鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済藤鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Tali Shalom Ezer&"Princess"/ママと彼女の愛する人、私と私に似た男の子

先日個人的にかなりショックな出来事があった。以前ブログで紹介したイスラエル映画作家ロニ・エルカベッツがガンのため51歳の若さで亡くなったのだ。彼女はイスラエルにおいて女性が結婚/離婚において置かれる過酷な状況に対する洞察を映画として結実させたヴィヴィアン三部作が有名であり、特にブログで紹介した三部作の掉尾を飾る"Gett"はこの国でユダヤ教徒の女性が離婚するのがいかに難しいのかを、カフカ的な不条理を交え描き出した裁判劇の傑作だった。こうして三部作を終え、これからどういった方向へと進むのかが期待された矢先に彼女は亡くなってしまったのである。

この訃報がTwitterで流れてきた時には本当に驚いたし、英語圏のメディアもこぞって報道していたのだが、此処においても日本と海外の反応の温度差に何というか色々と思う所があった。彼女の死については日本語のニュースサイトは一文を載せるくらいで終わってしまったし、他に話題に挙げる人は殆んど居ない。それが分かった時は柄にもなく悲しい気持ちになった。皆あんな偉大な映画作家が亡くなったのに彼女について誰も語らないし、もしかするとそもそも誰も知らないんじゃないか……だからこそ、私はこのブログを書いていかなくちゃならないという思いが強くなった。この日本語と他の言語との間で埋もれていく物を、誰かに頼るでなく私自身が掬い出して語っていかなくちゃならないと。ということで今回はエルカベッツと同じくイスラエル出身の新鋭作家Tali Shalom-Ezerと彼女の長編デビュー作"Princess"について紹介していこう。

Tali Shalom Ezerは1978年イスラエルのクファール・サバに生まれた。母はルーマニア人で精神科の看護師、父はイラクからの移民。子供時代は地方の演劇グループに参加し、演劇や演技の魅力に憑りつかれる。兵役中は心理アセスメント、つまり心理療法にあたって患者それぞれに適した治療法を見つける役職についており、心理学に傾倒していた。ベイト・ズヴィ舞台芸術学校では当初演技について学んでいたが途中で監督業にシフト、続くテル・アヴィヴ大学では舞台演出と映画について学ぶ。映画監督の傍ら、舞台演出家のアシスタントやプロダクション・マネージャー、エルサレム映画祭やテル・アヴィヴ国際学生映画祭の審査員などを務めていた。現在はパートナーのLibby Tishlerと共にテル・アヴィヴに住み、大学で映画についての教鞭を取っている。

映画監督としては学生時代の2005年に中編ドキュメンタリー"A Summer at Abarbanel"を、2006年には短編"Living Room"を手掛ける。後者は母親と同居し続ける40代の女性("Princess"にも出演するケレン・モルが主演)がある出来事をきっかけに自分の人生と対峙することを余儀なくされるという作品で、イスラエル国際映画祭、カンヌ国際映画祭などで上映される。2008年には中編映画"Surrogate"を監督、あるトラウマを抱えた男性とセックス・サロゲイトの女性の交流を描き出した本作はイスラエル国際女性映画祭で作品賞を獲得するなど話題になる。そして2014年には初の長編作品"Princess"を手掛ける。

朝の光りは部屋を柔らかな純白で満たしていく。少女はその輝きに目を擦っていると、早く起きなさいとそんな優しい声を聞く。耳に心地よい母の声に少女は導かれていく。母の節くれだった指が少女に触れ、その茶色い髪を撫でていく。朝の微睡みに漂う幸福な時間。しかし少女の背後にもう1人、男が寝転んでいる。母はまた柔らかな声で呼びかけ、男は呻き声でそれに答える。だが少女にはそれが気に入らない、その男の存在が気に入らない、母が愛するその男の存在が。

12歳の少女アダール(Shira Haas)の日々はあの白い陽光のように輝いている物とは言えなかった。学校の授業についていけず、最近は何かと理由をつけて休みがちだ。彼女は母のアルマ(「11'09''01/セプテンバー11」ケレン・モル)が確かに愛しているが、小児科医として仕事に打ち込み続ける彼女が自分をまともに構ってくれるのは朝の時間だけだ。だがそれ以上に気に入らないのは一緒に住む彼女の新しい恋人ミハエル(「エージェント・ゾーハン」オリ・フェファー)のことだ。仕事を首になり主夫として家に居続ける彼とは必然的に多く顔を合わせる羽目になる。そして夜にはあの忌々しい喘ぎ声が隣から響いてくる。

ある夜アダールはベッドから起き上がり、忍び足で廊下を歩いていく。吐き気に裏打ちされた不機嫌を顔に浮かべながら群青色の闇を行く彼女の姿をカメラは静かに捉える。声の源へと辿り着くとそこには背後からキスをされ喘ぐ母親の姿がある。少女はそれをしばらく眺めてからベッドに飛び込んでいき、お腹が痛いと気まずい表情の2人に訴える……序盤において"Princess"を牽引するのはこの三者間の曰く言い難い性的な緊張感だ。アダールは否応なしに自身の性の目覚めと対峙せざるを得ない中、ミハエルに愛する母を奪い取られるような感覚に襲われながら、それが膨らむごとに母への愛は憎しみへと変わりゆく。2人が一緒にいる姿、まるで自分に見せつけるような姿を見るアダールの眼差しには苦味が滲んでいる。それでも表面上、アダールとミハエルの仲は良いように見える。喧嘩するフリをしてじゃれあい、一緒に昼食を食べながら笑いあい、アダールがお腹が痛いと訴えた次の日、ミハエルはベッドに寝転ぶ彼女にマッサージを施す……

その翌日アダールは初潮を迎えアルマはそれを祝福する。だが彼女の顔は曖昧な不快感に曇り、学校に行くフリをして近くの廃墟へと赴く。虚ろな眼差しで屋上から地上を眺めるうち彼女は運命的な出会いを果たす。少年の名前はアラン(Adar Zohar-Hanetz)、自分と同じ服、同じくらいの長さの髪の毛、自分に似た顔。2人は出会った瞬間に友人となり楽しい時間を過ごす。そして住む場所がないというアランを自分たちの家族に迎い入れ、4人での生活が始まる。

Ezerは主人公に似た少年という謎めいた存在を物語に潜り込ませることによって今作を薄暗いファンタジーへと変貌させる。彼は本物の人間なのか? それともアダールの想像の産物なのか? この問いが宙吊りにされる中で、アダールは勿論のこと、アランはアルマの信頼も得ていくのだが、特に彼に目をかけるのがミハエルだ。彼はアランを絵画のモデルとしたり、共にベッドに寝転がって"僕をパパと呼んでくれ"とそんな執着を見せる。アダールはそんな2人の姿に観察的な目を向け、あの問いに心を揺らされる観客もまた観察の視線を獲得する。そして分かってくるのは前半でミハエルがアダールに見せていた態度と後半で彼がアランに見せる態度が奇妙に重なりあう点だ。これが物語の根底にある秘密を浮かび上がらせることとなる。

それと同時にアダールは母であるアルマともまた対峙しなくてはならなくなる。アランの出現によってますます学校への足が遠ざかり自分の理解できない存在となっていくアダールを、アルマは罵り自分の人生を壊したと呪詛を吐き捨てる。彼女たちの心が衝突を遂げる様は苛烈であり、2人を演じるShira Haasとケレン・モルの科学反応がここに更なる肌を突き刺すほどの現実味を宿す。"親子"という名前が与えられている故にこの関係性には何か特別なものが存在すると思いがちだが、結局は他者と他者でしかない。無条件に互いを理解しあえる筈がないのだ。だからこそアダールとアルマの関係もまた凄まじい痛みからは逃れることは出来ない。

"Princess"の扱うテーマは重苦しく、時には吐き気を抑えられなくなるほどのものだ。だがアダールはこの2つの現在進行形で形を成していくトラウマを想像力によって乗り越えようとする。その姿は脆くも力強く、孤独でちっぽけながら前に進みたいという意志に満ちている。微かにだが、光は確かにそこにあるのだ。

参考文献
https://pro.festivalscope.com/director/shalom-ezer-tali(監督プロフィール)
http://www.indiewire.com/article/meet-the-2015-sundance-filmmakers-27-princess-is-a-sexual-fantastical-coming-of-age-tale-20150124(監督インタビューその1)
http://www.seventh-row.com/2016/05/25/tali-shalom-ezer-princess/(監督インタビューその2)

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