鉄腸野郎と昔の東欧映画を見てみよう

鉄腸野郎Z-SQUAD!の姉妹館。ここでは昔の東欧映画だけについてツラツラと。

ボリスラフ・シャラリエフ&"Ritzar bez bronia"/ブルガリア、大人になるってこんな感じなのかなあ

 

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60年代のブルガリアヴァニョという少年はパパとママと一緒に平穏な日々を送っているそんな中パパが新品の車を買ったのでピクニックに行くこととなった。ヴァニョはとっても嬉しくて後部座席でワッチャワッチャと騒ぎまくるのだが、何故だか良く分からないことばかりが起こって……

“Ritzar bez bronia”(ブルガリア表記"Рицар без броня")はオムニバス短編であり、いくつものエピソードを通じてヴァニョの姿とこの時代のブルガリアの生活を描き出す。最初に思うのはヴァニョ可愛いってことである。変な剣を持って友達とドンキホーテごっこや三銃士ごっこをしたり、団地内をダバダバ無邪気に走ったり可愛い。あと上手く説明できないのだが、舞台の団地は何か微妙に日本とかとは違う印象がある。同じ共産圏だとチェコのヴェラ・ヒティロヴァ監督の“Panelstory aneb Jak se rodí sídlisteに出てくる奴(あそこまで酷くないが)に印象が似ている。何か日本は外に全然人が出ていない印象だが、こっちは複合施設っぽくなってるので逆に人が犇めきあったりしてるのだ。

こうやってまあ無邪気で愛しい時間が続くのだが、根底にあるのは何ともいえない悲哀である。あるエピソードでは、ヴァニョたちを叱るけども志は高くて真面目な教師が出てくるのだが、校長であるパパは彼女の共産主義から逸脱する授業に危機感を抱き、泣いて詫びる彼女を田舎にブッ飛ばす、つまり粛清するのである。ヴァニョはその様を見てしまいあのパパが……と大ショック。更に怪しい女スパイがいるから追跡ごっこしようぜ!と友人と彼女を追っていき、彼女が密会を終えた後に迫ってみると何とママだったという衝撃展開。どっちのショックにも大号泣なヴァニョは、否応なく大人になるってことの残酷さを知る。

物語ではそれを親しい誰かにヴァニョが語るという体裁を取るのだが、その相手が叔父さんだ。自由人の彼とソフィアの町をめぐる時間はアイスも食べられるし前衛舞台の演出家とも会えるし最高に楽しい。彼だけはヴァニョを子供じゃなく一人の人間としてちゃんと親身になってくれる存在なのだ。でも観てるこっちとしては共産主義ヘヘーイな彼もパージされるんじゃないかと気が気でない。実際二人が別れる時にヴァニョがめちゃめちゃすがる姿にはジワッとなる。ヴァニョの日々は不幸ではないけれども、でも幸せでもない何だか切ない日々だ。こういう大人たちの複雑な側面を見ながら、ボクもこういう風に大人になっていくのかなあ……

 監督のБорислав Шаралиев ボリスラフ・シャラリエフは1922年生まれ、50年代から映画監督としての道を歩み始める。第2次世界大戦前に活躍した詩人を描く"Pesen za choveka"(1954)や炭坑街を舞台に2人の男女の悲哀を描いた"Dvama pod nebeto"(1962)などを手掛け、IMDBによれば5作目の長編作品がこの"Ricar bez bronia"だった。ブルガリア映画史上の傑作として名高い一作の後にも精力的に映画を製作、オスマン帝国に対するブルガリアの民族蜂起、いわゆる四月蜂起を率いた作家ザハリ・ストヤノフの姿を描いた"Apostolite"(1976)、ブルガリアにおけるショーン・ペン主演「バッド・ボーイズ」とも称される一作"Vsichko e lyubov"(1979)、晩年にはブルガリア帝国のハーンであったボリス1世の生涯を描く4時間半もの大作"Boris I"(1985)を製作している。まあルーマニアとか共産圏にはよくある、ブルガリアはこんな歴史があるんだ誇り持とうぜ!的なプロパガンダ歴史映画の類というのは創造に難くない。だがザハリ・ストヤノフといい元々そういう映画を作る土壌はある一方、"Ricar bez bronia"のような明らかに社会主義批判になっている映画を作ったりと動きが読めない辺り、色々と面白い。

 

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