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映画痴れ者/ライター済藤鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Benjamín Naishtat&"Historia del Miedo"/アルゼンチン、世界に連なる恐怖の系譜

さてアルゼンチンである。ゼロ年代に入りアルゼンチン映画界にはルクレシア・マルテルというこの国の現在と変化を冷たく鋭い洞察で以て描き出す巨人が立ち上がった後、次世代の才能が次々と現れている。例えば2015年に日本でも「約束の地」公開されたリサンドロ・アロンソは独特の眼差しで時の流れ行く様を見つめそこに生まれる無二の瞬間を捉える技に長けた映画作家であるし、以前紹介した"El último verano de la Boyita"Julia Solomonoff(この記事を読んでね)は私の体を私はどう愛せばいいのか?という命題を柔らかく温かい筆致で描き出す注目の作家だ。だが此処において、とうとう私が前々から注目していた異形の映画作家について紹介できることを喜ばしく思いたい。ということで今回はアルゼンチン映画界の新星Benjamin Naishtatと彼のデビュー長編"Historia del Miedo"について紹介していこう。

Benjamín Naishtatは1986年ブエノス・アイレスに生まれた。映画好きの両親の影響で、幼少期からクシシュトフ・キシェロフスキヴィム・ヴェンダースに親しんでいた。11歳の頃から8mmカメラを持って友人たちとホラーやアクションを撮影するようになる。ブエノス・アイレス映画大学で学んだ後、フランスに2年間留学、ル・フレノワ国立現代芸術スタジオの現代アート・プログラムに参加していた。勉学の傍ら、翻訳家、ブドウ園の管理人、室内装飾家、事務員としても勤務していた。

在学中から"We Are Just Fine"(2007), "The Others and Us"(2008), オムニバス映画"Historias breves"一篇"Estamos bien"(2009)など短編を製作するが、彼の名が一躍有名となるきっかけとなった作品が2010年の"El Juego"だった。ジャングルの中を彷徨う武装集団の姿をシュールに描き出した今作はカンヌ・シネフォンダシオン部門で上映、ブエノス・アイレス・インディペンデント国際映画祭では最優秀短編賞を獲得する。そして続く2011年には"Historia del Mal"を、2013年には"Colecciones"を手掛けた後、彼は自身初の長編映画"Historia del Miedo"を監督する。

父と子、2人が野原でサッカーをする微笑ましい光景。父が蹴りボールは検討違いの方向へ飛んでいく、子が蹴り返し父がボールを蹴り再びボールは検討違いの方向へと飛んでいく。だんだんと微笑ましいはずの光景は些細な怒りに歪んでいく、そしてある時子供は小さな声で呟く、ちゃんと蹴れよオナニー野郎。父は耳賢くその言葉を聞き、息子の髪を鷲掴みにして怒りをぶつける。そんな2人の耳に入るのは、町の上空を行くヘリコプターが響かせる、ひどく不気味な旋回音。

この町に不穏な何かが迫り来るのを感じていたのは、彼らだけではない。青年ポーラ(Jonathan Da Rosa)は恋人と共に、遊園地の売店へと赴く。何か飲み物を買うために並んでいると、前の男が奇妙な行動を取り始める。筋肉をゆっくりと動かしながら床にうずくまる、その姿はまるで異形の男がコンテンポラリー・ダンスを舞っているか、もしくは野生の獣が世界の全てに敵意を向けているか。ポーラたちは彼の殺気に一歩たりとも動くことが出来ない、私たちもそこから目を背けることが出来ない。

"Historia del Miedo"はこうした群像劇的なアプローチによって、町に迫りくる不穏な何かの存在を語っていく。郊外の邸宅から鳴り響くサイレン音は私たちの鼓膜を圧迫し、とある富裕層が所有する土地に捨てられた膨大なゴミは鼻の粘膜を溶かす、そしてただいつものように車を運転する家族の前に現れるのは目を真っ赤に染めた全裸の男だ。何かが、何かが確実に起こっていながら、その全容は杳として伺い知れないことへの果てしない"恐怖"、これこそが本作が突き詰めていくテーマだ。

物語の裏側に私たちの理解を越えた禍々しく大いなる何かが存在している、これを観る者に喚起させる技はある意味で今の映画界の最先端を走るに必須のものと言えるかもしれない。例えば今やカナダ・ケベックを代表する作家と言っても過言ではない存在ドゥニ・ヴィルヌーヴプリズナーズ」「複製された男」そして最新作「ボーダーライン」においてこの雰囲気を醸し出す彼の手腕は随一であるがNaishtat監督はそれに比肩する腕を持っている。

だが両者には違いが1つ存在する、それは終盤においてこの不穏さをどう処理するかの決定的な違いだ。ヴィルヌーヴは禍々しい何かを極端な形で物語に登場させる。一方でプリズナーズにおいてはあの大いなる闇をたった1人の犯人に担わせるという矮小化を行い、一方で「複製された男」においてはあの誰もが呆気に取られる驚愕のラストへ結実させてみせた。つまり何にしろヴィルヌーヴは"何か"の正体を劇中で語ることを恐れない、それが成功しているかは別問題としてだが。

だがNaishtat監督および"Historia del Miedo"はこの正体を曖昧なままにする。町に襲い来るものの正体とは何か、住民たちの奇妙な形で苛むものの正体とは何か、監督はその答えを明かすことは絶対にしない、言葉を与えられない存在に言葉を与えようとすることを元から放棄し、ただストイックに何かが人々の前に恐怖として結実する光景のみを見せる。これが今作の禍々しさの源であり、凄まじいまでの強度を宿す由縁なのだ。もしこの映像の1秒後に登場人物が惨たらしく殺害されたとしても不思議ではなく、実際に殺されたとしても物語は何事もなかったかのように進んでいくのだろうと、観る間私たちは戦慄と共に味わい続けることになる。

終盤において、とある中産階級の家庭を果てしない闇が襲う。全てが黒に塗り潰された世界で彼らは成す術もなく彷徨うしか出来ない、その肌に無惨な破綻の予感を感じながら、その心に死の予感を感じながら。だが例え明かりが戻ったとしてもこの予感は消えることがない、むしろその存在が見えないままに実在感を増したことに気づき絶望は深まる。"Historia del Miedo"は世界の裏側で今も静かに増殖していく恐怖の系譜を、私たちに言葉でなく心で理解させる。

"Historia del Miedo"ベルリン国際映画祭でプレミア上映後、カルロヴィ・ヴァリ、リオ・デ・ジャネイロ、ムンバイ、ロンドンなど世界を巡り、MOMAの"New Directors/New Films"に選出、更にサンフランシスコ映画祭では新人監督賞、韓国・全州映画祭ではインターナショナル部門の作品賞を獲得するなど大いに話題になる。彼の最新作は2015年にロカルノ国際映画祭で初お披露目された"El Movimento"だ。19世紀前半のアルゼンチン、そこでは権力者が打倒され無政府状態が続いていた。武装集団が幾度となく衝突を繰り広げる中で、1人の男が現れる。彼は類稀なカリスマ性を以て人々を率い、権力を手に入れようとしていた……という作品。

"この作品は権力を描こうとしています。私たちは個としてこの世界に生れ落ち、いつしか自分が何らかの集団に組み込まれていることを知ります、全ての物・場所には名前があり所有者がいる、私たちの周りにある全ての要素は1つの秩序に属しているのだと。しかしその秩序が何にしろ、デタラメであるだとか生来的なものではない、全てはある地点から始まっているのです。私は205歳という若い国家に生まれましたが、自国の暗黒期に飛び込んでいくことは現在の状況を、そして日常の政治に流行する暴力的な特性を理解する助けとなるのではと感じているんです。厳密な歴史を組み立てるというより、全く現代的な感覚を持ち合わせた人物を過去へと向かわせたかった、何故ならフォークナーが記した通り、過去は決して死にはしない、過ぎ去ることさえないのですから"*1

ということで監督の今後に超絶期待。


だいぶ前、何回もアップしていた写真はこの映画のスチールでした。

参考文献
http://www.pardolive.ch/pardo/program/person.html?pid=815274(監督プロフィール)
https://vimeo.com/user5128774/videos(監督公式vimeo)
https://www.filmlinc.org/daily/nd-nf-benjamin-naishtats-history-of-fear-social-divide-and-conquer/(監督インタビュー)

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