鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

ケリー・ライヒャルト&「ウェンディ&ルーシー」/私の居場所はどこにあるのだろう

ケリー・ライヒャルト&"River of Grass"/あの高速道路は何処まで続いているのだろう?
ケリー・ライヒャルト&"Ode" "Travis"/2つの失われた愛について
ケリー・ライヒャルト&"Old Joy"/哀しみは擦り切れたかつての喜び
ケリー・ライヒャルトの前作についてはこちらの記事を参照

2007年、アメリカでサブプライムローン不良債権化に端を発するバブル経済の崩壊が訪れる。それはアメリカ全土を恐慌の渦に陥れ、数多くの人々が家や職を失い路頭に迷うこととなる。翌年にはアメリカ最大の投資銀行リーマン・ブラザーズが倒産、世界経済危機の引き金となる。こうして世界が確実に凄まじい貧困に蝕まれていく中で、この状況を背景としてケリー・ライヒャルト監督が2008年に製作した第3長編が今回紹介する「ウェンディ&ルーシー」だ。

森の中にいるのは1人の女性と1匹の犬だ、ほらルーシー、枝取ってきなさい、よしよし良い子ね……そんな楽しそうな声が聞こえてくる、カメラは左から右へゆっくりと動き女性を捉えていく。互いに信頼しあい心を開く、彼女たちの戯れる姿には幸福感とかけがえのない絆が見て取れる。だがルーシー、そしてウェンディ(キルスティン・ダンストの大統領に気をつけろ!」ミシェル・ウィリアムズ)の置かれている状況はむしろ苛酷なものだ。

ウェンディはある理由からアラスカ州のケタカンに向かって旅をしている。オンボロのホンダに寝泊まりし、たった1匹の親友ルーシーと孤独な旅を続けていた。そして彼女はオレゴンの小さな田舎町へと辿り着いたのだが、そこで車が故障してしまう。更にはルーシーのためのドッグフードも切らしてしまい、ウェンディは途方に暮れてしまう。お金も殆どない状態ゆえに、彼女は仕方なく食料品店でドッグフードを万引きしようとするのだが、店員に見つかり留置所にブチ込まれる有り様。保釈金を払って何とか町へ戻るのだが、ルーシーが何処にもいない。ルーシー、ねえルーシー何処なの、ルーシーお願い出てきて、ルーシー、ルーシー、ルーシー……

過去に例えばバーバラ・ローデンによるロードムービー「ワンダ」があった。息苦しい結婚生活に絶望を抱いた主婦ワンダが旅に出て、自分でも良く解らないままに犯罪に身を落としていく姿を描いた作品だ。そして例えばアニエス・ヴァルダサンドリーヌ・ボネールを主演に起用し「冬の旅」を作った。孤独な旅路の果てに凍死した少女モナの姿を、旅の途中で彼女に出会った人々の証言と共に綴る痛ましい傑作だった。ライヒャルト監督のデビュー長編"River of Grass"が前者に準えることが出来るとするなら、彼女の第3長編「ウェンディ&ルーシー」は後者にこそ共鳴する、孤独とその痛みにさすらう女性を描きだした映画だ。

ウェンディはルーシーを捜し出そうと必死に町を駆け回る。だが幾ら彼女の名前を呼んでもルーシーは現れることがない。食料品店の店員たちに尋ねても彼らの言葉は要領を得ない、全く自分には関係ないとでもいった風に。あちこち回って疲れはてたルーシーは壊れたオンボロ車の中で一夜を過ごす、明日には彼女が見つかるよう祈りながら……ライヒャルト監督のスタイルはウェンディの旅においてとうとう成熟を迎えたと言えるだろう。監督は撮影のサム・レヴィと共に、ただ今に浮かび上がるウェンディの姿だけを淡々とただ映し出し、彼女は何故こんな旅をしているのか、そういった背景や説明はほぼ排除している。しかし毎朝ガソリンスタンドのトイレで着替えをする彼女の姿には、言葉を越えたリアルな痛みが宿っている。そして"Old Joy"においてはヨラテンゴによるたゆたいの旋律が全編に響いていたが、ここにはウェンディの微かな鼻唄以外は存在しない、それも物語が悲愴を増すにつれ消え去っていくが。

「ウェンディ&ルーシー」"Old Joy"に続いてオレゴン州を舞台としているが、これについてライヒャルト監督はこう説明している。"ジョナサン(・レイモンド、"Old Joy"の脚本も担当)がオレゴンについて書いているからです。長編映画を作るにあたって彼の小説を読むとその書き方に共感を覚えます。だから彼のやり方――例えば人と人との関係性や人々がある環境に順応していく過程を描いたり、個人的なものを政治的なものに変えるそのやり方と同じ方法で映画を作りたいと思うんです。彼はオレゴンに生まれ、オレゴンで成長し、オレゴンについて小説を書いていますし、"Old Joy"のスタッフも皆オレゴン出身で仕事も楽しんでくれた、そしてもう1度一緒に仕事がしたいと思ってくれたんです。

そして彼女はこうも語っている。""Old Joy"においてはオレゴンの景色を描こうとしました。今作ではトイレや駐車場、つまり旅をする時に私たちが見る物を描こうとしたんです"と*1。このオレゴンへのこだわりは「ナイト・スリーパーズ/ダム爆破計画」まで続くこととなる。

ある時、ウェンディは保護施設へと足を運ぶ。職員の官僚的な手続きに対ししどろもどろになりながら、彼女は檻の中にルーシーが居ないのかを探す。その時カメラは冒頭とは逆に右から左へと移動していき、檻の中を見つめる。狭苦しい空間の中に灰と白の毛をフサフサと生やした者がいれば、首にギプスを着け痛々しい姿を見せる者もいる、そして悲痛な声をあげこちらにすがりつく者がいたと思うと、奥から微動だにせずただただ視線だけをこちらに向ける者がいる。引き取りにくる飼い主もおらず見捨てられた犬たちが収容されている、そんな冒頭とは真逆の荒涼たる風景がウェンディの旅路をまた侘しいものにしていく。

劇中においてウェンディは様々な人々と巡りあうが、彼らの殆どが不幸の真っ只中にいる彼女に対して素っ気ない態度を取る。しかしまた彼らの殆どは悪人ではないというのも分かってくる。万引きの容疑でウェンディを捕まえた店員も例え彼女がどういう存在であっても犯罪を見逃せば店がやっていけないことを分かっているし、保護施設の職員もただ自分のやるべきことをやっているだけ、他の人々だってそうだ、不景気が無慈悲にも襲いかかってくる時代には自分のことだけで必死になる、そういうものだ。だからこそ余計に辛いのはこの映画において悪と言い切れるのは彼らではなく、彼らが順応しようとし苦しみを以て何とかしがみついている社会それ自体の他にはないことだ。そしてそれは真夜中に浮かび上がる大いなる悪意(ライヒャルト監督の親友ラリー・フェッセンデンがここでカメオ出演)として現れ、ウェンディを恐怖の淵へと追い詰める。

そんな状況で唯一ウェンディに救いの手を差し伸べる存在がこの町で彼女が最初に出会う警備員の老人(「トラブル・トラベル/パパは一人で大騒ぎ!」ウォーリー・ダルトン)だ。彼は昼から夜までただただ延々と建物の外に立ち続けるとそんな飽き飽きするような仕事に就いているのだが、ウェンディのことを気にかけ、保護施設の存在を教えたり、携帯電話を貸したりする。彼もまた経済危機の被害者として描かれ、ウェンディに対しシンパシーを覚える。それでも2人の間には微妙な距離がある、助けるとしてももう一歩踏み込むことがない、もしくは踏み込めないのか。そしてそれはまたウェンディにも言えることだと解ってくる。

ライヒャルト監督はこの作品を作っている際、イタリアのネオリアリズモや英国における労働者階級のドン詰まりな日常を描いたキッチンシンク映画など様々な作品を念頭に入れていたというが、その中でも特に重要な作品がR・W・ファスビンダーのTV映画「少しの愛だけでも」だったそうだ。"男がいて、毎日仕事に出かけるのですが本当はリストラされていて、それを妻に言えないのです。彼は仕事に行く代わりに辺りをブラブラして毎日金を浪費していきます。借金に深く身を埋めていく彼と私たちは共にあります。妻を喜ばすためにプレゼントを買う日々の果てに、どん底がやってきた瞬間を観客は目撃します(中略)映画が進むにつれ、彼の借金は同時に私たちの物となる、私はそういった感触をウェンディの姿にも感じて欲しかったのです"

ウェンディの旅の目的もやはり経済危機を逃れ、アラスカで安定した仕事に就くのが目的だ。しかしここまでして旅をするに至るまでの彼女の背景はほとんど語られることがない。それでも、あるシーンでウェンディが何処かに電話をかける。電話の主は姉夫婦だ、義兄は彼女が旅をしているのに驚き心配する素振りを見せるのだが、実の姉はウンザリといった風に何にも出来ないからとにべもない態度を取る。そんな姉にウェンディは言うのだ、助けてもらいたい訳じゃない、ただ電話したかっただけだから。

つまりウェンディは誰かに助けを求めることが出来ない、もし手を差し伸べられたとしてもその手の掴み方が解らない、誰かに助けてって。だから何もかもを独りで抱え込み、孤独に身を浸すしかない。そんな彼女に対して社会は落伍者の焼き印を押し、必要のない人間として爪弾きにする。そして彼女は思うのだ、周りの誰もが普通に生きていけているのに、どうして私はちゃんと自分の居場所を見つけられないのだろう……彼女を演じるミシェル・ウィリアムズも素晴らしい。一見眉と眼差しの力強さだとかに勝気な性格が見えてきて、表層的にそれは間違ってはいないのだがジッと彼女の表情を見ていると、誰か無条件に寄りかかれる存在が欲しいという弱さが滲み渡る。その唯一の存在がルーシーだったが、彼女はもうウェンディの傍らには居ない。

ライヒャルト監督は"River of Grass"のコージー"Old Joy"のマークとカート、そして今作のウェンディなど、透明な虚無感を抱く世界の周縁にいる人々に対する眼差しが暖かい。監督はそんな人々にこそ共感を覚え、彼女たちの声を紡ごうと映画を作る。しかし同時にウェンディたちに安易な救いを与えることは絶対にない、共感はしながらも彼女たちの旅路を観察するという姿勢には揺るぎが一切ない。このバランス感覚がライヒャルトの作品に唯一無二の魅力を宿す。この「ウェンディ&ルーシー」もやはり苦い結末を迎える、彼女が見つめるのは右から左へと流れていくあの時の森に満ちていた美しい緑……

次回記事に続く
ケリー・ライヒャルト&"Meek's Cutoff"/果てなき荒野に彼女の声が響く
ケリー・ライヒャルト&「ナイト・スリーパーズ ダム爆破作戦」/夜、妄執は静かに潜航する


参考文献
http://www.ifc.com/shows/that-70s-show/blog/2016/04/high-school-stoners(監督インタビュー)
http://bombmagazine.org/article/3182/kelly-reichardt(ガス・ヴァン・サントとの対談)

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その52 Constanza Fernández &"Mapa para Conversar"/チリ、船の上には3人の女
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その54 Lukas Valenta Rinner &"Parabellum"/世界は終わるのか、終わらないのか
その55 Gust Van den Berghe &"Lucifer"/世界は丸い、ルシファーのアゴは長い
その56 Helena Třeštíková &"René"/俺は普通の人生なんか送れないって今更気付いたんだ
その57 マイケル・スピッチャ&"Yardbird"/オーストラリア、黄土と血潮と鉄の塊
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その139 ケリー・ライヒャルト&"Ode" "Travis"/2つの失われた愛について
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