360 Basil da Cunha&"O fim do mundo"/世界の片隅、苦難の道行き
その361 Mona Nicoară&"Distanța dintre mine și mine"/ルーマニア、孤高として生きる
その362 Siniša Gacić&"Hči Camorre"/クリスティーナ、カモッラの娘
その363 Vesela Kazakova&"Cat in the Wall"/ああ、ブレグジットに翻弄されて
その364 Saeed Roustaee&"Just 6.5"/正義の裏の悪、悪の裏の正義
その365 Mani Haghighi&"Pig"/イラン、映画監督連続殺人事件!
その366 Dmitry Mamulia&"The Climinal Man"/ジョージア、人を殺すということ
その367 Valentyn Vasyanovych&"Atlantis"/ウクライナ、荒廃の後にある希望
その368 Théo Court&"Blanco en blanco"/チリ、写し出される虐殺の歴史
その369 Marie Grahtø&"Psykosia"/"私"を殺したいという欲望
その370 Oskar Alegria&"Zumiriki"/バスク、再び思い出の地へと
その371 Antoneta Kastrati&"Zana"/コソボ、彼女に刻まれた傷痕
その372 Tamar Shavgulidze&"Comets"/この大地で、私たちは再び愛しあう
その373 Gregor Božič&"Zgodbe iz kostanjevih gozdov"/スロヴェニア、黄昏色の郷愁
その374 Nils-Erik Ekblom&"Pihalla"/フィンランド、愛のこの瑞々しさ
その375 Atiq Rahimi&"Our Lady of Nile"/ルワンダ、昨日の優しさにはもう戻れない
その376 Dag Johan Haugerud&"Barn"/ノルウェーの今、優しさと罪
その377 Tomas Vengris&"Motherland"/母なる土地、リトアニア

ルーマニア、日常の中の美しさ~Interview with Letiția Popa

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さて、このサイトでは2010年代に頭角を表し、華麗に映画界へと巣出っていった才能たちを何百人も紹介してきた(もし私の記事に親しんでいないなら、この済藤鉄腸オリジナル、2010年代注目の映画監督ベスト100!!!!!をぜひ読んで欲しい)だが今2010年代は終わりを迎え、2020年代が始まろうとしている。そんな時、私は思った。2020年代にはどんな未来の巨匠が現れるのだろう。その問いは新しいもの好きの私の脳みそを刺激する。2010年代のその先を一刻も早く知りたいとそう思ったのだ。

そんな私は、2010年代に作られた短編作品を多く見始めた。いまだ長編を作る前の、いわば大人になる前の雛のような映画作家の中に未来の巨匠は必ず存在すると思ったのだ。そして作品を観るうち、そんな彼らと今のうちから友人関係になれたらどれだけ素敵なことだろうと思いついた。私は観た短編の監督にFacebookを通じて感想メッセージを毎回送った。無視されるかと思いきや、多くの監督たちがメッセージに返信し、友達申請を受理してくれた。その中には、自国の名作について教えてくれたり、逆に日本の最新映画を教えて欲しいと言ってきた人物もいた。こうして何人かとはかなり親密な関係になった。そこである名案が舞い降りてきた。彼らにインタビューして、日本の皆に彼らの存在、そして彼らが作った映画の存在を伝えるのはどうだろう。そう思った瞬間、躊躇っていたら話は終わってしまうと、私は動き出した。つまり、この記事はその結果である。

2020年代に巣出つだろう未来の巨匠にインタビューをしてみた! 第6回は私の大好きなルーマニア映画界から巣立つだろう若きドキュメンタリー作家Letiția Popa レティツィア・ポパに直撃!

今回観た作品は先日、チェコにおけるドキュメンタリー映画の祭典イフラヴァ映画祭で上映された作品"Marie"だ。今作はドナウ川沿いに位置する村で生活する家族を追った作品である。カメラは彼女たちが例えば食事をしたり、お喋りをしたりする日常の何気ない風景を映し出していく。そこには親密さが浮かび上がることがあれば、時おり緊迫感が張り詰める瞬間すらも存在する。そんな良い所も悪い所も含めて家族なのだと今作は語っていくのだ。そんな中で監督は長女であるマリアに焦点を当て始めるのだったが……という所でインタビューをどうぞ。

www.youtube.com

済藤鉄腸(以下TS):なぜ映画監督になりたいと思ったんですか? そしてそれをどのように成し遂げたんですか?

レティツィア・ポパ(以下LP):映画学校に行こうと決めたのは18歳の時です。この映画について勉強して監督をしたいという欲望は自分を表現するための方法として現れたんです。しばらくは写真に凝っていて、その前のとても小さな頃は絵を描いていたんですが、つまり私は視覚的な人間なんです。元々は恥ずかしがり屋で、多くの場合声を上げることに対して臆病でした。それと同時に自分の物語を語りたいという思いもあって、話したいことを表現するため声を上げたいと最後にはそう感じたんです。だからセラピーの代りに映画を作ろうと決めた訳です。それで私はここにいて映画学校で監督としての旅を始めました。その後ドキュメンタリーというジャンルを発見した時、私の人生は大きく変わりました。何故ならそれが自己表現以上の何か――私の声でありながら、かつての私のように語ることのできない誰かの声に変わったからです。

TS:映画に興味を持ち始めた時、どんな作品を観ていましたか? そして当時ルーマニアではどんな映画を観ることができましたか?

LP:小さな頃から映画は好きでした。父と一緒にアメリカ映画を観ていたからです。父はスリラーやドラマ、アクション映画(時にはホラーさえも)好きでした。ひまわりの種を一緒に食べながらTVで映画を観ていたのを覚えています。全てのチャンネルに目を通しながら作品を慎重に吟味していたので、その夜にやる最高の映画を観ることができました。

その後十代になってまた映画を観るようになりましたが、今度は私自身が選ぶようになりました。私が好きになった監督は、映画に興味を持ち始めたらまず観るような監督、例えばタランティーノスコセッシフェリーニクリストファー・ノーランなどでした。当然ですが彼らの映画はパソコン上で観ていて、新しい作品が上映される時だけ、映画館で観ることができたんです。私はルーマニアの東部に位置する小さな町出身で、大きな都市のように古い作品を観ることのできる場所はそう多くありませんでした。さらにルーマニア映画となると、いつだって観るのが難しかった。何故かといえば娯楽作品の隣にそういった作品の入る余地がなかったからです。

TS:まずあなたの短編"Marie"に出てくる家族をどうやって見つけたんですか? どうして映画のテーマとして彼らを選んだのですか?

LP:ヨルダナのことはドキュメンタリーを作る前から知っていました。父の遠い親戚である彼女について多くのことを知っていたので、いい主人公になれると思ったんです。だから両親とともに彼女を訪ねて、彼女やその娘と姪に会いました。私が魅了されたのはその家族が小さな頃に会っていた叔父たちにどれだけ似ていたか、そして家族を取り巻く世界がどれほど豊かであるかでした。彼らについて映画にしたいと思いました。その時のことは良く覚えてません。まるで初めて恋に落ちたかのような心地で、一体何に見舞われたか分からないといった風です。恐怖と欲望の間にある何かに魅了されたんです。私にとって彼らについての映画を作ることは、ある意味で私のルーツに立ち返ることでした。私の父は伝統的な農民の家族出身で、彼らにとても似ていたからです。

TS:ここで描かれる村はどのような場所ですか? ルーマニアにおいてとても有名な場所、もしくはあなたの故郷ですか?

LP:この場所はドナウ川の三角地帯に位置していて、水路に囲まれ孤立した地域でもあります。特にこの村は三角地帯のちょうど北側にあり、ウクライナとの国境に接しています。更にここは珍しい動物たちが住んでいるという理由でUNESCOによって保護されており、その意味では観光地的とも言えます。しかしそれ以外は良好であるとは言えず、経済は息絶えているんです。魚を扱う工場は閉鎖され、そのせいで多くの人々が他国へ仕事を求めて、移住せざるを得ないんです。残っている人々はほとんど老人か子どもだけです。

TS:今作における徹底した観察的なスタイルには感銘を受けました。これによって今作はより繊細で力強いものになっていると思います。ここにおいて、家族と交流するにあたり最も大切なことは何でしたか?

LP:私にとって今作はそう作られるしか有り得なかったんです。彼らと交流するのは私だけしか有り得なかったんですから。多くの場合、家族はヨルダナが解決しないといけない人生の困難に懸りきりだったので、私のことは簡単に無視していました。もちろん、私がどんな害も与えないと感じとっていたんでしょう。初めは私について質問してはきましたが、その後は私を受け入れてくれたんです。ヨルダナは誰かが自分を撮影してくれることを誇りにも思っていました。私たちと村を歩く最中、村人たちに自分は映画スターだと言いふらしていました。このおかげで撮影に自信を持つことができました。さらにそれは彼女が家に帰った時に見せた、とてもエネルギッシュな瞬間のおかげでもあります。彼女は自身の繊細な部分を撮影することも許してくれました。

子供たちに関して、特にマリアに関しては簡単に交流することができました。彼らは最初に会った時から撮影器具に興味津々で、ブームをあげたりしました。特にヘッドフォンをつけて音を聞いていた時のある子供の顔は今でも覚えています。

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TS:今作で最も美しいものの1つはルーマニアの村で繰り広げられる日常の描き方です。例えば祖母が料理を作る、子供たちがぶどうを食べる、マリアが村を歩く。そういった日常の中に宿る美をあなたは鮮やかに捉えています。この日常の美をあなたはどのように捉えたんでしょう?

LP:捉えられた理由は多くの忍耐とタイミングのおかげです。子供たちがぶどうを食べたりマリアが村を歩いている時、私たちは互いに通じ合っていました。演技だとかそういうものは一切ありませんでした。

TS:今作で印象的だったのは子供の1人であるマリアでしょう。彼女は家族や他の子供たちをケアしています。そして私たちは彼女の無邪気さが輝きながらも、摩耗していく光景を目撃するんです。なぜあなたは彼女を"Marie"の中心人物に選んだんでしょう?

LP;あなたも言った通り、彼女が印象的な人物だからです! 彼女の中に私自身が強く見えてきて、どう反応していいか分からないほどでした。マリアはとても小さな身体で、無邪気さも感じられる10歳の少女だのに、とても強い人物でもありました。闘いを挑んでくる外からの圧力に対して反抗する力を持っている、私にはそう信じられました。長女として5人のきょうだいを世話しなければならないとそんな状況に陥ろうとも、この負の螺旋から逃れられる力を見つけられるとそう願っています。

TS:ルーマニア映画界の現状はどういったものでしょう? 外から見るならとてもいいものに思えます。Corneliu Porumboiu コルネリュ・ポルンボユ(紹介記事)やCristi Puiu クリスティ・プイユ(紹介記事)ら現代の巨匠が傑作を作り、有名な映画祭には新しい才能が現れています。例えばロッテルダムMarius Olteanu マリウス・オルテアヌ(紹介記事)、ロカルノIvana Mladenovic イヴァナ・ムラデノヴィチ(紹介記事)、そしてイフラヴァ映画祭にはあなたが現れました。しかし内側からは現状はどのように見えるのでしょう?

LP:こうして名前が挙げられることをとても誇りに思います。私はまだとても未熟な学生で、学ぶことはたくさんあります。それでも自分の作品が大きな映画祭に選出されるというチャンスに恵まれたのは幸運なことでした。もちろんそのために多くの努力と活力を費やしましたが。思うに多くの新たな才能の名を今後あなたは聞くことになるでしょう(例えばAndra Tarara アンドラ・タララTeona Galgoțiu テオナ・ガルゴツィユ、そしてVictor Bulat ヴィクトル・ブラトなど)し、さらに多くの女性たちが映画監督となるでしょう。今は映画において女性の視点が深く求められているんですから。ルーマニア映画界は興味深い時期にあるとそう思います。

TS:日本の映画好きがルーマニアの映画史を知りたいと思った時、あなたはどんなルーマニア映画を進めますか? そしてそれは何故ですか?

LP:この作品はあまり多くの人には知られていませんが"Un film cu o fată fermecatoare"という作品があります。監督はLucian Bratu ルチアン・ブラトゥという人物です。今作はとてもスウィートな映画で、ヌーヴェルヴァーグに影響を受けています。この時代からするととても勇敢な作品で、映画的な言語もテーマも賢明なものです。主人公は女優になりたいと願う若い女性で、彼女は電話帳を使って無作為に男性に電話をかけ、空港で出会ったかと思うと、帽子をかぶってダンスを踊るんです。彼女を見ていると陽気な気分になるんですが、演じているのはMargareta Pâslaru マルガレタ・プスラルという人物です。当時とてもよく知られていた歌手でした。大好きな理由は、演技にのめり込む若い女性が様々な状況に首を突っ込んで、ある種の柔和さでそれに対応するからです。それが反映しているのは若い都市的な女性が大人になる過渡期を対処する時に味わう困惑であって、そうして彼女は自分の居場所を見つけ陽気な態度で物事に対応するようになるんです。

TS:新しい短編、もしくは初長編を作る計画はありますか? もしあるなら、ぜひ日本の読者に教えてください。

LP:今はまだ学生なので、そう急いて長編を作ろうとは思いません。さっき言った通りまだ学ぶべきことは多くあるので、他の短編を作る計画を立てています。学生としてどこへ自分が向かうか見極めたいんです。今取り組んでいるのはある家族を描いた映画で、その中の1人はアルツハイマーを患っています。"Marie"とは全く異なる作品になるでしょう。

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私の身体、私の言葉~Interview with Camila Kater

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さて、このサイトでは2010年代に頭角を表し、華麗に映画界へと巣出っていった才能たちを何百人も紹介してきた(もし私の記事に親しんでいないなら、この済藤鉄腸オリジナル、2010年代注目の映画監督ベスト100!!!!!をぜひ読んで欲しい)だが今2010年代は終わりを迎え、2020年代が始まろうとしている。そんな時、私は思った。2020年代にはどんな未来の巨匠が現れるのだろう。その問いは新しいもの好きの私の脳みそを刺激する。2010年代のその先を一刻も早く知りたいとそう思ったのだ。

そんな私は、2010年代に作られた短編作品を多く見始めた。いまだ長編を作る前の、いわば大人になる前の雛のような映画作家の中に未来の巨匠は必ず存在すると思ったのだ。そして作品を観るうち、そんな彼らと今のうちから友人関係になれたらどれだけ素敵なことだろうと思いついた。私は観た短編の監督にFacebookを通じて感想メッセージを毎回送った。無視されるかと思いきや、多くの監督たちがメッセージに返信し、友達申請を受理してくれた。その中には、自国の名作について教えてくれたり、逆に日本の最新映画を教えて欲しいと言ってきた人物もいた。こうして何人かとはかなり親密な関係になった。そこである名案が舞い降りてきた。彼らにインタビューして、日本の皆に彼らの存在、そして彼らが作った映画の存在を伝えるのはどうだろう。そう思った瞬間、躊躇っていたら話は終わってしまうと、私は動き出した。つまり、この記事はその結果である。

2020年代に巣出つだろう未来の巨匠にインタビューをしてみた! 第5回は今最先端にあるブラジル映画界、ここから現れた新鋭アニメーション作家であるCamila Kater カミラ・カテルを直撃!

彼女の短編作品"Carne"は5人の女性たちが自身の身体について語る姿を描いたアニメーション作品だ。太っていた子供時代、自分に訪れた生理のこと、老いとの付き合い方。そういったものを異なる境遇にある女性たちが真摯に語っていく。そこに重なるのが監督のアニメーションだ。時には粘土、時には水彩画といった風に様々なものを駆使しながら、彼女は女性たちの言葉を魅力的に彩っていく。このインタビューをするにあたって、集中的に100本ほどの短編作品を観ているが、その中でも1,2を争う美しさや豊かさを誇る作品で、今作はぜひとも日本で上映されて欲しいところだ。ということで、インタビューをどうぞ。

vimeo.com

済藤鉄腸(以下TS):まず、なぜ映画監督になろうと思ったんですか? そしてそれはどのように成し遂げたんですか?

カミラ・カテル(以下CK):私は物語を紡いだり、何かを作ることをいつだって楽しんでいました。子供の頃から、姉と一緒に遊んで色んな物語を作っていたんです。絵を描くことも止めることはありませんでした。15歳の頃から友人や姉とお笑い動画を作るようになって、そういった作品を研究する道に入るのも時間の問題でした。カンピナス大学ではメディア学の、英国のアングリア・ラスキン大学では映画・TV製作の学位を取りました。大学に通っている時、サン・パウロでアニメーション制作のワークショップに参加し始めて、それに魅了されました。最初に参加してからすぐ、アニメーションの脚本を書き始めて、大学の友人たちをコラボのために誘いました。そこで私にとって初めてのアニメーション作品"Flirt"が完成しました。それから、自分はアニメーターで操り人形師でもあります。"Flirt"を作った後、"Unspeakable"という作品に参加しました。今現在製作中のストップモーション作品で、監督はSamuel Mariani サミュエル・マリアニ、共同脚本家は私です。さらにプロダクション・デザイナーや操り人形師も兼任しています。

TS:映画に興味を持ち始めた時、どんな作品を観ていましたか? そしてその時期、ブラジルではどんな作品を観ることができましたか?

CK:子供の頃はTV番組にとても興味がありました。"Castelo Rá Tim Bum"という人気番組を観るのが好きだったんです。ですがブラジルには子供向けの番組が多くなかったので、ニコロデオンカートゥーンも観ていましたね。「ヘイ・アーノルド」が一番好きでした。劇場では"O Menino Maluquinho"*1を観たり、Xuxa Meneghel シュシャ・メネゲウという有名なテレビ司会者の映画をテレビで観たりしていました。

TS:あなたの作品"Carne"の始まりは何でしょう? あなたか他の人々の経験、もしくは他の出来事ですか?

CK:"Carne"の始まりは身体についての、そして家族の女性たちとの私自身の経験です。例えば6歳の頃、私は身体の形に関してとても心配していました。思春期の頃、身体が変化し始めた時、周りの男性たちがそれに気付き始めたのを悟ったんです。だから大きな服で自分の身体を隠して、彼らの視線やハラスメントから逃れようとしました。母や叔母も自身の経験について共有してくれましたね。それから今作を作っている時、私は子宮内膜症と診断されました。つまり既に閉経したような状態に陥ってしまったんです。こうして映画の製作中は、とても多くのことが私の心と身体で起こっていたんです。

TS:あなたの作品は身体に関する5人の女性の色とりどりの声で構成されています。どのように彼女たちを見つけ、どういう理由で今作に起用したんですか?

CK:まず私は今作の構成を組み立てました。その時点で、肉の焼き加減さながら人生の段階段階に合わせて女性の身体について描いていきたいという思いがあったんです。そして、それぞれの段階や章において描きたいテーマに合わせてプロファイルを作って行きました。例えば最初の章では主人公に子供の頃に太っていたゆえの経験について語って欲しかったんです。なのでプロデューサーのLívia Perez リヴィア・ペレスや共同脚本家のAnalia Carvalheiroアナ・ジュリア・カルヴァレロと、それぞれの章を体現してくれる主人公を探そうとリサーチを重ねました。SNSに情報を掲載して、今作をサポートしてくれる女性たちから反応をもらいました。そのうちの2人はブラジルで有名な人物です。Helena Ignez ヘレナ・イグネスは俳優兼映画作家です。それからRaquel Virgínia ラクウェル・ヴィルジニアは歌手でAs Bahias e a Cozinha Mineiraというバンドの作曲家でもあります。

TS:"Carne"において、あなたは5人の女性から魅力的で美しい言葉や声を引き出していますね。親密な時もあれば、心が痛む時もあり、しかしどんな時でもそれらは素晴らしいものでした。彼らと交流するにあたって、最も大切なものは何でしたか?

CK:彼女たちのような素晴らしい女性たちが私たちと自身の物語を共有してくれたことを喜ばしく思っています。思うにどんな女性にも身体についての物語があります。つまり彼女たちの現実やアイデンティティーにはたくさんの多様性があり、それが物語を更に強いものとしてくれるんです。白人のシス女性として共感する物語もあれば共感しないものありますが、私の目的はこの多様性を、私たちは女性として様々に異なる形で影響を受けているということを伝えたかったんです。

TS:今作において最も素晴らしい要素の1つはそのアニメーションです。それは魅力なまでに色とりどりなものです。粘土を使う時もあれば、水彩画や写真を使うこともあり……5つの章を描くにおいてどのようにアニメーションの様式を選んでいったんですか?

CK:元々、私は2Dで白黒映像というアニメーションを考えていました。しかし最初の女性Raquel Patricio ラクウェル・パトリシオにインタビューした時、全てが変わりました。彼女の証言に新しい物事を追求する大きな可能性を感じたんです。何故なら彼女の物語は食べ物との関係性や栄養士である母親にそれをコントロールされていた過去についてで、それを聞いた時、私は"実際の食べ物も使えそうだ。彼女の章の語りは陶器の皿の上で表現できそう"と思ったんです。そうすると次の登場人物で同じことをするのか?という難問がうかびあがりました。なので技術を証言に合わせていこうと思ったんです。2人目の女性の物語は思春期と生理についてで、だから血を表現できるような水彩を使った滑らかなアニメーションを選ぼうといった風に。

TS:日本において(おそらくブラジルにおいても)、女性に自分の身体を嫌悪させようとする広告やTV番組がたくさんあります。そんな厳しい世界で、私たちはどのように自分たちの身体を愛することができるでしょう?

CK:不幸なことにこういったことは世界規模で起こっています。メディアは私たちは美の基準を満たしていないと思わせます、そんなことできるのは誰もいないのにです。彼らのメインターゲットである女性にとってはとても残酷で不安を催させるものです。そして様々な形で私たちに影響を与えます。例えば身体の形、肌の色、年齢に応じて。

だから私たちの多くは多様性を拒む社会で育てられ、それに適応するよう成長するゆえ、自動的に身体において"基準"に応じてはいないものを拒否するようになってしまうんです。そして社会が私たち女性を人間である前に身体と見做すことで、私たちの尊厳は壊されていくんです。それに意識的であっても、自分の身体を愛することはとても難しいことです。でも最初の一歩は確かにあります。他の女性たちと経験を共有することは大いに助けになるでしょう。なぜなら私たち一人ひとりが外見に関して不安を持っていて、だから不安になる必要はないと分かるからです。私たちの身体はそれぞれ独特であり自然で、ありのままでも美しいんです。メディアの美の基準など拒むべきです。誰もそれに共感などできないんですから。

TS:ブラジル映画界の現状はどういったものでしょう? 外側からは良いように思えます。Kleber Mendonça Filho クレベール・メンドンサ・フィーリョKarim Aïnouz カリン・アイヌーズなど現代の巨匠が傑作を作っていますし、新しい才能たちがとても有名な映画祭に選出されています。例えばロカルノMaya Da-Rin マヤ・ダ=リンロッテルダムAlfonso Uchoa アルフォンソ・ウチョアJoão Dumans ジョアン・デュマンス、そしてトロントにおいてはあなたです。しかし内側からだと、現状はどう見えているんでしょう?

CK:思うにブラジル映画は創造的なブームにあります。前の政府から多くの改善があったからです。しかし今は新しい大統領(ジャイール・ボルソナーロのこと)によって私たちの映画は最も危機的な状況の1つに直面しています。彼はとても狭量な心の持ち主で、国立の映画製作庁であるAncineを潰そうとしたんです。それは失敗に終わりましたが、リオ・デ・ジャネイロからブラジリアへと移転させられてしまいました。

大切な財政サポートも幾つか潰されてしまい、小規模もしくは中規模の映画製作会社は大きな危機に直面しています。例えば私の場合、ロカルノトロント映画祭に出席するためのサポートをAncineから受けていたんですが、トロントにいる時これが最後のサポートだと伝えるメールを受け取りました。つまり、例えば自分が国際的な映画祭において時刻を代表する立場にあるとしても、チケット代金は自分で払わなくてはいけない訳です。

TS:日本の映画好きがブラジルの映画史を知りたいと思った時、どんな作品を観るべきですか? そしてその理由は何でしょう?

CK:実写作品についてですが、私のオススメはシティ・オブ・ゴッド(2002, フェルナンド・メイレレス&カティア・ルンド)、"Carlota Joaquina, Princesa do Brasil"(1995, Carla Murati カルラ・ムラティ)、「セントラル・ステーション」(1998, ウォルター・サレス)、"O Bicho de Sete Cabeças"(2000, Laís Bodanzky ライス・ボダンスキ)、"Edifício Master"(2002, Eduardo Coutinho エドゥアルド・コウティーニョ)などです。

しかし私はアニメーションの方が好きなので、迷惑でなければその方面の長編や短編をオススメします。短編は“Meow” (1981, Marcos Magalhães マルコス・マガレイス)、“Guida” (2014, Rosana Urbes ロサナ・ウルベス)、“Divino Repente” (2009, Fabio Yamaji ファビオ・ヤマジ)、“Torre” (2017, Nádia Mangolini ナディア・マンゴリニ)がオススメです。長編の場合は“Uma História antes de uma História” (2014, Wilson Lazaretti ウィルソン・ラザレッティ)がオススメですね。

TS:何か新しい短編、もしくは初長編を作る計画はありますか? もしあるなら、日本の読者にぜひ教えて下さい。

CK:"Carne"のシリーズ作品を作りたいと思っています。今回はもっと国際的で、世界の様々な場所にいる人物やアニメーターが集まるようなものになるでしょう。たぶん日本人も登場するのではないでしょうか。

他にも宗教に関する子供の頃の経験に基づいた短編を作りたいと思っています。私はサンパウロカトリック・スクールで勉強をしていて、9歳の頃に聖体拝領を行いました。でも子供の頃一番怖かったものの1つはイエス・キリストだったんです。彼を描いたカトリック的な図像や彼の遍在性が怖かったんです。

私としては唄うクィアなキリストについてのミュージカルを構想しています。大きな瞳にブロンドの髪と、とてもヨーロッパ的な姿をしたキリストが主人公です。今作で中東生まれのセム系男性がいかにヨーロッパで解釈されているか、そして子供の頃の宗教的な儀式について語りたいんです。

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*1:ブラジルで製作された漫画作品。子供向けの文学の古典と見做されており、後に映画やテレビ番組などが作られた

Tomas Vengris&"Motherland"/母なる土地、リトアニア

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1991年12月、ソビエト連邦は崩壊することとなった。それによってこの国に支配されていた属国群は独立を獲得することとなる。パルト三国の1国であるリトアニアもその内の1つだ。そして他の国と同じように、独立によって様々な激動を経験することになる。今回はその激動を1人の少年の目から描き出したリトアニア映画、Tomas Vengelis監督のデビュー作"Motherland"を紹介していこう。

今作の主人公は12歳の少年コヴァス(Matas Metlevski)だ。彼は20年間に移住してきた母のヴィクトリヤ(Severija Janušauskaitė)と共にアメリカに住んでいた。だがソ連崩壊後の1992年、彼女は故郷であるリトアニアに戻ることを決める。あまり知らない故郷について不安を抱えながら、コヴァスは一路リトアニアへと向かう。

リトアニアでは驚きの連続だ。共産主義の美学が反映された建物の群れ、今までその存在も知ることのなかった親戚たち、アメリカから持ってきたお菓子の数々にはしゃぎ回る子供たちの笑顔。ヴィクトリヤと喋っていたのでリトアニア語は理解できるが、実際それに囲まれた生活をするというのは初めてであり、やはり当惑が先立つ訳である。

さて、ヴィクトリヤにはリトアニアに帰ってくる上である目的があった。ソ連によって奪われた父の土地を取り戻したかったのだ。ソ連が崩壊した今この時ならば、その好機があるのではないか?ということだ。しかし官僚主義的な機構は未だに覆らず、手続きは煩瑣を極める。事態をよく呑み込めないコヴァスはそんな光景をただ眺めていることしかできない。

Vengelis監督の演出はすこぶる繊細で儚げだ。90年代のリトアニアに広がっていただろう風景の数々が鮮やかな色彩を伴いながら、どこか幻想的な筆致で描かれていく。Kārlis Auzānsによるアンビエントな音楽と微かな風の囁きが、リトアニアの自然に重なる様はここに宿る脆い美というものを感じさせてくれる。

そんな中で、コヴァスはヴィクトリヤの友人であるロマス(Darius Gumauskas)という男の元で居候をすることになる。彼は煩瑣な手続きに苦心する彼女を助けてくれるのだが、その他の何か微妙な雰囲気が彼らに纏わりついてるのにコヴァスは気付いている。その一方で彼はロマスの娘であるマリヤ(Barbora Bareikytė)と出会う。最初は険悪なムードが広がりながらも、コヴァスは少しずつ彼女に接近しようとする。

物語において、監督はコヴァスの不安定な心を描き出そうとする。慣れない土地で不安なこともあるが、彼は家庭的な事情も抱えている。ヴィクトリヤはアメリカ人の夫と離婚しており、複雑な関係にあったのだ。それ故の孤独は、彼を肉体的な愛の渇望に走らせる。例えば空港の売店ではポルノ雑誌を万引きしたり、リトアニアの地元の少年少女がキスしているのを秘かに眺めたりする。そしてその先にマリヤがいるという訳だ。彼女の前でコヴァスの心は更に不安定なものになりながら、そこに大人になるための道があることも知っていく。

彼の心を描き出すにおいて、Vengrisは撮影監督のAudrius Kemežysとともにクロースアップを多用しながら、コヴァスの顔を映し出していく。何もかもが不安定な状態で、物憂げな表情を浮かべ続けるコヴァス。彼は自分の人生においても、リトアニアの未来においても何が起こるかなど一切分からないのだ。その揺らぎが彼の表情には濃厚に表れており、私たちの心をも揺さぶるのだ。

そしてその表情の揺らぎは、リトアニアという国の揺らぎにも繋がっていく。ヴィクトリヤは土地を取り戻そうと奔走するが、ここにはソ連の横暴によって抑圧されてきたリトアニアの歴史と過去が宿っている。一方でコヴァスが交流するリトアニアの若者たちが溌剌と輝かせる若さは、当時のこの国の開放感あふれる現在を示しているようだ。"Motherland"はコヴァスという少年の瞳に映る複雑な両極性を通じて、リトアニアの未来への思いを描き出しているのだ。

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私の好きな監督・俳優シリーズ
その351 Shahrbanoo Sadat&"The Orphanage"/アフガニスタン、ぼくらの青春
その352 Julio Hernández Cordón&"Cómprame un revolver"/メキシコ、この暴力を生き抜いていく
その353 Ivan Marinović&"Igla ispod plaga"/響くモンテネグロ奇想曲
その354 Ruth Schweikert&"Wir eltern"/スイス、親になるっていうのは大変だ
その355 Ivana Mladenović&"Ivana cea groaznică"/サイテー女イヴァナがゆく!
その356 Ines Tanović&"Sin"/ボスニア、家族っていったい何だろう?
その357 Radu Dragomir&"Mo"/父の幻想を追い求めて
その358 Szabó Réka&"A létezés eufóriája"/生きていることの、この幸福
その359 Hassen Ferhani&"143 rue du désert"/アルジェリア、砂漠の真中に独り
その360 Basil da Cunha&"O fim do mundo"/世界の片隅、苦難の道行き
その361 Mona Nicoară&"Distanța dintre mine și mine"/ルーマニア、孤高として生きる
その362 Siniša Gacić&"Hči Camorre"/クリスティーナ、カモッラの娘
その363 Vesela Kazakova&"Cat in the Wall"/ああ、ブレグジットに翻弄されて
その364 Saeed Roustaee&"Just 6.5"/正義の裏の悪、悪の裏の正義
その365 Mani Haghighi&"Pig"/イラン、映画監督連続殺人事件!
その366 Dmitry Mamulia&"The Climinal Man"/ジョージア、人を殺すということ
その367 Valentyn Vasyanovych&"Atlantis"/ウクライナ、荒廃の後にある希望
その368 Théo Court&"Blanco en blanco"/チリ、写し出される虐殺の歴史
その369 Marie Grahtø&"Psykosia"/"私"を殺したいという欲望
その370 Oskar Alegria&"Zumiriki"/バスク、再び思い出の地へと
その371 Antoneta Kastrati&"Zana"/コソボ、彼女に刻まれた傷痕
その372 Tamar Shavgulidze&"Comets"/この大地で、私たちは再び愛しあう
その373 Gregor Božič&"Zgodbe iz kostanjevih gozdov"/スロヴェニア、黄昏色の郷愁
その374 Nils-Erik Ekblom&"Pihalla"/フィンランド、愛のこの瑞々しさ
その375 Atiq Rahimi&"Our Lady of Nile"/ルワンダ、昨日の優しさにはもう戻れない
その376 Dag Johan Haugerud&"Barn"/ノルウェーの今、優しさと罪
その377 Tomas Vengris&"Motherland"/母なる土地、リトアニア

リトアニアの裏側にある狂気~Interview with Jurgis Matulevičius

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さて、このサイトでは2010年代に頭角を表し、華麗に映画界へと巣出っていった才能たちを何百人も紹介してきた(もし私の記事に親しんでいないなら、この済藤鉄腸オリジナル、2010年代注目の映画監督ベスト100!!!!!をぜひ読んで欲しい)だが今2010年代は終わりを迎え、2020年代が始まろうとしている。そんな時、私は思った。2020年代にはどんな未来の巨匠が現れるのだろう。その問いは新しいもの好きの私の脳みそを刺激する。2010年代のその先を一刻も早く知りたいとそう思ったのだ。

そんな私は、2010年代に作られた短編作品を多く見始めた。いまだ長編を作る前の、いわば大人になる前の雛のような映画作家の中に未来の巨匠は必ず存在すると思ったのだ。そして作品を観るうち、そんな彼らと今のうちから友人関係になれたらどれだけ素敵なことだろうと思いついた。私は観た短編の監督にFacebookを通じて感想メッセージを毎回送った。無視されるかと思いきや、多くの監督たちがメッセージに返信し、友達申請を受理してくれた。その中には、自国の名作について教えてくれたり、逆に日本の最新映画を教えて欲しいと言ってきた人物もいた。こうして何人かとはかなり親密な関係になった。そこである名案が舞い降りてきた。彼らにインタビューして、日本の皆に彼らの存在、そして彼らが作った映画の存在を伝えるのはどうだろう。そう思った瞬間、躊躇っていたら話は終わってしまうと、私は動き出した。つまり、この記事はその結果である。

2020年代に巣出つだろう未来の巨匠にインタビューをしてみた! 第4回はバルト三国内でも特に存在感を放つリトアニアの新鋭作家Jurgis Matulevičius ユルギス・マトゥレヴィチスに注目!

vimeo.com

済藤鉄腸(以下TS):まず初めに、なぜ映画監督になろうと思ったんですか。そしてどのようにして映画監督になったんですか?

ユルギス・マトゥレヴィチス(以下JM):小さなころから本当に映画を作りたかったんです。何故かというと私はたくさん夢を見るのが好きだったから。自分じゃない誰かになっているのを想像するのが楽しかったんです。映画監督という職業に魅了されたのは、映画の中では自分自身の世界を作れるから、その作られた世界において全ての責任を負えるからです。つまり映画製作というのはこの世界とは別の並行世界に生きるようなものなんです。全てが自分の想像力で作られる世界に。登場人物から衣装、演奏される音楽に紡がれる言葉、そしてカメラの動きまで思いのまま。その全てを一緒に組み上げた時――映画が出来上がる、あなたの思い描いた並行世界の実像が立ち上がる訳です。映画監督になれば、自分の思いをいくらでも反映することが出来る、それが素晴らしいんです。

どう映画監督になったかですか? リトアニア音楽演劇アカデミーで4年間映画製作について学びました。そしてたくさんの映画を観て、他の監督の元で働くこともしました。それから私と友人たちとで映画製作を手助けしあいながら、ここまで来ました。

TS:映画に興味を持ち始めた頃、どんな作品を観ていましたか? その時代にリトアニアではどんな映画を観ることができましたか?

JM:10歳の時でしょうか、1999年くらいから映画に興味を持ち始めました。父がビデオデッキを持ってきて毎週ビデオを借りてくるようになったんです。7,8本は借りてきました。週末にはその中の2,3本を観ていたんです。何本かは子供でも観れるものだったので一緒に観ました。子供には宜しくない作品は学校の後に1人で観ました。時々は病気のフリをして、1日中映画を観ることもありましたね。父はハリウッドの娯楽映画から古典映画に現代映画までどんなものでも観ていました。タルコフスキーフェリーニキム・ギドクベルイマンウォン・カーワイワイダスコセッシキューブリックを一緒に観たのを覚えています。つまり父は何でも観ていて、私に良い映画を見せたいと望んでいた訳です。映画館にも連れて行ってくれました。スターウォーズ「ダイハード」それにタルコフスキー「鏡」も観に行きました。外国映画を観るのは本当に好きでした。運が悪かったのはその全てがロシア語に吹替られていたことです。だから7年経ってから、全てを一気に元の言語で観返しましたー―トレントの時代が来た訳です。この時代が到来した時、1日に映画を2本は観ていました、狂ってたんですね。重要なのは同じように映画が好きなクラスメートを友達に持っていたことです。だから同い年の誰かと観た映画について会話が出来た訳です。卒業後、彼は演技の勉強を始め、自分は大学で歴史を学ぶようになりました。嫉妬しましたね。彼はどんどん映画に詳しくなっていくんですから。だから歴史なんか勉強するのは止めて、映画監督になる勉強を始めました。映画や芸術についての友人との会話の数々こそ、私が長年求めていたものでした。

TS:"Auka"を観るのは、まるで狂人の頭の中を眺めるようなものです。震えるようなカメラワーク、鮮烈な風景、激しい編集……全ての要素がこの印象を強めます。どうしてこのように狂った映画を作りたいと思ったんでしょう?

JM:その頃、私はカフカカミュサルトルブコウスキーと共にフロイトユングの作品を読んでいました。その著作の中で、彼らは狂人の頭の中で何が起こっているのかを描き出そうとしていました。今作の脚本は彼らにインスパイアをされたものであり、登場人物の頭の中にある狂気を描くために必要だった道具も拝借しています。つまり、この作品は今まで読んできた、見てきた、感じてきたものの集合体なんです。同様にギャスパー・ノエや、アンジェイ・ズラウスキラース・フォン・トリアーにも触発されてきました。彼らがいかに登場人物たちの周囲に強烈な空気感を作れるか、いかに深く登場人物たちがその狂気の中から立ち現われるかに感銘を受けてきました。今作はこの問題に対する私の視点なんです。人生において全てを失い、復讐を求める大きな影に脳髄をやられた狂人についての物語なんです。彼は全ての善性のため、人生で経験することのなかった美しさのために復讐を求めています。その象徴が彼の殺した少女である訳です。

TS:今作において印象的だったのはイメージと音の悍ましいまでの交錯です。"Auka"において、患者たちの悲鳴と電車の騒音が狂った光景と重なり、そして不穏な雰囲気が生まれます。どのようにこのイメージと音楽の交錯を構築したのか説明していただけますか?

JM:映画が言葉を持たない時、そこには何か代替物となるものが必要です。だから自分の言いたい全てを描くのに想像力を駆使する際、使えるのは音だけなんです。登場人物を取り囲む雰囲気というものは、物語世界に属する音のようなものです。狂人の肖像画を描こうとした時、彼の思いやトラウマを綴るためにそれとは真逆の音を多く必要としました。今作においては観客を、思惟が互いに絡み合っているあの狂人の頭の中へ投げ込もうと試みた訳です。なので音も同じように絡み合わせようとしました。響かせ、反響させ、重なりをズラしていったんです。この人物がいかに不安定かを見せるために。そしてこの音をすこぶる強烈なジャンプカットの編集、逆転するカメラの動き、軸線のカッティングと組み合わせました。こうしてイメージと音を組み合わせることで、互いに支え合い空気感が持続するように試みたんです。

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TS:"Auka"においては鮮烈な色彩感覚にも感銘を受けました。地下駅の黄色、アパートの深い赤色。この色遣いについて詳しく教えてくれませんか?

JM:当然ですがこの色遣いは意図的です。登場人物の心象風景を誇張して描くためですね。彼はほとんどトリップ状態にある訳です。しかしこれはドラッグによるものではなく、彼の魂に沈んだ悪によるものなんです。彼はそれに対峙するには無力です。だからこの震えるカメラや不規則な構成、そしてこれらの鮮やかで尖鋭な色彩は、狂人がどのように自分の住む世界を見ているかについての私なりの表現なんです。これらの演出と、俳優の演技にジャンプカット多用の編集で以て、狂気に憑りつかれた人物がどのように世界を見ているかを描こうとしたんです。

病院の冷え冷えとした青は死の感覚を表現しています。ダンテが言う所の、悪意に満ち自己中心的な人間たちのいる地獄、その入り口を描きたかったんです。

地下の黄色に関しては、撮影監督のSimonas Glinskis シモナス・グリンスキスがこの色彩は選択に裏打ちされた感情を示していると言ったんです。そこから頭の中に起こる自発的な行動への突発的な興奮が生まれるんです。

アパートの深い赤については情熱、セックス、血液、殺人を示しています。映画において観客は登場人物とともに様々な場所を巡りますが、シーンが進むにつれ赤は濃厚になっていきます。そして最後の場面は信号機の赤に包まれていく訳です。

TS:作品において、あなたは人間性の暗部を鋭く描き続けていますね。この闇に対する執念はどこから来ているのでしょう?

JM:脚本を書いている時、自分はヴィルニスの駅の近くに住んでいました。窓からは通りが見えたんです。毎夜、そこで繰り広げられる騒動を見続けてきました。通りで娼婦が客を誘っていたりするんですが、その背後には墓石を売る店がありました。様々な墓石が外に並べられているんです。その横には24時間経営のリカーショップやバーがあって、看板を輝かせていたり、色とりどりのネオンを発していました。私が好きだったのは夜下に降りて酒を買ったり、あの女性たちが仕事をしたり、車が通り過ぎてゆくところを見たりすることでした。バーに行って意識が曖昧になるまで飲んだり、誰かが娼婦のヒモにボコられるのを眺めたりすることもありました。こうして観察した全ては鮮烈なレーザー光で彩られていました。昼には友人と過ごしていましたが、彼は徐々に正気を失って、病院に収監されることにもなりました。

これは執念という訳ではありません。私は人生を楽しんでます。友人もいるし幸福です。幸福を体験することだって好きです。しかし関心があったり自分を刺激してくれるのはその真逆の事象なんです。映画で以て私は自分自身に、そして観客にこう問いたいんです。なぜ私たちは不幸だと感じるのか、なぜ私たちは残酷になれるのか、なぜ私たちは狂ってしまうのか?

TS:私が最初に観た2作品"Absurdo žmonės""Anima amus"は白黒でしたが、"Auka"はカラー映画でしたね。あなたにとって、白黒映画を作るのとカラー映画を作る違いは一体何なのでしょう?

JM:白黒映画において、登場人物たちは現実から切り離されたようになります。イメージから人生を反映した色彩が取り払われているからです。白黒映像を使うと、劇的な効果を達成したり、色彩の代りに登場人物たちにより近づくことができます。しかしもっと大切なのは白黒は映画を理論的に変えてしまうことです。雰囲気やトーンを形成したり、厳格なコントラストや世界への夢心地な視点を提供してくれます。そうすることで映画がよりリアルに(例えば歴史映画のように)見えると同時に、非現実的にもなっていくんです。"Auka"を撮影している時はメインキャラが狂人だったので、それが観客にもすぐに分かるでしょう。なので彼が見て、理解する世界の方に興味がありました。それ故に登場人物から注意を逸らし、彼を取り囲むものに注意を向けるためにカラーを使ったんです。

TS:あなたの最も好きな作品はアンジェイ・ズラウスキ「ポゼッション」だと聞きました。彼の作品はあなたにどのような影響を与えているでしょう?

JM:ズラウスキの作品を観る度、映画を作るよう触発する何かがあると感じます。脚本執筆から俳優を演出したり編集するまで……彼がテンポやドラマを維持するやり方は素晴らしいです。時にもうどこにも行くべき場所がないように思われる瞬間もありますが、それは端の端、到達点まで来たということです。しかしいつだってそれ以上のものもあるんです。そういう意味で同じ何かを自分たちは共有しているように思われます。私たちが描く人物はいつでも禍々しく不健康な力に憑りつかれ、とても力強いエンジンを以て前へと進んでいくんです。

TS:リトアニア映画界の現状はどういったものでしょう? 外から見れば良いもののように思えます。Giedrė Beinoriūtė ギエルデ・ベイノルーテMarija Kavtaradzė マリア・カヴタラーゼKarolis Kaupinis カロリス・クーピニスなど新たな才能が続々現れています。しかし内側からだと、現在の状況はどのように見えているんでしょう?

JM:いいですよ。あなたが言及したように新しい才能が現れていますからね。この国には異なる映画的言語を語り、様々なテーマを描き出す色々な才能がいます。もうソビエト連邦の一部ではないんです。もちろんソ連時代にも素晴らしい映画作家や脚本家がいて、今でも自分に影響を与えていますけどね。彼らの映画と、あの時代いかに自由を求めて言葉を紡ごうとしたかに感銘を受けます。リトアニア映画界において、全ては光ある未来へ進んでいると言えるでしょう。

TS:日本の映画好きがリトアニア映画史を知りたいと思った時、どのリトアニア映画を観るべきでしょう? その理由も知りたいです。

JM:Vytautas Žalakevičius ヴィタウタス・ジャラケヴィチスAlmantas Grikevičius アルマンタス・グリケヴィチスŠarūnas Bartas シャルナス・バルタスAlgimantas Puipa アルジマンタス・プイパ。彼らの作品は観るべきです。なぜなら彼らこそそれぞれの時代の名匠だからです。

TS:新しい作品を作る計画はありますか? もしそうなら、日本の読者に教えてくれませんか?

JM:今は新しい脚本を執筆中で、初長編である"Isaac"が今年のタリン・ブラックナイツ映画祭でプレミア上映されます。それから"Golden Flask"という短編ドキュメンタリーも完成しました。

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