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映画痴れ者/ライター済藤鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

クレベール・メンドンサ・フィリオ&「アクエリアス」/あの暖かな記憶と、この老いゆく身体と共に

クレベール・メンドンサ・フィリオ&「ネイバリング・サウンズ」/ブラジル、見えない恐怖が鼓膜を震わす
クレベール・メンドンサ・フィリオ監督の略歴ひいては長編デビュー作「ネイバリング・サウンズ」のレビューはこちら参照

飽きもせずただひたすらに映画を観ていると、時折偶然を越えたなんらかの力によって1つの道筋へと導かれる時がある。10月に入って私はミリャナ・カラノヴィッチの“Dobra žena”という作品を観た。今作は老いていく肉体に抗いがたい老いを感じながら、そんな肉体へのセルビアが抱える傷跡を乗り越える希望となる内容だった。それから続けてNatalia Almadaの“Todo li demas”ナヌーク・レオポルドの“Hoven ist het stil”を観たのだが、根底にあるのは同じテーマ、つまり老いゆく自分の肉体を愛することについての映画だった。そして今回紹介する映画もまたケアについての物語であり、しかし上記のどれとも全く違っている魅力を持った作品だ。それこそがクレベール・メンドンサ・フィリオ監督待望の第2長編アクエリアスだ。

物語はまず1980年という古きよき時代から幕を開ける。ブラジルの港町レシフェ、そこで70歳を迎えたルチア(Thaia Perez、出番は前半のみだが印象的)の誕生パーティーが開かれようとしていた。今作の主人公であるクララも来場者の一人だ。彼女は愛する叔母のためにスピーチを行い、会場は暖かな空気に包まれる。彼の夫アデルハイドは乳ガンから奇跡的に生還したクララへの愛を語り、万感のこもった乾杯!という言葉が叫ばれる頃、レコードから流れる陽気な音楽に彼女たちは体を躍動させる。

その響きの中で40年もの歳月が流れ、私たちはルチアと殆んど同い年になったクララ(ルーク・ケイジ」ソニア・ブラガ)と出会うことになるだろう。音楽評論家として成功した今の彼女は数年前に夫を亡くし、子供たちも独り立ちした故に、悠々自適な日々を送っている。変わってしまった部屋の内装、クララ自身ももう若くはない。だがあの頃短かった髪は美しく伸び、鮮やかな黒を輝かせている。彼女は幸せな時間を過ごしていた、ある1つの悩みを除いては。

前半において監督はクララという人物の日常を丹念に描き出していく。部屋には膨大な数のレコードが保管され、彼女は毎日その音色を毎日楽しんでいる。そして近くの海岸で気ままに泳いだ後は、自宅に戻りハンモックで昼寝に耽る。そんな風景にはふとした瞬間、彼女の歩んできた歴史が浮かび上がる。背中まで伸びた黒髪への愛着、部屋の中をいつも裸足で歩く彼女の足に煌めく赤のペディキュア、そしてシャワーを浴びようと裸になると、乳ガンによって刻みつけられた傷跡が生々しいく露になる。私たちはその一挙手一投足に、長い長い人生の道行きを見出だすだろう。

だがある時、彼女の日々に不穏な何かが入り込むのを目撃することにもなる。カメラは左にハンモックで眠るクララの寝顔を、右には窓の外に広がる風景を映し出す。すると安らかな寝顔の横に人影が現れる。彼女の住む建物“アクエリアス”を携帯で撮影するような素振りを見せた後、男はカメラから消えるが、不穏な予感はチャイムの響きによって現実と化す。彼の名前はディエゴ(Humberto Carrão)、彼は祖父と共に“アクエリアス”を買収しようとしており、クララは数年もの間彼らに対してNOを突きつけてきていた。この日も彼女はにべもなく取引を突っぱねるが、業を煮やしたディエゴたちは強行手段に打って出ようとしていた。

そして物語は個とそれを押し潰そうとする社会の闘争へと姿を変える。クララは毅然としてディエゴらに立ち向かっていくのだが、彼らは容赦なく計画を進めようとする。建物に派遣された作業員たちはこれみよがしに仕事を行い、空室となった部屋ではパーティが開催され、クララの部屋までけたたましい騒音が鳴り響く。更にディエゴらは既に部屋を去りながらクララのせいで契約金をもらえないでいる住民、彼女の子供であるアナ・パウラ(「ネイバリング・サウンズ」Maeve Jinkings)たちに手を回し、凄まじい勢いで外堀を埋めていくのだ。

監督の前作「ネイバリング・サウンズ」レシフェ中産階級に属する人々が過ごす日常を無数の点の集積によって描き出すことで、この町を満たす不可視の脅威を浮かび上がらせる実験的な作劇法を取っていた。しかし今作はその真逆にあると言っていいだろう。一人の主人公、シンプルな筋立て、フィーリョは今作において確固たる道行きを堂々たる歩みで以て進んでいく。だがそれでいて、物語が進むにつれ「ネイバリング・サウンズ」の尖鋭さが戻ってくるのにも気づく筈だ。握った拳をゆっくりと壁に押しつけていくような不気味なズームアップ、私たちの予想の斜め上を行く奇妙なカメラワーク、そして工事現場の騒音や天井越しに聞こえるビートは鼓膜を不快に震わせ、見えない恐怖がクララの元に忍び寄るのを声高に語る。

そうしてクララの闘いの中に現れるのは今のブラジルが不可避的に宿した社会問題の数々だ。まず明確なのは資本主義の悪しき倫理、効率や利益のために社会は個を押し潰し、思い出も記憶も何もかも容赦なく簒奪していく。そしてその倫理にはブラジルの階級社会が複雑に絡み合ってくる。クララもディエゴも中産階級に属する人物だが、内部に調和はない。どちらかがどちらかを蹴落とすまで闘争は終わらないと、そんな空気感が蔓延している(このイメージは「ネイバリング・サウンズ」にも存在)そして彼女たちの下には、貧困に喘ぐ労働者階級が存在している。この2つの関係性を語る時、クララとメイドのラドジャーン(Zoraide Coleto)との関係は重要だ。2人は多くの時を過ごしてきた友人同士だが、その前には階級という概念が存在する。クララがラドジャーンの誕生会へ向かう時、この土地を良く知らない同行者に対し、ここまでは富裕層のエリア、ここから先は労働者階級のエリアで治安が余り良くないと説明するのだ。そしてクララの友人たちがラドジャーンに対して露骨な嫌悪感を向ける瞬間も存在する。ここにおいてクララもまた只の被害者ではいられない、社会構造の問題をもフィーリョが示唆していく。

世知辛い現在と対になるのが、クララが抱く過去への郷愁である。冒頭の1980年は現在と異なるトーンの映像に浮かび上がり、そこには暖かな空気に満ち足りている。そして音楽もQueenや、予告編でも印象的だったブラジルを代表する歌手タイグァーラ"Hoje"など、在りし日々を思い出させる懐かしい曲が作品を彩っている。だがフィリオたちは古きよき過去に耽溺している訳ではない。今作において郷愁は“あの頃は良かった……”と現実から目を背けるための道具ではなく、個が社会に立ち向かうための強さなのだ。この暖かで親密な記憶と共にクララは、前へ前へ進んでいく。

クララを演じるソニア・ブラガの存在はアクエリアスの正に要だ。カメラに映える健康的な肌の色(だがこれは人種差別の標的とも成りうる)、長き年月に裏打ちされた凛とした佇まい、先述した彼女の身体性も合わせてブラガは物語を進める牽引力となる。そんな彼女にも社会は残酷なまでに牙を剥き、それはクララの老いや肉体への意識を酷くグラつかせていく。中でもこのグラつきへ密接に関わってくるのがセックスだ。セックスはクララを老いゆく肉体と否応なく対面させ、ある時には甘い親密さとして、ある時には恐ろしい悪夢として立ち現れる。彼女は混乱し、神経を磨り減らしていく。

だがフィーリョはその先を見つめている。老いによってクララの肉体はそのまま“アクエリアス”という建物と重なりあう。つまり“アクエリアス”を労りディエゴたちから守り抜くことは、自分の肉体をケアし慈しむ行為に他ならない。終盤において本作からはブラジルという国への凄まじい絶望が噴出する。それはこの国に余りにも深く根を下ろし、もう修復することは不可能なのかと思わされる程だ。しかし2つの慈愛が彼女の中に重なりあうその時、絶望を乗り越えようとする力強い意志もまたそこには宿る。

参考文献
https://mubi.com/notebook/posts/discussing-aquarius-with-kleber-mendonca-filho(監督インタビューその1)
http://www.rogerebert.com/interviews/fighting-for-our-rights-kleber-mendon%C3%A7a-filho-and-s%C3%B4nia-braga-on-aquarius(監督インタビューその2)

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