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映画痴れ者/ライター済藤鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

アティナ・レイチェル・ツァンガリ&"Attenberg"/あなたの死を通じて、わたしの生を知る

少し前Julia Solomonoff "El último verano de la Boyita"(この記事を読んでね)を取り上げ、"わたしのからだ"を眼差すことについての考えを巡らせていった。あちらは、肉体はここにあり心はそれをどう受け止めていくかという物語だったが、今回はもっと奥へと行き、そもそも"わたしのからだ"の存在を信じられないでいることの苦悩、そして理解への道筋を描き出していく映画を紹介して行きたいと思う。ということで今回は"ギリシャの奇妙なる波"の創始者としてもお馴染みアティナ・レイチェル・ツァンガリと彼女の第2長編"Attenberg"について記していこう。

アティナ・レイチェル・ツァンガリ Athina Rachel Tsangari は1966年4月2日、ギリシャのアスプラ・スピティアに生まれた。5歳の頃アテネに移住、テッサロニキアリストテレス大学では文学、ニューヨーク大学ティッシュ・スクール・オブ・アートでは演劇、オースティンのテキサス大学では民族史と映画について学ぶ。彼女はギリシャには帰らず、アメリカの映画界でキャリアを積み始める。まず映画界デビューは1991年、テキサス大学で友人となったリチャード・リンクレイターのデビュー作"Slacker"におけるチョイ役出演だった。ツァンガリ監督はリンクレイターを“私にとっての指導者”と尊敬を隠さず、彼についてこう語っている。

"リンクレイターは形式主義者であること、個人的で政治的であること、これを1度にやってのける術を知っているんです。彼は自分が信じていないことを映画にしたことはただの1度もありません。作品全てが極度に政治的でありながら人間的でもある、こんな人は滅多にいません。映画を作るにあたり周りの世界についての地図を描ける者になることは重要なことで、彼が正にそんな人物なんです"

1994年に彼女は"Fit"で映画監督としてデビューする。この作品はリジーという女性の日常生活を描いた作品で、映像には動物ドキュメンタリー的なナレーションが付加される、つまりは人間の生活を動物学的に捉えようとする試みで構成された作品なのだ。2000年には4年の歳月をかけた長編デビュー作"The Slow Business of Going"を手掛ける。今作はとある女性が世界を巡る様を通じて、空間の同質性やそれが記憶に与える影響を描き出した作品だという。

撮影は後のマンブルコア作家たちを彷彿とさせるDIY精神に支えられていたそうで、彼女はこの時の経験についてこう語っている"ホテルか航空会社から許可をもらうかスポンサーになってもらうかした時にしか撮影が出来ませんでした。2日の間で部屋にチェックインする、リハーサルを行う、本番を行う、チェックアウトするとそういう風に撮影を続けていたんです"*1

これ以後第2長編の"Attenberg"までは10年のブランクがあるのだが、むしろ様々な分野で精力的に活動していたのはこの時期である。実験映画の祭典であるシネマテキサス国際短編映画祭の運営を1995年から2006年まで担当、舞台や芸術の分野でも活動しており2004年にはディミトリス・パパイオアと共にアテネオリンピック美術監督として活躍、2005年にはアテネに自身の制作会社Haos Filmを設立、盟友であるヨルゴス・ランティモス監督の第2長編"Kinetta"と第3長編籠の中の乙女を製作、母校のテキサス大学では教師として勤務などなど。

その後、彼女は10年振りの長編に着手するのだが、この時のことについてツァンガリはこんな言葉を残している。"ある日私はこんなことを口にしていました。「自分の中に見つけた物語を、私自身が語ってみたい」と。2週間で脚本を執筆しました。湧き上がる物を言葉にしたんです、難しいなんてことなんてなかった"そして2010年、彼女は第2長編"Attenberg"を完成させる。

白い壁の前に2人の女性が立つ、互いに互いを見つめ何をするかと思えば、左の女性が口を大きく開きベロを突き出す、右の女性もぎこちなくそれを真似し、そして互いのベロが、唇が触れあう、観てる者としては何処からともなく胃液が込み上げてくるような光景、彼女たちは一度離れたかと思えば、再びベロを絡み合わせる、これで本当に合ってるのと右の女性が尋ねる、再びベロを絡み合わせる、本当にこれで合ってるのと右の女性が尋ねる、再び唾まみれの唇を重ね合わせる。映画史において最も不愉快なキスシーンから始まる"Attenberg"はしかしその実、"わたし"を知るための旅路を真摯に描き出す作品でもある。

主人公は23歳の女性マリナ(「それぞれの場所を探して」アリアーヌ・ラベ)、彼女は自分の肉体や性に対して嫌悪感を拭えないでいる。自分とは逆に経験豊富な友人のベラ("Kinetta" Evangelia Randou)から、キスの仕方やぺニスのこと、そして精液の臭いについてレクチャーを受けるがそれでも駄目だ、否応なしに不快感は募る。そしてマリナにはもう1つ悩みがある、父のスピロス(Vangelis Mourikis)は不治の病に冒されていてもう余命幾ばくもないのだ。彼女はベッドに横たわり弱りゆく父の姿を静かに見つめる。彼は自分を心配してお節介を焼こうとするがそれすらも不愉快だ。彼女は自分がどうしていいか分からない、ここは自分の居るべき場所なのかとそれすら分からない、そしてマリナは白煙が空を漂い、機械音が響き渡る工場地帯を彷徨い続ける。

マリナは自分を取り囲む社会・世界に対して、言葉ではなく躍動でもって思いを伝えようとする。ベラと並び立ち、腕を曲げ、足を蹴り上げ、股間を突きだす。ここで重要となるのは彼女が父と2人で観る動物学者デヴィッド・アッテンボロー(彼の名字が題名の由来でもある)のドキュメンタリーだ。液晶画面に映るのは野性動物の傍らでアッテンボローが彼らの生態を解説する姿だ。これに共鳴してマリナは、時には父と共に、動物たちの真似をする。ある時ゴリラとなった彼女は足を折り曲げ、吠声を上げながら、両腕でドラミングを行う。余りに突飛な行動に観客は面喰らうかもしれないが、監督にとってこれは人間を動物学的な見地から捉え直す試みであり(いわば彼女のデビュー短編"Fit"の再奏という訳だ)、同時にマリナが自己を理解するまでの道筋でもある。彼女たちはこうして人間という概念の奥深くへと潜行していく。

マリナとベラ、彼女たちの関係性は複雑だ。友人同士でありながら、生徒/教師という関係でもあり、そして性に殻を閉ざし性に奔放である互いへの軽蔑と友愛が混ざりあっている。ある時マリナは人間の胸部について考えを巡らせる。男性の胸については何も感じないが、女性の胸は美しいとそう思う、これは自分がへテロセクシャルではないことの証明か、それとも別の意味を持つのか。肉体に対する疑問はセクシュアリティの当惑に繋がりながらも、ベラは彼女に追い打ちをかけるようにこんな言葉を投げ掛ける、あなたは女性であることに耐えられない。

性的指向性自認、肉体と精神の関係性、様々なものに苦悩するマリナにとってもう1人の重要人物がエンジニアの男(籠の中の乙女ヨルゴス・ランティモス)だ。男の背景については殆ど説明もされず、マリナにとっても未知の人物であるが故に彼女は男を自分の体の実験台に選ぶ。練習ではなく実践的なキス、練習ではなく実践的なセックス、彼女は自身の可能性を試していく。だがツァンガリ監督の巧みな脚本はここで終わることがない、いつしかこの実験は彼の体を知る試みへと移り変わってゆくに観客は気づくことともなる。マリナは男のぺニスがいかにして膨張と収縮を遂げるかを知り、彼の胸の鼓動がどのようなリズムで響くのかを知る。一方的な実験は肉体同士の対話に姿を変え、そして彼女は相手の身体を知ると共に自分の身体をも知ることとなるのだ。

そして肉体と精神が重なりあい始める中で、もう1つマリナが対峙しなければならないものは死だ。死にゆく父の姿を目の当たりにしながら、マリナは躍動だけでなく今度は言葉を使い性について、死について彼と対話を果たす。パパはママ以外の誰かに性欲を抱いたことがある?……死んでしまったパパのことを私はどう見送ればいい?……そして彼女は父に私の名前を呼んでと静かに頼む、マリナ、もう一度、マリナ、もう一度、マリナ、マリナ、マリナ、マリナ。彼が死の理解へとたどり着き、マリナが生の理解へとたどり着いた瞬間の響きは余りにも痛切だ。

あなたの肉体を通じてわたしの肉体を知る、あなたの死を通じてわたしの生を知る。余りに奇妙な方法論が取られながら"Attenberg"が人々の心を深く打つのは、"わたし"への真摯で切実なる洞察がここにあるからなのだ。

"Attenberg"はヴェネチア国際映画祭コンペティション部門で上映、アリアーヌ・ラベが女優賞を獲得、デビュー作で受賞というのはジャック・ドワイヨン「ポネット」ヴィクトワール・ティヴィソル以来実に14年ぶりの快挙だという。「籠の中の乙女」とこの作品で以て"ギリシャの奇妙なる波"は始まりを告げた訳であるが、ツァンガリ監督はこれ以後"The Benaki Museum"ヴェネチア70周年記念のオムニバス"Venice 70: Future Reloaded"に参加など監督としては短編製作を主となる。一番有名なのはDesteFashionCollectionの企画の一環として、ポーランド人アーティストのアレクサンドラ・ヴァリシェフスカと共に作り上げた2012年の"The Capsule"だろう。とある建物に閉じ込められた7人の女性、彼女が訓練と発見、そして消失のサイクルを繰り返す様を描いたゴシックホラーは世界の映画祭で話題を呼ぶ。

プロデューサーとしてはアメリカのMike Ottとタッグを組み"Pearblossom Hwy""Lake Los Angeles"など、ギリシャ本国では"Lustlands"を手掛け、2013年にはリンクレイターのビフォア三部作完結編ビフォア・サンセットを製作、"Slacker"以来にリンクレイター作品に出演も果たしている。更にサンダンスのDirecting Labにはクリエイティヴ・アドバイザーとして参加、その時の教え子には「地中海」ジョナス・カルピニャーノ「ミニー・ゲッツの秘密」マリエル・ヘラーなどがいたという。

そして2015年にはとうとうの第3長編"Chevalier"を監督。ロンドン映画祭で作品賞を獲得した今作で彼女が批判の目を向けるのが"男らしさ"である。エーゲ海の真ん中、誰が一番"男らしい"かを競い船員たちがゲームを始めるという内容。"男らしさ"とは社会にとって都合よく仕立てあげられた虚構だと、ツァンガリ監督はいかに奇妙な映画を作っているのか、とても楽しみだ。

更には既に次回作の計画は進んでおり、その題名は"White Knuckles"、チンケな犯罪者の姉妹が詐欺やって、狂気の愛憎繰り広げて、家宅侵入して、拳で殴り合ったりする作品で、スクリューボール・コメディ、ネオ・ノワール、ケイパーもの、アクションとこの4つの要素が混ざり合ったものとなり、ロサンゼルスで撮影予定だそう。そしてもう1本進行中なのが"Duncharon"というSF映画だ。2012年の時点で計画は始まっていたのだが、世界観などの構築に力を入れたいらしく完成にはまだ何年もかかるという。内容はスクリューボール・トラジディー的SFで、最近日本でも公開された「オデッセイ」と話が似ている……という事故が起こり脚本を改変しなくてはならなくなったらしい。ということでツァンガリ監督の今後に超期待。

参考文献
http://cleojournal.com/2013/07/25/housekeeping-and-other-feudalisms-an-interview-with-athina-rachel-tsangari/(監督インタビュー)

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