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映画痴れ者/ライター済藤鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Helena Třeštíková &"René"/俺は普通の人生なんか送れないって今更気付いたんだ

チェコ映画といったら、まずはヤン・シュヴァンクマイエルだろう。「アリス」「悦楽共犯者」などアニメと実写が混ざり合う唯一無二の異形なる世界観にはファンが多い。そしてチェコヌーヴェルヴァーグ「夜のダイヤモンド」ヤン・ニェメツ「火葬人」ユライ・ヘルツヴェラ・ヒティロヴァはロマンシス映画としても高度な政治的映画としても本当に素晴らしいひなぎくを作ったし、ヤロミル・イレシュは邦題がマジに酷いけどゴシック映画の傑作闇のバイブル 聖少女の詩を手掛けた。

チェコヌーヴェルヴァーグの一翼を担いながら、チェコ事件の後、やむなく国外へ亡命した監督たちの活躍も見逃せない。ミロス・フォアマンカッコーの巣の上でアマデウスを手掛けアカデミー監督賞を獲得、だが私が好きなのはイヴァン・パッセルだ、とにかく「男の傷」だよ、観た後もう完全に打ちひしがれた、あの余韻深いラストと言ったら素晴らしい。でだ、この後の世代にも最近「クーキー」が劇場公開されたヤン・スヴェラークなど様々な才能が生まれているが、今回紹介したいのは、チェコヌーヴェルヴァーグ直後の世代に属する、日本では全く知られていない国民的ドキュメンタリー作家Helena Třeštíková と、彼女が2008年に手掛けた作品"Rene"についてである。

Helena Třeštíková は1949年6月22日、チェコプラハに生まれた。小さな頃は衣装デザイナーか芸術家になりたかったそうだが、プラハの春チェコ事件など激動の時代に思春期を過ごすうち、彼女の中にドキュメンタリー作家になりたいという夢が芽生える。プラハ映画アカデミー、FAMUという映画学校のドキュメンタリー科で映画製作について学び、1974年からはチェコのTV局に務めることとなり、映画作家としての道を歩み始める。

監督がチェコで有名になるきっかけとなったドキュメンタリーが1987年放送のTVドキュメンタリーシリーズ"Manzelske etudy"(意味は"結婚についての物語")だった。とあるカップル6組の結婚生活に1980年から1987年と8年もの間密着し、社会学統計学に様々な学術的・文化的要素を刻み込んだ力作で放送されるやいなや大評判となり、彼女の名声は高まることとなった。このように彼女の作品の特徴としては撮影期間が驚くほど長いという点がある。5年10年は当たり前で、長い物だと30年以上もの年月をかけてドキュメンタリーを製作したりする。

1992年からは"Rekni mi neco o sobe"("あなたについて何か教えて")というドキュメンタリー三部作を製作、その後も精力的に作品を手掛けていき、2006年の"Manzelske etudy po dvaceti letech"、つまり上記の"Manzelske etudy"20年越しの続編TVドキュメンタリーシリーズを経て、彼女が世界的に有名になるきっかけとなった作品が2007年の"Marcela"だった。Marcelaというごく普通の女性、彼女がJiriという男性と結婚し、26年もの間不遇の結婚生活に耐え、発育障害の娘を育てるも、不運が彼女を襲い、自殺衝動を抱えながらも生きていくそんな人生を80分に凝縮した作品はスペイン・セビリア欧州映画祭、チェコピルスナー映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞を獲得、監督の名は一気に広まり、そして彼女の名声を確固たるものにしが作品が翌年に製作された"René"であった。

囚人服に身を包んだ男が机に向かい、一心不乱に何かを書いている、そんな風景から"Rene"は幕を開ける。名前はレネ・プラジル、彼は監督に送る手紙を綴っているのだ。この作品を構成するのは20年もの長きに渡って撮影された膨大な数のフッテージと、何十枚もの手紙に綴られた言葉の数々だ。

レネの子供時代は悲惨なものだった。7歳の頃に父と母は離婚、母の顔すら覚えられないまま離ればなれになり、彼は父に育てられることとなる。父は女たらしで結婚と離婚を何度も繰り返し、いつしかそんな父をレネは憎むようになる。父の顔など一生見たくはないと、彼が飛び込んだ先は軍の士官学校だったが、レネはその場所で心を病み、10代から非行に走り、とうとう警察に逮捕されてしまう。監督が彼と出会ったのはこの時だった。

2人の手紙のやり取りからは、レネの人生の道筋や彼の人生観が明らかになっていく。レネは釈放された後、疎遠だった母のもとに身を寄せる。手紙では真人間になるとの宣言が書かれているが、ふと年月が過ぎると、レネは刑務所にいる。後悔の念と再びの宣言を綴り、釈放された後には喜びを語り、しかし次の瞬間には刑務所へ戻っている姿、普通なら呆れて彼を見放したって誰も非難しない状況で、監督はレネを見捨てず、文通を続ける。だがそんな彼女に対してレネは余りに残酷だ、恩を仇で返すような罪を犯し、刑務所に戻り、それでも彼女は見捨てることはない。"俺に手紙を送って欲しいんだ"彼は手紙の中にそんな言葉を残す、レネにとって社会との唯一の繋がりが監督の存在だったからだろう。彼の思い、そしてそれに応える監督の思いが"Rene"というドキュメンタリーを牽引していく。

私たちが目撃するのは、時代が移り変わると共にレネの肉体が社会への憎しみを宿していく姿だ。体はやつれていくが、肌には社会からの決別を象徴するだろうタトゥーの数々が刻まれていく。だが彼の中にまた新たなものが芽生え始めているのにも気が付くだろう。レネは監督との面会中、アインシュタインのある言葉を呟く。驚く彼女に対して、自分はアインシュタインシェイクスピアフロイトを読んでいるのだと言い、その知識を使って、何か小説を書いてみたいのだ、まだ一貫した考えを綴れるほどではないが、とそう吐露する。手紙のやり取りはこうして少しずつレネを変えていっている、私たちは思うだろうが、そう単純であればどんなに良かっただろうか。

家族もでき、何と自著の出版をも果たしたレネはそれで人生がやり直せたかといえば全くそうではない。ふとしたはずみから犯罪を犯し、再び刑務所へと収監される。彼がその中で過ごすうち、世界は見る間に姿を変える。レネが血液の検査中にテレビニュースで知るのは、アメリ同時多発テロについてだ。ニュースを読みながら当惑するキャスターを、彼は虚ろな眼で見つめる。そうして何もかもから彼は取り残されていく、10数年経っても状況は少しも好転していかない、私たちは残酷だが徒労感にも似た何かを覚えるだろう。そのうちここでドキュメンタリーは終わるのだろうかと、そんな瞬間がやってくる。レネは水をくれ、歯が痛いとカメラの前で呟き続ける。だが終わらない、監督はカメラを回すのを止めず、彼の物語をレンズに撮し続ける、ここには監督の覚悟がある。チェコという国が移り行く様、被写体と撮影者という関係性への洞察、そして現実の非情さをレンズに焼き付けながら、監督は淡々と、だが力強くカメラを回し続ける。

"René"は20年という長い時間をかけて作られた、運命に見放された男についてのドキュメンタリーだ。余韻にやるせなさが混じるのは避けられないだろう、しかしだからこそ観るべき価値のある作品でもある。[B+]

"René"はヨーロッパ映画賞でベストドキュメンタリー賞、イフラヴァ国際ドキュメンタリー映画祭で観客賞、ライプツィヒDOK映画祭のLong Footage部門最高賞を獲得するなど国際的に評価されることとなる。だが彼女の旺盛なドキュメンタリー製作はとどまる所を知らない。2010年には"Katka"を手掛ける。この作品は彼女がとあるリハビリ施設で出会ったKatkaという麻薬中毒女性の2000年からの10年間を描いた作品で、今作で監督はチェコ映画賞ドキュメンタリー賞を獲得するという栄誉を勝ち取る。更に2012年には社会主義真っ只中のチェコに生まれたHonzaという人物の35年(!)を追った"Soukromy vesmir"を、2013年には"Life with Jester"チェコの映画音楽作曲家を描く"Vojta Lavicka: Nahoru a dolu"と2本のドキュメンタリーを監督する。

そして最新作は2015年に製作された"Mallory"である。ゼロ年代以降彼女の作品には被写体である人物の名が冠された作品が多くなった傾向にあるがこの作品も正にそんな1本だ。Malloryは麻薬中毒の路上生活者だったが、息子が生まれたのを境にその生活を変えようとする、そんな彼女の13年間の苦闘を描き出したドキュメンタリーで、カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭では長編ドキュメンタリー部門の作品賞を獲得した。ということで監督の今後に期待。

参考文献
https://www.europeanfilmacademy.org/Interview-with-Helena-Trestikova.184.0.html
http://www.cafebabel.co.uk/nisimasa/article/idfa-2010-interview-with-helena-trestikova-director-of-katka.html
http://www.kviff.com/en/news/856-interview-helena-trestikova-about-her-documentary-mallory
http://stillinmotion.typepad.com/still_in_motion/2011/02/interview-helena-trestikov%C3%A1-director-katka.html

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