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映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Alex Santiago Pérez&"Las vacas con gafas"/プエルトリコ、人生は黄昏から夜へと

さて、プエルトリコである。カリブ海北東に位置する島で、国ではなく米自治領という政治的な地位にある地域だ。経済状況は余り芳しくなく、低迷の果てに2015年8月には事実上のデフォルトを迎えるなど財政はかなりの危機的状況にある。映画の面ではハリウッドがラム・ダイアリー「22ジャンプ・ストリート」などが撮影されるなどする一面、本国の映画が世界的に注目を獲得することは余りない。そんな中で新しい世代の作家として期待されている人物が今回紹介するAlex Santiago Pérez

Alex Santiago Pérezは1970年に生まれた。プエルトリコ大学では歴史を学んでおり、卒業後の1995年からは映画の製作会社に勤め始め、いわゆる教育映画・教育映像を作っていた。約20年のキャリアの後、彼は自身にとって初の長編劇映画に着手、そして2014年には"Las vacas con gafas"を完成させる。

人生の黄昏を迎えながら、マルセリーノ(Daniel Lugo)の心は未だ辺りを彷徨い続けている。若い頃は著名な画家としてプエルトリコ中にその名を轟かせながらも、今はスランプに陥り何も書くことが出来ず、大学で美術の講師をしながら何とか生計を立てている。そんな彼に更なる不幸が降って湧いてくる。画家にとっては命とも言うべき目が使い物にならなくなり始め、医師から2年以内に全盲となってもおかしくないと宣告されてしまったのだ。その知らせを受け、マルセリーノはただただ呆然とタバコを吸うしかない。

物語はまずマルセリーノという気難しい老人の送る日常をゆったりとしたテンポで描き出していく。朝起きて服を着替え、家政婦が用意してくれた朝食を食べてから外へと出掛ける。のそのそと道を歩いていると、首を揺らしながらハトの群れがちょこちょこ付いてくるが彼にはそれが煩わしい。授業では物事を直裁に言いすぎて生徒たちに疎まれ、旧友の上司には婉曲的にその態度を嗜められる。夜は静かに眠りにつこうとするが、腰の痛みがそれを邪魔する。彼の気難しい心に体までもが反抗するかのように。

監督はそんなマルセリーノという人物の構想源についてこう語っている。"芸術が特別好きだった訳ではなく、このトピックに辿り着いたのは偶然でした。私は自分の祖父について書きたかった、彼は父親代わりの存在でユーモアについて特別な才能があったんです。時を同じくして、19世紀に活躍したプエルトリコ人の画家を描くドキュメンタリーを手掛けていたのですが、その時に会ったのがドミンゴ・ガルシアという人物でした。彼は才能に溢れたエキセントリックな芸術家で、片目が不自由になってからは視力を失うかもしれないという恐怖を原動力にして、狂ったように作品を描いていたんです。そんなドミンゴと祖父が合わさり、マルセリーノが生まれました"*1

そんな彼には盲目になる前にやらなくてはいけないことが1つだけある。マルセリーノが向かうのは娘であるイサベル(Cristina Soler)の邸宅だ。2人は5年ぶりの再会を果たしながらも彼女の反応はつれない。マルセリーノはイサベルにとって良い父親ではなかった、自分にトラウマを植え付けた酒浸りのクソ親父。彼女はその経験を元に自己啓発本を執筆し高名な作家になったのだが、まだ父を許した訳ではないのだ。拒絶されたマルセリーノはすごすごと家路につくが、その間にも世界は色彩と形を失っていく。

今作では主人公が日増しに視力を無くしていくが、だからこそ彼の周囲に広がる世界や空間性といった物に対し強く意識的だ。彼の住む邸宅は過去の栄光を観客に想起させるような大きさを誇っている。リビングに寝室、そして絵に集中するための部屋、どこもゆったりとした余裕がある。しかしその余裕はむしろ彼の抱く虚無感を言葉もなしに饒舌に語っている。それでいてリビングの食器棚、その隣に積まれた本の山には彼は長い間この場所で人生を送ってきたのだとそんな人間味ある軌跡が浮かび上がる。

そしてカメラが捉えるプエルトリコはサン・フアン市の風景も印象的だ。欧米諸国がこの場所を占領していた過去の名残が滲み出る瀟洒な建物郡と風化していく石造りの建物が混在する不思議な街並み。郊外には大きな公園が存在し、その果てには"ラ・フォルタレサとプエルトリコのサン・フアン歴史地区"の1つとして世界遺産に登録もされているサン・フェリペ・デル・モッロ砦が建っている。海に面したその砦は潮風に錆びついた場所もありながら、むしろ500年という歴史の長さを窺わせる風情に溢れている。この物語の豊かさの一端はこうした美しい風景にあると行っても過言ではないだろう。

そんな環境の中でマルセリーノの立場を端的に示す存在がタバコだ。彼は教員室や老人ホームなど様々な場所でタバコを吸い、その度に様々な人々から"ここは禁煙です"と注意され、渋い顔を見せる。世間の趨勢に付いていけない彼が安心してタバコを吸えるのは屋外だけだ。娘の住む邸宅の門前で、寂れたカフェの傍らで。しかしその時カメラは決まってロングショットで彼の姿を撮す。腰の曲がった老人がポツンと佇みながら白煙を燻らす、その周りに他の人間は誰1人いない。画面から滲み渡る強烈な孤独は、時代に取り残された男の悲哀を語る。

そして視力が奪われていくにつれ、マルセリーノの立ち振舞いは見る間に覚束ない物となっていく。少し体を動かすにも震えが止まらず歩き方は不安定、家政婦が冷蔵庫に張った紙にも気付かないでいる。目が見えなくなる恐怖に怯える彼からは身体の感覚すらも奪われていく。しかしこの物語を観る者は、彼が抱く"感覚を奪われていくという感覚"をむしろ濃厚に感じるようになるのではないか。日常生活の危うさ、全盲になるその時に備え目隠しをしながら台所の器具を触感によって確認しようとする姿、私たちは空間を意識し、自分たちの腕や足がマルセリーノに重なっていくのを体感していく筈だ。

その道行きは画家であるマルセリーノにとっては自尊心を完膚なきまでに粉砕されるまでの旅路と言えるかもしれない。しかし監督はそんな状況下で彼が自分の誇りを抱きしめ続けていられるかを丁寧に描き出す。絵画と向き合うこと、娘のイサベルと向き合うこと、自分の過去と向き合うこと。そうして人生が黄昏から夜に至る頃、生きていく意味はあったのか?という答えのない問いと向き合う時がやってくる。

参考文献
https://pro.festivalscope.com/director/santiago-perez-alex(監督プロフィール)
http://www.ttfilmfestival.com/2014/09/filmmaker-focus-alex-santiago-perez/(監督インタビュー)

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