鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

ケント・オズボーン&"Uncle Kent"/友達っていうのは、恋人っていうのは

さて私は先日ノア・バームバック監督作「ヤング・アダルト・ニューヨーク」を観てきたのが、これがかなり悪質なマンブルコア搾取、正確に言えばジョー・スワンバー搾取映画で驚いた。ベン・スティラー扮する40代の主人公にピチピチ20代のアダム・ドライヴァーが近づいてきたことから話が始まる訳だが、誰がどう見たってドライヴァーの元ネタがスワンバーグなのである。

ボーンバック自身はインタビューで否定しているのだが、若き映画作家という基本設定は勿論のこと、彼の妻の職業がアイスクリーム売り(妻クリス・スワンバーグは以前アイスクリーム屋を経営していた)、趣味で男女混合バンドを率いている、ドライヴァーの親友とスワンバーグの親友の名前が全く同じetc……ここまで細部が似ていると否定が白々しくしか思えない訳である。が、その詳細については気が向いたら他の記事に書くとして、ラストに挙げた"親友の名前が全く同じ"問題、その名前はケントと言うのだが、実はスワンバーグ、そのケントを主演に起用して映画まで作っちゃってるのである。ということで今回は渦中の人物ケント・オズボーンと彼が主演を果たしている作品"Uncle Kent"を紹介していこう。

ケント・オズボーン Kent Osborneは1969年8月30日ニューヨークに生まれた。弟は「カンフーパンダ」「リトルプリンス 星の王子さまと私」の監督をしているマーク・オズボーン。幼少時代はバーモント州で過ごし、演劇大学のアメリカン・アカデミー・オブ・ドラマティック・アーツやデヴィッド・マメットが主催するアトランティック・シアター・カンパニーで演技について学んでいた。

俳優として「青春の輝き」に出演するなどするが、彼が注目されるきっかけとなったのは弟マークの監督作"Dropping Out"でだった。自殺すると決めた男の心の彷徨を描き出したブラックコメディでオズボーンは脚本と主演を兼任、サンダンス映画祭で上映され話題となる。そして2002年からオズボーンは脚本家・ストーリーボードアーティストとしてスポンジボブに参加、この時期から「キャンプ・ラズロ」「フィニアスとファーブ」「スティーブン・ユニバース」などなど数多くのアニメーションに関わり始め、更にあの色々とヤバい「アドベンチャータイム」にも参加しており、上記2つの役職に加えボイスディレクターを務めたりしている。

マンブルコアに関わり始めたのは2007年の「ハンナだけど、生きていく!」からである。2006年に映画祭で"LOL"を観て感銘を受けたのがきっかけで友人関係となったのだが、今作に出演後はスワンバーグの次回作"Nights and Weekends""Alexander the Last"に出演し、ケンタッカー・オードリーの監督作"Open Five"クリス・スワンバーの第2長編"Empire Builder"では製作を、更に"Alexamder the Last"で共演しているエイミー・サイメッツ"Sun Don't Shine"ではビジネス・コンサルタントを担当するなどかなりガッツリと関わっていたりする。さて此処まで紹介した所で彼が脚本・製作・主演を一手に引き受けたスワンバー監督作"Uncle Kent"に入っていこう。

この物語の主人公はケント(ケント・オズボーン)という名の中年男性だ。40代に突入したばかりの彼はアニメーターとしての活動も順調、なかなかに広い家に住み好きな物に囲まれ、昼は友人のケヴィン()とダラダラ駄弁りながら仕事をして、夜はビデオチャットで見知らぬ人々と会話を繰り広げるまあまあ良い感じの日々を送っている。だがある日、送られてきた書類を読もうとした時、自然と紙を遠ざけて薄目になってしまう自分にケントは気づく。いつの間に親父と同じことするようになっちゃってるよ、ハハ、ハハハ。

"Uncle Kent"の主人公であるケントはスワンバーグ作品に典型的なキャラクターだ。人と"関係性"を結ぶことが何となくヘタクソで、それを何となく苦にしている。彼のスタンスは親友でもうすぐ父親になるジョー(勿論スワンバーグ自身が兼任)との会話に端的に表れる。俺はもうカップルとかそういうのには嫌なんだ、"今晩何食べる?"とか毎日話さなきゃいけない訳だろ、ウンザリだよ、20代なら良かったけど40代ってなるともうさ……そんな彼に対してジョーは結婚はそれ以上の価値があると力説するのだが、ケントは微妙な表情を浮かべる。彼はいつまでも自由でありたいのだ。

とは言え"関係性"から完全に逃れたい訳でもない、結婚だとか子供を持つだとかそういった物の埒外にいる、肉体的にも精神的にも互いに満たしあうことの出来るパートナーは欲しかったりする。そんな中で出会うのがケイト(「女教師」ジェニファー・プレディガー)というジャーナリストの女性だ。2人はネットを通じ知り合ったのだが、実際に会い意気投合、ケントは彼女を家に泊めることになる。良い感じの雰囲気が流れ、これはセックスできるんじゃないか?と期待するケントだったが、彼女には遠距離恋愛中の恋人がいるらしい。そうして彼らは微妙な距離感のままに週末を過ごすこととなる。

今作は2011年に製作された、つまりスワンバーグが異常性愛路線真っ只中(それについてはこれとか参照)にあった際に作られた1本で、他作品と比べると変態の色合いは薄れているが、それでもかなり明け透けな性描写は数多い。パソコンのモニターには何度も誰かがペニスをしごく姿が映るし、かと思うとケントたちは枕を使って自分がどうやってマスターベーションするか赤裸々に話したり、2人でふざけてエロ写真を撮り3P相手を募ったりする。描写の数々はモロにスワンバーグの性癖って感じで、観ていて気まずくなる瞬間も多い。だがこの剥き出しの描写は彼の作品においては真実味を以て立ち上がってくる。テクノロジーの進歩はいかにスワンバーグの世代における性の意識を変えたのか? そういった問いが濃厚に反映されているからだ。

これは良い面も存在しながら、悪い面だって存在する。ある時ケントはケイトがデジカメで裸の写真を撮っているのを知り、好奇心からそれを盗み見てしまう。当然ムラムラが湧き上がってくる訳だが、彼女はセックスさせてくれない訳でいたずらに性欲ばかりが募るばかりで自分の首を締める結果に。そして実際にネットで3P相手が見つかり、2人はジョセフィン(このブログで何度も紹介しているジョセフィン・デッカー)を家に招待するのだが、それが面倒臭い事態を巻き起こすことになる。インターネットの存在は確かに世界を劇的に押し広げ、凄まじい恩恵を私たちにもたらした訳だが、同時にSNSによって人々の自意識は肥大し、更に簡単にエロと接続できる状況は性に対する意識を良くも悪くも加速度的に拡大していった。スワンバーグは第2長編"LOL"からこれを意識的に取り入れており、今作の根底にもそのテーマが印象的な形で横たわっている。

ケントという人物はこういった性やテクノロジーとも自由に付き合っていきたいと思っている。それでも端から見ればそれに最も縛られているのは他ならぬ彼自身のように見えてくる。ケイトの裸写真にムラムラしながら恋人と一緒に並んでいる写真には嫉妬を燃やし、彼女との曖昧な関係性に悶々としまくる。そこには更に肉体の老いも関わってくるので複雑だ。肉体の何処よりもペニスの老いに焦燥感を抱き、ケイトとセックス出来ないことが精神以上に肉体の不全感としてのしかかってくる。いつまでも性に固執するなんて惨め以外の何物でもないと思えてくる程だが、スワンバーグはそれを惨めで独善的と切り捨てることはなく、その悲哀を丁寧に描き出していく。

だが究極的に"Uncle Kent"の提示するものは辛辣な感触を宿している。3Pからのすったもんだで立ち現れるのはケントの、というかおそらく誰にでもある心の不自由さだ。私たちは何処かで"友人とはこういう存在である" "恋人とはこういう存在である"という定義を自分で作ってしまっている、例えば"友人とはセックスしない、したらもう恋人だ"だとかそういう定義を。ケントは自由でいたいと思いながら、"友人とは?" "恋人とは?"という定義にがんじがらめに縛られ、曖昧な物を抱え込む勇気がない。それ故に彼はせっかく掴んでいた幸福を自ら手放すことになってしまう。"Uncle Kent"は表面上露骨な性描写に彩られながら、そうすることでしか描けないだろう複雑でいかんともし難い哀しみを湛える。ジョー・スワンバーがマンブルコアというムーブメントの騎手として称えられるのは、こうした"関係性"への真摯な洞察の眼を持つからだと本作は証明している。

と、主題やラストの展開も含めてスワンバーグ作品の中でも屈指の完成度を誇る"Uncle Kent"だが、実は去年続編である"Uncle Kent 2"が製作されている。今回スワンバーグは脚本・製作・出演のみ(そこまでやるなら監督しろよって感じだが)ながら勿論オズボーンは続投、ケイト役のジェニファー・プレディガーも出演するらしい。だが気になるのは今作がスワンバーグ版グレムリンⅡ/新種誕生」と評されている点だ。ご存じの通りグレムリンⅡ」は映画史上最もハチャメチャな続編として名高いが、それを"Uncle Kent"でやらかして一体どうなってしまうのか。半分心配で半分楽しみである。

参考文献
http://www.indiewire.com/2013/10/the-indie-film-face-behind-adventure-time-joe-swanberg-collaborator-kent-osborne-33603/(オズボーンのインタビュー記事)

結局マンブルコアって何だったんだ?
その1 アーロン・カッツ&"Dance Party, USA"/レイプカルチャー、USA
その2 ライ・ルッソ=ヤング&"You Wont Miss Me"/23歳の記憶は万華鏡のように
その3 アーロン・カッツ&"Quiet City"/つかの間、オレンジ色のときめきを
その4 ジョー・スワンバーグ&"Silver Bullets"/マンブルコアの重鎮、その全貌を追う!
その5 ケイト・リン・シャイル&"Empire Builder"/米インディー界、後ろ向きの女王
その6 ジョー・スワンバーグ&"Kissing on the Mouth"/私たちの若さはどこへ行くのだろう
その7 ジョー・スワンバーグ&"Marriage Material"/誰かと共に生きていくことのままならさ
その8 ジョー・スワンバーグ&"Nights and Weekends"/さよなら、さよならグレタ・ガーウィグ
その9 ジョー・スワンバーグ&"Alexander the Last"/誰かと生きるのは辛いけど、でも……
その10 ジョー・スワンバーグ&"The Zone"/マンブルコア界の変態王頂上決戦
その11 ジョー・スワンバーグ&"Private Settings"/変態ボーイ meets ド変態ガール
その12 アンドリュー・ブジャルスキー&"Funny Ha Ha"/マンブルコアって、まあ……何かこんなん、うん、だよね
その13 アンドリュー・ブジャルスキー&"Mutual Appreciation"/そしてマンブルコアが幕を開ける
その14 ケンタッカー・オードリー&"Team Picture"/口ごもる若き世代の逃避と不安
その15 アンドリュー・ブジャルスキー&"Beeswax"/次に俺の作品をマンブルコアって言ったらブチ殺すぞ
その16 エイミー・サイメッツ&"Sun Don't Shine"/私はただ人魚のように泳いでいたいだけ
その17 ケンタッカー・オードリー&"Open Five"/メンフィス、アイ・ラブ・ユー
その18 ケンタッカー・オードリー&"Open Five 2"/才能のない奴はインディー映画作るの止めろ!
その19 デュプラス兄弟&"The Puffy Chair"/ボロボロのソファー、ボロボロの3人
その20 マーサ・スティーブンス&"Pilgrim Song"/中年ダメ男は自分探しに山を行く
その21 デュプラス兄弟&"Baghead"/山小屋ホラーで愛憎すったもんだ
その22 ジョー・スワンバーグ&"24 Exposures"/テン年代に蘇る90's底抜け猟奇殺人映画
その23 マンブルコアの黎明に消えた幻 "Four Eyed Monsters"
その24 リチャード・リンクレイター&"ROS"/米インディー界の巨人、マンブルコアに(ちょっと)接近!
その25 リチャード・リンクレイター&"Slacker"/90年代の幕開け、怠け者たちの黙示録
その26 リチャード・リンクレイター&"It’s Impossible to Learn to Plow by Reading Books"/本を読むより映画を1本完成させよう
その27 ネイサン・シルヴァー&「エレナ出口」/善意の居たたまれない行く末
その28 ネイサン・シルヴァー&"Soft in the Head"/食卓は言葉の弾丸飛び交う戦場
その29 ネイサン・シルヴァー&"Uncertain Terms"/アメリカに広がる"水面下の不穏"
その30 ネイサン・シルヴァー&"Stinking Heaven"/90年代の粒子に浮かび上がるカオス
その31 ジョセフィン・デッカー&"Art History"/セックス、繋がりであり断絶であり
その32 ジョセフィン・デッカー&"Butter on the Latch"/森に潜む混沌の夢々