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映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

ロニ・エルカベッツ&"Gett, le procès de Viviane Amsalem"/イスラエルで結婚するとは、離婚するとは

イスラエルは中東でも唯一民主主義を成し遂げた国であると言われている。しかしそんな国でも女性差別は根深い。2012年のガーディアン記事によれば、女性は“控えめな”格好であらねばならないとして、ある地区の20の店舗で女性は常に長袖を着ていることという契約が結ばれた。公共のバスでも女性は奥に座るべきという考えがあり、そうしない者は“売春婦”と罵られる、そんな分離主義が横行していた(後にバスでの男女分離は違法であると最高裁は判決を下したが、改善が殆ど見られないという)。この女性差別の原因の一つにユダヤ教の存在がある。中でも正統派・超正統派ユダヤ教は戒律を厳格に守ることを要求するため、時代錯誤な女性差別が温存されてしまうことになってしまっているのだ。そんな不条理な状況を“この国で女性が結婚するとは、そして離婚するとは”という視点からの批判を試みる映画監督がいる。

ロニ・エルカベッツ Ronit Elkabetz は1964年11月27日、イスラエルのベエルシェバに生まれ、Kiryat Yamで幼少期を過ごす。4人きょうだいの長女("Gett"などで共同監督をしているShlomiは弟)両親は元々モロッコエッサウィラ出身で、このモロッコ系というアイデンティティは彼女の映画に根深い影響を与えている。父は郵便局員、母は美容師。そんな母の影響で母国語のヘブライ語以外にもフランス語、アラビア語、更に英語の4ヵ国を話すことが出来る。

最初はモデルとして活動を開始し、1990年"Hameyu'ad"で俳優としてデビュー。1994年にはShmuel Hasfari監督作"Sh'Chur"に出演、イスラエルアカデミー賞とも言われるOphir Awardで助演女優賞を獲得、一躍イスラエルの若手実力派俳優として名を馳せることとなる。

1997年にはフランス・パリの実験演劇団Theatre du Soleilに所属、しばらくは舞台俳優として活動を続けた。2001年には映画俳優としての活動を再開、フランスではコメディ"Origine Contrôlée"に、そしてイスラエルでは"Hatuna Meuheret"に出演、後者はOphir Award13部門ノミネート10部門受賞、エルカベッツ自身も主演女優賞を獲得した。そして2003年、彼女はアモス・ギタイ監督作"Alila"に出演、この作品はヴェネチア国際映画祭に出品され話題を博した。その後もイスラエルとフランスを股にかけ俳優として活躍、2007年には日本でも公開された迷子の警察音楽隊に食堂の主人ディナ役で出演(と書けば、ああ! あの人!と思う方も多いのではないだろうか)、"Zion Ve Ahav"(2008)、アンドレ・テシネ監督作"La fille du RER"(2009)、"Edut"(2011)などなど。そのどれもが悉く日本未公開なのが悲しい所だ。

さて、ここからは監督ロニ・エルカベッツのフィルモグラフィを見ていこう。"Alila"出演の翌年2004年、彼女は弟のShlomiと共に"Ve'lakhta Lehe Isha"で監督デビューを果たす。1979年、イスラエル・ハイファ、Viviane(エルカベッツ)はユダヤ教の厳しい戒律に縛られる息苦しい状況で、美容師として働きながら4人の子供を育てる日々。郵便局員の夫Eliahou(007/カジノ・ロワイヤルシモン・アブカリアン)との関係は完全に冷えきってしまっている。彼女は夫と離婚し新しい人生を歩もうと決意するが、そんな彼女に対し、家族はモロッコ人としての血・戒律を持ち出し、ヴィヴィアンを非難する。そんなある日、彼女のかつての恋人Arbert(Gilbert Melki)がハイファに帰ってきたことで、事態は大きく展開していくこととなる。エルカベッツが彼女の母をモデルとした人物を演じる、そんな半自伝的作品"Ve'lakhta Lehe Isha"ヴェネチア国際映画祭に出品され、批評家週間の観客賞、新人監督に送られるIsvema Awardを獲得した。

2008年には2作目"Shiva"を監督。兄弟の一人が亡くなり、ユダヤ教の慣習Shiva(こちら参照orアメリカン・コメディ「あなたを見送る7日間」を観よう)により、家族が一堂に会し、7日間の喪を過ごすことになる。しかし互いの感情が激突しあい、混迷を極めていく……前作から続投のエルカベッツ本人(Vivianeと全く同じ役名)、シモン・アブカリアン(役名もEliyahuとほぼ同じ)に加え、"Alila"でエルカベッツと共演した約束の旅路ヤエル・アベカシス、「ミュンヘン」に出演するなど国際的にも活躍するMoshe Ivgy「フットノート」アルバート・イズル「フリー・ゾーン〜明日が見える場所〜」のハンナ・ラースロー「11'0901/セプテンバー11カレン・モルなど、イスラエル映画界の名優が集まったアンサンブル映画でもある"Shiva"で、エルカベッツはエルサレム映画祭のWolgin Awardを受賞した。そして2014年、エルカベッツは3作目"Gett, le procès de Viviane Amsalem"を製作する。今作は"Ve'lakhta Lehe Isha" "Shiva"に続く、Viviane三部作の最終作とも言える作品になっている。

まず内容を語る前に、イスラエルの離婚制度についてを。イスラエルにおいて女性が離婚するためには、数多くの手続きを踏まなければなならない。まず裁判を行う、というのはどこの国でも馴染みある物かもしれないが、それにあたって裁判官の職務を担うのは3人のユダヤ教のラビである。彼らの前で離婚の理由を説明し、離婚してもよいと認めさせなければならないのだ。つまり裁判というよりも説得と言った方が正確かもしれない。弁護士を雇い、法廷に立ち、証人を呼び、なぜ自分は離婚したいのか、それにどれほどの正当性があるのか……戒律を重んじる彼らを説き伏せるのは至難の業だ。ただでさえ男性中心主義の戒律を纏いながら、彼らは個人的感情すら裁判に介入させてくるのだから。

しかしラビに離婚を認めてもらったとしても、もう一人、夫が自身の“罪”を認め許可しなければ離婚することは出来ない。最終的な決定権は全て夫にある。いくら時間をかけても、いくら正当な理由があっても、夫が首を縦に振らなければ絶対に離婚はできない。そうして多大な犠牲を払いながら離婚を認めさせた暁には、ゲットーと呼ばれる離婚許可証を夫から妻へと渡す、という儀礼的行為の末やっと離婚が成立するという訳である。

そんな余りに官僚主義、というか戒律主義な離婚調停の実態を鋭く描き出す意欲作がこの“Gett”だ。主人公のヴィヴィアン(エルカベッツ)は夫Elisha(3度目のシモン・アブカリアン)に離婚を申し立てる。しかし夫は何かと理由をつけ裁判に出廷しようとしない。驚くのは、夫が不在ゆえに裁判は延期とし解散、そして2ヶ月後またも夫が不在ゆえに裁判は延期とし解散、4ヶ月後ふたたび夫が不在ゆえに裁判は延期とし解散、5ヶ月後……と時間が余りに早く過ぎ去ってしまうことだ。前半は法廷にいながら裁判は行われない、そんな悪夢のような状況が延々と続く。

だが裁判が始まっても悪夢は終わらない。Vivianeが証人を呼べば、夫の兄でもある弁護士シモン(Sasson Gabai)がその証言の綻びを指摘していく。さらに夫側の証人が、彼がいかに妻を愛していたか、この離婚がいかに正当性がないかを語り、ヴィヴィアンは窮地に追い込まれていく。その間にも時間は過ぎ去っていく……

この映画を観たとき、私は冗談ではなく「これは離婚調停版マッドマックスだ……(怒りのデス・ロード観た直後だった)」とそう思った。マッドマックスは全編アクションアクションアクションだったが、"Gett"は全編離婚調停離婚調停離婚調停なのだ。舞台は115分中110分はほぼ法廷、残り5分も裁判所内であって一歩もその外から出てくることはない。それ故に、裁判劇のあのスリルがずっと続く、言葉と言葉のぶつかり合い、全身の筋肉が緊張し力の抜ける時が一瞬たりとも存在しないのだ。

“この三部作は私たちの両親の姿に着想を得たものなんです。子供時代、私は自分の時間を、観察するという行為に費やしていました。”とエルカベッツは語る。“(この"Gett"を製作するため)私たちは多くの時間を裁判所の廊下で過ごしました。(中略)そして法について研究し、脚本を書いていき、あの2人が抱える問題をイスラエルの法制度の中に組みこんでいく。何人もの弁護士や判事にその脚本を見てもらい、意見を求めましたが、直すべきところは多くありませんでした。物語がシンプルなものだったからでしょう。養育権がどうとか、抵当権がどうとか、そういう物語にはしませんでした、Vivianeはただ自由になりたい、それだけなんです。”*1

そんな一人の女性が自由を掴むための戦いを描いた"Gett"はOphir Awardで作品賞を獲得、ハンブルグ映画祭、ハンプトン国際映画祭、エルサレム映画祭、オスロ国際映画祭、サン・セバスティアン国際映画祭、パーム・スプリングス国際映画祭など数多くの映画祭で賞を獲得、ゴールデン・グローブ賞でも外国映画賞にノミネートされることとなった。Viviane三部作を完結させたロニ・エルカベッツ監督、今後はどういう作品を作ってくれるのか、とても楽しみな監督だ。

[追記]2016年4月19日ガンとの闘いの末、ロニ・エルカベッツは51歳でこの世を去ってしまった。余りにも早すぎる死だ、信じることが出来ない。俳優としても監督としても正にこれからだというのに、運命はこんなにも残酷に彼女の命を奪ってしまった、もうエルカベッツの新しい作品を観ることは出来ない。しかしそれでも彼女が作り上げたViviane三部作は映画史に残り続ける筈だ、少なくとも私は"Gett"の衝撃を忘れることはないだろう。


3部作全てに登場シモン・アブカリアン、こいつが嫌な夫なんだよ、本当に……

参考資料
http://www.newrepublic.com/article/120972/ronit-and-shlomi-elkabetz-interview-gett-trial-viviane-amsalem(監督インタビューその1)
http://thefilmexperience.net/blog/2015/2/16/interview-ronit-and-shlomi-elkabetz-on-gett-the-trial-of-viv.html(監督インタビューその2)