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映画痴れ者/ライター済藤鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

リサ・ラングセット&「ホテルセラピー」/私という監獄から逃げ出したくて

リサ・ラングセット& "Till det som är vackert"/スウェーデン、性・権力・階級
リサ・ラングセット監督の略歴、デビュー作についてはこの記事を参照。

私とは一体何なのだろう。私とはあなたの心から湧きあがる物によって構成されるのだろうか、それとも私とはあなたの周囲に存在するあらゆる物によって規定されるのだろうか。リサ・ラングセット監督は後者の立場を取る、デビュー長編"Til det som är vackert"では階級という概念が人々のアイデンティティーを規定し、その分断が生み出す悲劇を描き出していた。そして待望の第2長編「ホテルセラピー」はそこから一歩前に進む、内部から構築されるにしろ、外部から規定されるにしろ、私というアイデンティティーが一度出来上がってしまったのなら、その監獄から逃れることは可能なのか?

ある夜、エリカ(「ガンズ&ゴールド」アリシア・ヴィキャンデル)は静かに目を覚ます。夜の闇が彼女の顔に陰るなか、膨らんだお腹に痛みを感じ始める。その痛みは激しさを増していき、エリカは病院へと担ぎ込まれてしまう。夫のオスカー(「コールガール」シーモン・J・ベリエル)に付き添われながら、彼女は緊急出産に臨むこととなるが、激痛、熱気、絶叫「自然分娩は嫌!私は帝王切開が絶対だって言った!」「どうして話を聞いてくれないの!」「止めて!もう止めて!」その叫びは届くことがなく、運命は残酷に転がっていく。

インテリア・デザイナーとして成功していた日々、オスカーとの幸せだった日々、子供部屋を笑顔と共に眺めていた日々、全てがその日を境に崩れてしまった。障害を持って産まれた、アレクサンダーと名付けられた赤ちゃん、何本ものチューブに繋がれ看護師たちのケアがなければ生きられない息子の存在を、エリカは認めることが出来ない。「それでも生きてるんだ」そう言うオスカーとの間で急速に溝が深まっていく。エリカは少しでもこの状況を変えるため、セラピーへと通うことになり、ある時アン・ソフィ(Mira Eklund)という少女からこんな言葉を聞く「私以外の、誰か他の人になりたい」自分と同じだとそう思ったエリカは、セラピーの仲間たち――アン・ソフィ、リカルド(裏切りのサーカスデヴィッド・デンシック)、ピーター(「バトル・オン・ザ・ボーダー ノルディック 極寒の攻防」ヘンリク・ノーレン)、ペルニラ(Anna Bjelkerud)――と共に旅立つ。

向かう先はとあるホテルだ、気に入らなければ客室なんか変えればいい、そんな風に私も変えたいとそんな思いがエリカたちをそこへ向かわせる。ここから話はアイデンティティーからの逃走劇へと転じていくが、前作から今作の前半までに通低させていた不穏さを、ラングセット監督は一旦取っ払い、一筋縄では行かないユーモアを放り込んでくる。「ぼくは強い男だ、そう、頭に毛もあって、逞しいマヤ族の一員なんだ」トラウマに苦しむリカルドは、マヤ族に一体化するため四肢に縄を結んで筋肉を引っ張られまくる拷問に皆を巻き込み、「私は、核家族に浸ってる奴らが羨ましがる女なんだ」と孤独に苛まれるペルニラは既婚者とヤるために奮闘したり、エリカは皆で一緒に赤ちゃん人形を抱っこする。前半を見てその切実さは分かっている筈なのに、それを軽々と乗り越えてくるような荒唐無稽な行動の数々は馬鹿げていて、だからこそ切……なくない、全然切なくなくて、ただただ馬鹿げているのが素晴らしいのだ。

そうしてホテルを巡り、心の彷徨と逃走のロードムービーという様相を呈してくる頃、彼らが私ではない他人になれる兆しは現れるだろうか。いや、馬鹿げたコミカルさはいつか充満していた不穏さと混ざりあい、どんどん常軌を逸脱していく。自分から遠ざかろうとすればするほど、むしろ彼らは自分の中に私を強く感じることになる。彼らの不安は膨らんでいき、高まり、そして不穏に、滑稽に、壮絶にエリカたちは挫折の時を迎える。

自分がなりたいと願い逃げ出した先は他人という名のわたしであり、つまり監獄から逃げようとその先は少し外装が変わっただけで本質は全く変わらない監獄でしかない、監督はこのような哲学的な問いを物語を展開させていき、エリカたちをある場所へと導く。今ここにあるのが私であり、なりたいと願う他人もまた私であるなら、この両極に身を置き絶望するのではなく、2つの私が重なりあう場所に身を置くことが必要だ。いわば現実と理想の間での妥協だが、その妥協こそがいかに難しいのかを登場人物たちは知り、そこに至るためには肉体的な痛みだけでは駄目であるし、精神的な痛みだけでも駄目だ、両方が揃って初めて私という存在と折り合いをつけることが出来る、深遠な道のりだがそうしなければならないのだと。

私という監獄からは逃れられないのだろうと「ホテルセラピー」は語る。だが同時に私を生きることは辛く苦しいかもしれないが、だからこそ意味があるのだと強く訴えかける。[B+]


私の好きな監督・俳優シリーズ
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その2 アンドレア・シュタカ&“Das Fräulein”/ユーゴスラビアの血と共に生きる
その3 ソスカ姉妹&「復讐」/女性監督とジャンル映画
その4 ロニ・エルカベッツ&"Gett, le procès de Viviane Amsalem"/イスラエルで結婚するとは、離婚するとは
その5 Cecile Emeke & "Ackee & Saltfish"/イギリスに住んでいるのは白人男性だけ?
その6 Lisa Langseth & "Till det som är vackert"/スウェーデン、性・権力・階級
その7 キャサリン・ウォーターストン&「援助交際ハイスクール」「トランス・ワールド」/「インヒアレント・ヴァイス」まで、長かった……
その8 Anne Zohra Berracherd & "Zwei Mütter"/同性カップルが子供を作るということ
その9 Talya Lavie & "Zero Motivation"/兵役をやりすごすカギは“やる気ゼロ”
その10 デジリー・アッカヴァン&「ハンパな私じゃダメかしら?」/失恋の傷はどう癒える?
その11 リンゼイ・バージ&"The Midnight Swim"/湖を行く石膏の鮫
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