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映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

リン・シェルトン&"We Go Way Back"/23歳の私、あなたは今どうしてる?

マンブルコアにおいて、私が勝手に四天王と呼んでいる存在がいる。まず1人はアンドリュー・ブジャルスキー(紹介記事その1)、彼が居なければマンブルコアはなかった意味では頂点に君臨する存在と言える。そして次にジョー・スワンバー(紹介記事その2)、超低予算、アドリブ主体の作劇、俳優には素人or友人を起用、そして一貫して"関係性"について描き出すというマンブルコアの精神を最も純粋に体現する、いわばムーブメントの旗手である。

3人目はデュプラス兄弟(紹介記事その3、2人だけどまあそこはノーカンで)、スワンバーグと共にマンブルコアを米インディー映画界に広めながらそこに留まることなく、NetflixやHBOなどメインストリームを巻き込んでマンブルコアを一大ムーブメントへと押し上げた重要な映画作家だ。さて、では4人目は誰か。ケンタッカー・オードリー? 確かに彼は重要人物だが、異端児であるが故に四天王にカウントできるかは微妙な所だ。ならアーロン・カッツ? 確かに大きな役割を果たしているが、彼よりも更に重要な存在が1人いる。ということで今回は、今までブログで紹介してこなかったマンブルコア四天王最後の1人であるリン・シェルトンと彼女のデビュー作"We Go Way Back"を紹介していこう。

リン・シェルトン Lynn Sheltonは1965年オハイオ州オーバリンに生まれた。そう、実はブジャルスキーやスワンバーグら他のマンブルコア作家とは世代が1つ違うのだ。彼らはまだ30代だがシェルトンは現在50代、マンブルコアの先輩格とされるノア・バームバックより年上だったりする(彼は1969年生まれの47歳)。子供時代はシアトルで過ごし、小さな頃から詩や小説、絵画や音楽に親しむなどしていた。高校卒業後はオーバリン大学やワシントン大学で演劇について学び、ニューヨークのスクール・オブ・ヴィジュアル・アーツでは写真の修士号を得る。

大学を卒業したシェルトンは舞台俳優・映画の編集技師として活動すると共に、実験映画や短編ドキュメンタリーを監督する日々を送っていた。しかし長編を製作することはないまま30代も半ばを迎えることとなる。監督したいという思いは抱えながら自分はもう遅すぎるのではないか?と葛藤していたシェルトンだが、そんな彼女の背中を押したのが映画監督クレール・ドゥニだった。シアトルで開催された講演において、自分は42歳で初の長編「ショコラ」を完成させたというドゥニの言葉を聞き、シェルトンは一念発起する。彼女は故郷のシアトルに戻り自身の体験を元にした脚本を執筆、そして40歳を迎えた2006年に初長編である"We Go Way Back"を完成させる。

ケイト(Amber Hubert)は23歳になった、だがそこには喜びも悲しみも存在しない。母親からは誕生日カードが送られ、友人からは祝いの電話がかかり、所属する劇団では盛大なパーティが開催される。だがケイトはそれに対して何も感じることはなかった。祝ってくれる誰かの前では笑顔を装いながら、1人の時にはただただ無表情を浮かべ宙を眺めている。何で自分は誕生日を喜べないのだろう、何で自分はこんな虚ろさばかり感じるのだろう。答えは出ないままただ時間だけが無意味に過ぎていく。

今作において、私たちはそんな虚無を抱えるケイトの心を覗き込むことになる。シェルトン作品には欠かせない存在であるDoPベンジャミン・カサルキー(「ラブ・トライアングル」)が35mmフィルムで描き出すケイトの心象風景は寒々しいザラつきに覆われている。暖かみは完全に刈り取られた世界で、ソファーに座るケイトは孤独そのものであり空白そのものだ。そしてそこに何かが介入しようとすると彼女は拒否反応を起こし始める。印象的なのは音や声の要素だ。人々の話し声や留守電の声、最初は平凡な響きを伴いながら、徐々にそれらは重なり大きさを増し、波状の脅威としてケイトの耳に響くようになる。中でも痛烈に響くのは13歳のケイトが未来の自分に書いた手紙だ。23歳の私へ、元気にしてる? 今恋人はいたりするの? マキシーンとはまだ親友でいる? 他にもまだあなたに聞きたいことがたくさんあるんだ……無邪気な言葉は、ケイトの心に後悔の刃を突き刺していく。

そんな中でケイトの身にある出来事が巻き起こる。演出家によって直々に指名され、彼女はイプセン「ヘッダ・ガーブレル」で初めて主役を演じることになったのだ。作品をより深く理解するようにと原典とノルウェー語辞書を渡されたケイトは、最初言われるがままに未知の言葉を学んでいたが、自分の中にある虚無から目を背けるように「ヘッダ・ガーブレル」という作品にのめり込んでいく。しかしそれはむしろケイトを更なる混乱へと導いていく。

交わり始める現実と妄想、色褪せた現在と柔らかな希望に包まれた過去、シェルトンは錯雑とした編集によってケイトの世界を撹拌し、光と闇のカオスを作りあげる。意識の流れはふとした瞬間に断絶され、物語の繋がりは支離滅裂となり、ケイトの頭を覗き込む私たちもまた彼女の混乱に呑み込まれていく。そこで不気味に立ち現れるのがケイトと彼女を取り巻く男性たちとの関係性だ。恋人と別れたばかりらしいケイトは、劇団の俳優たちやノルウェー語の家庭教師と代わる代わるセックスをする。だがそこに快感は存在しない。彼女は無表情のまま、自分がどうしてセックスをしているのかすら分からないでいる。

この描写の数々について監督はこう語っている。"ケイトというキャラクターは私自身が体験したいくつかの出来事を基にしています。(映画を)よりドラマティックにするため短い時間に凝縮していますが。私が向き合いたかった、今までの人生において重要な出来事の1つがデートレイプです。乗り越えるのには長い時間がかかりました。抑圧され続け、忘れていられる時もありましたが、何年か後には再び現れて、加害者に怒りを抱くと共に苦しみを味わうことになる。そしてまた何年か経って、今度は全てにおいて自分も悪かった、共犯関係にあったのではと思うようになってしまう。彼はあんなことすべきではなかったと思いますが、彼自身は別の考えを持っていて私はそれに言いなりになってしまった。境界線や自尊心についての感覚をまるっきり失っていたからです。私はそんな経験を、おそらく多くの若い女性も遭遇しているだろう経験を(今作で)捉えていきたかった訳です。ある50代の脚本家が女性の人生における異なる段階について語っていて、彼女は20代の時期を"芸者イヤー"と表現していました。周りにいる人々――特に男たちを――を喜ばせてあげなくてはいけない時期なのだと。この形容は完璧だと思いました。これこそ私が捉えたい物、つまりその時期がいかに死にたくなるほど惨めなのか……"

そして混乱が頂点を迎える頃、それは13歳の自分としてケイトの目の前に現れる。あなたの抱いていた夢や希望を、私は1つも叶えてあげられなかった。ケイトは罪悪感を抱え、亡霊から逃げるように過去から距離を取ろうとする。しかし少しずつ不器用に彼女の方へと歩んでいくにつれて分かってくる。そう思っているのは彼女ではなく、他ならぬ自分なのだと。でもどうすればいい、こんな自分を認め愛するにはどうすればいい? ""は過去に置いてきた愛を再び取り戻すまでの旅路なのだ。

"We Go Way Back"はスラムダンス映画祭で上映され作品賞を獲得するなど話題になるが、デュプラス兄弟など他のマンブルコア作家と同様に配給がつくことはなく、結局本公開はされることはなかった。が、再評価の時がやってきたのが2015年である。既にマンブルコアの中枢を担う作家として評価されていたシェルトンだが、彼女のデビュー10周年を記念して、アメリカの超イカした配給会社Factory 25(ブログで特集しているキレた作品の殆どはここが配給)と超イカした配信サイトFandorが今作を上映し、ネット配信にまで至ったのである。デュプラス兄弟らをスターダムに押し上げた要因がネット配信なら、シェルトンのデビュー作に再評価されるきっかけとなった要因もまたネット配信な訳である。そういう意味でもマンブルコアは配信時代のムーブメントだと言えるだろう。

参考文献
https://www.fandor.com/keyframe/lynn-shelton-goes-way-back(監督インタビュー)

結局マンブルコアって何だったんだ?
その1 アーロン・カッツ&"Dance Party, USA"/レイプカルチャー、USA
その2 ライ・ルッソ=ヤング&"You Wont Miss Me"/23歳の記憶は万華鏡のように
その3 アーロン・カッツ&"Quiet City"/つかの間、オレンジ色のときめきを
その4 ジョー・スワンバーグ&"Silver Bullets"/マンブルコアの重鎮、その全貌を追う!
その5 ケイト・リン・シャイル&"Empire Builder"/米インディー界、後ろ向きの女王
その6 ジョー・スワンバーグ&"Kissing on the Mouth"/私たちの若さはどこへ行くのだろう
その7 ジョー・スワンバーグ&"Marriage Material"/誰かと共に生きていくことのままならさ
その8 ジョー・スワンバーグ&"Nights and Weekends"/さよなら、さよならグレタ・ガーウィグ
その9 ジョー・スワンバーグ&"Alexander the Last"/誰かと生きるのは辛いけど、でも……
その10 ジョー・スワンバーグ&"The Zone"/マンブルコア界の変態王頂上決戦
その11 ジョー・スワンバーグ&"Private Settings"/変態ボーイ meets ド変態ガール
その12 アンドリュー・ブジャルスキー&"Funny Ha Ha"/マンブルコアって、まあ……何かこんなん、うん、だよね
その13 アンドリュー・ブジャルスキー&"Mutual Appreciation"/そしてマンブルコアが幕を開ける
その14 ケンタッカー・オードリー&"Team Picture"/口ごもる若き世代の逃避と不安
その15 アンドリュー・ブジャルスキー&"Beeswax"/次に俺の作品をマンブルコアって言ったらブチ殺すぞ
その16 エイミー・サイメッツ&"Sun Don't Shine"/私はただ人魚のように泳いでいたいだけ
その17 ケンタッカー・オードリー&"Open Five"/メンフィス、アイ・ラブ・ユー
その18 ケンタッカー・オードリー&"Open Five 2"/才能のない奴はインディー映画作るの止めろ!
その19 デュプラス兄弟&"The Puffy Chair"/ボロボロのソファー、ボロボロの3人
その20 マーサ・スティーブンス&"Pilgrim Song"/中年ダメ男は自分探しに山を行く
その21 デュプラス兄弟&"Baghead"/山小屋ホラーで愛憎すったもんだ
その22 ジョー・スワンバーグ&"24 Exposures"/テン年代に蘇る90's底抜け猟奇殺人映画
その23 マンブルコアの黎明に消えた幻 "Four Eyed Monsters"
その24 リチャード・リンクレイター&"ROS"/米インディー界の巨人、マンブルコアに(ちょっと)接近!
その25 リチャード・リンクレイター&"Slacker"/90年代の幕開け、怠け者たちの黙示録
その26 リチャード・リンクレイター&"It’s Impossible to Learn to Plow by Reading Books"/本を読むより映画を1本完成させよう
その27 ネイサン・シルヴァー&「エレナ出口」/善意の居たたまれない行く末
その28 ネイサン・シルヴァー&"Soft in the Head"/食卓は言葉の弾丸飛び交う戦場
その29 ネイサン・シルヴァー&"Uncertain Terms"/アメリカに広がる"水面下の不穏"
その30 ネイサン・シルヴァー&"Stinking Heaven"/90年代の粒子に浮かび上がるカオス
その31 ジョセフィン・デッカー&"Art History"/セックス、繋がりであり断絶であり
その32 ジョセフィン・デッカー&"Butter on the Latch"/森に潜む混沌の夢々
その33 ケント・オズボーン&"Uncle Kent"/友達っていうのは、恋人っていうのは
その34 ジョー・スワンバーグ&"LOL"/繋がり続ける世代を苛む"男らしさ"