鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Robert Budina&"A Shelter Among the Clouds"/アルバニア、信仰をめぐる旅路

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日本人は無宗教な人種だとよく言われる。しかしそれは少し間違っているのではないかと自分は思う。個人的には、日本人はそれ以前に宗教という概念をそもそも理解していないのが実際のところでは?と思っている。それは宗教的な事柄があまりにも世俗化されすぎて(例えば初詣やクリスマスなど)実体を失っているゆえだ。だからアメリカ映画におけるキリスト教的要素など宗教に関しては理解が難しいのだ。今回紹介するアルバニア映画、Robert Budina監督作“A Shelter Among the Clouds”も日本人からすれば難しいかもしれない。だが宗教という概念の複雑さ、その一端へ確かに触れることができる一作でもある。

今作の主人公は中年男性のベンシック(Arben Bajraktaraj)、彼はアルバニアの山奥で羊飼いとして暮らしている。そんな仕事の傍ら、寝たきりの父親を孤独に介護する日々をも送っていた。敬虔なイスラム教徒である彼の心の拠り所はアラーであり、毎日欠かさずに祈りを捧げ続けている。

まず監督は広大な自然の中に根づいている日常を丹念に描き出していく。崇高さを帯びた山々に囲まれながらベンシックは羊などの動物たちを育てている。その合間には大地や風の存在を全身で感じとりながら祈りを捧げていく。そういった風景を撮影監督のMarius Panduruは端正に切り取っていくのだ。そこには静かなる情熱が宿り、観る者に畏敬の念を抱かせるだろう。

ある日、ベンシックは足しげく通っていたモスクの壁に謎のほころびを見つける。修復のためにやってきた外部の調査員が言うには、壁の奥に見えるのは聖母マリアの壁画であり、つまりこのモスクは昔カトリック教徒が通う教会であったことが判明したのである。

小さなこの村では宗教が共生してきた歴史がある。イスラム教とキリスト教がデリケートな平衡感覚の上で持ちつ持たれつ生きてきたのだ。しかしモスクが教会だと判明した後から、その均衡が崩れ始める。ベンシック自身はこのモスクをキリスト教徒にも解放すべきであると主張するのだが、イスラム教徒たちはそれに反対し、不満が噴出し始める。

ベンシックの人生自体も、この宗教の複雑な対立を反映していると言えるかもしれない。亡き母は敬虔なキリスト教徒であったのだが、父は共産主義者であり宗教を忌み嫌っている無神論者でもある。しかしベンシックはどちらの宗教観も受け継ぐことなきイスラム教を信仰することとなる。それについて父は常に文句を言いながらも、外の声には耳も貸さず、彼は厳格にアラーに祈りを捧げ続ける。

物語において中心となるのは、そんなベンシックの信仰が様々な側面から試される姿だ。彼はリリエ(Suela Bako)という調査員の女性と出会い、信仰について様々な対話を重ねながら、微妙な関係性に陥っていく。だが帰省してきたきょうだいたちとは仲違いをし、どうにも苦悩が募る。追い打ちをかけるように、介護していた父親の容態が急に悪くなり危篤状態に陥ってしまう。そうしてベンシックは“自分はどうすればいいのか?” “何をすればいいのか?”を常に問われることになる。

そして彼の宗教的な苦悩が崇高なる雰囲気で以て描かれていく。物語には信仰を震わされる時に、自分の存在それ自体をも震わされてしまうという実存的な震えが濃厚にある。そんな中で小さな祈りが大自然の中に響き渡る様はこの苦悩がいかに切実かを指し示していると言えるだろう。この果てに、ベンシックが1つの選択を行うことになる。

今作は宗教的な混迷が巻き起こす試練に直面する男の姿を描き出した作品だ。この映画のニュアンスを深くまで理解するのは、日本人には難しいかもしれない。しかし宗教という大きな概念をひとりの男の小さな視点から描き出すという作品ゆえに、宗教というものに触れるにはいい出発点でもあるかもしれない。

Roberto Budinaアルバニアを拠点とする映画作家だ。まず演劇を学んだ後、戯曲の執筆や舞台の演出を多く手掛ける。2001年にはSabina Kodraと共に製作会社ERAFILMを設立し、ここから映画製作に乗り出す。日本でも上映されたラウラ・ビスプリ監督の「処女の誓い」の製作も務めていた。映画作家としては2012年の初長編である"Agon"を完成させる。よりよい未来のためにギリシャへと移住した兄弟の姿を追った作品で、2014年のオスカー外国語賞アルバニア代表にも選ばれた。そして2018年には今作を完成させ、タリン・ブラックナイツ映画祭で好評を博すことになった。ということでBudina監督の今後に期待。

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私の好きな監督・俳優シリーズ
その321 Katherine Jerkovic&"Las Rutas en febrero"/私の故郷、ウルグアイ
その322 Adrian Panek&"Wilkołak"/ポーランド、過去に蟠るナチスの傷痕
その323 Olga Korotko&"Bad Bad Winter"/カザフスタン、持てる者と持たざる者
その324 Meryem Benm'Barek&"Sofia"/命は生まれ、人生は壊れゆく
その325 Teona Strugar Mitevska&"When the Day Had No Name"/マケドニア、青春は虚無に消えて
その326 Suba Sivakumaran&“House of the Fathers”/スリランカ、過去は決して死なない
その327 Blerta Zeqiri&"Martesa"/コソボ、過去の傷痕に眠る愛
その328 Csuja László&"Virágvölgy"/無邪気さから、いま羽ばたく時
その329 Agustina Comedi&"El silencio es un cuerpo que cae"/静寂とは落ちてゆく肉体
その330 Gabi Virginia Șarga&"Să nu ucizi"/ルーマニア、医療腐敗のその奥へ
その331 Katharina Mückstein&"L'animale"/オーストリア、恋が花を咲かせる頃
その332 Simona Kostova&"Dreissig"/30歳、求めているものは何?
その333 Ena Sendijarević&"Take Me Somewhere Nice"/私をどこか素敵なところへ連れてって
その334 Miko Revereza&"No Data Plan"/フィリピン、そしてアメリカ
その335 Marius Olteanu&"Monștri"/ルーマニア、この国で生きるということ
その336 Federico Atehortúa Arteaga&"Pirotecnia"/コロンビア、忌まわしき過去の傷

Federico Atehortúa Arteaga&"Pirotecnia"/コロンビア、忌まわしき過去の傷

さて、コロンビアである。この地では60年代からつい最近まで政府軍と反政府軍による内戦が続いていた。それはコロンビアの大地に、コロンビアに生きる人々の心に深い傷を刻みつけていった。ゆえにこの国の映画作家たちは様々な形でこのテーマについて扱ってきたが、今回紹介するのはそれらとは全く違う方法でこの傷との対面を図るドキュメンタリー、Federico Atehortúa Arteaga監督作である“Pirotecnia”だ。

まず今作にはある写真が浮かび上がる。野外に放置された、椅子にくくりつけられた4つの死体と、それを眺める群衆たちを捉えた写真である。その構図はどこか奇妙で、不気味な印象を見る者に与える。そしてナレーターは私たちに説明する。ここで写し出されている事件こそがコロンビアにおける映画史の始まりなのだと。

1904年、当時のコロンビア大統領であるラファエル・レジェス、彼を狙った暗殺事件が巻き起こった。それは未遂に終わり、容疑者である4人は即刻捕らえられて銃殺刑に処されることになった。冒頭の写真は正にそれを示している訳だ。この後、大統領たちは暗殺未遂事件を自分たちで再演することになる。そしてこれを映像として残し民衆に見せつけることで、権力の強化を図ったというのだ。つまりこれこそが映画史の始まりという訳である。

これが説明された後、監督はもっと個人的なことへ話題を転換する。監督の母親はある日を境に全く喋らなくなってしまったのである。医者や迷信に頼りながら原因を究明していくのだが、理由は不明のままである。唯一の手がかりは彼女が残した膨大なホームビデオにあるのかもしれない。そう思った監督は広大な映像の海へと飛び込んでいく。

今作は様々な観点からコロンビアの歴史を俯瞰していくドキュメンタリーだ。まず映るのは軍服姿でポーズを決める子供の頃の監督の姿だ。この軍服は当時コロンビアを騒がしていた反政府の左翼ゲリラFARCにインスパイアされたものらしいが、その繋がりを起点として、今度はそのFARCの実際のメンバーがジャングルを行く記録映像が映し出される。そして60年代の白黒映像、もっと後にカラーで紡がれる内戦の光景、それらが歴史において長く続いてきた暴力の凄まじさを語る。

その中で暴力はさらに苛烈なものとなっていく。皆さんは“Falsos positivos”という事件をご存じだろうか。これは政府軍たちが農村の若者や障害者を集め、組織的に殺害、そしてこの死体をゲリラ兵士と偽装することで、武勲を捏造したり作戦の成功を国民に喧伝するなどしていたのだ。実際、政府軍に死体を売り渡したという兵士たちもインタビューに答える。それほどコロンビア内戦は悍ましいものだったのだ。

本作の特徴は個人的な記憶と国としての歴史が同列のものとして扱われながら、この2つの間を行き交うという構成である。そこにおいては個人の小さな記憶が血腥い歴史の傷を雄弁に語ると共に、大いなる歴史のうねりから犠牲になった1人1人の悲鳴が聞こえてくる。例えば女性たちが、軍服を着た青年の写真を掲げる姿には個人の悲しみと歴史の残酷さが交わりある。このダイナミクスこそが本作の核にあるものなのである。

コロンビアの歴史を語る時にはまず戦争を語らなくてはならない。しかし戦争を語るには死と墓場について語る必要があるのだ……“Pirotecnia”を象徴するような言葉だ。私たちは本作を観ながら、こんなにも生々しい死を背負ってコロンビアの人々は生きていかなくてはならないのかと気が遠くなるだろう。霧深い雨の野原を歩く、物言わぬ監督の母の姿からはそんな悲しみが濃厚に滲んでくる。

Marius Olteanu&"Monștri"/ルーマニア、この国で生きるということ

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さて、ルーマニアである。東欧に位置しながらもスラブ民族ではなくロマンス民族で構成された異端の国、EUに所属する中では最貧国の1つとして数えられながらもITなどの面で経済は急成長を遂げている急進国家。そんな過渡期にある国で生きることにはどんな意味があるのだろう。独りで生きる、誰かと共に生きる。男性として生きる、女性として生きる。異性愛者として生きる、同性愛者として生きる。幸福を味わいながら生きる、不幸を抱きながら生きる。そこにどんな意味があるのだろうか。それを突き詰めんとする作品がルーマニアの新鋭Marius Olteanu監督のデビュー長編“Monștri”だ。

ダナ(「シエラネバダ」Judith State)は重いトランクを抱えて、ブカレストの家へと帰ろうとするところだった。タクシーを捕まえて乗り込むのだったが、彼女は何故だか憂鬱そうな表情を浮かべたままでいる。そしてタクシーは自宅近くまで辿り着くのであるが、彼女は帰ろうとしない。そこには一体どんな理由があるというのだろうか?

まず本作はダナの心情を丹念に追っていく。彼女はタクシーに乗る前に、駅のトイレで涙を流す。何か心の中で激動が起こっていることの証明だろう。そしてその悲壮な感情は時間が経つにつれて深まっていく。グズグズとして家に帰らないままでいると、偶然出会った友人の妻が産気づいたので相乗りすることになる。そこでも彼女は機嫌が悪いのを隠すことはないのだが、ふと生まれた狭間の時間、タクシー運転手のアレックス(「4ヵ月、3週と2日」Alexandru Potocean)と他愛ない会話を繰り広げるうち、何かが浮かび上がり始める。

監督の演出はルーマニア映画界直系の極まったリアリズムに裏打ちされたものであると形容すべきだろう。途切れることのない長回しで以て、Olteanuと撮影監督のLuchian Ciobanuは登場人物の表情や挙動の移り変わりを繊細に焼きつけていく。更に普通とは違う縦長のスクリーンサイズは息苦しい閉所恐怖症的な感覚を観る者に与えていく。そして劇伴などの装飾は極力切り詰められたミニマルさの中に、豊かな感情が静かに沁み渡り始めるのだ。

今作は3幕構成となっているのだが、2幕目はアンドレイ(Cristian Popa)という男性の姿を描いていく。ジムで汗を流した後、彼はとあるアパートの一室へと向かうことになる。そこには年上だろう壮年男性(現代ルーマニア映画においては毎度お馴染みシェルバン・パヴル)が待っている。彼らはぎこちなくも、酒を飲みながら会話を繰り広げるのだったが……

1幕とは異なり、こちらは会話劇が主体と言えるだろう。彼らは様々なことについて話す。酒の好み、恋人関係のような深い関係性への態度などその話題は多岐に渡る。そのうち壮年男性は同性の恋人と別れた経験について話し始める。つまりは彼は同性愛者なのであり、2人も行きずりではあるが(劇中にはゲイ同士のマッチング・アプリGrindrも登場する)そうした同性愛の関係にあることが明らかになっていく。

2幕のテーマはルーマニアで男を愛する男として生きることについてだ。同性愛者であることはひた隠しにしながら、同時に家庭を隠れ蓑としながら愛し合わなければならない実情がここでは赤裸々に綴られる。そして男性同士が愛しあうにはアパートなどの誰にも見られない密室で密やかにする必要があるのだと、彼らの態度からは見て取れる。

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ここでルーマニアにおける同性愛者が置かれる実情について見ていこう。ルーマニアの漫画家であるAndreea ChiricăThe Guardianに掲載したコミックによると、同性愛者が表だって愛しあえる場所はルーマニアブカレストにはとても少ないそうである。特に男性の同性愛者はアパートの密室など個室に隠れるか、数少ないクィア・フレンドリーなクラブに行くしかキスすらも出来ない。もし見つかったら“ホモ!ペド野郎!”と罵倒されるのが顛末だという。

更に最近では同性婚を禁止するために、結婚を“男と女”のものにするための憲法改正をめぐる国民投票ルーマニアでは行われた。ボイコットによって投票は無効になりながらも、同性婚禁止賛成派は90%以上という実情が突きつけられることとなってしまう。

そんな国で同性愛についての映画を作ることはとても意味のあることだろう。以前このブログでも紹介した“Câteva conversaţii despre o fată foarte înaltă”も、女性同士のカップルがアパートの一室の中に愛をひた隠しにする姿がする姿が映し出されていた。更に2018年に最も話題になったと言っていいルーマニア映画”Soldații. Poveste din Ferentari"はロマの文化研究者である男性とその文化の担い手である男性同士のロマンスを描き出した作品なのだが、友人が伝えるところによるとルーマニア正教の保守的な信者たちが映画館の前で抗議活動を行ったそうだ。それほどルーマニアは同性愛に対して保守的なのである。そういう意味でここにおいて描かれる男性同士の微妙な愛の関係性は重要なものだろう。

そして様々なテーマを抱えながら本作は3幕目へと至ることになる。ここで初めてダナとアンドレイは夫婦であることが明かされることになる。彼は一緒に朝を過ごし、隣人に挨拶をし、友人の子供の洗礼式に参加する。そんな何の変哲もない普通のに日常が淡々と綴られていくことになる。

監督はそれぞれの事情を抱えるゆえに不安定な関係性にある彼らの感情の機微を、繊細に捉えていく。端から見ればダナたちはごく一般的に幸せそうな夫婦に見えるだろう。しかしふとした瞬間に彼らの姿から不安や焦燥感が溢れ出す瞬間が存在している。ままならない人生に対する透明な絶望感のようなーおのがそこには滲み渡るのだ。

この豊かさを支えるのが主演の夫婦を演じる2人である。まずStateは圧倒的な孤独を体現する女性として観客に静かなインパクトを与えるだろう。そしてPopaはどうしていいか分からない衝動と不安、そして愛を持て余す男性の姿を魅力的に演じていく。そんな2人の抱える淀みがゆっくりと溶け合いながら、濃密なまでに不確かで濁った感情が露になっていく様は正に圧巻だ。

"Monștri"という作品は、ルーマニアという国に生きる意味を徹底して浮かび上がらせようとする渾身の1作だ。そしてそこにどんな感情が滲み渡ろうとも、しかし人生は続いていかざるをえないのだということも我々に教えてくれる。

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ルーマニア映画界を旅する
その1 Corneliu Porumboiu & "A fost sau n-a fost?"/1989年12月22日、あなたは何をしていた?
その2 Radu Jude & "Aferim!"/ルーマニア、差別の歴史をめぐる旅
その3 Corneliu Porumboiu & "Când se lasă seara peste Bucureşti sau Metabolism"/監督と女優、虚構と真実
その4 Corneliu Porumboiu &"Comoara"/ルーマニア、お宝探して掘れよ掘れ掘れ
その5 Andrei Ujică&"Autobiografia lui Nicolae Ceausescu"/チャウシェスクとは一体何者だったのか?
その6 イリンカ・カルガレアヌ&「チャック・ノリスVS共産主義」/チャック・ノリスはルーマニアを救う!
その7 トゥドール・クリスチャン・ジュルギウ&「日本からの贈り物」/父と息子、ルーマニアと日本
その8 クリスティ・プイウ&"Marfa şi Banii"/ルーマニアの新たなる波、その起源
その9 クリスティ・プイウ&「ラザレスク氏の最期」/それは命の終りであり、世界の終りであり
その10 ラドゥー・ムンテアン&"Hîrtia va fi albastrã"/革命前夜、闇の中で踏み躙られる者たち
その11 ラドゥー・ムンテアン&"Boogie"/大人になれない、子供でもいられない
その12 ラドゥー・ムンテアン&「不倫期限」/クリスマスの後、繋がりの終り
その13 クリスティ・プイウ&"Aurora"/ある平凡な殺人者についての記録
その14 Radu Jude&"Toată lumea din familia noastră"/黙って俺に娘を渡しやがれ!
その15 Paul Negoescu&"O lună în Thailandă"/今の幸せと、ありえたかもしれない幸せと
その16 Paul Negoescu&"Două lozuri"/町が朽ち お金は無くなり 年も取り
その17 Lucian Pintilie&"Duminică la ora 6"/忌まわしき40年代、来たるべき60年代
その18 Mircea Daneliuc&"Croaziera"/若者たちよ、ドナウ川で輝け!
その19 Lucian Pintilie&"Reconstituirea"/アクション、何で俺を殴ったんだよぉ、アクション、何で俺を……
その20 Lucian Pintilie&"De ce trag clopotele, Mitică?"/死と生、対話と祝祭
その21 Lucian Pintilie&"Balanța"/ああ、狂騒と不条理のチャウシェスク時代よ
その22 Ion Popescu-Gopo&"S-a furat o bombă"/ルーマニアにも核の恐怖がやってきた!
その23 Lucian Pintilie&"O vară de neuitat"/あの美しかった夏、踏みにじられた夏
その24 Lucian Pintilie&"Prea târziu"/石炭に薄汚れ 黒く染まり 闇に墜ちる
その25 Lucian Pintilie&"Terminus paradis"/狂騒の愛がルーマニアを駆ける
その26 Lucian Pintilie&"Dupa-amiaza unui torţionar"/晴れ渡る午後、ある拷問者の告白
その27 Lucian Pintilie&"Niki Ardelean, colonel în rezelva"/ああ、懐かしき社会主義の栄光よ
その28 Sebastian Mihăilescu&"Apartament interbelic, în zona superbă, ultra-centrală"/ルーマニアと日本、奇妙な交わり
その29 ミルチャ・ダネリュク&"Cursa"/ルーマニア、炭坑街に降る雨よ
その30 ルクサンドラ・ゼニデ&「テキールの奇跡」/奇跡は這いずる泥の奥から
その31 ラドゥ・ジュデ&"Cea mai fericită fată din ume"/わたしは世界で一番幸せな少女
その32 Ana Lungu&"Autoportretul unei fete cuminţi"/あなたの大切な娘はどこへ行く?
その33 ラドゥ・ジュデ&"Inimi cicatrizate"/生と死の、飽くなき饗宴
その34 Livia Ungur&"Hotel Dallas"/ダラスとルーマニアの奇妙な愛憎
その35 アドリアン・シタル&"Pescuit sportiv"/倫理の網に絡め取られて
その36 ラドゥー・ムンテアン&"Un etaj mai jos"/罪を暴くか、保身に走るか
その37 Mircea Săucan&"Meandre"/ルーマニア、あらかじめ幻視された荒廃
その38 アドリアン・シタル&"Din dragoste cu cele mai bune intentii"/俺の親だって死ぬかもしれないんだ……
その39 アドリアン・シタル&"Domestic"/ルーマニア人と動物たちの奇妙な関係
その40 Mihaela Popescu&"Plimbare"/老いを見据えて歩き続けて
その41 Dan Pița&"Duhul aurului"/ルーマニア、生は葬られ死は結ばれる
その42 Bogdan Mirică&"Câini"/荒野に希望は潰え、悪が栄える
その43 Szőcs Petra&"Deva"/ルーマニアとハンガリーが交わる場所で
その44 Bogdan Theodor Olteanu&"Câteva conversaţii despre o fată foarte înaltă"/ルーマニア、私たちの愛について
その45 Adina Pintilie&"Touch Me Not"/親密さに触れるその時に
その46 Radu Jude&"Țara moartă"/ルーマニア、反ユダヤ主義の悍ましき系譜
その47 Gabi Virginia Șarga&"Să nu ucizi"/ルーマニア、医療腐敗のその奥へ

私の好きな監督・俳優シリーズ
その321 Katherine Jerkovic&"Las Rutas en febrero"/私の故郷、ウルグアイ
その322 Adrian Panek&"Wilkołak"/ポーランド、過去に蟠るナチスの傷痕
その323 Olga Korotko&"Bad Bad Winter"/カザフスタン、持てる者と持たざる者
その324 Meryem Benm'Barek&"Sofia"/命は生まれ、人生は壊れゆく
その325 Teona Strugar Mitevska&"When the Day Had No Name"/マケドニア、青春は虚無に消えて
その326 Suba Sivakumaran&“House of the Fathers”/スリランカ、過去は決して死なない
その327 Blerta Zeqiri&"Martesa"/コソボ、過去の傷痕に眠る愛
その328 Csuja László&"Virágvölgy"/無邪気さから、いま羽ばたく時
その329 Agustina Comedi&"El silencio es un cuerpo que cae"/静寂とは落ちてゆく肉体
その330 Gabi Virginia Șarga&"Să nu ucizi"/ルーマニア、医療腐敗のその奥へ
その331 Katharina Mückstein&"L'animale"/オーストリア、恋が花を咲かせる頃
その332 Simona Kostova&"Dreissig"/30歳、求めているものは何?
その333 Ena Sendijarević&"Take Me Somewhere Nice"/私をどこか素敵なところへ連れてって
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その335 Marius Olteanu&"Monștri"/ルーマニア、この国で生きるということ

Miko Revereza&"No Data Plan"/フィリピン、そしてアメリカ

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いわゆる紀行映画(トラヴェログ)というジャンルがある。ある人物がめぐる旅路の中で見る風景や体験する出来事を捉えていくことで紡がれていく映画のことだ。こういった作品を観ていると、自分たちも語り手と同じく旅をしているような、そんな心地を味わうことができる。Miko Revereza監督による長編作品“No Data Plan”はそんな紀行映画の系譜に属する作品だと言えるだろう。

今作の語り手はフィリピンからの違法移民である映画作家のRevereza自身だ。彼は列車で以てアメリカはニューヨークからロサンゼルスまで、長い長い陸路を旅することを決意する。そんな彼は映画作家としての性とばかり、旅の過程でカメラを回し続けるのだが、そんな旅路は自身の境遇について振り返るための大切な時間となっていく。

彼は字幕によって自身についてを少しずつ観客に語っていく。フィリピンからアメリカへとやってきた経験について、母親が不倫をして家族から離れては戻ってくるという経験について。字幕のみで綴られていく静かな語りの数々は素朴ながら、観る者自身にも人生を振り返させるような叙情性に満ち溢れている。

同時に描かれるのは監督の旅路である。例えばスクリーンに浮かび上がるのは乗客でごった返す駅のホーム、電車の席に身体を深く埋めて休む人々、窓にこびりついた真っ白い汚れや夥しい傷、車窓に浮かんでは消えていく風景。そういった何の変哲もない光景の数々を、監督は淡々と捉えていき、私たちの目の前に差し出していく。

しかしその光景たちがだんだんと美しさを獲得していくのだ。途中で監督が立ち寄る灰色がかった青に包まれた街では、そそりたつ電灯や駐車場で談笑する人々が見えてくる。夜の闇では宝石のような輝きを放つ灯りが、閃光のように車窓を駆け抜け、白い残像を残していく。そしてある時、監督は電車の最後部で遠ざかっていく風景を映し出すことになる。小さくなっていく木々や野原は何でもない風景のはずだが、そこには胸を締めつけるような感覚が宿っている。それはここに観る者それぞれの記憶を喚起するような郷愁が存在しているからだ。

そして物語を通じて、この郷愁はどんどん膨らんでいく。旅それ自体は広大なるアメリカを縦断するという大いなる旅路だ。しかし監督が朴吶と語る記憶の数々は個人的でごく小さなものばかりだ。この大いなる旅路とちっぽけな記憶が静かに重なりあうことで、郷愁が醸し出されていく様は切実であり、感動的だ。

“No Data Plan”は小さなものと大きなものが静かに重なりあうことで形を成していく、素朴だけども美しい紀行映画だ。この旅路の中に私たちはそれぞれの記憶を見いだすことによって、人生という旅の奥深くまで潜りこんでいく、そんな切なる映画体験に埋没することになるはずだ。

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私の好きな監督・俳優シリーズ
その321 Katherine Jerkovic&"Las Rutas en febrero"/私の故郷、ウルグアイ
その322 Adrian Panek&"Wilkołak"/ポーランド、過去に蟠るナチスの傷痕
その323 Olga Korotko&"Bad Bad Winter"/カザフスタン、持てる者と持たざる者
その324 Meryem Benm'Barek&"Sofia"/命は生まれ、人生は壊れゆく
その325 Teona Strugar Mitevska&"When the Day Had No Name"/マケドニア、青春は虚無に消えて
その326 Suba Sivakumaran&“House of the Fathers”/スリランカ、過去は決して死なない
その327 Blerta Zeqiri&"Martesa"/コソボ、過去の傷痕に眠る愛
その328 Csuja László&"Virágvölgy"/無邪気さから、いま羽ばたく時
その329 Agustina Comedi&"El silencio es un cuerpo que cae"/静寂とは落ちてゆく肉体
その330 Gabi Virginia Șarga&"Să nu ucizi"/ルーマニア、医療腐敗のその奥へ
その331 Katharina Mückstein&"L'animale"/オーストリア、恋が花を咲かせる頃
その332 Simona Kostova&"Dreissig"/30歳、求めているものは何?
その333 Ena Sendijarević&"Take Me Somewhere Nice"/私をどこか素敵なところへ連れてって
その334 Miko Revereza&"No Data Plan"/フィリピン、そしてアメリカ

Ena Sendijarević&"Take Me Somewhere Nice"/私をどこか素敵なところへ連れてって

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旧ユーゴ圏において血みどろの紛争が繰り広げられる中で、ユーゴスラビアの人々は平和を求めて世界各国へと離散することになる。その中でそれぞれの第2の故郷で成長を果たし、育っていった世代が映画作家として活躍する時代がやってきた。ロッテルダム国際映画祭のコンペティション部門で先頃上映された作品“Take Me Somewhere Nice”の監督Ena Sendijarevićは、正にその世代にある映画作家だ。そして本作はオランダで育ったボスニア人作家による自身のルーツをめぐる魅力的な作品となっている

アルマ(Sara Luna Zoric)は母と一緒にオランダに暮らすボスニア人の少女だ。ある日、自分たちを置いて故郷に戻った父が病院に担ぎ込まれたとの連絡が入ってくる。母は自分を見捨てた彼に嫌悪感を隠さないが、アルマの心の中には様々な思いが渦巻く。そして彼女は父の元へと行くために、ボスニアへと旅することを決意する。

しかし旅はそんなに甘くはない。ボスニアに辿り着いたは良いのだが、頼りにしていた従兄弟のエミール(Ernad Prnjavorac)は多忙なのを理由に旅への同行を拒否してくる。仕方がないので独りでバスに乗って出発するも、揺れが酷すぎるゆえ休憩時間にゲロをブチ撒けている間にバスは出発、スーツケースごと交通手段を失ってしまう。途方にくれるアルマだったが、悩んでも意味ないのでヒッチハイクを始めるのだったが……

今作は奇妙な味つけの青春ロードムービーとなっている。劇中には間の抜けたユーモアが満載だ。映画は観客との間で絶妙な距離感を保ったままに、真顔で変な事件を起こしまくる。それに翻弄されるアルマの姿は、思わず観客を笑わせてしまうような可笑しみに満ち溢れている。

その独特のリズム感を支えるのがにEmo Weemhoffよる撮影だ。冒頭から他の平凡な作品の数々とは世界の見方や切り取り方が違うというのが分かるはずだ。空間を普通とは違った洗練されたシュールさを以て捉える感覚、現実離れした鮮やかな色彩の氾濫、光と影の滑稽な交わりあい。こういった要素の数々によって、本作はどこかおとぎ話的な感触も獲得している。

さらにこの印象を高めているのが、ミュージシャンでもあるがElla van der Woude手掛けた音楽だ。いわゆるベッドルーム・ポップという音楽ジャンルが存在するのだが、それはローファイ感を白昼夢の夢心地に接続するジャンルだと形容できる。これが全編において効果的に流れていくのだ。聞いていると、何だか自分が虹色の雲になったような気分になり、世界を漂うとそんな感覚を味わうことができる。

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そういったボタンを1つか2つほどかけ違えたような不思議な世界を、アルマは旅していく。何だかんだで来てくれたエミールと彼の“インターン”と自称する青年デニス(Lazar Dragojevic)と共に、彼女は車でボスニアを行く。父親が入院しているという病院に行ったり、彼が住んでいる家に行ったり、時々は車で野原を駆け回ったりと、彼女たちは様々な場所をめぐっていくのだ。

ボスニアのそんな風景にはどこか異国情緒が漂っている。サラエボの中心街に位置するネオン輝くデパート施設、キャバレーの極彩色の場末感、父親が住む住居の共産主義的ブルータリズムが濃厚な外観、どこまでも広がる荒涼とした野原。アルマはオランダとは微妙に異なる、故郷の景色の数々に心を揺り動かされていく。

だがその心にボスニアの現実が迫ってくる。確かにアルマはボスニア人ではある。しかしオランダに移り住んだ彼女と、ボスニアに住み続けるエミールたちとの間には確かな壁が存在している。彼らは旅を手伝ったり友好的な態度を取ったりしながらも、微かな不信感をも抱いている。そこからはボスニアが今直面している貧しい現実の存在がある。持つ者と持たざる者の微妙な分かりあえなさが厳然として存在するのだ。

それでいて劇中においてはこの緊張感を背景として、愛とも他の感情ともつかぬ三角関係が形成される。最初アルマはデニスと良い雰囲気になるのだが、彼には恋人がいるらしい。エミールは性格的にクソ野郎で無職というダメっぷりだが、時おり無性に愛おしくなる瞬間があったりしてアルマの心は揺れる。この少女漫画を彷彿とさせる複雑な三角関係もまた、旅を彩っていくのだ。

今作の核になるのはアルマを演じるSara Luna Zoricの存在感だ。常に野良犬のような不機嫌な表情を張りつけながら、彼女は旅を続ける。その中でふてぶてしい態度を取るかと思えば、驚くほどに繊細な表情を露にすることもある。この思春期特有の不安定な二面性が、今作をさらに興味深いものにしていると言っていいだろう。

“Take Me Somewhere Nice”は自分のルーツを探ろうとする少女の不思議な旅路を描いた作品だ。背景にはアイデンティティーの探求やボスニア紛争の深い傷跡など難しいテーマが絡み合っている。しかし観客は、それら全てを包み込んだ、本作の寛大なる愛らしさに深く魅了されること請け合いだろう。

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私の好きな監督・俳優シリーズ
その321 Katherine Jerkovic&"Las Rutas en febrero"/私の故郷、ウルグアイ
その322 Adrian Panek&"Wilkołak"/ポーランド、過去に蟠るナチスの傷痕
その323 Olga Korotko&"Bad Bad Winter"/カザフスタン、持てる者と持たざる者
その324 Meryem Benm'Barek&"Sofia"/命は生まれ、人生は壊れゆく
その325 Teona Strugar Mitevska&"When the Day Had No Name"/マケドニア、青春は虚無に消えて
その326 Suba Sivakumaran&“House of the Fathers”/スリランカ、過去は決して死なない
その327 Blerta Zeqiri&"Martesa"/コソボ、過去の傷痕に眠る愛
その328 Csuja László&"Virágvölgy"/無邪気さから、いま羽ばたく時
その329 Agustina Comedi&"El silencio es un cuerpo que cae"/静寂とは落ちてゆく肉体
その330 Gabi Virginia Șarga&"Să nu ucizi"/ルーマニア、医療腐敗のその奥へ
その331 Katharina Mückstein&"L'animale"/オーストリア、恋が花を咲かせる頃
その332 Simona Kostova&"Dreissig"/30歳、求めているものは何?
その333 Ena Sendijarević&"Take Me Somewhere Nice"/私をどこか素敵なところへ連れてって

Simona Kostova&"Dreissig"/30歳、求めているものは何?

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30歳という年齢は若くもなければ老いてもいない微妙な年代と言えるだろう。巷ではこの微妙さに翻弄される人々の危機的な状況を“クォーターライフ・クライシス”と言うそうだ。今回紹介するブルガリア映画界の新星Simona Kostovaによるデビュー長編“Dreissig”はこの狭間の世代による切実なる苦悩を鮮烈に描き出した傑作と言えるだろう。

オヴィ(Övünc Güvenisik)は正にその30歳に差し掛かった男性だ。彼は小説家であるのだが、上手く物語を紡ぐことができないスランプ状態に陥ってしまっている。しかし友人たちが誕生会を開いてくれるというので、彼は気分転換とばかりに彼らと共にベルリンの街へと出掛けようと決める。

そんなオヴィの友人の1人がパスカル(Pascal Houdus)だ。彼はパリから引っ越してきたフランス人なのだが、恋人であるラハ(Raha Emami Khansari)と別れたばかりで未だに未練がタラタラだ。心機一転、今度は東京へ引っ越すことも考えているのだがイマイチ決心がつかない。そんな彼はオヴィが誕生日を迎えるということで、ヘンナー(Henner Borchers)やカーラ(Kara Schröder)たち友人を集めて夜のベルリンで誕生会を開くことにする。

こうしたあらすじから予想される通り今作はベルリンに生きる若者たちの夜を描き出した作品だ。こう言えばよくある作品と思うかもしれないが、それらとは一線を画する作品というのは冒頭から明らかだ。まずカメラはオヴィの寝顔をクロースアップで撮しとる。電話が鳴り始めると彼は起きる準備をしだし、それと共にカメラは遠くへと離れていき、最後には部屋の全容を映し出す。群青色に包まれた寒々しい部屋で、孤独に煙草を吸う侘しい姿。それを監督は5分以上にも渡る長回しで描き出すのだ。そこには何か異様な予感がある。

夜がやってくるとオヴィたち皆がはしゃぎ始める。ヘンナーの家に集まって誕生会を開き、プレゼントを上げる。そしてオヴィが出会った女性も交えて、彼らは街に繰り出してクラブで踊ったりする。そして街角を酒の勢いでブラブラ歩き回る。しかしそこに何か不思議な感情が込み上げてくるのに、観客は気づくはずだ。

今作の主体は撮影監督Anselm Belserによる長回しだ。しかしそれはただ目の前の景色を撮すだけの、素朴なものではない。冒頭における被写体との距離を少しずつ変えていく長回し、部屋の立地を利用して擬似的なスプリットスクリーンを作る長回し、自転車でベルリンを爆走するパスカルを捉え続ける汚れた血におけるドゥニ・ラヴァンを思わす長回し。そういった多種多様な長回しがここでは披露されていくのだ。

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そのどれもがベルリンという街に生きる人々の間に満ちる空気感を捉えている。例えばクラブにいる若者たちの表情を捉える長回しはそれを象徴する。濃厚なキスに興じるカップルの顔、そこから煙草を憂鬱そうに吸う人物の顔に移動し、さらにカメラは暇そうにぼんやりと虚空を眺める人物の顔へ、楽しそうに友人と会話をしている人物の顔へ、ゆらゆら移動していく。この途切れない表情の豊かさが、そのままベルリンの文化の豊かさを示している。

この長回しの根底にあるのはリアリズムの追求だ。編集や虚飾はなるべく排除してリアルな空気感を捉えようと監督は試みているのだ。ゆえにごく個人的な部屋の中に満ちる親密な雰囲気や、ベルリンの道端に蟠る空気感、満杯のクラブに満ちわたる熱気、そういったものが迫ってくるような感覚がここにはあるのだ。

さて今作の舞台はベルリンだが、監督はブルガリア人である。元々はブルガリアの首都ソフィアで俳優として活動していたが、映画作家としての道を歩もうと決意し20代でベルリンへと移住、そして2019年に今作で長編映画デビューを果たした人物だ。ブルガリアといえば、近年映画界で目覚ましい台頭を見せる国と言っていいだろう。東京国際映画祭含めて世界中の映画祭で喝采を受けた「ザ・レッスン~女教師の代償」クリスティナ・グロゼヴァ(ブログ記事)、ロカルノ映画祭で最高賞を獲得した“Godless”Ralitza Petrova(ブログ記事)、同じくロカルノの若手監督部門で作品賞を獲得した“3/4”Ilian Metev(ブログ記事)ら、素晴らしい作家陣が多い。私も2017年のベスト10に後者2本を入れたほどだ。

これらの作品に共通するのは徹底したリアリズムである。ダルデンヌ兄弟や隣国である“ルーマニアの新たなる波”に影響を受けたこの作風は、目前で起こることを見逃すまいとする苛烈なアプローチだと言える。しかしブルガリアの場合はこのリアリズムを極端に推し進めることで、正にブルガリア的としか形容しがたい唯一無二の詩情を獲得したと言える。“Godless”人間性のすべてが刈り取られた後に広がる風景を鋭く眼差すことで生まれる凍てついた虚無の詩情や、“3/4”の逆にヒューマニズムを徹底してリアルに描き抜くことで現れる感動、これがブルガリア映画の真髄だ。その現代のブルガリア人作家が持つ無二の味わいが今作にも継承されているのだ。ネオン色の詩情、ミニマル芸術的な美しさ、青春の輝き。それらがリアリズムを突き詰める過程で映し出されていくのだ。

だが監督がそれを突き詰めた先にあるのは、もっと悲壮で切実なものだ。ある時、オヴィは不愉快な場面に遭遇してふと吐き捨てる。“こりゃ何の比喩だよ?人生はクソって意味か?”そしてカーラやヘンナーも心の奥底に押し留めていた、誰にも説明できない不安定な感情に翻弄されて、夜の中で人生を見失い始める。愛の終わりの中にいるパスカルとラハは、深い孤独と直面することになる。監督が描き出す詩情に浮かび上がるものは人生を生きるにあたって避けられない侘しさや寂しさなのだ。

今作の題名“Dreissig”は正に“30”を示す単語だ。先述した通り、この年齢は若くもないし老いてもいない微妙な年代である。その狭間で自分たちは何をすればいいのか、どうやって生きればいいのか。そんな問いを真摯に考え続ける今作からは、こんな切ない叫びが聞こえてくる。“僕たちは人生に何かを求めてる。でもそれって一体何なんだ?”

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その331 Katharina Mückstein&"L'animale"/オーストリア、恋が花を咲かせる頃
その332 Simona Kostova&"Dreissig"/30歳、求めているものは何?

Katharina Mückstein&"L'animale"/オーストリア、恋が花を咲かせる頃

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恋はいついかなる時間場所でも花を咲かせる。その恋の風景の数々は共通するところがあれば、異なる部分もある。それらについて映画などを通じて知っていくことは、芸術に触れる楽しみの1つでもあるだろう。今回紹介するKatharina Mückstein監督作“L’animale”はヨーロッパの小さな一国であるオーストリアに広がるそんな風景を描き出した作品だ。

今作の主人公であるマティ(Sophie Stockinger)は思春期真っ盛りである高校生の少女だ。男勝りな性格であり、モトクロスバイクを趣味とする彼女は女子ではなく同年代の少年たちとつるんで、楽しい時を過ごしている。両親であるガビとパウル(Kathrin Resetarits&Dominik Warta)との仲も良好であり、悩みは何もないように思える。しかし彼女は将来自分がどうなっていくか想像できない、不安な時期を過ごしていた。

まずこの作品を牽引する要素は、マティが経験する青春の風景だ。彼女は郊外の採石場で仲間たちとバイクで爆走し、スリルを楽しんでいる。その合間には少年たちと粗野なお喋りを繰り広げる。時には仲間の1人が立ちションしたりなんかして、みんなを馬鹿笑いさせ、マティもその輪に混じるのだ。

その青春は微笑ましいものと思いきや、合間合間に監督は不穏な予感をも挿入していく。ある時、マティは少年たちと共にクラブへと赴く。1人の少年がふざけて少女に痴漢をするのだが、当然その行為は喧嘩に発展、2つのグループの間で火花が散る最中、マティは痴漢された少女の元に近寄ると、その顔に勢いよく唾をブチ撒ける。この光景はかなり厭な緊張感に満ち溢れている。

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監督のMüchsteinは映画学校在籍時、あの現代オーストリア映画界の第一人者であるミヒャエル・ハネケに師事していたという。ゆえに今作の演出は最近の彼の作品群に似たリアリズム重視なものであり、映画的な興奮は消し去られていると言ってもいいここにも青春の瑞々しさよりも、どこか居心地悪さや不穏さが充満しているのだ。

しかしその作風は少しずつ変わっていくのにも気づくだろう。ある日、マティはカルラ(Julia Franz Richter)という少女と出会う。彼女はガビの経営する動物病院に来院したかと思えば、偶然仲間たちと寄った食料雑貨店に店員として働いていたりと、何かと目につくようになる。そうやって出会いを繰り返すうち、マティの心の中にある感情が芽生え始める。

監督はそんなマティの心の移ろいを繊細な筆致で描き出していく。病院の用件と偽り、カルラの家へと押し掛けた後、一緒にタバコを吸ったりと交流を深める。そうすると逆に少年たちとつるまなくなっていくのだが、それに気づいた仲間の1人セバスティアン(Jack Hofer)が“恋人になって欲しい”と告白してくる。こうして板挟みになったマティは深い悩みに苛まれていく。

今作は揺れる少女の心を克明に描き出した作品だ。以前いた馴染み深い世界に留まり続けるか、それとも殻を破って新しい世界へと飛び込んでいくのか。マティを演じる○、彼女はそんな大いなる変化の兆しに直面し戸惑いながらも、何とか前へと進もうとする少女の姿を鮮やかに捉えており、印象的だ。

しかしもう1つ今作には重要なテーマがある。前半の居心地悪さの根源はいったいどこにあるのか。それはいわゆるホモソーシャルという概念の排他性に寄るものだろうと考えられる。男性同士の馴れ合いが他者、特に女性たちを不用意にかつ悪意漲る形で傷つける姿が今作では何度も描かれていく。そして女性であるマティもそこに属するゆえに、名誉男性的なメンタリティを保持していることは唾を吐き捨てる場面からも明らかだろう。しかしその凝り固まった感性が同性への淡い恋心によってほどけて、彼女は害のある価値観から抜け出していく。そういう意味で恋(加えて同性に対する)が、ポジティブに描かれていることが今作の要とも言えるだろう。

“L’animale”は恋のその時に広がる情景を他のロマンス作品とはまた違う角度から描き出した青春映画だ。きっと恋をしたマティがめぐる変化のその先には輝ける未来が待っているだろう。そしてそれは監督の映画界における将来についても同じことが言えるだろう。

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