鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

アンドレア・シュタカ&“Das Fräulein”/ユーゴスラビアの血と共に生きる


 
スイスと旧ユーゴ圏の繋がりは1920年代にまで遡る。当時のユーゴスラビア王国から約1000人の移民がスイスに来たのを皮切りに、第二次世界対戦を挟んで40年代後半、50年代と旧ユーゴ圏からの移民はどんどん増えていった。そして冷戦下の1965年、スイスと旧ユーゴ圏の間に条約が結ばれ、市民の自由な移動が活発化する。しかし1980年ユーゴスラビアの指導者ヨシップ・ブロズ・チトーが亡くなるとスイスに出稼ぎ労働者が押し寄せ、更には内戦勃発後には暴力を逃れて多くの人々がスイスへと雪崩れ込むこととなる。それにつれ旧ユーゴ移民に対する悪いイメージが形成されてきてしまっている。*1今やスイス政府は旧ユーゴ圏からの移民を制限し始め、両者の仲は冷え込みを迎えているが、そんな世界で生きる旧ユーゴ移民たちの姿を描く映画監督がいる。それがアンドレア・シュタカ である。

アンドレア・シュタカ Andrea Štakaは1973年、ボスニア移民とクロアチア移民の両親の間に生まれる。スイス・ルツェルン出身。1993年チューリッヒ芸術大学(ZHdK)に入学、映画・映像学科を専攻。在学中から“Ruza” “Today is Sunday” “Kitchenfloor” など何本ものビデオクリップを製作。そして1998年、卒業製作として作ったHotel Belgrad”で映画監督デビューを果たした。スイス人の女、セルビア人の男、2人の束の間の愛の語らいを描いたこの短編は、スイス映画賞最高短編賞、ウィリアムスバーグ・ブルックリン映画祭監督賞と2つの賞を受賞した。大学卒業後はN.Y.に移住、助監督やプロダクション・デザイナーとしての仕事をこなしながら、1999年に実験映画“Daleko”を、2000年にはドキュメンタリー “Yugodivas” を監督、ベオグラートからニューヨークへとやってきた5人の女性――俳優、画家、そして3人の歌手――が抱く故郷への複雑な思い、シュタカ監督は“Yugodivas”を通じてそれを伝えようとする。

“「ユーゴスラビア――生よりも死にこそ近い国」それが私にとって生涯を通じてのテーマなんです”とシュタカは語る。“私が'Hotel Belgrad' 'Yugodivas'を作った時、ユーゴスラビアについての情報は銃を持った男たちや煽動者によるルポタージュを通じてしか知ることができませんでした。女性や子供たち、知識人、政治的信条によって国を追われた人々の声が掬い取られることはなかったんです。私の映画は殆ど顧みられることのなかった彼女らに光を当てる、そんな作品なんです。" *2そして長い空白期間の後、2006年、彼女は初の長編作品 “Das Fräulein” を監督することになる。

物語は中年女性ルジャ(アンダーグラウンド」「サラエボの花」ミリャナ・カラノヴィッチ)の朝の風景から始まる。眠い目をこすりながらベッドから這い出る、カーテンを開け太陽の光を浴びる、洗面所で髪を整える、朝食を食べる……そして彼女は右手に腕時計をつける。何十年これを繰り返してきたのだろう、手首にはクッキリと腕時計の跡がついてしまっている。しかし彼女は気にせず時計を身につけ、仕事へと出かける。

ルジャはセルビア移民だ。スイスという異国の地で独り生きるために働いてきた。何十年をかけたその努力が実り、食堂経営を成功させ安定を手に入れた。しかしルジャには分からなくなってしまっている。生きるために働いてきた、だけど何のために私は生きてる?……従業員とも最低限のコミュニケーションしかとることはなく、彼女は孤立してしまっている、ルジャ自身それで良いと思いながら、何も変わらない毎日を送り続けている。

次に現れるのはアナ(Marija Skaricic)、夜の街をさ迷い何かを探し続けている。タバコ持ってません?……なに、トルコ人? いや私はボスニア人……うん、内戦の頃、は……サラエボにいたけど、まあ……クソみたいな生活だったよ……アナは毎日名前も知らない人々の家を転々としながら、日々を無意味に過ごしていた。ある日、偶然入った食堂、そこで怪我をした従業員を手当てしたのをきっかけに、アナはルジャの元で働くことになる。アナは内に秘めた影を隠すような明るさでもって、皆に接する。それはルジャにも同じだ。自分でも忘れていた誕生日をアナと従業員たちに祝われ、ルジャは初めて喜びをその顔に垣間見せる。そして戸惑いながらも彼女は、20歳以上も年の離れたアナと確かな友情を育むようになる。

"内戦がどうだったかとか、聞かないんですか、皆が聞きたがるんですけど"
"あなたはどうなの、話したい?"
"いや、別に……"

"22の時、ユーゴスラビアからここに来て……"
"もう、誰もユーゴスラビアなんて呼びませんよ"
"…………あなたは故郷が恋しい?"
"……………………"

ルジャとアナ、故郷から遠く離れた地で抱くそれぞれの孤独。自分が出ていった頃とは完全に変わってしまっただろうセルビアへの郷愁、故郷から逃げていかざるを得なくなったからこそのボスニアという国への複雑な思い。2つの孤独は全く違うものかもしれない、しかしそれでもその手を繋げたなら癒せるものもあると、シュタカ監督の暖かい眼差しはそうして希望を語るのだ。

"Das Fräulein"はスイスのアカデミー賞とも言われるスイス映画賞で脚本賞サラエボ映画祭では作品賞と女優賞、そしてロカルノ国際映画祭で最高賞である金豹賞を獲得、この1作でシュタカ監督の名は世界に知れ渡った。翌年、彼女はスイスの映画作家トーマス・イムバッハと共に製作会社Okofilmを設立、それから7年もの間、プロデューサー業に専念するようになる。製作作品としては、日本でも公開されたドキュメンタリー「終りゆく一日」(2011)、メアリー1世の生涯を描いた伝記映画“Mary Queen of Scotts”(2013)、そしてサラエボの花」「サラエボ、希望の街角」ヤスミラ・ジュバニッチ監督が日本でも有名なボスニア人作家「愛と障害」アレクサンドル・ヘモンを脚本家に起用した「love Island」(2014)(このサイト的には「それぞれの場所を探して」のアリアーヌ・ラベドが主演なのも注目)などなど……

しかし2014年、シュタカ監督は8年振りに長編2作目"Cure: The Life of Another" を監督した。スイス人のリンダ(Sylvie Marinković)は、父の生地であるクロアチアドゥブロヴニクへ赴く。彼女はそこでエタ(Lucia Radulović)と出会い仲良くなるのだが、文化の衝突が2人の間に影を投げ掛ける……というシュタカ監督が正にテーマとする、スイスと旧ユーゴ圏という文化の狭間に生きる人々についての物語。評判も良いようなので、日本でも公開されることを祈って。(続報→"Cure: The Life of Another"のレビュー記事を執筆しました。ということで読んでね!)

参考資料
file:///C:/Users/PCUser/Downloads/1723832497_Staka_en.pdf
シュタカ監督についての論考やインタビュー記事、作品解説などが網羅された素晴らしいプレス。(PDF)