鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済藤鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

リチャード・リンクレイター&「スラッカー」/90年代の幕開け、怠け者たちの黙示録

さてシリーズ"結局マンブルコアって何だったんだ?"、前回に引き続いてリチャード・リンクレイターについての話題である。このブログでは何度も書いているし、この記事の後にも同じことを繰り返しているが、ゼロ年代の米インディー映画界に広まったムーブメントであるマンブルコア、その始まりと見なされるアンドリュー・ブジャルスキーの長編デビュー作"Funny Ha Ha"(紹介記事読んでね)は"Slacker"が無ければ存在しなかった、これは21世紀の"Slacker"なのだと言われさえしている。つまりは今作が存在しなければマンブルコアすら存在しなかったと言い換えることも出来るだろう。だが今まではただそう文として書くだけで"Slacker"という映画作品が一体どういった作品なのかを書いては来なかった。さて、さてさてさて、ということで今回はそんなリンクレイターを一躍有名にするきっかけとなった、そして90年代米インディー映画界豊穣の幕開けとなった記念すべき作品"Slacker"を紹介していこう。

深い群青が空を覆い尽くす夜明けの時、しかし彼は車窓からそんな美しい色彩が見えるとも知らずバスの座席で安らかに眠り続けている。そしてバスはテキサスはオースティンへと辿り着く。新天地に降り立った彼は荷物を担いで、今度はタクシーへと乗り込んでいく。彼は運転手に対してあの時見ていた夢についてベラベラと長口舌を振るう。オズの魔法使い、運命の分かれ道、ドストエフスキー、とある素敵な女性。勢いはそのままに、しかし彼の中にはある後悔が芽生える、こんなことなら俺やっぱりバス停でいれば良かったんじゃないか?……そしてタクシーから降り、取り敢えず彼は道を歩いてみるのだが、目の前で老婆が轢かれるという幸先悪すぎる結果に陥ってしまう。

"Slacker"は100人以上の登場人物が入り乱れ、夢・人生・哲学・恋愛・テクノロジーについての持論を下らないことから高尚なことまでベラベラと喋りまくる映画だ。冒頭でリンクレイター自身が演じる"バス停で待つべきだった男"から、カフェでロシア文学を交えて人生について語る野郎共、自分が所属するバンドの名前を"究極の負け犬"にした"究極の負け犬"男、通りすがりの男に友人が生理周期についてのアートを作っていると解説するグラサン女とよくもまあ此処まで変なキャラを集めたと感心するほどの可笑しさだ。

だがどうやってそんな変人入り乱れな話を語るかかっていうのは、上の続きを追っていきながら解説しよう。リンクレイターの長きに渡る盟友リー・ダニエルズのカメラは道路に伸びた老婆をロングショットで写しだす。その周りに先の青年やジョギング中の女性、更に偶然車で通りがかったサラリーマンが集まり騒ぎになるのだが、カメラはその光景をゆっくり後退りしながら撮影していき、いきなり左へとレンズをうごかす。とそこには青年たちとは特に関係もなさそうに見える若い男が映り、視点は青年からこの男へと完全に移る。こういった風に長回しを持続しながらふとフレームインした登場人物にカメラが付いていき、いつの間にか視点が切り替わっているという案配だ。だからメインキャラに見えたのにいきなり通行人に視点が移って出番終了とかが頻発する。男に視点が移った時点で青年たちもこの映画からは完全に消える訳である。この思い切りが良すぎる演出と強烈キャラの数珠繋ぎによってオースティンの24時間が描かれていく。

リンクレイター作品は会話が主体の作品が多いのだが、この作品はその最初期にして究極形と言えるかもしれない。誇張ではなく本当にマシンガンのように言葉が乱射され、私たちの脳髄の情報処理能力を絶えず試してくる。AとBが喋っていたらいきなりCが現れて自分の言いたいことブチ撒けるなんて展開はザラで、そういう意味で強烈なのがポスターにも登場している帽子被ったアホ面ワンパク少女(実は少年じゃない)だ。"究極の負け犬男"が頑張って気になる女性をパーティに誘おうとした所に大乱入、懐からビンを出したかと思えば"これマドンナの子宮頸部の細胞なんだぜ!レアだぜ、買ってよ!"ととんでもない物を押し付けようとする。そして私たちが唖然とする中で、彼女は嵐のように去っていく。マジで劇中はこんなことが延々と続く訳である(余談だが1991年の"Slacler"に1992年のレザボア・ドッグスと、ダラダラした駄弁りを映画文法にまで押し上げた米インディー映画2作の両方がマドンナを話題にあげているのは興味深い現象だ)

このアホみたいな会話の数々はある面で確かに馬鹿で間抜けなものばかりでファニーなのだが、雲行きが少しずつ怪しくなってくるのにも気づく筈だ。冒頭の交通事故から街のそこら中には暴力の気配が濃厚に漂う。テレビから聞こえてくるキャスターと猟奇殺人鬼との対話、不可解な失踪事件、近くの高速道路で繰り広げられる狂人による銃撃事件とその血にまみれた顛末、ある時には全く不条理な死の宣告が一瞬の内に成される。リンクレイターは直接的に暴力の発露や死の到来(交通事故はフレームの外から音のみを響かせる不気味さ)を映し出しはしないが、だからこそその裏側に何らかの悪意が蠢いていることを雄弁に示し出す。

この不穏さと奇妙に共鳴しあうのが、妙に多く繰り広げられる陰謀論についての会話の数々だ。月面着陸云々はアメリカとソ連が仕組んだマッチポンプでその裏にはあの組織の存在が!という説から、ケネディ暗殺に隠された驚愕の真実!的なあるある陰謀論に、最近オースティンで失踪事件が多発しているのにはある理由があった!という物から多岐に渡る。まるでドン・デリーロが描いたキャラが米インディー的味付けを施され映画に登場しているといった風だが、特にテレビ画面に浮かぶ映像は実際の光景を越えるパワーを宿していると豪語する男は、デリーロの出世作「ホワイト・ノイズ」に登場しても遜色ない存在感を誇っている。こういったパラノイア的思考は通常、滑稽な狂気と切り捨てられても可笑しくはないが、今作においては暴力の予感と相まって現実離れなどではない、今そこにある恐怖としての実感を獲得していく。

映画の題名にもなっている"Slacker"は"怠け者、働きもしないでダラダラと日々を過ごす人物"という意味の英語で、今作には正にそんな状態の人々ばかりが出てくる。周りをブラブラと歩いて、友人と適当に喋って、夜にはクラブとか行って酒飲んで何かそんでまた明日……と彼らはそんな日々を送る。それはこの状態が生温く心地よいからかと言えばそうではなく、むしろこんな状態からは逃げたいと心の裡では思いながらどうすれば逃げられるか解らないという人物ばかりだ。あるシーンで道を歩く男女がこんな会話をする。

「このクソッタレな国から出たいって思わない?」
「それで何処行くんだよ」
「決めてないけど、此処じゃない何処かに」
「分かんないな……でも俺旅行とかはしたけど、知らない場所で、知らない文化とか知らない人々と付き合っていかなくちゃならない……旅行なんてクソッタレだよ」

この作品には様々なキャラクターが入り乱れそれぞれの価値観を語る。それ故に全く違う多様な価値観が世界には存在していることを観客に諭す作品が"Slacker"という声もあるが、ここに出てくる人々は現状に鬱屈を感じ、今自分が生きている人生について信じられず、ある者は臆面もない後悔によって過去の方を向き続け、ある者は大胆な嘘によって自分を偽り、ある者はおよそ信じがたい陰謀論に対し、狩られる3秒前のダチョウさながら地面に頭を突っ込むことで現実から目を背けようとする人物ばかりなのだ。それでいてある者は言う、私たちは結婚したり子供を産んだりして、いつだって自分自身を奴隷にしようとするのだと。ここから逃げたい、自分を何かの奴隷に仕立てあげたい、そんな相反する欲望はオースティンという名の牢獄としてスラッカーたちを閉じ込める。

そこにおいてかつて救いとなっていたのは何か? この"Slacker"が1991年に作られる何年か前、世界は冷戦の真っ只中にあった。西側諸国と東側諸国の対立は音もなく緊張感の高まりを見せ、核による破滅の恐怖は日常と隣り合わせになっていた。だがこの恐怖は先述の鬱屈を抱えている物にとっては、こんなクソみたいな人生を一瞬でブッ飛ばしてくれる魔法/希望としてある種のガス抜き的希望として作用していたのだ。しかしご承知の通り、ある時冷戦は終わりを告げて核の恐怖は過ぎ去ってしまった。その雪解けの時代に"Slacker"は作られている訳だが、破滅の選択肢が奪われた鬱屈は予期出来ない方向へと捻り曲がっていく。

リンクレイターの卓越した点は、このパラノイア的思考を個人に収斂させていくのではなく、膨大な登場人物の数珠繋ぎによって共同体レベルにまでこの狂気は伝播していっていると描き出す手捌きにある。そして再びの夜明けを迎える頃、何処かで誰かが"俺は人間が爆発する所が見たいんだ!クソッタレ兵器を使って問題なんて全部ブッ飛ばしてやるんだ!"と叫ぶ。そして怠け者たちに黙示録の時は訪れる。

ここからは余談である。物語の後半に"女は地獄から遣わされた存在"という持論を繰り広げる男らがクラブに行って門前払いを喰らうシーンがあるのだが、店の前で"ギリシャから来た従姉妹"というキャラクターが登場する。実は彼女、"Attenberg"によって"ギリシャの奇妙なる波"の幕開けを準備したアティナ・レイチェル・ツァンガリその人なのである(紹介記事も一緒に読んでね)。彼女はこの時代テキサス大学に留学しており、その繋がりでリンクレイターと友人関係となり"Slacker"の出演に至ったのだ。彼女は自転車で道を走ったり、別のクラブに行った時には飲み代がタダになるからって店番の男に手首舐められながらスタンプ付けられたくないと文句言ったりと結構出番がある。

ツァンガリ"Slacker"後にはテキサス大学で講師をしたり、映画祭の運営に携わったりとこの地で活動を続け、2010年には第2長編"Attenberg"で世界を湧かせる訳だが、実はリンクレイターのビフォア三部作最終作ビフォア・ミッドナイトの撮影がギリシャで行われたのは彼女の存在があったからと言えるだろう。彼女は製作と共にチョイ役として出演している。このギリシャアメリカを跨いだ長きに渡る友情の始まりがこの"Slacker"でもあるのだ。

はい、ということで宣言通り繰り返すが、ゼロ年代の米インディー映画界に広まったムーブメントであるマンブルコア、その始まりと見なされるアンドリュー・ブジャルスキーの長編デビュー作"Funny Ha Ha""Slacker"が無ければ存在しなかった、これは21世紀の"Slacker"なのだと言われさえしている。つまりは今作が存在しなければマンブルコアすら存在しなかったと言い換えることも出来るだろう。面白いのはゼロ年代からテン年代前半の米インディー映画界を席巻したマンブルコアと、テン年代付近でにわかに勃興し世界を驚きの渦に巻き込むこととなる"ギリシャの奇妙なる波"はリチャード・リンクレイターという存在を通じて繋がっていたという事実である。更にはツァンガリ監督のテキサス大学時代の教え子にはマンブルコアを牽引するデュプラス兄弟の兄ジェイがいたという事実すら存在している。こういう意外な繋がりがあるからこそ、マンブルコアを追うのは止められない訳である。


このオバチャンは劇中輪にかけて不気味。

結局マンブルコアって何だったんだ?
その1 アーロン・カッツ&"Dance Party, USA"/レイプカルチャー、USA
その2 ライ・ルッソ=ヤング&"You Wont Miss Me"/23歳の記憶は万華鏡のように
その3 アーロン・カッツ&"Quiet City"/つかの間、オレンジ色のときめきを
その4 ジョー・スワンバーグ&"Silver Bullets"/マンブルコアの重鎮、その全貌を追う!
その5 ケイト・リン・シャイル&"Empire Builder"/米インディー界、後ろ向きの女王
その6 ジョー・スワンバーグ&"Kissing on the Mouth"/私たちの若さはどこへ行くのだろう
その7 ジョー・スワンバーグ&"Marriage Material"/誰かと共に生きていくことのままならさ
その8 ジョー・スワンバーグ&"Nights and Weekends"/さよなら、さよならグレタ・ガーウィグ
その9 ジョー・スワンバーグ&"Alexander the Last"/誰かと生きるのは辛いけど、でも……
その10 ジョー・スワンバーグ&"The Zone"/マンブルコア界の変態王頂上決戦
その11 ジョー・スワンバーグ&"Private Settings"/変態ボーイ meets ド変態ガール
その12 アンドリュー・ブジャルスキー&"Funny Ha Ha"/マンブルコアって、まあ……何かこんなん、うん、だよね
その13 アンドリュー・ブジャルスキー&"Mutual Appreciation"/そしてマンブルコアが幕を開ける
その14 ケンタッカー・オードリー&"Team Picture"/口ごもる若き世代の逃避と不安
その15 アンドリュー・ブジャルスキー&"Beeswax"/次に俺の作品をマンブルコアって言ったらブチ殺すぞ
その16 エイミー・サイメッツ&"Sun Don't Shine"/私はただ人魚のように泳いでいたいだけ
その17 ケンタッカー・オードリー&"Open Five"/メンフィス、アイ・ラブ・ユー
その18 ケンタッカー・オードリー&"Open Five 2"/才能のない奴はインディー映画作るの止めろ!
その19 デュプラス兄弟&"The Puffy Chair"/ボロボロのソファー、ボロボロの3人
その20 マーサ・スティーブンス&"Pilgrim Song"/中年ダメ男は自分探しに山を行く
その21 デュプラス兄弟&"Baghead"/山小屋ホラーで愛憎すったもんだ
その22 ジョー・スワンバーグ&"24 Exposures"/テン年代に蘇る90's底抜け猟奇殺人映画
その23 マンブルコアの黎明に消えた幻 "Four Eyed Monsters"
その24 リチャード・リンクレイター&"ROS"/米インディー界の巨人、マンブルコアに(ちょっと)接近!

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