鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

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"You Are Not Thing"「残酷で異常」

1、2、3、4、5、6、7、8、9、10……
数をかぞえる男の声がどこからか聞こえてくる。その響きには焦りが滲んでいる。そして現れるのは必死に心臓マッサージを施す男の姿だ。死なないでくれ、死なないでくれ、床に倒れた女に対し彼は何度もその言葉を繰り返すが、もう全てが遅すぎる。しかし次の瞬間には、男は車の運転席に座っている。「どうしたの?」そう尋ねる助手席の女に、男は答える。「夢を見たんだ、君が死ぬ恐ろしい夢を……」

カナダの新鋭Merlin Dervisevicの長編デビュー作「残酷で異常」はいわゆる“ループもの”と呼ばれるジャンルに属する映画と言えるだろう。同じ出来事を幾度となく繰り返し、定められた運命を変えようとする人間の物語、この設定自体に目新しい物は何もない。しかし「残酷で異常」はそんな陳腐さに真正面から挑むことで、このジャンルに新たな意義を宿していく。

主人公エドガー(「ああ、結婚生活」デヴィッド・リッチモンド=ペック)と妻メイロン(Bernadette Saquibal)の関係は、既に冷えきってしまっている。職場でのパーティの帰りには車の中で口論になり、電話で彼女の連れ子ゴーガン(Monsour Cataquiz)が問題を起こしたと知れば、口論は激しさを増していく。エドガーの心には怒りが募り、いつ爆発してもおかしくないレベルにまで来ていた。だがある時エドガーは、自分の家ではないどこか別の建物の中にいることに気付いてしまう。突然の出来事に驚きながらもエドガーは出口を探してさまよう。その果てに辿り着いたのは大きな部屋、何人もの見知らぬ人々が椅子に座り、テレビの液晶に映る女(「マン・オブ・スティール」メアリー・ブラック)を見つめていた。アルコール中毒者が集まる自助会、そんな雰囲気が漂っているように彼は感じる「ようこそ、エドガー」彼女は言う。「ここは何処なんだ?アンタたちは一体ここで何してる?」女の導きに従い、エドガーはとあるドアを開け、そして知ることになる。エドガーはメイロンをその手で殺害し、そして自分自身も死ぬことになると。

事態がよく呑み込めないままに、エドガーは何度も2つの死を追体験させられることとなる。そして奇妙な建物に戻るたび、自分は両親を殺しました、自分は子供を殺しましたと人々の告白を聞かされ、自身も自分は妻を殺しましたという告白を強要される。 この謎めいた状況、観客はエドガーの戸惑いに自分の心を重ねるだろう。だがその一方でエドガーという男の人間性に煮え切らない物を感じもするだろう。「妻は誰にも愛想がよすぎる、それで男たちが勘違いしたらどうする……」彼は猜疑心の深い人間だ、それゆえにメイロンが何か行動することを許さない、車を運転すること、銀行口座を持つこと……そして自分たちの関係に邪魔なゴーガンに対しては露骨に敵意を見せる。エドガーはつまり、妻や義理の息子を所有物として扱っているのだ。愛していると口にしながら、自分に歯向かうことは許さない、監督は主人公であるエドガーをそんな人間として描き出す。

そうして観客は不信感を抱きながら、自らの運命を変えるためのエドガーの苦闘を眺めることになる。しかしこの映画の秀でた所は、同じ時間を何度も繰り返すリープという設定の扱い方にある。多くの“リープもの”はまずその設定ありきで物語を組み立てようとして、技術に溺れた駄作になってしまう。だが「残酷で異常」はまず監督の心に描きたい物語のヴィジョンが明確に存在した上で、それを語るために“リープもの”という設定が選択されているのがスマートだ。その描きたい物とは主人公の贖罪である。マッドマックス 怒りのデス・ロードは、社会によって虐げられた女たちと社会から消耗品として扱われてきた男たちが“We Are Not Thing”を叫ぶ物語であったが、この「残酷で異常」は人々を抑圧する側にいた人間が“You Are Not Thing”を理解するまでの物語なのである。それを描くためにループ設定を巧みに使い、且つこのループにも一辺倒ではなく様々に工夫を凝らすことで、監督は観客を未知の方向へと引っ張っていく。

物語が設定の犠牲になることなく、設定が物語に奉仕する理想の形が「残酷で異常」にはある。“ループもの”に新たな傑作が誕生した瞬間を、そして群雄割拠のカナダ映画界に新たなる才能が現れたことを今は万雷の拍手でもって迎えたい。[A-]

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復讐」といい、この頃、配信スルー俳優になりつつあるマイケル・エクランド