鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済藤鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

クレベール・メンドンサ・フィリオ&「ネイバリング・サウンズ」/ブラジル、見えない恐怖が鼓膜を震わす

2016年夏季オリンピックが目前に控えながら、ブラジルは前代未聞の危機に見舞われている。世界的な石油会社ペトロプラスが政府に数億ドル規模の資金を横流ししているという大規模汚職が発覚したのである。更にはその資金が2014年度のジルマ・ルセフ大統領が再選を果たした選挙に利用されていた疑惑が持ち上がり、国民の不満が噴出、反政府デモへと発展してしまう。それをきっかけにブラジル議会においてはルセフ大統領の弾劾を求める声が高まり、2016年の3月頃から罷免審議が本格化、そして5月12日に大統領の弾劾が成立した後に180日間の停職が決定することとなる。副大統領であったミシェル・テメルが大統領代行となり暫定政権が発足するのだが、発足たった12日後の23日、汚職捜査の妨害を意図した発言をスッパ抜かれたことから政権の企画相であったロメロ・ジュカーが辞任に追い込まれるなど、暫定政権の基盤は既にガタガタだ。今回紹介するのはそんなブラジルの現状を鋭い目で見据え続ける、テン年代における最高の映画作家の1人だ。

クレベール・メンドーサ・フィーリョ Kleber Mendonça Filho は1968年ブラジルのレシフェに生まれた。10代の半ば、博士号取得のため留学した母に付いて英国で数年を過ごした以外は人生の殆どをレシフェで過ごしている。ペルナンブコ連邦大学(UFPE)でジャーナリズムを学び、まず映画評論家として活躍、新聞Jornal do CommercioやFolha de S.Paulo, 雑誌Revistas Continente, 自身が発足した映画サイトCinemaScópioなどで映画評を多数執筆する。更には奴隷解放運動の指導者として有名な外交官の名を冠した映画機関Cinema da Fundação Joaquim Nabucoを設立し、プログラマーとしても活動している。

映画監督としては90年代から劇映画からドキュメンタリー、実験映画など多岐に渡る作品を手掛け始める。1997年には短編"Enjaulado"を製作、通り魔に恋人を殺害された中産階級の男が妄想に囚われ破滅していくと後に""の原点となった作品だ。2002年にはホラー短編"A menina do algodão"(Daniel Bandeiraと共同監督)を手掛ける。今作はトイレに少女の亡霊が現れるという、1970年代にレシフェで秘かに囁かれていた都市伝説をモチーフとした作品で、35mmフィルムを引き延ばして作られたメタ・ホラー/ドキュメンタリーという実験的な構成を取っている。

2005年には実に3本もの作品を製作する。まずは"Noite de sexta manhã de sábado"(英題:Friday Night Saturday Morning)、ブラジルとウクライナに別れて過ごす恋人たちの世界を詩情豊かなモノクロで以て描き出すロマンス映画だ。そして2本目は"Eletrodoméstica"、新しくやってきた1台のテレビがとある中産階級家庭に騒動を巻き起こす短編で、レシフェ映画祭では女優賞・批評家賞・観客賞の三冠を勝ち取る。そして3本目で彼の名を世界に轟かせたのがウクライナの民話を原作とした作品"Vinil verde"(英題:Green Vinyl)だ。母からレコードを譲り受けた主人公を襲う恐怖を描いたホラー短編で、カンヌ国際映画祭の監督週間で上映され話題となったのである。2009年にはSF短編"Recife frio"を製作、急激な気候の変化に晒されたレシフェでその異常事態に対応しようとする住民たちの姿を追ったモキュメンタリー作品だ(以上、監督の公式vimeoから観れます)そして映画評論家としての活動を辞め長編製作に専念、2012年に初の長編作品「ネイバリング・サウンズ」(原題:O Som ao Redor)を監督する。

冒頭、クレジットが無機質に浮かんでは消えていくのとは裏腹に、聞こえてくる音の数々はひどく雄弁だ。空気をピッピッと切るような鳥の囀り、大気に渦を巻く風の響き、そして雄馬の威嚇を思わすエンジン音にタイヤのゴムが道路に擦れる音……私たちはブラジルの日常に広がる、同時に自分たちの周囲にも広がっているだろう生活音を鼓膜で味わうこととなる。だが突然にそれらとは一線を画する激烈な響き、心臓の1発の鼓動を何倍にも増幅したような響きが私たちを襲う。殴打のペースはどんどん速度を増し不穏が最高潮に達するその時、物語は幕を開ける。

舞台はレシフェの住宅街、中産階級に属する人々が多く住まう地域だ。主婦のベアトリス(Maeve Jinkings)は愛する夫や2人の子供たちと共に幸せな生活を送っている、少なくとも表面上はだが。目下の悩みは家の周りを彷徨く野犬についてだ。昼夜問わず吠えるのを止めず騒がしくてしょうがない。この日もベアトリスは眠れぬ夜を過ごし、リビングで渋面を浮かべながら鳴き声を聞く。だがもう限界だ、彼女は生肉に毒を仕込みそれを窓の外から放り投げる。翌日、ベアトリスが双眼鏡で外を覗くと、惨めに横たわり、弱々しく痙攣している忌々しい糞犬の姿が見える。

そしてベアトリスの家の近くにはジョアン(Gustavo Jahn)という男性が住んでいる。彼はこの地域の有力者を家族に持ち、自身も不動産業を生業にするなど何不自由ない日々を過ごしている。ある日"最近良い関係"にある女性ソフィア(Irma Brown)を自宅に招き楽しい時間を送っていたのだが、彼女の車が何者かによって荒らされているのを発見する。ガラスを剥がされたばかりか、愛用のCDプレーヤーまで盗まれてしまったらしい。使用人たちは犯人を見ていないというが、ジョアンは素行の悪い従兄弟のジーリョ(Yuri Holanda)が怪しいと睨み、怒りを募らせる。

基本的にはこの2人が中心人物でありながら「ネイバリング・サウンズ」は多数のキャラクターが入り乱れる群像劇としてブラジルの現在を素描していく。英語と中国語を習っているベアトリスの子供たち、ジョアンの家で働くベテランの家政婦、お付きの運転手として働きながら日々に不満を募らせる若い男、そしてジョアンの祖父であり地域一帯にその名を轟かせる有力者フランシスコ(W.J. Solha)。彼らは地位も性格も全く異なり、1人1人の繋がりは網の如くに張り巡りその多様性を語る。

だが今作において最も饒舌なのは冒頭に象徴されている通り、私たちの周りに広がる音の数々だ。静寂を引き裂く犬の鳴き声、昼の通りで子供たちがサッカーに興じる時の歓声、蹴りあげられ壁に衝突し生じるボールの弾響、工事現場から聞こえるのは工具が振り下ろされる響き、金属が焼き切られる響き。フィーリョはこれらを暴力的なまでに誇張した上で、絶え間ない奔流さながら観客の耳へと注ぎ込んでいく。私たちは数えきれないほどの音がこの世界には存在すると、忌々しさを以て実感させられる。

音から逃げられる場所など何処にも存在しないのはベアトリスの日常を見れば分かるだろう。彼女はいつも家の中で過ごしているが家事を行うにあたって、掃除機は空気を噴出することで轟音を生み出し、洗濯機はブルブルと震動し彼女の鼓膜に不愉快な刺激をもたらす。そして料理をするにもドアを開くにも、ただ廊下を歩くだけでも音は影のように付き従う。逆に音楽を爆音でかけることによって他の音から逃れようとも、その障壁すら叩き壊して外部から届くあの犬の鳴き声はベアトリスの神経を苛む。あのクソッタレの犬はまだ死んでない……彼女は他ならぬ音によって不安と狂気に晒され、こわれゆく女の様相を呈し始める。

この音の要素についてフィーリョはこう語っている。"その功績は(音響を担当した)Pablo Lamarにあるでしょう。もし映画内で音楽を使うとなると、観客に対して"この映画にはどのように反応すればいいのか?"という印を与えることになってしまう、それは避けたかった。ですが音楽を取り除けば、観客の一部は自分と映画しか存在しない状況に困惑するでしょうが、"ここで笑えばいいんだな、ここでは泣けばいい、ああここでは「何だこりゃ!」と叫んで良いんだな"と観客を刺激する必要はなくなります。そうすれば観客は緊張し、本来の反応を引き出すことができるのですから。

そういう訳でよくあるサウンドトラックは求めていませんでした。私は(音楽担当の)DJ Doloresに、自分は効果音以上のものでありながら音楽以上のものではない音が欲しいのだと話しました。音は観客がそのまま受け入れることの出来ない旋律の連なりとして紡がれるべきです。それでいて全ての要素の裏側で音の波が絨毯さながらに構成されているのだと。特に重要だったのはそれらの半数がすぐには正体を現さないようにすることでした。例えば割れるガラス、ナイフやフォーク、それらの響きはすぐに何か分かるので取り除き、真に迫りながらもその正体が分からない音を採用したのです(中略)音は語りの穴を更に開き、時には孤立の感覚をも増幅させるものであるべきです。それでいて個のノイズとしても印象的なものでなくてはならないんです"*1

そしてフィーリョはこの不安を一個人の内面から中産階級の人々が住まう住宅地一帯、更にはブラジルそれ自体が被る不安へと拡張していく。それについて語る上で欠かせないのが今作の舞台となっている地域だ。先述したが舞台は監督の故郷でもあるレシフェという港湾都市、この都市はポルトガルやオランダに占領されていた植民地時代から奴隷貿易の拠点となり、更には砂糖などの交易によって繁栄を遂げ、現在では人口160万人を誇る産業と金融の中心地/美しい海に面した観光地として栄えている。海の近くには巨大なビルが群れを成して天を射抜かんとその身を伸ばし、現在もその数は増やしている。その合間には中産階級や富裕層に属する人々が多く住む住宅街が立ち並んでいる。

これについては劇中に印象的なシーンが存在する。ジョアンが顧客と共にある部屋へと下見に行くのだが、ある時その顧客の一人が窓を開け放つ。そこからは同じくらいの高さである住宅の屋根が見える一方、もっと向こうにはまるで壁さながらに聳え立つビル群が見える。新鮮な空気が取り込まれるような解放感と窒息するような閉塞感が交わり合う瞬間だ。その後ジョアンが別の顧客と契約を結ぶシーンがあるのだが、彼はこの時ビルの屋上におり、電話をしながら眼下に広がる光景を眺める。ビルが建ち並ぶ中にひときわ背丈の低い一帯があり、カメラがズームしていくと煉瓦色の屋根が密集しているのが分かる。つまり窓を開け放った彼女はそこにいたのだ、そしてベアトリスたちはそこに身を置いているのだ、大いなる影の群れに覆われたあの陸の孤島に。

こう見ると開発が進むブラジルの安全地帯といった印象を受けるが、それとは裏腹にレシフェはブラジルの他の大都市に比べ犯罪率は突出して高いという治安上の問題を抱えている。現在進行形で広がりつつある貧困層と富裕層の格差が犯罪を誘発しているのだ。在ブラジル日本国大使館は安全の手びきに次のような文言を記している。

"治安状況は改善の兆しが見られず、都市別の人口10万人あたりの殺人事件の発生率もブラジル全土で常に上位となっています(中略)州警察の発表では、2014年、レシフェ大都市圏の殺人件数は増加傾向にあり、市内では依然として銃器を使用した凶悪犯罪が後を絶ちません(中略)2013年の10万人あたりにおける強盗事件発生件数は951件(日本の約363倍)、殺人事件発生件数は36.95件(日本の50.62倍)となっており、日本とは比較にならないほど治安が悪いと言えます"*2

上述の通りレシフェの犯罪件数は増加傾向にあり、ベアトリスやジョアンはいつ自分がそういった事件に巻き込まれるかと心配の種は尽きない。それはこの安穏たる中産階級の身分からいつ引き摺り下ろされるかという不安にも繋がり、そしていつしか住民同士の反目をも生み出す。例えばベアトリスの家にTVが運ばれてくる際、その玄関にボタニアという隣人が現れる。そしてダンボールに書かれた"40インチ"を見た途端彼女はベアトリスに飛び掛かりちょっとした騒ぎになる。ボタニアの家には37インチのTVが届けられる予定だったからだ。こういった一見下らない行動の中にも狂気は見え隠れし、緊張感は高まっていく。そんな状況で突然現れる者たちがいる。

ジョアンが叔父のアンコ(Lula Terra)と共に食事を楽しんでいると、監視カメラに見知らぬ男が映る。男の名前はクロドアルド(Irandhir Santos)、彼は友人らと共に小さなセキュリティ会社を立ち上げ、今度から警備員としてこの地域の見回りを行うのだという。ジョアン含め住民たちは背に腹は変えられないと安全の見返りとして彼らに対価を払い安寧が保障されたかのように見える。ここから俄に物語が帯びるのは"監視社会"のモチーフだ。クロドアルドたちは見回りのため深夜の住宅街を行くが、彼らはその内に地域一帯の構造や誰がどこに住んでいるかという情報を把握し始め、越権行為に手を染め始める。"誰が見張りを見張るのか?"このモチーフは様々な映画に現れるが、今作においてもこの問いは不気味に横たわる。

その上で「ネイバリング・サウンズ」が独特なのは、監督の演出が明確にホラー映画を志向していることだ。私たちはここに例えばジョン・カーペンターダリオ・アルジェント、時にはハリウッド産の大味なB級ホラーの影を容易に見出だすことが出来る筈だ。開け放たれたドアの向こうを何者かの影が横切る一瞬、深夜に寝惚け眼で外を眺めた時見てしまう現実離れした悪夢の光景、私たちの視線を露骨な形で誘導する奇妙なカメラワーク、突発的な暴力と突発的な爆音の数々……アルジェントやロマン・ポランスキーにオマージュを捧げた短編"Enjaulado"を製作するほどのホラー映画ファンであるフィーリョはその文法を巧みに利用することで不穏な雰囲気を醸造していく。

それでいて彼にテン年代の作家としての性質を大いに感じるのは、ホラーを志向しながら恐怖の光景を実際に成就させることを徹底的に避けている点だ。劇中では何かが起こりそうな予感が濃厚に漂いながらも、その殆どは予感のまま潰える。だがそれこそが今に広がる空気だ。テロや自然災害など自分の人生を完膚なきまでに破壊する物の到来、その予感に胸は休まらず絶えず疲弊しそれが延々と続き、その内にむしろ破綻の到来を願わされる末期的な状況。例えば「複製された男」ドゥニ・ヴィルヌーヴ「メルキュリアル」ヴィルジル・ヴェルニエ、そして"Historia del Miedo"Benjamin Naishtatなどテン年代に台頭を果たした作家たちが持つ、恐怖の決定的な瞬間を遅延し続けるという技術と"この物語の裏側に私たちの理解を越えた大いなる悪意が存在する"という感覚をフィーリョもまた共有しているのである。

しかし「ネイバリング・サウンズ」は上述した作品の数々よりも更に自由で混沌としている。ヴィルヌーヴらが要素要素を上手く収斂させる洗練された手捌きを見せる一方で、フィーリョはブラジルの現在に鋭くメスを入れる社会批評、この国に住む人々の日常に対する眼差し、音という概念への類い希なセンス、ホラー映画へのダダ漏れた愛をカオスそのままに一作の映画に纏めあげており、故に洗練されたとは言い難い。だがこの作品には、映画評論家として長年に渡り"映画とはどうあるべきか?"という問いを批評によって理論化してきた監督の経験が土台となっており、だからこそこのカオスは欠点ではなく無二の魅力として機能しているのだ。つまりフィーリョは熟練のスキルを持ちながら、混沌の極みたる初期衝動に身を任すことを恐れない映画作家であり、その才覚が「ネイバリング・サウンズ」として結実している。

物語の最後、音の洪水に彩られた本作はとある激しい音の中で幕を閉じる。その響きには作品全体を象徴する不穏さが爆ぜながら、不思議な解放感すらも湛える。ブラジルがどんな道筋を辿るにしろ彼らの日常は続く、不安との戦いもまた続くだろうが。

「ネイバリング・サウンズ」ロッテルダム国際映画祭で上映され批評家賞を獲得した後、ニューヨーク、テッサロニキコペンハーゲンブエノスアイレスなど世界各地を回り30以上の賞を勝ち取るなど話題になる。2015年にはワールドカップ開催に湧くレシフェの姿を描き出した短編ドキュメンタリー"A Copa do Mundo no Recife"を手掛け、2016年には待望の第2長編"Aquarius"を手掛ける。舞台はやはりレシフェ、人生も黄昏を迎えようとしている音楽評論家の主人公が、自身の住む思い出深いマンションから立ち退きを迫られながらも孤独な反抗を続ける……という再びブラジルの現代社会を鋭く抉る作品となっている。カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品され、こちらも高い評価を受けた訳で受賞を期待された訳だが、御存じの通りクソったれカンヌはお気にの作家に賞をあげるに留まり、今作は無冠に終わってしまった。

しかし話題にするべきはそこではない。カンヌのレッドカーペットにおいて、"Aquarius"のキャスト・スタッフ陣が故郷ブラジルを批判するプラカードを掲げ、その場が一時騒然となったのである。"ブラジルはもはや民主主義国ではない" "世界は彼の違法な政府を認めることは出来ない" "この国でクーデターが起こっている"……フィーリョによるとルセフ大統領が弾劾された現在のブラジルを"分裂"し"余りに酷い"状況を迎えており、プラカードを掲げた理由についてこう語っている。"何かに打って出るという考えは気に入りましたが、派手な行為やインパクト不足な行為はしたくありませんでした。なので私たちはA4の紙に今のブラジルで起こっていることを記しそれを掲げたんです。カンヌには沢山のカメラが集まっていますから、とても美しい形でこれを達成できたと思います"*32017年には第3長編"Bacurau"が控えており、今後旋風を巻き起こすことは確実だ。ということでフィーリョ監督の今後に超超超超超期待!!!!!!!


見る人が見れば一発でフィーリョ監督がホラー映画ファンだと分かる画像。

私の好きな監督・俳優シリーズ
その51 Shih-Ching Tsou&"Take Out"/故郷より遠く離れて自転車を漕ぎ
その52 Constanza Fernández &"Mapa para Conversar"/チリ、船の上には3人の女
その53 Hugo Vieira da Silva &"Body Rice"/ポルトガル、灰の紫、精神の荒野
その54 Lukas Valenta Rinner &"Parabellum"/世界は終わるのか、終わらないのか
その55 Gust Van den Berghe &"Lucifer"/世界は丸い、ルシファーのアゴは長い
その56 Helena Třeštíková &"René"/俺は普通の人生なんか送れないって今更気付いたんだ
その57 マイケル・スピッチャ&"Yardbird"/オーストラリア、黄土と血潮と鉄の塊
その58 Annemarie Jacir &"Lamma shoftak"/パレスチナ、ぼくたちの故郷に帰りたい
その59 アンヌ・エモン&「ある夜のセックスのこと」/私の言葉を聞いてくれる人がいる
その60 Julia Solomonoff &"El último verano de la Boyita"/わたしのからだ、あなたのからだ
その61 ヴァレリー・マサディアン&"Nana"/このおうちにはナナとおもちゃとウサギだけ
その62 Carolina Rivas &"El color de los olivos"/壁が投げかけるのは色濃き影
その63 ホベルト・ベリネール&「ニーゼ」/声なき叫びを聞くために
その64 アティナ・レイチェル・ツァンガリ&"Attenberg"/あなたの死を通じて、わたしの生を知る
その65 ヴェイコ・オウンプー&「ルクリ」/神よ、いつになれば全ては終るのですか?
その66 Valerie Gudenus&"I am Jesus"/「私がイエス「いや、私こそがイエ「イエスはこの私だ」」」
その67 Matias Meyer &"Los últimos cristeros"/メキシコ、キリストは我らと共に在り
その68 Boris Despodov& "Corridor #8"/見えない道路に沿って、バルカン半島を行く
その69 Urszula Antoniak& "Code Blue"/オランダ、カーテン越しの密やかな欲動
その70 Rebecca Cremona& "Simshar"/マルタ、海は蒼くも容赦なく
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その113 Leyla Bouzid&"À peine j'ouvre les yeux"/チュニジア、彼女の歌声はアラブの春へと
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その123 Mélanie Delloye&"L'Homme de ma vie"/Alice Prefers to Run
その124 アマ・エスカランテ&「よそ者」/アメリカの周縁に生きる者たちについて
その125 Juliana Rojas&"Trabalhar Cansa"/ブラジル、経済発展は何を踏みにじっていったのか?
その126 Zuzanna Solakiewicz&"15 stron świata"/音は質量を持つ、あの聳え立つビルのように
その127 Gabriel Abrantes&"Dreams, Drones and Dactyls"/エロス+オバマ+アンコウ=映画の未来
その128 Kerékgyártó Yvonne&"Free Entry"/ハンガリー、彼女たちの友情は永遠!
その129 张撼依&"繁枝叶茂"/中国、命はめぐり魂はさまよう
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その131 リュウ・ジャイン&「オクスハイドⅡ」/家族みんなで餃子を作ろう(あるいはジャンヌ・ディエルマンの正統後継)
その132 Salomé Lamas&"Eldorado XXI"/ペルー、黄金郷の光と闇
その133 ロベルト・ミネルヴィーニ&"The Passage"/テキサスに生き、テキサスを旅する
その134 Marte Vold&"Totem"/ノルウェー、ある結婚の風景
その135 アリス・ウィンクール&「博士と私の危険な関係」/ヒステリー、大いなる悪意の誕生
その136 Luis López Carrasco&"El Futuro"/スペイン、未来は輝きに満ちている
その137 Ion De Sosa&"Sueñan los androides"/電気羊はスペインの夢を見るか?
その138 ケリー・ライヒャルト&"River of Grass"/あの高速道路は何処まで続いているのだろう?
その139 ケリー・ライヒャルト&"Ode" "Travis"/2つの失われた愛について
その140 ケリー・ライヒャルト&"Old Joy"/哀しみは擦り切れたかつての喜び
その141 ケリー・ライヒャルト&「ウェンディ&ルーシー」/私の居場所はどこにあるのだろう
その142 Elina Psykou&"The Eternal Return of Antonis Paraskevas"/ギリシャよ、過去の名声にすがるハゲかけのオッサンよ
その143 ケリー・ライヒャルト&"Meek's Cutoff"/果てなき荒野に彼女の声が響く
その144 ケリー・ライヒャルト&「ナイト・スリーパーズ ダム爆破作戦」/夜、妄執は静かに潜航する
その145 Sergio Oksman&"O Futebol"/ブラジル、父と息子とワールドカップと
その146 Virpi Suutari&”Eleganssi”/フィンランド、狩りは紳士の嗜みである
その147 Pedro Peralta&"Ascensão"/ポルトガル、崇高たるは暁の再誕
その148 Alessandro Comodin&"L' estate di Giacomo"/イタリア、あの夏の日は遥か遠く
その149 イリンカ・カルガレアヌ&「チャック・ノリスVS共産主義」/チャック・ノリスはルーマニアを救う!
その150 Rina Tsou&"Arnie"/台湾、胃液色の明りに満ちた港で