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映画痴れ者/ライター済藤鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Michel Lipkes&"Malaventura"/映画における"日常"とは?

映画においては劇的な場面を描くよりも、日常を描く方が何倍も難しい。何も起きないことに映画的な強度と意味を宿すのは、そもそも映画という概念とは?という時点から考えないと悲惨な出来に落ちる。私たちは嫌というほど日常を味わっているというのに、映画でそれを見せられたら堪ったものではないのだ。

だがその高いハードルを軽々と乗り越え、私たちの観たこともない日常を描くことの出来る天才は確かに存在する。例えばシャンタル・アケルマン「ジャンヌ・ディエルマン」によって実は日常がどれほどの映画的なアクションで構成されているかを徹底した観察スタイルで浮き彫りにしたし、例えばスイスの超新星Ramon Zürcherによる長編デビュー作""は、普通の家族がリビングで繰り広げる日常を、シャンタル・アケルマンの禁欲性とジャック・タチの過剰さを組み合わせることで、全く以て予測不可能で且つスリリングな光景に転じてみせた。さて今回はそんな天才たちの系譜に連なる現代メキシコ映画界の中心人物Michel Lipkesと彼の長編デビュー"Malaventura"を紹介していこう。

Michel Lipkesは1978年メキシコに生まれた。書くのは何度目か分からないが、彼もやはり名門メキシコ映画技能センター出身である。在学中からメキシコシティ国際映画祭のキュレーターとなり、グアダラハラ国際映画祭やシネテカ国際映画祭など様々な映画祭のプログラマーとして活躍する。更に母校のCCCやオアハカ、サン・カルロスの学校で教鞭を取るなどもしている。

映画監督としては2005年の"Escupir contra el Viento""A Cow inside My Head"、更にAFIフェストで短編賞を獲得した2008年の"El Nino sin Piernas no Puede Baliar"など短編をコンスタントに監督、その一方で制作者としてメキシコ映画を幾つか手掛けながら、フィリピンのラヤ・マーティンアメリカのアレックス・ロス・ペリーがタッグを組んだ"La última película"も制作している。少しこの映画に触れると、第2長編"Color Wheele"で名声を博したインディー映画作家ペリーが次の舞台に選んだのはユカタン半島、彼はそこで最新作"The Mayan Apocalypse Intercedes"を作ろうとしていたのだが、様々な困難が彼とスタッフを襲い……という姿を描いたモキュメンタリー・ウエスタンでリスボン&エストリル映画祭で特別賞を獲得した。そして時間は戻るが2011年、Lipke監督は初の長編映画"Malaventura"を手掛ける。

何かが競り上がってくる音と共に、画面の中心に微かな白い光が灯り始める。何なのか訝しんでいる内に、それが太陽の光を抱いた薄いカーテンだと分かり、ほぼ同時にカメラの映し出す場所が誰かの住む部屋なのだとも分かる筈だ。その全体像が見えてくる頃、奥のベッドから起き上がってくる者がいる、おそらく"彼"はベッドを出るとフレームの外へとそそくさと消える。かと思うと私たちの耳に聞こえてくるのは、水がチロチロと落ちていく音。これについては考える必要もない、排尿の音だとすぐに分かる。そして彼は部屋に戻ってくるとコーヒーを入れ、身支度を始める。だがこの光景はいつまで続く?と、貴方は思うだろう。それと同時にこの映画は他の作品とは何かが確実に違うと思うことともなる。

この冒頭にこそ"Malaventura"の全ては詰まっていると断言してもいい。今作は1人の人間の日常以外を描くことはない、それでいて今作は他の何とも違う無二のヴィジョンを宿している。私たちはまず上述の如く、ある老人(Isaac Lopez)の朝支度を見ることとなる。だがその撮し方、少しだけ上に傾いたカメラ、かたく固定され微動だにしない眼差し、部屋はある意味でミニチュア的質感を以て撮されながら、この空間には異様な広がりすら感じられる。そこで行われるのは何気ない日常の行為だ、しかし酷く現実離れしているとしか言いようがない。この日常の脱構築性と形容すべき要素、それが"Malaventura"を唯一無二とするものだ。

身支度の終了を以て冒頭の長回しは一旦潰えることとなるが、次に現れるのはメキシコのとある町の風景だ。建物が並び立ち、人々の喋り声や車のエンジン音が空気を貫く喧騒の街並み。再びの不動を以て、カメラは喧騒とは裏腹に色彩を剥ぎ取られたかのような街を眺めるが、観る者は1つの不安に襲われることともなる。部屋にいた男は一体何処に映っているのかと。延々たるロングショットの中で人々の姿は酷く小さい、目を凝らして道を歩く者たちに彼の名残を探しても見つかりはしない。引き伸ばされた時間に不安をいたずらに煽られながら、そんな私たちを嘲笑うかの如く、カメラが右に動き出す。私たちは陰鬱さを湛えながら歩く人影を目撃するだろう、それが彼だ。

だが次に連なるシークエンスに驚く観客も多いのではないだろうか。そして男は店に入る、そして男は飲み物を手に掴む、そして男はレジに向かう、そして男は店員と話す、そして男は小銭を台に置く、そして男は袋を掴む、そして男は店から出る……先程とはうってかわって、偏執的な長回しは影を潜め、クロースアップを多用した短く性急なカット割りが続く。私たちのこの映画に対する理解を逃れるような素振りだ。それでいて画面に立ち上るのは再びの長回し、地面に踞り買ってきた飲み物に何かする様を冗長なほどに長々と描き出すのだ。

だが段々と分かってくる筈だ、これがLipke監督のスタイルであるのだと。ある時、やはりただただ道を歩いている男の姿をロングショットで眺める場面がある。しかしふと彼が立ち止まり、通行人の目も気にせず、道に再び踞る。何をしているかと思えば、突然彼の掌に乗った黄色い落ち葉のクロースアップが挿入される。この余りに極端な編集は観る者に有無を言わせぬ迫力に満ちている。彼にとっては日常のワンシーンに過ぎない場面が、私たちにとっては何と劇的なことだろうか。Lipke監督はつまり、映画の更なる可能性を追究しようとしている。映画は私たちの何気ない日常をいかにして、これを観る人々の日常に対する磨耗した感覚が揺さぶられる瞬間としてスクリーンに焼き付けることが出来るのか。監督はこの"Malaventura"で以てそれに挑戦し、頗る見事な成長を遂げているのだ。

しかしそういった表象の面においてのみ、今作が優れている訳ではない。私たちは男の日常をこの眼に撮し続けることにな、例えば道を歩く、地下鉄に乗る、ベンチに座る、道を歩く、ベンチに座って前を見る、ベンチに座る、道を歩く……監督は前述の撮影スタイルを駆使して、この光景を深い憂鬱で塗りつぶしていく。この老人は一体何者なのか、この老人は何故このような生温い地獄に生きているのか、この老人の過去に何があったのか、様々な疑問が浮かんでくるがその問いに答えがもたらされることはないし、そもそも私たちもそれを期待はしていない、それでも無数の問いが浮かび上がるのを止められない。何度も記したがこの映画に物語性はほぼ存在しない、何も起きない、だがこの巨大な空白は私たちに絶えず考えを促す。観る者それぞれの中でこそ今作の物語性は形を成す。

"Malaventura"はある意味で映画というメディアが表現できる"無"という概念の1つの極致であるかもしれない。だが"無"とはそれに触れる者たちの中で何にも似ることのない無数の完全性を生むのだと、今作は教えてくれる。

参考文献
https://pro.festivalscope.com/director/lipkes-michel(監督プロフィール)

メキシコ!メキシコ!メキシコ!
その1 Elisa Miller &"Ver llover""Roma"/彼女たちに幸福の訪れんことを
その2 Matias Meyer &"Los últimos cristeros"/メキシコ、キリストは我らと共に在り
その3 Hari Sama & "El Sueño de Lu"/ママはずっと、あなたのママでいるから
その4 Yulene Olaizola & "Paraísos Artificiales"/引き伸ばされた時間は永遠の如く
その5 Santiago Cendejas&"Plan Sexenal"/覚めながらにして見る愛の悪夢
その6 Alejandro Gerber Bicecci&"Viento Aparte"/僕たちの知らないメキシコを知る旅路

私の好きな監督・俳優シリーズ
その51 Shih-Ching Tsou&"Take Out"/故郷より遠く離れて自転車を漕ぎ
その52 Constanza Fernández &"Mapa para Conversar"/チリ、船の上には3人の女
その53 Hugo Vieira da Silva &"Body Rice"/ポルトガル、灰の紫、精神の荒野
その54 Lukas Valenta Rinner &"Parabellum"/世界は終わるのか、終わらないのか
その55 Gust Van den Berghe &"Lucifer"/世界は丸い、ルシファーのアゴは長い
その56 Helena Třeštíková &"René"/俺は普通の人生なんか送れないって今更気付いたんだ
その57 マイケル・スピッチャ&"Yardbird"/オーストラリア、黄土と血潮と鉄の塊
その58 Annemarie Jacir &"Lamma shoftak"/パレスチナ、ぼくたちの故郷に帰りたい
その59 アンヌ・エモン&「ある夜のセックスのこと」/私の言葉を聞いてくれる人がいる
その60 Julia Solomonoff &"El último verano de la Boyita"/わたしのからだ、あなたのからだ
その61 ヴァレリー・マサディアン&"Nana"/このおうちにはナナとおもちゃとウサギだけ
その62 Carolina Rivas &"El color de los olivos"/壁が投げかけるのは色濃き影
その63 ホベルト・ベリネール&「ニーゼ」/声なき叫びを聞くために
その64 アティナ・レイチェル・ツァンガリ&"Attenberg"/あなたの死を通じて、わたしの生を知る
その65 ヴェイコ・オウンプー&「ルクリ」/神よ、いつになれば全ては終るのですか?
その66 Valerie Gudenus&"I am Jesus"/「私がイエス「いや、私こそがイエ「イエスはこの私だ」」」
その67 Matias Meyer &"Los últimos cristeros"/メキシコ、キリストは我らと共に在り
その68 Boris Despodov& "Corridor #8"/見えない道路に沿って、バルカン半島を行く
その69 Urszula Antoniak& "Code Blue"/オランダ、カーテン越しの密やかな欲動
その70 Rebecca Cremona& "Simshar"/マルタ、海は蒼くも容赦なく
その71 ペリン・エスメル&"Gözetleme Kulesi"/トルコの山々に深き孤独が2つ
その72 Afia Nathaniel &"Dukhtar"/パキスタン、娘という名の呪いと希望
その73 Margot Benacerraf &"Araya"/ベネズエラ、忘れ去られる筈だった塩の都
その74 Maxime Giroux &"Felix & Meira"/ユダヤ教という息苦しさの中で
その75 Marianne Pistone& "Mouton"/だけど、みんな生きていかなくちゃいけない
その76 フェリペ・ゲレロ& "Corta"/コロンビア、サトウキビ畑を見据えながら
その77 Kenyeres Bálint&"Before Dawn"/ハンガリー、長回しから見る暴力・飛翔・移民
その78 ミン・バハドゥル・バム&「黒い雌鶏」/ネパール、ぼくたちの名前は希望って意味なんだ
その79 Jonas Carpignano&"Meditrranea"/この世界で移民として生きるということ
その80 Laura Amelia Guzmán&"Dólares de arena"/ドミニカ、あなたは私の輝きだったから
その81 彭三源&"失孤"/見捨てられたなんて、言わないでくれ
その82 アナ・ミュイラート&"Que Horas Ela Volta?"/ブラジル、母と娘と大きなプールと
その83 アイダ・ベジッチ&"Djeca"/内戦の深き傷、イスラムの静かな誇り
その84 Nikola Ležaić&"Tilva Roš"/セルビア、若さって中途半端だ
その85 Hari Sama & "El Sueño de Lu"/ママはずっと、あなたのママでいるから
その86 チャイタニヤ・タームハーネー&「裁き」/裁判は続く、そして日常も続く
その87 マヤ・ミロス&「思春期」/Girl in The Hell
その88 Kivu Ruhorahoza & "Matière Grise"/ルワンダ、ゴキブリたちと虐殺の記憶
その89 ソフィー・ショウケンス&「Unbalance-アンバランス-」/ベルギー、心の奥に眠る父
その90 Pia Marais & "Die Unerzogenen"/パパもクソ、ママもクソ、マジで人生全部クソ
その91 Amelia Umuhire & "Polyglot"/ベルリン、それぞれの声が響く場所
その92 Zeresenay Mehari & "Difret"/エチオピア、私は自分の足で歩いていきたい
その93 Mariana Rondón & "Pelo Malo"/ぼくのクセっ毛、男らしくないから嫌いだ
その94 Yulene Olaizola & "Paraísos Artificiales"/引き伸ばされた時間は永遠の如く
その95 ジョエル・エドガートン&"The Gift"/お前が過去を忘れても、過去はお前を忘れはしない
その96 Corneliu Porumboiu & "A fost sau n-a fost?"/1989年12月22日、あなたは何をしていた?
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