鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Shih-Ching Tsou&"Take Out"/故郷より遠く離れて自転車を漕ぎ

10月末に開催される東京国際映画祭「タンジェリン」という作品が上映される。あれではない、アブハジア紛争を描いたエストニア映画の「タンジェリン」ではない、EUフィルムデイズで観たけども、私の感想としてはノー・マンズ・ランド最高!という一言に尽きる。で、こちらの「タンジェリン」はアメリカのインディー映画だ。トランスジェンダーの娼婦で親友同士の2人が、クリスマスイヴの町を巡るロードムービーなのだが、全編iPhone5Sで撮影されたことが話題になり、かつ内容も素晴らしいと評判で、実際にトランスジェンダーである主演女優の2人をアカデミー賞に推すキャンペーンも始まっているという。トム・フーパーなんかぶっ飛ばせ!ということで今回紹介するのはそんなショーン・ベイカーのキャリア初期作"Take Out"、なのだが、ベイカーについての紹介は今度の機会に置いておいて、この作品で共同監督をしている、というかこちらがおそらく主監督なのだろう人物Shih-Ching Tsouについて紹介して行こう。

「クソ、もう疲れた、畜生」「タバコ吸うの止めろよ、バカが」そんな喋り声と共に物語は始まる。2人の男はドアの前に立ち、拳を乱暴に叩きつける。慌てた様子で出てきた中年男を押し退け、彼らは許可もなく上がり込む。中は一目で劣悪だと分かる状況だ、壁紙は剥がれ、床には何らかのゴミが散乱、しかし彼らは構わずその中を巡る。そこには狭い部屋が幾つもあり、1つ1つで男たちが身を寄せあい眠っている。2人は男たちを踏みつけにしながら叫ぶ、ミン・ディンはどこだ!

ミン・ディン(Charles Jang)はパイプ椅子に座らされ、2人のチンピラと対面する羽目になる。薄汚れたタンクトップ、肩はシミだらけ、ニキビでボコボコになった顔には恐怖の色が浮かんでいる。彼らの目的は借金の返済だ、自分たちに借りた金をそっくりそのまま返済しろ、今日中に返せなければ借金は倍になるとのお達し。彼は言葉を濁しながら、もう少し待ってくれと懇願するが、チンピラの容赦ない一撃にその意気は挫かれてしまう。痛みに悶える彼が見るのはフライパンに這いずるゴキブリの姿だ。

ミンは心当たりを駆けずり回りある程度の金は手にいれるが、もちろん返済には少なすぎる。取り敢えず仕事場である中華料理店へと赴き、ミンは金を集める方法を考えるがそう上手く思いつく訳もない。だが同僚であり親友でもあるヨン(Jeng-Hua Yu)にそれを相談すると、俺の分のデリバリーも担当して、客からのチップで金を稼げばいいと提案される。馬鹿げた提案とは思いながらも、ミンは藁にもすがる思いで、雨のニューヨークへと自転車を走らせる。

最初に書くべきなのはこの映画の難点だろう。まず撮影が酷い、何も起こっていない所でもカメラはグラグラと揺れ、何かが起こっている時にはより一層揺れる。ミンとヨンの会話シーンでは焦点が何処にも定まらずユラユラと視点が漂い、見にくいことこの上ない。そして撮影が酷ければ編集も雑だ、無駄にカットを切りまくることで映画全体のリズムが異様にせわしない、まるで1.5倍速で映画を見せつけられているようだし、更に上記2つほど酷くはないが、俳優陣の演技にも拙さがかなり目立つ。しかしもう1つ書くべきなのは、"Take Out"においてはこの難点の数々がそのまま作品の魅力として転じていることだ。

映画の殆どは、ミンが自転車を漕いで目的地へと向かい、客からチップをもらうと店へととんぼ返りし、そして自転車で目的地へと向かいチップをもらうと延々それだけが描かれる。だがその風景には、これが製作された2004年、アメリカという国の偽らざる姿が焼き付いている。ミンが勤める店の人々、親友のヨン、ビッグシスター(Wang-Thye Lee)と呼ばれる肝っ玉主人、アメリカに来てもう10年以上になるシェフ(Justin Wan)、ミンとはそりが合わない同僚のマ(Jeff Huang)……そしてミンが訪ねる人々、電話をかけながらぞんざいに対応するヒスパニックの女性、気分よくチップを弾んでくれる白人男性、明らかに機嫌がの悪い中年の黒人男性……そしてある時カメラが映し出すのは黒人女性が応対したかと思うと、ドアから彼女の娘らしき子供が飛び出し、母親に連れ戻されるというハプニングだ。人種の坩堝と言われ久しいアメリカ、だが言葉では今一理解の難しい日常を、監督たちはありのまま私たちに見せてくれる。自分たちが今生きている時代・状況を1本の映画として残そうという目的意識が、瑕疵あるはずの演出に一本太い芯−−それはある人々がシネマ・ヴェリテと呼称する類いの物でもある−−を通しているのだ。

だが監督たちはアメリカの良い意味での多様性ばかりを描こうとはしない。画面から徐々に染み出てくるのは、移民であるミンの寒々しい孤独だ。金を稼いでより良い未来を掴み取るためアメリカへとやってきた筈だった、だが借金を背負い、冷たい雨に身を震わせながら、自分は自転車を漕ぎ続けてる、一体どうなってるんだ?そんな声なき後悔が滲む。ある時、ミンはヨンにあるアドバイスをされる。チップが欲しかったら、笑顔を浮かべて"サンキューベリーマッチ"って言うんだよ。ミンはそれをバカにして気にも止めない。ならこの映画は最終的に彼が"サンキューベリーマッチ"と言えるまでの物語かといえば、そうではない。彼は殆ど何も言わないという態度を貫く、実際英語が喋れないということもあるだろうが、もし喋れたとしても喋る気はないとそんな態度を貫く。孤独がミンを殻に閉じ込める、中国系のコミュニティにのみ属してそこから出ようとはしない。これもまた人種の坩堝の1つの顔なのだろう、文化は真の意味で混ざりあうことなく互いの間には厳然たる壁が存在する、だが誰がそのことを非難できるだろう?

日本人にとってはチップ文化に馴染みがない故に、チップで借金を返せるまでの額を稼げるかという根本のテーマにサスペンスを感じられないのでは、そう思う人々もいるかもしれないが、編集の速度は否応なしに私たちを宙吊りにしてくれる、こうしてまた雑な編集すら意味を持つ。確かにこの題材・演出で87分というのは長すぎるきらいがあり、もう10分刈り込めば出来映えは更に良くなったとは思うが、上述した要素の深みを鑑みれば、些末な問題と切り捨てても構わないだろう。

ミンの思いなど気にすることもなく、ニューヨークの夜は更けていく。そうして彼が直面するのは2つの真実だ。全くの対極にあるその2つは彼の心を揺さぶり、同時に私たちの心をも揺さぶる。"Take Out"はアメリカという国の隅に横たわる小さな、しかし深い孤独を丹念に描き出していく。自転車を道端に捨て置き、雨の降る空を仰ぎながら、レインコートを羽織るミンの姿は、観る者の頭に長い間残り続けるだろう。[B+]

Shih-Ching Tsou監督は台湾・台北出身の映画作家だ。台湾の大学で学位を取得後、ニューヨークへと留学、ニュースクール大学でメディア研究について学び修士号を得る。盟友ショーン・ベイカーと出会ったのはニュースクール大学在学中。既にデビュー長編"Four Letter Words"を2000年に完成させ着実にキャリア重ねてきていたベイカーと共に、Tsou監督は"Take Out"完成に取り組む。彼女はこの映画を作ろうとしたきっかけや製作過程についてこう語る。

"私はある中国人配達人についての話を聞いたのですが、このテーマを描こうと思ったのはそれがきっかけでした。私たちは密入国がテーマの本やそれに関わる新聞記事を読みました。そして私は中国語が母国語なので、多くの配達人から直接話を聞くことも出来たんです。一旦ロケ地を見繕った後にはーーそこはマンハッタンのアッパー・ウエスト・サイドにある実在の中華料理店ですーープレプロに1か月かけました。仲良くなったコックたちは私に自分の人生について語ってくれましたし、Msリー(ビッグシスター役の人)は中心人物の中では唯一演技については素人でしたが、脚本についてアドバイスをもらったり、実際の撮影でも手助けしてくれたんです"

そして彼女たちは2004年に"Take Out"を完成させる。スラムダンス映画祭でプレミア上映され、ナッシュビル映画祭では作品賞を獲得するのだがここからが問題だった、配給会社が見つからないのである。彼女は広告代理店でグラフィック・アーティストとして働く傍ら、配給権を買ってもらおうと邁進するのだが、公開されたのは2008年の6月、足掛け4年もの年月がかかったのである。しかし限定公開の後、インディペンデント・スピリット賞でも栄えあるジョン・カサヴェデス賞にノミネート、Tsou監督の名は一躍有名となる。

ながら、ここから彼女は監督をせず「チワワは見ていた」「タンジェリン」などショーン・ベイカー監督作のプロデューサー、衣装担当として活動するようになる。「チワワは見ていた」では主演の1人でベセッドカ・ジョンソンを抜擢するなど重要な役割を果たしている。「タンジェリン」については今度iTunesで配信された際にはレビューするのでその時の機会に。

Tsou監督、というか制作者としての最新作は"Left-Handed Girl"である。10年越しのプロジェクトだそうで、舞台は台湾の夜市、5歳の少女と彼女の家族を中心に、男性中心社会で女性であることの苦闘を描き出す作品だそうでとても楽しみだ。ということでTsou監督の今後に期待。


真中がTsou監督、左がショーン・ベイカー監督、右の人……右の人これ誰?

参考文献
http://www.indiewire.com/article/interview_with_independent_spirit_award_nominee_shih-ching_tsou(2009年のインタビュー)
http://www.ioncinema.com/interviews/2015-sundance-trading-card-series-shih-ching-tsou-tangerine(2015年時のインタビュー)
http://filmmakermagazine.com/93048-i-dont-particularly-like-networking-i-just-care-about-making-good-films-shih-ching-tsou-on-producing/(プロデューサーとしてのインタビュー記事)

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