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映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

カミーラ・アンディニ&「ディアナを見つめて」/インドネシア、夫にPowerPointで浮気を告白されました

さて、現代インドネシア映画界の話である。日本、というか世界で一番有名なのはザ・レイドだろう、監督はウェールズ人のギャレス・エヴァンスだがインドネシアの武術シラットを全面に押し出したことで新世紀のアクション映画!と世界中で話題になっていたのは記憶に新しい、私としては1作目はそもそも映画として成り立っていない駄作で、それに比べ2作目は確かにランタイムは長いが監督の凄まじい進歩を感じた作品だという感じ。新世代の監督としては「太陽を失って」ラッキー・クスワンデ「愛を語るときに、語らないこと」モーリー・スルヤ「空を飛びたい盲目のブタ」エドウィン(シュールすぎて私はあんまり……)、「カリファーの決断」ヌルマン・ハキムなどなどなどなど。今回はそんな新人の中でも筆頭にいる、東京国際映画祭でデビュー作「鏡は嘘をつかない」が公開されたカミーラ・アンディニ監督と、彼女の新作"Sendiri Diana Sendiri"を紹介していこう。

カミーラ・アンディニ kamila andini は1986年5月6日、ジャカルタに生まれた。父はインドネシア映画界の重鎮ガリン・ヌグロホ。そんな父の存在は彼女にとって重荷だったらしく、高校では写真について学んでいた。その時もやはり同級生に父のことを聞かれていたらしく苦痛だったそうだが、いつしか彼女は映画界にも携わるようになる。メルボルンのディーキン大学では社会学の学位を取得後は、インドネシアに戻り映像作家として活動を開始、MVやTV映画、そしてドキュメンタリーなど様々な作品を手掛け、中でもワカトビ県の海に生きる海亀たちの姿を描いたドキュメンタリー"Lagu untuk Tukik"は2012年のゲーテ・インスティチュート科学映画祭で上映され、好評を博す。

劇映画デビューは2011年の「鏡は嘘をつかない」インドネシアの海洋民族であるバジョ族の姿をファンタジックに描いたこの作品は、構想・撮影に2年かけた作品であり、ムンバイ映画祭では新人監督賞、東京国際映画祭ではTOYOTA Earth グランプリ、本国インドネシアのバンドン映画祭では作品・監督・撮影・美術・ポスター(そんなのあるのかという!)の5冠とアジアを中心に高い評価を受けた。そしてアンディニ監督は2015年、実に4年ぶりに新作中篇"Sendiri Diana Sendari"を監督する。

ディアナ(Raihaanun)にとって、この日もいつもと変わらない1日のはずだった。息子のリフキ(Panji Rafenda Rutra)をお風呂に入れて、機関車トーマスで遊ぶ彼を眺めながら仕事に取りかかり、彼が眠りについたらやっと一人の時間、とは言えそれは夫のアリ(Tanta Ginting)が帰ってくるまでだし、やっぱりいつもの通り彼はすぐに帰ってきた。すぐパソコンを広げるアリに「先にご飯食べないの」と聞くと「外で食べたから、腹は空いてない」との返事、そして少しイラつくディアナに対して彼はパソコンの画面を彼女に見せる。「言わなきゃいけないことがある」画面にはPowerPointが映っている、ディアナはクリックする、そしてクリックする、さらにクリック、クリッククリッククリッククリック……ディアナは全てを悟り目に涙を溜める――アリが他の誰かを愛してる!

アリの裏切りでディアナの日常は一変してしまう。彼は離婚せずに公認の二重生活を送りたいと言い、自分の給料でディアナも浮気相手aka第2夫人も養っていくと約束するとかなんとか、そんな提案すぐに受け入れられる訳もなく、だが彼を拒絶して即離婚というのもリフキのことを考えれば避けたい、ディアナは悩みながら結婚生活を続けようとするのだが……

洗濯物を干しながらディアナは届いたアリからのメールを読んで動揺する、干す作業は続けるが汗を拭うフリして涙をさりげに拭い、だけどもう我慢出来なくなり柵に寄り掛かってしまう。そんなシークエンスが象徴するように、この"Sendari Diana Sendari"は浮気する人間を断罪するだとか倫理的な方向には行かず、パートナーが浮気した/自分の親が浮気したと、そんな状況に陥った人々の心理と行動とを丹念に描き出していく。それにリアリティという深みを与えるのはアンディニ監督の透徹な洞察眼だ、状況状況にふと浮かぶ生の感情を逃すことなく、スクリーンに焼き付ける手腕に長けている。

そして監督の演出のさじ加減が上手い具合に作用して、物語がシリアス/コミカル一辺倒に陥らず、そのあわいを行き交うバランス感覚も素晴らしい。まず冒頭のPowerPoint浮気告白に笑わされるも、ディアナが母親にそれを相談したらバリバリ家父長制を内面化したクソバイスを食らうところでズーンとなったりする。そして妹にメールで近況を聞かれた時、文を打ちながら何度も何度も単語を間違えて消して、また間違えて消しての繰り返しは、何となく笑えて何となく悲しい。こうしてディアナの辛みに満ちた迷走を描きながら、息子のリフキもこの話の被害者だって監督は分かっている、トーマスが大好き――そういえば「アントマン」でもトーマスが印象的だったなあとか思ったり――で他には何も考えていないように見える彼だって2人の様子に苦しんでいて、寝たフリをしてディアナたちの口論を聞き続ける彼の顔を監督はエグいくらいの長回しで映し出すシーンは辛い、辛い、だけど……

"Sendiri Diana Sendiri"はたった40分の作品だ。しかしアンディニ監督の優れた洞察眼によって描かれたこの作品は人間の心の深みを私たちに見せてくれる。[B+]


私の好きな監督・俳優シリーズ
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その2 アンドレア・シュタカ&“Das Fräulein”/ユーゴスラビアの血と共に生きる
その3 ソスカ姉妹&「復讐」/女性監督とジャンル映画
その4 ロニ・エルカベッツ&"Gett, le procès de Viviane Amsalem"/イスラエルで結婚するとは、離婚するとは
その5 Cecile Emeke & "Ackee & Saltfish"/イギリスに住んでいるのは白人男性だけ?
その6 Lisa Langseth & "Till det som är vackert"/スウェーデン、性・権力・階級
その7 キャサリン・ウォーターストン&「援助交際ハイスクール」「トランス・ワールド」/「インヒアレント・ヴァイス」まで、長かった……
その8 Anne Zohra Berracherd & "Zwei Mütter"/同性カップルが子供を作るということ
その9 Talya Lavie & "Zero Motivation"/兵役をやりすごすカギは“やる気ゼロ”
その10 デジリー・アッカヴァン&「ハンパな私じゃダメかしら?」/失恋の傷はどう癒える?
その11 リンゼイ・バージ&"The Midnight Swim"/湖を行く石膏の鮫
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