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映画痴れ者/ライター済藤鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

アリス・ウィノクール&「ラスト・ボディガード」/肉体と精神、暴力と幻影

アリス・ウィンクール&「博士と私の危険な関係」/ヒステリー、大いなる悪意の誕生
アリス・ウィノクールの略歴、およびデビュー長編についてはこちら参照

さて、アリス・ウィノクールである。先日彼女が共同脚本を手掛けたデニズ・ガムゼ・エルギュヴェン監督作裸足の季節が公開された訳だが、実はその裏で彼女自身の監督作が日本でもソフトスルーとなっていた。邦題は「ラスト・ボディガード」…………まあ、邦題から分かる通り、ケヴィン・コスナーが一世を風靡するきっかけとなった作品ボディガード」や、そのまま邦題すら同じであるコリン・ファレルロンドン・ブルバード -LAST BODYGUARD-」(内容に繋がりは全くない)などの系譜にある護衛アクションものだ。だから観客にも馴染み深い代物と言える。だがウィンクール監督はその定型を利用することで、意欲的なデビュー作品「博士と私の危険な関係を越える高みを志向していると断言できる。というかマジで凄い作品来ちゃったよ!!!

ヴァンサン(「クライム・ヒート」マティアス・スーナールツ)は兵士として世界各地の戦場で闘い続けてきた。しかしある任務からの帰還後、彼は医師から前線で闘うことはもう出来ないと通告されてしまう。そんなヴァンサンだったが友人であるドゥニ(「フレンチ・ブラッド」ポール・アミ)からの誘いである仕事を請け負うことになる。それは風光明媚なリヴィエラの邸宅に住む、レバノン人実業家ワリド(Percy Kemp)の身辺警護を行うというものだった。

彼女は今作によって描こうとするのは、戦争によってPTSDを患った人間の精神に広がる風景だ。その上で彼女が重要視しているのが音の要素だ。ヴァンサンは聴覚の異常が決定打となり兵士を辞めざるを得なくなるのだが、その異常はふとした瞬間に私たちの耳にも襲ってくる。自宅に帰り呆然とベッドに座る彼は、何処かからヘリコプターの音が聞こえてくる。空気を絶えず裁断するよう響き、おそらく戦場で幾度となく耳にしたのだろう不気味な響き。それを聞く彼の表情には不安と焦燥が滲み渡る。

だがヴァンサンを襲うのは幻聴だけではない。彼は邸宅に赴いた際、長い廊下を渡り警護係専用の部屋へと足を運ぶのだが、まず料理場に差し掛かった時、無数の食器がカチカチと触れあう金属音、飛び交う指示や怒声が群れを成し一気に襲撃をかけてくる。そこから抜け出すと次は家政婦が響かせる掃除機の吸引音、荒れ狂う砂嵐のような響きが彼の鼓膜を殴り付けるのだ。つまり彼の敵は日常に潜む生活音であり自然音だ。監督はこの音の群れを誇張によって増殖させて、彼の濃密な妄執を観客にまで追体験させようとする。

この音響と代わる代わるして観客を痛めつける存在がゲサフェルシュタインによるテクノサウンドだ。彼の奏でるビートは金槌によって遂行される凄惨な暴力と変わりがない。鼓膜や三半規管を殴り、切り裂き、突き刺し、引きちぎり、潰し、粉々になるまで暴力の手を緩めることがない。印象的なのは邸宅で開かれるパーティにおいて、ドゥニに呼ばれヴァンサンが正門へと赴くシークエンスだ。見えない恐怖に気が休まらない彼は夜の道を神経質に歩く。スローモーションで紡がれるこの場面で、最初に響くのは彼の波立つ心に似つかわしくないピアノの旋律だ。清冽でありながら緩やかで不穏と安らぎが糾える縄のように浮かび上がる旋律。だがそこにある金属音がインサートされる。空気を鋭く切るような響き、それは鞘に折り畳まれたナイフの刃が殺意を以て現れるような響き。そしてその最後に叩き込まれるのが激しいビートの連なり、それはヴァンサンの心臓の高鳴りだ。いつ殺意と暴力がその刃を向けるか分からない状況で彼の精神は崖っぷちに追いやられていく。鼓動は速度を増す、殺意の予感は肥大していく、鼓動は速度を増す、鼓動は……

こうしてヴァンサンの内面を何よりも雄弁に語る音楽は、全編において過剰とも思われるほど鳴り響く。それはすなわち自然音や生活音を覆い隠してしまうのではないかと思われるかもしれないが、ウィノクール監督の手捌きは2つの共存を可能にする。暴力の名の下に2つは完全な融和を果たすのだ。この音の要素についてウィノクールはこのように語っている。

"元々ゲサフェルシュタインのファンだったのですが、私が好きなのは彼の音楽はとても暴力的でありながら同時に宗教的な響きを持つからです。聞く者の精神を高揚させる何かがあるんです(中略)彼とは4日間撮影を共にしました。ムードボードや雰囲気を伝える100数枚の写真も持ってはいましたが、彼はイメージからアイデアは得られないと言うので、リヴィエラのアンティーブにある邸宅で一緒に過ごしたんです。呼吸や細かなディテールについての知覚を伝えるため、サウンドトラック製作には多くの仕事量を費やしました。そうでなければ主人公の頭の中へ、肉体の中へは入っていけないからです"

"脚本の最終段階にあたって(中略)自分もPTSDの経験があると気付いたのです。それは娘を出産する時のことで、私は危機的な状態に陥ったんですが、後から振り返って覚えていることは病院内の音、機械音の数々だけだった。映画において音が重要なのもそれが理由です"

「ラスト・ボディガード」という物語は徹底してヴァンサンの視点から語られていく。彼は暴力の響きを耳で聞かされると同時に、己の目で暴力の予感を密やかに眼差す。監視カメラに映るワリドの取り乱した姿、パーティ会場で彼が何者かと密談する光景、何かが起ころうとしている、何かが確実に……だが彼はその根源に行き着くことは出来ないまま不安だけが募り、それはそのまま観客の心とシンクロする。

そんな中でヴァンサンはワリドの妻であるジェシー(バツイチは恋の始まり」ダイアン・クルーガー)と彼らの息子アリ(Zaïd Errougui-Demonsant)を護衛する任務につくこととなる。精神状態の危うい彼がこの任務を引き受けた理由もまた、視線によって語られる。パーティ会場における邂逅、彼女は愛犬に餌を与え、彼はその姿を秘かに眺める。そして護衛中、偶然ジェシーの太腿が露になるその時、ヴァンサンは目敏くそこに目を向ける。そんな描写の数々に性的な欲望は明らかだ。それでいて彼は徹底して他者の視線を避けようとする。犬の餌を与え終わり、彼女がこっちを見た瞬間、ヴァンサンは目を反らし体を壁に隠す。バックミラーから運転席にいる自分を見るジェシーの視線に気づくと、彼はバックミラーの位置を変えてしまう。ヴァンサンの視線は一方的であり、それ故に暴力的だ。このどこか居心地の悪い性の緊張感が2者の間には常に張り詰めている。

これら不気味な要素の数々がウィノクール監督のディレクションによって「ラスト・ボディガード」に広がる世界を禍々しいものとしている。私たちは今作を観ながら、もし1秒後に登場人物たちが暴力に晒され惨たらしく殺害されようとも何ら不思議はないという思いを抱かざるを得なくなる筈だ。そしてそれは正にヴァンサンが抱く物と同種の物だ。車の運転中に道路を飛んでいく黒いビニール袋、海岸にいる時蔑みにも似た笑みを投げかけてくる少女たち、全てがヴァンサンの精神が妄執に導く。それでいて直接的な暴力が遂行される瞬間など実際にはほとんど存在しない。故に妄執は延長され、精神は破綻へと近づいていく。

ウィノクール監督はデビュー長編である「博士と私の危険な関係においても、断崖へと追い詰められる精神と肉体の有り様を描き出していた。前作と今作で一貫しているのは精神と肉体が1度乖離を遂げてしまったとしたら、2つは激烈な攻撃性を発揮し互いを傷つけあい、自己は成す術もなく崩壊していくしかないという荒涼たる光景だ。しかし相違点も存在する。前作が描いたのは、この個の内で繰り広げられていた闘争が社会構造に組み込まれた末、今に連なる大いなる悪意が誕生する瞬間だった。今作において闘争はヴァンサンという個の内のみで繰り広げられるが、そのミニマルさによって自己を絶えず揺さぶられる実存主義的なホラーとしてドス黒い輝きを放っているのだ。

そんな禍々しい物語を支えるのがマティアス・スーナールツだ。鎧のような筋肉を全身に纏った逞しさは、しかし彼の内にある脆い心の存在を語る。彼が一躍ブレイクを果たした作品「闇を生きる男」においても、過去のトラウマから隆々たる筋肉と"男らしさ"を執拗なまでに求める男を演じていたが、彼の肉体こそ牢獄と呼ぶに相応しい物はないだろう。精神は隆起した鋼鉄の肉体に繋ぎ止められ、ここから出してくれ!と狂ったように叫び続ける。そして外見上は何者にも破れないと思われる肉体も、壮絶な負荷の連なりに軋みを上げ、限界の時は近づいている。私たちは「ラスト・ボディガード」に大いなる破滅の影を見ることになるだろう。だがウィノクール監督のヴィジョンは静かにそれを否定する。そこには余りにも禍々しい救済が響き渡っているのだ。


内容は禍々しいけど、撮影は楽しそう。

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