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映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Marco Martins& "Alice"/彼女に取り残された世界で

ミゲル・ゴメスやジョアン・ペドロ・ロドリゲスなど、日本でも着々とポルトガル映画の受容が進み始めている。しかし見過ごされていく存在は必ずそこにいる。Tiago Guedes, João Nicolau, 「熱波」や「家族の灯り」の製作者としてではなく監督としてのサンドロ・アギラール……*1ということで今回は、ポルトガルの俊英Marco Martinsについて紹介していきたいと思う。

Marco Martins監督は1972年ポルトガルリスボンに生まれた。映画を学ぶためEscola Superior de Teatro e Cinemaに入学、在学中の1992年短編"Mergulho no Ano Novo"で映画監督デビュー、ヴィーラ・ド・コンデ国際短編映画祭のNational Competitionで最高賞を獲得と華々しいデビューを飾る。卒業後はヴィム・ヴェンダースマノエル・デ・オリヴェイラ、ベルトラン・タヴェルニエなど錚々たる監督たちの作品でスタッフとして関わりながら、1995年にはジョアン・カニージョ監督がクリエイターだったドラマ仕立てのクイズ番組"Cleudo"で助監督を務め、カニージョ監督に師事することとなる(その時共に助監督をやっていた人物に、長年TV番組で助監督を務めながら、2014年"Turn"で長編監督デビューを果たしたJosé Luís Lopesがいる)。同年、第二短編"Não Basta Ser Cruel"を監督、数々の映画祭で高い評価を受ける。そして"Clockwise"(1996)、"No Caminho para a Escola"(1998)などコンスタントに短編を監督しながら90年代後半からは広告業にも進出、更に2002年には自身のプロダクションMinistério dos Filmesを設立、ここで製作した作品で多くの賞を獲得した。Martins監督が手掛けたCMにはこんなのもあったりする。(プロダクション公式サイトからMartianz監督の作品の全てが見れます)

ポルトガルの最大手ビールブランド・サグレスのCMだが、ピアース・ブロスナン出演でモロにボンドである。というか「カジノロワイヤル」が2006年、このCMの放送も2006年、引退したのにブロスナンはポルトガルでボンドをやっていたのである。

と、年は前後するが2005年、Martins監督は初長編作"Alice"を製作する。

その男はあの日から変わらぬ毎日を過ごしている。朝起きる、シャツを着る、歯を磨く、分厚いコートを着る、外へ出掛ける、チラシを配る、決まった場所に置かれたビデオカメラからテープを取り出し新しいテープを入れる、チラシを配る、決まった場所に置かれたビデオカメラからテープを取りだし新しいテープを入れる、チラシを配る、決まった場所に置かれたビデオカメラからテープを取りだし新しいテープを入れる……その男はあの日から変わらない毎日を送っている、あの日から変わらない毎日を自分に強いている。そうしなければ彼女はもう一生戻ってこないのではと、そんな絶望感が男の頭から離れることがない。

もう既に10年前の物となってしまった長編デビュー作品"Alice"はどこまでも乾ききり、どこまでも虚無に支配された世界を映し出す。その虚ろさは私たちの心すら静かに押し潰すような痛みに満ちている。

マリオ(Nuno Lopes)とルイザ(Beatriz Batarda)の幸せは一瞬にして崩れ去った。最愛の娘であるアリスが2人の前から姿を消したのだ。失踪当時は少し騒がれたがそれも一時的なものでしかなかった。それから数週間が経ち、誰の中からもアリスの記憶が薄れていく中で、マリオだけは彼女を探し続ける。車のワイパーにチラシを挟んでいく、人混みにまぎれ無関心な人々にチラシを手渡していく。しかしそれだけでは駄目だ、マリオは街のあちこちにビデオカメラを設置し、アリスの姿が映るその時を待ちながら、液晶にうつる幾つもの映像の数々をを眺める。そうして毎日毎日マリオはただただ同じ日々を繰り返す、それがマリオにとっては、アリスのいないこの世界で正気を保つ唯一の方法となっていた。

最愛の娘/息子を探す父や母の姿を描いた作品は珍しいものではない。最近でも「チェンジリング」「プリズナーズ」やアトム・エゴヤン監督作「白い沈黙」などがありながら、しかしこの作品にはそういった映画につきもののサスペンスやスリルは微塵も存在しない。そういった映画的な興奮をMartins監督は徹底的に排除することで、この"Alice"は新たな地平に至る。

何かが時を刻む奇妙な音と共にマリオが虚ろな表情を浮かべ歩くシーン、カメラは彼の姿を横から映し出していくが、その時彼の奥にあるのは大きな壁だ、そこには時計を持ったウサギが描かれている。ではマリオの娘の名前は――そういう意味で、この名を冠した作品の多くがそうであるように"Alice"にも「不思議の国のアリス」という童話の血が流れている。しかし一目見れば分かる、めくるめく極彩色も、脳の蕩けそうな奇想もここには存在しない。

撮影監督Carlos Lopesが切り取るリスボンの街は恐ろしいほどに色褪せている。この世界を支配するのは灰とも薄紫とも言えない微かな一色だ。マリオはそんな単色の世界をひたすらにさまよい続ける。胸を締め付けるような圧倒的な都市の孤独。マリオはビデオカメラが撮し取った単色の世界を眺め続ける。孤独な男の中に膨れ上がる妄執。アリスが本当にあの不思議な世界へと迷いこんだとしたら、彼女を愛する者たち、彼女に取り残された者たちの世界はどうなってしまうのだろう?

"Alice"はあの童話の裏側に広がっていたのかもしれない荒涼たる現実を、容赦ない淡々さでもって描き出していく。しかしそんな現実にもう1つだけ色彩が現れたとしたら、それは希望なのか、絶望なのかとMartins監督は問いかける。その答えが何にしろ、私たちは打ちひしがれるしかないのだが。

"Alice"は2005年度カンヌ国際映画祭の監督週間で最高賞を獲得、ベルリン国際映画祭では欧州の若手俳優に与えられるシューティング・スター賞を主人公のNuno Lopesが獲得、数々の映画祭で賞を授かることとなった。

その後は2006年に短編"Um Ano Mais Longo"を、そして2009年には第二長編"How to Draw a Perfect Circle"を監督することになる。Guilherme(Rafael Morais)とSofia(「皇帝と侯爵」ジョアナ・デ・ヴェローナ)、愛し合う兄妹をめぐる愛憎劇と"Alice"からかなり物語に傾いているような印象だ。続けて2010年には短編"Insert"、更に同年には荒木経惟森山大道中平卓馬ヒロミックス、吉行耕平、梶井松陰という日本人写真家に密着したMartins初のドキュメンタリー作品"Traces of a Diary"を発表、新境地を見せる。監督はこれを撮影するため実際に日本に住んでもいたらしいのだ。(内容については、海から始まる!?さんというサイトに詳しいページがある)

Martins監督目下最新作は2013年の"Twenty-One-Twelve: the day the world didn't end"、2012年12月20日、翌日21日はマヤ暦においては地球が消え去る日だ、そんな20日リスボン、ムンバイ、東京、ビエッラと世界中の都市に生きる人々の日常を淡々と描き出すドキュメンタリーらしい。灰色の眼差しは"Alice"とかなり呼応する所があるのだが、劇映画撮ってくれませんかね、という思いもあったりしながら、2015年以降どんな活躍を見せてくれるのか楽しみである。

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その4 ロニ・エルカベッツ&"Gett, le procès de Viviane Amsalem"/イスラエルで結婚するとは、離婚するとは
その5 Cecile Emeke & "Ackee & Saltfish"/イギリスに住んでいるのは白人男性だけ?
その6 Lisa Langseth & "Till det som är vackert"/スウェーデン、性・権力・階級
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*1:とはいえ此処に宣言したいのは、テレサ・ヴィラヴェルデについては紹介する気がないということだ。「トランス」を観たのだが、今時、売春産業で苦しむ女性の姿をあんなにもリリカルに描くというのは時代錯誤としか思えなかった。