鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

2020年代、期待の新鋭映画監督110!

さて、このサイトでは2010年代に頭角を表し、華麗に映画界へと巣出っていった才能たちを何百人も紹介してきた(もし私の記事に親しんでいないなら、この済藤鉄腸オリジナル、2010年代注目の映画監督ベスト100!!!!!をぜひ読んで欲しい)だが今2010年代は終わりを迎え、2020年代が始まろうとしている。そんな時、私は思った。2020年代にはどんな未来の巨匠が現れるのだろう。その問いは新しいもの好きの私の脳みそを刺激する。2010年代のその先を一刻も早く知りたいとそう思ったのだ。

そんな私は、2010年代に作られた短編作品を多く見始めた。いまだ長編を作る前の、いわば大人になる前の雛のような映画作家の中に未来の巨匠は必ず存在すると思ったのだ。そして私は半年をかけて百数十本の短編を鑑賞し、未来のための新鋭映画監督リストを作った。ここにお披露目するのはその結果である。ということで少しだけ説明をするが、このリストに現れるほぼ全員が、まだ短編映画しか作ったことがない映画作家である。ほぼ、というのは記事執筆に半年をかけたせいで、その間に長編を発表してしまった作家がいるのである。彼らを私の怠慢を理由にこのリストから除外するのは忍びなかったので、1,2人ほど例外的に長編を1作だけ作った作家もいる。ご承知いただきたい。

最初から長編を製作してデビューしたという作家は少ない。ジャン=リュック・ゴダールシャンタル・アケルマンヴェラ・ヒティロヴァクエンティン・タランティーノアピチャッポン・ウィーラセタクンも短編映画から始まった。映画作家はここから始まるのだ。ということでここに記した100人の名前をぜひ覚えて、2020年を迎えて欲しい。それではどうぞ。

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私的2019年ベストチューンであるInsanの"Biseri"とともにどうぞ。

Khin Waso キン・ワソ (ミャンマー)
自由が私の信じるもの。これは翼なしで飛ぶ詩なのだ……彼方に輝ける夕日、砂浜の上を歩く女性、色褪せたホームビデオ、空を飛ぶ少女のアニメーション。様々な要素を行き交いながら生と自由についての思索を巡らせていく"Letter to a Bird"がデビュー短編。当初はジャーナリストだったが、2014年から映画製作を学び始め、今に至っている。

Nida Mehboob ニダ・メフブブ (パキスタン)
アフマディーヤはイスラム教の宗派の1つであるが、異端と見做されておりパキスタンでは迫害の対象となっている。彼女の短編ドキュメンタリー"298-C"はそんな迫害によって世界中に離散したある一族が再会を果たす姿を描き出した作品である。そこからはアフマディーヤの過酷な歴史の一端が見えてくる。ちなみに題名の"298-C"は彼らを弾圧する通称"反アフマディー法"を指している。

Los ingrávidos ロス・イングラビドス (メキシコ)
メキシコを拠点に活動する映像集団。まるで破壊された液晶画面に映る極彩色の狂気のような、見ていると脳髄が溶けていく実験映画を多く製作している。描かれる過激な抽象絵画は、観客を激烈な思索へと誘うだろう。数ある実験映像集団でも、指折りの狂熱ぶり。公式vimeoから多数の作品が鑑賞可。

Zoljargal Purevdash ゾリャルガル・プレヴダシュ (モンゴル)
モンゴル出身ながら、日本の桜美林大学でも学んでいた期待の映画作家。2010年には桜美林の卒業制作として「街の上、空の下」を監督、その後はモンゴルに戻り短編"Bungundy"(2013)や"Outliers"を製作する。最初は普通の劇映画を監督していたが、だんだんと実験的な側面が強くなってきている。現在は初長編"If Only I Could Hibernate"を準備中。

Phạm Ngọc Lân ファン・ゴック・ラン (ベトナム)
東京でもその作品が上映されている、ベトナム映画界期待の新人監督。最新短編"Một Khu Đất Tốt"は郊外の砂丘で繰り広げられる奇妙な人間関係を描き出した作品。優雅な長回しで綴られる物語は、禅的な問答を誘う。今作はベルリン国際映画祭でも上映された。

Sara Nanclarez サラ・ナンクラレ (コロンビア)
老人トニョはコロンビアの港町で漁師をしている。彼の親族はみな海で消息を絶っている故に孤独だ。ルスという想い人は居ながらも、頑固な性格のせいで距離は近づいていかない。そんな中で、彼は海失踪した弟の姿を目撃するのだが……1人の老人の生き様を繊細に描き出した短編"Todos los peces que maté"カルタヘナ映画祭で話題を博した。

Hanis Bagashov ハニス・バガショフ (北マケドニア)
2000年生まれ、正に2020年代に巣立っていくだろう北マケドニアの若き才能。2015年製作の"Faces"北マケドニアの辺境の村が舞台、この村に生きる人々の日常を通じて国の明と暗を描き出していく作品だ。最新作は2018年製作"Mishko"、現在未だ19歳である。
インタビューはこちら→北マケドニアに生きる~Interview with Hanis Bagashov

Joanna Cristina Nelson ホアンナ・クリスティナ・ネルソン (ベネズエラ)
経済的に深刻な状況が続くベネズエラ、そこでとある母子が暮らしている。母が香水を欲しいと求めるので、息子は雑貨店を経営する友人の元へ行くのだが……ニュースでもその惨状が伝えられるこの国の現実を描き出した"Harina"がウエルバ映画祭で最高賞を獲得するなど話題になる。現在は長編デビュー作を製作中。

Carlo Francisco Manatad カルロ・フランシスコ・モナタッド (フィリピン)
激しい嵐に見舞われたフィリピンのある街、そこでは様々な人々がそれぞれの想いを抱えながら、日々を生きていた。フィリピンに根づく豊かで色とりどりの文化を実験的な作劇で描き出した作品が彼の最新短編"Baga't Diri Tuhay Ta't Pamahungpahung"だ。トロントで上映され、話題を博した。

Kim Schneider キム・シュナイダー (ルクセンブルク)
土の中から植物を生み出すことのできる少女、手のひらから炎を出すことのできる少年。ある時2人は出会い、互いの不思議な力に魅了され、恋に落ちる……少し不思議なロマンスを描き出した"And Then You"が代表作。色とりどりの想像力が飛翔する様を楽しむことができる。

Raed Alsemari ラエド・アルセマリ (サウジアラビア)
大事なパーティの日、従業員たちが全員ボイコットを起こして逃げてしまう。苦境に陥った邸宅の主ドゥニャは友人たちを従えて、何とかパーティをものにしようと奮闘する。そんな様を軽快な笑いのセンスと共に描き出した"Dunya's Day"が代表作。今作はサンダンス映画祭において審査員賞を受賞するなど広く話題となった。

Sajra Subašić サイラ・シュバシッチ (ボスニア)
監督の家族はサラエボ紛争の戦火を逃れて、ドイツで長い事暮らしていた。そんな中で監督はボスニアへと戻り、かつて両親が住んでいた家へと赴く。そこでの想いを呟きながら、ボスニアの現在を眺める短編"Gomila materijala"が最新作。サラエボ映画祭で審査員賞を獲得することになった。

Eileen Cabiling アイリーン・キャビリング (フィリピン/アメリカ)
フィリピンとアメリカのミックスであり、2つの国を股にかけながら作品を作っている人物。最新短編"Basuero"はドゥテルテ政権の麻薬戦争を背景として、その被害者たちの死体を遺棄することを余儀なくされた漁師の若者の姿を描いている。すさまじく鮮烈で息苦しく、今作を観ている時、私たちはまるでマニラの闇深い奥を旅しているような心地になるだろう。

Ivana Vogrinc Vidali イヴァナ・ヴォグリンツ・ヴィダリ (スロヴェニア)
スロベニアの奥地では、現在でも古くから伝わる宗教的な儀式が執り行われている。今作"O luni, mesecu in njunem odsevu"はその儀式について、スロヴェニアに広がる荘厳なる自然を背景としながら描き出すドキュメンタリー作品だ。1997年生まれで、2014年から実験的なドキュメンタリー作品を作り続けている。
インタビューはこちら→スロヴェニアの豊穣たる大地を行く~Interview with Ivana Vogrinc Vidali

Kostis Charamountanis コスティス・ヒャラムーンタニス (ギリシャ)
コンスタンティノスとエルサ、彼らきょうだいは熱い熱い夏を愉快に爆発的に楽しもうとする。そんな大騒ぎ的な様を実験映画的な手法で描き出した作品が"Kioku before summer comes"だ。撮影機器は古いビデオながら、方法論は音楽ジャンルでいうVaporwaveのそれであり(字幕で意味不明な日本語を使う辺りも完全にそうだ)、暴力的なまでの郷愁を味わうことができる。

Adriana Barbosa アドリアナ・バルボサ (ブラジル/メキシコ)
主人公はニューヨークに生きるトランス女性、彼女は来たるべき式典の為に仲間であるメキシコ移民たちと準備を進めるのだったが……1人のトランス女性の逞しき姿を通じて、アメリカに根づくメキシコ文化を描き出すドキュフィクション"La flaca"が最新短編。メキシコとブラジルの文化を横断しながら、映画を製作し続けている。

Héctor Silva Núñez エクトル・シルバ・ヌニェス (ベネズエラ)
テン年代に入り、俄に頭角を表し始めたベネズエラ映画界の新人作家その2。何故か乳首なしに生まれるという不条理に見舞われた青年ハイロ、彼はそれを取り戻すために手術をしようと決意するのだが……1人の青年の彷徨を柔らかな映像と共に描き出した作品がこの"El destetado"だ。

Wassim Geagea ワシム・ジャアジャア (レバノン)
ベイルートを拠点とする映画作家。最新短編"Ome"は母を失ったばかりの少年が主人公。彼はキリストに母が戻ってくるようお願いするが、彼女はもう戻ってこない。業を煮やした彼は聖母像を盗み出すのだが、それが村に騒動を巻き起こす……レバノン人と宗教の難しい関係性を1人の子供の目から描き出した作品だ。

Kovács István コヴァークス・イシュトヴァーン (ボスニア/ハンガリー)
ハンガリーボスニア人という少数派として、育った映画作家。短編"Ostrom"は1994年ボスニア紛争下のサラエボで逞しく生きようとする中年女性の姿を描き出した作品だ。外に水を汲みにいくだけで狙撃酒に狙われる状況で、彼女は恐怖と哀しみに心を蝕まれながら、独り生きる。監督はそんな彼女の苦闘を、寒々しい叙情性と息詰まる臨場感を以て綴っている。

Lucia Kašová ルチア・カショヴァー (スロヴァキア)
過渡期にある都市ブラチスラヴァ、摩天楼が建設される中でその麓に広がる風景に思いを馳せる……東欧の一都市であるブラチスラヴァの過去と現実を詩的に描き出す短編"Concrete Times"が現時点での代表作。現在は長編ドキュメンタリー"The Sailor"を製作中。

Zhanna Ozirna ジャンナ・オジルナ (ウクライナ)
オデッサ国際映画祭に選出された彼女の最新短編"The Adult"は、仲間たちのマッチョな価値観に馴染むことができない少年の直面する暴力の連鎖を通じて、ホモソーシャル的な共同体の毒性や恐ろしさを描き出した作品だ。暴力の先には何とも言えない苦い余韻が待っている。映画祭のプログラマーとしても活躍している。

Austėja Urbaitė アウステヤ・ウルバイテ (リトアニア/フランス)
ボートに乗り仲睦まじく会話する男女、しかし少女の方はフランスへの移住を控えていた……少年少女の淡い恋心と別離の哀しみを繊細な形で描き出した作品が"Tiltai"だ。現在は初長編を準備中。メッセージを送ったら色々なリトアニア映画を教えてくれたので、優しい。

Irene Moray イレーネ・モライ (スペイン)
1組のカップルは友人たちと共に避暑地のコテージで休暇を楽しんでいた。だが彼らにはある悩みがあった。彼女がセックスでオーガズムに達しないのだ……カップルの不安定な関係性を繊細な筆致で描き出す作品が彼女の最新短編"Suc de síndria"だ。スペイン映画界期待の星であるElena Martinも主演を果たしている。

Moldovai Katalin モルドヴァイ・カタリン (ハンガリー/ルーマニア)
ルーマニア出身のハンガリー人作家。ある日、娘は母親が末期がんであることを知る。娘は彼女がそのことで苦悩しないよう、医師と共に嘘をつくことになるのだが……1つの嘘が女性たちの人生を少しずつ変えていく姿を描いた作品が今作"Ahogy eddig"だ。感情の機微、人生の複雑さというものが繊細に描き出されている。

Vytautas Katkus ヴィタウタス・カトクス (リトアニア)
息子は久しぶりに故郷のリトアニアへ帰ってくるが、父との関係はあまり良くない。というより父は息子に無関心なのだ。そんな中、近所で火事が起こり、彼らはそれを見に行くのだが……"Kolektyviniai sodai"は父と息子の微妙な関係性を、妙に弛緩した浮遊感とそこはかとない不穏さと共に描き出している。何とも忘れがたい余韻を残す一作で、カンヌ批評家週間にも選出されている。

Ivana Bošnjak イヴァナ・ボシュニャク (クロアチア)
女性は動物の死体を剥製にすることを生業にしていた。だが本当の目的は死体の中に隠されている"フィルム"を手に入れることにあった……自然と人間の関係性を、奇妙な質感を持つアニメーションで描き出した"Udahnut život"が代表作。ザグレブを拠点とするクロアチア期待のアニメーターだ。

Zgjim Terziqi ズジム・テルジチ (コソボ)
アナは盲目の中年女性だ。彼女は4人の姉妹を盥回しにされながら、日々を何とか生き抜いている……1人の女性の姿を通じて、コソボの困窮した現状を描き出す短編作品"A month"が代表作。現在は新作短編であるブラックコメディ"Salon"が世界各地の映画祭を巡回中である。

Mercedes Arturo メルセデス・アルトゥーロ (アルゼンチン)
ファッションデザイナーからキャリアを始めた美術系映画作家。1人の歌姫が大舞台に臨むこととなるが……という導入から思わぬ飛躍を見せるミュージカル・コメディが彼女のデビュー長編"Traviata"だ。現在VR作品から長編作品まで多数の計画を進行中。今後が楽しみなアルゼンチン人作家。

Gregor Valentovič グレゴル・ヴァレントヴィチ (スロヴァキア)
4人の男女は若い頃からいつも一緒に過ごしていた。しかし結婚や国外移住などで彼らは離れ離れになってしまう。その中の1人である青年はこの現実をどうにも受け入れることができなかった……短編作品"Kid"は20代の男女が抱く曖昧な不安や哀しみを描き出した作品だ。

Veronica Balduzzi ベロニカ・バルドゥシ (アルゼンチン)
アルゼンチンの新鋭実験作家。監督の公式vimeoにアップしてある短編作品"Espera""En busca de un rostro"は、ブエノスアイレスを舞台として様々な風景とそこに生起する音を組み合わせて綴られる詩のような趣を湛えている。

Ivan Orlenko イヴァン・オルレンコ (ウクライナ)
東欧のユダヤ人コミュニティに生きる少年は、ある時シナゴーグに謎の生物がいるのを見つける。彼は好奇心に駆られて、その生物を追ってシナゴーグの中を彷徨うのだったが……フランツ・カフカによる未完の作品が原作である”In Our Synagogue”は在りし日のユダヤ文化を描き出した作品であり、イディッシュ語が使用されている珍しい作品でもある。

Laida Lertxundi ライダ・レルチュンディ (バスク/アメリカ)
アメリカ実験映画界の大家ピーター・ハットンペギー・オーウィッシュに師事した気鋭の実験映画作家。拠点とするロサンゼルスを描き出した"Cry When It Happens"(2010)、自身"抽象的自伝映画"と呼ぶ"025 Sunset Red"(2016)、ラウル・ルイスの映画論"For a Shamanic Cinema"を引用した最新作"Words, Planets"などが代表作。

Jeannette Muñoz ジャネット・ムニョス (チリ/スイス)
16mmフィルムを使って映画を製作し続ける、スペインで特集上映も行われた気鋭の実験映画作家。主にチリにおける人間と自然の関係性を描き続けており、例えば2010年製作の"Envío 24"ではチリの先住民族が辿った苦難を人類学的な見地から描き出した作品で、この一連の"Envío"シリーズは現在も続いている。監督公式vimeoから作品の抜粋が試聴可能

Saeed Jafarian サイード・ジャファリアン (イラン)
「アンダー・ザ・シャドウ」ババク・アンヴァリに続くだろうイランホラー映画界期待の星。最新短編"Umbra"は1人の女性が主人公、恋人が帰ってこないのを心配した彼女は独りで外へ出かけるのだが……優雅なまでに不気味な撮影、悍ましいまでに空っぽな街並み、観客を震えさせる雰囲気。それらが美しく織りあわされ、見事なホラー作品が生まれている。

Jorge Sesan ホルヘ・セサン (アルゼンチン)
当初は俳優として活躍しながらも、映画作家としても活動を始めた新進監督。最新短編"Los aridos"はアルゼンチンの広大な荒野が舞台。ここを歩き続ける2人の男女の微妙な関係性を、荒涼として崇高な自然を背景としてユーモラスに描き出している。カルタヘナ国際映画祭で上映され、好評を博した。

Florian Fischer&Johannes Krell フロリアン・フィッシャー&ヨハネス・クレル (ドイツ)
影というものは光あるところに必ず現れる。世界の営みとはすなわち影と光の縺れあいなのだ。彼らの短編作品"Umbra"はそんな世界に欠かすことならざる存在である影を、様々な形で描き出す祝福する実験映画である。その尖鋭さが認められてか、今作はベルリンで短編金熊賞に輝くという名誉に浴した。

Signe Birkova シグネ・ビルコヴァ (ラトビア)
ラトビアはリガ出身の新鋭映像作家。青年は宇宙人に連れ去られた後、正気と狂気の狭間を彷徨う生活を送り始める。ある日彼は1人の科学者と出会いこのトラウマの深部へと潜行していくこととなるのだが……奇抜な設定と独特の美意識に裏打ちされた実験的な短編作品"Viņu sauca Haoss Bērziņš"が現時点での代表作。

Ajitpal Singh アジトパル・シン (インド)
2人の少年は境遇が違うながらも、サッカーへの愛で結ばれていた。しかし1人が新しい靴を手にしたことから、その友情が試されることとなる……彼の監督作"My Friend's Shoes"は身分の格差などインドにおける諸問題を2人の少年の目から描き出した作品だ。だがどんな障壁があろうとも友情は永遠だと教えてくる。

Laurynas Bareiša ラウリナス・バレイシャ (リトアニア)
外国からリトアニアへと帰ってきた母と娘、そして彼女らを迎える祖母。彼女らの間に満ちる微妙な雰囲気は娘の失踪によって緊張感を増していく。1つの欠落からリトアニアの荒涼たる現実が浮かび上がる短編"Caucasus"は、この若きリトアニア人監督が現代に蔓延する不穏の語り手としての実力を証明している。

Nazlı Dinçel ナズル・ディンチェル (トルコ/アメリカ)
アメリカの豊かな実験映画史の最先端に位置する映像作家。2018年製作の"Between Relating and Use"ローラ・U・マーカスドナルド・ウィニコットの著作を引用しながら、文化や身体性への洞察を深めていく1作。テキストと映像詩が美しく重なり合いながら、唯一無二の実験映画が創り出されている。

Peter Cerovšek ペーテル・チェロヴシェク (スロヴェニア)
自宅の窓からはホテルの建設現場が見えてくる。監督はそれを撮影し始めた。歩く作業員、移動する鉄骨、現場の周りを歩く通行人たち。彼は恋人と他愛ない会話を繰り広げながら撮影を続けるが、時と共に全てが変わっていく。思索的なドキュメンタリー"Fundamentali"を筆頭に、彼は静かにスロヴェニアの今を見据えていく。

Senad Šahmanović セナド・シャマノヴィチ (モンテネグロ)
旧ユーゴ圏に属する小国モンテネグロ出身である映画作家。2018年製作の短編"Put"はユーゴ紛争が原因で故郷を離れた中年男性が主人公、病によって人生が残り少なくなったその時、彼は故郷に戻り救いを追い求めることとなる……繊細な描写から豊かな感情が溢れだしてくる美しい作品だ。現在は初長編"Sirin"を製作中。

Vasilis Kekatos ヴァシリス・ケカトス (ギリシャ)
中年男性マキスは、ある朝、友人から自分が死んでしまい明日には葬式が行われるということを聞く。自分が死んでないことを証明するために、彼は村中を駆けまわるのだが……彼の最新短編"The Silence of the Dying Fish"は正にギリシャの奇妙なる波正統派といった趣で、奇抜な設定でシュールな笑いを生みだしている。アテネ国際映画祭で賞を獲得するなど話題になった。

Letiția Popa レティツィア・ポパ (ルーマニア)
ルーマニア映画界期待のドキュメンタリー作家。彼女の短編作品”Marie”は、ドナウ川沿いに位置する小さな村が舞台。監督はここに住む1つの家族の日常を丹念に描き出していく。中でも家族の長女であるマリアはきょうだいの世話に追われるなど、最も辛い状況にある人物で、物語が進むにつれ監督の眼差しは彼女に注がれていく。ルーマニアに広がる日常の美が印象的な作品である。
インタビューはこちら→ルーマニア、日常の中の美しさ~Interview with Letiția Popa

Leon Lučev レオン・ルチェフ (クロアチア)
俳優出身ながら映画作家としても活動を始めた人物。初短編"Malo se sjećam tog dan"の主人公は中年男性ゴラン、彼は娘の誕生日パーティーを直前に控えていたが、家族からの電話で父が危うい状態に居ることを知る……静かな作品ながらも、その裏側には親の死への哀しみや家族への暖かな愛など、深く複雑な感情が横たわっている。それらを繊細に描き出す監督の才覚は本物だろう。

Camille Tomatala カミーユ・トマタラ (スイス)
14歳のルシー、彼女の母は病院で詩を迎えようとしている。1人の彼女は孤児院へと預けられるのだが、不満や怒りを露わにし続ける。だが庭師である青年ヤニスと会った時、彼女の心は変わっていく……1人の少女が生と死を見つめる短編作品"Zenith"が彼女の代表作。

Malu Janssen マル・ヤンセン (オランダ)
双子の姉妹はある集団セラピーへと赴く。そこで発覚するのは妹が姉の束縛から逃れたいという悲しい真実だった……インテリア・コーディネーターである女性の自宅が泥棒によって荒らされてしまう。友人たちの助けもあり家は奇麗になるが、彼女は深い喪失感の正体が分からないでいた。女性たちの繊細な心を、空間への尖鋭なセンスとともに描き出す作品群"Eigen"(2016)と"Stuffs"(2019)が代表作の、オランダ気鋭の映画作家

Adi Voicu アディ・ヴォイク (ルーマニア)
年間長編映画製作本数20~30本、しかし短編製作数は膨大でその層はすこぶる厚い。そんな中でも注目の作家が彼。最新短編"Ultimul drum spre mare"はバカンス地に向かう列車が舞台、乗客たちが会話を繰り広げるうち禍々しい何かが彼らに迫りくる……不気味な予感が全編に満ちる奇妙な短編はカンヌ批評家週間にも選出されるなど話題になった。

Rajesh Prasad Khatri ラジェシュ・プラサド・カトリ (ネパール)
ネパールの山間部、ある日そこに珍しい白人が来たことからパニックが起こる。そんな中で牛飼いの少女が彼の落としたストローを拾い、宝物を独り占めしたくなり……少女の無邪気な好奇心の行方を、ネパールの崇高なる風景の数々と共に描き出した作品。ベルリンのジェネレーション部門で審査員賞も獲得している。監督がプロダクション・デザイン出身とあって、画力は抜群。長編作ったら大化けは間違いない。

Lucija Mrzljak ルチヤ・ムルズリャック (クロアチア/エストニア)
クロアチアエストニアを股にかけて活躍する映画作家。1人の中年男が女性の股から生まれたことで起こる騒動を描いた作品"Briljantsuse Demonstratsioon Neljas Vaatuses"が最新作。頗る奇妙なアニメーションに不気味なのに笑える展開に、と変な要素がてんこもりだ。

Felipe Gálvez フェリペ・ガルベス (チリ)
都会の真ん中で起きたスリ事件が、人々の生活に不穏な細波を起こす様を不気味に描き出した短編作品"Raptor"は、観客たちに倫理についての思索を深めさせる1作だ。スマートフォン的な画角によって息苦しい臨場感が高まる様を目撃させられる。現在はトリノ・フィルム・ラボに参加、初長編を準備中である。19世紀末から20世紀初頭にかけてのチリを描き出した作品だそう。

Maddi Barber マッディ・バルベル (バスク)
ピレネー山脈の麓では90年代に巨大ダムが建設され、そのせいで環境が激変してしまった。その後に広がる人間と環境や動物たちとの環境を描き出したドキュメンタリー作品が"592 Metroz Goiti"だ。バスク地方に根差した文化を描き出す作品を多く製作している。

Jurgis Matulevičius ユルギス・マトゥレヴィチウス (リトアニア)
地下世界に住む2人の狂人の姿を追った実験的な異色作"Absurdo žmonės"、あるアパートの住民の奇妙な生態を追った短編"Anima amus"などで頭角を表し始めたリトアニア人作家。デビュー長編は2019年のタリン・ブラックナイト映画祭でお披露目予定だという。 監督の公式vimeoから作品が鑑賞可。
インタビューはこちら→リトアニアの裏側にある狂気~Interview with Jurgis Matulevičius

Joshua Gen Solondz ジュシュア・ジェン・ソロンズ (アメリカ)
日本でも作品が何本か紹介されているアメリカ気鋭の実験作家。ロカルノでお披露目された最新作"(tourism studies)"は、10年間で撮影されたホームビデオの集積が、猛烈なまでに極彩色を輝かせる超新星の瞬きへと変わる。この暴力的な変形は別次元に存在する芸術を目の当たりにするかのよう。

Irfan Avdić イルファン・アヴディッチ (ボスニア)
主人公である青年アレムは祖母と貧困に喘ぐ生活を送り続けている。そんな彼は学校で開催される旅行の代金が払えず苦悩するが、その果てにある凶行に打ってでることとなる……社会に追い詰められる弱者の構図、それが生みだす暴力の行く末を描き出した"Majkino Zlato"が彼にとっての代表作だ。

Martin Gonda マルティン・ゴンダ (スロヴァキア)
少年ロマンは家庭でも学校でも疎まれ、辛い生活を送っている。どこにも逃げ場のない彼に、救いは存在するのか……苦境にある少年の眼差しを通じて、スロヴァキアの田舎町に広がる逼迫した状況を描き出した代表作が"Pura vida"、カンヌのシネフォンダシオン部門に選出され話題となった。

Aleksey Lapin アレクセイ・ラピン (ロシア)
ロシア生まれだが、ヨーロッパ各地で作品製作を行う映画作家。最新作"100 Eur"はオーストリアに住むルーマニア人移民の兄弟が主人公、彼らの苦闘を通じて、現在のヨーロッパにおいて最も大きな問題である移民問題を描き出している。アンジェ国際短編映画祭で作品賞を獲得。

畠山佳奈 ハタケヤマ・カナ (日本/アメリカ)
現在アメリカを拠点に活動している映画作家。彼女の短編作品"Okaasan (mom)"は日本を舞台とした作品で、外国から帰ってきたばかりの娘と彼女をずっと待っていた母が、大切な人の死を想いながら再び交流をするという作品。日本の原風景の根づいた土地を背景にした繊細さが印象的。俳優として「オレンジ・イズ・ザ・ニュー・ブラック」にも出演している。

Diego Céspedes ディエゴ・セスペデス (チリ)
1人の少年が姉と共に、ある男の元へと向かう。彼女はその男の7人目の花嫁となる運命だった……彼の代表作"El verano del león eléctrico"は何かの終わりを静かに、だが黙示録的に描き出した作品だ。美しくありながらも不穏であり、複雑な感情が喚起させられる詩的一作だ。

Elene Noveriani エレネ・ノヴェリアニ (ジョージア/スイス)
スイスを拠点に活動するジョージア映画作家。主にクィア的な主題を描いているが、新作短編"Red Ants Bite"は幸せを求めてジョージアへと移住した2人のナイジェリア男性、彼らの間に現れる微妙な関係性を描き出した作品。移民や同性愛といったイシューが繊細に描かれている。

Nikolas Kolovos ニコラス・コロヴォス (ギリシャ)
スウェーデンギリシャを股にかけながら映画を製作している人物。最新作"Index"はヨーロッパにおける移民問題を反映した短編で、過酷な現実をミニマルな演出と力強い長回し映像で描き出している。今作は、2020年のヨーテボリ映画祭で観客賞を獲得した。

Moira Lacowicz モイラ・ラコヴィチ (ブラジル/アルゼンチン)
実験映画が隆盛するラテンアメリカで活躍する新鋭映画作家。2018年製作"Let's Take a Walk"はおそらく監督自身の家族によるホームビデオを再構成し美しく神秘的な風景を綴った作品、そして2019年製作の"Lich Every Drop"は近年発掘されたポルノ映画のフィルムを使い不穏な黙示録を描き出した作品。どちらもある種の郷愁を他の何かに変容させる手つきに満ちた作品。

Chelsie Preston Crayford チェルシー・プレストン・クレイフォード (ニュージーランド)
俳優としてもニュージーランドで活躍する映画作家。最新短編"Falling Up"はシングルマザーの女性が主人公。彼女は子育てに悩み、その精神はだんだんと崩壊していく……自身が主演も兼任した本作は、シドニーメルボルン映画祭で上映され、話題となった。

Maja Novaković マヤ・ノヴァコヴィッチ (ボスニア)
ボスニアのスレブレニツァ出身、セルビアで美術史を学んだ後、映画作家になる。彼女の最新作"A sad se spušta veče"ボスニア東部の小さな村を舞台に、身を寄せ合いながら生きる2人の女性の姿を描き出したドキュメンタリー。飾らない、ありのままのボスニアの美しさを直接感じることができる1作だ。
インタビューはこちら→ボスニアの大地に立つ2人~Interview with Maja Novaković

Carla Melo カルラ・メロ (コロンビア)
実写とアニメーションを行き来しながら作品を製作する映画作家。最新のアニメーション短編"Por ahora un cuento"は、コロンビアを彷徨う1羽の鳥がめぐる奇妙な旅路を描き出した作品。ユーモラスでありながらどこか不気味さも感じさせる独特のアニメーションが特徴的、生というものへの複雑な感情を喚起してくれる。

Agustina San Martin アグスティナ・サン・マルティン (アルゼンチン)
発電所からあのサイレンの音が鳴り響く時、誰かが消え去る……神として屹立する発電所の存在が、近隣の村を不穏なる脅威で包み込む。そんな不気味な物語を無機質な断片の数々で以て描き出した短編"Monstruo dios"が現時点での代表作、カンヌにも選出されている。初長編"The Abysses"は既に撮影完了、上映が待たれる。

Wiep Teeuwisse ウィープ・テーウウィッセ (オランダ)
人々はバスに乗って、観光地へと赴く。自撮りをして、地面に寝そべり、金属探知機で何かを探し……最新短編"Intermission Expedition"は観光客たちの奇妙な生態とその行く末をカラフルなアニメーションで描き出した作品だ。1993年生まれながら既にアヌシー国際映画祭の常連で、2016年製作の"Depart at 22"は最高賞を獲得している。

Anu-Laura Tuttelberg アヌ=ラウラ・トゥッテルベルグ (エストニア)
メキシコの原生林を舞台に、生と死が踊り狂う様を奇妙なアニメーションで以て描き出した"Talv vihmamentsas"が代表作。不気味さと精密さを兼ね備えた印象的なアニメーションは、彼女の明るい将来を予言しているだろう。

Cecilia Ștefănescu チェチリア・シュテファネスク (ルーマニア)
最初は小説家として活躍しながらも、テン年代から映画作家に転身した人物。最新短編"Morski briz"は60歳の女性が主人公、彼女がバカンス地で若い男と肌を重ねたことから起こる騒動を描き出した作品。老いゆえの孤独と残酷さを繊細に美しく綴っている。

George Sikharulidze ゲオルゲ・シカルリゼ (ジョージア)
スターリン63回目の命日、ジョージアのある町では彼を聖人に列挙するための記念式典が行われていた。その最中、人々は紛れもないスターリンその人の姿を目撃することとなる……ジョージアの知られざる歴史と暗部を、現代の奇妙な寓話として描き出した"Fatherland"サンダンス映画祭にも選出され話題に。重苦しく謎めいた余韻を与える1作だ。

Edison Sánchez エディソン・サンチェス (コロンビア)
1人の少年が暖かな空気の中で目を覚ます。彼は愛用のリアカーに乗って、いつものように村を駆け抜ける……愛らしい少年の何気ない、だからこそ大切な日常を優しさを以て描き出した短編作品"Yover"が現時点での代表作。たった14分の短編だが、その心地よさにはこの世界を永遠に見ていたくなること請け合い。

Magdalena Froger マグダレナ・フロガル (スイス)
2人の少年少女が街中を、森の中を歩き続けている。その果てに、夜の闇の中で彼らは巡りあう……最新短編"Abigaïl"は2つの孤独な魂の彷徨を描き出した実験的短編。情報量を極限まで排した映像には生の詩情が宿ることとなる。その様は正に魔術的としか言い様がない。

Carol Nguyen キャロル・グエン (カナダ/ベトナム)
カナダとベトナム、2つの国を行き来する映画作家。最新短編である"No Crying At The Dinner Table"は自身の両親と姉へのインタビューで構成された作品。彼らが心に秘めていた過去や死、そして愛についての声が日常の何気ない風景と重なり合う様は印象的だ。トロント映画祭で上映され、話題となった。

Samir Karahoda サミール・カラホダ (コソボ)
写真家や映画祭のプログラマーとして活躍しながら、近年になって映画製作にも進出し始めたコソボ映画界期待の人物。最新短編"Në Mes"は海外へ移住していった子供たちへの親たちの思いを、コソボの大地に立つ家々の姿から浮かび上がらせるドキュメンタリー。写真家らしい精緻な構成からは、コソボの苦難に満ちながらも、豊かな歴史と文化が現れる。

Marcela Ilha Bordin マルチェラ・イラ・ボーディン (ブラジル)
1人の人類学者がブラジルのアマゾンへと赴く。彼の目的は不遇の科学者によって人工太陽が輝き続けることとなった呪いの場所だった。そんな彼の旅路を幻想的な筆致で描き出す作品がこの"Princesa Morta do Jacuí"だ。ジャングルの旅はまるで月を旅するかの如く不穏で美しい様相を呈し始める……

Curtis Essel カーティス・エッセル (ガーナ)
ガーナを拠点とする映画作家"Sodom & Gomorrah"はこの国の有名な都市ジェームズタウンに生きる娼婦やギタリストなど4人の住民、その生きざまを彼らの証言を通じて描き出したドキュメンタリー。ここにおいて言葉はまるで音楽のようであり、今作を観るというのは魅惑的かつ催眠的な体験に近い。アメリカのKharik Allah作品を彷彿とさせるものがあるだろう。

Tóth Luca トース・ルカ (ハンガリー)
1人の男性、彼の脇の下にあるニキビから1体の小人が生まれる。それは部屋に潜伏し、男性の生態や身体を調査し始めるのだったが……短編作品"Mr. Mare"は奇妙な設定や色とりどりのアニメーションと共に、人間の身体や男性性を繊細に描き出している。そこから醸し出されるクィアな愛も印象的だ。

Pinar Yorgancıoğlu ピナール・ヨルガンジュオール (トルコ)
トルコとドイツを拠点とする映画作家。彼女の最新短編"Ms. Nebile's Warmhole"は1人の専業主婦が主人公、退屈な日常に嫌気が差した彼女は家にトンネルを作り、隣家へと侵入する。そこで写真家の男と出会い……今作はとある女性の冒険を笑いや官能性と共に描き出している。現在デビュー長編を準備中である。

Makbul Mubarak マクブル・ムバラク (インドネシア)
ハリムは敬虔なイスラム教徒であり、2人目の妻を娶ったばかりだ。彼はこれを慈善事業なのだと主張するが、第1夫人はそれに猛烈に反対する。しかし娶ったはいいがこの状況を上手くコントロールできず……マレーシアの複雑な文化と、男性性の繊細さや毒性を詳らかに描き出した作品が2017年製作の"Ruah"だ。現在はデビュー長編を準備中。

Roni Bahat ロニ・バハット (イスラエル)
父と息子は1頭の馬と共に、イスラエルの街中を彷徨い歩く。そこで得られるものは一体何なのだろうか……父と息子の日常の風景や複雑な関係性を、郷愁深い映像美と共に描き出した作品が、短編デビュー作"Old Thing"だ。この卓越した雰囲気が長編へ拡張された時、どうなるか楽しみである。

Hira Nabi ヒラ・ナビ (パキスタン)
パキスタンアメリカを股にかけて活躍する映画作家。最新短編はドキュメンタリー"All That Perishes at the Edge of Land"、今作はパキスタンの港で解体されていく貨物船の姿を、それに携わる労働者の語りとともに詩的に描き出していく作品。解体されていく貨物船の姿に、諸行無常という言葉を深く思い知らされる。

Nevena Desivojevic ネヴァナ・デシヴォイェヴィチ (セルビア/ポルトガル)
セルビア出身、ポルトガルリスボンを拠点に活躍している映画作家。彼女の短編”Napolju cvetaju narandže”ポルトガルの寒村を舞台として、人間と自然の営みを豊かな筆致で以て描き出した作品。その中でもカメラは1人の中年男性を追っていき、彼が抱く苦悩の数々からこの関係性の複雑さを浮き彫りにしていく。

Kostis Theodosopoulos コスティス・テオドソプロス (ギリシャ)
元々はアテネ国際映画祭でプログラマーとして活躍していたが、映画監督に転身し、初短編"Rouz"を製作する。今作の主人公たちはギリシャに広がる家父長制にそれぞれの形で反旗を翻す少女たち、中でも印象的なのは赤毛の少女役Sofia Kokkaliで、顔には残酷な現実への不満が満ち渡りながら、同時に反抗の活力も刻まれている。

Lasse Linder ラッセ・リンダー (スイス)
1994年生まれ、チューリッヒ大学で映画製作について学んだ人物。卒業制作である短編„Nachts sind alle Katzen grau”は2匹の猫と暮らす中年男性クリスティアンの姿を静かに追った作品。撮影スタイルは怜悧で観察的だが、あまりにも仲が良くデレデレなクリスティアンの姿からは愛おしさが溢れてくる。小品ながらも、親密な1作だ。

Chintis Lundgren シンティス・ルンドグレン (エストニア)
夫はクビになったことをきっかけに、自身の肉体を駆使してジゴロやポルノ男優として活躍し始める。一方で妻は妊娠時の疲労を解消するためSMにのめり込み始める……現代に生きる男女の不満をユーモラスに描き出した"Toomas beneath the valley of the wild wolves"が代表作だ。

Erlendur Sveinsson エルレンドゥル・スヴェインッソン (アイスランド)
1組のカップルが車でアイスランドの道路を走っている。彼らの間には険悪なムードが漂っているのだが、その状況が一瞬にして激変してしまう……繊細な関係性についての思索から、激烈な生存闘争へと一転する劇的な短編作品"Kanari"が現時点での代表作。現在は長編作品を準備中。

Davit Pirtskhalava ダヴィト・ピルツカラヴァ (ジョージア)
1987年トビリシ生まれ、大学で脚本執筆について学んだ後、映画監督としての活動を始めた。初制作の短編作品"Father"ロカルノ国際映画祭で作品賞を獲得した。最新短編"Sashleli"ジョージアの日常に根差した荒涼として豊かな詩情を以て、1人の中年男性と彼の周囲に広がる風景を描き出したミステリアスな作品だ。

Adinah Dancyger アディナ・ダンサイガー (韓国/ポーランド/アメリカ)
韓国とポーランドのミックス、現在はニューヨークを活動拠点とする映画作家。最新作の"Moving"は引っ越し先の部屋にマットレスを運ぼうとする女性の姿を描いたそれだけの作品だが、彼女の姿からは怒りや悲しみ、不安、そういった複雑な感情が豊かに溢れてくる。たった8分間の中にそれらを凝縮することのできる今後期待の映画作家だ。

Sonia K. Hadad ソニア・K・ハダ (イラン)
イラン・テヘラン出身の映画作家、当初は数学やグラフィック・デザインについて学んでいたが、舞台俳優・小説家としての道を歩み始め、アメリカに留学してからは映画製作を始める。最新短編"Exam"はコカイン密輸を行う学生が思わぬ騒動に巻き込まれる様を、息もつかせぬ緊張感で描き出した作品だ。

Sky Hopinka スカイ・ホピンカ (アメリカ)
影に黒く染まった手が、色とりどりのイメージの欠片を集めていく。その背後では緩やかな波動を伴ったバンドミュージックが流れ、そして1人の男がそう遠くはない過去について朴訥と語り始める……そんな繊細な感覚に裏打ちされた実験映画"Lore"ロカルノ映画祭で話題の気鋭作家。ネイティブ・アメリカンであるルイセーニョ族の血を引く人物で、アメリカの各地を舞台として作品を製作している。

Laura Huertas Millan ラウラ・ウエルタス・ミジャン (コロンビア/フランス)
コロンビアで1,2を争うだろう新進気鋭の映像作家が彼女だ。その作品群は"民族誌学的"と評されているが、最新短編である"El labirinto"はコロンビア南部のジャングルで一大勢力を築いたドラッグ王の栄枯盛衰を描いた一作。現在では荒廃した宮殿、ドラマ作品のフッテージ映像などのコラージュに当時を知る者の言葉が重なり、私たちは大いなる迷宮へと誘われることとなる。

Pedro Neves Marques ペドロ・ネヴェス・マルケス (ポルトガル/アメリカ)
ポルトガル出身、現在はニューヨークで活躍する映画作家。蚊を媒介とした不治の病が人類を殲滅しようとしている近未来、3人の男女はサンパウロの郊外で静かな時を過ごすのだったが……クィア的な繊細な雰囲気が、熱帯に満ちる黙示録的な予感へと接続されていく様は不気味だが魅力的だ。メロドラマ、SF、クィアもの。様々な要素を包括した野心的な1作が彼の最新作”A mordida”である。

Nadia Masri ナディア・マスリ (ルクセンブルク)
ジェシカ・ハウスナー作品などのスクリプターとして活躍しながら、映画作家としても活動する人物。2016年に製作された代表作"Aus den aen"アメリカの作家Richard Langeの短編が原作、平穏な家庭を築いた兄と刑務所から出たばかりの弟、2人の間に張り詰める緊張感を描いた作品。複雑微妙で、繊細な兄弟間の関係性が豊かに描かれていく。
インタビューはこちら→ルクセンブルク、兄弟の行く末~Interview with Nadia Masri

Malena Szlam マレーナ・ツラム (チリ/カナダ)
チリ出身、ラテンアメリカに広がる宏大な自然を舞台にした実験映画を製作する人物。最新短編"Altiplano"は山脈間に広がる標高の高い高原地域を舞台として、世界の始まりと黄昏、天国と地獄の季節を描き出した幻惑的な実験映画だ。彼女は黙示録を宿命づけられた世界に捧げる挽歌を作り続けているよう。

Diana Cam Van Nguyen ディアナ・カム・ヴァン・グェン (チェコ/ベトナム)
親が死ぬというのは人生においてどんな意味を持つのだろう。その時に心はどれほど大きな痛みに苛まれるのだろう。短編"Apart"は、そんな痛切な問いを、親との死別を経験した若者たちの語りを通じて描くアニメーションだ。絵の具の繊細な色遣いと濃厚な質感が、そこに親密さを与えてくれる。監督はベトナムチェコのミックスで、現在はプラハ芸術アカデミー映画学部に在籍。

Thanasis Neofotistos タナシス・ネオフォティストス (ギリシャ)
今話題のギリシャの奇妙なる波の最先端にいるだろう映画作家。最新短編"Patision Avenue"は舞台のオーディションに向かうシングルマザーが主人公、だが電話越しに息子が外へ出ていってしまったことを知り……というあらすじからは予想できない方向へと舵を切るストーリーテリングの巧みさには舌を巻く。クレルモン=フェラン短編映画祭で特別審査員賞を獲得している。

Pavel G. Vesnakov パヴェル・G・ヴェスナコフ (ブルガリア)
ゼウスと呼ばれる青年は父の死によって家族を支えなければならなくなってしまう。その最初の関門は父の葬式代を捻出することだった。彼は何とか金を掻き集めようと奔走するのだが……現代のブルガリア映画は隣国ルーマニアの影響を多分に受けたリアリズム描写が特徴的だが、今作は正にその系譜にある作品。そしてブルガリア独自の荒涼たる詩情もここには宿っている。

Eldar Shibanov エルダル・シバノフ (カザフスタン)
写真家である青年は、恋人が居ながらも満たされない生活を送っている。ある日彼は少女を自宅に招き入れるのだが、テロの戒厳令が出され2人は部屋に閉じ込められてしまう……抑圧された男性性の不気味な行く末を冷えた筆致で描き出した作品が"Sex, Strakh I Gamburger"ヴェネチア国際映画祭で上映され話題となった。
インタビューはこちら→カザフスタンの男と女~Interview with Eldar Shibanov

邱阳 チウ・ヤン (中国)
1989年生まれ、既に2015年製作の"小城二月"で短編パルムドールを獲得している中国の実力派作家。最新作である短編"南方少女"はダンススクールに通う少女ユウが主人公。コーチの徹底的なシゴキに耐えかねた彼女は静かに抵抗を始めるのだったが……厳格にして洗練された美意識に裏打ちされた物語は、中国の現在を静かに力強く映し出している。

Victor Orozco Ramirez ビクトル・オロスコ・ラミレス (メキシコ)
"僕の祖母は確信していた。同じ間違えを2度繰り返す動物は、人間だけだと"――モノクロの荒々しい質感を伴ったアニメーションで以て、人間が犯す間違いの数々とその最たる存在であるインターネットについての洞察を深めていくのが、彼の短編作品"32-Rbit"だ。インターネット時代の過ちの数々がアニメで再現される様はひどく衝撃的だ。

Lia Tsalta リア・ツァルタ (ギリシャ)
植物がほぼ絶滅してしまった近未来、しかしある島では生き残った植物たちが博物館で展示されている。観光客たちは現在には失われてしまった生命を見に、その島へとやってくる……無機質で潔癖的な映像で以て綴られる、不気味なディストピアSF"O fovos"は、ギリシャの奇妙なる波が更なる隆盛を誇る未来を高らかに語っていると言えるだろう。

Zhannat Alshanova ジャンナ・アルシャノヴァ (ウズベキスタン/イギリス)
彼女の短編作品"End of Season"の主人公は50歳の女性ローサ、彼女は夫が所有するホテルへとやってくるのだが、彼女を包む孤独が癒されることはない。しかしこの場所で過ごし、人々と出会ううち、過去に秘めていた泳ぐという情熱が再び湧き上り始める……今作はカンヌ映画祭のシネフォンダシオン部門で上映されて話題となった。

Camila Kater カミラ・カテル (ブラジル)
ブラジルと英国で映画製作を学んだ人物。プロダクション・デザイナー、人形の操り師としても活動している。最新短編"Carne"は5人のブラジル人女性が自身の身体について語る様を、様々なアニメーションで描き出す一作。それぞれの形で身体について考え、それぞれの形で身体を愛そうとする様はすこぶる感動的だ。ロカルノトロント映画祭で上映され話題となった。
インタビューはこちら→私の身体、私の言葉~Interview with Camila Kater

Cristina Haneș クリスティナ・ハネシュ (ルーマニア/ポルトガル)
様々な国を股にかけて、ドキュメンタリー製作について学んでいる映画作家。現時点での代表作は中編ドキュメンタリー”Antonio e Catarina”だ。リスボン郊外の狭苦しい部屋に住む70代の老人と20代である監督の交流を描き出した作品。明確に引かれた境界線を、互いに危うい形で踏み越えようとする様がスリリングな一作。現在はインドを舞台とした長編ドキュメンタリーを製作中。

Orxan Agazade オルハン・アガザデ (アゼルバイジャン)
1988年生まれ、アゼルバイジャンとイギリス両方で活躍する映画作家。ケリムとレナは愛しあいながらも、今は別の人物と結婚していた。それでも愛は消え去ることなく、彼らは夜毎に明かりを瞬かせて密やかに愛を語りあう……短編作品"The Chairs"は、アゼルバイジャンの峻烈な自然の数々を背景として綴られる極上のメロドラマだ。

Mariana Gaivão マリアナ・ガイヴァン (ポルトガル)
少女ルビーは愛犬が居なくなったのをきっかけに、ポルトガルの山奥を彷徨い始める。それと同時に彼女は、自身の親友がイギリスに行ってしまうという寂しさをも募らせていた。彼女の最新短編"Ruby"は崇高なポルトガルの風景、生命力に溢れた人々、言葉では形容しがたい神秘的な雰囲気、様々な要素が結い合わされて生まれた破格の短編作品だ。

Johanna Pyykkö ヨハンナ・ピューッコ (ノルウェー)
スウェーデンフィンランドのミックス、現在はノルウェーを活動拠点とする映画作家ノルウェー人男性が仕事先のフィリピンで人妻と一夜を共にするが、実は彼女が……という筋書きの短編作品"The Manila Lover"は男性の醜いプライドや男性性の繊細さを赤裸々に描き出した意欲作だ。カンヌ批評家週間で上映され好評を博した。

Roxana Stroe ロクサナ・ストロエ (ルーマニア)
1991年生まれ、ブカレストを拠点とする映画作家。最新短編"O noapte în Tokoriki"は田舎町に位置する小さなディスコが舞台だ。気怠そうに建物内を彷徨う青年の視線の先には気弱そうな男と彼にキスする女、視線が交わっては離れるうちに奇妙な三角関係が浮かび上がってくる……そんな愛の鍔迫り合いを無表情のユーモアや静かな緊張感と共に描き出している。

Erenik Beqiri エレニク・ベチリ (アルバニア)
血腥い裏稼業に手を染める息子、その姿を見ていることしかできない父。息子の身体は見る間に傷つき疲弊していく中で、彼らの関係性は……アルバニアの寒々しい現実を、暴力的なまでに生々しいリアリズムと救いがたいほど深い絶望で描き出す"The Van"アルバニア映画界の更なる発展を予告していると言えるだろう。

Dušan Zorić ドゥシャン・ゾリッチ (セルビア)
恋人に振られたばかりの青年は、友人と共にバーへと赴く。そこで出会った女性と一夜を共にするのだが……短編作品"Strano telo"において長回しで紡がれるセックス、その様相は少しずつ異様なものとなっていく。女性に翻弄される男性、女性をコントロールしようとする男性、この複雑なジェンダーポリティクスにユーゴ紛争の傷が重なっていく様は正に圧巻としか言い様がない。セルビア映画界から凄まじい才能の登場だ。

ということで、2020年代期待の新鋭映画監督100はどうだっただろうか。知ってる名前はあっただろうか。私は私以外の日本人は誰も知らないリストを目指したので、誰もいないことを願う。彼らの何人が2020年代に長編作品を作り、そしてそれが映画祭で喝采を浴びるだろうか。そのうちの何本が日本で公開されるだろうか。自分としては1本もないのではないかと思うし、それでいいとも思う。世界はいつも日本の外でこそ動いているのだ。だからぜひとも皆さんも、様々な方法を使って日本未公開映画を観漁ることをオススメする。日本で公開されない映画にこそ真の世界があるのだ。この記事を読んで、未知への好奇心を刺激されたのなら幸いだ。ということで、よりよき未公開映画ライフを!

Fabio Meira&"As duas Irenes"/イレーニ、イレーニ、イレーニ

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同じ名前を持つ、そこには奇妙な絆が生まれることになる。不快さを感じるにしろ、心地よさを感じるにしろ、私たちは名前の奇妙な重力に引き込まれていくのだ。クシシュトフ・キェシロフスキ監督作ふたりのベロニカなど、その魔力を描き出した芸術作品は枚挙に暇がない。今回紹介する作品はそんな作品群の系譜の最先端位置するだろう作品、Fabio Meira監督作"As duas Irenes"だ。

13歳の少女イレーニ(Priscila Bittencourt)は内気な性格で、友達はそんなに多くない。家族にも少し問題があり、うまくそこに馴染めないでいる。ある日彼女は自分と同じ名前のイレーニ(Isabela Torres)と出会う。彼女はマダリナという偽名を使って彼女に近づき始めるのだが……

まず監督は2人の交流を柔らかな手つきで以て描き出していく。例えば古びた映画館で昔の作品を一緒に観たり、仕立て屋を経営する後者のイレーニの家に行き、お喋りを繰り広げたりする。そんな親密な時間の中で、2人のイレーニの距離は近づいていく。

今作の演出はすこぶる淡々たるものだ。色味の抑えられたモノトーンの世界で、彼女たちの時間はゆっくりと過ぎていく。何か劇的な事件が起こる訳ではない。ただ日常的な幾つかの事柄が柔和な形で静かに繋がっていくのだ。その様は観る者の心を洗うような清らかさに満ち溢れている。

そんな清らかな時間を抱くのはブラジルの田舎町に宿る美しい自然だ。この街のあちこちでは自然が生を煌めかせている。風に揺らめいてさざめく木々、陽の光を浴びてしなやかに輝く水面、雲一つない青色を響かせる空。こうしたしなやかな美の数々が、2人のイレーニを包み込んでいく。

だがマダリナとして身分を偽るイレーニはある秘密を知っていくことになる。実はもう1人のイレーニの父親トニコ(Marco Ricca)は、自分と同じかもしれないのだ。彼女と一緒に過ごすうち、彼が密やかに二重生活を送っていることを知ってしまう。この複雑な事情がイレーニたちの関係性に影を投げ掛けていく。

そうして複雑さを抱えながら、2人の距離は急速に近づいていく。ある時、イレーニはもう1人のイレーニがシャワーを浴びているのを盗み見することになる。その視線には曖昧な感情が滲み出る。友情とも愛情ともつかない微妙な感情だ。そういった雰囲気が彼女たちの間には満ちているのだ。

ここにおいて、いわゆるドッペルゲンガーを描き出す作品群は官能性や暴力性へと舵を切ることが多いが、今作はそちらの方向へは行くことがない。監督が描き出そうとするのは思春期の少女が抱く等身大の繊細さ、脆さだ。今にも壊れてしまいそうな均衡の上に立ちながら、彼女たちは未知の曖昧な領域へと踏み込んでいこうとする。

この意味で主演俳優であるPriscila Bittencourtの存在感はとても大きなものだ。彼女は思春期という静かなる荒波に呑まれているゆえに、常に不安定であり、不満を抱えたような表情を変えることはない。その脆い薄氷のような存在感が、物語の曖昧さという魅力を強めているのだ。

劇中、イレーニが"イレーニ"という名前を叫び続ける場面がある。それはもう1人のイレーニを呼ぶ声なのだが、この叫びは自分を探し求める彼女自身の痛烈な叫びにも聞こえる。叫びが響き渡る時、風が吹き荒び、葉々が宙を舞う。それは心中に張り詰める欲望がいかに激しいものかを指し示しているのだ。

それが交流を通じ、開かれていく様を"As duas Irenes"は丹念に描き出している。そしてイレーニは"イレーニ"となっていく。だがそれは世界に更なる異様な迷宮を生み出すことになる。無邪気で、悪意に満ちた人生の複雑さを。

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私の好きな監督・俳優シリーズ
その351 Shahrbanoo Sadat&"The Orphanage"/アフガニスタン、ぼくらの青春
その352 Julio Hernández Cordón&"Cómprame un revolver"/メキシコ、この暴力を生き抜いていく
その353 Ivan Marinović&"Igla ispod plaga"/響くモンテネグロ奇想曲
その354 Ruth Schweikert&"Wir eltern"/スイス、親になるっていうのは大変だ
その355 Ivana Mladenović&"Ivana cea groaznică"/サイテー女イヴァナがゆく!
その356 Ines Tanović&"Sin"/ボスニア、家族っていったい何だろう?
その357 Radu Dragomir&"Mo"/父の幻想を追い求めて
その358 Szabó Réka&"A létezés eufóriája"/生きていることの、この幸福
その359 Hassen Ferhani&"143 rue du désert"/アルジェリア、砂漠の真中に独り
その360 Basil da Cunha&"O fim do mundo"/世界の片隅、苦難の道行き
その361 Mona Nicoară&"Distanța dintre mine și mine"/ルーマニア、孤高として生きる
その362 Siniša Gacić&"Hči Camorre"/クリスティーナ、カモッラの娘
その363 Vesela Kazakova&"Cat in the Wall"/ああ、ブレグジットに翻弄されて
その364 Saeed Roustaee&"Just 6.5"/正義の裏の悪、悪の裏の正義
その365 Mani Haghighi&"Pig"/イラン、映画監督連続殺人事件!
その366 Dmitry Mamulia&"The Climinal Man"/ジョージア、人を殺すということ
その367 Valentyn Vasyanovych&"Atlantis"/ウクライナ、荒廃の後にある希望
その368 Théo Court&"Blanco en blanco"/チリ、写し出される虐殺の歴史
その369 Marie Grahtø&"Psykosia"/"私"を殺したいという欲望
その370 Oskar Alegria&"Zumiriki"/バスク、再び思い出の地へと
その371 Antoneta Kastrati&"Zana"/コソボ、彼女に刻まれた傷痕
その372 Tamar Shavgulidze&"Comets"/この大地で、私たちは再び愛しあう
その373 Gregor Božič&"Zgodbe iz kostanjevih gozdov"/スロヴェニア、黄昏色の郷愁
その374 Nils-Erik Ekblom&"Pihalla"/フィンランド、愛のこの瑞々しさ
その375 Atiq Rahimi&"Our Lady of Nile"/ルワンダ、昨日の優しさにはもう戻れない
その376 Dag Johan Haugerud&"Barn"/ノルウェーの今、優しさと罪
その377 Tomas Vengris&"Motherland"/母なる土地、リトアニア
その378 Dechen Roder&"Honeygiver among the Dogs"/ブータン、運命の女を追って
その379 Tashi Gyeltshen&"The Red Phallus"/ブータン、屹立する男性性
その380 Mohamed El Badaoui&"Lalla Aïcha"/モロッコ、母なる愛も枯れ果てる地で
その381 Fabio Meira&"As duas Irenes"/イレーニ、イレーニ、イレーニ
その382 2020年代、期待の新鋭映画監督100!

Mohamed El Badaoui&"Lalla Aïcha"/モロッコ、母なる愛も枯れ果てる地で

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母なる愛は強靭で偉大だ。何物にも負けることはない。映画や小説などの芸術作品はそうして母の愛の素晴らしさというものを喧伝してきた。そんな作品が誰もが信じる愛の強さ、そこに立ちはだかるものは何もないように思えてくる。だが何物も永遠ではなく、いつまでも最も強くあれる訳ではない。今回紹介するのはそんな現実の非情さを描き出したモロッコ映画Mohamed El Badaoui監督作“Lalla Aïcha”を紹介していこう。

今作の主人公は題名にもなっている女性アッラ・アイシャ(Angela Molina)だ。彼女は夫である漁師アギラスや5人の子供たちとともに、モロッコの海岸沿いに位置する小さな村で暮らしていた。彼らの暮らしぶりは平穏そのものであり、その豊かな静寂を掻き乱すものは何もないように思える。しかし彼女たちが安らかに暮らすその背後に、不穏な何かが迫ってきていた。

まず監督は、そんなアイシャたちの静かな生活を悠々たるリズムで描き出そうとする。彼女たちは海岸の岩地にシートを引いて、波の音を聞きながら、日の温もりを感じながら、食事を行う。その後にはロバや鶏など自身が飼っている家畜たちを世話したり、近所の住民たちに自分たちが作ったパンを配りに行く。これが彼女たちの日常であり、何物にも侵せない聖域のようにも思える。

しかし海では異変が起こっていた。ある時から、イルカの群れが海岸に押し寄せてきたのである。彼らは漁師たちの獲物である魚たちを喰い散らかし、更には漁をしている最中に網を破るなどの妨害行為にも及んでくる。そんなイルカたちのせいで漁獲量は壊滅的なまでに落ち、職を失う漁師たちまで現れる。そして夫も漁に出る途中、イルカと間違えてモロッコに漂流した難民を撃ち殺してしまい、罪に問われることとなってしまう。アイシャたちの日常は音を立てて崩れていく。

そしてアイシャの苦闘が始まることとなる。彼女は減刑のために裁判所へと赴き、請願を試みる。さらには家賃を支払うために家畜たちを売り払い、何とかお金をかき集める。子供たちも父親という開いた穴を埋めるために、奔走するのであるが、流れはよくならず、むしろ悪い方向へと傾いていき、彼らは徐々に追い詰められていく。

Jose Muñoz Molinaによる撮影は端正でとても美しいものだ。モロッコには優美で優大な光景が多く広がっている。液体金属のように暗い輝きを伴った海、その上で這いずり回る闇、海岸に並び立つ家々、喧騒と活気に満ち溢れた市場。それらは観客の目を息を呑むほどの美しさで撫でてくれるのだが、同時にその美には息苦しさも宿っていると分かってくるだろう。私たちはまるで真綿で首を絞められるような苦痛をも感じることとなるはずだ。

その源は、画面を覆い尽くす異様な色彩だろう。その特徴的な色味は、まるで疲労した金属にへばりつく鉄錆のような、不気味な雰囲気を宿している。この彩りがアイシャたちの生きる世界には宿っているのだ。彼女たちの状況が悪くなるにつれ、本来あるべき色彩が剥がれ落ち、錆ばかりになってくる時、私たちアイシャたちが腐っていく姿を目撃するのだ。

そして彼女たちだけでなく、町や世界自体が荒廃へと墜ちていくことにもなる。仕事が無くなった港では、失業者に成り果てた男たちが寝転がり、惰眠を貪ることになる。あまりの無力さから彼らは生きる気力を無くしてしまったのだろう。アイシャの息子は漁師としての仕事を何とか続けようとしながら、最後にはある悲痛な決断をする。そんな彼らとともに町は少しずつ息の根を止めていく。無惨な姿で死に向かっていくことになる。

さてここからは少しモロッコ映画界についての話をしよう。最近モロッコを舞台にした映画として“The Sky Trembles and the Earth Is Afraid and the Two Eyes Are Not Brothers”“Mimosas”が挙げられる。これらは世界の映画祭で評価を受けたが、問題なのがこれらの監督はモロッコ人ではないことである。前者の監督Ben Rivers ベン・リヴァースはイギリス人、後者の監督Oliver Laxe オリヴェル・ラシェガリシア人なのだ。その一方で、あなたは最近話題になったモロッコ人作家によるモロッコ映画を挙げられるだろうか。ほとんど無理だろう。つまりこういうことである。西洋から来た映画作家がモロッコで映画を撮り、その作品が実験的だと称賛される一方で、モロッコ人が製作した本物のモロッコ映画は見向きもされない状況が続いているのだ。これを植民地主義帝国主義・西洋中心主義と言わずに何と呼べばいいだろうか?

劇中、スペイン人の女性がこの町にやってきて、観光を楽しむ場面がある。彼女は海の風景やギターを弾く障害者の男を次々と撮影していくが、何も知らないままにすっと物語から消えてしまう。別に悪意がある訳ではないだろう。彼女は確かにこのモロッコという国に惹かれ観光しに来たはずだ。だがアイシャたちが直面している貧困など知る由もなく、彼女は撮影をして帰っていく。その姿は先に挙げた映画作家たちの姿にも繋がる。ただ良いとこ取りをしたいだけの外国人。今作がそれを意図しているかどうかは分からないが。

こうした意味で“Lalla Aïcha”はぜひ世界に観られるべき、モロッコ人によるモロッコ映画だ。アイシャの母なる愛は生存を求めて、力強く進み続けながらも、そこに立ち塞がる障害はあまりにも大きすぎる。そして時には、愛もまた絶望と貧困に呑みこまれるしかない時が存在する。そんな風景を、監督は静かに見据えていくのだ。

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私の好きな監督・俳優シリーズ
その351 Shahrbanoo Sadat&"The Orphanage"/アフガニスタン、ぼくらの青春
その352 Julio Hernández Cordón&"Cómprame un revolver"/メキシコ、この暴力を生き抜いていく
その353 Ivan Marinović&"Igla ispod plaga"/響くモンテネグロ奇想曲
その354 Ruth Schweikert&"Wir eltern"/スイス、親になるっていうのは大変だ
その355 Ivana Mladenović&"Ivana cea groaznică"/サイテー女イヴァナがゆく!
その356 Ines Tanović&"Sin"/ボスニア、家族っていったい何だろう?
その357 Radu Dragomir&"Mo"/父の幻想を追い求めて
その358 Szabó Réka&"A létezés eufóriája"/生きていることの、この幸福
その359 Hassen Ferhani&"143 rue du désert"/アルジェリア、砂漠の真中に独り
その360 Basil da Cunha&"O fim do mundo"/世界の片隅、苦難の道行き
その361 Mona Nicoară&"Distanța dintre mine și mine"/ルーマニア、孤高として生きる
その362 Siniša Gacić&"Hči Camorre"/クリスティーナ、カモッラの娘
その363 Vesela Kazakova&"Cat in the Wall"/ああ、ブレグジットに翻弄されて
その364 Saeed Roustaee&"Just 6.5"/正義の裏の悪、悪の裏の正義
その365 Mani Haghighi&"Pig"/イラン、映画監督連続殺人事件!
その366 Dmitry Mamulia&"The Climinal Man"/ジョージア、人を殺すということ
その367 Valentyn Vasyanovych&"Atlantis"/ウクライナ、荒廃の後にある希望
その368 Théo Court&"Blanco en blanco"/チリ、写し出される虐殺の歴史
その369 Marie Grahtø&"Psykosia"/"私"を殺したいという欲望
その370 Oskar Alegria&"Zumiriki"/バスク、再び思い出の地へと
その371 Antoneta Kastrati&"Zana"/コソボ、彼女に刻まれた傷痕
その372 Tamar Shavgulidze&"Comets"/この大地で、私たちは再び愛しあう
その373 Gregor Božič&"Zgodbe iz kostanjevih gozdov"/スロヴェニア、黄昏色の郷愁
その374 Nils-Erik Ekblom&"Pihalla"/フィンランド、愛のこの瑞々しさ
その375 Atiq Rahimi&"Our Lady of Nile"/ルワンダ、昨日の優しさにはもう戻れない
その376 Dag Johan Haugerud&"Barn"/ノルウェーの今、優しさと罪
その377 Tomas Vengris&"Motherland"/母なる土地、リトアニア
その378 Dechen Roder&"Honeygiver among the Dogs"/ブータン、運命の女を追って
その379 Tashi Gyeltshen&"The Red Phallus"/ブータン、屹立する男性性

Radu Jude&"Îmi este indiferent dacă în istorie vom intra ca barbari"/私は歴史の上で野蛮人と見做されようが構わない!

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ラドゥ・ジュデ&"Cea mai fericită fată din ume"/わたしは世界で一番幸せな少女
Radu Jude&"Toată lumea din familia noastră"/黙って俺に娘を渡しやがれ!
Radu Jude & "Aferim!"/ルーマニア、差別の歴史をめぐる旅
ラドゥ・ジュデ&"Inimi cicatrizate"/生と死の、飽くなき饗宴
Radu Jude&"Țara moartă"/ルーマニア、反ユダヤ主義の悍ましき系譜
Radu Jude&"Îmi este indiferent dacă în istorie vom intra ca barbari"/私は歴史の上で野蛮人と見做されようが構わない!
ラドゥ・ジュデの経歴及び今までの長編作品のレビューはこちら参照。

第2次世界大戦において、ルーマニアは枢軸国側として悍ましい戦争犯罪を犯していた。その最も大きなものがオデッサの虐殺だ。1941年、ルーマニア人はオデッサに集められたユダヤ人40万人を虐殺したのだ。この罪は今でもキチンと清算はされないままでいる。そんな中でルーマニア映画作家Radu Jude ラドゥ・ジュデはそんな自国の罪を普通ではない形で描くことを選んだ。その結実こそが彼にとっての集大成たる第6長編"Îmi este indiferent dacă în istorie vom intra ca barbari"だ。

今作の主人公は芸術家であるマリアナ(Ioana Jacob ヨアナ・ヤコブ)という女性だ。彼女には現在進行中の計画がある。それこそがオデッサの虐殺を再演することだ。彼女は資料や武器、衣装を集め、歴史博物館を拠点として、舞台の準備を進めていく。

物語はそんなマリアナの苦闘を描き出していく。この計画の準備は一筋縄では行かない。何せ自国の歴史の闇を描く計画だからである。例えばエキストラは今作を"反ルーマニア"的として離脱を表明する。出資者はスピルバーグシンドラーのリストを作ったように、もっと観客が喜ぶような作品を製作しろと脅してくる。障壁は想像以上に多いのだ。

Judeは撮影監督であるMarius Panduruと共に、腰の据わった長回しで以て目前の光景を観察していく。この演出はデビュー長編である"Cea mai fericită fată din lume"から第4長編"Inimi cicatrizate"まで一貫したものであるのだが、ここではその作風を更に尖鋭化させて登場人物たちの一挙手一投足を詳細に焼きつけていくのだ。

そうして長回しは舞台的な空気感へと結実していく。例えばルーマニアの人々が銃を持って構えドイツ兵の行動を再演する、手を挙げて逃げ惑いユダヤ人たちの行動を再演する。その様には"演じること"に否応なく付随する奇妙な生々しさが宿っている。

この舞台的な作風はこの作品それ自体の構成とも密接に繋がっている。つまり今作は舞台製作についての作品であり、ある意味でメタ的な感触を伴っているのである。ドイツ兵など演じる俳優たちを演出するマリアナを演じるIoana Iacobを演出するRadu Judeといった風に、入れ子構造がここには広がっているのだ。

さてここで普通のルーマニア人がオデッサの虐殺についてどう思っているのかを見てみよう。マリアナと彼女の愛人である男(Șerban Pavlu シェルバン・パヴル)との会話でこんな言葉が出てくる。オデッサの虐殺について話をしようとすると、共産主義の方がもっと酷かったと話を逸らしてくると。今のルーマニア人はオデッサの虐殺という自国の黒歴史に触れたくない訳である。

更に彼らはSergiu Nicolaescu セルジュ・ニコラエス監督の"Oglinda"という作品を鑑賞する。今作は第2次世界大戦時代にクーデターを起こした将軍Ion Antonescu ヨン・アントネスクを英雄として描いた作品だ。しかし彼はヒトラーを信奉する人物であり、ルーマニアにおけるホロコーストに関係したことでも有名だ。それ故に今作は"ファシスト映画"として非難されている。マリアナたちもまるでZ級映画を観るようにこの映画を腐しながら楽しむのだが、その時ちょうど将軍がホロコーストへの関与を否定する場面が現れる。つまりは右翼監督による虐殺隠匿が繰り広げられる訳だが、それが普通にテレビで流されてしまうのだ。マリアナは"もしドイツだったらこんなの流せる?"とこの状況を皮肉る。

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マリアナの行動原理には、ルーマニアに広がるこういった現実があるのである。世界の右傾化に共鳴するように、ルーマニアでも過去の罪と嘘が公然と罷り通ってしまっている。そんな状況を根本から引っくり返し、ルーマニアの暗部を白日の下に晒さないといけない、そんな固い意志が存在している訳だ。

そんな状況でマリアナはモヴィラ(Alexandru Dabija アレクサンドル・ダビジャ)という出資者の1人と論争を繰り広げることとなる。先述した"観客が喜ぶものを!"という主張は彼のものだ。彼は観客に親和的な感動の秘話を幾つも持ち出し、こういったものを作品にしろと迫ってくる。この光景は国が認めるような芸術だけを作るべきだと主張する人間がいる日本の状況と驚くほど似通っている。それに対してマリアナは敢然と立ち向かっていく訳だ。

そんな主人公であるマリアナの人物造形は今作の牽引力の核でもあるだろう。自分の計画のためには猪突猛進で進んでいきながら、ただの行動に終わらない怜悧な知的さも彼女は持ち合わせている。その積極的で攻撃的な芸術家ぶりはすこぶる魅力的なものだ。

その姿に私はあるキャラクターを思い出した。それは先日エミー賞で3部門を獲得した作品「フリーバッグ」の主人公フリーバッグである。皮肉屋で猪突猛進、面倒臭く生き汚い。我を通しまくりで周囲と衝突しまくる孤高の女。そんなフリーバッグがもし芸術家になってルーマニアの歴史の暗部に対峙したとしたら、こんな光景が広がっていたかもしれない。低音ボイスも彼女を想起させる。

そんなマリアナを演じるのはIoana Iacobである。ドイツとルーマニアを股にかけて活躍する人物で、主な活躍の舞台は演劇である。そんな彼女が上演の物語に主演するのだから正に適役というべきだろう。彼女はルーマニアをめぐる混沌に身を挺して飛び込んでいき、この物語を牽引していく。

そして上演が行われる訳であるが、そこでは勇猛なパレードが演じられることになる。この絢爛たる様に観衆が集まり始め、そんな彼らへ軍曹から国を賛美する演説が届けられる。それは愛国的なものから始まり、さらにはユダヤ人を排斥するような外国人差別的なものへと変わっていく。しかし観衆たちは反感を示すどころか、共感を示すことになるのだ。こうしてこの光景を目撃する私たちは、同時にルーマニアの歴史が改竄されていく様を目撃する。そこに生起する恐怖は正にポスト真実を象徴するようなものなのである。

"Îmi este indiferent dacă în istorie vom intra ca barbari"ルーマニアの負の歴史を複雑なままにかつ軽やかに描き出そうとするRadu Judeの真骨頂的な作品だ。その力強さは観客がが生きる国それぞれ――私たちにとっては日本――に巣食う悪すらも浮き彫りにしていくだろう。

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ルーマニア映画界を旅する
その1 Corneliu Porumboiu & "A fost sau n-a fost?"/1989年12月22日、あなたは何をしていた?
その2 Radu Jude & "Aferim!"/ルーマニア、差別の歴史をめぐる旅
その3 Corneliu Porumboiu & "Când se lasă seara peste Bucureşti sau Metabolism"/監督と女優、虚構と真実
その4 Corneliu Porumboiu &"Comoara"/ルーマニア、お宝探して掘れよ掘れ掘れ
その5 Andrei Ujică&"Autobiografia lui Nicolae Ceausescu"/チャウシェスクとは一体何者だったのか?
その6 イリンカ・カルガレアヌ&「チャック・ノリスVS共産主義」/チャック・ノリスはルーマニアを救う!
その7 トゥドール・クリスチャン・ジュルギウ&「日本からの贈り物」/父と息子、ルーマニアと日本
その8 クリスティ・プイウ&"Marfa şi Banii"/ルーマニアの新たなる波、その起源
その9 クリスティ・プイウ&「ラザレスク氏の最期」/それは命の終りであり、世界の終りであり
その10 ラドゥー・ムンテアン&"Hîrtia va fi albastrã"/革命前夜、闇の中で踏み躙られる者たち
その11 ラドゥー・ムンテアン&"Boogie"/大人になれない、子供でもいられない
その12 ラドゥー・ムンテアン&「不倫期限」/クリスマスの後、繋がりの終り
その13 クリスティ・プイウ&"Aurora"/ある平凡な殺人者についての記録
その14 Radu Jude&"Toată lumea din familia noastră"/黙って俺に娘を渡しやがれ!
その15 Paul Negoescu&"O lună în Thailandă"/今の幸せと、ありえたかもしれない幸せと
その16 Paul Negoescu&"Două lozuri"/町が朽ち お金は無くなり 年も取り
その17 Lucian Pintilie&"Duminică la ora 6"/忌まわしき40年代、来たるべき60年代
その18 Mircea Daneliuc&"Croaziera"/若者たちよ、ドナウ川で輝け!
その19 Lucian Pintilie&"Reconstituirea"/アクション、何で俺を殴ったんだよぉ、アクション、何で俺を……
その20 Lucian Pintilie&"De ce trag clopotele, Mitică?"/死と生、対話と祝祭
その21 Lucian Pintilie&"Balanța"/ああ、狂騒と不条理のチャウシェスク時代よ
その22 Ion Popescu-Gopo&"S-a furat o bombă"/ルーマニアにも核の恐怖がやってきた!
その23 Lucian Pintilie&"O vară de neuitat"/あの美しかった夏、踏みにじられた夏
その24 Lucian Pintilie&"Prea târziu"/石炭に薄汚れ 黒く染まり 闇に墜ちる
その25 Lucian Pintilie&"Terminus paradis"/狂騒の愛がルーマニアを駆ける
その26 Lucian Pintilie&"Dupa-amiaza unui torţionar"/晴れ渡る午後、ある拷問者の告白
その27 Lucian Pintilie&"Niki Ardelean, colonel în rezelva"/ああ、懐かしき社会主義の栄光よ
その28 Sebastian Mihăilescu&"Apartament interbelic, în zona superbă, ultra-centrală"/ルーマニアと日本、奇妙な交わり
その29 ミルチャ・ダネリュク&"Cursa"/ルーマニア、炭坑街に降る雨よ
その30 ルクサンドラ・ゼニデ&「テキールの奇跡」/奇跡は這いずる泥の奥から
その31 ラドゥ・ジュデ&"Cea mai fericită fată din ume"/わたしは世界で一番幸せな少女
その32 Ana Lungu&"Autoportretul unei fete cuminţi"/あなたの大切な娘はどこへ行く?
その33 ラドゥ・ジュデ&"Inimi cicatrizate"/生と死の、飽くなき饗宴
その34 Livia Ungur&"Hotel Dallas"/ダラスとルーマニアの奇妙な愛憎
その35 アドリアン・シタル&"Pescuit sportiv"/倫理の網に絡め取られて
その36 ラドゥー・ムンテアン&"Un etaj mai jos"/罪を暴くか、保身に走るか
その37 Mircea Săucan&"Meandre"/ルーマニア、あらかじめ幻視された荒廃
その38 アドリアン・シタル&"Din dragoste cu cele mai bune intentii"/俺の親だって死ぬかもしれないんだ……
その39 アドリアン・シタル&"Domestic"/ルーマニア人と動物たちの奇妙な関係
その40 Mihaela Popescu&"Plimbare"/老いを見据えて歩き続けて
その41 Dan Pița&"Duhul aurului"/ルーマニア、生は葬られ死は結ばれる
その42 Bogdan Mirică&"Câini"/荒野に希望は潰え、悪が栄える
その43 Szőcs Petra&"Deva"/ルーマニアとハンガリーが交わる場所で
その44 Bogdan Theodor Olteanu&"Câteva conversaţii despre o fată foarte înaltă"/ルーマニア、私たちの愛について
その45 Adina Pintilie&"Touch Me Not"/親密さに触れるその時に
その46 Radu Jude&"Țara moartă"/ルーマニア、反ユダヤ主義の悍ましき系譜
その47 Gabi Virginia Șarga&"Să nu ucizi"/ルーマニア、医療腐敗のその奥へ
その48 Marius Olteanu&"Monștri"/ルーマニア、この国で生きるということ
その49 Ivana Mladenović&"Ivana cea groaznică"/サイテー女イヴァナがゆく!
その50 Radu Dragomir&"Mo"/父の幻想を追い求めて
その51 Mona Nicoară&"Distanța dintre mine și mine"/ルーマニア、孤高として生きる
その52 Radu Jude&"Îmi este indiferent dacă în istorie vom intra ca barbari"/私は歴史の上で野蛮人と見做されようが構わない!

Tashi Gyeltshen&"The Red Phallus"/ブータン、屹立する男性性

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さて、ブータンは敬虔な仏教国である。それに裏打ちされた迷信も未だに根強く信じられている。そしてこの状況が抑圧的な構造を創り上げることもまま存在する。今回紹介するのはそんなブータンの現状を描き出した意欲作、Tashi Gyeltshen監督の初長編"The Red Phallus"を紹介していこう。

この映画の主人公は16歳の少女サンゲイ(Tshering Euden)だ。彼女はブータンの人里離れた田舎町に父であるアプ・アッツァラ(Singye)と共に住んでいる。彼は魔除けのための男根像を作る村唯一の職人であるのだが、サンゲイはそのせいで村人たちから疎まれていた。彼女は深い孤独の中で生き続けていた。

まず今作はそんなサンゲイの孤独の構図を丹念に描き出していく。彼女には友人がいないので、通学路をたった独りだけで歩いていく。さらに学校に着いたとしても、黒板には"アプ・アッツァラのチンコ"という言葉とともに男根が描かれていたりと、彼女は常に虐めに晒されている。家に帰ったとしても、父は罵詈雑言ばかりを吐き散らかし、自分を愛する素振りは微塵も見せない。

彼女の孤独を際立たせるのは、ブータンに広がる宏大な自然である。空には常に分厚い雲がまるで禍々しい竜のように広がり、太陽が照ることはほとんどない。そして地表には深緑色の木々や草々が繁茂し、その間には薄紫色の霧が蔓延っている。この光景は恐怖と畏敬を同時に、観客の心の中に浮かび上がらせるような力強さを持ち合わせている。

そして撮影監督のJigme Tenzingはそんな風景の数々を鷹揚たる態度で以て切り取っていく。彼はロングショットを多用しながら、巨大な自然に宿る巨大な崇高さを余すところなく映し取っていく。そしてその自然の中には、孤独に歩き続けるサンゲイの姿がある。この人間のちっぽけさというものが今作を構成する要素の1つとなっている。

今作を観ている際に想起したのはチベット映画作家ペマ・ツェテンの作品群だ。彼の作品はチベットの宏大な自然を背景として、人々の営みを描き出すものだった。撮影における自然と人間の対比もよく似通っている。おそらくこれは偶然ではないだろう。実はブータンに生きる民族の8割はチベット系で、ブータン公用語ゾンカ語とチベット語は文字を共有している。この2つの国には共通する精神性があるのだろう。

サンゲイにはある秘密がある。それは妻子のある中年男性パサラ(Dorji Gyeltshen)と実は関係を持っていることだ。彼らは広い野原の片隅で逢瀬を重ねている。だがある日、その秘密が父であるアプの知るところとなってしまう。彼は娘を誘惑したパサラの元へ赴くのだが、この行動が事態をさらに複雑なものにしてしまう。

今作の核となる要素はそんな父アプと娘サンゲイの関係性である。彼はいわゆる昔気質な人物で、娘への愛情を表に出さず辛くばかり当たる。そんな中で男根像を彫る後継者を探しているのだが、女性であるサンゲイは眼中にない。自身も虐めの根源であるこの職業を継ぐ気はないのだが、彼に無視されている現状には相反する思いを抱えているのだ。

この映画の題名は"The Red Phallus"、"赤い男根"を意味するものだが、これはアプが彫る男根像を意味するとともに物語に現れる有害な男性性を示しているとも言える。今作に出てくる男性2人はともに抑圧的な人物であり、サンゲイに精神的な暴力を加えてくる。それによって彼女は窮地に追いやられていく。有害な男性性によって苦しめられる女性の姿をサンゲイは体現しているのである。

しかしその果てに少女は反抗へと打って出る。それはこの社会に屹立する家父長制への反乱なのだ。"The Red Phallus"は迷信が深く根づいたブータンにおいて、1人の孤独な少女の姿を描き出した力強い作品だ。

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私の好きな監督・俳優シリーズ
その351 Shahrbanoo Sadat&"The Orphanage"/アフガニスタン、ぼくらの青春
その352 Julio Hernández Cordón&"Cómprame un revolver"/メキシコ、この暴力を生き抜いていく
その353 Ivan Marinović&"Igla ispod plaga"/響くモンテネグロ奇想曲
その354 Ruth Schweikert&"Wir eltern"/スイス、親になるっていうのは大変だ
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その357 Radu Dragomir&"Mo"/父の幻想を追い求めて
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その369 Marie Grahtø&"Psykosia"/"私"を殺したいという欲望
その370 Oskar Alegria&"Zumiriki"/バスク、再び思い出の地へと
その371 Antoneta Kastrati&"Zana"/コソボ、彼女に刻まれた傷痕
その372 Tamar Shavgulidze&"Comets"/この大地で、私たちは再び愛しあう
その373 Gregor Božič&"Zgodbe iz kostanjevih gozdov"/スロヴェニア、黄昏色の郷愁
その374 Nils-Erik Ekblom&"Pihalla"/フィンランド、愛のこの瑞々しさ
その375 Atiq Rahimi&"Our Lady of Nile"/ルワンダ、昨日の優しさにはもう戻れない
その376 Dag Johan Haugerud&"Barn"/ノルウェーの今、優しさと罪
その377 Tomas Vengris&"Motherland"/母なる土地、リトアニア
その378 Dechen Roder&"Honeygiver among the Dogs"/ブータン、運命の女を追って
その379 Tashi Gyeltshen&"The Red Phallus"/ブータン、屹立する男性性

Dechen Roder&"Honeygiver among the Dogs"/ブータン、運命の女を追って

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さて、ブータンである。巷では世界一幸福な国と言われていたり、その言説に反するように真逆のことが語られたりと、日本ではその全容が定かではない。そんな国について知りたい時、一体何が役に立つかといえば、もちろん映画な訳である。ということで今回は未知の国であるブータンから現れた文芸映画、 Dechen Roder監督の初長編作品"Honeygiver among the Dogs"を紹介していこう。

今作の主人公は警察官であるキンレイ(Jamyang Jamtsho Wangchuk)という男だ。上層部の命令で、彼はブータンの田舎町で起こった殺人事件を捜査することになる。ある村で修道院長が何者かに殺害されたのだ。キンレイは村へと赴き村人に話を聞いていくのだが、その捜査線上に"悪魔"と呼ばれる女性が浮上する。

彼女の名前はチョデン(Sonam Tashi Choden)という。友人だという少女の証言を頼りに、とうとうチョデンと邂逅を果たす。キンレイは身分を偽り彼女に近付いていき、成り行きから彼女の旅に随行することになる。この旅路の最中に、キンレイはチョデンの素性を暴こうとするのだったが……

この作品の核となるのはチョデンという女性の存在だ。"悪魔"と呼ばれる彼女は、しかし穏やかで優しく、その名を示すような様子は見られない。それでも旅を続けるうち、何か不審な動きをすることにキンレイは気付く。彼女は森の草を焼き、不気味な儀式をするのだ。その光景が脳に焼きつき、彼は更に不思議な夢をも見ることになる。探ろうとすればするうち、むしろ謎は深まっていく。

そういった幻惑的な光景の数々を取り巻くのが、ブータンに広がる崇高なる自然だ。豊かな木々の合間には濃厚な霧が常に満ち満ちており、不穏な雰囲気を漂わせている。ふとした瞬間に何か恐ろしい妖怪でも現れ、私たちを襲うとでもいった風に。だがその恐れは畏れでもあり、この霧満ちる緑色の深淵を見ているうちに、私たちは畏怖に打たれることともなるだろう。

そんな中で、突如チュデンが失踪してしまう。彼女を探し求めるキンレイは同時に殺人事件の裏側をも知ることになる。事件が起きた当時、村では聖地と敬われる土地の権利に関して紛糾していたらしい。そしてそこにチュデンも関わっていたと。だからこそチュデンは修道院長を殺害してしまったのか、それとも……そしてキンレイは迷宮へと迷い込むこととなる。

今作はいわゆる運命の女、ファム・ファタールを軸としたノワール作品としての趣を持ち合わせている。キンレイはチュデンの幻惑的な魅力に酔わされて、闇の世界にその身を沈みこませていく。この狂わされる男というのはノワール映画の典型とも評すことができるだろう。今作の脚本はある意味でノワールの王道を堂々と進んでいくと言える。

だがRoder監督の演出は、例えば50年代のハリウッド映画や現代のネオノワール作品とは遠く隔たったものとなっている。彼女はブータンの大いなる自然を背景として、非常に遅々たるリズムで以てキンレイの彷徨を描き出している。そこにはピアノ線が張り詰めるような緊張感は存在しない代わりに、ドイツのロマン主義絵画と相対するような神聖さが存在しているのだ。そしてこの神聖さの中をキンレイは歩き続ける。この重々しい足取りが謎を更に深めていくのである。

更に今作に特徴的なのは、ブータンの文化がノワールという様式へ多分に注入されている点だ。監督は今作の出発点がダキニ天という仏教における神の一種にあると語っているが、物語内においてもチョデンが彼女の伝説について語る姿が挿入される。このブータンにしか存在し得ない特異性によって、物語は異様なる幻影へと姿を変えていくのだ。

"Honeygiver among the Dogs"は長い歴史を持つノワール映画が、ブータンという地で脱構築・再解釈されて生まれた作品だ。この土着的な魅力を味わう事のできる時、様々な国の映画を観て良かったと思えるのである。

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さてここからはAsian Movie Pulseに掲載されたRoder監督のインタビューの翻訳をどうぞ。ブータン映画界の現状や今作の構想源など興味深い事柄が網羅されているのでぜひ読んで欲しい。*1

●映画製作における最初の経験について教えてくれませんか?

始めたのは2004年、24歳の頃です。映画に興味があってニューヨークに少し住んでいたんですが、その時はただレストランで働くだけで下。生きるためにお金を稼ぐ必要があったからです。ニューヨークでは誰もが映画を作ろうとしていて、そのお金を稼ぐためにレストランで働いてるんです! いい経験ではありましたが生きるにはキツかったです。その時4人の友人がプレゼントにハンディカムを買ってくれました。とても感動しましたし、今振り返ると本当に大切なプレゼントだったと思います。それからブータンに戻ったんですが、映画監督は多くありませんでした。特にドキュメンタリーや商業的ではない分野の映画を作る人はいません。テレビ番組や商業映画を作る人ならいますが、その間に誰もいません。なので私は最初にハンディカム撮影の小規模なドキュメンタリーを作りました。舞台は私の故郷の村で、叔母がゾンカ語の読み書きを習うクラスを撮影しました。とても保守的な語りで、際立ったものや政治的なものは一切ありませんが、そこで編集なども学ぶことができました。時間はかかりましたが、嬉しかったのは何か月か後、多くのミーティングを経て、作品がテレビで放映されたんです。私にとっては新しい経験で、テレビ局の人々にとってもそうでした。実は外部の作品を放映したのが初めてだったんです。とても嬉しかったです。国立のテレビ局でお金も払ってくれました。それで、作品自体は学生映画のようであったとしても、自信がもらえました。それから誰も作っていなかったのでドキュメンタリーを作り続けました。雇われ仕事もやり始め、TV番組に規模の大きいドキュメンタリーを作ったりしました。金払いが良かったので最初の長編を計画することにもなりました。完成には10年以上かかりましたが。

●あなたは独学で映画を学んだと言いましたね。ブータンに映画学校あるんですか、それともインドやアメリカに留学する必要がありますか?

ブータンに映画学校はありません。小さな頃、留学したいと思ったこともありませんでした。ブータンに映画産業は存在しないので、興味はあっても将来的に仕事をする機会がなかったんです。さらに留学はとても高額で、インドには競争相手もたくさんいました。私には後ろ盾がなかったので、ここに可能性はないと思ったんです。

●女性であることは障害になりましたか?

いえ、そうは全く思いません。ブータンはとても平等な社会であって、インドなどの周辺国とは違うんです。ですから仕事をするにあたって差別を受けたり意気を挫かれたことはないです。しかし驚いたのは、そういう問題がないのにブータンで映画製作をする女性が多くないことです。思うに(女性はそういう仕事をしないという)思い込みや習慣が刻まれているんでしょう。

●ということはあなたはお手本であるということですね。おそらくあなたの存在によって、この分野で働く女性は多くなるでしょう。

そうですね!今作の後、会議などを撮影するという雇われ仕事を頼まれる機会があったんです。最初はやりたくなかったですが、自分がこれをやれば人々は女性もこういう仕事をこなせると思うかもしれないと思ったんです。実際私の元に来て"ああ、君は女性なんだね!"と言ってくる人もいました。なので私の存在が彼らの無意識に刻まれたことが、とても幸せです。

●あなたは若者たちが自身のキャリアを築けるよう、映画祭を運営しているそうですね。この計画について教えてくれませんか?

ええ、私と夫のPema TscheringはBeskop Tshechu映画祭の発足人です。私の経験を元にこの映画祭を始めました。短編を製作している時、サポートしてくれる機関や上映する場所がなかったんです。先に言った通り、TVか商業映画だけが選択肢だったので、映画を観たり上映する可能性が存在しない、若者が映画監督になりたいとそもそも思わなくなると感じました。なので映画祭は公共への教育的な役割も果たしています。無料でかつ上映場所は公共空間、ティンプーの中心地にある場所を予約して、そこに大きなスクリーンを設置するんです。私は映画作家に自身の作品を上映する場所を与えて、栄光も味わえるよう努力しています。賞を作り、国際的な審査員を招聘するなど、ここには欠けていた正しい映画祭の環境を作りました。私たちブータン人は映画祭も共同体的な感性も持っていません。産業はとても未熟で、商業映画しか毎年賞が与えられません。努力はしていますがとても厳しい状況で、いつも助成金を得られる訳ではない。日々行き当たりばったりです。全ては時間と金があるかに依るんです。

●今年は開催されますか?

まだ分かりません。前は2016年に開催しましたが、状況は更に厳しくなっています。映画を上映するためにライセンスや許可を取るのは官僚主義的悪夢ですよ。

●1つの家庭に2人の芸術家がいる状況はどのようなものですか?

(笑) 正直に言いますと、2人とも自分の仕事の方がずっと大切だと思ってるのでちょっと大変です。だけども時間を柔軟にやりくりできて、その間に色々とやりとりもできるのでその点はいいです。だから赤ちゃんを育てながら、私たち2人がここに来れた訳です。

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●"Honeygiver Among the Dogs"の構想がどこから来たか教えてくれませんか?

多くの異なるインスピレーションが1つになっている訳ですが、主な構想源はダキニ天の物語です。母は小説家で、幸運なことに私に色々なことを離してくれました。こういう話を聞ける少女は多くないことを知って、自分は更に幸運な立場にいると分かりました。私たちは男性――彼らはいつだって仏教徒の男性なんです――の物語を聞きながら育ちます。誰もがその物語や光景、映画を知っていますが、誰も仏教徒の女性については語りません。とても悲しいことで、彼女たちについてもっと知りたいと思いました。だからそんな物語を見つけ出し、繋がりを創り出すために個人的な旅を始め、それを映画にしたんです。伝記映画のようにたった1人の女性を描くということはしたくありませんでした。様々な女性の人生が繋がる様を見つけ出したかったです。そんな個人的な調査は映画において探偵が行う調査に重なっていきました。彼の抱く疑問、彼の考え方は旅の初めにおける私のそれと同じなんです。

●森で撮影された光景の数々はとても女性的でスピリチュアルなものであり、ティンフーでの光景と拮抗しています。そこでは男たちが行動し、物語はとても物質的になります。あの土地についての問題は現実的な問題で、現在のブータンで起こっていることなんですか?

今、人々はとても物質主義的になってきています。過去が全て良かったとは言いたくないですが、この物質主義が環境や人間の営みを犠牲にしていることには反感を覚えます。幸運なことに、ブータンでは国王が森林伐採を制限する法を通してくれたので、環境は守られています。なので今作の物語は現実的ではないです。しかし契約が紙で書かれなかったので別の人間が権利を主張するなどの問題が過去に起こっていて、そういったものにインスパイアされてはいます。大きな問題ではないですが、実際確かにありました。今作のコンセプトについて書いてる時、何が物質主義にかかわる問題か悩んでいましたが、友人が先と似たような話――彼女の隣人が同じような経験をしたと話してくれたんです。

●2人の主人公を創り上げる際のインスピレーションはなんでしたか?

チョデンについては何かを基にはしたくなかったんです。全ての女性を表現したいと思ったんです。キンレイについては彼を演じる俳優(Jamyang Jamtsho Wangchuk)に多くの映画を見せて、人物像を作ってもらいました。例えばプリズナーズL.A.コンフィデンシャルなどのノワール映画、表情を研究してもらうためにはサイレント映画を、そしてウォン・カーウァイ作品も観てもらいました。それからトニー・レオンの演技を研究して欲しいともお願いしました。存在感、空間への感性、堂々たる態度、それに浮かべる困惑……彼には多くの映画を観てもらいました。逆に、チョデン役の俳優(Sonam Tashi Choden)からは演じるための頼りは何か聞かれましたが、それはないと答えました。全く新しいイメージを纏って欲しかったし、捉えどころのないことがこの人物の本質なんです。演技経験は初めてで困惑していましたが、頼りにすべきものはないのでそれについて教えることはできないと言いました。

●物語の初め、キンレイが調査を始める時、村人たちはチョデンは"余所の人間だから"悪魔だと語りますね。こういった偏見が田舎にはあるんでしょうか?

そういう訳ではありません。問題は村人たちが彼女を嫌っていて、その理由が彼女が余所者だからというより異なる存在であるからということで。彼女が異なる存在なのは、誰も彼女について、彼女がどこから来たか知らないからです。ダキニ天は頻繁に旅をし、決まった場所に定住しないという事実を反映したかったんです。

●今作を製作する際、何か障害や問題に直面しましたか?

それはもう完全な悪夢と言う感じでした! 自分は映画をプロデュースする必要もありましたが、どうすればいいか全く分かりませんでした。ブータンにはプロデューサーはいません。財務を担当する人物はいますが、プロデューサーは雇えなかったので自分で自作のプロデューサーになるしかなかったんです。とても疲れる経験でした。監督と編集も担当していたからです。人々を指揮し、キャストやスタッフをロケ地に連れて行ってました。1日の最後には彼らを送り、朝は迎えに行ったんです。ケータリングの予算もないのでお茶も入れていました。身体的にとても疲れました。プロデューサーの仕事なんてする必要がなければと何度思ったことか。この仕事は他の仕事にも影響しますからね。物流管理的な問題で頭の中はいっぱいで、ブータンより外の国際的な映画祭でどう映画をプレゼンしていいかも分かりません。ググりましたよ、"プロデューサーは何をやるのか?"って、どれだけ疲れるか想像も絶するほどでした。監督をして、編集もして、プロデュースにさらに録音も。実際に痛みや病に襲われ健康診断も行いました。とても病んでいましたが理由も定かではなかったんです。赤ちゃんはいい時に来てくれたと思います。病に陥ることから守ってくれるサインのようでした。

●気分は良くなりましたか? あなたの作品は国際的にとても評価されていますね。

ええ、今はとても幸せです。私には1本の完成した映画作品があり、赤ちゃんもいて、万事快調に思えます。私はとても幸運でした。今は何がやりたくなろうとも容易に思えるだろうなと感じています。予算やサポートを受けることも何もかも。新しい計画についていくつか構想がありますが、赤ちゃんが育つまで待つ必要があるでしょう。彼女を授かった時「彼女が2ヵ月になったら仕事が始められる」と思いました。しかしそれが4ヵ月になり、今や7ヵ月で、たぶんこれが9ヵ月になり最後には1年になるだろうなと……準備ができたら自然と分かるでしょうし、突き詰めたいアイデアだってあるんです。

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私の好きな監督・俳優シリーズ
その351 Shahrbanoo Sadat&"The Orphanage"/アフガニスタン、ぼくらの青春
その352 Julio Hernández Cordón&"Cómprame un revolver"/メキシコ、この暴力を生き抜いていく
その353 Ivan Marinović&"Igla ispod plaga"/響くモンテネグロ奇想曲
その354 Ruth Schweikert&"Wir eltern"/スイス、親になるっていうのは大変だ
その355 Ivana Mladenović&"Ivana cea groaznică"/サイテー女イヴァナがゆく!
その356 Ines Tanović&"Sin"/ボスニア、家族っていったい何だろう?
その357 Radu Dragomir&"Mo"/父の幻想を追い求めて
その358 Szabó Réka&"A létezés eufóriája"/生きていることの、この幸福
その359 Hassen Ferhani&"143 rue du désert"/アルジェリア、砂漠の真中に独り
その360 Basil da Cunha&"O fim do mundo"/世界の片隅、苦難の道行き
その361 Mona Nicoară&"Distanța dintre mine și mine"/ルーマニア、孤高として生きる
その362 Siniša Gacić&"Hči Camorre"/クリスティーナ、カモッラの娘
その363 Vesela Kazakova&"Cat in the Wall"/ああ、ブレグジットに翻弄されて
その364 Saeed Roustaee&"Just 6.5"/正義の裏の悪、悪の裏の正義
その365 Mani Haghighi&"Pig"/イラン、映画監督連続殺人事件!
その366 Dmitry Mamulia&"The Climinal Man"/ジョージア、人を殺すということ
その367 Valentyn Vasyanovych&"Atlantis"/ウクライナ、荒廃の後にある希望
その368 Théo Court&"Blanco en blanco"/チリ、写し出される虐殺の歴史
その369 Marie Grahtø&"Psykosia"/"私"を殺したいという欲望
その370 Oskar Alegria&"Zumiriki"/バスク、再び思い出の地へと
その371 Antoneta Kastrati&"Zana"/コソボ、彼女に刻まれた傷痕
その372 Tamar Shavgulidze&"Comets"/この大地で、私たちは再び愛しあう
その373 Gregor Božič&"Zgodbe iz kostanjevih gozdov"/スロヴェニア、黄昏色の郷愁
その374 Nils-Erik Ekblom&"Pihalla"/フィンランド、愛のこの瑞々しさ
その375 Atiq Rahimi&"Our Lady of Nile"/ルワンダ、昨日の優しさにはもう戻れない
その376 Dag Johan Haugerud&"Barn"/ノルウェーの今、優しさと罪
その377 Tomas Vengris&"Motherland"/母なる土地、リトアニア

ルーマニア、日常の中の美しさ~Interview with Letiția Popa

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さて、このサイトでは2010年代に頭角を表し、華麗に映画界へと巣出っていった才能たちを何百人も紹介してきた(もし私の記事に親しんでいないなら、この済藤鉄腸オリジナル、2010年代注目の映画監督ベスト100!!!!!をぜひ読んで欲しい)だが今2010年代は終わりを迎え、2020年代が始まろうとしている。そんな時、私は思った。2020年代にはどんな未来の巨匠が現れるのだろう。その問いは新しいもの好きの私の脳みそを刺激する。2010年代のその先を一刻も早く知りたいとそう思ったのだ。

そんな私は、2010年代に作られた短編作品を多く見始めた。いまだ長編を作る前の、いわば大人になる前の雛のような映画作家の中に未来の巨匠は必ず存在すると思ったのだ。そして作品を観るうち、そんな彼らと今のうちから友人関係になれたらどれだけ素敵なことだろうと思いついた。私は観た短編の監督にFacebookを通じて感想メッセージを毎回送った。無視されるかと思いきや、多くの監督たちがメッセージに返信し、友達申請を受理してくれた。その中には、自国の名作について教えてくれたり、逆に日本の最新映画を教えて欲しいと言ってきた人物もいた。こうして何人かとはかなり親密な関係になった。そこである名案が舞い降りてきた。彼らにインタビューして、日本の皆に彼らの存在、そして彼らが作った映画の存在を伝えるのはどうだろう。そう思った瞬間、躊躇っていたら話は終わってしまうと、私は動き出した。つまり、この記事はその結果である。

2020年代に巣出つだろう未来の巨匠にインタビューをしてみた! 第6回は私の大好きなルーマニア映画界から巣立つだろう若きドキュメンタリー作家Letiția Popa レティツィア・ポパに直撃!

今回観た作品は先日、チェコにおけるドキュメンタリー映画の祭典イフラヴァ映画祭で上映された作品"Marie"だ。今作はドナウ川沿いに位置する村で生活する家族を追った作品である。カメラは彼女たちが例えば食事をしたり、お喋りをしたりする日常の何気ない風景を映し出していく。そこには親密さが浮かび上がることがあれば、時おり緊迫感が張り詰める瞬間すらも存在する。そんな良い所も悪い所も含めて家族なのだと今作は語っていくのだ。そんな中で監督は長女であるマリアに焦点を当て始めるのだったが……という所でインタビューをどうぞ。

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済藤鉄腸(以下TS):なぜ映画監督になりたいと思ったんですか? そしてそれをどのように成し遂げたんですか?

レティツィア・ポパ(以下LP):映画学校に行こうと決めたのは18歳の時です。この映画について勉強して監督をしたいという欲望は自分を表現するための方法として現れたんです。しばらくは写真に凝っていて、その前のとても小さな頃は絵を描いていたんですが、つまり私は視覚的な人間なんです。元々は恥ずかしがり屋で、多くの場合声を上げることに対して臆病でした。それと同時に自分の物語を語りたいという思いもあって、話したいことを表現するため声を上げたいと最後にはそう感じたんです。だからセラピーの代りに映画を作ろうと決めた訳です。それで私はここにいて映画学校で監督としての旅を始めました。その後ドキュメンタリーというジャンルを発見した時、私の人生は大きく変わりました。何故ならそれが自己表現以上の何か――私の声でありながら、かつての私のように語ることのできない誰かの声に変わったからです。

TS:映画に興味を持ち始めた時、どんな作品を観ていましたか? そして当時ルーマニアではどんな映画を観ることができましたか?

LP:小さな頃から映画は好きでした。父と一緒にアメリカ映画を観ていたからです。父はスリラーやドラマ、アクション映画(時にはホラーさえも)好きでした。ひまわりの種を一緒に食べながらTVで映画を観ていたのを覚えています。全てのチャンネルに目を通しながら作品を慎重に吟味していたので、その夜にやる最高の映画を観ることができました。

その後十代になってまた映画を観るようになりましたが、今度は私自身が選ぶようになりました。私が好きになった監督は、映画に興味を持ち始めたらまず観るような監督、例えばタランティーノスコセッシフェリーニクリストファー・ノーランなどでした。当然ですが彼らの映画はパソコン上で観ていて、新しい作品が上映される時だけ、映画館で観ることができたんです。私はルーマニアの東部に位置する小さな町出身で、大きな都市のように古い作品を観ることのできる場所はそう多くありませんでした。さらにルーマニア映画となると、いつだって観るのが難しかった。何故かといえば娯楽作品の隣にそういった作品の入る余地がなかったからです。

TS:まずあなたの短編"Marie"に出てくる家族をどうやって見つけたんですか? どうして映画のテーマとして彼らを選んだのですか?

LP:ヨルダナのことはドキュメンタリーを作る前から知っていました。父の遠い親戚である彼女について多くのことを知っていたので、いい主人公になれると思ったんです。だから両親とともに彼女を訪ねて、彼女やその娘と姪に会いました。私が魅了されたのはその家族が小さな頃に会っていた叔父たちにどれだけ似ていたか、そして家族を取り巻く世界がどれほど豊かであるかでした。彼らについて映画にしたいと思いました。その時のことは良く覚えてません。まるで初めて恋に落ちたかのような心地で、一体何に見舞われたか分からないといった風です。恐怖と欲望の間にある何かに魅了されたんです。私にとって彼らについての映画を作ることは、ある意味で私のルーツに立ち返ることでした。私の父は伝統的な農民の家族出身で、彼らにとても似ていたからです。

TS:ここで描かれる村はどのような場所ですか? ルーマニアにおいてとても有名な場所、もしくはあなたの故郷ですか?

LP:この場所はドナウ川の三角地帯に位置していて、水路に囲まれ孤立した地域でもあります。特にこの村は三角地帯のちょうど北側にあり、ウクライナとの国境に接しています。更にここは珍しい動物たちが住んでいるという理由でUNESCOによって保護されており、その意味では観光地的とも言えます。しかしそれ以外は良好であるとは言えず、経済は息絶えているんです。魚を扱う工場は閉鎖され、そのせいで多くの人々が他国へ仕事を求めて、移住せざるを得ないんです。残っている人々はほとんど老人か子どもだけです。

TS:今作における徹底した観察的なスタイルには感銘を受けました。これによって今作はより繊細で力強いものになっていると思います。ここにおいて、家族と交流するにあたり最も大切なことは何でしたか?

LP:私にとって今作はそう作られるしか有り得なかったんです。彼らと交流するのは私だけしか有り得なかったんですから。多くの場合、家族はヨルダナが解決しないといけない人生の困難に懸りきりだったので、私のことは簡単に無視していました。もちろん、私がどんな害も与えないと感じとっていたんでしょう。初めは私について質問してはきましたが、その後は私を受け入れてくれたんです。ヨルダナは誰かが自分を撮影してくれることを誇りにも思っていました。私たちと村を歩く最中、村人たちに自分は映画スターだと言いふらしていました。このおかげで撮影に自信を持つことができました。さらにそれは彼女が家に帰った時に見せた、とてもエネルギッシュな瞬間のおかげでもあります。彼女は自身の繊細な部分を撮影することも許してくれました。

子供たちに関して、特にマリアに関しては簡単に交流することができました。彼らは最初に会った時から撮影器具に興味津々で、ブームをあげたりしました。特にヘッドフォンをつけて音を聞いていた時のある子供の顔は今でも覚えています。

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TS:今作で最も美しいものの1つはルーマニアの村で繰り広げられる日常の描き方です。例えば祖母が料理を作る、子供たちがぶどうを食べる、マリアが村を歩く。そういった日常の中に宿る美をあなたは鮮やかに捉えています。この日常の美をあなたはどのように捉えたんでしょう?

LP:捉えられた理由は多くの忍耐とタイミングのおかげです。子供たちがぶどうを食べたりマリアが村を歩いている時、私たちは互いに通じ合っていました。演技だとかそういうものは一切ありませんでした。

TS:今作で印象的だったのは子供の1人であるマリアでしょう。彼女は家族や他の子供たちをケアしています。そして私たちは彼女の無邪気さが輝きながらも、摩耗していく光景を目撃するんです。なぜあなたは彼女を"Marie"の中心人物に選んだんでしょう?

LP;あなたも言った通り、彼女が印象的な人物だからです! 彼女の中に私自身が強く見えてきて、どう反応していいか分からないほどでした。マリアはとても小さな身体で、無邪気さも感じられる10歳の少女だのに、とても強い人物でもありました。闘いを挑んでくる外からの圧力に対して反抗する力を持っている、私にはそう信じられました。長女として5人のきょうだいを世話しなければならないとそんな状況に陥ろうとも、この負の螺旋から逃れられる力を見つけられるとそう願っています。

TS:ルーマニア映画界の現状はどういったものでしょう? 外から見るならとてもいいものに思えます。Corneliu Porumboiu コルネリュ・ポルンボユ(紹介記事)やCristi Puiu クリスティ・プイユ(紹介記事)ら現代の巨匠が傑作を作り、有名な映画祭には新しい才能が現れています。例えばロッテルダムMarius Olteanu マリウス・オルテアヌ(紹介記事)、ロカルノIvana Mladenovic イヴァナ・ムラデノヴィチ(紹介記事)、そしてイフラヴァ映画祭にはあなたが現れました。しかし内側からは現状はどのように見えるのでしょう?

LP:こうして名前が挙げられることをとても誇りに思います。私はまだとても未熟な学生で、学ぶことはたくさんあります。それでも自分の作品が大きな映画祭に選出されるというチャンスに恵まれたのは幸運なことでした。もちろんそのために多くの努力と活力を費やしましたが。思うに多くの新たな才能の名を今後あなたは聞くことになるでしょう(例えばAndra Tarara アンドラ・タララTeona Galgoțiu テオナ・ガルゴツィユ、そしてVictor Bulat ヴィクトル・ブラトなど)し、さらに多くの女性たちが映画監督となるでしょう。今は映画において女性の視点が深く求められているんですから。ルーマニア映画界は興味深い時期にあるとそう思います。

TS:日本の映画好きがルーマニアの映画史を知りたいと思った時、あなたはどんなルーマニア映画を進めますか? そしてそれは何故ですか?

LP:この作品はあまり多くの人には知られていませんが"Un film cu o fată fermecatoare"という作品があります。監督はLucian Bratu ルチアン・ブラトゥという人物です。今作はとてもスウィートな映画で、ヌーヴェルヴァーグに影響を受けています。この時代からするととても勇敢な作品で、映画的な言語もテーマも賢明なものです。主人公は女優になりたいと願う若い女性で、彼女は電話帳を使って無作為に男性に電話をかけ、空港で出会ったかと思うと、帽子をかぶってダンスを踊るんです。彼女を見ていると陽気な気分になるんですが、演じているのはMargareta Pâslaru マルガレタ・プスラルという人物です。当時とてもよく知られていた歌手でした。大好きな理由は、演技にのめり込む若い女性が様々な状況に首を突っ込んで、ある種の柔和さでそれに対応するからです。それが反映しているのは若い都市的な女性が大人になる過渡期を対処する時に味わう困惑であって、そうして彼女は自分の居場所を見つけ陽気な態度で物事に対応するようになるんです。

TS:新しい短編、もしくは初長編を作る計画はありますか? もしあるなら、ぜひ日本の読者に教えてください。

LP:今はまだ学生なので、そう急いて長編を作ろうとは思いません。さっき言った通りまだ学ぶべきことは多くあるので、他の短編を作る計画を立てています。学生としてどこへ自分が向かうか見極めたいんです。今取り組んでいるのはある家族を描いた映画で、その中の1人はアルツハイマーを患っています。"Marie"とは全く異なる作品になるでしょう。

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