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映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Bakur Bakuradze& "Shultes"/ロシア、全てが彼を過ぎ去っていく

ロシア映画といえばセルゲイ・エイゼンシュタインからジガ・ヴェルトフフセヴォロド・プドフキンアレクサンドル・ドヴジェンコなどソ連映画創世記に活躍した人物から、ゲオルギー・ダネリヤヴィターリー・カネフスキーニキータ・ミハルコフアレクサンドル・ソクーロフ、最近でもアンドレイ・ズビャギンツェフなどが受容され日本でも根強い人気を誇っている。とは言え、紹介されていない才能ある映画作家なんて山ほどいる訳だ。ということで今回はジョージアとロシアを股にかけ活躍する映画作家Bakur Bakuradzeと彼のデビュー長編"Shultes"を紹介していこう。

Bakur Bakuradzeは1969年3月16日、ジョージアトビリシ(当時はソ連領)に生まれた。1987年から2年間ソ連の軍隊で兵役についた後、まずモスクワの工業大学で整備士としての勉学に励んでいた。卒業後は全ロシア映画大学に入学、ロシアの有名な映画監督であるMarlen Khutsievの元で監督業について学ぶ。在学中の1998年に短編"Penniless"で映画監督デビューし、テレビドラマ"Sdvinutyy"や何本もの短編・ドキュメンタリーなどを手掛ける。中でも2007年の短編"Moskva"はソチ・キノタヴル映画祭やポーランドスプートニクロシア映画祭などで上映され話題となった。そして翌年、Bakuradze監督は長編デビュー作"Shultes"を手掛ける。

灰色の部屋に、灰色の服を纏った男。カメラは彼の顔を映し出す。その顔に浮かぶのは当惑なのか、諦念なのか、私たちには伺い知れない。彼は視線を移ろわせるだけで何も言わないが、窓の外に広がる光景、寒慄が全てを支配する町並みをふと見てから小さく呟く、何も思い出せないんです。

その男リョーシャ・シュルツ(Gela Chitava)は将来を嘱望されたアスリートだった。しかしある事件によってその道を絶たれた彼は虚ろな日々を過ごしている。彼には走る以外にももう1つ才能があり、それが盗みの才能だった。リョーシャは電車に乗り、乗客の中に獲物を探す。ターゲットを捉えると静かに近づき、ポケットに手を忍ばせ財布を盗む。金を取った後は財布を投げ捨て、そして母(Lyubov Firsova)の待つ家へと戻っていく。

スリに身を落とした男の日常風景、ここに何かサスペンスを期待するとしたらそれは完膚なきまでに裏切られることだろう。Bakuradze監督はただ淡々とシュルツの姿を描いていく。シーンとシーンの繋がりを敢えて排するような断絶を志向した編集、曇天の下を無言で歩き続けるリョーシャをドキュメンタリー的アプローチで追う無味乾燥な撮影。興奮は映画の完成度を著しく下げる物として、監督は興奮の芽生えを1つ1つ念入りに潰しながら、作品をロシアに満ちる寒々しさそのものとして展開させていく。

ある日彼はバスで自分と同じくスリを働く少年を見つける。ユスティックというその少年を捕まえたリョーシャは、しかし警察に突き出すことなく食事を共にすることとなる。この出会いはリョーシャにとある変化を与える……とは行く筈がない。彼はユスティックを自身が所属するグループに引き入れ、犯罪の片棒を担がせすらする。確かに少年はリョーシャを慕うようにもなるが、2人の関係性はあくまで犯罪によって結ばれた絆であり、彼の凍てついた心を溶かすには至らない。

"Shultes"において監督は、作品が何かを指向しようとしたり、何らかのテーマに収斂していこうとする度に物語を脱臼させていき、抑制に次ぐ抑制を以て"無"を保ち続ける。例えばリョーシャが親密な関係となる名もなき女性(Anya Soroka)、断続的に会話やセックスが描かれながらも、これが1つの物語として結実する直前、監督は彼女の存在を完全に消し去ってしまう。例えばリョーシャの母、2人が並び立ってテレビを観る姿が何度か挿入され、しかし監督はやはり彼女の存在をも死によって消し去る、彼女が死ぬ、棺桶の種類を相談する、葬式をする、自宅に遺灰が運ばれその匂いを少し嗅ぐ、それで全て終り。何もかもが彼を過ぎ去るが、リョーシャ自身それらに対し執着を抱くことは一度もない、彼の存在こそがまた"無"であるのだ。

リョーシャを演じるGela Chitavaはこの作品が初の出演作であり、現時点では最後の出演作でもある。Chitavaが湛える"無"の吸引力、そして鈍い輝きは凄絶なまでに印象的だ。以前このブログでも紹介したベンヤミンハイゼンベルク監督の"Der Räuber"(紹介記事)と今作はかなり似た部分が多いのだが、"Der Räuber"のAndrea Lustは演じるキャラクターの底知れなさにその演技を以て説得力を持たせていたが、Chitavaはひたすらに武骨だ、演技をしているというよりChitavaはそのままリョーシャとして在るのだ。Chitavaはリョーシャでしか有り得ず、リョーシャはChitavaでしか有り得ない。彼にとって今作が唯一の出演作という事実がこれを如実に証明しているだろう。

作品の禁欲性、Chitavaの武骨さ、これが徹底してきたからこそ後半においてそれらをはね除ける1つの物語の芽生えは痛烈だ。リョーシャはある時、自分がスリを働いた人物と思わぬ形で再会を果たすこととなる。彼女と対峙した時、リョーシャの目元から闇が晴れ、微かに赤みの宿る瞳が私たちの前に現れる。そして彼は否応なしに過去を振り返らざるを得なくなる。それがどんな結果を生み出すこととなろうとも。

"Shultes"は空っぽになった人間の生の冷ややかなるポートレートだ。誰にもこの虚無を救うことは出来ない。[A-]

Bakuradze監督の第2長編は2011年の"Okhotnik"だ。農場を経営しているイワンは妻や娘、そして数十匹の小豚たちと共に静かな暮らしを送っていた。だがある日、農場に2人の男がやってきたことでイワンの暮らしは少しずつ変化していくという作品だそう。そして第3長編は2015年の"Brat Deyan"だ。デヤン将軍はバルカン戦争の英雄だったが、今は逃亡生活を余儀なくされていた。しかし10数年の逃走の後、彼はロシアの小さな村を安住の地として暮らし始めるが、過去はそう簡単にデヤンを取り逃す訳もなかった……今作は私の大好きなロカルノ映画祭でプレミア上映後、ウラジオストクハンブルクで上映され話題となった。ということでBakuradze監督の今後に期待。

参考文献
http://www.ioncinema.com/directors/bakur-bakuradze(監督プロフィール)

私の好きな監督・俳優シリーズ
その1 Chloé Robichaud &"Sarah préfère la course"/カナダ映画界を駆け抜けて
その2 アンドレア・シュタカ&“Das Fräulein”/ユーゴスラビアの血と共に生きる
その3 ソスカ姉妹&「復讐」/女性監督とジャンル映画
その4 ロニ・エルカベッツ&"Gett, le procès de Viviane Amsalem"/イスラエルで結婚するとは、離婚するとは
その5 Cecile Emeke & "Ackee & Saltfish"/イギリスに住んでいるのは白人男性だけ?
その6 Lisa Langseth & "Till det som är vackert"/スウェーデン、性・権力・階級
その7 キャサリン・ウォーターストン&「援助交際ハイスクール」「トランス・ワールド」/「インヒアレント・ヴァイス」まで、長かった……
その8 Anne Zohra Berracherd & "Zwei Mütter"/同性カップルが子供を作るということ
その9 Talya Lavie & "Zero Motivation"/兵役をやりすごすカギは“やる気ゼロ”
その10 デジリー・アッカヴァン&「ハンパな私じゃダメかしら?」/失恋の傷はどう癒える?
その11 リンゼイ・バージ&"The Midnight Swim"/湖を行く石膏の鮫
その12 モハマド・ラスロフ&"Jazireh Ahani"/国とは船だ、沈み行く船だ
その13 ヴェロニカ・フランツ&"Ich Ser Ich Ser"/オーストリアの新たなる戦慄
その14 Riley Stearns &"Faults"/ Let's 脱洗脳!
その15 クリス・スワンバーグ&"Unexpected"/そして2人は母になる
その16 Gillian Robespierre &"Obvious Child"/中絶について肩の力を抜いて考えてみる
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