鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

ナ・ホンジン&"哭聲"/この地獄で、我が骨と肉を信じよ

今作の舞台は韓国の山奥に位置する谷城(コクソン)という名の寒村、警察官である中年男性ジョング(「漁村の幽霊 パクさん、出張す」クァク・ドウォン)は妻(「彼とわたしの漂流日記」チャン・ソヨン)や娘のヒョジン(キム・ファニ)らと共にこの村で暮らしている。しかし最近谷城では奇妙な事件が頻発していた。突然夫が妻をメッタ刺しにして惨殺、火事によって家屋は全焼し被害者は発狂……それらはキノコの猛毒によるものと警察は断定していたが、村民たちはある噂に懸かりっきりだ、異常な事件の数々はあの不気味な日本人(五条霊戦記 GOJOE」國村隼)が村にやってきてから起こり始めたと。

本作"哭聲"のランタイムは2時間36分、今なお膨張を続けるハリウッドの娯楽超大作と同じ長さを誇っている。監督はその長大な時間を贅沢に使い、少しずつ狂気に至るまでの道行きを舗装していく。まず描かれるのはジョングらの日常だ。ジョングは大きな図体に虚勢を漲らせながら、実の所はヘタレで妻の尻に敷かれ続けている。仕事中にもヘチョい醜態ばかり晒して皆の笑い者だ。そんな彼がこの世で最も愛する存在が娘のヒョジン、ヘタれて帰ってくる時も彼女の慰めが救いとなり何とか胸を張って生きていける。こうして描かれる日常の何気ない風景が、2時間後には何十年も前のことにすら思えてくる……

だが日常を描くからといって、前2作でも見られた激烈さが影を潜めている訳では断じてない。それは冒頭の描写だけを観ても明らかだ。早朝、事件の報せを聞いたジョングが現場へとやってくる。そこに広がるのは暴力の痕が生々しい猥雑な部屋、それを真赤に染め上げる夥しい鮮血、かつて人であった筈の肉の塊。外からは被害者の遺族が発する絶叫が聞こえ、正に地獄絵図が広がる。信じられないことに、前半においては日常の合間ほぼ5分ごと凄惨すぎる死が執拗に繰り返される。視覚を殴りつけ、聴覚を刺し貫き、嗅覚を腐らせ、私たちの感覚を突発的な暴力によって蹂躙していくのだ。

それでいて驚くべきことに、この中で最も際立ってくるのが途方もない笑いであることだ。ジョングは惨たらしい事件現場に行き当たる度、百花繚乱の恥を晒していくのだが、焼け跡から発見された焼死体が唐突に目を醒まし、ジョングに襲いかかるシークエンスの常軌を逸した騒動は滑稽にも程がある。ほんげええええエエエエエ!!!と馬鹿面下げて逃げ惑うクァク・ドウォンの姿は往年のコメディアンも頭を垂れる滑稽ぶりだ。しかしこの笑いの感覚の核にあるのはいわゆるユーモアとはまた違う代物だ。あなたはホラー映画を観て余りの怖さで震えるどころか爆笑を抑えられなくなった経験がないだろうか。本作の笑いは正にそれだ、死霊のはらわたなど数少ない選ばれた映画だけが辿り着ける笑いなのだ。人は自分には理解できない大いなる何かと出会った時、ただ笑いしか出てこなくなるのである。血と肉の暴力よりもある面では更に暴力的なそんな描写を、監督は何度も何度も何度もブチ込んでくる。その破壊力たるや、一体どう形容すれば良いか匙を投げたくなるレベルだ。

そして上述した要素を包括しながら、物語を前進させるシークエンスが存在する。あの男が何者かを確かめるために同僚のソンボク(「哀しき獣」ソン・ガングク)、そして日本語が少し喋れる彼の甥イサム(朝鮮名探偵 トリカブトの秘密」キム・ドユン)を連れてジョングは男が住み家とする山奥の邸宅へと足を踏み入れる。狂暴な黒犬が耳を噛み砕くほどの嘶きを轟かせる中、ジョングたちは邸宅を捜査するが、ここで繰り広げられるのは戦慄と笑いの大爆発、2つの極端すぎる出来事が異様なテンションを伴った平行モンタージュによって、私たちの頬骨を交互に凄まじい勢いでブン殴ってくる。詳しくは語れないが、このシークエンスは"哭聲"の混沌を象徴する物であり衝撃的だ、編集という作業がいかに物語を輝かせるかをただただ思い知る。

だがまだ全然、これは序の口だ。少しずつ不穏がせり上がってくるような作劇はある時点で一気に炸裂する。村で謎の病原菌が流行り、ヒョジンまでもがその毒牙にかかった時、ジョングたちが頼るのは韓国に古くから伝わる霊媒だ。そして現れるのが我らがおにぎり兄貴ファン・ジョンミンの扮するカリスマ霊媒師である。彼は村に着いた途端、強大な悪霊が病原菌を広めていると喝破し、悪しき魂を滅するための儀式を行おうとする。同じ頃、男もまた何かを始めようとしていた……

ここまで結構真面目な筆致で書いてきたのだが、それが馬鹿らしくなってきた!!!今作を紹介する上でそんな秩序立てて考える方が馬鹿らしいんだって分かった!!!私が韓国映画を観る度に思うのは、そのジャンル越境力の高さである。刑事ものかと思ったら、アクションものかと思ったら、ラブストーリーと思ったら、観客が抱くそんな数々の予想を韓国映画は完膚なきまでに打ち砕き、規格外のウルトラCによってジャンルからジャンルから飛躍を遂げる。韓国の映画作家たちが見せるサービス精神の旺盛さはどんな国も太刀打ちできないが、"哭聲"は「殺人の告白」「最後まで行く」を経た後の特盛全部乗せの1つの極点かもしれない。ファン・ジョンミンパッション屋良さながら叫び声を上げながら行う國村隼との霊媒バトルは、ティーブン・セガール沈黙の聖戦における僧侶VS呪術師のお祈りバトル以来の衝撃的光景だが、普通こんな異常なバトルはクライマックスに行われる筈だが、"哭聲"においては中盤のハイライトに過ぎない。中盤だよ、中盤、こんなことやってこれを越える衝撃あんのかよって思うが、ナ・ホンジンはマジで余裕でそれを越えるジャンル越境的展開をかましてくる、マジで天才かよ!!!

ところで今回のナ・ホンジン、驚きなのは登場人物がほぼ走らないことである。前作の「チェイサー」「哀しき獣」は主人公たちの走って走って走りまくるその姿自体が物語を牽引する力強さでもあったが、"哭聲"で人々は走らない。誰もが地べたを這いずり回り、のたうち回り続ける。それでも展開の、特に後半での怒濤たる様は前作を凌駕する。これもまた韓国映画お得意の終ったと思ったらむしろそこからが本番で展開が二十転三十転していくという過剰さを、監督は突き詰めまくる。驚くしかない、というかもう此処まで書いたがこの作品を言葉で説明するというのが無謀だよ、無謀、もう完全に無謀。

だが今作についてもう1つだけ重要な点を挙げるとするなら、それは信仰の問題である。冒頭にはこんな文章が現れる。

"彼らは驚き恐れて、霊を見ているのだと思った。すると、イエスは言われた。「なぜ取り乱しているのですか。どうして心に疑いを持つのですか。わたしの手やわたしの足を見なさい。まさしくわたしです。わたしにさわって、よく見なさい。霊ならこんな肉や骨はありません。わたしは持っています。」イエスはこう言われてその手と足を彼らにお示しになった。

そう、これ新約聖書"ルカによる福音書"の一説である。つまり"哭聲"にはガッツリとキリスト教的な要素が関わってくるのだ。韓国は人口の約3割がキリスト教徒という国家ではあるが、それは韓国古来のシャーマニズムと一体となり此処までの広まりを見せることとなった。この2つの密接でありながら同時に、抜き差しならぬ不気味な関係性は"哭聲"の根幹に関わってくるテーマともなっている。詳しくはググって欲しい。

ごく稀に映画を観ている途中で、自分は今紛れもなく"映画"を観ている……!と感動に震えることがある。だが何で自分がそう思ったのか、何で他の作品も映画であるのに特定の作品にカッコ付きで"映画"と思うのか。今まで上手く説明出来ずにいたが"哭聲"を観て答えの1つに行き当たった。今作では私の身の周りでは全く起こりそうもない荒唐無稽な出来事が巻き起こり、異常な世界が広がる。それはおおよそ現実離れした物で、普通そういう作品はそういう物なんだと割りきって観ることになる。だが"哭聲"は、ここに広がる私にとっての現実から遥かに隔たっている筈の論理や現象、世界の見え方を、もう1つの現実として問答無用で受け入れさせる凄まじい力を宿している。それに圧倒された、この作品に私を超越した大いなる何か、つまり"映画"を見たのだった。いや、もう本当に凄まじい経験だった。ナ・ホンジンは凄い、ナ・ホンジンは凄すぎる作家だよもう本当。皆も日本公開されたら絶対に観てくれよな!!!!!!!!


最初はこういうほのぼのな光景もあるのだけど。

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