鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Ivan Ayr&"Soni"/インド、この国で女性として生きるということ

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最近ネット上でキャットコーリングという言葉が話題になった。この言葉は、その人の迷惑も考えずに男性が女性に対して声をかけたりナンパしたりするハラスメント行為を意味している。これらにウンザリしている女性たちは少なくないだろう。そしてそれは日本だけの問題ではなく、世界的な問題だ。今回はこのキャットコーリングなどの迷惑行為を取っ掛かりに、女性の置かれた抑圧的な立場を描き出すインド映画、Ivan Ayr監督作“Soni”を紹介していこう。

Ivan Ayrは1983年にインドのアボハールに生まれた。高等教育を受けるためアメリカに移住、電気工学の学位を取得後、カニャダ・カレッジでは英文学を、サンフランシスコ映画ソサエティーでは脚本執筆と監督業について学んでいた。2014年に短編"Lost & Found"で監督としてデビューを果たし、2015年にはSF作品"Quest for a Different Outcome"を手掛ける。そして2018年には故郷のインドへと戻り、長編デビュー作である"Soni"を完成させる。

深夜、1人の女性が自転車で道を走っている。すると同じく自転車に乗った男がどこからともなく現れ、彼女に並走し始める。彼は女性に声をかけ、しつこく迫っていき、女性は無視を続けるのだが男は動じることがない。痺れを切らしたのか、女性は自転車から下りると、男もまた自転車から下りてナンパを再開する。だが次の瞬間女性の拳が男に直撃、彼が倒れてもなお女性は拳を叩き込んでいく……この冒頭シークエンスは“Soni”という映画の姿勢を、何よりも明確に語っていると言えるだろう。

今作の主人公はその女性ソニ(Geetika Vidya Ohlyan)、彼女は警察官として働いているのだが、近年増加傾向にある犯罪に対してウンザリするような思いを抱いていた。特に先のキャットコーリングなど自分を含めた女性への嫌がらせや犯罪には怒りを燃やしており、彼女はその撲滅に力を入れていたのである。

そんなソニの勤務風景は事件に満ち溢れている。上司であるカルパナ(Saloni Batra)に先日の暴力沙汰を注意されて苛立ちを覚えたかと思えば、仕事場ではとあるアパートの住民が大家に襲われたと訴えておりその処理に頭を悩ませる羽目になる。そして夜に検問を行おうとすると、自分は海軍兵士だと主張する男がソニが女性故に明らかに舐めた態度を取り、彼女の怒りが爆発、再び暴力沙汰を起こすこととなる。そしてその罰によって、ソニは管制室へと左遷されてしまう。

Ayr監督はそんな風景の数々を印象的な長回しによって描き出していく。撮影監督David Bolenのカメラは常にソニの傍らに位置し続けながら、彼女の表情や行動、それに伴う挙手挙動の1つ1つを途切れのない映像で以て追っていくのだ。時間をそのまま切り取っていくその手捌きや灰色に包まれた画面からは、薄暗い空気感やソニの抱える不満と鬱屈が生々しく伝わってくるのだ。

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そこには息詰まるような臨場感も張り詰めている。冒頭における夜道での出来事やレストランの外に設置されたトイレへとソニが向かう場面などにおいて、私たちはソニと共に濁った闇の中を進んでゆくような心地にさせられる。横にいる男がいきなりソニを襲うのではないか、道の角からいきなり何者かが現れてレイプされてしまうのではないか、そんな不穏な空気が常に充満しているが、それは正に女性が日々感じている恐怖と同じものだ。観客はその恐怖をここで追体験することとなる訳である。

そして今作には他にも女性が置かれている抑圧的現状が描かれている。例えば時おり物語はソニの上司であるカルパナの視点に移ることがあるのだが、家族と同居している彼女は母親から30代にもなって結婚していないなんて!と、露骨ではないが言外に仄めかされるような言い方で以て仕事に重点を置く自分の生き方を揶揄される。ソニはソニで、元恋人であるナヴィーン(Vikas Shukla)からしつこく復縁を迫られ、その度にイライラが募っていく。女というだけで生き方を否定されたり男たちに舐められる現状は、ソニたちを確実に疲弊させていく。

それでもこの中に希望があるとするなら、それはソニと上司カルパナとの連帯だろう。仕事上で目をかけたり便宜を図ってくれたりは勿論のこと、プライベートでもカルパナはソニを高級レストランに連れていったり差し入れを届けたりと、何かと甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる。この女性同士の絆は家父長制社会で生き延びるにあたって重要なものであり、輝く希望であることも今作では描かれる。

だがこの作品が題名通りソニの心の奥へと潜行していく時、悲痛な事実も明らかになる。様々な騒動の中でソニは孤独を深めていく。カルパナから救いの手が差し伸べられようとも、彼女はそれを掴むことを躊躇ってしまう。というよりも、彼女は誰かが伸ばしてくれる手をどう掴めばいいのか分からない、そんなこと遠い昔に忘れてしまったとでもいうような様子だ。連帯の可能性は確かに示されながらもその悲哀の中で、彼女は更に孤独を深めていってしまう。

“Soni”は女性がこの世界で生きる上で直面する苦境を、印象的な長回しと途切れることのない臨場感で以て描き出す作品だ。そうして女性同士の連帯の可能性と拭いきれない深い孤独が混じりあいながらも、時は無情にも過ぎ去っていく。

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私の好きな監督・俳優シリーズ
その201 Yared Zeleke&"Lamb"/エチオピア、男らしさじゃなく自分らしさのために
その202 João Viana&"A batalha de Tabatô"/ギニアビサウ、奪われた故郷への帰還
その203 Sithasolwazi Kentane&"Woman Undressed"/ Black African Female Me
その204 Victor Viyuoh&"Ninah's Dowry"/カメルーン、流れる涙と大いなる怒り
その205 Tobias Nölle&"Aloys"/私たちを動かす全ては、頭の中にだけあるの?
その206 Michalina Olszańska&"Já, Olga Hepnarová"/私、オルガ・ヘプナロヴァはお前たちに死刑を宣告する
その207 Agnieszka Smoczynska&"Córki dancingu"/人魚たちは極彩色の愛を泳ぐ
その208 Rosemary Myers&"Girl Asleep"/15歳、吐き気と不安の思春期ファンタジー!
その209 Nanfu Wang&"Hooligan Sparrow"/カメラ、沈黙を切り裂く力
その210 Massoud Bakhshi&"Yek khanévadéh-e mohtaram"/革命と戦争、あの頃失われた何か
その211 Juni Shanaj&"Pharmakon"/アルバニア、誕生の後の救いがたき孤独
その212 済藤鉄腸オリジナル、2010年代注目の映画監督ベスト100!!!!!
その213 アレクサンドラ・ニエンチク&"Centaur"/ボスニア、永遠のごとく引き伸ばされた苦痛
その214 フィリップ・ルザージュ&「僕のまわりにいる悪魔」/悪魔たち、密やかな蠢き
その215 ジョアン・サラヴィザ&"Montanha"/全てはいつの間にか過ぎ去り
その216 Tizza Covi&"Mister Universo"/イタリア、奇跡の男を探し求めて
その217 Sofia Exarchou&"Park"/アテネ、オリンピックが一体何を残した?
その218 ダミアン・マニヴェル&"Le Parc"/愛が枯れ果て、闇が訪れる
その219 カエル・エルス&「サマー・フィーリング」/彼女の死の先にも、人生は続いている
その220 Kazik Radwanski&"How Heavy This Hammer"/カナダ映画界の毛穴に迫れ!
その221 Vladimir Durán&"Adiós entusiasmo"/コロンビア、親子っていうのは何ともかんとも
その222 Paul Negoescu&"O lună în Thailandă"/今の幸せと、ありえたかもしれない幸せと
その223 Anatol Durbală&"Ce lume minunată"/モルドバ、踏み躙られる若き命たち
その224 Jang Woo-jin&"Autumn, Autumn"/でも、幸せって一体どんなだっただろう?
その225 Jérôme Reybaud&"Jours de France"/われらがGrindr世代のフランスよ
その226 Sebastian Mihăilescu&"Apartament interbelic, în zona superbă, ultra-centrală"/ルーマニアと日本、奇妙な交わり
その227 パス・エンシナ&"Ejercicios de memoria"/パラグアイ、この忌まわしき記憶をどう語ればいい?
その228 アリス・ロウ&"Prevenge"/私の赤ちゃんがクソ共をブチ殺せと囁いてる
その229 マッティ・ドゥ&"Dearest Sister"/ラオス、横たわる富と恐怖の溝
その230 アンゲラ・シャーネレク&"Orly"/流れゆく時に、一瞬の輝きを
その231 スヴェン・タディッケン&「熟れた快楽」/神の消失に、性の荒野へと
その232 Asaph Polonsky&"One Week and a Day"/イスラエル、哀しみと真心のマリファナ
その233 Syllas Tzoumerkas&"A blast"/ギリシャ、激発へと至る怒り
その234 Ektoras Lygizos&"Boy eating the bird's food"/日常という名の奇妙なる身体性
その235 Eloy Domínguez Serén&"Ingen ko på isen"/スウェーデン、僕の生きる場所
その236 Emmanuel Gras&"Makala"/コンゴ、夢のために歩き続けて
その237 ベロニカ・リナス&「ドッグ・レディ」/そして、犬になる
その238 ルクサンドラ・ゼニデ&「テキールの奇跡」/奇跡は這いずる泥の奥から
その239 Milagros Mumenthaler&"La idea de un lago"/湖に揺らめく記憶たちについて
その240 アッティラ・ティル&「ヒットマン:インポッシブル」/ハンガリー、これが僕たちの物語
その241 Vallo Toomla&"Teesklejad"/エストニア、ガラスの奥の虚栄
その242 Ali Abbasi&"Shelly"/この赤ちゃんが、私を殺す
その243 Grigor Lefterov&"Hristo"/ソフィア、薄紫と錆色の街
その244 Bujar Alimani&"Amnestia"/アルバニア、静かなる激動の中で
その245 Livia Ungur&"Hotel Dallas"/ダラスとルーマニアの奇妙な愛憎
その246 Edualdo Williams&"El auge del humano"/うつむく世代の生温き黙示録
その247 Ralitza Petrova&"Godless"/神なき後に、贖罪の歌声を
その248 Ben Young&"Hounds of Love"/オーストラリア、愛のケダモノたち
その249 Izer Aliu&"Hunting Flies"/マケドニア、巻き起こる教室戦争
その250 Ana Urushadze&"Scary Mother"/ジョージア、とある怪物の肖像
その251 Ilian Metev&"3/4"/一緒に過ごす最後の夏のこと
その252 Cyril Schäublin&"Dene wos guet geit"/Wi-Fi スマートフォン ディストピア
その253 Alena Lodkina&"Strange Colours"/オーストラリア、かけがえのない大地で
その254 Kevan Funk&"Hello Destroyer"/カナダ、スポーツという名の暴力
その255 Katarzyna Rosłaniec&"Szatan kazał tańczyć"/私は負け犬になるため生まれてきたんだ
その256 Darío Mascambroni&"Mochila de plomo"/お前がぼくの父さんを殺したんだ
その257 ヴィルジル・ヴェルニエ&"Sophia Antipolis"/ソフィア・アンティポリスという名の少女
その258 Matthieu Bareyre&“l’Epoque”/パリ、この夜は私たちのもの
その259 André Novais Oliveira&"Temporada"/止まることない愛おしい時の流れ
その260 Xacio Baño&"Trote"/ガリシア、人生を愛おしむ手つき
その261 Joshua Magar&"Siyabonga"/南アフリカ、ああ俳優になりたいなぁ
その262 Ognjen Glavonić&"Dubina dva"/トラックの棺、肉体に埋まる銃弾
その263 Nelson Carlo de Los Santos Arias&"Cocote"/ドミニカ共和国、この大いなる国よ
その264 Arí Maniel Cruz&"Antes Que Cante El Gallo"/プエルトリコ、貧しさこそが彼女たちを
その265 Farnoosh Samadi&"Gaze"/イラン、私を追い続ける視線
その266 Alireza Khatami&"Los Versos del Olvido"/チリ、鯨は失われた過去を夢見る
その267 Nicole Vögele&"打烊時間"/台湾、眠らない街 眠らない人々
その268 Ashley McKenzie&"Werewolf"/あなたしかいないから、彷徨い続けて
その269 エミール・バイガジン&"Ranenyy angel"/カザフスタン、希望も未来も全ては潰える
その270 Adriaan Ditvoorst&"De witte waan"/オランダ映画界、悲運の異端児
その271 ヤン・P・マトゥシンスキ&「最後の家族」/おめでとう、ベクシンスキー
その272 Liryc Paolo Dela Cruz&"Sa pagitan ng pagdalaw at paglimot"/フィリピン、世界があなたを忘れ去ろうとも
その273 ババク・アンバリ&「アンダー・ザ・シャドウ」/イラン、母という名の影
その274 Vlado Škafar&"Mama"/スロヴェニア、母と娘は自然に抱かれて
その275 Salomé Jashi&"The Dazzling Light of Sunset"/ジョージア、ささやかな日常は世界を映す
その276 Gürcan Keltek&"Meteorlar"/クルド、廃墟の頭上に輝く流れ星
その277 Filipa Reis&"Djon África"/カーボベルデ、自分探しの旅へ出かけよう!
その278 Travis Wilkerson&"Did You Wonder Who Fired the Gun?"/その"白"がアメリカを燃やし尽くす
その279 Mariano González&"Los globos"/父と息子、そこに絆はあるのか?
その280 Tonie van der Merwe&"Revenge"/黒人たちよ、アパルトヘイトを撃ち抜け!
その281 Bodzsár Márk&"Isteni müszak"/ブダペスト、夜を駆ける血まみれ救急車
その282 Winston DeGiobbi&"Mass for Shut-Ins"/ノヴァスコシア、どこまでも広がる荒廃
その283 パスカル・セルヴォ&「ユーグ」/身も心も裸になっていけ!
その284 Ana Cristina Barragán&"Alba"/エクアドル、変わりゆくわたしの身体を知ること
その285 Kyros Papavassiliou&"Impressions of a Drowned Man"/死してなお彷徨う者の詩
その286 未公開映画を鑑賞できるサイトはどこ?日本からも観られる海外配信サイト6選!
その287 Kaouther Ben Hania&"Beauty and the Dogs"/お前はこの国を、この美しいチュニジアを愛してるか?
その288 Chloé Robichaud&"Pays"/彼女たちの人生が交わるその時に
その289 Kantemir Balagov&"Closeness"/家族という名の絆と呪い
その290 Aleksandr Khant&"How Viktor 'the Garlic' Took Alexey 'the Stud' to the Nursing Home"/オトンとオレと、時々、ロシア
その291 Ivan I. Tverdovsky&"Zoology"/ロシア、尻尾に芽生える愛と闇
その292 Emre Yeksan&"Yuva"/兄と弟、山の奥底で
その293 Szőcs Petra&"Deva"/ルーマニアとハンガリーが交わる場所で
その294 Flávia Castro&"Deslemblo"/喪失から紡がれる"私"の物語
その295 Mahmut Fazil Coşkun&"Anons"/トルコ、クーデターの裏側で
その296 Sofia Bohdanowicz&"Maison du bonheur"/老いることも、また1つの喜び
その297 Gastón Solnicki&"Introduzione all'oscuro"/死者に捧げるポストカード

リン・シェルトン&「ラブ・トライアングル」/三角関係、僕と君たち

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リン・シェルトン&"We Go Way Back"/23歳の私、あなたは今どうしてる?
リン・シェルトン&"My Effortless Brilliance"/2人の男、曖昧な感情の中で
リン・シェルトン&"Humpday"/俺たちの友情って一体何なんだ?
リン・シェルトン&「不都合な自由」/20年の後の、再びの出会いは
リン・シェルトンの経歴および長編作についてはこちらの記事参照

さて“Humpday”の成功後、リン・シェルトン監督はマークらデュプラス兄弟との親交を更に深めていく。そんな時、“Humpday”とは逆に彼女は2人からある物語の構想について相談されることとなる。その時のことについて彼女はインタビューでこう答えている。“マークが私の元にやってきて、兄弟を亡くした男を描く映画についての構想が自分たちにはあるんだと言ってきました。ですが自分たち兄弟にとってはその構想が余りに近すぎて……という。それでも彼はアイデアを気に入っていたので、私に電話してきた訳です。私もプロットは良いと思いました(中略)それでマークと私はどう協力しあえるか探っていきました” *1そしてマークとシェルトンは共同2作目である“Your Sister’s Sister”aka「ラブ・トライアングル」を完成させる。

今作の主人公であるジャック(「彼女はパートタイム・トラベラー」マーク・デュプラス)は弟を亡くしたその日から、傷心の日々が続いていた。そんなある日、彼は親友のアイリス(「ウォリアークイーン」エミリー・ブラント)からある申し出を受ける。自身の家族が所有している孤島のコテージで一人になりゆっくり休養しないかとの申し出だ。ジャックはそれを受け入れ、その孤島へと赴くこととなる。

だがコテージには先客がいた。アイリスの姉であるハンナ(「エイリアン バスターズ」ローズマリー・デウィット)だ。最初は互いに不信感を抱きながらも、一緒に酒を飲み交わしながらハンナが同性の恋人と別れただとかそんなことを話すうちに意気投合、更にはその勢いで一夜を共にしてしまう。だが翌日、コテージへ何も知らないアイリスが訪問してきて……

「ラブ・トライアングル」はシェルトン作品の十八番である会話劇を洗練させることで生まれた作品と言っていいだろう。2人が酒を飲み交わす時の和気藹々たる雰囲気、姉妹の久し振りの再会ながらジャックたちが秘密を隠している故にどことなくぎこちなくなる雰囲気。監督は撮影監督のベンジャミン・カサルキーと共に、人と人との対話を丁寧に切り取っていき、その間に満ちる空気感をも繊細に捉えていくのだ。

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そして前作から更に洗練されたと言っていいだろう点は、映し出される登場人物の心の機微の精度だ。以前はもっと手振れ感が濃厚でありそれは登場人物と彼らを取り巻く空気感を荒くも生々しい手つきで掬い取ってきていたが、今回はカメラのクオリティが上がった故か、カサルキーは手振れを封印してドッシリとした面持ちで以て登場人物たちを見据えることとなる。クロースアップで表情を映す時に浮かぶジャックの笑みやハンナの当惑、アイリスの驚き、そしてそこに付随する目や口の動き、表情の移り変わり。そういった些細なものがよりハッキリと見えてくるのだ、そんな細部にこそ神は宿るのだとでも言う風に。

その中で薄皮が1枚ずつ剥がれていくように、登場人物たちの心が明らかになっていく。アイリスは実はジャックのことが好きなのだが関係性が余りにも近すぎて告白するにはもう遅いのではないか?と半ばあきらめ状態になっていたりする。そしてハンナは恋人との別れの後、ここから自分自身の人生を歩んでいきたいとそのために子供が欲しいと思っているのが明らかになっていく。

ここにおいて重要となる要素が、マンブルコア映画としてはやはりというべきか、セックスなのである。マンブルコア総括記事にも記したことだが、肉体性を重んじるマンブルコアにおいては肉体が最も密接に関わる日常の行為であるセックスは欠かせない要素だ。そしてそれが良い意味でも悪い意味でも関係性に激震を巻き起こす訳だが、今作はその正にお手本のような映画であり、冒頭におけるセックスが後の展開にひと悶着を生じさせるのだ。

シェルトン監督は俳優に対して常に全幅の信頼を置きながら映画を組み立てていくが、今作においてはより一層俳優たちの輝きが増していると言っていいだろう。アイリスを演じるエミリー・ブラントは快活な性格の中に癒せない寂しさや脆さを持つ女性役を巧みにこなし、ハンナを演じるローズマリー・デウィット(撮影3日前に女優が降板した故のピンチヒッターが彼女だったという)は人生経験豊富という雰囲気を湛えながらも実は少々幼くて危うい側面を持っているという複雑な女性を上手く演じている。

だが「ラブ・トライアングル」の中心になる人物はジャックに他ならない。彼を演じるマーク・デュプラス“Humpday”からの連続登板であり、シェルトン監督と息の合い方は抜群だ。どこにでもいる気のいい平凡な兄ちゃん役をやらせたら右に出る者なしのポテンシャルを存分に生かしている。そんな時のデュプラスは場を不思議と和ませ、気さくな笑顔で観客を映画世界へと引き込んでいくのだ(時々はその平凡さを逆に利用し、気色悪い人物を演じることもあるが)今回もこの雰囲気で以て、三角関係の中心として2人を奇妙な形で惹き付けていく。

「ラブ・トライアングル」は頗る繊細に描かれた三角形の愛のついての作品だ。三角関係はマンブルコアに頻出のテーマであり、それを描く代表的存在であるバジャルスキーの場合には明け透けで身も蓋もないものになっていただろうが、彼女はリアルかつ温もりある筆致で以てそれを描き出している。そして三角関係の行く末も、こんな着地点があってもいいじゃないかとばかり暖かな余韻が満ちる、シェルトンにしか成せないものとなっている。

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結局マンブルコアって何だったんだ?
その1 アーロン・カッツ&"Dance Party, USA"/レイプカルチャー、USA
その2 ライ・ルッソ=ヤング&"You Wont Miss Me"/23歳の記憶は万華鏡のように
その3 アーロン・カッツ&"Quiet City"/つかの間、オレンジ色のときめきを
その4 ジョー・スワンバーグ&"Silver Bullets"/マンブルコアの重鎮、その全貌を追う!
その5 ケイト・リン・シャイル&"Empire Builder"/米インディー界、後ろ向きの女王
その6 ジョー・スワンバーグ&"Kissing on the Mouth"/私たちの若さはどこへ行くのだろう
その7 ジョー・スワンバーグ&"Marriage Material"/誰かと共に生きていくことのままならさ
その8 ジョー・スワンバーグ&"Nights and Weekends"/さよなら、さよならグレタ・ガーウィグ
その9 ジョー・スワンバーグ&"Alexander the Last"/誰かと生きるのは辛いけど、でも……
その10 ジョー・スワンバーグ&"The Zone"/マンブルコア界の変態王頂上決戦
その11 ジョー・スワンバーグ&"Private Settings"/変態ボーイ meets ド変態ガール
その12 アンドリュー・ブジャルスキー&"Funny Ha Ha"/マンブルコアって、まあ……何かこんなん、うん、だよね
その13 アンドリュー・ブジャルスキー&"Mutual Appreciation"/そしてマンブルコアが幕を開ける
その14 ケンタッカー・オードリー&"Team Picture"/口ごもる若き世代の逃避と不安
その15 アンドリュー・ブジャルスキー&"Beeswax"/次に俺の作品をマンブルコアって言ったらブチ殺すぞ
その16 エイミー・サイメッツ&"Sun Don't Shine"/私はただ人魚のように泳いでいたいだけ
その17 ケンタッカー・オードリー&"Open Five"/メンフィス、アイ・ラブ・ユー
その18 ケンタッカー・オードリー&"Open Five 2"/才能のない奴はインディー映画作るの止めろ!
その19 デュプラス兄弟&"The Puffy Chair"/ボロボロのソファー、ボロボロの3人
その20 マーサ・スティーブンス&"Pilgrim Song"/中年ダメ男は自分探しに山を行く
その21 デュプラス兄弟&"Baghead"/山小屋ホラーで愛憎すったもんだ
その22 ジョー・スワンバーグ&"24 Exposures"/テン年代に蘇る90's底抜け猟奇殺人映画
その23 マンブルコアの黎明に消えた幻 "Four Eyed Monsters"
その24 リチャード・リンクレイター&"ROS"/米インディー界の巨人、マンブルコアに(ちょっと)接近!
その25 リチャード・リンクレイター&"Slacker"/90年代の幕開け、怠け者たちの黙示録
その26 リチャード・リンクレイター&"It’s Impossible to Learn to Plow by Reading Books"/本を読むより映画を1本完成させよう
その27 ネイサン・シルヴァー&「エレナ出口」/善意の居たたまれない行く末
その28 ネイサン・シルヴァー&"Soft in the Head"/食卓は言葉の弾丸飛び交う戦場
その29 ネイサン・シルヴァー&"Uncertain Terms"/アメリカに広がる"水面下の不穏"
その30 ネイサン・シルヴァー&"Stinking Heaven"/90年代の粒子に浮かび上がるカオス
その31 ジョセフィン・デッカー&"Art History"/セックス、繋がりであり断絶であり
その32 ジョセフィン・デッカー&"Butter on the Latch"/森に潜む混沌の夢々
その33 ケント・オズボーン&"Uncle Kent"/友達っていうのは、恋人っていうのは
その34 ジョー・スワンバーグ&"LOL"/繋がり続ける世代を苛む"男らしさ"
その35 リン・シェルトン&"We Go Way Back"/23歳の私、あなたは今どうしてる?
その36 ジョー・スワンバーグ&「ハッピー・クリスマス」/スワンバーグ、新たな可能性に試行錯誤の巻
その37 タイ・ウェスト&"The Roost"/恐怖!コウモリゾンビ、闇からの襲撃!
その38 タイ・ウェスト&"Trigger Man"/狩人たちは暴力の引鉄を引く
その39 アダム・ウィンガード&"Home Sick"/初期衝動、血飛沫と共に大爆裂!
その40 タイ・ウェスト&"The House of the Devil"/再現される80年代、幕を開けるテン年代
その41 ジョー・スワンバーグ&"Caitlin Plays Herself"/私を演じる、抽象画を描く
その42 タイ・ウェスト&「インキーパーズ」/ミレニアル世代の幽霊屋敷探検
その43 アダム・ウィンガード&"Pop Skull"/ポケモンショック、待望の映画化
その44 リン・シェルトン&"My Effortless Brilliance"/2人の男、曖昧な感情の中で
その45 ジョー・スワンバーグ&"Autoerotic"/オナニーにまつわる4つの変態小噺
その46 ジョー・スワンバーグ&"All the Light in the Sky"/過ぎゆく時間の愛おしさについて
その47 ジョー・スワンバーグ&「ドリンキング・バディーズ」/友情と愛情の狭間、曖昧な何か
その48 タイ・ウェスト&「サクラメント 死の楽園」/泡を吹け!マンブルコア大遠足会!
その49 タイ・ウェスト&"In a Valley of Violence"/暴力の谷、蘇る西部
その50 ジョー・スワンバーグ&「ハンナだけど、生きていく!」/マンブルコア、ここに極まれり!
その51 ジョー・スワンバーグ&「新しい夫婦の見つけ方」/人生、そう単純なものなんかじゃない
その52 ソフィア・タカール&"Green"/男たちを求め、男たちから逃れ難く
その53 ローレンス・マイケル・レヴィーン&"Wild Canaries"/ヒップスターのブルックリン探偵物語!
その54 ジョー・スワンバーグ&「ギャンブラー」/欲に負かされ それでも一歩一歩進んで
その55 フランク・V・ロス&"Quietly on By"/ニートと出口の見えない狂気
その56 フランク・V・ロス&"Hohokam"/愛してるから、傷つけあって
その57 フランク・V・ロス&"Present Company"/離れられないまま、傷つけあって
その58 フランク・V・ロス&"Audrey the Trainwreck"/最後にはいつもクソみたいな気分
その59 フランク・V・ロス&"Tiger Tail in Blue"/幻のほどける時、やってくる愛は……
その60 フランク・V・ロス&"Bloomin Mud Shuffle"/愛してるから、分かり合えない
その61 E.L.カッツ&「スモール・クライム」/惨めにチンケに墜ちてくヤツら
その62 サフディ兄弟&"The Ralph Handel Story”/ニューヨーク、根無し草たちの孤独
その63 サフディ兄弟&"The Pleasure of Being Robbed"/ニューヨーク、路傍を駆け抜ける詩
その64 サフディ兄弟&"Daddy Longlegs"/この映画を僕たちの父さんに捧ぐ
その65 サフディ兄弟&"The Black Baloon"/ニューヨーク、光と闇と黒い風船と
その66 サフディ兄弟&「神様なんかくそくらえ」/ニューヨーク、這いずり生きる奴ら
その67 ライ・ルッソ=ヤング&"Nobody Walks"/誰もが変わる、色とりどりの響きと共に
その68 ソフィア・タカール&「ブラック・ビューティー」/あなたが憎い、あなたになりたい
その69 アンドリュー・バジャルスキー&"Computer Chess"/テクノロジーの気まずい過渡期に
その70 アンドリュー・バジャルスキー&「成果」/おかしなおかしな三角関係
その71 結局マンブルコアって何だったんだ?(作品リスト付き)
その72 リン・シェルトン&"Humpday"/俺たちの友情って一体何なんだ?
その73 リン・シェルトン&「不都合な自由」/20年の後の、再びの出会いは

Gastón Solnicki&"Introduzione all'oscuro"/死者に捧げるポストカード

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皆さんはHans Hurchという人物を知っているだろうか。彼はオーストリア出身の映画ジャーナリスト兼ウィーン国際映画祭のアーティスティック・ディレクターも務めた人物だった。更に彼はドイツを拠点に活躍した偉大なる作家コンビであるストローブ=ユイレの作品製作にも携わっており、ドイツ語圏映画界に多大なる貢献を果たした。惜しくも65歳の若さでこの世を去ったが、彼の影響はとても大きく、今にもそれは受け継がれている。さて今回はそんな彼にこそ捧げられるべき一作である、Gastón Solnicki監督作“Introduzione all'oscuro”を紹介していこう。

Gastón Solnickiは1978年アルゼンチンのブエノスアイレスに生まれた。国際写真センターとニューヨーク大学ティシュ・スクール・オブ・アーツで映画について学んでいた。デビュー長編の"Süden"はアルゼンチンのユダヤ系作曲家マウリシオ・カーゲルを描いた作品だった。2011年には"Papirosen"を監督、Solnicki自身の家族史を通じてユダヤ人が辿った歴史を浮き彫りにする1作で、ブエノスアイレス国際インディペンデント映画祭(BAFICI)で最優秀アルゼンチン映画賞を獲得する。2016年には初の劇長編である"Kékszakállú"を製作、バルトーク・ベーラの作曲したオペラ「青ひげ公の城」を元にした今作は、アルゼンチンの中産階級に属する少女たちの倦怠と停滞を描き出した作品で、ヴェネチア国際映画祭で国際批評家連盟賞(FIPRESCI Award)を獲得するなど広く話題になる。そして2018年、新作ドキュメンタリー"Introduzione all'oscuro"を監督する。

この作品を手掛けたSolnicki監督はHurchと長年の友人関係であった。彼とはメールを使わずに、手紙やポストカードを送り合いながら互いの近況を伝えあうという古きよき交流を続けていたのである。しかし2017年に彼が死んだ後、その事実に衝撃を受けた監督は、Hurchが人生を謳歌していたウィーンの街へと向かうことになる。

ウィーンの風景は美しく芸術的で、しかも趣深いものだ。霧の濃厚な路地に立ち並ぶ車の列、大きく開かれたトンネルに満ち渡る黒々しい闇、人々が自由に滑るのを楽しんでいるスケート場の純白、聖性を湛えた石像が多く立ち並ぶ墓地、その全てが崇高というべき雰囲気を纏っていることに、観客はすぐさま気づくだろう。

そんなウィーンでSolnicki監督はHunchの生きていた軌跡を追っていく。彼の手紙の筆跡から使っていた万年筆を探し当てたり、彼が生前好んでいたという絵画を見学しに行く。そして正装で以て、Hunchの墓標へと赴き、彼の死に思いを馳せる。そんなSolnicki監督の姿は聖地をめぐる聖職者のような面持ちを浮かべている。

更に彼はHunchが愛しただろうウィーンの芸術の都としての真髄をも味あわんとする。Solnicki監督は服を作るために布を裁断する女性の姿や、奇妙な歪みを主体とする現代音楽を奏でるオーケストラの練習風景を撮影監督のとRui Poçasと共に捉えていく。更に監督自身が慣れた手つきでピアノを演奏し、傍らの女性と流暢な英語で以てそのピアノについて語るのだ。そんな芸術に携わる人々の姿はウィーンの街並みと同様に崇高なものであり、私たちは襟を正さざるを得なくなるのだ。

今作にはピアノを巧みに弾いてみせた監督の芸術への造詣深さがに裏打ちされた美しさに満ち満ちている。ショットの構図は完璧に計算されたものであり、日常の風景にも芸術が生まれる光景にも観る者に等しく畏敬の念を抱かせるほど完成されている。その1つ1つは絵画然としてHurchが監督に送ってくるポストカードに載った美しい風景そのものであり、まるで天国にいる彼へとSolnicki監督が返礼を送り返しているように思われてくる。つまり“Introduzione all'oscuro”とはウィーンという都市に捧げられるラブレターであり、Hans Hurchという偉大なる人物に捧げられる哀歌でもあるのだ。

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アルゼンチン映画界を駆け抜けろ!
その1 ナタリー・クリストィアーニ&"Nicola Costantino: La Artefacta"/アルゼンチン、人間石鹸、肉体という他人
その2 Lukas Valenta Rinner &"Parabellum"/世界は終わるのか、終わらないのか
その3 Julia Solomonoff &"El último verano de la Boyita"/わたしのからだ、あなたのからだ
その4 Benjamín Naishtat&"Historia del Miedo"/アルゼンチン、世界に連なる恐怖の系譜
その5 Jazmín López&"Leones"/アルゼンチン、魂の群れは緑の聖域をさまよう
その6 Nele Wohlatz&"El futuro perfecto"/新しい言葉を知る、新しい"私"と出会う
その7 Sofía Brockenshire&"Una hermana"/あなたがいない、私も消え去りたい
その8 ベロニカ・リナス&「ドッグ・レディ」/そして、犬になる
その9 Eduardo Williams&"Pude ver un puma"/世界の終りに世界の果てへと
その10 Edualdo Williams&"El auge del humano"/うつむく世代の生温き黙示録
その11 Darío Mascambroni&"Mochila de plomo"/お前がぼくの父さんを殺したんだ
その12 Mariano González&"Los globos"/父と息子、そこに絆はあるのか?
その13 Mariano González&"Los globos"/父と息子、そこに絆はあるのか?
その14 Gastón Solnicki&"Introduzione all'oscuro"/死者に捧げるポストカード

私の好きな監督・俳優シリーズ
その201 Yared Zeleke&"Lamb"/エチオピア、男らしさじゃなく自分らしさのために
その202 João Viana&"A batalha de Tabatô"/ギニアビサウ、奪われた故郷への帰還
その203 Sithasolwazi Kentane&"Woman Undressed"/ Black African Female Me
その204 Victor Viyuoh&"Ninah's Dowry"/カメルーン、流れる涙と大いなる怒り
その205 Tobias Nölle&"Aloys"/私たちを動かす全ては、頭の中にだけあるの?
その206 Michalina Olszańska&"Já, Olga Hepnarová"/私、オルガ・ヘプナロヴァはお前たちに死刑を宣告する
その207 Agnieszka Smoczynska&"Córki dancingu"/人魚たちは極彩色の愛を泳ぐ
その208 Rosemary Myers&"Girl Asleep"/15歳、吐き気と不安の思春期ファンタジー!
その209 Nanfu Wang&"Hooligan Sparrow"/カメラ、沈黙を切り裂く力
その210 Massoud Bakhshi&"Yek khanévadéh-e mohtaram"/革命と戦争、あの頃失われた何か
その211 Juni Shanaj&"Pharmakon"/アルバニア、誕生の後の救いがたき孤独
その212 済藤鉄腸オリジナル、2010年代注目の映画監督ベスト100!!!!!
その213 アレクサンドラ・ニエンチク&"Centaur"/ボスニア、永遠のごとく引き伸ばされた苦痛
その214 フィリップ・ルザージュ&「僕のまわりにいる悪魔」/悪魔たち、密やかな蠢き
その215 ジョアン・サラヴィザ&"Montanha"/全てはいつの間にか過ぎ去り
その216 Tizza Covi&"Mister Universo"/イタリア、奇跡の男を探し求めて
その217 Sofia Exarchou&"Park"/アテネ、オリンピックが一体何を残した?
その218 ダミアン・マニヴェル&"Le Parc"/愛が枯れ果て、闇が訪れる
その219 カエル・エルス&「サマー・フィーリング」/彼女の死の先にも、人生は続いている
その220 Kazik Radwanski&"How Heavy This Hammer"/カナダ映画界の毛穴に迫れ!
その221 Vladimir Durán&"Adiós entusiasmo"/コロンビア、親子っていうのは何ともかんとも
その222 Paul Negoescu&"O lună în Thailandă"/今の幸せと、ありえたかもしれない幸せと
その223 Anatol Durbală&"Ce lume minunată"/モルドバ、踏み躙られる若き命たち
その224 Jang Woo-jin&"Autumn, Autumn"/でも、幸せって一体どんなだっただろう?
その225 Jérôme Reybaud&"Jours de France"/われらがGrindr世代のフランスよ
その226 Sebastian Mihăilescu&"Apartament interbelic, în zona superbă, ultra-centrală"/ルーマニアと日本、奇妙な交わり
その227 パス・エンシナ&"Ejercicios de memoria"/パラグアイ、この忌まわしき記憶をどう語ればいい?
その228 アリス・ロウ&"Prevenge"/私の赤ちゃんがクソ共をブチ殺せと囁いてる
その229 マッティ・ドゥ&"Dearest Sister"/ラオス、横たわる富と恐怖の溝
その230 アンゲラ・シャーネレク&"Orly"/流れゆく時に、一瞬の輝きを
その231 スヴェン・タディッケン&「熟れた快楽」/神の消失に、性の荒野へと
その232 Asaph Polonsky&"One Week and a Day"/イスラエル、哀しみと真心のマリファナ
その233 Syllas Tzoumerkas&"A blast"/ギリシャ、激発へと至る怒り
その234 Ektoras Lygizos&"Boy eating the bird's food"/日常という名の奇妙なる身体性
その235 Eloy Domínguez Serén&"Ingen ko på isen"/スウェーデン、僕の生きる場所
その236 Emmanuel Gras&"Makala"/コンゴ、夢のために歩き続けて
その237 ベロニカ・リナス&「ドッグ・レディ」/そして、犬になる
その238 ルクサンドラ・ゼニデ&「テキールの奇跡」/奇跡は這いずる泥の奥から
その239 Milagros Mumenthaler&"La idea de un lago"/湖に揺らめく記憶たちについて
その240 アッティラ・ティル&「ヒットマン:インポッシブル」/ハンガリー、これが僕たちの物語
その241 Vallo Toomla&"Teesklejad"/エストニア、ガラスの奥の虚栄
その242 Ali Abbasi&"Shelly"/この赤ちゃんが、私を殺す
その243 Grigor Lefterov&"Hristo"/ソフィア、薄紫と錆色の街
その244 Bujar Alimani&"Amnestia"/アルバニア、静かなる激動の中で
その245 Livia Ungur&"Hotel Dallas"/ダラスとルーマニアの奇妙な愛憎
その246 Edualdo Williams&"El auge del humano"/うつむく世代の生温き黙示録
その247 Ralitza Petrova&"Godless"/神なき後に、贖罪の歌声を
その248 Ben Young&"Hounds of Love"/オーストラリア、愛のケダモノたち
その249 Izer Aliu&"Hunting Flies"/マケドニア、巻き起こる教室戦争
その250 Ana Urushadze&"Scary Mother"/ジョージア、とある怪物の肖像
その251 Ilian Metev&"3/4"/一緒に過ごす最後の夏のこと
その252 Cyril Schäublin&"Dene wos guet geit"/Wi-Fi スマートフォン ディストピア
その253 Alena Lodkina&"Strange Colours"/オーストラリア、かけがえのない大地で
その254 Kevan Funk&"Hello Destroyer"/カナダ、スポーツという名の暴力
その255 Katarzyna Rosłaniec&"Szatan kazał tańczyć"/私は負け犬になるため生まれてきたんだ
その256 Darío Mascambroni&"Mochila de plomo"/お前がぼくの父さんを殺したんだ
その257 ヴィルジル・ヴェルニエ&"Sophia Antipolis"/ソフィア・アンティポリスという名の少女
その258 Matthieu Bareyre&“l’Epoque”/パリ、この夜は私たちのもの
その259 André Novais Oliveira&"Temporada"/止まることない愛おしい時の流れ
その260 Xacio Baño&"Trote"/ガリシア、人生を愛おしむ手つき
その261 Joshua Magar&"Siyabonga"/南アフリカ、ああ俳優になりたいなぁ
その262 Ognjen Glavonić&"Dubina dva"/トラックの棺、肉体に埋まる銃弾
その263 Nelson Carlo de Los Santos Arias&"Cocote"/ドミニカ共和国、この大いなる国よ
その264 Arí Maniel Cruz&"Antes Que Cante El Gallo"/プエルトリコ、貧しさこそが彼女たちを
その265 Farnoosh Samadi&"Gaze"/イラン、私を追い続ける視線
その266 Alireza Khatami&"Los Versos del Olvido"/チリ、鯨は失われた過去を夢見る
その267 Nicole Vögele&"打烊時間"/台湾、眠らない街 眠らない人々
その268 Ashley McKenzie&"Werewolf"/あなたしかいないから、彷徨い続けて
その269 エミール・バイガジン&"Ranenyy angel"/カザフスタン、希望も未来も全ては潰える
その270 Adriaan Ditvoorst&"De witte waan"/オランダ映画界、悲運の異端児
その271 ヤン・P・マトゥシンスキ&「最後の家族」/おめでとう、ベクシンスキー
その272 Liryc Paolo Dela Cruz&"Sa pagitan ng pagdalaw at paglimot"/フィリピン、世界があなたを忘れ去ろうとも
その273 ババク・アンバリ&「アンダー・ザ・シャドウ」/イラン、母という名の影
その274 Vlado Škafar&"Mama"/スロヴェニア、母と娘は自然に抱かれて
その275 Salomé Jashi&"The Dazzling Light of Sunset"/ジョージア、ささやかな日常は世界を映す
その276 Gürcan Keltek&"Meteorlar"/クルド、廃墟の頭上に輝く流れ星
その277 Filipa Reis&"Djon África"/カーボベルデ、自分探しの旅へ出かけよう!
その278 Travis Wilkerson&"Did You Wonder Who Fired the Gun?"/その"白"がアメリカを燃やし尽くす
その279 Mariano González&"Los globos"/父と息子、そこに絆はあるのか?
その280 Tonie van der Merwe&"Revenge"/黒人たちよ、アパルトヘイトを撃ち抜け!
その281 Bodzsár Márk&"Isteni müszak"/ブダペスト、夜を駆ける血まみれ救急車
その282 Winston DeGiobbi&"Mass for Shut-Ins"/ノヴァスコシア、どこまでも広がる荒廃
その283 パスカル・セルヴォ&「ユーグ」/身も心も裸になっていけ!
その284 Ana Cristina Barragán&"Alba"/エクアドル、変わりゆくわたしの身体を知ること
その285 Kyros Papavassiliou&"Impressions of a Drowned Man"/死してなお彷徨う者の詩
その286 未公開映画を鑑賞できるサイトはどこ?日本からも観られる海外配信サイト6選!
その287 Kaouther Ben Hania&"Beauty and the Dogs"/お前はこの国を、この美しいチュニジアを愛してるか?
その288 Chloé Robichaud&"Pays"/彼女たちの人生が交わるその時に
その289 Kantemir Balagov&"Closeness"/家族という名の絆と呪い
その290 Aleksandr Khant&"How Viktor 'the Garlic' Took Alexey 'the Stud' to the Nursing Home"/オトンとオレと、時々、ロシア
その291 Ivan I. Tverdovsky&"Zoology"/ロシア、尻尾に芽生える愛と闇
その292 Emre Yeksan&"Yuva"/兄と弟、山の奥底で
その293 Szőcs Petra&"Deva"/ルーマニアとハンガリーが交わる場所で
その294 Flávia Castro&"Deslemblo"/喪失から紡がれる"私"の物語
その295 Mahmut Fazil Coşkun&"Anons"/トルコ、クーデターの裏側で
その296 Sofia Bohdanowicz&"Maison du bonheur"/老いることも、また1つの喜び
その297 Gastón Solnicki&"Introduzione all'oscuro"/死者に捧げるポストカード

リン・シェルトン&「不都合な自由」/20年の後の、再びの出会いは

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リン・シェルトン&"We Go Way Back"/23歳の私、あなたは今どうしてる?
リン・シェルトン&"My Effortless Brilliance"/2人の男、曖昧な感情の中で
リン・シェルトン&"Humpday"/俺たちの友情って一体何なんだ?
リン・シェルトンの経歴および長編作についてはこちらの記事参照

“Laggies” aka「アラサー女子の恋愛事情」を撮影後、リン・シェルトンは本格的にテレビ界での活動を開始することになる。例えばアジア系の一家が主人公であるコメディ“Fresh Off the Boatに、同じマンブルコア作家ジョー・スワンバーグも関わったジャド・アパトーがクリエイターを務めるドラメディ作品「Love」に、コメディアンでラジオ司会者としても有名なマーク・マロンが主演の“Maron”や彼が重要な人物を演じる「GLOW」などなど、様々な作品でエピソード監督として活躍する。映画製作とはまた違う環境の中で職人監督として重宝されてきた彼女だったが、前作から3年が経った2017年にドラマ界での経験を生かしながら、待望の映画作品“Outside In” aka「不都合な自由」を完成させることになる。

今作の主人公は2人存在している。まず1人がクリス(「24時間ずっとLOVE」ジェイ・デュプラス)という男、彼は高校生の頃に殺人を犯して長い間刑務所で人生を過ごしてきたが、20年越しに釈放された彼は故郷へと戻り、弟であるテッド(「あなたを見送る7日間」ベン・シュワルツ)たち家族の元へと帰ってくる。最初は歓待を受けながらも、元犯罪者故に仕事もなく、彼は辛い日々を過ごし続ける。そんな時にクリスが頼れるのはたった1人の女性だけだった。

その女性こそが今作のもう1人の主人公であるキャロル(「サンシャイン・ボーイズ/すてきな相棒」イーディ・ファルコ)という中年女性だった。彼女はクリスの高校での担任教師であり、彼が逮捕された後も早く釈放されるよう;`ずっと奔走していた存在だった。夫であるトム(Charles Leggett)や娘のヒルディ(「いま、輝く時に」ケイトリン・デヴァー)との関係性は余り芳しくない故に、クリスの釈放に彼女は喜びと一種も高揚感を覚えることになる。しかしある日、彼女は自分を呼び出してきたクリスから無理やりキスされ“愛している”と告げられてしまい……

「不都合な自由」はそんな2人の心の彷徨を描き出した作品だ。キャロルは彼に対して好意は抱きながらも、自分には家族がいてしかも元教師と生徒という関係性だったからと感情を抑え込む。その一方でクリスは20年もの間において唯一頼れる相手であったキャロルに対して愛情を抑えきれずに、何度も彼女に迫っていき、その度にやんわりと拒絶され傷ついていく。

注目すべきなのはクリスという人物の造形だ。20年も刑務所にいたという空白のせいで、まともな教育を受けることも出来ず、未だに心も10代のままであり続けている。それ故に彼には友愛と愛情の境目が分からないほどに心は若い。しかしそのおかげか、偶然出会った高校生であるキャロルの娘のヒルディとは友情を深め、対等の関係を築くことができる。

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そんなクリスを演じるのはジェイ・デュプラス、ある意味節操なく作品に出演する弟マーク・デュプラス(シェルトン監督の“Humpday”「ラブ・トライアングル」では主演)とは違って、彼は製作や脚本など主に裏方を担当することが多いが、時には「トランスペアレント」など俳優として活躍することもあり、今作はその一環と言えるだろう。悲哀を湛える濡れた瞳に常時おどおどしたような何処か幼い雰囲気、デュプラスは普通ではない人生を送っているクリスの複雑なパーソナリティを繊細に捉えている。シェルトンと共に今作の脚本も担当しており、キャラクターの作り込みは頗る緻密と言っていいだろう。

もう1つ重要な要素は場所の感覚というべき代物だ。今作はシアトル近くの小さな田舎町が舞台になっているが、ここは透き通った凍てつきに覆われたような町で、活気はなく寂れた雰囲気を常に湛えている。アメリカの精神的停滞を反映したような街並みであり、その風景には孤独がこびりついている。そしてその孤独こそが登場人物たちの心に忍び込んでいくのだ。

そして必然的にクリスとキャロルの心は磁石のように引き合わされていく。2人は一線を越えてしまうのか、それとも後一歩の場所で踏みとどまるのか、そんな曖昧な空気感がサスペンスを呼び込み、私たちの心を乱す。この核となるデュプラスとイーディ・ファルコの化学反応も頗る印象的であり、観客を微妙な機微に満ちた場所へと誘うのだ。

そこでデュプラスから熱演のバトンを渡されるのがファルコだ。ザ・ソプラノズ「ナース・ジャッキー」など主にドラマ界で活躍する彼女だが、当然映画においてもその演技の滋味深さは変わることなく、物語をあるべき道行きへと導いていく。「不都合な自由」は友愛と愛情の区別がつかない男性と彼のそんな感情をどう受け止めていいか分からない女性の、愛についての物語だ。2人のその切ない彷徨に、観る者は彼らの幸せを願わざるを得なくなるだろう。

これ以降も、シェルトンはドラマ界での仕事を続けているが、現在は新作映画を制作中。題名は“Sword of Trust”で、出演俳優は前述の“Maron”「GLOW」に出演のマーク・マロン、シェルトンが同じくエピソード監督を務めたドラマ「カジュアル」の主演カエラ・ワトキンスなどドラマ人脈を駆使したキャストの他、シェルトン自身に「22ジャンプ・ストリート」で強烈な印象を残したジリアン・ベルなどなど注目の人物が勢揃いである。「不都合な自由」が脚本をキチンと執筆したドラマだった故か、今作は以前のスタイルに戻った即興演技主体のコメディ映画になるそうだ。ということでシェルトン監督の今後に期待。

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結局マンブルコアって何だったんだ?
その1 アーロン・カッツ&"Dance Party, USA"/レイプカルチャー、USA
その2 ライ・ルッソ=ヤング&"You Wont Miss Me"/23歳の記憶は万華鏡のように
その3 アーロン・カッツ&"Quiet City"/つかの間、オレンジ色のときめきを
その4 ジョー・スワンバーグ&"Silver Bullets"/マンブルコアの重鎮、その全貌を追う!
その5 ケイト・リン・シャイル&"Empire Builder"/米インディー界、後ろ向きの女王
その6 ジョー・スワンバーグ&"Kissing on the Mouth"/私たちの若さはどこへ行くのだろう
その7 ジョー・スワンバーグ&"Marriage Material"/誰かと共に生きていくことのままならさ
その8 ジョー・スワンバーグ&"Nights and Weekends"/さよなら、さよならグレタ・ガーウィグ
その9 ジョー・スワンバーグ&"Alexander the Last"/誰かと生きるのは辛いけど、でも……
その10 ジョー・スワンバーグ&"The Zone"/マンブルコア界の変態王頂上決戦
その11 ジョー・スワンバーグ&"Private Settings"/変態ボーイ meets ド変態ガール
その12 アンドリュー・ブジャルスキー&"Funny Ha Ha"/マンブルコアって、まあ……何かこんなん、うん、だよね
その13 アンドリュー・ブジャルスキー&"Mutual Appreciation"/そしてマンブルコアが幕を開ける
その14 ケンタッカー・オードリー&"Team Picture"/口ごもる若き世代の逃避と不安
その15 アンドリュー・ブジャルスキー&"Beeswax"/次に俺の作品をマンブルコアって言ったらブチ殺すぞ
その16 エイミー・サイメッツ&"Sun Don't Shine"/私はただ人魚のように泳いでいたいだけ
その17 ケンタッカー・オードリー&"Open Five"/メンフィス、アイ・ラブ・ユー
その18 ケンタッカー・オードリー&"Open Five 2"/才能のない奴はインディー映画作るの止めろ!
その19 デュプラス兄弟&"The Puffy Chair"/ボロボロのソファー、ボロボロの3人
その20 マーサ・スティーブンス&"Pilgrim Song"/中年ダメ男は自分探しに山を行く
その21 デュプラス兄弟&"Baghead"/山小屋ホラーで愛憎すったもんだ
その22 ジョー・スワンバーグ&"24 Exposures"/テン年代に蘇る90's底抜け猟奇殺人映画
その23 マンブルコアの黎明に消えた幻 "Four Eyed Monsters"
その24 リチャード・リンクレイター&"ROS"/米インディー界の巨人、マンブルコアに(ちょっと)接近!
その25 リチャード・リンクレイター&"Slacker"/90年代の幕開け、怠け者たちの黙示録
その26 リチャード・リンクレイター&"It’s Impossible to Learn to Plow by Reading Books"/本を読むより映画を1本完成させよう
その27 ネイサン・シルヴァー&「エレナ出口」/善意の居たたまれない行く末
その28 ネイサン・シルヴァー&"Soft in the Head"/食卓は言葉の弾丸飛び交う戦場
その29 ネイサン・シルヴァー&"Uncertain Terms"/アメリカに広がる"水面下の不穏"
その30 ネイサン・シルヴァー&"Stinking Heaven"/90年代の粒子に浮かび上がるカオス
その31 ジョセフィン・デッカー&"Art History"/セックス、繋がりであり断絶であり
その32 ジョセフィン・デッカー&"Butter on the Latch"/森に潜む混沌の夢々
その33 ケント・オズボーン&"Uncle Kent"/友達っていうのは、恋人っていうのは
その34 ジョー・スワンバーグ&"LOL"/繋がり続ける世代を苛む"男らしさ"
その35 リン・シェルトン&"We Go Way Back"/23歳の私、あなたは今どうしてる?
その36 ジョー・スワンバーグ&「ハッピー・クリスマス」/スワンバーグ、新たな可能性に試行錯誤の巻
その37 タイ・ウェスト&"The Roost"/恐怖!コウモリゾンビ、闇からの襲撃!
その38 タイ・ウェスト&"Trigger Man"/狩人たちは暴力の引鉄を引く
その39 アダム・ウィンガード&"Home Sick"/初期衝動、血飛沫と共に大爆裂!
その40 タイ・ウェスト&"The House of the Devil"/再現される80年代、幕を開けるテン年代
その41 ジョー・スワンバーグ&"Caitlin Plays Herself"/私を演じる、抽象画を描く
その42 タイ・ウェスト&「インキーパーズ」/ミレニアル世代の幽霊屋敷探検
その43 アダム・ウィンガード&"Pop Skull"/ポケモンショック、待望の映画化
その44 リン・シェルトン&"My Effortless Brilliance"/2人の男、曖昧な感情の中で
その45 ジョー・スワンバーグ&"Autoerotic"/オナニーにまつわる4つの変態小噺
その46 ジョー・スワンバーグ&"All the Light in the Sky"/過ぎゆく時間の愛おしさについて
その47 ジョー・スワンバーグ&「ドリンキング・バディーズ」/友情と愛情の狭間、曖昧な何か
その48 タイ・ウェスト&「サクラメント 死の楽園」/泡を吹け!マンブルコア大遠足会!
その49 タイ・ウェスト&"In a Valley of Violence"/暴力の谷、蘇る西部
その50 ジョー・スワンバーグ&「ハンナだけど、生きていく!」/マンブルコア、ここに極まれり!
その51 ジョー・スワンバーグ&「新しい夫婦の見つけ方」/人生、そう単純なものなんかじゃない
その52 ソフィア・タカール&"Green"/男たちを求め、男たちから逃れ難く
その53 ローレンス・マイケル・レヴィーン&"Wild Canaries"/ヒップスターのブルックリン探偵物語!
その54 ジョー・スワンバーグ&「ギャンブラー」/欲に負かされ それでも一歩一歩進んで
その55 フランク・V・ロス&"Quietly on By"/ニートと出口の見えない狂気
その56 フランク・V・ロス&"Hohokam"/愛してるから、傷つけあって
その57 フランク・V・ロス&"Present Company"/離れられないまま、傷つけあって
その58 フランク・V・ロス&"Audrey the Trainwreck"/最後にはいつもクソみたいな気分
その59 フランク・V・ロス&"Tiger Tail in Blue"/幻のほどける時、やってくる愛は……
その60 フランク・V・ロス&"Bloomin Mud Shuffle"/愛してるから、分かり合えない
その61 E.L.カッツ&「スモール・クライム」/惨めにチンケに墜ちてくヤツら
その62 サフディ兄弟&"The Ralph Handel Story”/ニューヨーク、根無し草たちの孤独
その63 サフディ兄弟&"The Pleasure of Being Robbed"/ニューヨーク、路傍を駆け抜ける詩
その64 サフディ兄弟&"Daddy Longlegs"/この映画を僕たちの父さんに捧ぐ
その65 サフディ兄弟&"The Black Baloon"/ニューヨーク、光と闇と黒い風船と
その66 サフディ兄弟&「神様なんかくそくらえ」/ニューヨーク、這いずり生きる奴ら
その67 ライ・ルッソ=ヤング&"Nobody Walks"/誰もが変わる、色とりどりの響きと共に
その68 ソフィア・タカール&「ブラック・ビューティー」/あなたが憎い、あなたになりたい
その69 アンドリュー・バジャルスキー&"Computer Chess"/テクノロジーの気まずい過渡期に
その70 アンドリュー・バジャルスキー&「成果」/おかしなおかしな三角関係
その71 結局マンブルコアって何だったんだ?(作品リスト付き)
その72 リン・シェルトン&"Humpday"/俺たちの友情って一体何なんだ?
その73 リン・シェルトン&「不都合な自由」/20年の後の、再びの出会いは

リン・シェルトン&"Humpday"/俺たちの友情って一体何なんだ?

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リン・シェルトン&"We Go Way Back"/23歳の私、あなたは今どうしてる?
リン・シェルトン&"My Effortless Brilliance"/2人の男、曖昧な感情の中で
リン・シェルトン&"Humpday"/俺たちの友情って一体何なんだ?
リン・シェルトンの経歴および長編作についてはこちらの記事参照

さて、リン・シェルトンは前々からデュプラス兄弟の初監督作である“The Puffy Chair”が好きだと公言していた。その通り、第2長編“My Effortless Brilliance”はデビュー長編とは全く趣の異なるマンブルコア的な演出に肉薄することとなった。そしてその後、彼女はクレイグ・ジョンソン監督作で弟マークが主演した作品“True Adolescence”にスチール・フォトグラファーとして参加、マークと実際に知り合うことになる。その後、マークへ電話をかけたのをきっかけに、彼女はとある物語の構想について話し、トントン拍子で作品の共同製作が始まる。そうして出来た作品こそがシェルトンの第3長編である“Humpday”だった。

この作品の主人公はベン(ゼロ・ダーク・サーティ」マーク・デュプラス)という平凡な中年男性、彼は最愛の妻であるアンナ(「不都合な自由」アリシア・デルモア)と自分たちで買った一軒家で幸せに暮らしていた。しかしある時、午前2時という深夜真っ只中にチャイムを鳴らす音が響く。怪訝に思いながらベンが玄関ドアを開くとそこにいたのは大学時代からの親友アンドリュー(6年愛」ジョシュア・レナード)だった。何の脈絡もなく起こされたアンナの不機嫌さを尻目に、2人は再会を喜びあう。

アンドリューという男は、言ってみればベンとは正反対の男だ。1つの場所に居住することを好まず、1年中世界を旅するような日常という言葉とはかけ離れた冒険野郎である。という訳で彼はシアトルに着いてベンと再会した直後、早速自分と同類らしいおかしなカップル・モニカ(シェルトン監督が兼任)とリリー(Trina Willard)と友人になる。彼女たちが開くパーティーに、ベンも参加するのだが、そこである話題が持ち上がる。近いうちにポルノ映画の祭典が近くで開催されるのだという。そこでアンドリューが何を思ったか、ベンに一緒にゲイポルノ映画を作ろうじゃないか!と誘ってきたのだったが……

と、おかしなあらすじかもしれないが、シェルトン監督は今作のアイデアについてこんな言葉を残している。“この構想はある映画作家の経験がきっかけで生まれました。彼はポルノ映画祭に行って、ゲイポルノを観るという経験に魅了されたんです。これまで1本もそういった作品は観たことなかったし、彼はストレートでした。ですが彼は何日にも渡ってゲイポルノについて話し続けてたんです。

私はストレートの男性とゲイポルノの関係性、彼らが自分たちとゲイ男性のセックスとの関係性に感じる残留不安に興味を惹かれました。おそらく彼らは考え自体には拒否感を示すことはないでしょうが、同時に'自分もゲイではないか?'という心配をも抱えているのではないか。不安はそこら中にあるんです。だから思ったのは'それで何か出来たらどうだろう?'ということです。それが映画製作の契機であり、男性たちの中にはそれに悶えている人もいるようですけど”*1

という訳で“Humpday”の題材はゲイポルノ製作である。ではストレートの男友達2人がゲイポルノを作る故に一種のカルチャーギャップ・コメディになるかと言えば、それは全く違う。シェルトン監督はにあくまで真剣な、この題材を通じて描き出したい大事な要素が存在していると言っていいだろう。

前作“My Effortless Brilliance”において即興演技やそれに起因する自然体などマンブルコア的な演出を指向していたが、マーク・デュプラスが関わっていることもあってその指向が更に推し進められている。物語の推進力は飾らない自然体の会話の数々であり、その様子を撮影監督のベンジャミン・カサルスキー Benjamin Kasulkeは手振れカメラで生々しく描き出していく。そして幾度も対話を繰り返しながら、俺たちは親友だしゲイポルノくらい作れるぜ!と2人は製作を決定してしまう。

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その決断が波紋を呼ぶのは当然だろう。妻のアンナは自分の夫がポルノ映画なんかを撮ることにはもちろん反対、激怒の末に2人を追求していく。そして2人自身、いざゲイポルノを製作することを決定したとなると、何か変で不思議な雰囲気がその間に流れていく。自分たち本当にポルノ撮るのか、そうしたら俺たちの友情とか永遠に変わっちゃうんじゃないか……

だが、何故平凡な男であるベンがアンドリューの奇妙な提案に乗ることにしたのだろうか。彼は激怒するアンナに対してこう説明する。自分には今とは別の側面が存在してる、今見せてる側面を君が気に入ってくれたから僕は今こんな風でいるけど、それはつまり今自分はその別の側面を押し留めているということなんだよ、僕はその別の側面がどういうものなのか探求したい、自分の目で確かめてみたいんだと。その言葉の裏には、若い頃ビデオ屋の店員である青年に性欲を覚えたことに由来すると、ある時アンドリューとの会話で明らかになる。もしその別の側面を抑圧することがなければ、自分には別の人生があったのではないか。つまりはそれが原動力なのだ。こうであったかもしれない自分を見つけ出すという願いがそこにはあるのだ。

そしてもう1つ重要なものに2人の間に結ばれている友情の存在がある。ベンたちは軽い勢いでこの友情は永遠さ!という風な振る舞いをするが、その奥深くではこの友情は一体何なんだ?という疑問を同時に抱いてもいる。だからこそゲイポルノ撮影は、この友情がどんなものかを試す試練か実験のようなものでもありうる。だからこそ表面上は気軽さを装いながらも、実際は友情を賭けるほどの真剣さで以て2人はゲイポルノ撮影に望むのだ。

こうしてポルノ撮影が始まる訳だが、ホテルの一室で最初は和気藹々と勢いよくキスして“これはなかなか悪くないよな…………いややっぱ最悪だわ!”と笑いあったり、ビデオに自分たちが何故ポルノを撮影するか喋りかけたり、プールへ駆け込むみたいに楽しげに服を脱ぎ散らかしたりする。だが互いの裸を見つめるうちに、段々と2人の間に満ちる雰囲気が変容し、緊張感のような微妙な空気がその場を支配することになる。

ここに存在している友情という関係性への問いと剥き出しになる肉体性とは、正にマンブルコアが至上命題とする要素なのである。この2つが密接に繋がりあいお互いに作用しあうことで、現代の生活は築かれていく。ベンとアンドリューはその真実に直面しているのであり、この懊悩が物語世界をより深くし、今作にマンブルコアの代表的な作品の1つとしての名声を獲得させるのである。

“Humpday”はあらすじ自体、2人のストレートな男友達がゲイポルノを撮影するというものだが、コメディに舵を切ることはなく、自分が押し留めてきた側面を探り当てたい、俺たちの友情って一体何なんだ、そんな切実な思いの数々を濃厚に反映している。そしてその果てに、彼らは友情と愛情の間にある曖昧な何かを抱き止められるのだろうか。その光景には複雑な余韻が滲み渡る。

さて、このレビューを終える前に、シェルトン監督自身がマンブルコアという潮流について語っている言葉を紹介しよう。これらによれば彼女は、他の作家たちと同様にこのジャンル分けがお気に召さないようである。“(マンブルコアという言葉は)色々な意味でとても不適切ですよ。私が読んだ(マンブルコアについての)1つ目の記事には20代のーー殆どが白人男性のーー若者によるグループだという定義が載っていました。そして彼らは大学卒業後の不安や怠惰な生活についての映画を作っていると。私はそのどれにも当て嵌まりません。私は43歳の女性で、20代の若者についての映画なんて作ってませんからね。

当て嵌まるのはとても規模の小さいDIY的映画を限られたリソースで以て作っていること。ですからこういった側面、つまりはDIY的な感性、自分の映画を作るのに許可なんているか!という精神、とても高いレベルの自然主義などなどにおいては正しいです。誰かに許可をもらうなんて待ってられない!という考え方が好きなんです。勇気が出ますね。そして私は人間の真実や平凡なものの中にある詩情にこそ興味がある映画作家なんです。より小さな、登場人物たちによって牽引される物語に興味がある。思うにそういったもの全てによってマンブルコアと見なされるのでしょう” *2

"その言葉は好きじゃありません。2007年の9月、私はマーク(・デュプラス)とノースウェスト・フィルム・フォーラムのマンブルコアについてのパネルに参加したんですが、この潮流について'そういう映画って全部同じ様なものだろ'といった態度で質問してくる人がいました。ですから私は'それは800万ドルで作られている、脚本もキチンと書かれ35mmフィルムで作られた映画は全部同じ様なものと言うのと一緒ですよ'と言いました。これらの作品は誰が監督かによって大きく異なります。デュプラス兄弟の作品はジョー・スワンバーグの作品とは全然違いますし、スワンバーグの作品はアーロン・カッツとの作品とも全く違います。何故ってそれはもう完全に違う人物によって作られているからですよ。もちろん、仲間意識はありますけどね。*3

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参考文献
http://www.dailyfilmdose.com/2009/07/humpday-interview-with-lynn-shelton.html?m=1(監督インタビューその1)
https://m.huffpost.com/us/entry/226909(監督インタビューその2)
http://parallax-view.org/2009/07/09/interview-lynn-shelton-on-humpday/(監督インタビューその3)

結局マンブルコアって何だったんだ?
その1 アーロン・カッツ&"Dance Party, USA"/レイプカルチャー、USA
その2 ライ・ルッソ=ヤング&"You Wont Miss Me"/23歳の記憶は万華鏡のように
その3 アーロン・カッツ&"Quiet City"/つかの間、オレンジ色のときめきを
その4 ジョー・スワンバーグ&"Silver Bullets"/マンブルコアの重鎮、その全貌を追う!
その5 ケイト・リン・シャイル&"Empire Builder"/米インディー界、後ろ向きの女王
その6 ジョー・スワンバーグ&"Kissing on the Mouth"/私たちの若さはどこへ行くのだろう
その7 ジョー・スワンバーグ&"Marriage Material"/誰かと共に生きていくことのままならさ
その8 ジョー・スワンバーグ&"Nights and Weekends"/さよなら、さよならグレタ・ガーウィグ
その9 ジョー・スワンバーグ&"Alexander the Last"/誰かと生きるのは辛いけど、でも……
その10 ジョー・スワンバーグ&"The Zone"/マンブルコア界の変態王頂上決戦
その11 ジョー・スワンバーグ&"Private Settings"/変態ボーイ meets ド変態ガール
その12 アンドリュー・ブジャルスキー&"Funny Ha Ha"/マンブルコアって、まあ……何かこんなん、うん、だよね
その13 アンドリュー・ブジャルスキー&"Mutual Appreciation"/そしてマンブルコアが幕を開ける
その14 ケンタッカー・オードリー&"Team Picture"/口ごもる若き世代の逃避と不安
その15 アンドリュー・ブジャルスキー&"Beeswax"/次に俺の作品をマンブルコアって言ったらブチ殺すぞ
その16 エイミー・サイメッツ&"Sun Don't Shine"/私はただ人魚のように泳いでいたいだけ
その17 ケンタッカー・オードリー&"Open Five"/メンフィス、アイ・ラブ・ユー
その18 ケンタッカー・オードリー&"Open Five 2"/才能のない奴はインディー映画作るの止めろ!
その19 デュプラス兄弟&"The Puffy Chair"/ボロボロのソファー、ボロボロの3人
その20 マーサ・スティーブンス&"Pilgrim Song"/中年ダメ男は自分探しに山を行く
その21 デュプラス兄弟&"Baghead"/山小屋ホラーで愛憎すったもんだ
その22 ジョー・スワンバーグ&"24 Exposures"/テン年代に蘇る90's底抜け猟奇殺人映画
その23 マンブルコアの黎明に消えた幻 "Four Eyed Monsters"
その24 リチャード・リンクレイター&"ROS"/米インディー界の巨人、マンブルコアに(ちょっと)接近!
その25 リチャード・リンクレイター&"Slacker"/90年代の幕開け、怠け者たちの黙示録
その26 リチャード・リンクレイター&"It’s Impossible to Learn to Plow by Reading Books"/本を読むより映画を1本完成させよう
その27 ネイサン・シルヴァー&「エレナ出口」/善意の居たたまれない行く末
その28 ネイサン・シルヴァー&"Soft in the Head"/食卓は言葉の弾丸飛び交う戦場
その29 ネイサン・シルヴァー&"Uncertain Terms"/アメリカに広がる"水面下の不穏"
その30 ネイサン・シルヴァー&"Stinking Heaven"/90年代の粒子に浮かび上がるカオス
その31 ジョセフィン・デッカー&"Art History"/セックス、繋がりであり断絶であり
その32 ジョセフィン・デッカー&"Butter on the Latch"/森に潜む混沌の夢々
その33 ケント・オズボーン&"Uncle Kent"/友達っていうのは、恋人っていうのは
その34 ジョー・スワンバーグ&"LOL"/繋がり続ける世代を苛む"男らしさ"
その35 リン・シェルトン&"We Go Way Back"/23歳の私、あなたは今どうしてる?
その36 ジョー・スワンバーグ&「ハッピー・クリスマス」/スワンバーグ、新たな可能性に試行錯誤の巻
その37 タイ・ウェスト&"The Roost"/恐怖!コウモリゾンビ、闇からの襲撃!
その38 タイ・ウェスト&"Trigger Man"/狩人たちは暴力の引鉄を引く
その39 アダム・ウィンガード&"Home Sick"/初期衝動、血飛沫と共に大爆裂!
その40 タイ・ウェスト&"The House of the Devil"/再現される80年代、幕を開けるテン年代
その41 ジョー・スワンバーグ&"Caitlin Plays Herself"/私を演じる、抽象画を描く
その42 タイ・ウェスト&「インキーパーズ」/ミレニアル世代の幽霊屋敷探検
その43 アダム・ウィンガード&"Pop Skull"/ポケモンショック、待望の映画化
その44 リン・シェルトン&"My Effortless Brilliance"/2人の男、曖昧な感情の中で
その45 ジョー・スワンバーグ&"Autoerotic"/オナニーにまつわる4つの変態小噺
その46 ジョー・スワンバーグ&"All the Light in the Sky"/過ぎゆく時間の愛おしさについて
その47 ジョー・スワンバーグ&「ドリンキング・バディーズ」/友情と愛情の狭間、曖昧な何か
その48 タイ・ウェスト&「サクラメント 死の楽園」/泡を吹け!マンブルコア大遠足会!
その49 タイ・ウェスト&"In a Valley of Violence"/暴力の谷、蘇る西部
その50 ジョー・スワンバーグ&「ハンナだけど、生きていく!」/マンブルコア、ここに極まれり!
その51 ジョー・スワンバーグ&「新しい夫婦の見つけ方」/人生、そう単純なものなんかじゃない
その52 ソフィア・タカール&"Green"/男たちを求め、男たちから逃れ難く
その53 ローレンス・マイケル・レヴィーン&"Wild Canaries"/ヒップスターのブルックリン探偵物語!
その54 ジョー・スワンバーグ&「ギャンブラー」/欲に負かされ それでも一歩一歩進んで
その55 フランク・V・ロス&"Quietly on By"/ニートと出口の見えない狂気
その56 フランク・V・ロス&"Hohokam"/愛してるから、傷つけあって
その57 フランク・V・ロス&"Present Company"/離れられないまま、傷つけあって
その58 フランク・V・ロス&"Audrey the Trainwreck"/最後にはいつもクソみたいな気分
その59 フランク・V・ロス&"Tiger Tail in Blue"/幻のほどける時、やってくる愛は……
その60 フランク・V・ロス&"Bloomin Mud Shuffle"/愛してるから、分かり合えない
その61 E.L.カッツ&「スモール・クライム」/惨めにチンケに墜ちてくヤツら
その62 サフディ兄弟&"The Ralph Handel Story”/ニューヨーク、根無し草たちの孤独
その63 サフディ兄弟&"The Pleasure of Being Robbed"/ニューヨーク、路傍を駆け抜ける詩
その64 サフディ兄弟&"Daddy Longlegs"/この映画を僕たちの父さんに捧ぐ
その65 サフディ兄弟&"The Black Baloon"/ニューヨーク、光と闇と黒い風船と
その66 サフディ兄弟&「神様なんかくそくらえ」/ニューヨーク、這いずり生きる奴ら
その67 ライ・ルッソ=ヤング&"Nobody Walks"/誰もが変わる、色とりどりの響きと共に
その68 ソフィア・タカール&「ブラック・ビューティー」/あなたが憎い、あなたになりたい
その69 アンドリュー・バジャルスキー&"Computer Chess"/テクノロジーの気まずい過渡期に
その70 アンドリュー・バジャルスキー&「成果」/おかしなおかしな三角関係
その71 結局マンブルコアって何だったんだ?(作品リスト付き)
その72 リン・シェルトン&"Humpday"/俺たちの友情って一体何なんだ?

Sofia Bohdanowicz&"Maison du bonheur"/老いることも、また1つの喜び

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老いることは恐ろしいことなのだろうか?テレビCMや広告では若さこそが至上とするような内容が喧伝され、私たちに恐怖を撒き散らしていく。そして老いゆく人々、老いた人々には人生の終りがやってきたとばかり軽蔑の視線が向けられていく。だが果たして本当に老いることは恐ろしいことなのか?今回はそんな風潮を軽やかに否定する素敵なドキュメンタリー映画Sofia Bohdanowicz監督作“Maison du bonheur”を紹介していこう。

Sofia Bohdanowiczトロントを拠点とする映画作家だ。2009年に短編"Falling with Force"でデビュー後、2012年にポーランド移民である女性の姿を描いた"Dundas Street"を、2013年にはやはり自身のルーツであるポーランドに材を得た"Modlitwa""Wieczor"などを製作した後、2016年には初の長編作品"Never Eat Alone"を手掛ける。主人公の祖母が過去の恋人と再びの交流を果たす姿を描き出したドキュドラマで、バンクーバー国際映画祭においてカナダ新人監督賞を獲得するなど話題になる。2017年にはブエノス・アイレス国際インディペンデント映画祭(BAFICI)で特集上映が組まれた後、第2長編である"Maison du bonheur"を完成させる。

このドキュメンタリーの題材となるのは、パリのとあるアパートメントに住む77歳の老女ジュリアーヌ・セラム Juliane Sellamだ。彼女は占星術師として多くの人々の人生を占いながら、人生を楽しく過ごしていた。カナダ人の監督はフランスへと旅行の後、同僚の母親である彼女と出会い、その生きざまに惹かれて、一緒に生活を共にしながらその姿をカメラに捉えていく。

まずジュリアーヌが監督に語り始めるのは、子供時代の思い出話だ。小さな頃おばに止められながらもおばあちゃんから飲ませてもらった苦いコーヒーについてのこと、昔から親が作っていたパンのこと。そんな子供時代について、ジュリアーヌは些かの記憶の混濁もなしに饒舌に語っていく。彼女の快活な言葉の数々は聞いているこちらの心も明るくしてくれる。

そして次に語るのは美についてだ。彼女を美しくしてくれる唯一無二のスタイリストについての話、ネイルを楽しむきっかけを作ってくれたおじについての話。その後も化粧についてなど様々な話題が現れては消えていくが、老いてなお美しくあることを謳歌している彼女の姿に勇気付けられる女性たちは多くいるだろう。

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これらを語る際、監督は自身の持つカメラで以てジュリアーヌの姿を撮し続ける。例えばお気に入りのゼラニウムに水をやる姿、ネイリストに足を差し出して爪を美しくしてもらっている姿。16mmフィルムによって紡がれるその映像には、まるで夕日の湛える暖かさが常に満ちているようだ。ジュリアーヌの笑みはその中では一際明るい。それらは私たちに監督の眼差しの暖かさに思いを馳せさせることとなる。

カメラには色々なものが映るが、特に印象的なのは出てくる料理の数々だ。ジュリアーヌが器用に料理するこんがりと焼けたパンからは香ばしい匂いが今にも漂ってきそうだし、更に載せられた色とりどり形様々なテリーヌやチーズたちは観客の食欲をこれでもかと誘ってくる。そして劇中にはジュリアーヌがケーキを食べる姿だけを延々と撮した場面がある。美味しそうに食べるジュリアーヌ、それを親愛と共に見守る監督、2つが混ざりあうことで、映画は深く優しい情感を獲得していく。

そんな中で今作は監督自身の旅路をも描き出すことになる。写真や映像には異邦人である監督のフランスの街並みへの憧憬が滲み渡り、観客をその旅路に招き入れていく。そして久しぶりにやってきた思い出の地ドーヴィル、その閉じたパラソルの立ち並ぶ海岸線からは彼女の抱く郷愁が静かに溢れ出している。今作は紀行映画としても優れた側面を備えているのである。

だがもちろんこの“Maison du bonheur”の核となる存在はジュリアーヌに他ならない。瀟洒な佇まいをしたパリで老いを、美を、人生を謳歌する彼女の姿は私たちにこう語る。“老いることは怖くない、老いることもまた1つの喜びなの”だと。

今作はバンクーバー国際映画祭でプレミア上映されると共にカナダ・ドキュメンタリー映画作品賞を獲得、その他レイキャビックモントリオール、サラソタなどで上映されるなど話題になる。最新作は2018年の"Veslemøy's Song"で、20世紀のカナダにおいて名声を馳せたバイオリニストKathleen Parlowの姿を追った作品で、ロカルノトロント、ニューヨーク映画祭などで上映される。現在はヨーク大学で映画製作の美術学修士号を取得途中であると共に、第3長編を製作中だそうだ。ということでBohdanowicz監督の今後に期待。

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私の好きな監督・俳優シリーズ
その201 Yared Zeleke&"Lamb"/エチオピア、男らしさじゃなく自分らしさのために
その202 João Viana&"A batalha de Tabatô"/ギニアビサウ、奪われた故郷への帰還
その203 Sithasolwazi Kentane&"Woman Undressed"/ Black African Female Me
その204 Victor Viyuoh&"Ninah's Dowry"/カメルーン、流れる涙と大いなる怒り
その205 Tobias Nölle&"Aloys"/私たちを動かす全ては、頭の中にだけあるの?
その206 Michalina Olszańska&"Já, Olga Hepnarová"/私、オルガ・ヘプナロヴァはお前たちに死刑を宣告する
その207 Agnieszka Smoczynska&"Córki dancingu"/人魚たちは極彩色の愛を泳ぐ
その208 Rosemary Myers&"Girl Asleep"/15歳、吐き気と不安の思春期ファンタジー!
その209 Nanfu Wang&"Hooligan Sparrow"/カメラ、沈黙を切り裂く力
その210 Massoud Bakhshi&"Yek khanévadéh-e mohtaram"/革命と戦争、あの頃失われた何か
その211 Juni Shanaj&"Pharmakon"/アルバニア、誕生の後の救いがたき孤独
その212 済藤鉄腸オリジナル、2010年代注目の映画監督ベスト100!!!!!
その213 アレクサンドラ・ニエンチク&"Centaur"/ボスニア、永遠のごとく引き伸ばされた苦痛
その214 フィリップ・ルザージュ&「僕のまわりにいる悪魔」/悪魔たち、密やかな蠢き
その215 ジョアン・サラヴィザ&"Montanha"/全てはいつの間にか過ぎ去り
その216 Tizza Covi&"Mister Universo"/イタリア、奇跡の男を探し求めて
その217 Sofia Exarchou&"Park"/アテネ、オリンピックが一体何を残した?
その218 ダミアン・マニヴェル&"Le Parc"/愛が枯れ果て、闇が訪れる
その219 カエル・エルス&「サマー・フィーリング」/彼女の死の先にも、人生は続いている
その220 Kazik Radwanski&"How Heavy This Hammer"/カナダ映画界の毛穴に迫れ!
その221 Vladimir Durán&"Adiós entusiasmo"/コロンビア、親子っていうのは何ともかんとも
その222 Paul Negoescu&"O lună în Thailandă"/今の幸せと、ありえたかもしれない幸せと
その223 Anatol Durbală&"Ce lume minunată"/モルドバ、踏み躙られる若き命たち
その224 Jang Woo-jin&"Autumn, Autumn"/でも、幸せって一体どんなだっただろう?
その225 Jérôme Reybaud&"Jours de France"/われらがGrindr世代のフランスよ
その226 Sebastian Mihăilescu&"Apartament interbelic, în zona superbă, ultra-centrală"/ルーマニアと日本、奇妙な交わり
その227 パス・エンシナ&"Ejercicios de memoria"/パラグアイ、この忌まわしき記憶をどう語ればいい?
その228 アリス・ロウ&"Prevenge"/私の赤ちゃんがクソ共をブチ殺せと囁いてる
その229 マッティ・ドゥ&"Dearest Sister"/ラオス、横たわる富と恐怖の溝
その230 アンゲラ・シャーネレク&"Orly"/流れゆく時に、一瞬の輝きを
その231 スヴェン・タディッケン&「熟れた快楽」/神の消失に、性の荒野へと
その232 Asaph Polonsky&"One Week and a Day"/イスラエル、哀しみと真心のマリファナ
その233 Syllas Tzoumerkas&"A blast"/ギリシャ、激発へと至る怒り
その234 Ektoras Lygizos&"Boy eating the bird's food"/日常という名の奇妙なる身体性
その235 Eloy Domínguez Serén&"Ingen ko på isen"/スウェーデン、僕の生きる場所
その236 Emmanuel Gras&"Makala"/コンゴ、夢のために歩き続けて
その237 ベロニカ・リナス&「ドッグ・レディ」/そして、犬になる
その238 ルクサンドラ・ゼニデ&「テキールの奇跡」/奇跡は這いずる泥の奥から
その239 Milagros Mumenthaler&"La idea de un lago"/湖に揺らめく記憶たちについて
その240 アッティラ・ティル&「ヒットマン:インポッシブル」/ハンガリー、これが僕たちの物語
その241 Vallo Toomla&"Teesklejad"/エストニア、ガラスの奥の虚栄
その242 Ali Abbasi&"Shelly"/この赤ちゃんが、私を殺す
その243 Grigor Lefterov&"Hristo"/ソフィア、薄紫と錆色の街
その244 Bujar Alimani&"Amnestia"/アルバニア、静かなる激動の中で
その245 Livia Ungur&"Hotel Dallas"/ダラスとルーマニアの奇妙な愛憎
その246 Edualdo Williams&"El auge del humano"/うつむく世代の生温き黙示録
その247 Ralitza Petrova&"Godless"/神なき後に、贖罪の歌声を
その248 Ben Young&"Hounds of Love"/オーストラリア、愛のケダモノたち
その249 Izer Aliu&"Hunting Flies"/マケドニア、巻き起こる教室戦争
その250 Ana Urushadze&"Scary Mother"/ジョージア、とある怪物の肖像
その251 Ilian Metev&"3/4"/一緒に過ごす最後の夏のこと
その252 Cyril Schäublin&"Dene wos guet geit"/Wi-Fi スマートフォン ディストピア
その253 Alena Lodkina&"Strange Colours"/オーストラリア、かけがえのない大地で
その254 Kevan Funk&"Hello Destroyer"/カナダ、スポーツという名の暴力
その255 Katarzyna Rosłaniec&"Szatan kazał tańczyć"/私は負け犬になるため生まれてきたんだ
その256 Darío Mascambroni&"Mochila de plomo"/お前がぼくの父さんを殺したんだ
その257 ヴィルジル・ヴェルニエ&"Sophia Antipolis"/ソフィア・アンティポリスという名の少女
その258 Matthieu Bareyre&“l’Epoque”/パリ、この夜は私たちのもの
その259 André Novais Oliveira&"Temporada"/止まることない愛おしい時の流れ
その260 Xacio Baño&"Trote"/ガリシア、人生を愛おしむ手つき
その261 Joshua Magar&"Siyabonga"/南アフリカ、ああ俳優になりたいなぁ
その262 Ognjen Glavonić&"Dubina dva"/トラックの棺、肉体に埋まる銃弾
その263 Nelson Carlo de Los Santos Arias&"Cocote"/ドミニカ共和国、この大いなる国よ
その264 Arí Maniel Cruz&"Antes Que Cante El Gallo"/プエルトリコ、貧しさこそが彼女たちを
その265 Farnoosh Samadi&"Gaze"/イラン、私を追い続ける視線
その266 Alireza Khatami&"Los Versos del Olvido"/チリ、鯨は失われた過去を夢見る
その267 Nicole Vögele&"打烊時間"/台湾、眠らない街 眠らない人々
その268 Ashley McKenzie&"Werewolf"/あなたしかいないから、彷徨い続けて
その269 エミール・バイガジン&"Ranenyy angel"/カザフスタン、希望も未来も全ては潰える
その270 Adriaan Ditvoorst&"De witte waan"/オランダ映画界、悲運の異端児
その271 ヤン・P・マトゥシンスキ&「最後の家族」/おめでとう、ベクシンスキー
その272 Liryc Paolo Dela Cruz&"Sa pagitan ng pagdalaw at paglimot"/フィリピン、世界があなたを忘れ去ろうとも
その273 ババク・アンバリ&「アンダー・ザ・シャドウ」/イラン、母という名の影
その274 Vlado Škafar&"Mama"/スロヴェニア、母と娘は自然に抱かれて
その275 Salomé Jashi&"The Dazzling Light of Sunset"/ジョージア、ささやかな日常は世界を映す
その276 Gürcan Keltek&"Meteorlar"/クルド、廃墟の頭上に輝く流れ星
その277 Filipa Reis&"Djon África"/カーボベルデ、自分探しの旅へ出かけよう!
その278 Travis Wilkerson&"Did You Wonder Who Fired the Gun?"/その"白"がアメリカを燃やし尽くす
その279 Mariano González&"Los globos"/父と息子、そこに絆はあるのか?
その280 Tonie van der Merwe&"Revenge"/黒人たちよ、アパルトヘイトを撃ち抜け!
その281 Bodzsár Márk&"Isteni müszak"/ブダペスト、夜を駆ける血まみれ救急車
その282 Winston DeGiobbi&"Mass for Shut-Ins"/ノヴァスコシア、どこまでも広がる荒廃
その283 パスカル・セルヴォ&「ユーグ」/身も心も裸になっていけ!
その284 Ana Cristina Barragán&"Alba"/エクアドル、変わりゆくわたしの身体を知ること
その285 Kyros Papavassiliou&"Impressions of a Drowned Man"/死してなお彷徨う者の詩
その286 未公開映画を鑑賞できるサイトはどこ?日本からも観られる海外配信サイト6選!
その287 Kaouther Ben Hania&"Beauty and the Dogs"/お前はこの国を、この美しいチュニジアを愛してるか?
その288 Chloé Robichaud&"Pays"/彼女たちの人生が交わるその時に
その289 Kantemir Balagov&"Closeness"/家族という名の絆と呪い
その290 Aleksandr Khant&"How Viktor 'the Garlic' Took Alexey 'the Stud' to the Nursing Home"/オトンとオレと、時々、ロシア
その291 Ivan I. Tverdovsky&"Zoology"/ロシア、尻尾に芽生える愛と闇
その292 Emre Yeksan&"Yuva"/兄と弟、山の奥底で
その293 Szőcs Petra&"Deva"/ルーマニアとハンガリーが交わる場所で
その294 Flávia Castro&"Deslemblo"/喪失から紡がれる"私"の物語
その295 Mahmut Fazil Coşkun&"Anons"/トルコ、クーデターの裏側で

Mahmut Fazil Coşkun&"Anons"/トルコ、クーデターの裏側で

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2016年、トルコで軍事クーデターが起こったことは記憶に新しいだろう。こちらは未遂に終わったが、そんな未遂のものを含めてトルコでは幾度となく軍事クーデターが巻き起こっている。今回紹介するMahmut Fazıl Coşkun監督によるトルコ映画“Anos”もそんな過去を描き出した作品であるのだが、凡百の作品とは全く異なる視点からこれを描き出していると言えるだろう。

舞台は1968年のイスタンブール、男たちが夜の町を静かに潜行している姿からこの物語は幕を開ける。この時、アンカラでは軍事クーデター計画が進行していた。そんな中で男たちはイスタンブールのラジオ局を乗っ取り、軍の声明文をトルコ中に伝える任務を背負っていたのである。そして彼らは静かに計画の完遂へと近づいていく。

とは言え、計画がスムーズに行くなどということはまず有り得ない。偶然乗り合わせたタクシーではウザったいほどラジオから曲が流れるし、予期せぬ検問所の存在が男たちを苛立たせ、それを切り抜けてアジトに到着しながらも、こんな緊急事態に同志が時間を守らず遅刻して、彼のことを無駄に待ち続ける羽目になる。

あらすじからすると今作は政治的スリラー映画のように思えるが、実際見てみるとこれが実は妙なコメディ映画というのが段々と解ってくるだろう。アジトで男たちが計画について語っている中で背後では、作業員たちが延々とパン作りを行っている。同志の中の1人は韓国で北朝鮮の国歌を歌ってしまった南北分断ドジッ子エピソードを至極シリアスな顔で喋り、果ては皆の前でその北朝鮮国歌を歌う羽目になる。こういった何だか笑いを狙っているのか狙ってないのか判断しかねるエピソードが唐突に挿入されていくのだ。

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それに共鳴してか、演出も少し不思議な方向を指向している。撮影監督Krum Rodriguezのカメラはワンシーンワンシーン完全に固定され、その状態で何分にも渡る長回しが続くことになる。そういう訳でカメラは男たちの一挙手一投足を子細に観察し続け、その眼差しがあんまりにも真剣すぎる癖に、先述した変エピソードが急にブッ込まれるため、いわゆる真顔のユーモアがそこに生まれるのだ。

この演出で思い出されるのは“ルーマニアの新たなる波”、特に日本でも「トレジャー オトナタチの贈り物」が公開されたコルネリュ・ポルンボユ作品である。数分は当然続く禅的な長回しで以て目前で起こる光景をストイックに捉えていく。そして途切れることのない時間の中から、時間の流れや人間の滑稽さというものを浮き彫りにしていく。正にポルンボユ作品が指向する笑いと同じ種類の笑いが“Anos”にも存在しているのである。

しかし本作品はそれで終わることがない。男たちは同志が裏切り者と発覚すれば即抹殺し、それ故に同志たちは互いの腹を探りあい続けるとそういった張り詰めた駆け引きもあるのだ。滑稽な雰囲気がシームレスに濃密な緊張感へと移ろう、この2つを巧みに行ったり来たりを繰り返すのがこの映画の魅力とも言うべきだろう。

そして同志たちの受難は続く。ラジオ局を乗っ取ったはいいが、機械のオペレーターが不在故にわざわざ彼を連れ戻すために車を走らせる羽目になる。更にはアンカラからの電話を待つ間、偶然巡りあったおじいちゃんの世間話を延々と聞かざるを得なくなる。こんなことで任務を遂行できるのか?彼らの不安を他所に、夜は更けていく。

“Anos”はトルコの隠された現代史を描き出した作品だ。しかしシリアスな自己満足には陥ってはいない。誰も真似できない奇妙なアングルから歴史というものを描き出す、妙な娯楽性に溢れた作品なのである。監督が織り成すその巧みなリズムによって観客は時にニヤケを抑えられなくなり、時に顔を引き攣らせ、時に大いなる歴史と神のいたずらな采配に思いを馳せることとなるのである。

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私の好きな監督・俳優シリーズ
その201 Yared Zeleke&"Lamb"/エチオピア、男らしさじゃなく自分らしさのために
その202 João Viana&"A batalha de Tabatô"/ギニアビサウ、奪われた故郷への帰還
その203 Sithasolwazi Kentane&"Woman Undressed"/ Black African Female Me
その204 Victor Viyuoh&"Ninah's Dowry"/カメルーン、流れる涙と大いなる怒り
その205 Tobias Nölle&"Aloys"/私たちを動かす全ては、頭の中にだけあるの?
その206 Michalina Olszańska&"Já, Olga Hepnarová"/私、オルガ・ヘプナロヴァはお前たちに死刑を宣告する
その207 Agnieszka Smoczynska&"Córki dancingu"/人魚たちは極彩色の愛を泳ぐ
その208 Rosemary Myers&"Girl Asleep"/15歳、吐き気と不安の思春期ファンタジー!
その209 Nanfu Wang&"Hooligan Sparrow"/カメラ、沈黙を切り裂く力
その210 Massoud Bakhshi&"Yek khanévadéh-e mohtaram"/革命と戦争、あの頃失われた何か
その211 Juni Shanaj&"Pharmakon"/アルバニア、誕生の後の救いがたき孤独
その212 済藤鉄腸オリジナル、2010年代注目の映画監督ベスト100!!!!!
その213 アレクサンドラ・ニエンチク&"Centaur"/ボスニア、永遠のごとく引き伸ばされた苦痛
その214 フィリップ・ルザージュ&「僕のまわりにいる悪魔」/悪魔たち、密やかな蠢き
その215 ジョアン・サラヴィザ&"Montanha"/全てはいつの間にか過ぎ去り
その216 Tizza Covi&"Mister Universo"/イタリア、奇跡の男を探し求めて
その217 Sofia Exarchou&"Park"/アテネ、オリンピックが一体何を残した?
その218 ダミアン・マニヴェル&"Le Parc"/愛が枯れ果て、闇が訪れる
その219 カエル・エルス&「サマー・フィーリング」/彼女の死の先にも、人生は続いている
その220 Kazik Radwanski&"How Heavy This Hammer"/カナダ映画界の毛穴に迫れ!
その221 Vladimir Durán&"Adiós entusiasmo"/コロンビア、親子っていうのは何ともかんとも
その222 Paul Negoescu&"O lună în Thailandă"/今の幸せと、ありえたかもしれない幸せと
その223 Anatol Durbală&"Ce lume minunată"/モルドバ、踏み躙られる若き命たち
その224 Jang Woo-jin&"Autumn, Autumn"/でも、幸せって一体どんなだっただろう?
その225 Jérôme Reybaud&"Jours de France"/われらがGrindr世代のフランスよ
その226 Sebastian Mihăilescu&"Apartament interbelic, în zona superbă, ultra-centrală"/ルーマニアと日本、奇妙な交わり
その227 パス・エンシナ&"Ejercicios de memoria"/パラグアイ、この忌まわしき記憶をどう語ればいい?
その228 アリス・ロウ&"Prevenge"/私の赤ちゃんがクソ共をブチ殺せと囁いてる
その229 マッティ・ドゥ&"Dearest Sister"/ラオス、横たわる富と恐怖の溝
その230 アンゲラ・シャーネレク&"Orly"/流れゆく時に、一瞬の輝きを
その231 スヴェン・タディッケン&「熟れた快楽」/神の消失に、性の荒野へと
その232 Asaph Polonsky&"One Week and a Day"/イスラエル、哀しみと真心のマリファナ
その233 Syllas Tzoumerkas&"A blast"/ギリシャ、激発へと至る怒り
その234 Ektoras Lygizos&"Boy eating the bird's food"/日常という名の奇妙なる身体性
その235 Eloy Domínguez Serén&"Ingen ko på isen"/スウェーデン、僕の生きる場所
その236 Emmanuel Gras&"Makala"/コンゴ、夢のために歩き続けて
その237 ベロニカ・リナス&「ドッグ・レディ」/そして、犬になる
その238 ルクサンドラ・ゼニデ&「テキールの奇跡」/奇跡は這いずる泥の奥から
その239 Milagros Mumenthaler&"La idea de un lago"/湖に揺らめく記憶たちについて
その240 アッティラ・ティル&「ヒットマン:インポッシブル」/ハンガリー、これが僕たちの物語
その241 Vallo Toomla&"Teesklejad"/エストニア、ガラスの奥の虚栄
その242 Ali Abbasi&"Shelly"/この赤ちゃんが、私を殺す
その243 Grigor Lefterov&"Hristo"/ソフィア、薄紫と錆色の街
その244 Bujar Alimani&"Amnestia"/アルバニア、静かなる激動の中で
その245 Livia Ungur&"Hotel Dallas"/ダラスとルーマニアの奇妙な愛憎
その246 Edualdo Williams&"El auge del humano"/うつむく世代の生温き黙示録
その247 Ralitza Petrova&"Godless"/神なき後に、贖罪の歌声を
その248 Ben Young&"Hounds of Love"/オーストラリア、愛のケダモノたち
その249 Izer Aliu&"Hunting Flies"/マケドニア、巻き起こる教室戦争
その250 Ana Urushadze&"Scary Mother"/ジョージア、とある怪物の肖像
その251 Ilian Metev&"3/4"/一緒に過ごす最後の夏のこと
その252 Cyril Schäublin&"Dene wos guet geit"/Wi-Fi スマートフォン ディストピア
その253 Alena Lodkina&"Strange Colours"/オーストラリア、かけがえのない大地で
その254 Kevan Funk&"Hello Destroyer"/カナダ、スポーツという名の暴力
その255 Katarzyna Rosłaniec&"Szatan kazał tańczyć"/私は負け犬になるため生まれてきたんだ
その256 Darío Mascambroni&"Mochila de plomo"/お前がぼくの父さんを殺したんだ
その257 ヴィルジル・ヴェルニエ&"Sophia Antipolis"/ソフィア・アンティポリスという名の少女
その258 Matthieu Bareyre&“l’Epoque”/パリ、この夜は私たちのもの
その259 André Novais Oliveira&"Temporada"/止まることない愛おしい時の流れ
その260 Xacio Baño&"Trote"/ガリシア、人生を愛おしむ手つき
その261 Joshua Magar&"Siyabonga"/南アフリカ、ああ俳優になりたいなぁ
その262 Ognjen Glavonić&"Dubina dva"/トラックの棺、肉体に埋まる銃弾
その263 Nelson Carlo de Los Santos Arias&"Cocote"/ドミニカ共和国、この大いなる国よ
その264 Arí Maniel Cruz&"Antes Que Cante El Gallo"/プエルトリコ、貧しさこそが彼女たちを
その265 Farnoosh Samadi&"Gaze"/イラン、私を追い続ける視線
その266 Alireza Khatami&"Los Versos del Olvido"/チリ、鯨は失われた過去を夢見る
その267 Nicole Vögele&"打烊時間"/台湾、眠らない街 眠らない人々
その268 Ashley McKenzie&"Werewolf"/あなたしかいないから、彷徨い続けて
その269 エミール・バイガジン&"Ranenyy angel"/カザフスタン、希望も未来も全ては潰える
その270 Adriaan Ditvoorst&"De witte waan"/オランダ映画界、悲運の異端児
その271 ヤン・P・マトゥシンスキ&「最後の家族」/おめでとう、ベクシンスキー
その272 Liryc Paolo Dela Cruz&"Sa pagitan ng pagdalaw at paglimot"/フィリピン、世界があなたを忘れ去ろうとも
その273 ババク・アンバリ&「アンダー・ザ・シャドウ」/イラン、母という名の影
その274 Vlado Škafar&"Mama"/スロヴェニア、母と娘は自然に抱かれて
その275 Salomé Jashi&"The Dazzling Light of Sunset"/ジョージア、ささやかな日常は世界を映す
その276 Gürcan Keltek&"Meteorlar"/クルド、廃墟の頭上に輝く流れ星
その277 Filipa Reis&"Djon África"/カーボベルデ、自分探しの旅へ出かけよう!
その278 Travis Wilkerson&"Did You Wonder Who Fired the Gun?"/その"白"がアメリカを燃やし尽くす
その279 Mariano González&"Los globos"/父と息子、そこに絆はあるのか?
その280 Tonie van der Merwe&"Revenge"/黒人たちよ、アパルトヘイトを撃ち抜け!
その281 Bodzsár Márk&"Isteni müszak"/ブダペスト、夜を駆ける血まみれ救急車
その282 Winston DeGiobbi&"Mass for Shut-Ins"/ノヴァスコシア、どこまでも広がる荒廃
その283 パスカル・セルヴォ&「ユーグ」/身も心も裸になっていけ!
その284 Ana Cristina Barragán&"Alba"/エクアドル、変わりゆくわたしの身体を知ること
その285 Kyros Papavassiliou&"Impressions of a Drowned Man"/死してなお彷徨う者の詩
その286 未公開映画を鑑賞できるサイトはどこ?日本からも観られる海外配信サイト6選!
その287 Kaouther Ben Hania&"Beauty and the Dogs"/お前はこの国を、この美しいチュニジアを愛してるか?
その288 Chloé Robichaud&"Pays"/彼女たちの人生が交わるその時に
その289 Kantemir Balagov&"Closeness"/家族という名の絆と呪い
その290 Aleksandr Khant&"How Viktor 'the Garlic' Took Alexey 'the Stud' to the Nursing Home"/オトンとオレと、時々、ロシア
その291 Ivan I. Tverdovsky&"Zoology"/ロシア、尻尾に芽生える愛と闇
その292 Emre Yeksan&"Yuva"/兄と弟、山の奥底で
その293 Szőcs Petra&"Deva"/ルーマニアとハンガリーが交わる場所で
その294 Flávia Castro&"Deslemblo"/喪失から紡がれる"私"の物語