鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済藤鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Mircea Daneliuc&"Croaziera"/若者たちよ、ドナウ川で輝け!

さて、このブログでは最近ルーマニア映画史を総覧するような記事を多く書いているが、ちょっと前からルチアン・ピンティリエというルーマニア映画界の大家を紹介している。彼はいわゆる“ルーマニアの新たなる波”の作家たちに多大なる影響を与えているのだが、彼と並んでもう1人現代の作家たちに慕われる映画作家がいる。ということで今回はクリスティ・プイウも愛したルーマニア映画界の巨匠ミルチャ・ダネリュク Mircea Daneliucと彼の代表作“Croaziera”を紹介していこう。

ある日ドナウ川沿いの町にルーマニア中から若者が集められることとなった。彼らはルーマニアの未来を担うよう選抜された存在であり、例えば“朗読すっごく上手いで賞”の覇者に“仕事場とっても綺麗で賞”の優勝者などなど優れた人材が集まっている。その目的はただ1つ、彼らの才能を更に磨くため、バルカン半島の母なる大河ドナウ川をめぐるクルーズを行うことだった。ということで皆で厳しくも楽しい長旅に出発だい!

この、どこまでマジでどこまでおふざけか分からない導入部から“Croaziera”は幕を開ける。とはいえ今作には若者たちの活気が溢れている。旅の始まりを祝して彼らは夜通し踊りまくった後、朝には各自小さなボートに乗ってドナウ川を発つ。1人がボートを漕いでいると思えば、1人は呑気に昼寝して、もう1人はアコギ担いで歌を唄う、彼らをクルーズ船でのんびりしていうそんな風景が辺り一面に広がっているのだ。目的地に着くとホテルに集まり、まるで修学旅行中の高校生といった風に浮かれ騒ぐ。朝には再びボートに乗り込み、ドナウ川を行く……

そんな旅路には様々な人々の姿が描かれる。肝臓を摘出したばかりなのに担ぎ出された青年に、彼が片思いをする短髪ブロンドのキュートな女性、旅の裏側で何かやらかそうとしている怪しい野郎、更に彼らを引率する大人側にも目を向けよう、完全に夫婦仲が冷えきっている風のリーダーとその妻、ヒゲが似合わない雑務係や真面目な事務員などなどキャラが入り乱れていく。そういった意味で今作はロバート・アルトマンの意思を受け継いだルーマニア映画と言えるかもしれない。

そう言える理由は群像劇という形式以外にもある。旅が進むにつれてちょっとずつその雲行きが怪しくなってくる。まあ修学旅行などの常だが、大人たちは若者の行動を逐一監視し、規律から逸脱しようとする者を叱責する訳である。男子部屋に女子を連れ込むな、ボート漕いでる最中にさぼるな、夜は午後9時には寝ろ、それを破った奴は拳骨を喰らわされる。だがそんなんで若者たちがへこたれる筈がない。彼らは大人の目を盗んで、自由を謳歌しようとする。ここには確かな反骨精神が宿っているのだ。

が、ルーマニアにおいてその反骨精神はまた別の表情を持っている。少しルーマニアの現代史を振り返ろう。1965年に後の悪名高い独裁者ニコラエ・チャウシェスクルーマニアの書記長に就任する訳だが、当初彼は東側ブロックの頂点にいるソ連とは袂を別ち、西側諸国と関係を深めるなど共産国家の中でも独自路線を歩んでいた。だが70年代に突入すると北朝鮮や中国に接近、彼らの体制を元にルーマニアで“文化小革命”を起こし、秘密警察セクリターテの配備強化や縁故主義の徹底を通じ、独裁国家を作り上げた。最初は急激な工業化によって順調な経済発展を遂げていたが、石油危機と1976年のブカレスト地震を期に、ルーマニアは衰退の一途を辿る。1980年とは国が傾いたことによって国家の締めつけが厳しくなっていく最中の時代という訳だ。

この時代、検閲の激化により作家たちの自由が著しく制限されていく事態となっていた。これは小説における評なのだが、住谷春也氏はチャウシェスク独裁時代に活躍した、いわゆる60年代派について“思想統制に対抗する面従腹背に創作実践技術”を駆使した作品を書いていたと評している。つまり表向きは体制を受け入れる振りをしながら、その裏に体制批判の要素を密かに忍ばせるという技術を駆使していた訳である。映画にもこの言葉は適応できるだろう。この映画においては社会主義の価値観から逸脱する若者にはそれ相応の罰があり、最後も何やかんや色々苦労や対立はあったけど、大人と健全になった若者たちが手を取り合ってこのクルージングはとても素晴らしかったです!と記念撮影をすると、プロパガンダ映画の典型的な終り方を迎えたりする。

だがこの時代における、というか今作の監督Mircea Daneliucが、というかこの時代の反体制的な映画作家たちが行う特徴的な検閲回避手法が劇映画のドキュメンタリー化である。この時代のルーマニア映画を観る際に抱くのはどこかチグハグだという感覚だ。物語運びはフィクションだけども、唐突にドキュメンタリーっぽい、ただ目前の光景を垂れ流してるだけの映像が挿入される。検閲の目を掻い潜るために表面上は目の前で起こるありのままを撮してますよ感が露骨なくらいあるのだ。現代の目から見るとかなり不思議な感触があって、何というか観客の意識が二つの間を乱暴に引き摺られる感じがあるのだ。今においてはドキュ・フィクションのように2つが溶け合って作品自体がどっちに属するか分からない作品があるが、それとは感触が違う。むしろ逆に”ここからここまではフィクションで、あそこからあそこまではドキュメンタリー”と分けられる、正確に言えば分けられると錯覚するくらいに継ぎ接ぎ感があるのだ。

そういった手法によって今作は体制迎合映画的な体裁を取りながら、その実かなり深い体制批判映画になっていると言っていい。まずは、まあ筋立てで分かる通り、体制と若者の対立はそのままルーマニアという社会主義国家と個人の対立に重ねられるだろう。そもそもこのクルージングは健やかな若者を育てるという名目の矯正キャンプ的な代物と言える。健全な肉体には健全なる(体制に従順な)精神が宿るとばかり若者の身体管理に勤しむのは、右派にしろ左派にしろ独裁国家の常套手段な訳で、実際ルーマニアは体操界においてナディア・コマネチなど名だたる選手を輩出するなど、かなり典型的である。

もちろんこのクルージングはプロの養成講座ではないので、そこまでスパルタな訓練は現れないが、それでも異様なのは幾度となく繰り返されるボート漕ぎだ。上述したように最初は若さと輝ける水の滴に囲まれて、結構呑気な印象を受けるのだが、これが執拗に繰り返され続け、ボートが強制的に整列させられる光景や冷たい雨が降りしきる中でも漕がされる光景が広がってくると、別の何かがせり上がってくるような感覚がある。ひとりぼっちの青春という映画でダンスマラソンと呼ばれる競技が出てきた。大恐慌時代のアメリカで金のために死ぬまで踊り続けるという地獄の競技であり、いつしかボート漕ぎがそんな終りの見えないものに見えてくる。

それでもアルトマン作品の若者たちがそうであるように、この映画の若者たちも反抗しまくる。どこかで愛し合い、ダンスにかまけ、部屋ではスプーン遊びをする。目隠しをしながらスプーンで目の前にいる物や人に触れ、それが何か当てるゲームで、実際見てみると本当馬鹿な感じでそこにエロが入ってきたりする。健全な精神を求める大人側としてはこんなゲームけしからん!と粛清しにかかるが、若者たちは逃げ大人たちは追い、時々面白そうだと大人側の人間も参加するかと思えば潰されと、いたちごっこの様相を呈し始める。

が、物語が進むにつれどこかこのいたちごっこ自体が不毛な物のように思える。こういった対立を呑み込む大いなる何かが迫り来る感覚があるのだ。時代は先述した通り、今作はルーマニアが傾き始めた時代であり、今後この国は例えば「4ヶ月、3週と2日」で描かれたような末期的状況(中絶禁止令自体はそれ以前にも存在したが)に陥る、つまり社会主義崩壊の最終段階へと入っていくのだ。大人たちは言う事を聞かない若者に疲弊し、夫婦仲は嫌になるほどギスギスしていき、体制側を象徴するクルーズ船には次第に蟻がたかりだす。そして今作は抑圧や反抗を描いてるというよりも、ルーマニアという国の自壊こそを描いているのだとハッキリしていく。先に書いた通り、物語は“何だか大変だったけどでも最後は大成功だった”という報告書の朗読が、大人も若者も皆一緒に記念写真を撮る姿と重なりながら幕を閉じる。表面上は大団円ながら、Daneliucのカメラはその奥に広がる光景へと肉薄する。共産主義の崩壊を兆す小さな、しかし確かな綻びを彼は見据えている。

ちなみに今作は、今から見れば体制批判は露骨も露骨ながら検閲を通過、ルーマニアで公開されることとなる。しかし1ヶ月経った後、惨めな姿を晒すリーダーとその妻はチャウシェスク夫妻を模していると誰かが本人たちにチクったらしく、めでたく上映中止となった。

ルーマニア映画界を旅する
その1 Corneliu Porumboiu & "A fost sau n-a fost?"/1989年12月22日、あなたは何をしていた?
その2 Radu Jude & "Aferim!"/ルーマニア、差別の歴史をめぐる旅
その3 Corneliu Porumboiu & "Când se lasă seara peste Bucureşti sau Metabolism"/監督と女優、虚構と真実
その4 Corneliu Porumboiu &"Comoara"/ルーマニア、お宝探して掘れよ掘れ掘れ
その5 Andrei Ujică&"Autobiografia lui Nicolae Ceausescu"/チャウシェスクとは一体何者だったのか?
その6 イリンカ・カルガレアヌ&「チャック・ノリスVS共産主義」/チャック・ノリスはルーマニアを救う!
その7 トゥドール・クリスチャン・ジュルギウ&「日本からの贈り物」/父と息子、ルーマニアと日本
その8 クリスティ・プイウ&"Marfa şi Banii"/ルーマニアの新たなる波、その起源
その9 クリスティ・プイウ&「ラザレスク氏の最期」/それは命の終りであり、世界の終りであり
その10 ラドゥー・ムンテアン&"Hîrtia va fi albastrã"/革命前夜、闇の中で踏み躙られる者たち
その11 ラドゥー・ムンテアン&"Boogie"/大人になれない、子供でもいられない
その12 ラドゥー・ムンテアン&「不倫期限」/クリスマスの後、繋がりの終り
その13 クリスティ・プイウ&"Aurora"/ある平凡な殺人者についての記録
その14 Radu Jude&"Toată lumea din familia noastră"/黙って俺に娘を渡しやがれ!
その15 Paul Negoescu&"O lună în Thailandă"/今の幸せと、ありえたかもしれない幸せと
その16 Paul Negoescu&"Două lozuri"/町が朽ち お金は無くなり 年も取り
その17 Lucian Pintilie&"Duminică la ora 6"/忌まわしき40年代、来たるべき60年代