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映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Yared Zeleke&"Lamb"/エチオピア、男らしさじゃなく自分らしさのために

“男ならこうであれ/女ならこうであれ”……こうしたいわゆる性的規範という物はどこの世界にも存在し、人々にとって呪縛となり得る。だがこの被害者になるのは大人だけではなく、子供たちもまたそうなのだ。そして多くの子供たちは未だ幼い故に規範に対して抵抗することの出来ず、規範は再生産されていくという結果に陥ることとなる。それでもやはりこの社会的圧力と戦う子供たちも多くいるのだ。今回はそんな戦いをエチオピアの豊かな自然と共に描き出す一作“Lamb”とその監督であるYared Zelekeについて紹介していこう。

Yared Zelekeエチオピアを拠点とする映画作家だ。幼少期は祖母の元で暮らしており彼女から昔話を聞くなどして育つ一方、東ドイツやロシアのテレビ局(当時のエチオピア社会主義国家)で放送されていた映画を観ていたそう。抑圧の厳しかった当時においては取り分けボリウッド映画の幸福感に感銘を受けたという。しかし10歳の時、軍事政権下においては獄中にいた父と共にアメリカへと移住することとなる。殆ど他人同然だった彼との生活は苦しいもので、この時抱いた喪失感と悲しみが"Lamb"の構想源ともなっているという。

当初はノルウェーで国際開発について学び、エチオピアの発展に貢献しようとしていたが、自身の夢を叶えるためNYへ戻り、ニューヨーク大学で映画を学ぶ。この時代に様々な作品に触れたそうでトッド・ソロンズロベール・ブレッソンアッバス・キアロスタミ黒澤明などに親しんだ。そしてこの地で"The Quiet Garden""Full"エチオピア難民がニューヨークで苦闘する姿を描いた短編"Housewarming"を監督し映画界に入る。他にもドキュメンタリーや短編を精力的に製作した後、2015年には初の長編映画"Lamb"を監督、カンヌ国際映画祭史上初めて出品されたエチオピア映画となる。

9歳の少年エフリム(Rodiat Armane)は母の死をきっかけに、故郷を離れて叔母であるエママ(Welela Assefa)の元で居候することになる。父はエチオピアの首都アディス・アベダへと出稼ぎへ行ってしまい、心細い彼を支えてくれるのはたった1匹の親友である羊のチュニだ。エフリムはオレンジ色の毛並みをした彼女と辺りを散策し、食事をして、眠る時も一緒だ。しかしそんな日々にも翳りが見え始めている。

そうして物語は孤独な少年エフリムの日常を追っていくが、劇中においてとにかく私たちを圧倒するのがジョゼ・デエー(「サン・ローラン」などベルトラン・ボネロ作品を多く担当)エチオピアに広がる自然の数々だ。エママの家は小さな山のてっぺんに位置しているのだが、そこから見えるエメラルド色の険しい岩山は自然の苛烈さを思わすと共に、それ以上の崇高さで観る者に息を呑ませる。そんな山地をチュニと共にエフリムは器用に降りていくのだが、麓にある森にも色鮮やかな緑が広がり、自然の豊かさはエフリムを優しく抱くような感触を宿している。

これらエフリムを取り巻く自然について監督はこう語っている。"この映画においては風景もまた登場人物の1人であり、風景とは私たちでもあるんです。エチオピアのこの特別な土地がそこに生きる人々の性格を形成していきました。キリスト教ユダヤ教への信仰が人々の間で実践されたのと同じくらいこの土地には長い歴史があります。エチオピアはアフリカで唯一ヨーロッパに植民地化されたなかった国であり、山こそが国を守ったのだと人々は霊的な物を深く信じてもいます。

そしてもう1つこの土地が重要なのは様々な宗教が交わる場所であることだ。"(今作は)ゴンダールという地で撮影しました。ここはエチオピアで最もユダヤ的な地域でファラシャ(エチオピアに住むユダヤ教徒のこと、非ユダヤ教徒からの蔑称として使われることが多いが、監督は敢えてこの言葉を使っているのでそのまま訳出)とキリスト教徒が共に住んでいる場所です。ファラシャは少数民族であり、その意味で主人公も周縁を生きる人物でもあります。作品を観ると、干ばつによって亡くなった彼の母はユダヤ人で、司祭から特別な祈りを受けているというのが分かるでしょう"*1

しかし彼の生活は辛く苦しいものだ。その源は貧困ではなく、人々が持つ価値観にこそある。家族の家父長であるソロモン(Surafel Teka)はエフリムに対して“男らしさ”を求める。家畜の牛たちに対して鞭を叩き威厳を見せろと彼は命じるが、鞭も満足に叩けないエフリムに対して怒りと憐れみの両方を向けていく。そして麓の町へ出ると、そこに住むガキ大将とその一味にボコボコにされ弱虫と蔑まれる。こうした“男らしさ”の呪いはエフリムを萎縮させ、彼はどんどん内へと籠っていく。そしていつしか彼はこんな酷い場所から出ていきたいと願い始める。

そんなエフリムにも得意なことが1つある。亡くなった母親譲りの料理の腕だ。彼の作るサモサは食べる者を笑顔にする力があるのだ。エフリムはサモサを売り捌いて父のいるアディス・アベダへ行く旅費を稼ごうと決意する。だが料理とは“女のする仕事”であり、男がそれをするのは女々しいとして馬鹿にされる現状がある。ソロモンは女々しいエフリムに対して異様な怒りを向け、彼が料理をするのを見つける度に手酷い罰を与える。しかし監視の目を潜り抜けサモサを売っても、今度はあのガキ大将の暴力が待っているのだ。夢を追い求めながらそこから遠ざかっていく日々に、エフリムは疲弊していく。

そして少年たちに“男らしさ”を求める社会は少女たちに“女らしさ”を求めるのが定石であり、今作にもやはりその被害者は存在している。ソロモンの娘にシオン(Kidist Siyum)という少女がいるのだが、まだ10代の彼女にも“うちの村で結婚していないのはお前だけだよ!”という言葉が投げ掛けられ、息苦しい時を過ごしている。それでも新聞を読むことで世界を学ぶシオンはアディス・アベダへ旅立つ時を願い続けている。ここで教育を受けることが人生を変える鍵だと信じているからだ。

“Lamb”が描き出すのはこうした性的規範にがんじ絡めにされた少年少女の姿だ。エチオピアにおいてもやはりこの規範は強固であり、まず被害者となるのはいつも子供たちなのだ。しかし監督は彼らの中にある強い意思をも描き出していく。エフリムを演じるRodiat Armane、序盤は臆病さがそのまま表情にも出ているような佇まいが印象的だったが、少しずつ彼は変わっていく。記念日の祭りのためチュニを神の生け贄に捧げると言われたエフリムは、シオンの助けを借りながらチュニを救おうと奔走する。その旅路の先に何が待っていようとも、物語は彼の勇気に、エチオピアの草原を自由に走るエフリムの姿に輝く未来を見出だすのだ。

参考文献
https://pro.festivalscope.com/director/zeleke-yared(監督プロフィール)
http://www.indiewire.com/2016/01/lamb-director-yared-zeleke-on-his-young-protagonist-and-ethiopias-religious-tolerance-168262/(監督インタビューその1)
http://www.latimes.com/entertainment/movies/la-et-cam-palm-springs-film-fest-lamb-director-yared-zeleke-20160103-column.html(監督インタビューその2)

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