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映画痴れ者/ライター済藤鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

ベンヤミン・ハイゼンベルク&"Der Räuber"/私たちとは違う世界を駆け抜ける者について

走る者を描いた作品であなたの好きな映画はなんだろうか。炎のランナー」「長距離走者の孤独」「誓い」「駆ける少年」「リトル・ランナー」……私が好きなのは、1つがナ・ホンジン「哀しき獣」だ。ハ・ジョンウ演じる主人公が妻を追い求めて、暴力に追いたてられ走って、走って、走り続ける様は本当に素晴らしかった。そしてもう1つはChloë Robichaud"Sarah prefere la course"だ。生きることは走ること、そんな思いを抱えた少女サラの青春を描いたこの作品は、私がこのブログを始めようと思ったきっかけでもあり(その記事がこちら)、そういう意味で思い出深い作品でもある。そしてそこに第3の作品が加わったのだ。ということで私の好きな監督・俳優その47は、ドイツとオーストリアを股にかける映画作家ベンヤミンハイゼンベルクと彼の第2長編"Der Räuber"を紹介していこう。

ベンヤミンハイゼンベルク Benjamin Heisenbergは1974年6月9日、ドイツのバーデン=ヴュルテンベルクテュービンゲンに生まれた。祖父はノーベル物理学賞を授賞した量子学者ヴェルナー・ハイゼンベルク、父は神経生物学者マルティンハイゼンベルク。小さな頃は父が勤めていた大学のある小さな村で育ち、1993年からはミュンヘン美術学院で学び、美術史学者のWalther Grasskampに師事、 3人の成績優秀者に送られる"Debutantenpreis"を勝ち取り美術学院を卒業する。在学中から様々なビデオ・インスタレーションを製作するが劇映画デビューは1996年の"Terremotto"、そしてその翌年にはミュンヘン映画学校に入学し、短編をコンスタントに手掛ける。

ハイゼンベルク監督が世に出るきっかけとなったのが2001年に手掛けた"Am See"だった。この作品はフランスのアミアン国際映画祭、スペインのヒホン国際映画祭ではグランプリ、そしてミュンヘン映画祭で賞を獲得するなど好評を博す。そして短編"Die Gelegenheit", "Meier, Muller, Schmidt Ⅰ-Ⅲ"を経て、2005年に監督は初の長編作"Schläfer"を手掛ける。ヨハネスはミュンヘンの工科大学でウィルス学を教えていた。ある時、彼は同じ学部で働くナイジェリア人のファリッドと仲良くなる。しかしヨハネスの目的は連邦憲法擁護庁からの要請で、ファリッドがテロリストであるかどうかの調査だった。しかし2人はウェイトレスのベアテに恋をし、三角関係は予期せぬ方向へと転がっていく……この作品はカンヌ国際映画祭のある視点部門に出品されたのを皮切りに、ミュンヘン映画祭、ワルシャワ映画祭など数々の映画祭を巡り、アンジェ・ヨーロッパ映画祭ではヨーロッパ特別賞、マックス・オフュルス映画祭では最高賞を獲得、彼はドイツ語圏期待の新人作家として迎えられる。そして2010年、ハイゼンベルク監督は実在の人物を元にしたという待望の第2長編"Der Räuber"を監督する。

ヨハネス・レッテンバーガー(Andreas Lust)は走り続ける。一定のリズムで呼吸を続けながら、鈍い歩みを見せる男たちを掻き分けながら、ヨハネス・レッテンバーガーは走り続ける。だが「レッテンバーガー!」と彼を叱責するような声が聞こえ、カメラが彼から離れていった時に分かるのは、ヨハネスが刑務所の運動場を走っているということだ。壁づたいに彼は走り続ける、彼は走り続ける、ヨハネス・レッテンバーガーは走り続ける。

銀行強盗という罪で長らく収監されていたヨハネスは釈放の時を迎える、刑務所を出た彼は部屋を借りる、そして電車に乗る、どこかの駅に降り立つ、駐車場を見繕う、停めてあった車の鍵をこじ開け強奪する、それを運転して近くの銀行へ向かう、ロナルド・レーガンのマスクとショットガンを身につける、銀行を襲撃して金を奪う、車を棄てて部屋に帰る。このシークエンスの異様な淡々さ、小気味良さ、おそらく観客は呆気にとられるしかない。その理由は一切説明されなければ、ヨハネスの面持ちに犯罪への欲望が浮かぶ訳でもない、ただ彼はそれをやり遂げる。この数分の巧みなシークエンスでハッキリするのは、ヨハネスが私たちとは全く違う論理で以て生きているということだ。

監督はヨハネスの起伏に満ちた道行きを、興奮にしろ何にしろ観る者の心を湧きたたせるような描写を極力排しながら描き出す。ヨハネスは走る、ヨハネスは走り続ける、車を強奪し銀行強盗を行う、仕事の斡旋場でエリカ(「十字架の道行き」フランツィスカ・ヴァイス)という女性と再会する、ウィーンで開かれた欧州マラソン大会で並み居る強豪を差し置いて優勝する、ヨハネスは一躍時の人となる、車を強奪して銀行強盗をし車を棄てて居候することになったエリカの家に帰る。ここにヨハネスの心情やストーリーは何か浮かび上がる余地は存在しない、ただ起こることを起こるままに映画として構成していく、それ故の余りに寒々しき光景だけが広がっている。

だが監督はそこだけに止まろうとはしない。ヨハネスは車を強奪し、銀行を襲撃する、そしてその足で近くのATMを襲撃する、余りにも突飛な展開に当惑するだろう観客を尻目に、パトカーのサイレンが響く中でヨハネスは走り続ける、パルクールさながらの逃走劇の中でカメラは疾走する彼の背中を追い続ける、あれほどに抑制されていた演出は炸裂を遂げ、観る者の心をスリルで一気に揺り動かす。ビルを抜け、柵を飛び越し、ただ一直線に道なき道を駆け抜ける彼の姿に重なるのは、Lorenz Dangelによる心臓の激しい鼓動のような響きだ。このスリルと閉塞からの解放を祝す一連の展開に、私たちはヨハネスの生を言葉ではなく心で理解する。

しかし私たちが同じく思うのは、彼の生はこの世界において到底受け入れられはしない物であるということだ。ヨハネスはその生に自傷自縛となり、世界によってその崖の縁にへと追い詰められていく。演じるAndreas Lustはヨハネスの抱く諦念、切実さ、抗いきれぬ欲動という運命の悲哀をその体に宿し、命を枯らしていく。彼の唯一の理解しようとするエリカ、彼女を演じたフランツィスカ・ヴァイスもまた素晴らしい、理解しようとしたからこそ見出だしてしまった自分/自分の生きる世界とヨハネスの断絶に打ちひしがれるしかない。そしてヨハネスは転げ落ちていく。

ヨハネスは走る、走り続ける、世界から彼は逃げる、走る走る、走り続ける、走って、走って走って走って、走り続ける。そして走る気力すら失っても、ヨハネスは逃げる、逃げ続ける、この作品の題名は"盗む者"であって"走る者"ではない、逃げる、盗んで逃げ続ける、全てが削ぎ落とされただ"逃げる"という言葉のみが残ったその時にこそ、なぜあんなにも心を揺さぶられるのか、自分を認めることのない世界から逃げたい、この生き方しか出来ない自分を認めてくれる世界へと逃れたいという声なき叫びが響くからだ。

"Der Rauber"は破滅を宿命づけられた人間の燃えつきるその時までを描き出す。彼の生きた証はこの世界とは相容れないと絶望するあなたのための物であり、そして私の物でもある[A+]

"Der Rauber"はヒホン国際映画祭で脚本賞ババロア映画賞で新人部門の監督賞、そしてオーストリア映画賞では監督・男優・音響編集の計3部門を獲得した。

2014年、ハイゼンベルク監督は第3長編"Über-Ich und Du"を手掛ける。盗んだ稀覯本の売買で生計を立てている泥棒と年老いたフロイト派の精神分析家に芽生える奇妙な絆を通じて、戦後ドイツの罪を暴き出すコメディらしく、前2作とは少し趣が異なるようだが、だからこそ楽しみである。ということでハイゼンベルク監督の今後に期待。

私の好きな監督・俳優シリーズ
その1 Chloé Robichaud &"Sarah préfère la course"/カナダ映画界を駆け抜けて
その2 アンドレア・シュタカ&“Das Fräulein”/ユーゴスラビアの血と共に生きる
その3 ソスカ姉妹&「復讐」/女性監督とジャンル映画
その4 ロニ・エルカベッツ&"Gett, le procès de Viviane Amsalem"/イスラエルで結婚するとは、離婚するとは
その5 Cecile Emeke & "Ackee & Saltfish"/イギリスに住んでいるのは白人男性だけ?
その6 Lisa Langseth & "Till det som är vackert"/スウェーデン、性・権力・階級
その7 キャサリン・ウォーターストン&「援助交際ハイスクール」「トランス・ワールド」/「インヒアレント・ヴァイス」まで、長かった……
その8 Anne Zohra Berracherd & "Zwei Mütter"/同性カップルが子供を作るということ
その9 Talya Lavie & "Zero Motivation"/兵役をやりすごすカギは“やる気ゼロ”
その10 デジリー・アッカヴァン&「ハンパな私じゃダメかしら?」/失恋の傷はどう癒える?
その11 リンゼイ・バージ&"The Midnight Swim"/湖を行く石膏の鮫
その12 モハマド・ラスロフ&"Jazireh Ahani"/国とは船だ、沈み行く船だ
その13 ヴェロニカ・フランツ&"Ich Ser Ich Ser"/オーストリアの新たなる戦慄
その14 Riley Stearns &"Faults"/ Let's 脱洗脳!
その15 クリス・スワンバーグ&"Unexpected"/そして2人は母になる
その16 Gillian Robespierre &"Obvious Child"/中絶について肩の力を抜いて考えてみる
その17 Marco Martins& "Alice"/彼女に取り残された世界で
その18 Ramon Zürcher&"Das merkwürdige Kätzchen"/映画の未来は奇妙な子猫と共に
その19 Noah Buchel&”Glass Chin”/米インディー界、孤高の禅僧
その20 ナナ・エクチミシヴィリ&「花咲くころ」/ジョージア、友情を引き裂くもの
その21 アンドレア・シュタカ&"Cure: The Life of Another"/わたしがあなたに、あなたをわたしに
その22 David Wnendt&"Feuchtgebiete"/アナルの痛みは青春の痛み
その23 Nikki Braendlin &"As high as the sky"/完璧な人間なんていないのだから
その24 Lisa Aschan &"Apflickorna"/彼女たちにあらかじめ定められた闘争
その25 ディートリッヒ・ブルッゲマン&「十字架の道行き」/とあるキリスト教徒の肖像
その26 ハンナ・フィデル&「女教師」/愛が彼女を追い詰める
その27 ハンナ・フィデル&"6 Years"/この6年間いったい何だったの?
その28 セルハット・カラアスラン&"Bisqilet""Musa"/トルコ、それでも人生は続く
その29 サラ=ヴァイオレット・ブリス&"Fort Tilden"/ぶらりクズ女子2人旅、思えば遠くへ来たもので
その30 Damian Marcano &"God Loves the Fighter"/トリニダード・トバゴ、神は闘う者を愛し給う
その31 Kacie Anning &"Fragments of Friday"Season 1/酒と女子と女子とオボロロロロロオロロロ……
その32 Roni Ezra &"9. April"/あの日、戦争が始まって
その33 Elisa Miller &"Ver llover""Roma"/彼女たちに幸福の訪れんことを
その34 Julianne Côté &"Tu Dors Nicole"/私の人生なんでこんなんなってんだろ……
その35 ジアン・シュエブ&"Sous mon lit"/壁の向こうに“私”がいる
その36 Sally El Hosaini&"My Brother the Devil"/俺の兄貴は、俺の弟は
その37 Carol Morley&"Dreams of a Life"/この温もりの中で安らかに眠れますように
その38 Daniel Wolfe&"Catch Me Daddy"/パパが私を殺しにくる
その39 杨明明&"女导演"/2人の絆、中国の今
その40 Jaak Kilmi&"Disko ja tuumasõda"/エストニア、いかにしてエマニエル夫人は全体主義に戦いを挑んだか
その41 Julia Murat &"Historia"/私たちが思い出す時にだけ存在する幾つかの物語について
その42 カミーラ・アンディニ&"Sendiri Diana Sendiri"/インドネシア、夫にPowerPointで浮気を告白されました
その43 リサ・ラングセット&「ホテルセラピー」/私という監獄から逃げ出したくて
その44 アンナ・オデル&「同窓会/アンナの場合」/いじめた奴はすぐ忘れるが、いじめられた奴は一生忘れない
その45 Nadav Lapid &"Ha-shoter"/2つの極が世界を潰す
その46 Caroline Poggi &"Tant qu'il nous reste des fusils à pompe"/群青に染まるショットガン