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映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Juni Shanaj&"Pharmakon"/アルバニア、誕生の後の救いがたき孤独

さて、アルバニアである。日本でも有名なアルバニア人といえばイスマイル・カダレを措いて他に居ないだろう。ノーベル文学賞に最も近い小説家の一人と言われ、日本でも「死者の軍隊の将軍」「砕かれた四月」が有名だ(ちなみに翻訳家である井浦伊知郎氏のホームページでは彼の訳したカダレ含めたアルバニア文学が読めるので、文学好きの方は是非読もう)とは言えそれ以外だと余りピンと来ない感じもある。映画においては英米圏の犯罪映画におけるヤバい奴らとしての”アルバニア・ギャング”というステレオタイプ的表象以外はほぼ話題に上がらない。ということで今回はそんな知られざる国アルバニアから現れた恐るべき一作“Pharmakon”を紹介していきたいと思う。ちなみに今作、制作会社がYoutubeに英語字幕つきで全編アップしているのでマジで観よう、絶対に観よう。

今作の主人公ブランコ(Klevis Bega)はアメリカ留学から帰ってきたばかりだ。しかし薬学を学びながらそれを活かそうともせず、誰も来ることのない廃業した薬局で日々を無意味に過ごしている。しかしある時、医師である父ソクラット(Niko Kanxheri)の勤める病院で彼はサラ(Olta Gixhari)という女性に出会う。美しいブロンドの髪を持つ彼女に惹かれながら、しかしブランコは母の治療と引き換えにサラがソクラットと関係を持っていることを知る。

“Pharmakon”のあらすじにこれ以上のものは存在しない。表層的に今作が描くのはブランコが過ごす虚ろな日々、ただそれだけだ。ブランコは動物園に行きライオンの写真を撮影する、ブランコはサラに会いに病院の廊下を歩く、ブランコは打ち捨てられた薬局でホームレスの少年ジェルジ(Pano Aliu)と戯れる、ブランコは特にこれといった目的もなく街を歩いていく、ブランコは特にこれといった目的もなく車で辺りを彷徨う……そんな姿が恐ろしいほどの淡々さで以て映し出されるのだ。しかしこの物語に満ち渡るあの禍々しい瘴気は一体何なのか、観客はそう思うことになるだろう。

この瘴気をまず支えるのはアルバニアに広がる寒々しい街並みだ。ブランコの住む薬局、内装は不気味なまでに設えられたものだが、この中に形容し難い透明な空白が存在するのに気づく筈だ。これは街並みそれ自体に共有されている感覚だ。洗練されたセンスを持つのだろう建築家によって設計された瀟洒な建物群、見てくれのみから言えばそれらはモダンで美しい。だがしばらく眺めていると、そこには根本的な何か、無機物に実体を持たせる魂のような何かが欠けているように思えてくる。ここにおいて建物は亡霊だ。何故ここに建っているのか、何故存在するのか、誰もそれを知らず、自身ですらも遠い過去に忘れ去り、理由もなく世界に佇み続けるしかない亡霊。

だがそれと同時にブランコらが歩く先では絶え間なく工事が行われていることも分かる。薬局から出てすぐ、道には掘り出された土砂の山が連なり、路面もそこから零れ落ちた砂埃に満ち溢れている。そしてある時カメラは工事現場で延々と地面を抉り続けるショベルカーの姿を見据えていく。大量の土塊を担ぎ、首を重々しく振った後、それを外へと移動させる。この地にはおそらくあの建物群と同じような物が建設されるのだろう。それは現在進行形で亡霊たちの世界が拡大していることを示しているのだ。

不気味なのは街並みそのものだけではない。その周りには不可解なほど豊かな自然すら広がっているのだ。まず薬局の向かいには陰鬱な森が存在し、そこから少し歩くと険しい山地までもが現れる。型通りの草が生え揃う中で印象的なのは木々の姿だ。幹は重力によって歪曲し、その肉体は空にのたうちながら人々を睥睨しているのだ。そして車を数分走らせるだけで、ブランコたちは大地の先端としか言い様のない場所へ辿り着く。そこには草木が吸い付く断崖と大口を開く深淵のような蒼海まで存在している。登場人物たちが住む場所には人工的な街並みと大いなる自然が共生しながら、そこには凄まじい断絶の感覚が横たわっているのだ。

その断絶の中をブランコたちは歩き続ける、病院の廊下を、動物園の中を、凍てついた海岸線を、無人の車だけが連なる道路を歩き続ける。カメラは不動のまま、ある程度の距離を常に取り続けながらそれを撮し続ける、まるで固定カメラによるアラン・クラーク"Elephant"の再奏とでも言う風に。それによって実質、作品を構成するものの半分はブランコたちが歩く映像となる。その無機質な反復は世界から精気を奪い、大いなる廃墟へと変えていく。

そういった意味で重要なのはJi-Hwan ParkRam Shaniによる撮影だ。彼らが撮す風景は精気を完膚なきまでに刈り取られたかのような様相を呈している。デジタルの緻密な解像度によって映るもの全ては彫像のように劃然と浮かび上がりながら、その風景は等しく薄い青の、つまりは死者の顔に浮かび上がる類いの色彩に覆われている。彼らのカメラは風景をレンズに焼きつけると共に死の蒼によって、無機物/有機物を問わずそれらに宿る魂を屠っていく。私たちが観るのはその果ての残骸なのだ。

そしてこの残骸の巷には、体だけでなく心まで彷徨い込んでいく。ブランコはサラと父の関係性に嫉妬を覚えそれを問い詰めるのだが、彼女たちは関係を否定し続ける。それでもサラたちの言葉をブランコは信じることが出来ない。そんな中で彼は父が新薬を開発する裏に何らかの腐敗が巣食い、陰謀が企てられていることを嗅ぎ取ることとなる。ここから物語はまるでミヒャエル・ハネケヒッチコック作品をリメイクした(実際劇中では「鳥」が引用される)かのような様相を呈し始める。自分が生きている世界の裏側で何かが蠢いているという予感がブランコの心を満たし、彼はパラノイアへと引き摺られていく。しかしカメラは不動を保ったまま、その姿を監視し続ける。

だが“Pharmakon”は余りにも異様な映画だ。筋立てはシンプルであり、スタイルは淡々としながら、その全貌は杳として知ることが出来ない。今作を説明しようとすると無駄に、頗る無駄の言葉が費やされながら、費やすごとに本質は指の隙間から零れていく。それでも敢えて言うならば、今作は映画が達成できるある種の極致に在る。この世に産まれた時点で虚無は宿命付けられている、それでも人と人とは致命的なまでに理解しあうことは出来ない、唯一確かに存在していると言えるものは究極的な孤独のみである、そういった世界に生まれることに否応なく付き纏う絶望がここでは突き詰められている。Juni Shanajという人物はどうやってこんな映画を作り出すことが出来たのか、到底理解できない。今作が宿す虚無と絶望は深すぎる。

私の好きな監督・俳優シリーズ
その151 クレベール・メンドーサ・フィーリョ&「ネイバリング・サウンズ」/ブラジル、見えない恐怖が鼓膜を震わす
その152 Tali Shalom Ezer&"Princess"/ママと彼女の愛する人、私と私に似た少年
その153 Katrin Gebbe&"Tore Tanzt"/信仰を盾として悪しきを超克せよ
その154 Chloé Zhao&"Songs My Brothers Taught Me"/私たちも、この国に生きている
その155 Jazmín López&"Leones"/アルゼンチン、魂の群れは緑の聖域をさまよう
その156 Noah Buschel&"Bringing Rain"/米インディー映画界、孤高の禅僧
その157 Noah Buschel&"Neal Cassady"/ビート・ジェネレーションの栄光と挫折
その158 トゥドール・クリスチャン・ジュルギウ&「日本からの贈り物」/父と息子、ルーマニアと日本
その159 Noah Buschel&"The Missing Person"/彼らは9月11日の影に消え
その160 クリスティ・プイウ&"Marfa şi Banii"/ルーマニアの新たなる波、その起源
その161 ラドゥー・ムンテアン&"Hîrtia va fi albastrã"/革命前夜、闇の中で踏み躙られる者たち
その162 Noah Buschel&"Sparrows Dance"/引きこもってるのは気がラクだけれど……
その163 Betzabé García&"Los reyes del pueblo que no existe"/水と恐怖に沈みゆく町で、生きていく
その164 ポン・フェイ&"地下香"/聳え立つビルの群れ、人々は地下に埋もれ
その165 アリス・ウィノクール&「ラスト・ボディガード」/肉体と精神、暴力と幻影
その166 アリアーヌ・ラベド&「フィデリオ、あるいはアリスのオデッセイ」/彼女の心は波にたゆたう
その167 Clément Cogitore&"Ni le ciel ni la terre"/そこは空でもなく、大地でもなく
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その169 Kiro Russo&"Viejo Calavera"/ボリビア、黒鉄色の絶望の奥へ
その170 Alex Santiago Pérez&"Las vacas con gafas"/プエルトリコ、人生は黄昏から夜へと
その171 Lina Rodríguez&"Mañana a esta hora"/明日の喜び、明日の悲しみ
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その173 Nele Wohlatz&"El futuro perfecto"/新しい言葉を知る、新しい"私"と出会う
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