鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済藤鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Saeed Roustaee&"Just 6.5"/正義の裏の悪、悪の裏の正義

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さて、60年代から70年代にかけては骨太の刑事ものが流行った。例えば「ダーティ・ハリー」や「フレンチ・コネクション」など、アメリカではマチズモの塊である刑事たちが犯罪者たちを執念で追い続ける作品が多数制作された。イタリアでもそれを模倣した刑事ものが多く作られ、人気を博していた。今回紹介する作品、Saeed Roustaee監督による第2長編"Just 6.5"はそんな刑事ものの系譜に位置しながらも、現代的なツイストが施された意欲作である。

今作の主人公である中年男性サマド(Peyman Moaadi)は、署内でも1,2を争うほどの辣腕を誇る刑事だ。彼はその暴力的なまでの行動力と観察眼を以て、犯罪者たちを見定めて、彼らを次々と逮捕していく。彼の行動は行き過ぎの所もありながら、その実力は否定することができなかった。

冒頭、今作においてサマドと犯罪者の追跡劇が描かれるのだが、この場面は今作を象徴していると言ってもいい。彼らはテヘランの裏路地を全速力で駆け抜けていく。明らかに若者である犯罪者の方が足は速いが、サマドは必死に彼に喰らいついていく。監督はこの場面を密度ある緊張感と激しいアクションで描き出していく。この緊迫感が今作の要であると予告するように。

前述した通り、サマドの捜査方法には少々強引なところがある。彼は常時威圧的な態度を取り続け、犯罪者を脅迫するような行動を見せる。それ故に彼は同僚たちからも恐れられている。そんな彼が特に意欲を燃やすのが、麻薬関連の事件だ。今作のあらすじにはこうある。"自分が刑事になった時、麻薬中毒者は100万人だった。だが今じゃ650万人だ!"サマドの行動理念の底にはそんなイランの腐敗した現実がある。

そんなサマドに立ちはだかるのが麻薬王ナセル(Navid Mohammadzadeh)だ。彼は多くの麻薬密売人を従えて、テヘランの街を麻薬で汚染していた。幾重にも捻じ曲がった道を執念で突き進んでいった末、彼はナセルの元に辿り着く。彼は自殺を図っていたが、何とか蘇生させ、監獄へとブチ込むことに成功する。

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ここで物語は思わぬ転換を見せる。視点がこのナセルに変わるのだ。彼は凄まじい量の犯罪者たちが収監されている監獄に収容されることになる。もはや立錐の余地もない劣悪な環境において、ナセルはあらゆる手を使って監獄から抜けだそうと奔走するのだったが……

ここから物語は例えばパピヨンなどの監獄ものへと姿を変えることになる。この監獄の環境は最悪であり、人間がゴミのように扱われている。大人の他にも子供までもが収監されており、刑事たちもそれに対して何の疑問も見せないどころか、最低の犯罪者として糾弾する態度を崩さない。監督はナセルや同房の人々の苦境を通じて、この場所の凄惨さを語るのだ。

そんな人々の苦境を目の当たりにして、ナセルは自身の犯してきた犯罪と対峙することとなる。そして苦悩しながら、彼はこの凄惨な状況に対して義憤を抱き始めることとなるのだ。なおも警察による酸鼻に耐えぬ蛮行が罷り通る中で、ナセルは自分の成せる抵抗というものを警察に対して見せていく。

驚くべきはこの過程において、ただ純粋な悪であったはずのナセルの中に、かろうじて残っていた正義が立ち現われてくるところにある。今作において悪の背景にはイランの悲惨な現実がある。監督は悪を純粋な悪とせずに、そうした背景をナセルの背中に背負わせることで物語に複雑な政治を宿していく。

そして同時に、今まで正義を体現してきたサマドという人物の中に悪が現れ始めることとなる。彼は、そして警察機構は犯罪者に対して、その人権を少しも勘案することなく、徹底して抑圧してきた。この個人としての、組織として非道さを、監督は確かに悪として描き出しているのだ。

このようにして悪に中に正義が、正義の中に悪が立ち現われてくる末に、ナセルとサマドは激突を遂げる。車中で彼らは自分たちが置かれた現状に対して言葉を投げつけ、吠え続ける。その様は演じる俳優2人の勢いある演技も相まって、凄まじい熱量を伴っているのだ。"Just 6.5"は刑事ものや監獄ものなど様々なジャンルを行き交いながらも、その先にある境地に達した稀有な意欲作である。正義と悪の多面性を、監督は誰もできない独創的な形で描き出している。

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私の好きな監督・俳優シリーズ
その341 Abbas Fahdel&"Yara"/レバノン、時は静かに過ぎていく
その342 Marie Kreutzer&"Der Boden unter den Füßen"/私の足元に広がる秘密
その343 Tonia Mishiali&"Pause"/キプロス、日常の中にある闘争
その344 María Alché&"Familia sumergida"/アルゼンチン、沈みゆく世界に漂う
その345 Marios Piperides&"Smuggling Hendrix"/北キプロスから愛犬を密輸せよ!
その346 César Díaz&"Nuestras madres"/グアテマラ、掘り起こされていく過去
その347 Beatriz Seigner&"Los silencios"/亡霊たちと、戦火を逃れて
その348 Hilal Baydarov&"Xurmalar Yetişən Vaxt"/アゼルバイジャン、永遠と一瞬
その349 Juris Kursietis&"Oļeg"/ラトビアから遠く、受難の地で
その350 済藤鉄腸オリジナル、2010年代注目の映画監督ベスト100!!!!!
その351 Shahrbanoo Sadat&"The Orphanage"/アフガニスタン、ぼくらの青春
その352 Julio Hernández Cordón&"Cómprame un revolver"/メキシコ、この暴力を生き抜いていく
その353 Ivan Marinović&"Igla ispod plaga"/響くモンテネグロ奇想曲
その354 Ruth Schweikert&"Wir eltern"/スイス、親になるっていうのは大変だ
その355 Ivana Mladenović&"Ivana cea groaznică"/サイテー女イヴァナがゆく!
その356 Ines Tanović&"Sin"/ボスニア、家族っていったい何だろう?
その357 Radu Dragomir&"Mo"/父の幻想を追い求めて
その358 Szabó Réka&"A létezés eufóriája"/生きていることの、この幸福
その359 Hassen Ferhani&"143 rue du désert"/アルジェリア、砂漠の真中に独り
その360 Basil da Cunha&"O fim do mundo"/世界の片隅、苦難の道行き
その361 Mona Nicoară&"Distanța dintre mine și mine"/ルーマニア、孤高として生きる
その362 Siniša Gacić&"Hči Camorre"/クリスティーナ、カモッラの娘
その363 Vesela Kazakova&"Cat in the Wall"/ああ、ブレグジットに翻弄されて
その364 Saeed Roustaee&"Just 6.5"/正義の裏の悪、悪の裏の正義

Vesela Kazakova&"Cat in the Wall"/ああ、ブレグジットに翻弄されて

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2016年、イギリスは国民投票によってEUからの離脱を決定した。通称ブレグジットである。これによって世界が激震を遂げたが、その中でも直接的に影響を受ける一団が東欧移民だった。ルーマニアブルガリアなどの東欧には貧しい自国から逃れて、より豊かな西欧へと移民する人々が多いが、イギリスにはそんな移民たちが多く集まっていた。それゆえにEU離脱によって甚大な影響を受けることはもはや決定事項と言ってもいい。さて、今回はそんなブレグジット決定後の英国で生きる東欧の一国ブルガリアの移民たちを描き出した作品、 Mina Mileva&Vesela Kazakova監督作"Cat in the Wall"を紹介していこう。

今作の主人公であるイリーナ(Irina Atanasova)は息子であるジョジョ(Orlin Asenov)と弟であるヴラド(Angel Genov)と共に、低所得者層用のアパートメントに住んでいた。今までの暮らしぶりも楽ではないが、その楽ではなさはブレグジット決定後も変わらない。だが確かに、そしてとうとう、彼女たちの人生は少しずつ変わろうとしていた。

まず本作はブルガリア移民であるイリーナたちの生活ぶりを丹念に描き出す。彼女たちは本国では学位を持っているエリートである。だが英国ではブルガリアでの学位は一顧だにされない。イリーナの本職は建築士ながら仕事はないので、バーで働いている。ヴラドも同じ状況であり、ブルガリア人の友人から仕事を紹介してもらっている状況である。そんな彼らは外では英語を話しながら、3人の時はブルガリア語で会話をする。それが故郷との唯一の繋がりであるとでも言う風に。

本作で描かれる生活風景は、いわゆるキッチンシンク映画が描いてきた労働者階級の生活風景である。物が犇めくような狭苦しく埃っぽい部屋で、彼らは身を寄せ合いながら生活している。更に襲いくるのは現在欧米で広く問題となっているジェントリフィケーションだ。高所得者層が低所得者層の住む場所に居住地や店を構えることで、土地代が高騰していく。そして低所得者層は一掃され、土地が高級化されてしまう現象だ。彼女たちの住むアパートにもそんな現実が迫っており、イリーナたちの生活に圧力をかけてくる。

しかしそこには暖かみも存在している。ジョジョは子供らしくいつもとんでもない騒動を巻き起こし、ヴラドの怠惰さはそれを悪化させる。イリーナは眉間にしわを寄せてその尻拭いに奔走する。それでも3人が身を寄せ合いながら暮らす様には、どこか微笑みを呼ぶ可笑しさがあるのだ。日常の中にこそ存在する輝きがそこにはある。

そんな状況でイリーナにとって唯一の癒しはアパートに棲みついた赤毛のネコちゃんである。廊下や階段を自由に歩き回るネコちゃんに対して、イリーナは思わず声を高くして赤ちゃんをあやすような行動を抑えられない。ネコちゃんを見かけた時には、いつも触りに行くのだが、その愛着が極まった末、イリーナは家に連れ帰ってしまう。

しばらくは家族みんなでネコちゃんを可愛がるのだったが、ある日家に本物の飼い主だと名乗る家族がやってくる。彼らからの追及を逃れるため、ネコちゃんを台所の穴に隠すのだったが、何とネコちゃんはその中に嵌ってしまい、誰にも助けられなくなってしまうのだった……

監督であるMina MilevaVesela Kazakovaらは元々ドキュメンタリー作家だった。彼女たちが2016年に製作した作品"The Beast is Still Alive"ブルガリアにおいて共産主義がいかにして失敗したかについての物語である。監督は祖父が遺した書類からこの国の歴史へと深く潜行していく。そうして暴かれる致命的な失敗を、この作品はドキュメンタリーとして描き出しているのである。

という訳でこの"Cat in the Wall"にもドキュメンタリー的な趣向が随所に見られる。基本的な演出それ自体がリアリズムを指向しているというのもあるが、例えば住民たちがアパートの現状について会議する姿を捉える際、監督たちはフレデリック・ワイズマン作品のような距離感で彼らを見つめていく。そういった視線が、演出は異なる時があろうとも、今作には存在していると言える。

そうしてブレグジット以降の現実を、ブルガリア移民の目から静かに描き出していくが、最後に今作は直球の質問を投げ掛けてくる。"あなたは幸せですか?"と。イリーナは動揺しながらも"幸せだと思います"と答えるが、それは本音なのだろうか。それは彼女にしか分からない。しかし少なくとも今作はブレグジット後にこの問いがどういう意味を持つかについて、深く洞察を重ねていくのである。

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私の好きな監督・俳優シリーズ
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その345 Marios Piperides&"Smuggling Hendrix"/北キプロスから愛犬を密輸せよ!
その346 César Díaz&"Nuestras madres"/グアテマラ、掘り起こされていく過去
その347 Beatriz Seigner&"Los silencios"/亡霊たちと、戦火を逃れて
その348 Hilal Baydarov&"Xurmalar Yetişən Vaxt"/アゼルバイジャン、永遠と一瞬
その349 Juris Kursietis&"Oļeg"/ラトビアから遠く、受難の地で
その350 済藤鉄腸オリジナル、2010年代注目の映画監督ベスト100!!!!!
その351 Shahrbanoo Sadat&"The Orphanage"/アフガニスタン、ぼくらの青春
その352 Julio Hernández Cordón&"Cómprame un revolver"/メキシコ、この暴力を生き抜いていく
その353 Ivan Marinović&"Igla ispod plaga"/響くモンテネグロ奇想曲
その354 Ruth Schweikert&"Wir eltern"/スイス、親になるっていうのは大変だ
その355 Ivana Mladenović&"Ivana cea groaznică"/サイテー女イヴァナがゆく!
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Amanda Kramer&"Ladyworld"/少女たちの透明な黙示録

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さて2010年代において、何と形容すべきだろう、"透明な黙示録"というべき作品が多く製作されているように思われる。それは黙示録の予感が濃厚に満ちながらも、実際の破壊と崩壊は延長され、延長され続け、ただただ禍々しい予感だけが永遠に引き延ばされていくといった不気味な作品だ。例えばそういった作品を作る監督としてブラジルのKleber Mendonça Filho クレベール・メンドンサ・フィーリョや、フランスのVirgil Vernie ヴィルジル・ヴェルニエが挙げられるのだが、今回アメリカからそんな作家が現れた。ということで今回はAmanda Kramer監督によるデビュー長編"Ladyworld"を紹介して行こう。

壊滅的な大地震が勃発したその後、今作の主人公である少女オリヴィア(Ariela Barer)は地下室に閉じ込められてしまった。出口を探すうち、彼女はドリー(Ryan Simpkins)という少女に出会うのだったが、状況は変わらない。そこに出口は存在せず、この地下室からは逃れる事が叶わない……

それでも捜索を続けるうち、オリヴィアたちはこの地下室の中に自分たちを含めて8人の少女が閉じ込められていることを知る。その中でも殊更傲慢な態度を見せる少女パイパー(Annalise Basso)はリーダーを自称し、この場をコントロールしようとするのだが、彼女に対してオリヴィアは反感を露わにし、張り詰めた緊張感が流れることになる。

監督はそんな少女たちの姿を、不気味な冷徹さで以て眺めていく。彼女と撮影監督のPatrick Meade Jonesは固く腰を据えたまま、目前に広がる緊張感に満ちた風景を見据えることとなる。まるで"最後の晩餐"さながら並んで座る8人、彼女たちはそうして現状について議論をする。だが監督はそんな少女たちの中に、互いに対する、ある意味で子供っぽい敵意と軽蔑が宿っているのを

特に際立つのは思春期の少女たちが抱く類の激しい敵愾心だ。地下室の中を彷徨い、寝転がり、駆け回るうち、少女たちの間の緊張感は更に研ぎ澄まされたものとなっていく。それぞれがそれぞれに向ける攻撃的な視線、そしてナイフのような言葉の応酬。それらは放たれる毎に彼女たちの心を傷つけ、怒らせることとなる。

そんな中でイーデン(Atheena Frizzell)という少女が、地下室に潜む何者かを目撃する。彼女はそれを"男 Man"と呼び、恐怖する。そして最後には謎の失踪を遂げてしまう。この事件は少女たちの心を掻き乱して、新たな疑念と絶叫を呼び覚まし始める。

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物語が進むにつれ、禍々しい何かが競り上がってくる感覚が濃厚になっていく。それに寄与する第1の要素が撮影だ。灰色を基調とした色味の中で、少女たちは「蠅の王」さながらの権力闘争を遂げる。カメラはそれを冷えた明晰さで以て捉えていくのだ。それはまるで動物を解剖していく時に見せる研究者の凍てつきだ。

そして第2の要素は音である。今作では様々な音が不気味な震えを以て響き続ける。地震の揺らぎ、ヘリコプターの飛行音、少女たちの足音。それがまるで意志を持った亡霊のように私たちの耳元に迫ってくる。だが最も印象的なのは音楽担当のCallie Ryanによって紡がれる不協和音だ。少女たちの囁きや絶叫が暴力的なまでに重なり合い、観客の聴覚だけでなく五感全てを押し潰そうとしてくるのだ。

劇中においてパイパーは少女たちの前でこう宣言する。"私たちは小さな少女なんかじゃない。私たちは女なんだ"と。だがある意味でこう宣言すること自体が、彼女たちの幼さを証明するものだろう。ここに代表される1つの強がりとその根源である心の不安定さは物語の中で増幅していくことになる。

ここで印象的なのは"男"という存在である。"Man"は"人間"をも指し示す言葉であるが、ここでは"男"という意味が強調される。セックスやレイプなどの言葉が繰り返されているからだ。そうして彼女たちは"男"に恐怖を感じ、自衛策を練りながらも、それと同時に"男"という存在に魅了されている節も見られる。自衛を施す間、"男"への恐怖を語りながらも、少女たちは陶然と喜びを感じているようだ。それはある意味で、悍ましい"男"に何故であるか惹かれてしまう、少女たちもしくは監督自身のヘテロ女性としての懊悩を指示しているのかもしれない。

そして上述の"男"への相反する矛盾した感情が象徴するように、少女たちの中にあるのは未だ確定していない曖昧さなのである。監督はその曖昧な部分から人間として生きる上で直面する情念――怒り、不安、軽蔑、愛着――を浮かび上がらせていく。それがそれぞれの少女から溢れ出て、激突する様は激烈な衝撃に溢れている。

更にこの激突が凄まじい錯乱へと至ることとなる。興味深いのはこの錯乱がクィア的な様相を呈することだ。パイパーたちは自衛のために化粧を塗りたくり、極彩色の衣装を身に纏う。その様はまるでドラァグクイーンの扮装をするようだ。それは"男"という怪物に惹かれるヘテロとしての自分に対するアンチテーゼなのかもしれない。そんな中でオリヴィアは自身の立ち位置を変えないままに、移りゆく状況を冷静に眺めていく。

"Ladyworld"においては人間の情念と錯乱が、監督の禍々しい演出とシンクロすることによって壮絶なヴィジョンが広がっている。そして黙示録までの引き延ばされた時間は、最後に……

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ポスト・マンブルコア世代の作家たちシリーズ
その61 オーレン・ウジエル&「美しい湖の底」/やっぱり惨めにチンケに墜ちてくヤツら
その62 S.クレイグ・ザラー&"Brawl in Cell Block"/蒼い掃き溜め、拳の叙事詩
その63 パトリック・ブライス&"Creep 2"/殺しが大好きだった筈なのに……
その64 ネイサン・シルヴァー&"Thirst Street"/パリ、極彩色の愛の妄執
その65 M.P. Cunningham&"Ford Clitaurus"/ソルトレーク・シティでコメdっjdjdjcjkwjdjdkwjxjヴ
その66 Patrick Wang&"In the Family"/僕を愛してくれた、僕が愛し続けると誓った大切な家族
その67 Russell Harbaugh&"Love after Love"/止められない時の中、愛を探し続けて
その68 Jen Tullock&"Disengaged"/ロサンゼルス同性婚狂騒曲!
その69 Chloé Zhao&"The Rider"/夢の終りの先に広がる風景
その70 ジョセフィン・デッカー&"Madeline's Madeline"/マデリンによるマデリン、私による私
その71 アレックス・ロス・ペリー&「彼女のいた日々」/秘めた思いは、春の侘しさに消えて
その72 Miko Revereza&"No Data Plan"/フィリピン、そしてアメリカ
その73 Tim Sutton&"Donnybrook"/アメリカ、その暴力の行く末
その74 Sarah Daggar-Nickson&"A Vigilante"/破壊された心を握りしめて
その75 Rick Alverson&"The Mountain"/アメリカ、灰燼色の虚無への道行き
その76 Alex Ross Perry&"Her Smell"/お前ら、アタシの叫びを聞け!
その77 Tyler Taormina&"Ham on Rye"/楽しい時間が終わったその後

Siniša Gacić&"Hči Camorre"/クリスティーナ、カモッラの娘

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カモッラはイタリア4大マフィアの1つと言われるほどに巨大な犯罪組織だ。彼らはナポリを拠点として麻薬の密売や、建設業や産廃ビジネスなどへの参入など様々な犯罪に深く関わっている。だが犯罪に加担し続ける者がいる中で、そこから逃れようとする者も確かに存在している。今回紹介するのは裏社会からの脱却を図ろうと奔走する女性の姿を描き出したドキュメンタリー、Siniša Gacić監督作"Hči Camorre"を紹介していこう。

クリスティーナはそのカモッラで名を成した殺し屋である。その残虐性から"ニキータ"(おそらくリュック・ベッソンの映画から取られたのだろう)と呼ばれ恐れられていた。組織に従い数多くの人物を殺してきたが、22歳の時にとうとう逮捕されてしまう。そんな彼女が20年越しに刑務所から釈放される所から、この作品は始まる。

家族や友人たちと共に旧交を温めながら、ゆっくりと彼女は自分のかつてあった生活を取り戻そうとする。彼女には娘がいて、更には既に孫息子すらもいる。彼女たちと日々交流を遂げながらも、20年の空白は完全なる和解を呼び込みはしない。いつであってもどこかにぎこちなさが残る。

例えば娘との会話だ。クリスティーナは彼女に人生を諭そうとするのだが、その時に話すのは銃を持った感触についてである。人生の重大な時期にその感触に親しんでいたのは分かるが、その話をする時娘は明らかに引いている。こうして周囲の人間とどう距離を取って良いのかが、刑務所経験のせいで分かっていないのだ。

その合間に、監督はクリスティーナの暮らしぶりを淡々と追っていく。彼女は漁師として働いており、毎日沖へと出て魚を収穫していく。帰った後には、孫と戯れながらその疲れを癒していく。その姿はどこにでもいる中年女性なのだが、もちろん彼女はそうではいられない。

その象徴となるのはラファエレの存在である。20歳以上年上である彼は殺し屋時代の彼女の恋人であり、現在も親密な仲が続いている。だが彼が肺がんであると診断されたことによって、ラファエレの介護を彼女がしなければならない事態に陥ってしまう。どちらも犯罪から足を洗ってはいながら、過去は否応なく彼女たちの背中に這いずり寄ってくる。

そうして今作はクリスティーナの複雑な心持ちに焦点を当てていく。彼女は真っ当な人間になることを望んでいる。保護観察期間が短くなった時の喜びはそれを端的に示しているだろう。だが犯罪塗れだった過去にも愛着がある。その象徴がラファエレであり、彼女は彼から離れることができず、過去を簡単には切り捨てることができないのだ。

"Hči Camorre"は暗い過去を持つ女性の、一筋縄ではいかない再生の光景を描き出した作品だ。映画が終わろうとも、彼女の人生は終わることがない。だからこそ複雑で深い余韻が、スクリーンの闇から滲みだしてくるのである。

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私の好きな監督・俳優シリーズ
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その361 Mona Nicoară&"Distanța dintre mine și mine"/ルーマニア、孤高として生きる

Mona Nicoară&"Distanța dintre mine și mine"/ルーマニア、孤高として生きる

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ルーマニア人女性と聞いて、あなたは誰を思い浮かべるだろうか。真先に思い出されるのは体操選手のナディア・コマネチだろう。体操選手として初めて満点を叩きだした偉業は広く語られている。私が好きなのは小説家であるSofia Nădejde ソフィア・ナデジュデだ。彼女の名前は文学賞の名前になるほど、本国では有名である。さて今回はルーマニアで最も有名な女性の1人である芸術家Nina Cassian ニーナ・カシアンを描いたドキュメンタリー、Dana Bunescu&Mona Nicoară監督作"Distanța dintre mine și mine"を紹介していこう。

ニーナ・カシアンは主にチャウシェスク共産主義政権時代に活躍した芸術家である。その活動は詩人、小説家、音楽家、児童文学者、映画批評家など多岐に渡るものである。80年代からは活躍の場をニューヨークに移し、そこでルーマニア語と英語を行き交いながら芸術を生み出した後、2014年に90歳で大往生を遂げた。

今作は晩年の彼女に取材した1作である。彼女は90代を目前としながらも矍鑠として意気軒昂、インタビュアーである監督たちに常に話を続けるほど元気である。ウォッカを飲みながら、自分の人生について語り続ける姿には、観客の私たちですら老いを肯定したくなるような力に溢れている。

芸術家としての萌芽が現れた10代の頃、カシアンは共産主義に傾倒していた。その頃は未だファシズム時代なので、彼女は弾圧の憂き目に遭う。かと思うと、ルーマニア共産主義に染まった戦後、彼女は詩人としての活動を始めるのだが、その詩は"退廃的"との烙印を押され、更には"人民の敵"とまで呼ばれてしまう。

これ故に、カシアンは詩人としての活動を一時的に諦めてしまう。と同時に共産主義政権に賛意を示し始め、プロパガンダ映画製作などに参画し始める。とはいえ彼女は抜け目ない。当時の恋人であった映画監督Slavomir Popovici スラヴォミル・ポポヴィチと共同で製作した短編映画"Uzina"は、表面上ルーマニアの工業発展を礼賛する作品である。しかしその様式は異様なまでに前衛的で、同時代のアメリカ前衛映画を思わせるものだ。彼女は共産主義への中世の裏で、反抗の意気を巡らせていたのである。

その傾向は児童文学者・音楽家としてのカシアンに濃厚に見られる。彼女は自分のために児童文学を書いていると言うと同時に、この様式にならば様々なメタファー――それは政権にとって危ういものも多分に含まれているだろう――を込めることができると語っている。音楽に至ってはこんなことを嘯いてみせる。人々は1つの音が"ルーマニア万歳!"を表現するか、"ルーマニアクソッたれ!"を表現しているかなんて分からない、と。

老境に差し掛かったカシアンは監督たちに対して、猛烈に人生を語っていく。自分は醜い。この鼻も顎もよくない。だけど男たちは私を愛してくれた。愛したのは映画監督のスラヴォミル・ポポヴィチ、小説家のMarin Preda マリン・プレダ、それから……彼女は思うままに女性としての人生を謳歌しているのだ。それが凄まじくBad-assである。

そしてこの世において女性として生きることで被る性差別に対して、カシアンは真っ向から立ち向かっていく。例えばある文芸評論家は"女性性は男性性よりも劣るもの故に、女性作家はそれを消し去るよう試みるべきだ"と主張する。カシアンは"何故女性であることが低劣であることに直結するのか?"と疑問を呈しながら、滔々たる反論を紡いでいく。この反抗は観客の女性たちを勇気づけるものだろう。

しかしそうした規範に反抗する姿に、当局が脅威を感じない訳がない。それ故に彼女は秘密警察セクリタテアに常に監視されることとなる。映画にはその監視報告書が何十枚も提示される。彼女の思想から交友関係まで全てにおいて監視されている様は、ルーマニアという国がいかに不気味な国家であったかを指し示している。

しかし"Distanța dintre mine și mine"にはそんな抑圧を笑い飛ばすような、ニーナ・カシアンの軽快な強さが存在している。このドキュメンタリーを観た後ならば、私たちも彼女のように逞しく生きられればいいと、そんな思いが泉のように湧き上がってくるだろう。

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ルーマニア映画界を旅する
その1 Corneliu Porumboiu & "A fost sau n-a fost?"/1989年12月22日、あなたは何をしていた?
その2 Radu Jude & "Aferim!"/ルーマニア、差別の歴史をめぐる旅
その3 Corneliu Porumboiu & "Când se lasă seara peste Bucureşti sau Metabolism"/監督と女優、虚構と真実
その4 Corneliu Porumboiu &"Comoara"/ルーマニア、お宝探して掘れよ掘れ掘れ
その5 Andrei Ujică&"Autobiografia lui Nicolae Ceausescu"/チャウシェスクとは一体何者だったのか?
その6 イリンカ・カルガレアヌ&「チャック・ノリスVS共産主義」/チャック・ノリスはルーマニアを救う!
その7 トゥドール・クリスチャン・ジュルギウ&「日本からの贈り物」/父と息子、ルーマニアと日本
その8 クリスティ・プイウ&"Marfa şi Banii"/ルーマニアの新たなる波、その起源
その9 クリスティ・プイウ&「ラザレスク氏の最期」/それは命の終りであり、世界の終りであり
その10 ラドゥー・ムンテアン&"Hîrtia va fi albastrã"/革命前夜、闇の中で踏み躙られる者たち
その11 ラドゥー・ムンテアン&"Boogie"/大人になれない、子供でもいられない
その12 ラドゥー・ムンテアン&「不倫期限」/クリスマスの後、繋がりの終り
その13 クリスティ・プイウ&"Aurora"/ある平凡な殺人者についての記録
その14 Radu Jude&"Toată lumea din familia noastră"/黙って俺に娘を渡しやがれ!
その15 Paul Negoescu&"O lună în Thailandă"/今の幸せと、ありえたかもしれない幸せと
その16 Paul Negoescu&"Două lozuri"/町が朽ち お金は無くなり 年も取り
その17 Lucian Pintilie&"Duminică la ora 6"/忌まわしき40年代、来たるべき60年代
その18 Mircea Daneliuc&"Croaziera"/若者たちよ、ドナウ川で輝け!
その19 Lucian Pintilie&"Reconstituirea"/アクション、何で俺を殴ったんだよぉ、アクション、何で俺を……
その20 Lucian Pintilie&"De ce trag clopotele, Mitică?"/死と生、対話と祝祭
その21 Lucian Pintilie&"Balanța"/ああ、狂騒と不条理のチャウシェスク時代よ
その22 Ion Popescu-Gopo&"S-a furat o bombă"/ルーマニアにも核の恐怖がやってきた!
その23 Lucian Pintilie&"O vară de neuitat"/あの美しかった夏、踏みにじられた夏
その24 Lucian Pintilie&"Prea târziu"/石炭に薄汚れ 黒く染まり 闇に墜ちる
その25 Lucian Pintilie&"Terminus paradis"/狂騒の愛がルーマニアを駆ける
その26 Lucian Pintilie&"Dupa-amiaza unui torţionar"/晴れ渡る午後、ある拷問者の告白
その27 Lucian Pintilie&"Niki Ardelean, colonel în rezelva"/ああ、懐かしき社会主義の栄光よ
その28 Sebastian Mihăilescu&"Apartament interbelic, în zona superbă, ultra-centrală"/ルーマニアと日本、奇妙な交わり
その29 ミルチャ・ダネリュク&"Cursa"/ルーマニア、炭坑街に降る雨よ
その30 ルクサンドラ・ゼニデ&「テキールの奇跡」/奇跡は這いずる泥の奥から
その31 ラドゥ・ジュデ&"Cea mai fericită fată din ume"/わたしは世界で一番幸せな少女
その32 Ana Lungu&"Autoportretul unei fete cuminţi"/あなたの大切な娘はどこへ行く?
その33 ラドゥ・ジュデ&"Inimi cicatrizate"/生と死の、飽くなき饗宴
その34 Livia Ungur&"Hotel Dallas"/ダラスとルーマニアの奇妙な愛憎
その35 アドリアン・シタル&"Pescuit sportiv"/倫理の網に絡め取られて
その36 ラドゥー・ムンテアン&"Un etaj mai jos"/罪を暴くか、保身に走るか
その37 Mircea Săucan&"Meandre"/ルーマニア、あらかじめ幻視された荒廃
その38 アドリアン・シタル&"Din dragoste cu cele mai bune intentii"/俺の親だって死ぬかもしれないんだ……
その39 アドリアン・シタル&"Domestic"/ルーマニア人と動物たちの奇妙な関係
その40 Mihaela Popescu&"Plimbare"/老いを見据えて歩き続けて
その41 Dan Pița&"Duhul aurului"/ルーマニア、生は葬られ死は結ばれる
その42 Bogdan Mirică&"Câini"/荒野に希望は潰え、悪が栄える
その43 Szőcs Petra&"Deva"/ルーマニアとハンガリーが交わる場所で
その44 Bogdan Theodor Olteanu&"Câteva conversaţii despre o fată foarte înaltă"/ルーマニア、私たちの愛について
その45 Adina Pintilie&"Touch Me Not"/親密さに触れるその時に
その46 Radu Jude&"Țara moartă"/ルーマニア、反ユダヤ主義の悍ましき系譜
その47 Gabi Virginia Șarga&"Să nu ucizi"/ルーマニア、医療腐敗のその奥へ
その48 Marius Olteanu&"Monștri"/ルーマニア、この国で生きるということ
その49 Ivana Mladenović&"Ivana cea groaznică"/サイテー女イヴァナがゆく!
その50 Radu Dragomir&"Mo"/父の幻想を追い求めて

私の好きな監督・俳優シリーズ
その331 Katharina Mückstein&"L'animale"/オーストリア、恋が花を咲かせる頃
その332 Simona Kostova&"Dreissig"/30歳、求めているものは何?
その333 Ena Sendijarević&"Take Me Somewhere Nice"/私をどこか素敵なところへ連れてって
その334 Miko Revereza&"No Data Plan"/フィリピン、そしてアメリカ
その335 Marius Olteanu&"Monștri"/ルーマニア、この国で生きるということ
その336 Federico Atehortúa Arteaga&"Pirotecnia"/コロンビア、忌まわしき過去の傷
その337 Robert Budina&"A Shelter Among the Clouds"/アルバニア、信仰をめぐる旅路
その338 Anja Kofmel&"Chris the Swiss"/あの日遠い大地で死んだあなた
その339 Gjorce Stavresk&"Secret Ingredient"/マケドニア式ストーナーコメディ登場!
その340 Ísold Uggadóttir&"Andið eðlilega"/アイスランド、彼女たちは共に歩む
その341 Abbas Fahdel&"Yara"/レバノン、時は静かに過ぎていく
その342 Marie Kreutzer&"Der Boden unter den Füßen"/私の足元に広がる秘密
その343 Tonia Mishiali&"Pause"/キプロス、日常の中にある闘争
その344 María Alché&"Familia sumergida"/アルゼンチン、沈みゆく世界に漂う
その345 Marios Piperides&"Smuggling Hendrix"/北キプロスから愛犬を密輸せよ!
その346 César Díaz&"Nuestras madres"/グアテマラ、掘り起こされていく過去
その347 Beatriz Seigner&"Los silencios"/亡霊たちと、戦火を逃れて
その348 Hilal Baydarov&"Xurmalar Yetişən Vaxt"/アゼルバイジャン、永遠と一瞬
その349 Juris Kursietis&"Oļeg"/ラトビアから遠く、受難の地で
その350 済藤鉄腸オリジナル、2010年代注目の映画監督ベスト100!!!!!
その351 Shahrbanoo Sadat&"The Orphanage"/アフガニスタン、ぼくらの青春
その352 Julio Hernández Cordón&"Cómprame un revolver"/メキシコ、この暴力を生き抜いていく
その353 Ivan Marinović&"Igla ispod plaga"/響くモンテネグロ奇想曲
その354 Ruth Schweikert&"Wir eltern"/スイス、親になるっていうのは大変だ
その355 Ivana Mladenović&"Ivana cea groaznică"/サイテー女イヴァナがゆく!
その356 Ines Tanović&"Sin"/ボスニア、家族っていったい何だろう?
その357 Radu Dragomir&"Mo"/父の幻想を追い求めて
その358 Szabó Réka&"A létezés eufóriája"/生きていることの、この幸福
その359 Hassen Ferhani&"143 rue du désert"/アルジェリア、砂漠の真中に独り
その360 Basil da Cunha&"O fim do mundo"/世界の片隅、苦難の道行き

Basil da Cunha&"O fim do mundo"/世界の片隅、苦難の道行き

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ポルトガルリスボンのスラム街を描き続ける有名な映画作家としてペドロ・コスタが挙げられる。彼はヴァンダの部屋「コロッサル・ユース」「ホース・マネー」そして2019年にロカルノ映画祭で最高賞を獲得した"Vitalina Varela"において、一貫してスラム街を描き続けてきた。そういった作風は若いポルトガル作家にも受け継がれている。今回は、ポルトガルの新鋭Basil da Cunhaによる長編"O fim de mundo"を紹介していこう。

今作の主人公はスピラ(Michel David Pires Spencer)という青年だ。彼は少年院から出てきたばかりで、久しぶりに母の住んでいる家へと帰ってきた。一見してスラム街自体に変わったところはない。だが彼自身の心が変わってしまったようだ。家族にも友人にも、彼は心を許すことができなくなっていた。

監督はまずそんな孤独な青年の姿を、淡々と描き出していく。スピラと母親の再会は彼女が酔っ払っていたせいで全く微妙なものになってしまい、その淀みが今後の関係にも影を落とすことになってしまう。そして友人たちともつるみながら、彼らの言葉や行動に完全に馴染む事ができない。スピラは常に不安げな表情を浮かべ続けている。

そして表面上不変のように見えたスラム街にも、変化の時が来ていた。この地に住む住民たちの家を、政府が許可もなく破壊し始めたのだ。住民たちは成す術もなく家が破壊され地ならしされていく光景を眺めていることしかできない。そうして政府によってスラム街の土地が収奪され始めていたのだ。

監督はカメラを担当するRui Xavierと共に、リアリズムを指向しながらこの地の現実を捉えようとする。手振れを伴う撮影で以て切り取られる光景の数々は生々しく、人々の呼吸や体温が濃厚に伝わってくることとなる。そして住民たちは悲観的な現実に対しても、楽観的で明快な態度を崩さない。それ故に現れる熱い空気感もすらも鮮やかに捉えられていくのだ。

それでいて今作には豊かな詩情も存在している。例えばスラム街の夜を包み込む橙、それは地中深くに埋まった琥珀のような色彩であり、私たちの瞳を優しく撫でてくれる。そしてその琥珀色の中で、車が燃えるという場面が存在する。暴力的で悲惨でありながらも、そこには確かに負の感情を突き抜けた先にある詩情があるのだ。

ある日、スピラはイアラ(Lara Cristina Cardoso)という女性と出会う。シングルマザーだという彼女に、スピラは少しずつ惹かれていき、再びあの頃に持っていた心を取り戻していく。しかし同時に苦境に陥ることになる。スピラは注意された腹いせに、ある男の車を燃やしてしまう。それがバレたスピラは5000ユーロ払わないと殺すと脅迫され、奔走する羽目になる。

今作はスピラという青年の苦難の道行きを描き出した作品とも言えるだろう。怠惰と停滞の中で自分が腐っていくことを感じながら、彼は命の危機に必死に奔走することともなる。だがそれは自身を生き返らせる刺激として機能することはない。むしろその中で少しだけ残っていた幼さや無邪気さが失われていくことを彼は感じるのだ。

この胸を引き裂くような道行きが、一種の聖性と共に描かれていくのも今作の特徴であるだろう。今作では教会で流れる類の聖歌と、人々を熱狂に巻き込むトランスが入り乱れる。その数えきれない反復の中で、私たちはスピラの道行きが苦しくも崇高なものになっていくことに気付くだろう。それが今作の肝なのだ。

"O fim do mundo"はそんなスピラの歩みを通じて、スラム街に広がる現実を描き出す。そこには透徹たる眼差しが貫かれているがゆえに、前述の通りある種の聖性すらも獲得することとなっている。だがその先には一体どんな未来が広がっているのだろうか?

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私の好きな監督・俳優シリーズ
その331 Katharina Mückstein&"L'animale"/オーストリア、恋が花を咲かせる頃
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その333 Ena Sendijarević&"Take Me Somewhere Nice"/私をどこか素敵なところへ連れてって
その334 Miko Revereza&"No Data Plan"/フィリピン、そしてアメリカ
その335 Marius Olteanu&"Monștri"/ルーマニア、この国で生きるということ
その336 Federico Atehortúa Arteaga&"Pirotecnia"/コロンビア、忌まわしき過去の傷
その337 Robert Budina&"A Shelter Among the Clouds"/アルバニア、信仰をめぐる旅路
その338 Anja Kofmel&"Chris the Swiss"/あの日遠い大地で死んだあなた
その339 Gjorce Stavresk&"Secret Ingredient"/マケドニア式ストーナーコメディ登場!
その340 Ísold Uggadóttir&"Andið eðlilega"/アイスランド、彼女たちは共に歩む
その341 Abbas Fahdel&"Yara"/レバノン、時は静かに過ぎていく
その342 Marie Kreutzer&"Der Boden unter den Füßen"/私の足元に広がる秘密
その343 Tonia Mishiali&"Pause"/キプロス、日常の中にある闘争
その344 María Alché&"Familia sumergida"/アルゼンチン、沈みゆく世界に漂う
その345 Marios Piperides&"Smuggling Hendrix"/北キプロスから愛犬を密輸せよ!
その346 César Díaz&"Nuestras madres"/グアテマラ、掘り起こされていく過去
その347 Beatriz Seigner&"Los silencios"/亡霊たちと、戦火を逃れて
その348 Hilal Baydarov&"Xurmalar Yetişən Vaxt"/アゼルバイジャン、永遠と一瞬
その349 Juris Kursietis&"Oļeg"/ラトビアから遠く、受難の地で
その350 済藤鉄腸オリジナル、2010年代注目の映画監督ベスト100!!!!!
その351 Shahrbanoo Sadat&"The Orphanage"/アフガニスタン、ぼくらの青春
その352 Julio Hernández Cordón&"Cómprame un revolver"/メキシコ、この暴力を生き抜いていく
その353 Ivan Marinović&"Igla ispod plaga"/響くモンテネグロ奇想曲
その354 Ruth Schweikert&"Wir eltern"/スイス、親になるっていうのは大変だ
その355 Ivana Mladenović&"Ivana cea groaznică"/サイテー女イヴァナがゆく!
その356 Ines Tanović&"Sin"/ボスニア、家族っていったい何だろう?
その357 Radu Dragomir&"Mo"/父の幻想を追い求めて
その358 Szabó Réka&"A létezés eufóriája"/生きていることの、この幸福
その359 Hassen Ferhani&"143 rue du désert"/アルジェリア、砂漠の真中に独り

Hassen Ferhani&"143 rue du désert"/アルジェリア、砂漠の真中に独り

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砂漠の真中で、たった独りだけで生き続けるのはどんな気分なのだろう。何もない風景をただただ見つめながら昼が過ぎ、夜が過ぎ、また明日が来て、何もない風景をただただ見つめ続ける。時々誰かがやってくるが、少しだけ立ち寄るだけで、しばしの会話の跡にはまた独りになる。そんな生活を送るのはどんな気分なのだろう。Hassen Ferhani監督作"143 rue du désert"は正にそんな生活を追体験できるドキュメンタリー作品である。

この映画の主人公はマリカという1人の中年女性だ。彼女はサハラ砂漠の真中で雑貨店を営んでいる。ほとんどの営業時間中に客が来ることはない。だから傍らにいるのは可愛らしいネコただ1匹である。しかしそんな人生に、彼女はゆったりと腰を落ち着けていた。

そんなマリカの日常生活を、監督はカメラを固く据えながら不動の姿勢で映し出していく。薄い水色の朽ちた壁を背にして、彼女はドアから見える風景を静かに眺めつづける。夕方は外に出ていって、やはり茫漠たる風景を見据えていく。時おり客がやってくる時は、椅子に座って彼らと楽しそうに語らいを始めるのである。

そんな会話には様々な事柄が現れては消えていく。例えば孤独について、マリカには子供も両親もいない。それに耐えられるのかと客は聞く。彼女は鷹揚な態度でそれに答える。例えば信仰について、最近は神に背く輩が多くなった、そんな輩でも神は許すだろうがと敬虔なイスラム教徒は嘆く。そしてマリカは信仰について取り留めもないことを語るなどする。

こういった会話の数々を、監督は途切れなき長回しで見据え続けるのだが、ここで際立つのが絶妙な間であるのだ。長回し故に編集によるリズムの操作はない。つまり自然に生起する会話の中に、やはり自然に絶妙な間が立ち現われてくるのだ。これが観客をクスリと笑わせてくれる面白みに満ち溢れている。これは後述するマリカの性格にこそ起因するものなのだろう

雑貨店には様々な人がやってくる。旅行中のバイカーたち、業界の未来を嘆く運送業者、若さを輝かせ騒ぐ音楽団、フランス語の新聞をマリカに読んで聞かせる優しい中年男性。現れる時間は短いながらも、彼らは日常に根差した個性を持っており、会話を聞いているだけで自然と笑みがこぼれることともなる。

しかし最終的に行きつくのは孤独なのである。会話を捉え続けた後のある時、カメラは遠くからマリカの小さな家屋を映し出すこととなる。周囲に広がるのは果てしない蒼穹と広大なる砂漠だ。その恐ろしい悠久に囲まれた家屋のちっぽけさは、観る者に恐怖を感じさせるほどだ。まるで宇宙空間に漂う朽ちた宇宙船のように孤独なのである。

そしてその孤独は周囲に広がる自然の崇高さによって強化されることになる。砂漠は余りにも果てしない。そこでは小さな動物たちが野性を謳歌しながらも、寂しげに歩いている。辿り着く先にあるのは、ガソリンスタンドの廃墟である。荒廃の極みたる様を湛えながら、消滅の時を待っている。そんな場所で生きるのはどんな心地なのだろう。

それでも、マリカがその孤独に負けることはない。常に大らかな態度を見せながらも、その内奥には孤独に抗する芯の強さが確かに存在しているのだ。確かに寂しさもある。時おり彼女は寂しげな横顔を私たちに見せることがある。マリカはそれをも越えていくのだ。"143 rue du désert"は砂漠に佇むちっぽけな孤独についての物語である。だがそれ以上にその孤独の中にある強さについての物語であるのだ。

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私の好きな監督・俳優シリーズ
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その333 Ena Sendijarević&"Take Me Somewhere Nice"/私をどこか素敵なところへ連れてって
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その335 Marius Olteanu&"Monștri"/ルーマニア、この国で生きるということ
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その337 Robert Budina&"A Shelter Among the Clouds"/アルバニア、信仰をめぐる旅路
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その342 Marie Kreutzer&"Der Boden unter den Füßen"/私の足元に広がる秘密
その343 Tonia Mishiali&"Pause"/キプロス、日常の中にある闘争
その344 María Alché&"Familia sumergida"/アルゼンチン、沈みゆく世界に漂う
その345 Marios Piperides&"Smuggling Hendrix"/北キプロスから愛犬を密輸せよ!
その346 César Díaz&"Nuestras madres"/グアテマラ、掘り起こされていく過去
その347 Beatriz Seigner&"Los silencios"/亡霊たちと、戦火を逃れて
その348 Hilal Baydarov&"Xurmalar Yetişən Vaxt"/アゼルバイジャン、永遠と一瞬
その349 Juris Kursietis&"Oļeg"/ラトビアから遠く、受難の地で
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その351 Shahrbanoo Sadat&"The Orphanage"/アフガニスタン、ぼくらの青春
その352 Julio Hernández Cordón&"Cómprame un revolver"/メキシコ、この暴力を生き抜いていく
その353 Ivan Marinović&"Igla ispod plaga"/響くモンテネグロ奇想曲
その354 Ruth Schweikert&"Wir eltern"/スイス、親になるっていうのは大変だ
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その356 Ines Tanović&"Sin"/ボスニア、家族っていったい何だろう?
その357 Radu Dragomir&"Mo"/父の幻想を追い求めて
その358 Szabó Réka&"A létezés eufóriája"/生きていることの、この幸福
その359 Hassen Ferhani&"143 rue du désert"/アルジェリア、砂漠の真中に独り