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映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Michalina Olszańska&「私、オルガ・ヘプナロヴァー」/私、オルガ・ヘプナロヴァーはお前たちに死刑を宣告する

オルガ・ヘプナロヴァという名前を聞いてピンと来る人間は、殺人鬼マニア以外にそうは居ないだろう。1973年彼女はチェコの首都であるプラハの中心地で、路面電車を待っていた人々の列へとトラックで突っ込んだのだ。この事故によって12人が負傷、8人が死亡、ヘプナロヴァは死刑を宣告され、チェコで最後に死刑に処された女性となる。さて、今回紹介するのはこのオルガ・ヘプナロヴァが大量殺人鬼へと変貌するまでを描き出す"Já, Olga Hepnarová"と、ヘプナロヴァを渾身の意気で以て演じた俳優Michalina Olszańskaを紹介していこう。

1970年代プラハ、オルガ(Michalina Olszańska)は深い暗黒の中にあった。彼女は10代の頃から自殺を繰り返し精神病院と家を行き来しており、心は絶えず不安定な状態にあった。それでも医師である母(Klára Melísková)から、自分を窒息させる家からオルガは逃げ出し、独り暮らしを始めると共にとある会社でお抱えの運転手として働くこととなる。それでも運命の日は刻一刻と近づき始めていた。

オルガの見る世界は無機質で冷たい白と黒によって染められている。撮影監督のAdam Sikoraが描き出すモノクロの世界は、つまりオルガの心に広がる精神の荒野だ。家族とまともな関係を築くことが出来ず、職場の人間とも仲良くはなれない。そればかりか他人に自分の行動の数々を咎められ見くびられ、彼女の中の憎しみは増幅を遂げていく。そして世界もまたその硬質な影を色濃くしていく。

そんな中でオルガが職場で出会うのはイツカ(Marika Soposká)という同世代の女性だ。彼女は親しげに自分を食事に誘い、夜には共にディスコへと赴くこととなる。鼓膜を弾ませる響きは彼女の心臓の鼓動と重なりあい、オルガは自分がイツカに惹かれていることに気づく。思いは呆気ないほど容易く受け入れられ、ビートの中で2人は官能的な時間を過ごし、程なく肌を重ね合わせるようになる。その時初めて無表情だったオルガの顔には笑みが浮かび上がる。そうして彼女は初めて心の安寧を得るのだ。

しかし監督であるPetr KazdaTomás Weinrebはこの出来事をオルガの崩壊の序曲として描き出す。レズビアンであることによって社会から受ける圧力以上に、彼女は自分が他者と深い関係を築けないという事実に苦しむ。イツカは他に恋人がおり、オルガは彼女の移り気な心に翻弄された末に、初めての愛をボロボロに引き裂かれる。その後も彼女は何人かの女性たちと肌を重ね合わせるが、彼女たちの奥底に入っていけることはない。そしてオルガは日記にこう記す、“私たちは他者を理解することなど出来ない、夫にしろ妻にしろ、親にしろ子供にしろ”

物語はそんなオルガの崩壊を、意図的に起伏を排除したような淡々さによって描き出す。編集は場面場面を無数の断片として提示していくような荒涼たる有り様を呈している。その断絶は撮影と同じくやはりオルガの心象風景を観客に追体験させるような物になっているが、興奮も悲哀も取り除かれているにしろ、否応なく運命の時は近づき始めている。そこに観客は塞き止められない時間の残酷さを抱くこととなるだろう。

今作の核となるのはオルガを演じるMichalina Olszańskaに他ならない。少しプロフィールを説明しよう。彼女は1992年ワルシャワ生まれの実はポーランド人(今作のロケ地もポーランド、劇中音声は吹替えという)で、両親とも俳優であったが、それが原因で子供時代はかなり辛い物となっていたらしい。しかし彼女もまた両親の跡を追って俳優となりワルシャワ、二つの顔を持つ男」「リベリオン ワルシャワ大攻防戦」や今年話題となったポーランド産人魚ホラーコメディ“Córki dancingu”にも出演を果たすなどしている。陰鬱で重苦しい鎧のような黒髪、憎悪で淀んだ瞳、社会という名の圧力に耐えかねているような猫背、満たされない愛に断末魔の声を上げる痩身、感情を刈り取られた空虚な響きを伴う声、息が詰まるほどクソッタレな日常を乗り越えるために吸う異常な量の煙草、彼女が纏うその全てが純粋なる孤独へと奉仕する様は、正に彼女がオルガ・ヘプナロヴァという人物を演じるために生まれたという証明に他ならない。

自分をこの世に産み落とした家族への憎しみ、愛が満たされることのない故の苦しみ、様々な要素が絡み合った末に、練り上げられた負の感情は世界そのものへと矛先を向けることとなる。そして彼女は最後にとある手紙を記す。”私は孤独な人間、破壊された者、人々によって打ち砕かれた女。選択肢は自分を殺すか、他者を殺すか。だから私に憎しみを向ける者たちに復讐することを選ぶ。誰にも知られず自殺してこの世を去るのは簡単すぎる、社会は余りに無関心に過ぎる、そういうことだ。私、オルガ・ヘプナロヴァは残忍性の犠牲者として、お前たちに死刑を宣告する”

“Já, Olga Hepnarová”はそして大量殺人鬼となった一人の女性の心へと潜行していく。終盤においてカメラはオルガの顔を真正面から見据え続ける。世界への憎しみをギラつかせる鋭い眼差し、それとは逆に自分が犯した罪に年相応の動揺を露にした涙の眼。二つの間を行き交いながら、物語は私たちに思考を促す。彼女の行為は到底許されるものではない、彼女は自殺する勇気の欠如から死刑を見込んで犯行に及んだものとすら思える、その意味では余りに卑劣だ。それでいて彼女が奥底に抱えていた物を、私たちが抱えていないとは言えない。この世に生まれたことの苦悶、社会に対する憎悪、肥大する被害者意識、そして圧倒的な孤独。その数々がOlszańskaの肉体によって圧倒的な強度を持つことで、“Já, Olga Hepnarová”は観る者の心にドス黒い傷を刻み込む。

参考文献
http://www.theupcoming.co.uk/2016/11/12/i-olga-an-interview-with-actress-michalina-olszanska-and-director-tomas-weinreb/(インタビューその1)
https://i-d.vice.com/en_gb/article/the-true-story-of-a-young-female-mass-murderer-in-70s-prague?utm_source=idtwitter(インタビューその2)

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