鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Marte Vold&"Totem"/ノルウェー、ある結婚の風景

恋人同士の同棲にしろ、結婚生活にしろ、もちろんシェアハウスでの生活にしろ、誰かと一緒に生きるというのは苦難の連続だ。人間2人以上が集まればそこには確実に摩擦が生まれる、トイレを綺麗に使ってない、服とか色々床に脱ぎっぱなし、何か起こるとすぐ人のせいにする、生活スタイルや性格の不一致は些細な瞬間に火花となって散り、最初は特に気にしなくていいレベルでも、放っておくと大火事になり関係そのものが業火に焼き尽くされるなんて良くある話だろう。そのために私たちはある時点で妥協しなくてはいけない、自分の言い分や欲求をある程度まで我慢しなくてはならない、だがそのバランスが難しいからこそ努力がむしろ大炎上を呼ぶことすらある訳だ。さて、今回はノルウェーの新鋭作家Marte Voldと誰かと共に生きることの困難さと向き合う短編映画"Totem"を紹介していこう。

この映画の主人公は30代の夫婦であるオーレとマルテ(Ole Giæver&Marte Magnusdotter Solem)、まず映るのは彼らが天井を修繕するかもしくは電球を交換するのかとそんな光景だ、カメラは開けっぱなしになったドアの隙間から2人を見据えている。オーレは何かの道具を持って天井を眺めるのだが、マルテは彼にそんな道具使うの?と心配げに話しかける。最初は大丈夫だよと笑いながら言うのだが、尚も心配な素振りを隠さない彼女にオーレはどんどんイライラしてくる。そうすると今度はマルテの言葉が鋭さを帯び、明らかに険悪なムードが流れ、しかし何処に行き着くとも知れないまま場面はブチっと切り替わってしまう。

私たちはこうして彼らが過ごす何気ない日常ーー始まりも終わりもない途中から途中への抜粋、もしくはとりとめのない素描の連なりを目撃する、ある時は先のようにドアの隙間から彼らを密やかに眺めるとそんな窃視的なカメラを、ある時は彼らと生活を共にするような第3者的といったカメラを通じて。

Marte Voldは1978年ノルウェーのトロムソに生まれた。ヌールラン美術映画大学、オスロ国際美術アカデミー、ノルウェー映画学校などで映画製作に加え視覚芸術について学ぶ。2008年に卒業、撮影技師として映画界に入り、少女たちのプライドと権力関係を描き出したVibeke Heide監督による短編"Og leken er god"(2011)、バカンスにやってきた青年たちがビーチでネズミイルカの死体を見つける青春映画"Å åpne, å se"(2012)、スペイン人の妻を連れて故郷のノルウェーに帰ってきた男の姿を描いた Gunhild Enger監督のコメディ"Prematur"(2013)などの撮影を担当していた。

映画監督としては"Totem"にも出演しているOle Giæver"Mot naturen"という作品で共同監督を担っている。30代を半ばを迎え幸福のうちにある筈の中年男性マーティン、しかし何か充たさない思いを抱える彼は週末に山へと出かけ、下半身丸出しのまま大自然を駆けまわる……というドラメディ映画なのだが、監督は本作についてこんなことを語っている

"私を魅了するのは、この物語が何の変哲もない人物を中心にして語られる点です(中略)今作はドラマ性や際立った特別さを排し、現実という物を(映画として)高めている意味で大胆です、日常に起こる様々な問題が長編映画として引き伸ばされ、そして語られるといった風に"

これは"Totem"を含めた彼女の単独監督作にも正に言えることだ。彼女が有名になるきっかけとなった連作短編"Small Episodes"はやはり夫婦の何の変哲もない日常を描き出しており、主演も全く同じ夫婦である。1本が5分にも満たない本当に短い短編だが、一種イングマール・ベルイマン「ある結婚の風景」を彷彿とさせる趣のある物で、この"Totem"はそれを発展させた作品とも言える。

という所で"Totem"の話に戻るが、"Small Episodes""Totem"の2作に主演しているOle GiæverMarte Magnusdotter Solemは実際に夫婦でもあり、彼らの娘も出演を果たしている。それもあってか本作に流れる空気は生々しく痛烈だ。ある時、マルテはオーレに対して体調が悪いと訴える。彼は心配する素振りなど微塵も見せず、自分もだと返事する。何か体がダルくて、こうお腹の辺りが……様々に言葉を重ねるが、オーレは俺もそうなんだと返す。この姿には相手に共感する姿勢を見せればどうにでもなるだろうという、人への対応が煩わしい時に見せてしまいがちな態度が濃厚に浮かび上がる。そんなオーレへのマルテの怒りに覚えのある人はきっと多い筈だ。(後、余り男女論に持っていきたくはないが、この下りは"女は共感を求めるものだ"という男が抱く陳腐な固定概念へのカウンターパンチのようにも思える、もっともノルウェーにそういった価値観があるのか定かではないけれども)

だが最も印象的なのは第2幕、観葉植物に覆われたおそらく安らぎのための部屋で2人が喧嘩を繰り広げるシークエンスだろう。親密ながらピリピリと緊張の震えすら感じられる生々しいものとなっている。戸口に立つマルテと椅子に座り本を読むオーレ、今日暑いと思わない?とマルテ、暑いかもなとオーレ、豚みたいに汗が吹き出してくるとマルテ、そうみたいだなとオーレ、あなたの方が汗かいてるのにその言い方なに?とマルテ、そしてオーレは彼女と話ながらも本から目を離さずにいるが、ある時マルテが裸になっていることに気付く、マルテは叫ぶ、やっと私のことを見てくれた!

こうして全編に親密ながらピリピリと緊張の震えすら感じられる生々しい空気感が満ちながらそれだけで終ることはない。ある時マルテはオーレに"猫と子供、選ぶならどっち?"とそんなたわいない疑問を幾つも投げ掛ける。そしてその中でふと浮かぶ"あなたは幸せを感じてる、それとも悲しい?"という疑問に、彼は"どっちもだ"と答えるのだ。確かに誰かと共に生きることには避けがたい難しさと哀しみがある、だが人はその先にある(と彼らが信じている)幸せを求めて共に生きることを選ぶのかもしれない、"Totem"にはそんな余韻が滲み渡る。

Vold監督は現在単独での初長編を準備中、2015年の夏に撮影を開始したそうなので今年の下旬もしくは来年の始めにはその作品がお披露目となるだろう。彼女がその作品で普通の人々の複雑な内面をどう見せるのか楽しみだ、ということでVold監督の今後に期待。



先述の"Mot Naturen"のヒトコマ、下半身丸出しの半裸中年男性。

参考文献
https://pro.festivalscope.com/director/vold-marte(監督プロフィール)
http://martevold.no/martevold.no/Home.html(監督公式サイト)
http://blogs.indiewire.com/womenandhollywood/tiff-women-directors-meet-marte-vold-out-of-nature-20140906(監督インタビュー)

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