鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

私には失われた痛み「共犯」

濁った水の中、繁茂する水草たちがゆらゆらと揺れ動く。その合間から空気の粒が群れをなして光の方へと立ち上る。「共犯」は水の風景から幕を開け、フラッシュフォワード的にイメージが瞬きながら、また水が現れる。しかしそこに映るのは水草ではない、パソコンを食い入るように見つめる少年、不機嫌な顔で髪をいじくる少女、彼らは自分が水の中にいるのを知らない。だから私たちだけが思うことになる、彼らは見えない牢獄に閉じ込められているのではないか、と。

デビュー作「光にふれる」から2年、台湾の俊英チャン・ロンジーが手掛けた「共犯」は少女の死の謎を追うミステリー作品であり、瑞々しさと切なさを伴った青春映画だが、ここには自分がかつて経験した“青春”を思い出す余地はない。感傷の代わりに、皮膚の下を冷たく焼かれるような、ヒリヒリとした傷みがただ残るだけだ。

路地に転がる少女の死体、傍らのイヤホンからは彼女が好きだったのだろう音楽が流れている。少女を見つけたのはたまたま同時刻にこの路地を通りがかった男子学生ホアン(ウー・チエンホー)、リン(トン・ユイカ)、イエ(チュン・カイユアン)の3人だった。
「死んだら人はどうなる? 何にだってならない」
「人が死ぬ、遺族が哀しむ、それで終わり」
投げ掛けられる冷淡な言葉。少女の死に対して大人たちは驚くほど無関心だ。しかし奇妙な出会いを経た3人は、大人たちにかわって、自分たちが少女の死の謎を解き明かそうと奔走することになる。

彼らは手がかりを元にマンションの一室へと潜入する。マンションの5階、その部屋のベランダから彼女は落ちて亡くなったらしい。自殺なのだろうか、それとも……そうして真相に繋がる鍵を見つけ出していくうちに、3人の絆はだんだんと深まっていく。部屋はいつしか3人だけの秘密基地のようになり、水槽の中で泳ぐクラゲを見ながら笑いあうようになるのだ。いじめられっこのホアン、優等生リン、不良のイエ、普通だったら出会うこともなかった3人がかけがえのない時間を共有するというのは、少しばかりジョン・ヒューズ「ブレックファスト・クラブ」を彷彿とさせる。青春映画を愛する人々の誰もが求めるだろう瑞々しさがここにはある。そしてこの絆は亡くなった少女をも繋ぎ止める。

「生きてる時、彼女は孤独だったかもしれない。でも今は僕たちがいる、もう独りじゃない」

このまま話が進んだのならば、辛いことも沢山あったけど、でも楽しかった、みんながいたから楽しかった……そんな映画になっていたかもしれない。だが中盤から物語のトーンは大きく変わっていく。3人が少女の死に関わりを持つのではと疑う女子学生チュウ(ウェン・チェンリン)とホアンの妹ヨンチェン(サニー・ホン)を巻き込み、否応なく事件はその切なさを増していく。SNSの繋がりは容易く悪意へと翻り、彼らは追い詰められ、輝きすらも失われていく。それ故に、謎が明らかになるにつれ監督の描きたいものがはっきりと浮かび上がってくる。……

時代を定義するには漠然としすぎている“青春”、しかしその時代を通りすぎたと思う人々は、良きにしろ悪しきにしろ“青春”という物を美化して語ろうとする。この映画は私を含めそんな人々が軽々しく口にする“青春”という時代をいま正に生きてしまっている者たち、“青春”という見えない牢獄から逃げることも出来ない者たちが味わう痛み、“青春”を過去とする人々には完全に失われてしまった生の痛みを描き出そうとし、それを成し遂げた作品なのだ。

だから、少なくとも私は、この映画を観ても自分の青春を思い出すことはない。水の中へと沈む時のあの残響に耳を塞がれながら、あの頃の私も彼らの痛みをこの身に味わっていた……いたのだろう……だが、本当に? と余りにも曖昧な問いを自分に向けることしか出来ない。[B]