鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

I'll Follow You Down 「タイム・チェイサー」


この「タイム・チェイサー」という作品をSFとして人に薦めることが、私には出来ない。SFを期待してこの映画を観た人が苦虫を噛み潰したような表情を浮かべて鑑賞を終える、そんな光景が頭に浮かんでしまうからだ。邦題の響きに反して「タイム・チェイサー」はSFとしての要素は薄い、しかし一人の男の不在を巡る人間ドラマとして、この作品は滋味深い余韻へと私たちを導いてくれる。

著名な物理学者であるガブリエル(ルーファス・シーウェル)と芸術家のエリカ(ジリアン・アンダーソン)、そして9歳の息子エロル(ジョン・ポール・ラッタン)、絵に描いたような幸せな家族の光景がそこにはあった。しかしある日、出張に出掛けたガブリエルが忽然とその姿を消してしまう。突然の出来事に動揺しながらも、エリカは父サル(ヴィクター・ガーバー)と共にガブリエルの行方を追う。エロルはあの時のまま動かすことも叶わなくなったチェス台を見つめ、父が帰ってくるのを待ち続けた。しかし無情にも時は過ぎていく。12年もの時間が経ち、エリカはガブリエルのことが忘れられないまま不安定な毎日を送り続けている。その一方で21歳のエロル(ハーレイ・ジョエル・オスメント)は父の後を追うようにして、祖父であるサルの教えのもと物理学の道を歩み始め、その才能を開花させていく。そして幼なじみで恋人のグレイスと共に過ごすささやかな幸せを噛み締めてもいた。だが彼の頭にこびりつき、いつであっても離れることはない思いがある。“父がいてくれれば、僕たちはもっと……”


心に深く根づいていた存在が跡形もなく姿を消してしまう。そうして生まれる空白によっていかにして人々の心は崩れていくのか。「タイム・チェイサー」の前半はそんな変化の過程を過去と現在をまたにかけて、驚くほど切実に描き出していく。もう1つの人生を夢見ずにはいられないエロル、娘と孫の日常に息づいてしまった絶望を成す術もなく見つめるサル、しかしここで物語を牽引するのはエリカの崩壊だ。ガブリエルの失踪に最も影響を受けたのが彼女だ、自分を捨て何処かへと行ってしまった夫、それでもいつか戻ってくると願い続け、その願いがエリカをギリギリの地点で生かしている。ジリアン・アンダーソンが繊細にすくい取る深い憔悴、深い絶望……「警視ステラ・ギブソン」「欲望という名の列車」と近年再びの目覚ましい活躍を遂げている彼女だが、その演技力がここにおいても最善の形で実を結んでいるのだ。

そうしてアンダーソンがその手に持っていたバトンはハーレイ・ジョエル・オスメントの手に渡る。エロルはある日、サルから衝撃の事実を聞かされる。父ガブリエルはタイムトラベルについて研究しており、彼の失踪はつまりタイムトラベルの成功を意味するものだったというのだ。“彼を過去から連れ戻すことが出来れば、全てを正せるかもしれない”その思いが12年後の今は失われたタイムトラベルの復元へとエロルを突き動かしていく。

ワームホール理論”に裏打ちされた言葉の数々を、もしかしたなら私たちは頭で理解することは難しいかもしれない。しかしオスメントの声、身ぶり手振り、そして彼の浮かべる表情の切なさが理論の奥にあるたった1つの願い――僕が生きるはずだったあの幸せを掴みたい――を私たちの心に伝えてくれる。その演技に触れたなら、もう彼には“「シックスセンス」の天才子役”という古い肩書きが打ち捨てられるべきだと分かるはずだ。

だが物語は更なる問いを観客に投げかける。“ささやかであるとしてもかけがえない幸せを、もう1つの幸せのために捨てることができるか?”と。

不条理な喪失と何が正しいかすら分からない選択、「タイム・チェイサー」はその繰り返しを運命づけられた青年の物語だ。愛が、憎しみが、苦悩が、願いが交わりあい彼がどこに行き着くとしても、私たちに出来るただ見守ることだけだ。[A-]