鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

崩壊の記録「アリスのままで」

アリスのままでは若年性アルツハイマーを題材とした作品である。しかし遅かれ早かれ彼女と同じように、老いていくうち人は記憶を失い、体も思い通りに動かせなくなり、自分が自分でなくなる感覚を味わうことになる。これは私たちの未来を描いた作品とも言えるかもしれない。それでいて監督リチャード・グラツァー&ウォッシュ・ウェストモアランドは安易に希望を託すことはない。彼らはむしろ、“家族愛”や“感動”という謳い文句が岸辺に打ち捨てられ錆び付いてしまうのを感じるほどに、私たちが置かれるだろう現実を冷徹に見据えている。

アリス(「SFXハードボイルド/ラブクラフトジュリアン・ムーア)は50歳の誕生日を迎え、幸せの絶頂にあった。高名な言語学者として活躍する一方で、家族の絆にも恵まれていた。仕事人間ではあるが優しい夫ジョン(「愛されちゃって、マフィア 」アレック・ボールドウィン)、長女アンナ(「処刑島 みな殺しの女たち」ケイト・ボスワース)は幸せな結婚を果たし、長男トム(恋するベーカリー」ハンター・パリッシュ)も医者の卵として日々勉学に励んでいる。しかし大学にも行かずL.A.で演劇にかまけ、将来を見据えようとしない次女リディア(「アンダートウ 決死の逃亡」クリステン・スチュワート)の存在が、アリスにとって唯一の心配の種だった。

そんな中、スピーチの途中で単語を忘れたり、ジョギング中キャンパス内で道に迷うなど、今まででは考えられないミスを犯すようになる。彼女に下された診断は若年性アルツハイマー――日々、記憶が指の間から抜け落ち、家族との思い出も消えていく。それでもアリスがアリスのままであるために、自分はどう生きればいいのだろうか……

前半は自分の生きた証を残すために苦闘するアリスの姿が描かれ、そんな彼女の努力は、人生をかけて研究し続けた“言語”によって実りの時を迎える。それは、いわば、感動を提供するいわゆる難病映画――例えば「メリーゴーランド」「ラスト・コンサート」など70年代にイタリアで量産された作品群、名前を挙げるまでもない邦画の数々――としての最高潮として描かれる。しかしこの映画が一線を画すのは、この最高潮は物語の終わりでないところだ。

彼女の物語はまだ続く。携帯を無くしわめき散らす、長女が出産する、Skypeでリディアと話すもほぼコミュニケーションが取れない、自分が何処にいるか良く分からないままアイスクリームを食べる、そんなエピソードがアリスの記憶のように断片的に綴られていく。クリント・イーストウッドアメリカン・スナイパーにおいて、ラストにかけ蛇足としか思えない帰還後描写がダラダラ続くシークエンスがあったが、「アリスのままで」は中盤からそんな状態に陥ってしまうのだ。ダラダラダラダラダラダラダラと話が続き、アリスの惨めな姿をこれでもかと目の当たりにさせられる、これはいつになったら終わるんだと思う内、物語がだんだんと家族にとって面倒臭い存在になったアリスをどう“処理”するかという様相を呈し始めるのに、私たちは気付くことになる。……

アリスのままで」はアルツハイマーを患ったアリスの戦いと、あらかじめ運命づけられた敗北を底冷えするほどのリアリティで描き出していく。そしてこの映画は諦念の滲んだ1つのメッセージを観客に伝える。家族という繋がりは容易くうやむやになり、その末に絆が残ったとしても、それは呪いでしかない、と。[B-]