鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

アンドリュー・ブジャルスキー&"Funny Ha Ha"/マンブルコアって、まあ……何かこんなん、うん、だよね

さて、アンドリュー・ブジャルスキーである。マンブルコアを語っていくに辺り、このムーブメントの創始者であるブジャルスキーは避けて通れない存在だ。しかし日本ではかろうじて彼の最新長編「結果」AKA "Results"(邦題が酷すぎる)のみがネットフリックスで視聴可能という有り様であり、それについてもブジャルスキーの監督作というか凄いムキムキなガイ・ピアースが主演の奇妙なロマコメとしてしか受容されていないように思われる。じゃあ私が彼のキャリア紹介していくしかないやろがい!!!ということでマイペースにマンブルコアのゴッドファーザー(と周りには言われるが、本人はそう言われるたびにキレ気味で否定する)を徹底解析、まずは彼の長編デビュー作"Funny Ha Ha"を紹介していこう。

アンドリュー・ブジャルスキー Andrew Bujalski は1977年マサチューセッツ州ボストンに生まれた。母は芸術家で父はビジネスマン。ハーバード大学ビジュアル・アンド・エンバイロメンタル・スタディーズ科で映画について学ぶ。卒業制作のアドバイザーは何とあのシャンタル・アケルマンで、この経験が彼の映画製作に大きな影響を与えたそう。ある時彼女の職務室で作品について話していた際、外をある女子生徒が歩いているのが見える。そんな中でアケルマンは「走って追いかけなさい、彼女ならきっと大丈夫」とブジャルスキーに助言したらしい。これをきっかけに彼は素人を卒業制作の出演者として起用し始め、自分にとってもこの方が良い関係を築けると気づき、以降の作品でもこれを徹底するようになった。ちなみにこの卒業制作の題名は"Close for Comfort"で、彼によると"滅茶苦茶酷い"作品だそう(後に第3長編"Beeswax"に出演するMaggie Hatcherが出演している、というか彼女がアケルマンが見つけた女子生徒)

マンブルコアはデジタル世代の申し子と言われることが多く、確かにジョー・スワンバーはその特性を生かした映画製作を行っているのだが、大学在学中からブジャルスキーはアナログに拘り続けていた。ハーバード大学での授業はほとんどフィルムが使用されていた故に親しみも深く、デビュー作"Funny Ha Ha"から第4長編の"Computer Chess"まで彼は一貫して16mmフィルムを使い続けている。粒子の粗い16mmの映像は"映画にある種の思慮深さを与える"と語り、更に"もしビデオでこういった映画(此処では"Funny Ha Ha""Mutual Appreciation")を撮影したとすると、かなり軽薄でつまらない作品と観客は思うことでしょうね"と語っている。更に編集についてもパソコンよりも、昔ながらの平台編集機を好んでいたりとそのこだわりは徹底している(そういう意味で第5長編の「結果」は異例づくめの作品なのだが、それはその時に)

そして2002年に初長編"Funny Ha Ha"を完成させるのだが、配給がつかないまま2年もの時間が経ってしまう。それでも批評家などの後押しがあり、2004年には本作がインディペンデント・スピリット・アワードで「今後の劇場公開を期待したい」映画賞を受賞、そんな紆余曲折の末に2005年とうとうの劇場公開を果たす。

主人公はマーニー(Kate Dollenmayer)という若い女性、大学を卒業したばかりだが定職には付いていないし、バイトも給料上げてほしいと頼んだらクビになり、今のところは無職。何にもやることのないマーニーは取り敢えず辺りをフラフラする。友人であるレイチェルとデイヴ(Jennifer L. Schaper&Myles Paige)のカップルが開いているパーティーに行ったり、酔った勢いでタトゥーを入れようとして彫り師に静止されたり、友達の友達が開いたパーティーに立ち寄ったり、まあそんな感じで日々は過ぎていく。

そもそも"マンブルコア"って言葉の語源はなにか。彼の盟友で音声係をやっているエリック・マスナガが作った言葉("もごもごいう"という意味のmumbleにcoreという単語を名詞化する接尾辞をつけた造語)だが、これが意味するのは"何言ってんのか全然分かんねえよ!!!"ってことだ。もう冒頭から顕著なのだが、明らかに登場人物の声が音割れみたいな感じになっているのだ。そして録音の仕方も雑なのか、それぞれの声の大きさがバラバラで聞いてると酔ってくる。パーティー会場が舞台だと、声が混線して誰が何言ってんのか全く判別できないし、そこに無駄にデカい環境音まで入ってくるのでもう何が何だか。

そして聞き取れたとしても地獄が待っている。彼らの会話は言い淀みに超適当な言い回しが当たり前、さらに会話が重要な場面に差し掛かってくると、まあ、これはそういうことだよ、分かるっしょ……的な感じでお茶を濁される。会話や彼らの思いの核心は言葉じゃ絶対に語られないというか、彼ら自身それを語る方法が分からなくて、言葉が出なくなると良い感じに体を動かしたり表情を作ったりして、いやあこういうことって言葉で説明すんの難しいよね〜と相手に対して同意を求める。そして相手も全く同じコミュニケーション方法を取っているから、相手の真意が何となく読み取れる感じ(あくまで感じの域)で適当に相槌を打って、会話は別の方向へとフラフラしていく。

この会話は相手のことちょっとは知っていて、ある程度友人だとか住んでいる場所のアレコレとかについて共有している者同士でこそ通じる類いの物だ。で、実際の演者もブジャルスキーの友人か友人の友人で、主人公を演じるDollenmayerに至ってはかつてのルームメイトである。そんな人々が即興で何か適当に言葉を交わし、そうして生まれる会話の数々は部外者である観客にとって言葉の意味は分かっても内容については良く分からない、分かる訳がない。ある意味一周回って超ハイコンテクストな会話がこの"Funny Ha Ha"では繰り広げられている。

だがブジャルスキーひいてはマンブルコアの作家たちと、彼らの背景にいるだろう、誰かが何か適当にベラベラ喋るだけの姿を映画文法にまで高めてみせた90年代の米インディー作家たち、例えばタランティーノリンクレイター(彼と今作には意外な繋がりがあるのだがそれはまた後で)、そしてケヴィン・スミスらとは決定的な違いがある。後者の作品において繰り広げられる会話は曲がりなりにも観客を映画の世界に巻き込もうという意思がある。例えばレザボア・ドッグスの冒頭におけるマドンナの「ライク・ア・ヴァージン」についての解釈を巡る会話は、マドンナという世界的に有名な存在が背景にあり観客もある程度その知識を共有する――もちろんしない人もいるが――故に、観客もその輪に身を置いて楽しむことのできる余地があるし、ケヴィン・スミススター・ウォーズ云々のオタク会話もそうだろう。そして単純にその会話が聞いていて楽しいのもある。例えその内容に興味がなくそれに対する知識がないとしても、粋な言い回しや言葉1つ1つに滲む切実さ、身ぶり手振りを交えた豊かな表現方法などそういった魅力に惹きつけられる場合も多い。リンクレイター作品、特にビフォア三部作にはそれが顕著ではないだろうか。

だが"Funny Ha Ha"にはそれが一切ない。皆の知っている文化が語られることもない、会話自体には何か魅力がある訳でもない。トコトン内向きで、半径何m圏内においてしか通じない超ニッチなコードによって会話は進む故に、観客がそこに身を置く余地がないのである。それでは何故この作品が人々に広く受け入れられたかと言えば、会話の内容は分からずとも会話が繰り広げられる時のその空気感を知っている人が大勢いたからだ。自分の知ってる奴とだけつるんで、自分の知ってる奴についてのことだけ話して、何かこういうの分かんないかなとか言ったら、相手もまあ分かる気はするわとか言ってきてそれで会話が成立するってそういう感じ。

個人的に思うのは、こういうのは世代論で語られやすいが、若い時っていうのは大体こんなフワッフワした日々を過ごしてるモンじゃないかと思う。だって自分の知らない奴と過ごすのって体力いるから友達と一緒にいる方が楽しいし、何となく喋ってても相手に何となく伝わってまあまあ良い感じで会話が進むのストレス溜まんないし、そっちのが楽しいしさ……ってこんな感じ、どっかで1度は味わったことのある空気感。多分こういうのを映画にしようってアイデアが浮かんだ人はそう少なくないだろう。でもその殆んどが、いやそれやったら絶対つまんなすぎるから止めとこ……となった中で、ブジャルスキーは堂々と成し遂げた訳である。そしてその選択が米インディー映画界の趨勢を、少しずつだが確実に、そしていつしか完全に変えてしまった訳である。

そんな空気感の中で日々を無意味に浪費していくマーニーな訳であるが、彼女にはアレックス(Christian Rudder)という片想いの相手がいる。聞く所によると恋人は居ない?らしいのだが、距離を詰めようと思っても何か話が変な方向に行くし、相手が何考えてんのか良く分かんないしとなかなか関係は進展しない。それでも2人はとうとうキスにまで至るのだが、その帰り、マーニーはレイチェルの恋人デイヴともキスしてしまい、あー、何か、あーやっちまったわって感じの事態に陥る。

ある時、レイチェルがマーニーに、デイヴとはどうやって恋人になったのか?と聞かれこう答える。確かに今では好きで付き合ったりしてるけど、何でこんななってんのかは全然分かんないと。この言葉は"Funny Ha Ha"の登場人物全てに当てはまるものだろう。何をするにも明確な目的はなくて、それで人生は良い感じにも悪い感じにも進んだりして、でその結果を自分は生きている訳だけども此所に至った理由は全く分からない。マーニーもアレックスとキスした後、デイヴともキスしちゃったのが何でだか分からない、というか自分のやってること全部意味分かんない。"Funny Ha Ha"を一言で言い表すとなると"なあなあ"だろう。全てがなし崩し的に進んでいって、そしてマーニーの場合はすっごい微妙な三角関係に陥ってしまう。でもなあなあなので面倒事に白黒ハッキリつけることから目を背け、時間が解決してくれるのを待つ。

言ってみればこの世界はぬるま湯の世界だ。良い感じに温かくて、プカプカしてるだけで気持ちがいい。周りで同じようにしてる友達と何かしてるだけでも楽しい、最高の世界だ。でもずっとそこに射られる訳じゃない。もうマーニーは大学卒業して、大人として扱われる時期な訳で、このぬるま湯から出ていくべき時が近づいている。それでも居心地が良すぎるから出たくなんかないし、今まで結構これでも上手く行ってたし……と続けていたら、今まで味わったことのない痛烈なしっぺ返しを喰らわされることになる訳だ。

そこに現れるのがミッチェルという冴えない男(ブジャルスキーが兼任)、彼はマーニーの新しいバイト先の同僚で何となく彼女に好意を向けているらしい。監督は2人の交流に、マーニーの中にある"なあなあでありたい"と"大人にならなきゃ"という2つの思いの揺らぎを浮かび上がらせる。日本食レストランで2人はもういじましい程にぎこちない会話を繰り広げる。あの、君みたいな人が恋人な男が羨ましいよ……なに、私に彼氏がいるってそう思ってるの?……え、だってあの時言ってただろ……言ってない、多分言ってないと思うけど……で、そこから核心に入るかと思えば、何故か好きなテレビドラマの話になっちゃうんだよコレが! いや何でだよ!!って思う一方で、何だかすごい気恥ずかしくなって全く別のこと話そうとしてしまうその気持ちは痛いほど分かる。外から見ると彼らの行動の数々は何かみみっちい感じがして思わず笑ってしまう時もあるのだが、だが彼らにとっては切実なことであり、16mmで綴られるマーニーたちの何の変哲もない日常には"何やってんだろ、自分は……"って痛みが滲み渡っている。それ故に彼女たちは私なのだと思う人がいて、でも口をモゴモゴさせて誰に何を伝えられない人がいて、しかしブジャルスキーはこの小さな小さな声を優しく掬いとっていき、その流れが"マンブルコア"という潮流となり、いつしかアメリカを越えて世界へと広がっていったのである。つまり"Funny Ha Ha"とはその始まりの記録なのである。

でも、まあ、映画として面白いか面白くないかといえば、うん……まあ何というか、別に詰まんなくはないんだよなぁ、つまんなくはない、うーん、でも面白い?……面白い、かなぁ、まあでもそういうのってやっぱり、こう、ねえ、人それぞれだし、そういうことなんじゃないかなぁ……

参考文献
http://www.indiewire.com/article/decade_andrew_bujalski_on_funny_ha_ha(公開時のインタビュー)
http://www.nytimes.com/2006/01/08/movies/08lim.html(インタビューその2)

結局マンブルコアって何だったんだ?
その1 アーロン・カッツ&"Dance Party, USA"/レイプカルチャー、USA
その2 ライ・ルッソ=ヤング&"You Wont Miss Me"/23歳の記憶は万華鏡のように
その3 アーロン・カッツ&"Quiet City"/つかの間、オレンジ色のときめきを
その4 ジョー・スワンバーグ&"Silver Bullets"/マンブルコアの重鎮、その全貌を追う!
その5 ケイト・リン・シャイル&"Empire Builder"/米インディー界、後ろ向きの女王
その6 ジョー・スワンバーグ&"Kissing on the Mouth"/私たちの若さはどこへ行くのだろう
その7 ジョー・スワンバーグ&"Marriage Material"/誰かと共に生きていくことのままならさ
その8 ジョー・スワンバーグ&"Nights and Weekends"/さよなら、さよならグレタ・ガーウィグ
その9 ジョー・スワンバーグ&"Alexander the Last"/誰かと生きるのは辛いけど、でも……
その10 ジョー・スワンバーグ&"The Zone"/マンブルコア界の変態王頂上決戦
その11 ジョー・スワンバーグ&"Private Settings"/変態ボーイ meets ド変態ガール

私の好きな監督・俳優シリーズ
その51 Shih-Ching Tsou&"Take Out"/故郷より遠く離れて自転車を漕ぎ
その52 Constanza Fernández &"Mapa para Conversar"/チリ、船の上には3人の女
その53 Hugo Vieira da Silva &"Body Rice"/ポルトガル、灰の紫、精神の荒野
その54 Lukas Valenta Rinner &"Parabellum"/世界は終わるのか、終わらないのか
その55 Gust Van den Berghe &"Lucifer"/世界は丸い、ルシファーのアゴは長い
その56 Helena Třeštíková &"René"/俺は普通の人生なんか送れないって今更気付いたんだ
その57 マイケル・スピッチャ&"Yardbird"/オーストラリア、黄土と血潮と鉄の塊
その58 Annemarie Jacir &"Lamma shoftak"/パレスチナ、ぼくたちの故郷に帰りたい
その59 アンヌ・エモン&「ある夜のセックスのこと」/私の言葉を聞いてくれる人がいる
その60 Julia Solomonoff &"El último verano de la Boyita"/わたしのからだ、あなたのからだ
その61 ヴァレリー・マサディアン&"Nana"/このおうちにはナナとおもちゃとウサギだけ
その62 Carolina Rivas &"El color de los olivos"/壁が投げかけるのは色濃き影
その63 ホベルト・ベリネール&「ニーゼ」/声なき叫びを聞くために
その64 アティナ・レイチェル・ツァンガリ&"Attenberg"/あなたの死を通じて、わたしの生を知る
その65 ヴェイコ・オウンプー&「ルクリ」/神よ、いつになれば全ては終るのですか?
その66 Valerie Gudenus&"I am Jesus"/「私がイエス「いや、私こそがイエ「イエスはこの私だ」」」
その67 Matias Meyer &"Los últimos cristeros"/メキシコ、キリストは我らと共に在り
その68 Boris Despodov& "Corridor #8"/見えない道路に沿って、バルカン半島を行く
その69 Urszula Antoniak& "Code Blue"/オランダ、カーテン越しの密やかな欲動
その70 Rebecca Cremona& "Simshar"/マルタ、海は蒼くも容赦なく
その71 ペリン・エスメル&"Gözetleme Kulesi"/トルコの山々に深き孤独が2つ
その72 Afia Nathaniel &"Dukhtar"/パキスタン、娘という名の呪いと希望
その73 Margot Benacerraf &"Araya"/ベネズエラ、忘れ去られる筈だった塩の都
その74 Maxime Giroux &"Felix & Meira"/ユダヤ教という息苦しさの中で
その75 Marianne Pistone& "Mouton"/だけど、みんな生きていかなくちゃいけない
その76 フェリペ・ゲレロ& "Corta"/コロンビア、サトウキビ畑を見据えながら
その77 Kenyeres Bálint&"Before Dawn"/ハンガリー、長回しから見る暴力・飛翔・移民
その78 ミン・バハドゥル・バム&「黒い雌鶏」/ネパール、ぼくたちの名前は希望って意味なんだ
その79 Jonas Carpignano&"Meditrranea"/この世界で移民として生きるということ
その80 Laura Amelia Guzmán&"Dólares de arena"/ドミニカ、あなたは私の輝きだったから
その81 彭三源&"失孤"/見捨てられたなんて、言わないでくれ
その82 アナ・ミュイラート&"Que Horas Ela Volta?"/ブラジル、母と娘と大きなプールと
その83 アイダ・ベジッチ&"Djeca"/内戦の深き傷、イスラムの静かな誇り
その84 Nikola Ležaić&"Tilva Roš"/セルビア、若さって中途半端だ
その85 Hari Sama & "El Sueño de Lu"/ママはずっと、あなたのママでいるから
その86 チャイタニヤ・タームハーネー&「裁き」/裁判は続く、そして日常も続く
その87 マヤ・ミロス&「思春期」/Girl in The Hell
その88 Kivu Ruhorahoza & "Matière Grise"/ルワンダ、ゴキブリたちと虐殺の記憶
その89 ソフィー・ショウケンス&「Unbalance-アンバランス-」/ベルギー、心の奥に眠る父
その90 Pia Marais & "Die Unerzogenen"/パパもクソ、ママもクソ、マジで人生全部クソ
その91 Amelia Umuhire & "Polyglot"/ベルリン、それぞれの声が響く場所
その92 Zeresenay Mehari & "Difret"/エチオピア、私は自分の足で歩いていきたい
その93 Mariana Rondón & "Pelo Malo"/ぼくのクセっ毛、男らしくないから嫌いだ
その94 Yulene Olaizola & "Paraísos Artificiales"/引き伸ばされた時間は永遠の如く
その95 ジョエル・エドガートン&"The Gift"/お前が過去を忘れても、過去はお前を忘れはしない
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その111 アンネ・セウィツキー&「妹の体温」/私を受け入れて、私を愛して
その112 Mads Matthiesen&"The Model"/モデル残酷物語 in パリ
その113 Leyla Bouzid&"À peine j'ouvre les yeux"/チュニジア、彼女の歌声はアラブの春へと
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その115 Aik Karapetian&"The Man in the Orange Jacket"/ラトビア、オレンジ色の階級闘争
その116 Antoine Cuypers&"Préjudice"/そして最後には生の苦しみだけが残る
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その128 Kerékgyártó Yvonne&"Free Entry"/ハンガリー、彼女たちの友情は永遠!
その129 张撼依&"繁枝叶茂"/中国、命はめぐり魂はさまよう
その130 パスカル・ブルトン&"Suite Armoricaine"/失われ忘れ去られ、そして思い出される物たち
その131 リュウ・ジャイン&「オクスハイドⅡ」/家族みんなで餃子を作ろう(あるいはジャンヌ・ディエルマンの正統後継)
その132 Salomé Lamas&"Eldorado XXI"/ペルー、黄金郷の光と闇
その133 ロベルト・ミネルヴィーニ&"The Passage"/テキサスに生き、テキサスを旅する
その134 Marte Vold&"Totem"/ノルウェー、ある結婚の風景
その135 アリス・ウィンクール&「博士と私の危険な関係」/ヒステリー、大いなる悪意の誕生
その136 Luis López Carrasco&"El Futuro"/スペイン、未来は輝きに満ちている
その137 Ion De Sosa&"Sueñan los androides"/電気羊はスペインの夢を見るか?
その138 ケリー・ライヒャルト&"River of Grass"/あの高速道路は何処まで続いているのだろう?
その139 ケリー・ライヒャルト&"Ode" "Travis"/2つの失われた愛について
その140 ケリー・ライヒャルト&"Old Joy"/哀しみは擦り切れたかつての喜び
その141 ケリー・ライヒャルト&「ウェンディ&ルーシー」/私の居場所はどこにあるのだろう
その142 Elina Psykou&"The Eternal Return of Antonis Paraskevas"/ギリシャよ、過去の名声にすがるハゲかけのオッサンよ
その143 ケリー・ライヒャルト&"Meek's Cutoff"/果てなき荒野に彼女の声が響く
その144 ケリー・ライヒャルト&「ナイト・スリーパーズ ダム爆破作戦」/夜、妄執は静かに潜航する
その145 Sergio Oksman&"O Futebol"/ブラジル、父と息子とワールドカップと