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映画痴れ者/ライター済藤鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

ラドゥー・ムンテアン&「不倫期限」/クリスマスの後、繋がりの終り

ラドゥー・ムンテアン&"Hîrtia va fi albastrã"/革命前夜、闇の中で踏み躙られる者たち
ラドゥー・ムンテアン&"Boogie"/大人になれない、子供でもいられない
ラドゥー・ムンテアンの略歴および彼の長編第2作"Hîrtia va fi albastrã"と"Boogie"についてはこちら参照

ムンテアン監督の第2長編"Hîrtia va fi albastrã"を紹介する時、日本では"ほぼ"紹介されていないルーマニアの重要人物と書いた。"全く"ではなく"ほぼ"であるのは、実はムンテアン監督の作品が1本だけ日本でも紹介されているからである、しかもソフトは既に発売済み。邦題は「不倫期限」……そうこれが全く日本で話題になっていない理由だ。ソフトを出すにしても文芸エロ映画として狭い客層にしか訴えないマーケティングを行った故に、観たい者に今作の届く余地がなかったのである。ということで今回は"文芸エロ映画に世界が見える"ルーマニア編として、"ルーマニアの新たなる波"の重要作(なのに超不遇な扱いを被っていた)「不倫期限」aka"Marți, după Crăciun"を紹介していこう。

ベッドに寝転がるのは少々肥え気味の中年男性と美しいブロンドを揺らす若い女性、2人は裸のままでキスを交わしながら他愛もない会話を繰り広げる。足の人差し指が長い人は芸術の素養があるらしいの……指の長い奴は巨根だとかそういう話ではなく?……あなたのは普通のサイズ……弛緩した親密な雰囲気が彼女たちの間には漂うが、会話の節々から2人の関係性が余り褒められる類いのものではないという現実が立ち上ってくる。

次のシーンにおいて、その中年男性が服屋を所在なく彷徨いてる姿が映し出される。彼を呼ぶ女性の声、だが声の主は先の女性とは違う。男性と同じくらいの歳かさ、眼鏡をかけたブルネットの中年女性。パウルとアドリアナ(ミミ・ブラネスク&ミレーラ・オプリショル)は結婚10年目の夫婦である、この場所には娘マーラのためのクリスマスプレゼントを買いに来ていた。しかし彼は妻に対して先の女性ほどの親密さを抱いてはいない。出会ったばかりの頃に抱いた情熱など既に磨り減り、心は別の場所にある。だがそれを面と向かって告白する勇気がパウルにはなかった。

"ルーマニアの新たなる波"に属する作品は、チャウシェスク独裁政権下における抑圧(ムンジウの4ヶ月、3週と2日やムンテアンの"Hîrtia va fi albastrã")、政権が崩壊した後においては共産主義が残した貧困と腐敗(ポルンボユの"A fost sau n-a fost?"やプイウの「ラザレスク氏の最期」)など、自国に広がるドン詰まりの風景を描き出すものが多かったが、この「不倫期限」に出てくる登場人物は中産階級に属する人々ばかりで、現れる部屋の内装などを見ても明らかだが他にはない豊かさと余裕を持ち合わせている。そして描かれるのも"不倫"という普遍的なテーマだ。それでも此処にはルーマニア独特のリアリズムが確かに焼きついていると言える。

ある時、パウルはマーラを連れて歯形矯正のために歯医者へと赴く。だが彼にとって誤算だったのは、アドリアナが偶然仕事が休みになったから自分も付き添いたいと電話で伝えてきたことだ。なし崩し的に歯医者へと集まった3人を迎えるのはこの医院を経営する歯科医のラルーカ("Un etaj mai jos"マリア・ポピスタス)だ。矯正についての話が始まる中で、パウルの顔には気まずい表情が浮かぶ。何故なら彼の不倫相手は他でもないラルーカだったからだ。

前作"Boogie"から長回しがムンテアンのトレードマークとなり始めたが、今作ではその演出が目を見張るほどの繊細な洗練さを獲得しているのに気付く筈だ。清潔な白の色彩が満ち溢れる病室、座席に腰を据えるマーラ、彼女の傍らに座るラルーカ、その後ろで腕を組みながら心配げに見守るアドリアナ、不安からか更に遠くから彼女たちを見つめるパウル。矯正の詳細を語る愛人は今にも泣きそうな表情をカメラに向け、何も知らない妻は娘のことを考えながら眉を潜め思索を巡らせる。夫が微かな焦燥に揺れる中、娘の大きく開かれた口の前で、歯並びについて解説する愛人の顔と心配げな妻の顔が、ほとんど衝突するのではないかと思うほどに肉薄する。真実を知る者と何も知らない者の密やかな邂逅、この緊迫感が7分にも渡る長回しによって紡がれるシークエンスはムンテアンの成熟を語る。

そしてこの長回しの連なりが緊密なテンションを持続させていく。冒頭のベッドに再び集まりながら、ラルーカはパウルが妻を連れてきたことを非難し静かに泣き崩れる。そんな彼女をパウルは優しく抱き締めながら、その一方で夜にはアドリアナとの時間を過ごす。テレビを観ながらソファーに寝転がるアドリアナ、彼女の足をパウルはマッサージするのだ。あなた優しいのね、妻はそう呟きながら夫は生返事を返す。ムンテアンが長回しという時間の絶え間なき連なりによって捉えんとするのは、パウルたちがふとした瞬間に浮かべる感情の機微とその連続性だ。笑顔から涙へ、無表情から労りの顔つきへ、監督の手捌きはこの移り変わりに無二の説得力を宿していく。

もちろん彼の捉え方だけでなく、俳優たちの演技力も素晴らしい。ラルーカ役のマリア・ポピスタスは朗らかさと哀しみの間を不安定に行き交うが、彼女の表情が最も映えるのは涙をこぼすまいと我慢するその時だ。コップから液体が溢れるか溢れないかという時の、表面張力による微妙な揺らぎはラルーカの感情のうねりと重なりあう。そしてパウル役のミミ・ブラネスクは"Hîrtia va fi albastrã""Boogie"とムンテアン作品に連続出演を果たし、今回はとうとう主役の座を得たが、その期待に応える確かな好演だ。彼が体現するのは同情の余地もない人間の内にある、欲求の抗いがたさへの懊悩とその全く対極にある向こう見ずな大胆さだ。そんなラルーカとパウルの関係性の不定さが物語を牽引していく。

だが""は究極的には邦題が示す不倫という関係よりも、それによって瓦解を迎える結婚という関係性を描いているというのは、後半においてパウルの妻であるアドリアナが中心となる展開に明らかだ。安らかな日常に対する喜び、裏切りに対する怒り、自分の人生が崩壊する音を聞く時の悲しみ、全てを受け入れた後に待つ虚無、自分の知らぬ間に全ては既に終わっていたのだと悟ってしまった人間が直面する感情の激動をアドリアナを演じるミレーラ・オプリショルが一身に背負う。事実2011年のゴーポ賞(ルーマニアアカデミー賞)においては、作品賞を獲得した「俺の笛を聞け」やこのブログでも紹介したチャウシェスク政権を描く集大成とも言えるドキュメンタリー&"Autobiografia lui Nicolae Ceausescu"を筆頭に激戦が繰り広げられ、その中でも「不倫期限」は12部門ノミネートのうち1部門のみな受賞に終わったが、獲得したのは他でもない彼女だった、しかも主演女優としてである。前半では、見た目も相まって「ゴーンガール」ベン・アフレックの妹を演じたキャリー・クーンのように相手を受け止めるタイプの演技をこなしながら、後半誰にも増して前面に打って出る攻めの演技は圧巻としか言い様がなかった。

「不倫期限」の原題"Marți, după Crăciun"ルーマニア語で"クリスマスの後の火曜日"を意味する言葉の連なりだ。最初は希望に満ちた響きを伴いながらも、最後にはある一組の夫婦が結婚という名の元に敗北した果ての絶望ばかりが空しく響く。関係性についての敗残処理、ルーマニアの忌憚なき現実主義は此処にもやはり強く焼きついている。

ルーマニア映画界を旅する
その1 Corneliu Porumboiu & "A fost sau n-a fost?"/1989年12月22日、あなたは何をしていた?
その2 Radu Jude & "Aferim!"/ルーマニア、差別の歴史をめぐる旅
その3 Corneliu Porumboiu & "Când se lasă seara peste Bucureşti sau Metabolism"/監督と女優、虚構と真実
その4 Corneliu Porumboiu &"Comoara"/ルーマニア、お宝探して掘れよ掘れ掘れ
その5 Andrei Ujică&"Autobiografia lui Nicolae Ceausescu"/チャウシェスクとは一体何者だったのか?
その6 イリンカ・カルガレアヌ&「チャック・ノリスVS共産主義」/チャック・ノリスはルーマニアを救う!
その7 トゥドール・クリスチャン・ジュルギウ&「日本からの贈り物」/父と息子、ルーマニアと日本
その8 クリスティ・プイウ&"Marfa şi Banii"/ルーマニアの新たなる波、その起源
その9 クリスティ・プイウ&「ラザレスク氏の最期」/それは命の終りであり、世界の終りであり
その10 ラドゥー・ムンテアン&"Hîrtia va fi albastrã"/革命前夜、闇の中で踏み躙られる者たち
その11 ラドゥー・ムンテアン&"Boogie"/大人になれない、子供でもいられない

私の好きな監督・俳優シリーズ
その101 パヴレ・ブコビッチ&「インモラル・ガール 秘密と嘘」/SNSの時代に憑りつく幽霊について
その102 Eva Neymann & "Pesn Pesney"/初恋は夢想の緑に取り残されて
その103 Mira Fornay & "Môj pes Killer"/スロバキア、スキンヘッドに差別の刻印
その104 クリスティナ・グロゼヴァ&「ザ・レッスン 女教師の返済」/おかねがないおかねがないおかねがないおかねがない……
その105 Corneliu Porumboiu & "Când se lasă seara peste Bucureşti sau Metabolism"/監督と女優、虚構と真実
その106 Corneliu Porumboiu &"Comoara"/ルーマニア、お宝探して掘れよ掘れ掘れ
その107 ディアステム&「フレンチ・ブラッド」/フランスは我らがフランス人のもの
その108 Andrei Ujică&"Autobiografia lui Nicolae Ceausescu"/チャウシェスクとは一体何者だったのか?
その109 Sydney Freeland&"Her Story"/女性であること、トランスジェンダーであること
その110 Birgitte Stærmose&"Værelse 304"/交錯する人生、凍てついた孤独
その111 アンネ・セウィツキー&「妹の体温」/私を受け入れて、私を愛して
その112 Mads Matthiesen&"The Model"/モデル残酷物語 in パリ
その113 Leyla Bouzid&"À peine j'ouvre les yeux"/チュニジア、彼女の歌声はアラブの春へと
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その116 Antoine Cuypers&"Préjudice"/そして最後には生の苦しみだけが残る
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その119 ニコラス・ペレダ&"Juntos"/この人生を変えてくれる"何か"を待ち続けて
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