鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済藤鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Nele Wohlatz&"El futuro perfecto"/新しい言葉を知る、新しい"私"と出会う

新しい言葉を学ぶというのは本当に大変な作業だ。私はルーマニア映画への偏愛が高じて今ルーマニア語を独学しているのだが、これが難しい。ルーマニア語に限らずおそらく欧州系の言語を学んだことがある方なら分かるだろうが、まず名詞が男性/女性/中世に分かれており、それによって複数形や使うべき(不)定冠詞の形が変わるというので躓く。そして動詞の語尾が主語によって全く変わるというので躓き、更には対格・与格云々かんぬんが出てくるとややこしいことこの上ない。

しかしその困難さと同時に、勉強するごとに何か自分の世界が少しずつ広がっていくような感覚もあるのだ。ルーマニア語で"映画"を意味する"pelicula"と口にすると、いつもとは違う興奮が心に広がっていく。ルーマニア語で"お会い出来て光栄です"という意味の" Îmi pare bine sã vã cunosc"を呟くと、頭の中には未来あるルーマニア映画作家と初めて出会う瞬間が浮かんでくる……思うに語学とはその感覚を一番味わうことのできる勉学なのではないだろうか。それが間違いではないことを私に教えてくれた一作が今回紹介するNele Wohlatzの長編作品"El futuro perfecto"だった。

自分が一番いきいきとする季節はいつですか?……そんな質問に対して少女は困惑したような表情を浮かべる。彼女は"今何て?"と言葉を返すしかなく、再び発される質問を黙って考えながら、最後には"私は2000年に……"と的外れな返答。尚も質問は続き、その度に少女は言い淀みながら、定冠詞や語尾を間違えながら、辿々しくとも何とかその1つ1つを答えていく。それでも少女の顔に笑顔は浮かぶこともなく、ただ灰色のもどかしさだけが滲むばかりだ。

18歳のシャオビン(Zhang Xiaobin)は家族と共に南米はアルゼンチンへとやってきたばかりだ。だがスペイン語など一切分からない状態でこの地にやってきた故に、毎日が困難の連続だ。レストランに入っても料理すら頼めなかったり、何とかスーパーマーケットで職を見つけながらも、スペイン語がヘタクソで客と意思の疎通が図れないからと即刻クビになってしまったり。そんな状況を変えるためシャオビンは一念発起、語学学校に入学してスペイン語を学び取ることを決意する。

あの人の名前はソフィアですか?……はい、彼女の名前はソフィアです……あなたはチリ出身ですか?……いいえ、私の出身はコロンビアです……そんなぎこちない言葉の数々が飛び交う授業風景に懐かしさを感じる人は多いのではないだろうか。例えば中学校での英語の授業、こんなのどこで喋る機会があるんだ?という会話を隣の席の生徒と読むなんてそんな経験ないだろうか。言葉を学ぶことがテーマ故にこの"El futuro perfecto"にはそんな懐かしい情景が幾つも現れる。例えばある問題を1人ずつ答える時間になった時、生徒が答える度に自分の番が近づいてくる中で、シャオビンは答えられるか不安なあまり教科書の該当部分に何度も何度も目を通し、こういう感じで答えればいいんだよね?いいんだよね?と頭の中で何度も何度も何度もリハーサルしてしまう。私なんかはその不安が分かりすぎて、観ながら、あの時そのまま不安が込み上げてくる程だった。

こういった地道な勉強の積み上げによって私たちは言葉を覚えていく訳だが、監督はその道行きを素敵なワクワクと共に描き出していく。シャオビンはスペイン語の単語を覚えていくことで、あの時出来なかったレストランでの注文を成し遂げ、オレンジジュースを飲めるようになる。シャオビンは友達との約束の仕方を学ぶことで、現実でもそれを成し遂げるのだ。言葉を覚えることでシャオビンの人生はどんどんどんどん開けていく。両親はスペイン語学ぶなんて時間の無駄だよ!と言い、中国系コミュニティに閉じ籠り続けるが、シャオビンはその閉じられた場所から広い世界へと飛び立っていく。そして彼女の顔には笑顔の灯火が浮かび始める。

そんな状況でシャオビンが出会うのがヴィジャイ(Saroj Kumar Malik)という青年だ。インド人の彼もまた移民としてこの地にやってきた人物でスペイン語もぎこちないが、そのぎこちなさが2人を近づけ、関係性は少しずつ親密なものになっていく。だがある日ヴィジャイは、自分と結婚して一緒にインドに住もうとプロポーズをしてくる。余りにも突然で強引な言葉にシャオビンは途方に暮れるが、その気持ちを表現する言葉を彼女はまだ持っていない……

監督のWohlatz自身もまたシャオビンと同様にスペイン語を第2言語とする人物だ。1983年にドイツ・ハノーファーに生まれ、カールスルーエ造型大学でセット・デザインについて学んだ後、彼女は単身アルゼンチンへと移住する。この地で出会ったGerardo Naumannと共に短編"Novios del campo"(2009)、ブラジルとアルゼンチンの国境付近にある農場に住む青年の姿を追った長編ドキュメンタリー"Ricardo Bär"(2013)を製作、後者はブエノスアイレス国際映画祭で上映されるなど話題になり、既にラテンアメリカ映画界の新たな才能として一定の評価を得ていた。

そんな彼女は本作の始まりについてこう語っている。"この映画の構想が思い浮かんだのは、アルゼンチンに移住して3、4年が経つ頃でした。未だに自分がこの社会の一員であるのか戸惑い、母国語から離れて毎日使うスペイン語もままならないとそんな状況に、自分は映画監督として無能だという思いを抱き続けていました。そこで考えたんです、社会に入り込めていないというなら外国人という視点から、何か映画を作るべきではないかと。

その頃私はドイツ語教師として働いていたので、語学学校のスペイン語クラスで生徒たちにインタビューさせてくれないかと頼みました。彼らは"良いですよ"と言ってくれたのですが、スペイン語を学んでいるのは殆どが中国出身でした。中国文化は初めて触れるもので、しかしそれが私とは違う国の人々と共に映画を作ってみようという気にさせてくれました。監督である自分と主人公の間にはそれ故の距離があり、もし友人関係になったとしても距離はなくならない。ですがその距離感こそが私の語りたいものだったんです"*1

劇中において印象的なのは言葉を学ぶ様子がまるで舞台のリハーサルをするような形で描かれることだ。登場人物を演じる人々の演技は最初、スペイン語が分からない人々でも分かる程にヘタクソな素人演劇的な印象を与える。だがそれは初めの一歩目なのだ。例えば俳優たちは与えられた言葉をまずはぎこちなく口に出して、そのニュアンスを捉えていき最後には自分の言葉としていくだろう。映画自体もそれと同じなのだ。シャオビンたちは言葉を覚え、何度もリハーサルを繰り返し、全てを自分の物としていく。現実のシャオビンと物語の中のシャオビンがそうして重なりあう様はひどく感動的だ。

言葉を学ぶのが困難なのは、今まで親しんだ母語によって組み立てられた"私"から離れ、また1から"私"を組み上げなければならないから他ならない。最初の頃は拙い言葉で"私"を模倣していくしかなく、不満ともどかしさは堆く積もっていく。だが根気を以て言葉に学んでいった先で、あなたはいつかその言葉の中に、母語の中にいるのとは違う、新しい"私"がいるのに気がつくだろう。"El futuro perfecto"はそんな光景を美しく紡ぎだしていく。シャオビンの瞳の先には光輝くいくつもの未来が待っている。

参考文献
https://mubi.com/notebook/posts/language-as-a-rehearsal-space-an-interview-with-nele-wohlatz(監督インタビューその1)
http://www.pardolive.ch/pardo/pardo-live/today-at-festival/2016/day-8/social-nele-wohlatz.html(監督インタビューその2)

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