鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Marie Grahtø&"Psykosia"/"私"を殺したいという欲望

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自殺というテーマは、比較的若い芸術ジャンルである映画・ドラマでも多く描かれてきた。例えばルイ・マル「鬼火」は人生への虚無と倦怠が自殺へと繋がる様を描き出した作品だったし、最近話題である「13の理由」は少女の自殺が高校生たちの心に波紋を広げる様を描きだし、現実世界にも影響を与えてきた。さて今回紹介する作品は、そんな作品群の先端に位置するデンマーク映画Marie Grahtø監督のデビュー長編"Psykosia"だ。

自殺の研究者であるヴィクトリア(Lisa Carlehed)は、郊外に建てられた精神病棟へとやってくる。ここでの目的は、収容患者の1人であるジェニー(Victoria Carmen Sonne)を診察することだ。彼女は奔放な少女であり、自殺に魅入られている。そして病院を故郷と感じており、ここから離れようとしない。ヴィクトリアはそんな彼女をこの精神病棟から解放しようと試みる。

監督の演出は頗る不気味なものだ。彼女はまるでゆっくりと拳を壁に押し付けるようなスローズームや、登場人物たちの姿を斜めから切り取る奇妙さで以て、恐怖を煽る。更に撮影監督であるCatherine Pattinama Colemanが映し出す風景は端正なもので、美しいとも言える。だがPessi Levantoの鼓膜を震わすような音楽と組み合わさることで、何かがその美の裏側で蠢いているような予感を憶えさせるのだ。

それらの表現方法は、良い意味で70年代や80年代の映画作品へと回帰していっているようだ。特にホラー映画と文芸映画を融合させたような作品群、例えばスウェーデンを代表する名匠であるイングマール・ベルイマンの諸作を彷彿とさせる。そして精神病棟という舞台はその頃のアメリカのB級ホラーには多かった。"Don't Look in the Basement"「ジャンク・イン・ザ・ダーク」などが代表的だが、それらにヨーロッパ的な端正さを付け加えた作品が本作であるかもしれない。

ジェニーは不安定な精神を持ちながらも、それはヴィクトリアも同様である。自殺の研究を生業とする彼女もまた自殺に魅了されており、彼女は日々首を吊るという自殺法を繰り返す。そのせいで首には惨い傷痕がついており、それを隠すために彼女は19世紀の貴婦人のような服装を着ている。まるで武装しているかのようだ。

今作で描かれるのはそんな2人の交流である。最初、ジェニーはヴィクトリアに対して敵愾心を隠すことは無く、その交流は静かに不穏なものである。その距離感はまるで檻越しに対峙する人間と動物といった風であり、常に危険が付き纏っている。そんな心の障壁を取り払うために、ヴィクトリアは行動を続ける。

その行動もあってか、ジェニーは彼女に心を開き始めるが、むしろそのせいで危険は深まっていく。心を剥き出しにし、それを少しずつ近づけていくにつれて、2人の間には友情のようなものが芽生え始める。それでいて自殺という考えに身を委ね、だんだんと挑発的な態度を取り始めるジェニーに、ヴィクトリアは性的にも惹かれ始めるのだ。愛と友情の間に広がる曖昧な感情の中へと、2人は迷いこんでいく。

この一言では形容できない関係性が、今作の主軸である。危険で官能的な雰囲気が満ちる中で、女性たちの間にこそ紡がれるだろう濃密な関係性が立ち現われ始める。彼女たちは互いに惹かれあいながらも、己の自殺衝動へと巻き込むように、静かな殺し合いを繰り広げる。表面上は洗練された映像が浮かびながらも、実際に繰り広げられるものはもっと激しく、異様なものだ。

この闘争の核にあるものは2人の女性を演じる俳優たちの熱演である。まずジェニーを演じるVictoria Carmen Sonne、彼女は日本でも公開された「ビッチ・ホリデイ」で注目を浴びたデンマーク期待の新人である。奔放にして脆い心を持つジェニーを、彼女は感情を炸裂させながら自由に描き出している。そしてヴィクトリアを演じるのはスウェーデン出身のLisa Carlehedだ。常に感情を抑圧し、自己の厳しい規律に従い生きる彼女は、しかしその心の奥に大いなる感情の濁流を抱え込んでおり、それはいつか爆ぜる時を待っている。そんな感情の炸裂と抑圧という相反する要素を持つ2人が対面し合う時に生まれるのは、とてつもなく複雑な死の煌めきなのである。

"Psykosia"は人間存在が抱く、自分を殺すということに対する抗い難い魅力を描き出した作品である。そしてそんな魔物に魅入られた2人はどこまでも洵美なる白い闇へと墜ちていくのである。

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私の好きな監督・俳優シリーズ
その341 Abbas Fahdel&"Yara"/レバノン、時は静かに過ぎていく
その342 Marie Kreutzer&"Der Boden unter den Füßen"/私の足元に広がる秘密
その343 Tonia Mishiali&"Pause"/キプロス、日常の中にある闘争
その344 María Alché&"Familia sumergida"/アルゼンチン、沈みゆく世界に漂う
その345 Marios Piperides&"Smuggling Hendrix"/北キプロスから愛犬を密輸せよ!
その346 César Díaz&"Nuestras madres"/グアテマラ、掘り起こされていく過去
その347 Beatriz Seigner&"Los silencios"/亡霊たちと、戦火を逃れて
その348 Hilal Baydarov&"Xurmalar Yetişən Vaxt"/アゼルバイジャン、永遠と一瞬
その349 Juris Kursietis&"Oļeg"/ラトビアから遠く、受難の地で
その350 済藤鉄腸オリジナル、2010年代注目の映画監督ベスト100!!!!!
その351 Shahrbanoo Sadat&"The Orphanage"/アフガニスタン、ぼくらの青春
その352 Julio Hernández Cordón&"Cómprame un revolver"/メキシコ、この暴力を生き抜いていく
その353 Ivan Marinović&"Igla ispod plaga"/響くモンテネグロ奇想曲
その354 Ruth Schweikert&"Wir eltern"/スイス、親になるっていうのは大変だ
その355 Ivana Mladenović&"Ivana cea groaznică"/サイテー女イヴァナがゆく!
その356 Ines Tanović&"Sin"/ボスニア、家族っていったい何だろう?
その357 Radu Dragomir&"Mo"/父の幻想を追い求めて
その358 Szabó Réka&"A létezés eufóriája"/生きていることの、この幸福
その359 Hassen Ferhani&"143 rue du désert"/アルジェリア、砂漠の真中に独り
その360 Basil da Cunha&"O fim do mundo"/世界の片隅、苦難の道行き
その361 Mona Nicoară&"Distanța dintre mine și mine"/ルーマニア、孤高として生きる
その362 Siniša Gacić&"Hči Camorre"/クリスティーナ、カモッラの娘
その363 Vesela Kazakova&"Cat in the Wall"/ああ、ブレグジットに翻弄されて
その364 Saeed Roustaee&"Just 6.5"/正義の裏の悪、悪の裏の正義
その365 Mani Haghighi&"Pig"/イラン、映画監督連続殺人事件!
その366 Dmitry Mamulia&"The Climinal Man"/ジョージア、人を殺すということ
その367 Valentyn Vasyanovych&"Atlantis"/ウクライナ、荒廃の後にある希望
その368 Théo Court&"Blanco en blanco"/チリ、写し出される虐殺の歴史
その369 Marie Grahtø&"Psykosia"/"私"を殺したいという欲望

Théo Court&"Blanco en blanco"/チリ、写し出される虐殺の歴史

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チリにはある黒歴史が存在している。それがセルクナム族の虐殺だ。19世紀、チリとアルゼンチンに跨る土地ティエラ・デル・フエゴには先住民族であるセルクナム族が住んでいた。しかしここに入植してきたチリ人たちは、アルゼンチン人やイギリス人たちと共に15年にも渡って虐殺を続けた。そうしてセルクナム族は3000人から500人にまで減ってしまった。今回紹介する作品はこの虐殺を背景とした作品、Théo Court監督作"Blanco en blanco"である。

中年男性ペドロ(Alfredo Castro)は写真家として活動する人物である。彼はある要請からティエラ・デル・フエゴにやってくる。この地の大地主であるポーター氏が結婚式を撮影して欲しいというのである。彼はさっそく彼の花嫁を撮影することになるのだが、彼女はまだ子供だった。

その撮影風景はどこか異様だ。灰色に染まった薄暗い部屋、その中では純白の花嫁衣装を着た少女だけが輝いている。彼女はまるで蝋人形のようで、ペドロと秘書によってされるがままにポーズを変えていく。そこには少女らしいあどけなさも存在しながら、その風景はどこか不気味である。

結婚式を撮影するために彼はポーター氏の土地に住みこむことになるのだが、いつまで経っても結婚式が行われることがない。時間が過ぎていく中で、ペドロの中では少女の存在が大きくなっていく。彼女という存在への妄執が静かに、だが確実に大きくなっていく。

監督は撮影監督であるJosé Ángel Alayónとともに目の前の風景を淡々と切り取っていく訳であるが、その時に際立つのが自然光である。先述の薄暗い部屋にはカーテンの奥から滲みこんでくる白い光だけが存在している。そしてペドロが住んでいる部屋には蝋燭の火が儚げに揺れている。橙色の輝きは、ペドロの疲れ果てた顔を照らし出す。

ある時、彼は妄執を抑えきれずに、自分の小屋に花嫁を呼び出すことになる。彼はソファーに彼女を寝転がせ、写真を撮り始める。さらに一線を越えた撮影をも行おうとしてしまう。その風景は不気味な形で美しく撮られており、ある種の官能性までもが立ち現われてくる。だがその裏側にはグロテスクさと吐き気が確かに存在している。

しかしここから物語は急旋回を遂げる。ポーター氏に一線を越えたことを知られたペドロはリンチされた果てに、ある計画へ強制的に参加させられることとなる。彼は部下を使い、セルクナム族の虐殺を行っており、それに随行して写真を撮影することとなってしまうのだった。

ここで際立つのはティエラ・デル・フエゴの壮絶な風景の数々である。まず雪深い世界は極寒の感覚を観る者に植えつけるだろう。そして風吹き荒びながら砂塵が巻き上がる荒野は、人々に果てしない孤独を抱かせることとなるだろう。そんな厳しい大地で以て、ペドロは生きることを強いられる。

さてここでCourt監督が語った言葉を紹介しよう。今作の始まりについて彼はこんな言葉を残している。"ジュリアス・ポッパーがティエラ・デル・フエゴで行ったセルクナム族の虐殺、それを映した写真を初めて見た時、ある疑問を抱きました。一体誰が撮影したんだろう? 誰がこれらの出来事において感知されない窃視者としての役割を果たしたのだろう? 次にこの場所の風景に惹かれました。広く広大な平野から構成された場所、極限状態でのサバイバルに特徴づけられた未開の地。植民地を強制的な収奪、組織化され合法化された"現代"社会に固有の野蛮さ。不在の大地主はそれらに金を注ぎ込みました。この世界において、私は不快で矛盾を孕む、悍ましい灰色の領域を表現しようと試みたんです"

そうして最初は躊躇いながらも、ペドロは虐殺に加担していく。昼には狩りが行われ、殺された人々からは殺しの証として耳が切り取られていく。夜には、邸宅ではセルクナム族の女性たちをめぐって野蛮なパーティーが行われ、彼女たちの人権が踏み躙られていく。その非人道的な状況を撮影していく中で、ペドロの心は少しずつ歪んでいく。

このペドロを演じるのは現代チリ映画界を代表する名優Alfredo Castroルフレド・カストロだ。彼は今作と同じく2019年のヴェネチアに出品された"El príncipe"で異様な存在感を見せる同性愛者の収監者として魅せてくれたが、今作では逆に臆病な写真家を静かに演じている。しかしその臆病さがだんだんと歪んでいき、最後は非人道的な行いへの罪悪感より、自身の写真への美意識が勝る、監督が言う"感知されない窃視者"としての地位を獲得していく。その様は頗る奇妙だ。"Blanco en blanco"はティエラ・デル・フエゴの崇高な美、そしてチリの黒歴史たる虐殺を背景として、1人の男の心が変容していく様を鮮烈に描き出した作品だ。

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その367 Valentyn Vasyanovych&"Atlantis"/ウクライナ、荒廃の後にある希望
その368 Théo Court&"Blanco en blanco"/チリ、写し出される虐殺の歴史

Valentyn Vasyanovych&"Atlantis"/ウクライナ、荒廃の後にある希望

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2019年9月7日、ロシアとウクライナは収監していた相手国の国民を釈放、拘束者を交換することになった。その中にはテロ活動の罪で禁錮20年の判決を受けたウクライナの映画監督オレグ・センツォフがいた。ジャン・リュック・ゴダールなど世界中の映画監督は彼の解放を要求しており、この釈放は映画界にとっての悲願となった。そういった流れで、ウクライナ映画界に光が戻った訳であるが、ちょうどこの日、ヴェネチア国際映画祭オリゾンティ部門でウクライナ映画が最高賞を獲得することとなった。この素晴らしい偶然を彩った作品が、今回紹介するValentyn Vasyanovych監督作"Atlantis"である。

今作の舞台は2025年の東ウクライナである。度重なる緊迫の末に、ウクライナはロシアと戦争を始めていた。ウクライナは何とか勝利を収めたのであったが、その間に国土は荒廃し、経済も無残なものとなってしまった。勝利の果てに残ったのはただ絶望だけであったのである。そんな絶望に包まれたウクライナが舞台という訳である。

この映画の主人公はセルゲイという中年男性(Andriy Rymaruk)だ。彼は戦争において兵士として戦い、何とか生き抜いたという過去を持っている。しかし戦争の影響でPTSDを患い、苦しむ日々が続いていた。そんな日々に終りが見えることはない。それでも彼は絶望の中で生き続けるしかなかった。

まず監督はそんな男の日常を淡々と映し出していく。冒頭で描かれるのは射撃訓練をする男と仲間の姿である。未だその腕前は衰えてはいない。引鉄を引くごとに尖鋭な金属音が響き渡る。帰ると、彼は暗い部屋の中で何もしないで虚空を見つめ続ける。そんな時間が延々と続くのである。

撮影監督も兼任するVasyanovychは、この風景を長回しで描き出す。カメラは一か所に固定され、一切の編集なく目前の光景をレンズに焼き付け続ける。その長回しが持続するごとに、虚無が深まっていくのだ。例えばセルゲイがアイロンをかける場面。その準備をする様をカメラは淡々と捉えていくのだが、どこか不穏な印象を与える。そして虚無が深まっていき、最後にはそれが悍ましい暴力へと繋がることになる。

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彼はそんな日常を変えるために、トラックを駆って旅に出ることとなる。彼を包みこむ風景は荒廃の極みだ。都市部には工場の黒煙が充満しており、郊外には瓦礫と砂以外は何も存在していない。後者はまるで黙示録後の世界といった風だが、それはウクライナの現実を指し示しているのだと、

しばらくは何も起きることがないが、道中でセルゲイは1人の若い女性カーチャ(Liudmyla Bileka)と出会うことになる。彼女はボランティアとして"黒いチューリップ作戦"というものに従事していた。セルゲイは小さな興味から彼女を乗せ、旅をすることになる。

カーチャが従事する"黒いチューリップ作戦"とは以下のようなものだ。こ戦時中に殺害された兵士たちの死骸を掘り返し、身元を調べる。そして判明後、墓地にその死骸を埋め直していく。失意の中で死んでいったウクライナ人兵士たちへ最後に安らぎの時を与え、死後の平和を祈る作業である。それらは政府軍と分離独立派によるウクライナ内戦や、クリミア併合をめぐるロシアとの武力衝突などが否応なく想起されるだろう。

今作においてウクライナ現状とともに、テーマとなっているのは有害な男性性の行く末である。冒頭において銃撃訓練が繰り広げられると先述したが、この中で怒り興奮したセルゲイは仲間を銃撃するという凶行に出る。防弾チョッキを着ていた故に、相手の命には別状はなかったが、一歩間違えれば戦時中の如く命を奪っていたのであり、彼の男性性の有害さが極まっていることが分かる。

しかし"黒いチューリップ作戦"によって死者の魂に触れていくたびに、彼の男性性の緊張感が少しずつ緩まっていくのが分かる。それは彼が路上でお風呂に入る場面からも分かってくる。彼は大地に放置された重機のクレーンに水を投入し、それを温める。そして服を脱ぎ、静かにお湯に浸かる様をカメラはゆっくりと眺める。そこに先述した不穏さが現れることはない。ただ心地よさが存在している。

そしてそれは若い女性カーチャとの関係性にも表れている。最初、セルゲイは無口でいるのだが、段々と彼女に心を開き始める。そして終盤、暗い部屋に2人で過ごしながら、今まで生きてきた上で抱いてきた感情を彼女に吐露するのだ。誰にも語れなかった自分の真実を、誰かに語るということ。それは自分の中にある鎧のような防衛本能が崩れたことを意味しているだろう。

"Atlantis"は戦争によって傷ついた男がめぐる、静かな再生の旅路を描き出した作品だ。そしてその再生にこそまた、ウクライナ再生の希望が託されているのである。

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ボスニアの大地に立つ2人~Interview with Maja Novaković

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さて、このサイトでは2010年代に頭角を表し、華麗に映画界へと巣出っていった才能たちを何百人も紹介してきた(もし私の記事に親しんでいないなら、この済藤鉄腸オリジナル、2010年代注目の映画監督ベスト100!!!!!をぜひ読んで欲しい)だが今2010年代は終わりを迎え、2020年代が始まろうとしている。そんな時、私は思った。2020年代にはどんな未来の巨匠が現れるのだろう。その問いは新しいもの好きの私の脳みそを刺激する。2010年代のその先を一刻も早く知りたいとそう思ったのだ。

そんな私は、2010年代に作られた短編作品を多く見始めた。いまだ長編を作る前の、いわば大人になる前の雛のような映画作家の中に未来の巨匠は必ず存在すると思ったのだ。そして作品を観るうち、そんな彼らと今のうちから友人関係になれたらどれだけ素敵なことだろうと思いついた。私は観た短編の監督にFacebookを通じて感想メッセージを毎回送った。無視されるかと思いきや、多くの監督たちがメッセージに返信し、友達申請を受理してくれた。その中には、自国の名作について教えてくれたり、逆に日本の最新映画を教えて欲しいと言ってきた人物もいた。こうして何人かとはかなり親密な関係になった。そこである名案が舞い降りてきた。彼らにインタビューして、日本の皆に彼らの存在、そして彼らが作った映画の存在を伝えるのはどうだろう。そう思った瞬間、躊躇っていたら話は終わってしまうと、私は動き出した。つまり、この記事はその結果である。

2020年代に巣出つだろう未来の巨匠にインタビューをしてみた! 第2回は旧ユーゴ圏に属する国の1つであるボスニア・ヘルツェゴビナ、その国から現れた新鋭ドキュメンタリー作家Maja Novaković マヤ・ノヴァコヴィチに注目!

マヤ・ノヴァコヴィチは1987年、ボスニアのスレブレニツァに生まれた。ベオグラード大学哲学科で美術史を学んだ後、同地の学術映画センターで映画製作について学んだ。現在は博物館学・遺産学センターと数学研究所に勤務すると共に、セルゲイ・バラジャーノフについての博士論文を執筆中である。そしてその合間に映画監督としても活躍しており、そうして完成させた最新作が"A sad se spušta veče"である。今作はボスニアの村に住む2人の女性を描いたドキュメンタリーだ。彼女たちが自然と交流しながら、悠然と暮らす姿を崇高な筆致で描き出している。今作はサラエボ映画祭で上映され、話題となった。

www.youtube.com

済藤鉄腸(以下TS):最初の質問です。どうして映画監督になりたいと思ったんでしょう? そしてどのように映画監督になりましたか?

マヤ・ノヴァコヴィッチ(以下MN):私は映画監督になろうと思ったことは1度もないんです。自分が記録されたイメージでどのように実験できるか、どのように思考できるか……自分が映画界に入ったのはこの問いに対する熱狂や愛、好奇心や興味からです。例えば私は仕事の合間にこの映画("A sad se spušta veče")を作りましたが、その時間は休暇のようなものだったと思っています。何故ならその時間は私の愛するものや興味を惹くものに捧げられたというべきだからです。

TS:映画に興味を持ち始めた時、どのような作品を観ていましたか? そして当時ボスニアではどのような作品を観ることができましたか?

MN:映画に興味を持ったのは美術史を学んでいた時です。影響を受けた作品にはジャン・コクトー「詩人の血」「オルフェ」セルゲイ・パラジャーノフざくろの色」「火の馬」スロボダン・ペシチ「ハルムスの幻想」(原題:Slučaj Harms)、そしてピーター・グリーナウェイの映画が挙げられます。私は映画の中に見出せる越境性に惹かれるんです。絵画や文学、そしてそれを包括した表現法の融合のおかげで、私は映画の道に入りました。

2つ目の質問についてですが、その頃はボスニアにいませんでした。ベオグラードで学んでいたんです。だからその当時作られた映画作品については知らないんです。そして映画を選ぶ基準は映画理論や映画史からでした。

TS:あなたの作品"A sad se spušta veče"の舞台となった村はどんな場所なんでしょう? ボスニアの有名な場所、それともあなたの故郷でしょうか?

MN:この村は私の生まれ育った場所です。ポブルジェ(Pobrđe)という村で、ボスニアのブラトゥナツ(Bratunac)と呼ばれる小さな町の近くに位置しています。この場所を選んだことは私にとってとても大切なことで、なぜなら場所や人々に関する子供の頃の思い出を映像化するにあたってそこに多くを頼っていたからです。自然や風景、田舎における生活や習慣は私にとってとても近く愛すべきものであり、これらに親しんでいたことで撮影場所を探す手間を省けました。多くのショットにおいて、私はベオグラードに居た時点からスケッチを描いていました。というのもその光景を憶えていたからです。例えば映画の一番最初のショット、そこに映る小川で私はラズベリーを採っていたんです。それから夕暮れのたびに、それを彩っている、空と大地が分かれたあの風景を捉えることができたらどんなに素晴らしいかと想像していました。そんな子供の頃のたくさんの思い出を、私は映像化して忘却から救いたかったんです。

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TS:まず印象的だったのは女性たちの身体性を捉える、あなたの方法論です。例えばリンゴを切る時の手、大地を歩く時の足、儀式を行う時の顔……あなたはどのようにして彼女たちの身体や身体性を捉えていったんでしょう?

MN:今作において、手を強調するのは重要なことでした。手は女性たちの人生や力、仕事を反映していたからです。私は手が彼女たちの肖像画として結実するようにしたかったんです。今作で、女性たち2人がまず一緒に登場する時、顔の代りに手が出てきます。下から映し出される彼女たちの輪郭と共に、肖像画としての手に近づく事で、私は彼女たちの力と性格、そして朽ちることのない人生について描きたかったんです。

リンゴを切る場面は他の場面にも出てきますが、静物画のモチーフに依拠しています。いわゆるヴァニタスの精神、儚さに光を当てたかったんです。そして人生に満ちる空気感や内面世界に広がる親密性を描きたいという目的もありました。

TS:この映画には多くの動物が出てきますね。中でも印象的だったのはアリたちです。彼らはリンゴの上を歩き、女性のまっさらな裸足の上で群れを成します。彼らは、村やボスニア、もしくはあなたにとって特別な意味を持っているんですか?

MN:この場面は映画の出発点を示しています。つまり田舎の片隅における日常を描き出すこと、自然と人間を結い合わせ繋げていくということです。その環境において、人間の営みは高められ、小宇宙と融合を遂げていきます。自然の中の営みは単調であるにも関わらず、平凡さの影から何かを見出し、周囲に広がる大いなる生について考えを巡らせたならば、素晴らしくも脆い世界を発見することができるでしょう。

TS:今作の核は2人の女性の関係性です。ほとんど言葉はないながら、彼女たちが心で通じ合っていることが映画からは伺えます。どのように彼女を見つけたのでしょう?

MN:そうです。女性たちの親密さ、純粋さ、そして思いやりは今作において際立っています。言語的な交流がなしに彼女たちはこの親密さを紡ぎ出しています。沈黙と営みの中でこそ会話をするんです、もはや言葉を必要とはしてないからこそ。私は言葉に煩わされることなく彼女たちの人生の一部を描き出したかったんです。

その関係性における親密さに1つ付け加えると、同じことは自然との関係に言えます。彼女たちが構築する唯一の関係性の相手は自然と動物です。自然こそが彼女たちの交流相手なんです。

どうやって彼女たちを見つけたかについてですが、私は彼女たちと同じ村で育ちました。小さかった頃、姉や妹たちを連れだって丘を登っていきました。オブレニャ――年上の方の女性です――と一緒に羊を世話するためです。彼女たちの思いについて想像を巡らせるのはいつでも興味深いことでした。羊の群れと一緒に牧草地を日々を過ごす時、彼女たちは一体何を考えているんだろう? 一緒に時間を過ごすうち、タンポポやアリ、他の昆虫や草花がどう生きるかを学びました。

TS:あなたの作品を観ると、あの女性たちについてもっと知りたくなります。映画からだけでは知ることのできない彼女たちの人生や歴史について教えて頂けますか。

MN:2人の女性、オブレニャとヴィンカは丘で過ごしています。彼女たちはそこの唯一の住民で、2月の初めから雪が降るまで住んでいます。年上のオブレニャが残りの人生を、若い頃に過ごした家で過ごしたいと望んだからなんです。彼女たちは丘で作物を育て、家畜の世話をしています。だけども今年はオブレニャが亡くなってしまい、この営みは行われませんでした。現在、ヴィンカは家族とともに暮らしています。

観客は思うのとは逆に、彼女たちは母娘という訳ではありません。血の繋がりはないんです。だけども同じ親族の別の世代に属する男性と結婚しています。2人とも未亡人で、若い方のヴィンカがオブレニャの世話を引き受けていた訳です。

TS:現在のボスニア映画界はどんな状況でしょう? 外から見ると、その状況はいいものに見えます。新しい才能が有名な映画祭に現れているからです。例えばロッテルダムEna Sendijarević エナ・センディヤレヴィチ(彼女についてはこの記事を参照)、カルロヴィ・ヴァリのAlen Drljević アレン・ドルリェヴィチ(彼についてはこの記事を参照)などです。しかし内側からだと現在の状況はどのように見えているのでしょう?

MN:ボスニア映画の現状についてはあまり多くを語れません。あなたの言及した監督の作品も観ていませんからね。

しかし、羨ましい状況にあるとは言えませんね。友人の話によると、意気を挫くような良くない状況ができていて、若い監督たちは孤立しているそうです。現状として若者たちがボスニアを離れているというのがあります、私含めてですが。個人的な経験から語ると、ボスニアにおいて芸術や文化は周縁のものであり、財政的な支援においても不公平な状況が広がっています。

TS:日本の映画好きがボスニアの映画史を知りたい時、どのボスニア映画を観るべきでしょう? その理由も教えて下さい。

MN:好きな作品はたくさんありますが、その中でも1本を選びましょう。それはIvica Matić イヴィツァ・マティチ監督の"Žena s krajolikom"です。今作の中では、芸術と自然が結い合わされています・絵画を通じて、監督は人生を描いているんです。 そして彼はIsmet Ajanović イスメット・アヤノヴィチ(ボスニアの有名な画家)の繊細な絵画を使って、風景を構成してもいます。森の管理人が風景を通じて彼の絵画を描き出す時、2つは溶け合い1つになるんです。芸術家と社会の軋轢、芸術家が自由と正義を求める姿が美しく描かれています。思い出すのはジョージアの映画監督ゲオルギー・シェンゲラーヤ「放浪の画家ピロスマニ」です。両作品とも繊細な絵画を通じて物語を語り、芸術家と社会の間に横たわる不理解を描いていますね。監督はボスニアに広がる風景を垣間見て、それを映画の枠に閉じ込めてみせました。今作は画架に立てかけられた映画なんです。

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Dmitry Mamulia&"The Criminal Man"/ジョージア、人を殺すということ

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ジョージア映画は歴史を鑑みると絵画的な素養が根底にある作品が多かったように思われる。実在の画家の伝記映画である「放浪の画家ピロスマニ」に始まり、テンギズ・アブラゼ「祈り」、最近公開された作品でもザザ・ハルバシ監督の「聖なる泉の少女」は絵画的素養が存分に発揮されたイメージ重視の映画だった。そんな中で、文学的な素養を背景とした作品は少ないように思われる。だが今回紹介するジョージア映画、Dmitry Mamulia監督の第2長編"The Criminal Man"は正にこの素養に裏打ちされた圧巻の作品となっている。

まずカメラはジョージアの首都トビリシの郊外に広がる荒野を映し出す。この神から見放されたような場所に車がやってくる。そして男が2人出てきたかと思うと、1人がもう片方の男に銃を向ける。そして無慈悲に発砲し、男は倒れてしまう。車はそのまま去るが、そこには1人の目撃者がいた。

この名もなき男(Giorgi Petriashvili)はエンジニアとして働くただの一般人である。彼は成り行きで殺人事件の目撃者となってしまった訳であるが、彼は警察にそのことを証言しようとしない。ニュースで流れる殺人事件の報道を静かに眺めるだけである。殺された人物はサッカチームのGKとして活躍していた……

序盤において本作はそんな男の無色透明な日常を淡々と描き出していく。職場で同僚たちと昼食を食べる、車を運転して荒野を通り抜ける、妻と子供が学校で書いた絵について話す、ベッドで穏やかに眠る。そういった描写の数々が何の脈絡もなしに、淡々と結び付けられていくのである。

だがそんな静かに見える日常の中で、確かに男の精神は変貌を遂げていく。彼は何度も何度も流れる殺人事件のニュースを飽きることなく見据え続ける。そればかりでなく、彼は荒野に舞い戻っていき、1人の人間が死んだ殺害現場を眺めることになる。彼の心で事件はゆっくりと、だが確実に膨張を遂げているのである。

監督の描写は断片的かつ散文的だ。日常を丹念に描き出していくことを延々と繰り返し、際立った事件は何も起きないままに時は過ぎていく。それはある意味で淡泊であり、ある意味でストイックなものだ。だが目前の光景を厳然と見つめる監督とカメラ担当のAnton GromovAlisher Khamidkhodzhaev の眼差しが、観客の興味を持続させる。

そして監督自身とArchil Kikodzeが手掛けた脚本における、ディテールへの奇妙な拘りも興味を持続させる一因だ。例えば男は何度か少年たちと巡り合うのだが、毎回彼は姉妹の有無を確認する。彼はその姉妹の個人情報について異様なまでに知りたがり、深くまで聞き出そうと淡々と問いを重ねていく。この不可解な行動の理由は明かされることがない。そんな描写がいくつも存在しており、これが物語の深度を更なるものとしていくのだ。

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その中で男の執着がとうとうある暴力装置へと結実することになる。彼は闇ルートを通じて、銃を購入する。荒野での殺人に使われた暴力装置だ。男は銃を携帯しながら、街を練り歩くこととなる。時にそれを脅迫に使い、時に心を奮い立たせるのに使う。その果てに彼は引鉄を引くのだ。

ここまでを監督は、細部こそが重要だとばかりに長い長い時間をかけて描き出していく。その冗長さスレスレの泰然たる手捌きは、まるで豊饒な描写を伴った長編小説を綴るかのようだ。ショットそれ自体ではなく、物語の流れそれ自体から人間存在への洞察を浮かび上がらせていく様は、映画体験が読書体験へ限りなく近づいていくような印象を受ける。

今作を観ながら真先に想起されるのは、ドストエフスキーに代表されるロシア文学だろう。執拗なまでの思索的長さを伴った描写の数々に埋没していくような感覚は、ロシア文学を読む悦びにも似ている。実際ジョージアは長年ソ連の属国であったし、今作の資本にはロシアが関わっている。ロシアからの影響は否定できないだろう。

そういった意味で現代映画の文脈に今作を配置するならば、監督はロシアのアンドレイ・ズビャギンツェフやトルコのヌリ・ビルゲ・ジェイランらが受け継いだ流れの最先端に位置すると言えるだろう。彼らは深い文学的素養を持ち、長編小説を執筆するように長編映画を創り出す。この壮大な感覚を、監督は第2作目にして獲得しているのだ。

そして物語は続いていく。今作は男の道筋を通じて殺人という罪に対する倫理的な洞察を深めていく。そこには人間の欲望や愛が絡まり合っていく。ある時、男は殺人を犯した若者の裁判に立ち会い、彼の妻と会話を交わす。"殺人を犯した彼を愛しているか?"という男の問いに、妻は"愛が深まった"と答える。この世で人を殺すことは、殺人者自身にもその周りの人間にも大きな影響を与える。その様を、監督は観察していくのだ。

静かに緊張感が高まる中、その果てに監督が描き出そうとするのは人間存在が不可避的に宿す禍々しさや理解し難さなのだというのが分かってくる。彼は文学的なアプローチを駆使しながら、人間心理の奥の奥へと潜行していく。その様は悠然としながらも、堂々たるものであり、正に圧巻としか言い様がない。"The Criminal Man"ジョージア映画界の新たなる豊饒を告げる大いなる1作だ。

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私の好きな監督・俳優シリーズ
その341 Abbas Fahdel&"Yara"/レバノン、時は静かに過ぎていく
その342 Marie Kreutzer&"Der Boden unter den Füßen"/私の足元に広がる秘密
その343 Tonia Mishiali&"Pause"/キプロス、日常の中にある闘争
その344 María Alché&"Familia sumergida"/アルゼンチン、沈みゆく世界に漂う
その345 Marios Piperides&"Smuggling Hendrix"/北キプロスから愛犬を密輸せよ!
その346 César Díaz&"Nuestras madres"/グアテマラ、掘り起こされていく過去
その347 Beatriz Seigner&"Los silencios"/亡霊たちと、戦火を逃れて
その348 Hilal Baydarov&"Xurmalar Yetişən Vaxt"/アゼルバイジャン、永遠と一瞬
その349 Juris Kursietis&"Oļeg"/ラトビアから遠く、受難の地で
その350 済藤鉄腸オリジナル、2010年代注目の映画監督ベスト100!!!!!
その351 Shahrbanoo Sadat&"The Orphanage"/アフガニスタン、ぼくらの青春
その352 Julio Hernández Cordón&"Cómprame un revolver"/メキシコ、この暴力を生き抜いていく
その353 Ivan Marinović&"Igla ispod plaga"/響くモンテネグロ奇想曲
その354 Ruth Schweikert&"Wir eltern"/スイス、親になるっていうのは大変だ
その355 Ivana Mladenović&"Ivana cea groaznică"/サイテー女イヴァナがゆく!
その356 Ines Tanović&"Sin"/ボスニア、家族っていったい何だろう?
その357 Radu Dragomir&"Mo"/父の幻想を追い求めて
その358 Szabó Réka&"A létezés eufóriája"/生きていることの、この幸福
その359 Hassen Ferhani&"143 rue du désert"/アルジェリア、砂漠の真中に独り
その360 Basil da Cunha&"O fim do mundo"/世界の片隅、苦難の道行き
その361 Mona Nicoară&"Distanța dintre mine și mine"/ルーマニア、孤高として生きる
その362 Siniša Gacić&"Hči Camorre"/クリスティーナ、カモッラの娘
その363 Vesela Kazakova&"Cat in the Wall"/ああ、ブレグジットに翻弄されて
その364 Saeed Roustaee&"Just 6.5"/正義の裏の悪、悪の裏の正義
その365 Mani Haghighi&"Pig"/イラン、映画監督連続殺人事件!
その366 Dmitry Mamulia&"The Climinal Man"/ジョージア、人を殺すということ

Mani Haghighi&"Pig"/イラン、映画監督連続殺人事件!

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現代イラン映画と言えば、アスガー・ファルハディ作品に代表される重厚なドラマ作品だろう。イランの厳しい戒律に端を発する問題、更にそれらが呼び込む親族・友人間の軋轢、そういった要素が濃密な緊張感を以て描かれてきた。だが今回紹介する作品はそういった潮流から興味深いまでに遠く隔たっている。ということで今回はMani Haghighi監督作"Pig"を紹介していこう。

イランの首都テヘラン、ここで猟奇的な殺人事件が連続して起こる。更に奇妙なことに被害者は全員映画監督だった。街では様々な憶測が流れる。イラン当局に非難される映画を製作した故に報復で殺されたなどだ。しかし真相は一向に明らかになることがない。

今作の主人公は50歳になる中年男性ハサン(Hassan Majooni)である。彼もまた映画監督であり、更にはその前衛的な作風もあって評判は広く知れ渡っていた。当然、被害者となった映画監督も知人である。そして更に映画監督が殺されていく中で、彼は自分自身の身を案じることとなる。

現代イラン映画の演出の特徴と言えば、抑制ゆえの緊張感であるが、今作にそういったものは一切ない。どちらかといえば、アメリカのコメディ映画に顕著な軽快さとポップなな大胆さが存在している。更には色味すらも極彩色が炸裂する瞬間があり、ファルハディ作品のような抑制は全く存在し得ない。

例えばOPのエビダンスである。エビを思わせる真っ赤な衣装を着た女性たちが、ペルシア語カバーの「ハイウェイ・スター」に合わせて、踊りまくるのである。そして突然霧が噴き出してきたかと思うと、エビたちは倒れ、粘ったゲロをブチ撒けて死んでいくのである。これには唖然とさせられるが、ここに代表されるポップな感覚が今作の根底にはある。

ハサンは映画監督としては才能があるかもしれないが、ぶっちゃけ人間としてはダメ野郎だ。常に不機嫌な雰囲気を纏いながら、イラつくとその怒りを周りの人間にブチ当てる。正直、自分からはお近づきになりたくない類の人間だ。監督はそんな彼の心の動転を、黒い笑いと共に丹念に追っていくのだ。

そして今作は果敢な態度で以て、現在のイランを諷刺しようと試みている。イラン当局による映画人への弾圧は広く知られているところだろう。例えば金熊賞受賞作の「人生タクシー」ジャファール・パナヒや、フィルメックスで作品が上映されているモハマド・ラスロフらは映画製作を禁止され、イランに軟禁状態の憂き目に遭っている(そんな状況で彼らはあらゆる手を使って映画を製作している訳だが)

さらに今作には「別離」で有名なレイラ・ハタミも出演している。彼女は2014年のカンヌ国際映画祭で実行委員長の頬にキスをし、イランから名指しで非難された。彼女の"不適切な振る舞い"は"われわれの信仰と一致しない"との副文化相の発言も残されている。そういった過去を持つ俳優が今作に出演しているというのも意図的なものだろう。イラン当局の抑圧は、芸術的才能の抑圧であり、殺人にも等しい行為であると今作は主張するのである。

ハサンは事件のせいで友人たちを亡くすどころか、自身が犯人と疑われて軟禁されることともなってしまう。その姿はまるで実際にイランの映画人たちに降りかかる不条理を追体験しているようだ。ハサンは彼らの受難の象徴なのである。"Pig"は表面上ポップで不謹慎なコメディ作品だが、その奥には危険で反体制的な風刺精神が込められているのである。

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その358 Szabó Réka&"A létezés eufóriája"/生きていることの、この幸福
その359 Hassen Ferhani&"143 rue du désert"/アルジェリア、砂漠の真中に独り
その360 Basil da Cunha&"O fim do mundo"/世界の片隅、苦難の道行き
その361 Mona Nicoară&"Distanța dintre mine și mine"/ルーマニア、孤高として生きる
その362 Siniša Gacić&"Hči Camorre"/クリスティーナ、カモッラの娘
その363 Vesela Kazakova&"Cat in the Wall"/ああ、ブレグジットに翻弄されて
その364 Saeed Roustaee&"Just 6.5"/正義の裏の悪、悪の裏の正義

Saeed Roustaee&"Just 6.5"/正義の裏の悪、悪の裏の正義

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さて、60年代から70年代にかけては骨太の刑事ものが流行った。例えば「ダーティ・ハリー」や「フレンチ・コネクション」など、アメリカではマチズモの塊である刑事たちが犯罪者たちを執念で追い続ける作品が多数制作された。イタリアでもそれを模倣した刑事ものが多く作られ、人気を博していた。今回紹介する作品、Saeed Roustaee監督による第2長編"Just 6.5"はそんな刑事ものの系譜に位置しながらも、現代的なツイストが施された意欲作である。

今作の主人公である中年男性サマド(Peyman Moaadi)は、署内でも1,2を争うほどの辣腕を誇る刑事だ。彼はその暴力的なまでの行動力と観察眼を以て、犯罪者たちを見定めて、彼らを次々と逮捕していく。彼の行動は行き過ぎの所もありながら、その実力は否定することができなかった。

冒頭、今作においてサマドと犯罪者の追跡劇が描かれるのだが、この場面は今作を象徴していると言ってもいい。彼らはテヘランの裏路地を全速力で駆け抜けていく。明らかに若者である犯罪者の方が足は速いが、サマドは必死に彼に喰らいついていく。監督はこの場面を密度ある緊張感と激しいアクションで描き出していく。この緊迫感が今作の要であると予告するように。

前述した通り、サマドの捜査方法には少々強引なところがある。彼は常時威圧的な態度を取り続け、犯罪者を脅迫するような行動を見せる。それ故に彼は同僚たちからも恐れられている。そんな彼が特に意欲を燃やすのが、麻薬関連の事件だ。今作のあらすじにはこうある。"自分が刑事になった時、麻薬中毒者は100万人だった。だが今じゃ650万人だ!"サマドの行動理念の底にはそんなイランの腐敗した現実がある。

そんなサマドに立ちはだかるのが麻薬王ナセル(Navid Mohammadzadeh)だ。彼は多くの麻薬密売人を従えて、テヘランの街を麻薬で汚染していた。幾重にも捻じ曲がった道を執念で突き進んでいった末、彼はナセルの元に辿り着く。彼は自殺を図っていたが、何とか蘇生させ、監獄へとブチ込むことに成功する。

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ここで物語は思わぬ転換を見せる。視点がこのナセルに変わるのだ。彼は凄まじい量の犯罪者たちが収監されている監獄に収容されることになる。もはや立錐の余地もない劣悪な環境において、ナセルはあらゆる手を使って監獄から抜けだそうと奔走するのだったが……

ここから物語は例えばパピヨンなどの監獄ものへと姿を変えることになる。この監獄の環境は最悪であり、人間がゴミのように扱われている。大人の他にも子供までもが収監されており、刑事たちもそれに対して何の疑問も見せないどころか、最低の犯罪者として糾弾する態度を崩さない。監督はナセルや同房の人々の苦境を通じて、この場所の凄惨さを語るのだ。

そんな人々の苦境を目の当たりにして、ナセルは自身の犯してきた犯罪と対峙することとなる。そして苦悩しながら、彼はこの凄惨な状況に対して義憤を抱き始めることとなるのだ。なおも警察による酸鼻に耐えぬ蛮行が罷り通る中で、ナセルは自分の成せる抵抗というものを警察に対して見せていく。

驚くべきはこの過程において、ただ純粋な悪であったはずのナセルの中に、かろうじて残っていた正義が立ち現われてくるところにある。今作において悪の背景にはイランの悲惨な現実がある。監督は悪を純粋な悪とせずに、そうした背景をナセルの背中に背負わせることで物語に複雑な政治を宿していく。

そして同時に、今まで正義を体現してきたサマドという人物の中に悪が現れ始めることとなる。彼は、そして警察機構は犯罪者に対して、その人権を少しも勘案することなく、徹底して抑圧してきた。この個人としての、組織として非道さを、監督は確かに悪として描き出しているのだ。

このようにして悪に中に正義が、正義の中に悪が立ち現われてくる末に、ナセルとサマドは激突を遂げる。車中で彼らは自分たちが置かれた現状に対して言葉を投げつけ、吠え続ける。その様は演じる俳優2人の勢いある演技も相まって、凄まじい熱量を伴っているのだ。"Just 6.5"は刑事ものや監獄ものなど様々なジャンルを行き交いながらも、その先にある境地に達した稀有な意欲作である。正義と悪の多面性を、監督は誰もできない独創的な形で描き出している。

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