鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済藤鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Noah Buschel&"Bringing Rain"/米インディー映画界、孤高の禅僧

以前私はこのブログでケリー・ライヒャルトというアメリカ映画界における小さな巨人を特集した(この紹介記事を読んでね)。日本では辛うじて「ウェンディ&ルーシー」「ナイト・スリーパーズ/ダム爆破計画」がソフトスルーになっているが、この扱いは余りにも不当だと常々思っていた故に自分が初めて彼女の作品群を網羅的に紹介できたのは素晴らしい経験だった(というか皆、マジで真面目にやれよ、お前らのことだよ!!!)

だがライヒャルトは一応スルー作品もあり少しは知名度があったが、今回紹介する作家は日本公開作はゼロ、日本語での紹介記事もほぼゼロ、ともすればアメリカ本国においてですら余り知られていない。逆に言えばそんな状況であるからこそ紹介する価値があるというものだ。ということで今回からはアメリカ映画界孤高の作家Noah Buschelを集中特集していこう。

Noah Buschelは1978年5月31日ペンシルヴァニア州フィラデルフィアに生まれた。Marinという双子の兄弟がいる。影響を受けた人物としては臨済宗の禅僧である中川宋淵の名前を挙げており、好きな映画は「巴里のアメリカ人」「カンバセーション…盗聴…などなど。特に好きなのはエリア・カザン監督作「波止場」で、それについて子供時代の思い出を交えながらこう語っている、

"6歳の時、水疱瘡に罹ったんです。だから一週間、私は飼い猫のクレイジーとカウチに寝転がりながら、冷たいお茶を飲んでTVを観ていたんです。Cinemaxはずっと「波止場」を放送していました(中略)5時間ごとに何度も何度も放送しているようでした。寝て起きたらマーロン・ブランドの大きくて歌舞伎のような顔が私の目の前に現れることの繰り返し。まるで催眠術にかかったようで、私にとってはとても親しみ深いものとなりました

それで小さな頃はブランドが演じたテリー・マロイのように歩き、口ごもる喋り方も真似しました。鼻血が出る時はいつだってリー・J・コッブがやるように振る舞いました。しかし数年が経って「波止場」を再見した時私が驚いたのは、この映画がいかに個の映画ではないか?ということです。今作のヒーローは共同体なんです。エヴァ・マリー・セイント演じるエディーは言うでしょう、誰でも誰かの人生の一部じゃないの?と"*1

子供時代はマンハッタンの芸術家が集まる地域グリニッジ・ヴィレッジの近くで育ったのだという。高校を中退した後、マイアミ大学で行われる授業に忍び込み映画を学び、脚本の訓練所にも参加するのだが、彼にとってはどれも"無駄な"経験だったそうで、19歳から自己流で脚本を執筆し始める。

時を同じくして彼が傾倒し始めたのが禅である。彼はニューヨークに禅寺を構えるPat Enkyo O'Haraの元に弟子入りし禅を学び出す。彼女の教えは独特で、経典を読む代わりにアメリカ文化に根差した授業を行っていたという。例えばブルース・スプリングティーンがニューヨーク警察に射殺されたアフリカ系の青年アマドゥ・ディアロをモデルとして書いた楽曲"American Skin (41 Shots)"に解説を施していくといった風に。この時の経験についてBuschelはこう語っている。"スプリングティーンの曲を仏陀の教えと共に読み解くなんて初めてでした。この経験は仏教が自分の育った文化と対立しあうものではない、アメリカ人であることと対立しあうことなどないと教えてくれたんです"*2そしてネパールの山で修行に励むなど熱心に禅の教えを習い、晴れてBuschelは禅僧となるのだが、この経験は確実に彼の映画製作に影響を与えていると言える。それについてはおいおい語っていくことにしよう。

映画監督としての転機は22歳の時にやってきた。友人のつてでタレントエージェンシーのThe Gersh Agencyに脚本を送り、それが縁でプロデューサーのDan O'Meraと出会う。エージェンシーは商業的な成功が認められないと主張する一方で、彼が大いに脚本を気に入ったことで長編製作が進展、2003年に初の長編映画"Bringing Rain"を手掛ける。

舞台はとある全寮制高校、卒業を間近に控えた少年少女はそれぞれに学校での最後の日々を迎えている。ダコタ・カニンガム(「ナース3D」パス・デ・ラ・ウエルタ)は最後まで学校に馴染めないまま、授業をサボってはトイレでコカインを吸い、幻想の世界に浸り続ける。ジョン・ベル(死霊のはらわた リターンズ」レイ・サンティアゴ)は末期ガンを告知され、卒業はそのまま自分の死を意味する状況に絶望感を抱く。レブ・バビット(「ラストデイズ」ロドリゴ・ロプレスティ)は野球部に所属しているが、実力を発揮できないままに学生生活は終わろうとしている。

誰もが満たされない思いを抱えているが、その中心にいるのはクレイ・アトキンス(アントラージュ★オレたちのハリウッド」エイドリアン・グレニアー)という生徒だ。彼は将来を嘱望された野球選手だったが、卒業を目前として交通事故を起こし、心にも体にも大きな傷を負ってしまった。彼は授業にも出ず町や学校を人知れず彷徨うのだが、その視線の先にいるのは同じクラスのニーシャ・サンダース(セレブの種」ニーシャ・バトラー)だ。ニーシャはクレイの恋人であり、交通事故の際に片足を失うという重傷を負ったのだ。クレイはそんな彼女をただ遠くから見つめることしか出来ない。

"Bringing Rain"はこうした大きな悩みを抱える高校生たちの姿を描き出した青春群像劇だ……と言えば、彼らの人生が交錯しあい、痛みも喜びも全て受け入れた上で若さのかけがえのなさを謳う瑞々しい物語を期待するかもしれないが、この作品にそういった通り一遍の瑞々しさは存在しない。確かに群像劇として視点は目まぐるしく変わり、登場人物は絶えず互いの人生に働きかけながら、そういった物語が生み出す筈の興奮は意図的に回避されている。ここにあるのはただただ色褪せた諦念だけなのだ。

その作風に呼応するように、ヤーロン・オーバック(「シング・ストリート」)による撮影には少年少女の鬱屈ばかりが滲み渡る。いつであっても画面全体には薄いヴェールのような影がかかり、クレイたちの表情には精彩というべき物がほとんど感じられない。彼らが住む寮の部屋には劃然として丁寧に設えられた陰影が横たわる。そんな中で印象的なのはニーシャが夜のプール場へと忍び込むシーンだ。プールサイドに座る彼女は義足を撫でながら、水の中へと入ろうとするが躊躇する。その時、壁には水面に反射した月の煌めきが美しく揺らめく。だがニーシャはその煌めきへと身を委ねることが出来ない。プール場を満たす群青色の深い闇に彼女の心もまた満たされているからだ。

Buschel監督は"Neal Cassidy"では伝記映画、"Glass Chin"では「殴られる男」「ボディ・アンド・ソウルというボクシング×ノワール作品など、ジャンル映画の定型を借りながらも、それらに対して観客が抱くだろう期待を敢えて裏切るような、意表を突いた作劇が持ち味だ。正にこの"Bringing Rain"も長編デビュー作でありながら、青春映画としては異例の、何の盛り上がりもなく時が過ぎるままに任せる無機質な演出を指向するなど今後に繋がる方法論の萌芽が明らかに見られる。

しかしデビュー長編だからこその未熟さが先立つ演出も多く見られ、ある意味で微笑ましくもある。最も大きい瑕疵が音楽の使い方だ。劇中とにかく聞き境なく楽曲を垂れ流す様は、自分の好きな音楽を聴いてくれ!と言わんばかり、ポール・トーマス・アンダーソンマグノリアにオマージュを捧げたと思わしきシークエンスも存在する。問題なのは彼の特色であり美点である抑制的なリズムを、音楽によって加速させようと空しい努力を続けようとしている点だ。そういう意味でBuschel監督は自らの作家性を自分ではまだ理解できていなかったと思われてならない。

そうこの作品の美点は異様に淡々たるリズムに他ならないのだ。クレイたちの物語は断片的に、無機質な出来事の連なりとして提示される。登場人物は常に関わりあいながらも、その淡白さの中では全てが断絶しているように思われる。此処に浮かび上がるのは高校生たちそれぞれが抱える後悔と不安だ。青春というものは外から振り返るなら輝かしい日々に思えるかもしれないが、正にその真っ只中を生きる者たちにとってはこの時代にしか存在しない苦しみを生き抜く必要がある。今作においてそれは未来への幻滅だ。潰えかけた野球選手としての未来、不治の病に削り取られる命、絶望的な愛の道筋。自分には無限の可能性が開いていた筈なのに、いつの間にかその扉の数々は閉じられ、目の前に広がるのは果てしない闇ばかり。この全てに見捨てられたかのような途方に暮れる感覚が今作には宿っているのだ。そして"Bringing Rain"は卒業前に開かれる最後のプロムへと縺れ込んでいくが、灰色のムードが晴れることは有り得ない、安易な救いがもたらされることは有り得ない。それでも"未来が欲しい"という小さな、しかし切実な声が鼓膜を微かに揺らすその時を私たちは感じるはずだ。

"Bringing Rain"はトライベッカ映画祭で上映された後、ロード・アイランド国際映画祭で新人監督賞を獲得する。この作品を観た限りだとこれに新人賞を与えるというのはなかなか思い切ったことをするという印象だが、この采配は英断だったとしか言い様がない。何故ならNoah Buschelはこの地から雄々しく巣立ち、アメリカ映画界において何にも迎合することはない孤高の作家となったのだから。ということで待て次回!

参考文献
http://www.buddhistchannel.tv/index.php?id=60,844,0,0,1,0#.V26j7PmLTIU(Bushcelと禅について)
http://www.indiewire.com/2009/01/noah-buschel-the-missing-person-trusting-your-instincts-and-avoiding-indie-cliches-70956/(監督インタビュー)

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その156