鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Eva Neymann & "Pesn Pesney"/初恋は夢想の緑に取り残されて

さて、ウクライナである。今、映画界においてウクライナと言えば、全編手話で字幕なしの独特のスタイルで世界中を湧かせたミロスラヴ・スラボシュピツキー監督のデビュー長編「ザ・トライブ」以外にはないだろう、とか言いながら私は観てない、長回し主体の作劇とか絶対好きそうだけども観ていない、タイミングを逃すとどんなに観たい映画でも観ない、今は未公開映画ばかり観ているので尚更だ。ということでやはり私は未公開のウクライナ映画を観る訳である。

Eva Neymannは1974年6月21日、ウクライナザポリージャに生まれた。大学時代はドイツへと留学、フィリップ大学マールブルクで法律について、そしてベルリンのドイツ映画テレビアカデミー(dffb)で監督業について学んでいた。監督デビューは2001年の短編"Friere ein, Taue auf"、その後も中編ドキュメンタリー"Just Like Old Times"(2004)、短編ドキュメンタリー"Das Meer Sehen"(2005)、"God's Way"(2007)などをドイツで手掛けるが、2007年に故郷であるウクライナに戻り、初の長編映画"U Reki"(英題: By the River)を監督する。84歳の母と60歳の娘、彼女たちの人生がとある来訪者の存在によって静かに姿を変えていく作品で、ドイツのヴィースバーデンgoEast映画祭で特別賞を獲得した。

第2長編は2012年の"Dom s Bashenkoy"、主人公じゃ母と共に祖父の元へと向かう8歳の少年だ、しかしその道中で母はチフスで亡くなってしまう。それでも少年は祖父に会うため旅を続けることを選び……「惑星ソラリス」の脚本も執筆したソ連の小説家フリードリッヒ・ガレンシュテインの作品を映画化した本作は上海映画祭でプレミア上映、ベオグラード、シアトル、ケベックなど上映され、イスタンブール国際映画祭のインターナショナル部門、カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭の東欧映画部門、そしてこのブログではお馴染みタリン・ブラック・ナイト映画祭では作品賞と撮影賞を獲得するなど話題になった。そして2015年彼女は第3長編"Pesn Pesney"(英題: Song of Songs)を手掛ける。

広がるのは深い闇、舞い散るのは数百の雪の欠片、そんな2つの色彩がうらぶれた村を彩る時間の中で、私たちは窓の向こう、オレンジ色の灯りに包まれて体をバタつかせる赤子の姿を見るだろう。神に祝福される赤子の名前はシーメック、彼こそが"Pesn Pesney"の主人公だ。

物語は数年後に移り、シーメック(Yevheniy Postolova)は気難しそうな少年に成長している。舞台は1905年のウクライナユダヤ人コミュニティであるシュテートルに彼は住んでいた。ハシディズム(厳格なユダヤ教徒)家庭に生まれたシーメック、家では両親に神秘主義を押し付けられ、学校ではそんな自分を教師にも同級生にも笑われて息苦しい日々を送っていた。そんな少年の心の支えは向かいの家に住む年上の少女ブージャ(Milena Tsibulskaya)の存在だ。シーメックは王子で、ブージャは王女だ、いつか夢に浮かぶあの緑の地で2人きりで暮らそうと約束しているが、シーメックはその思いが恋という物だとはまだ知らなかった。

Nyemann監督はシーメックたちの姿を通じて、シュテートルに広がる日常を生き生きと映し出す。彼女がそのために多用するのが横移動撮影だ。カメラは町の中をゆっくりと右へ、もしくは左へと動いていくうち、泥の水溜まりに足を突っ込む子供たち、カバンを持って道を歩く女性たち、和気藹々と会話を繰り広げる人々が浮かんでは消えていく。この村には確かに誰かの人生が根付いているのだと感じられる瞬間が何度もあるのだ。

(ロケ地について尋ねられ)“この作品は主にオデッサとヴィルコヴォ――ドナウ・デルタ沿いに位置していて、ウクライナヴェネチアとも呼ばれる絵画のように美しい町で撮影されました。2013年の5月、撮影監督のRimmvydas Leipusと共に"楽園"に相応しいロケ地を探す途中、オデッサの海岸近くでコーヒーを飲んでいた時のことです。私たちは殆ど同じタイミングで「もう私たちは楽園にいるじゃないか!」と口にしていたんです。ですがその後のロケ地探しは難航を極めて、結局最後にはコーヒーを飲んでいた場所に戻ってきたんです。それが2014年の5月、1年もの時間が経っていました。その間にオデッサでは多くの痛ましい悲劇に見舞われ、そして5月2日の事件(労働組合の建物に火がつけられ、多くの人々が焼死するという事件)が起こってしまったんです。クルーたちの間には緊張感と恐怖が張りつめ、事件については何も語ってはならないという暗黙の了解が共有されているのを感じました。それはこの楽園がいつまでも残っていますようにという願いの表れにも思えたんです”

しかし逆に、村を包み込む色彩は陰鬱なものが多い。撮影監督Rimvydas Leipsが要とするのは3色だ。シーメックの住まいの外壁は青と緑の狭間を行くような彩りながら、此処に影の薄い黒が加わるのだ。それは現状に息苦しさを感じているシーメックの心がそのまま投影されている。ブージャとの交流も苦しみを完全に癒してはくれないのだ。

そして舞台は再び数年後に移る。抑圧的な家庭と村から逃げ出し、医師としての道を歩み始めたシーメック(Avsenity Semenov)はある知らせを受け取ることとなる、ブージャ(Arina Postolova)が結婚するというのだ。それをきっかけに彼は数年ぶりに村の土を踏むことになる。かつての隣人や両親たち、そして美しく成長したブージャと再会するうち、時は全てを変えていってしまうことを彼は悟ることとなる。

前半と後半の些か粗い連結は、しかし過ぎ去った時間を際立たせていく。彼が住んでいた家の姿は殆ど変わってはいないが、大人になったシーメックとブージャの姿によってむしろ残酷なムードを帯びる。青と緑の壁にかかる影は、苦しみから後悔の彩りへと変わってしまっているのだ。結ばれることはないと宿命付けられた2人、シーメックは言葉と共に彼女を追いかけ、ブージャは言葉と共に彼から逃げていく。いつしか物語は演劇的な様相を呈し、愛という名の緊張感が張りつめる。だが全てはもう遅すぎるのだ。

物語の随所に、緑の地で過ごす2人の夢が現れる。2人は木々の間を行き交い、2人は笑いあい、2人は幸せを噛み締める。そこには筆舌に尽くしがたい美しさが広がりながらも、シーメックたちはもう戻ることは出来ない、初恋は緑の夢想に取り残されて再び手にすることは出来ない、永遠に。

"Pesn Pesney"は再びのカルロヴィ・ヴァリ国際映画祭でエキュメニカル賞を、そして故郷ウクライナ最大の映画祭であるオデッサ国際映画祭では作品賞を獲得するなど多大なる評価を獲得することとなった。ということでNeymann監督の今後に期待。

参考文献
http://www.songofsongsfilm.com/(映画公式サイト)
https://www.festivalscope.com/director/neymann-eva(監督プロフィール)

私の好きな監督・俳優シリーズ
その51 Shih-Ching Tsou&"Take Out"/故郷より遠く離れて自転車を漕ぎ
その52 Constanza Fernández &"Mapa para Conversar"/チリ、船の上には3人の女
その53 Hugo Vieira da Silva &"Body Rice"/ポルトガル、灰の紫、精神の荒野
その54 Lukas Valenta Rinner &"Parabellum"/世界は終わるのか、終わらないのか
その55 Gust Van den Berghe &"Lucifer"/世界は丸い、ルシファーのアゴは長い
その56 Helena Třeštíková &"René"/俺は普通の人生なんか送れないって今更気付いたんだ
その57 マイケル・スピッチャ&"Yardbird"/オーストラリア、黄土と血潮と鉄の塊
その58 Annemarie Jacir &"Lamma shoftak"/パレスチナ、ぼくたちの故郷に帰りたい
その59 アンヌ・エモン&「ある夜のセックスのこと」/私の言葉を聞いてくれる人がいる
その60 Julia Solomonoff &"El último verano de la Boyita"/わたしのからだ、あなたのからだ
その61 ヴァレリー・マサディアン&"Nana"/このおうちにはナナとおもちゃとウサギだけ
その62 Carolina Rivas &"El color de los olivos"/壁が投げかけるのは色濃き影
その63 ホベルト・ベリネール&「ニーゼ」/声なき叫びを聞くために
その64 アティナ・レイチェル・ツァンガリ&"Attenberg"/あなたの死を通じて、わたしの生を知る
その65 ヴェイコ・オウンプー&「ルクリ」/神よ、いつになれば全ては終るのですか?
その66 Valerie Gudenus&"I am Jesus"/「私がイエス「いや、私こそがイエ「イエスはこの私だ」」」
その67 Matias Meyer &"Los últimos cristeros"/メキシコ、キリストは我らと共に在り
その68 Boris Despodov& "Corridor #8"/見えない道路に沿って、バルカン半島を行く
その69 Urszula Antoniak& "Code Blue"/オランダ、カーテン越しの密やかな欲動
その70 Rebecca Cremona& "Simshar"/マルタ、海は蒼くも容赦なく
その71 ペリン・エスメル&"Gözetleme Kulesi"/トルコの山々に深き孤独が2つ
その72 Afia Nathaniel &"Dukhtar"/パキスタン、娘という名の呪いと希望
その73 Margot Benacerraf &"Araya"/ベネズエラ、忘れ去られる筈だった塩の都
その74 Maxime Giroux &"Felix & Meira"/ユダヤ教という息苦しさの中で
その75 Marianne Pistone& "Mouton"/だけど、みんな生きていかなくちゃいけない
その76 フェリペ・ゲレロ& "Corta"/コロンビア、サトウキビ畑を見据えながら
その77 Kenyeres Bálint&"Before Dawn"/ハンガリー、長回しから見る暴力・飛翔・移民
その78 ミン・バハドゥル・バム&「黒い雌鶏」/ネパール、ぼくたちの名前は希望って意味なんだ
その79 Jonas Carpignano&"Meditrranea"/この世界で移民として生きるということ
その80 Laura Amelia Guzmán&"Dólares de arena"/ドミニカ、あなたは私の輝きだったから
その81 彭三源&"失孤"/見捨てられたなんて、言わないでくれ
その82 アナ・ミュイラート&"Que Horas Ela Volta?"/ブラジル、母と娘と大きなプールと
その83 アイダ・ベジッチ&"Djeca"/内戦の深き傷、イスラムの静かな誇り
その84 Nikola Ležaić&"Tilva Roš"/セルビア、若さって中途半端だ
その85 Hari Sama & "El Sueño de Lu"/ママはずっと、あなたのママでいるから
その86 チャイタニヤ・タームハーネー&「裁き」/裁判は続く、そして日常も続く
その87 マヤ・ミロス&「思春期」/Girl in The Hell
その88 Kivu Ruhorahoza & "Matière Grise"/ルワンダ、ゴキブリたちと虐殺の記憶
その89 ソフィー・ショウケンス&「Unbalance-アンバランス-」/ベルギー、心の奥に眠る父
その90 Pia Marais & "Die Unerzogenen"/パパもクソ、ママもクソ、マジで人生全部クソ
その91 Amelia Umuhire & "Polyglot"/ベルリン、それぞれの声が響く場所
その92 Zeresenay Mehari & "Difret"/エチオピア、私は自分の足で歩いていきたい
その93 Mariana Rondón & "Pelo Malo"/ぼくのクセっ毛、男らしくないから嫌いだ
その94 Yulene Olaizola & "Paraísos Artificiales"/引き伸ばされた時間は永遠の如く
その95 ジョエル・エドガートン&"The Gift"/お前が過去を忘れても、過去はお前を忘れはしない
その96 Corneliu Porumboiu & "A fost sau n-a fost?"/1989年12月22日、あなたは何をしていた?
その97 アンジェリーナ・マッカローネ&"The Look"/ランプリング on ランプリング
その98 Anna Melikyan & "Rusalka"/人生、おとぎ話みたいには行かない
その99 Ignas Jonynas & "Lošėjas"/リトアニア、金は命よりも重い
その100 Radu Jude & "Aferim!"/ルーマニア、差別の歴史をめぐる旅
その101 パヴレ・ブコビッチ&「インモラル・ガール 秘密と嘘」/SNSの時代に憑りつく幽霊について