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映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Anna Melikyan & "Rusalka"/人生、おとぎ話みたいには行かない

辛く苦しい世界の中で想像力だけが少年少女の生きる希望、あなたはそんな映画を何本も観たことがあるはずだ。世界の全てが敵であったとしても想像力はそこにあってくれる、現実と戦うためのたった1つのかけがえない武器としてあってくれる、例えばギレルモ・デル・トロ監督のパンズ・ラビリンスはそれを美しくも残酷な形で私たちに見せてくれた。今回紹介するのもそんな、映画、ではない……

Anna Melikyanは1976年2月8日、アゼルバイジャン(当時はソビエト連邦)のバクーに生まれた。モスクワの全ロシア映画大学出身で、学んでいた教授には「エゴール・ブルイチョフ」セルゲイ・ソロビヨフ「スタフ王の野蛮な狩り」ワレーリー・ルビンチクなどがいた。

監督デビュー作は2000年の短編"Poste Restante"で大学の映画祭で栄えあるSaint Anna賞を獲得後、世界の映画祭を回り、クレルモン=フェラン国際短編映画祭で特別賞、メルボルン国際映画祭では短編・実験映画部門の作品賞を獲るなど話題になる。卒業後は中央行政機関であるゴスキノに在籍し、ドキュメンタリーやTV映画を何本か手掛ける。2004年には"Mars"で長編デビューを果す。舞台はマルクスという小さな町、住民たちは皆おもちゃ工場で働くおもちゃの奴隷として生きていた。そんな町に元ボクサーのボリスが現れるのだが……というファンタジー映画でシアトルや、ワルシャワ、アルゼンチンのマル・デル・プラタ映画祭で上映される。そして3年後の2007年、彼女はアンデルセンの童話「にんぎょ姫」をモチーフとして、第2長編"Rusalka"を監督する。

とある海がキレイなロシアの港町、そこに大きな大きな体をした女の人が住んでいました。彼女が好きだったのは観光客も誰もいない場所に行き、全裸で海を泳ぐことでした。この日も彼女は、満面の笑みを浮かべる太陽の下、サンゴと一緒に思う存分泳いでいました。だけど陸へ上がるとそこには制服を着た海の兵隊さんが一人。彼女はたちまち恋に落ち、その兵隊さんと海の中で愛を交わしあったのです。そして生まれたのがアリサという可愛い可愛い女の子でした……

そんな導入部から始まる"Rusalka"は、しかし世知辛いお話だ。6歳になったアリサ()は母や祖母と共にボロっちい家で、父の帰りをずっと待ち続けていた。彼女には夢があった、バレエダンサーになりたいという夢が。だけれど顰めっ面した母親に聖歌隊へと入れられ、彼女もまた渋い顔して歌を唄う羽目になってしまう。しかも母は父を裏切って若い男と愛を交わしあっているのだからアリサはとうとうブチ切れてしまい、その怒りは炎となって家を燃やし尽くしてしまうのでした。

そのメルヘンな語り口に反して、アリサの生きる世界は生々しい不満と鬱憤に満ちている。大人はどいつもこいつもクソったれ、楽しいことなんか1つも存在しないし、カラフルなのは潜水服をお父さんが現れてくれる夢の中だけ。そうして月食の日、ウンザリした彼女は自分の喉から言葉を捨て去ってしまうのだが、此処はフォルカー・シューレンドルフ監督作ブリキの太鼓で大人になることを止める主人公の姿に重なる。Melikyan監督はそうして不満を募らせていくアリサにこの世界に対抗するための力を与える。

言葉を捨て去ってから10年が経ち17歳になったアリサ(Mariya Shalayera)が得たのは、願ったことを全て実現させる超能力!木からリンゴの実を全部落としたり、竜巻起こしたり……そんな力はもう1つ、ロシアの首都モスクワへの切符も運んでくれたのである。アリサは家族と共にモスクワに引越し、新たな人生を始めようとするがそんな簡単に行く筈もなく……

6歳の時代は海と潮風がアリサの世界に彩りを与えてくれていたが、モスクワとなるとその色彩すら消え果ててしまう。撮影監督Oleg Kirichenkoの撮す巨大都市は灰色が陰鬱に立ち込め、観る者の気を滅入らせる。だけどアリサはぎこちないなりに笑顔を張り付け、大学に通おうとしたり、携帯電話の着ぐるみを被ってお金を稼ごうとしたり人生を謳歌しようとするが、その度に現実は彼女の頬をブン殴りにやってくる。ガラスの向こうでバレエの練習に励む人々を見つめるアリサの幸せは、サッカーで日本に負けて激怒したフーリガンの暴力によって粉々に破壊されると不条理なまでに残酷だ。人生に絶望したアリサは橋から入水自殺を遂げようとするが、自分より先に飛び込んでいった男こそがサーシャ(Evgeniy Tsyganov)、これが運命の出会いだった。

今作はジャン=ピエール・ジュネアメリに例えられることが多い。確かにアリサの夢見がちな性格やメルヘンチックな演出筆致など重なる要素は多くありながら、この"Rusalka"に特徴的なのは一種の鈍臭さだ。おとぎ話が題材ながらストーリーが完全にメルヘンの方角へ飛び立とうとすると、現実の魔の手が容赦なく映画を大地へと引き倒す。アリサの愛のアレコレもそうだ、サーシャの家に家政婦として潜り込むことに成功しながら、愛に関して超能力は使えないし(もしくは使わない?)、恋のライバル的な存在としてリタという女性が現れるも結構絡むかと思えば微妙で、無駄に地に足がついている感触を与えるのだ。

しかしこの鈍臭さは画面に満ちる陰鬱な色調と相まって、不条理な現実としてアリサに影を投げ掛け、それは終盤でひどく痛烈な形で結実することとなる。そしてアリサ役のMariya Shalayeraも幸が薄そうな顔なんだ、これが。眉毛がなくて笑顔も繊細さと不気味さの2つの間を危なっかしく行き交う感じで、そんなアリサにMelikyan監督は"少女の想像力は彼女自身を救わない"という冷酷な現実を叩きつける。だけど確かに元になった「人魚姫」も辛い終わりだった、いやでも映画でくらい夢見せてくれたって良いじゃない……

"Rusalka"はベルリン国際映画祭のパノラマ部門ではFipresci賞、サンダンス映画祭ではインターナショナル部門の監督賞、ソフィア国際映画祭やアルメニアエレバン国際映画祭ではグランプリを獲得し、2009年のアカデミー外国語映画賞ロシア代表に選ばれるなど高い評価を受けることとなった。

この後はしばらくの間プロデューサーとしての活動に専念、新年に双子の少年が巻き起こす騒動を描いた"Semeyka Ady"(2008)、結婚したい1人の女性のドタバタ劇"Svadba Po Obmenu"(2011)などを製作する。そんな中で2014年に彼女は待望の第3長編"Zvezda"を監督、今回モチーフにしたのは「シンデレラ」で、15歳の少年とそのワガママな継母、そして才能皆無な若手女優の3人を中心に"夢は絶対叶わない!"ことを描き出したアンチおとぎ話映画だそうで、ソチ・オープン・ロシア映画祭、ワルシャワ国際映画祭、タリン・ブラック・ナイト映画祭、香港国際映画祭など世界中で上映され話題を集めた。

そんなMelikyan監督の最新作は2015年の"Pro Lyubov"だ。自分たちは特別なのだと信じなければもう崩壊寸前の倦怠期カップルが愛の真実へと辿り着くまでを描き出したラブコメ映画で常連のソチ・オープン・ロシア映画祭でプレミア上映、作品賞を獲得することとなった。ということでMelikyan監督の今後に期待。

参考文献
https://www.festivalscope.com/director/melikyan-anna(監督プロフィール)

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その5 Cecile Emeke & "Ackee & Saltfish"/イギリスに住んでいるのは白人男性だけ?
その6 Lisa Langseth & "Till det som är vackert"/スウェーデン、性・権力・階級
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その97 アンジェリーナ・マッカローネ&"The Look"/ランプリング on ランプリング