鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

ジェイク・マハフィー&"Free in Deed"/信仰こそが彼を殺すとするならば

2週間ほど前のレイバーデイ、アメリカで興業収入1位となったのは"War Room"という作品だった。トニーとエリザベスは幸せな家庭を築いているように見えた。しかし水面下で溝はどんどん深まっていく。そんな状況に苦悩していたエリザベスはクララという女性と出会う。彼女は"War Room"、苦難と戦い、キリストに祈る者のために作られた小さな部屋へとエリザベスを導く――ああクラクラしてきた!コピーは“祈りは力強い武器である”だってさ、はあ。

以前ディートリッヒ・ブルッゲマンの「十字架の道行き」を紹介する時、何か日本にキリスト教啓蒙映画増えてきてない?と書いたが、映画大国アメリカではそういう映画のことを"faith-based film"と呼ばれていて、もちろん昔から作られていた訳だが、ここ最近になって興業収入ランキングに食い込むようになり、金になるならもっと作るか!と劣悪サイクルが出来上がってしまっているみたいだ。で、この"War Room"の後にはヘイデン・クリステンセン&ケイト・ボスワース出演"90 Minutes to Heaven"に、ケイト・マーラ(!)とデヴィッド・オイェロウォ(!!!)と演技力浪費しちゃ駄目だよ……コンビ出演"Captive"と、信仰が人々を救っちゃう系映画は続く。そんな状況に反吐が出てくる私としてはこんなことを考えてしまう“その信仰は人を殺しもしてるのでは?”と。さて、ヴェネチア国際映画祭特別編その13、半月かけてこのシリーズを書いてきたがとうとう最終回である。最終回は実際の事件を元にし“信仰が人を殺す”というテーマを描いた作品"Free in Deed"とその監督ジェイク・マハフィーを紹介していこう。

ジェイク・マハフィー Jake Mahaffyアメリカとニュージーランドを拠点とする映画作家だ。小さな頃から“他の世界を作り出し、それを自分でコントロールしたい”と思っていた彼は映画作りに目覚め、ロードアイランド・デザイン学校、シカゴ美術館附属美術大学でファイン・アートと映画製作について学んだ後、モスクワへと留学し全ロシア映画学校では監督業について学ぶ。映画製作の傍ら、ボストンにインディー映画監督やアーティストたちが集まる団体'Handcranked Film Projects'を設立、2つの大学で准教授として映画製作プログラムを立ち上げ、ニュージーランドオークランド大学でも教鞭をとるなど精力的に活動している。

監督デビューは1996年の"Egypt Hollow"だが、短編で白黒作品ということしか情報がない。本格的なデビュー作は8年後の2004年に製作された長編ドキュメンタリー"War"だろう、4年の期間をかけて、ペンシルヴァニアに生きる3人の農夫を描いたこの作品はサンダンス映画祭でプレミア上映、アナーバー映画祭では作品賞を獲得することになった。そして2008年には第2長編である劇映画"Wellness"を手掛ける。

セールスマンであるトーマス・リンゼイ(Jeff Clark)はアメリカンドリームを掴むため日々仕事に精を出していた……というのを延々と描き続ける作品らしく、動画を観れば分かるが手ぶれが余りに激しく、賛否両論スッパリと別れる作品というのは一目瞭然だろう。 しかしこの作品はSXSW映画祭でドラマ部門で作品賞を獲得、ジェイク・マハフィーの名は一躍有名になる。2012年には短編"Miracle Boy"を監督、激しい手ぶれは影を潜め、次作に繋がる映像詩的アプローチが顕著となる。そして2015年マハフィーは第3長編"Free in Deed"を監督する。

憂いを湛えた瞳の男、マイクの前で静かに語り始める、私は闇の中にいた、しかし今はもう違う、キリストが私を助けてくださった、私はキリストの中で生まれ変わった、ハレルヤ、そして響き渡るハレルヤの合唱、私はもう以前の私とは違う、生まれ変わった、私は人々を愛し、そして創造主を愛する、キリストを愛する、彼の言葉は強さを増し教会の一室は熱狂に包まれていく、女の歌声、ドラムの響き、ある参列者の女が涙を流しながら男の元へと、掲げられる右手、女の頭に静かに置かれる、女は床に倒れる、男の背後にいる司教が叫ぶ、彼女は救われた!彼女は癒されたのだ!ハレルヤ!ハレルヤ!彼女は救われた!キリストよ、感謝します!ハレルヤ!ハレルヤ!………

"Free in Deed"の冒頭は謎めいたイメージの緩やかな連なりと共に展開していく。教会での神への熱狂、3階からひたすらに家具を投げ捨てる男の姿、けたたましい叫び声をあげる少年と当惑するしかない女性、寒々しい冬空の下には小さなアパート、恐ろしく肥った男が見るのは三輪車を漕ぐ幼い子供の姿、そんな凍てつきながらも美しいイメージの数々、ストーリーは杳として知れないが、紡がれる映像詩は私たちを魅了する。そして物語も徐々に浮き上がっていく。

メルヴァ(インシディアス 第二章」エドウィナ・フィンドレイ)は夫に逃げられ、職もなくし、そんな状況で2人の子供を育てなくてはならない苦境に置かれていた。1番の心配は長男のベニー()だ、彼は正体不明の病に犯され、時間場所を問わず発作のようにけたたましい叫び声をあげ自傷行為に走り、時には妹のエッタ()にもその暴力を向ける。そんなベニーにメルヴァの根気も限界に達しようとしていた。この日も待合室で発作が始まるが、抑えようとしても止められない、途方に暮れる彼女の前にイザベル(「ハッスル&フロウ」ヘレン・ボウマン)という女性が現れ、メルヴァたちのために祈りを捧げてくれる。すると発作は収まり、ベニーは平静を取り戻す。驚くメルヴァにイザベルは言う、私たちが通う協会へ祈りに来ないかと。

そしてもう1人の主人公がエイブ(「バニシング・ヒート」デヴィッド・ヘアウッド)だ。ペンテコステ派の教会で神父として働く彼は日々キリストに祈りを捧げ、その右手を憐れな参列者に掲げる。恍惚に喜びの涙を隠さない参列者たちを見ながら、しかし彼は空しさに包まれる。教会の外では彼は落伍者だ、学校で掃除夫をして何とか糊口をしのぐも、黒人であるというだけで警察官たちは彼に軽蔑を隠さない。自分の中で信仰が揺らぎ始めている、それを否定できないエイブが教会で出会ったのが、救いを求めるメルヴァとベニーだった。

神よ、この憐れなる少年から悪魔を追い払いたまえ。エイブはベニーに対し悪魔祓いの儀式を始める。それはエイブを救うための行為であり、エイブが自分の中に確固たる信仰を取り戻すための行為でもある。その状況は苛烈だ、悲痛な叫び声をあげ暴れまわるエイブを、大人3人がかりで押さえつけ、祈りの声を叩きつける、叩きつける、執拗に叩きつけていく。そんな光景へのマハフィー監督の眼差しは、底冷えするほどの冷徹さを伴っている。神という曖昧な存在に対する疑義、曖昧さに寄ってたつ信仰という物への不信感、様々な思惟の入り交じる彼の洞察が"Free in Deed"をより深いものにしていく。

高らかな祈りの歌声、家具が砕け散る音、耳をつんざくベニーの絶叫、この映画で印象的なのはやはり音だ。劇中幾度となく、まるで水に全身を沈めたように音がくぐもる場面がある。鼓膜に届く前に、水が響きを歪めてしまったかのような感触、それがいきなり開けて日常に犇めく音が不気味な鮮やかさを以て私たちに迫る。その不快さはおそらくベニーが抱く物と同じだ、騒音に過敏なのだろうベニーはずっと手を耳に当てて、音を遮ろうとしている、音は彼にとって敵だ、いつも襲撃にビクビクしながら、いとも容易く捕らえられ、彼は絶望の叫び声をあげる。そんなベニーが祈りの絶叫が熱狂に渦巻く場所へと連れていかれたのなら。

だが驚いたことに発作の回数は少なくなり、ベニーの顔に、そしてメルヴァの顔にも笑顔が戻ってくる。彼女は癒しに感謝を捧げ、信仰の心をその身に宿していく。しかし監督の冷徹な眼差しをそのままに時の移り変わりを色褪せながらも叙情的なトーンで紡ぐ。あおう、幸せな時は本当に一瞬だった、ベニーの発作はぶり返しはじめ、自傷行為は酷さを増す、彼の頭に浮かぶ巨大な青アザは痛々しいという言葉では表現しきれない。メルヴァはエイブを頼る、エイブは苛烈な“悪魔祓い”を続ける、ベニーの病は治らず発作は酷くなる、その繰り返しの中でゴスペルの歌声は空虚な音の連続と化し、メルヴァはエイブにすがり付くしか出来なくなるが、信仰にのめり込むしか生きる術がないメルヴァと、もはや信仰の瓦解を目の前に見ているエイブの間には決定的な溝が出来てしまっている。そして、その瞬間は訪れてしまう。

“信仰が人を殺すということ”現在のアメリカ映画界の潮流に反して、"Free in Deed"はそんな荒涼たる現実を力強く描き出す。オリゾンティ部門で作品賞を獲得するにふさわしくも、恐ろしい一作だ。[A-]


参考文献
http://www.arts.auckland.ac.nz/people/jmah280(プロフィール)
http://www.selfreliantfilm.com/2006/04/jake-mahaffy-srf-interview/(2006年"War"でのインタビュー)
http://www.indiewire.com/article/sxsw_08_interview_wellness_director_jake_mahaffy(2008年"Wellness"でのインタビュー)
http://filmmakermagazine.com/87543-five-lessons-from-a-ten-year-film-school/(マハフィが映画学校での10年について語る記事)

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ヴェネチア国際映画祭特別編
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その2 クバ・チュカイ&"Baby Bump"/思春期はポップでキュートな地獄絵図♪♪♪
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その10 ハダル・モラグ&"Why hast thou forsaken me?"/性と暴力、灰色の火花
その11 アニタ・ロチャ・ダ・シルヴェイラ&"Mate-me por favor"/思春期は紫色か血の色か
その12 ヴェトリ・マーラン&"Visaaranai"/タミル、踏み躙られる者たちの叫びを聞け