鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Sebastian Mihăilescu&"Apartament interbelic, în zona superbă, ultra-centrală"/ルーマニアと日本、奇妙な交わり

この頃ルーマニア映画を多く観ている訳だが、その中に何故か日本についての描写が結構出てくる。ラドゥ・ジュデの監督作“Toată lumea din familia noastră”ではエンディングに「黒猫のタンゴ」日本語版がいきなり流れたり、“Terminus paradis”では主人公が日本人女性から梅毒を移されたという設定が現れ、更に“O vară de neuitat”ではあのクリスティン・スコット・トーマスが“フジヤマ!フジヤマ!”と全編で連呼しまくって笑いを抑えきれなかった。別に間違えてるとかではないのだがこの何となく奇妙な日本描写を観るのがルーマニア映画の1つの楽しみ方になってきているのだが、今回紹介する映画もまた日本が奇妙な形で登場するルーマニア映画である。

高級アパートメントのとある一室、そこでカップルが何かを話している。今すぐにマイカーを売る必要がある、そのために女(「不倫期限」マリア・ポピスタシュ)は今日高校時代の友人に会いに行く、彼は中古車ディーラーだからだ、しかし男("Un etaj mai jos"Iulian Postelnicu)には自分一人で彼に会いにいくという女の要望が気に喰わない、もしかしたら彼女は別の何かをしようとしているのでは?という思いを捨てきれずにいるからだ。

“Apartament”において私たちはそんな彼らの生活風景を見つめることとなる。撮影監督○のカメラに映るのは荷物が猥雑なまでに散らばった部屋、だらしなく開け放たれたドア、ベッドに寝転がりタブレットを操作する男、外出のため着替えを続ける女。しかし窃視的な眼差しに映る風景には物の存在以上に目には見えない空気感が、2人の間に漂うどことなくギスギスした空気感が滲み渡る。男は不機嫌な態度を隠すことはなく、女はそんな彼を責め立てるうち、否応なくこの空間で緊張が高まっていく。

そして女はアパートを出て友人のもとへと赴くことになる。心配を捨てきれない男は何度も女に電話をかけるのだが、だんだんとその電話が通じなくなっていく。引っ越しの準備のため荷物を片付けながらも女は何をしているのか?という思いに苛まれ、電話をかけるが通じない。そんな彼を嘲笑うかのように、夜は粛々と更けていく。その中で、観客は部屋に闇が満ち始めるのに気づくだろう。窓際に置かれた小さな人形、床に散らばるダンボール箱、横たわる者のいないベッド、何より男自身があの不気味な黒に塗り潰されていく。だが監督はこの黒にこそ男の心に巣食う感情を、つまりは這いずるような速さで肥大していく猜疑心を浮かび上がらせる。

今作はある意味でマンブルコアの重鎮ジョー・スワンバーが2011年頃に量産した、他者との“関係性”を続けていく上でもたらされる負の感情を観察するような不気味な作品群と共鳴する部分が多いのだが、そこに奇妙な要素が現れることとなる。劇中女が帰るまでの間、男は映画を観て猜疑心をやり過ごそうとする。その映像自体は画面に映らず、音声だけが闇に響くことになる。言葉はルーマニア語でもなければ英語でもない、それでいて字幕もつくことがない。未知の言語は止まることなく垂れ流され、聞く者をどこか居心地の悪い思いへ追い詰め、最後に鳴り響くマーチの中に得体の知れないものの蠢きを悟らせていく。

だがこの言語を聞いているうちに馴染みのある響きだと思う人々も多くいる筈だ、何故ならこの言葉とは日本語なのだから。そしてそれが小津安二郎秋刀魚の味の、バーで主人公と友人が酒を酌み交わす場面だと分かる人も少なくはないだろう。

“艦長、もし日本が勝ってたらどう思います?”
“うーん、分からんねえ”
“もし日本が買ってたら、わたしたちゃ今頃ニューヨークですよ、ニューヨーク。パチンコ屋じゃないですよ、アメリカのニューヨーク”
“でも負けて良かったんじゃないだろうね”
“ですかね、その通りかもしれませんねえ”

このルーマニア映画と日本語の交わりが、もしかすると監督の意図を越えているのかもしれない奇妙な手触りをここに生んでいるのだ。私は小津映画を観ている時、何というか不気味な感覚を覚える。彼の描く世界は余りに精巧に組み上げられた故に、生気の介在しえない“日本的なる日常”の崇高な模造品に見えるからだ。“Apartament”において描かれるのはルーマニア中産階級に属する男女が所有する生活だ。だが対象から一歩引いたカメラの観察眼は、そこにミニチュア的な模造を見出だす。そして安寧の生活はゆっくりと内部から崩れ去っていく。精巧に作られた世界の中で男の心は朽ちていくのだ。それでも人生は終わらない、その先には否応なく明日が待っている。そんな不穏な予感で“Apartament interbelic, în zona superbă, ultra-centrală”は締め括られることとなる。

ルーマニア映画界を旅する
その1 Corneliu Porumboiu & "A fost sau n-a fost?"/1989年12月22日、あなたは何をしていた?
その2 Radu Jude & "Aferim!"/ルーマニア、差別の歴史をめぐる旅
その3 Corneliu Porumboiu & "Când se lasă seara peste Bucureşti sau Metabolism"/監督と女優、虚構と真実
その4 Corneliu Porumboiu &"Comoara"/ルーマニア、お宝探して掘れよ掘れ掘れ
その5 Andrei Ujică&"Autobiografia lui Nicolae Ceausescu"/チャウシェスクとは一体何者だったのか?
その6 イリンカ・カルガレアヌ&「チャック・ノリスVS共産主義」/チャック・ノリスはルーマニアを救う!
その7 トゥドール・クリスチャン・ジュルギウ&「日本からの贈り物」/父と息子、ルーマニアと日本
その8 クリスティ・プイウ&"Marfa şi Banii"/ルーマニアの新たなる波、その起源
その9 クリスティ・プイウ&「ラザレスク氏の最期」/それは命の終りであり、世界の終りであり
その10 ラドゥー・ムンテアン&"Hîrtia va fi albastrã"/革命前夜、闇の中で踏み躙られる者たち
その11 ラドゥー・ムンテアン&"Boogie"/大人になれない、子供でもいられない
その12 ラドゥー・ムンテアン&「不倫期限」/クリスマスの後、繋がりの終り
その13 クリスティ・プイウ&"Aurora"/ある平凡な殺人者についての記録
その14 Radu Jude&"Toată lumea din familia noastră"/黙って俺に娘を渡しやがれ!
その15 Paul Negoescu&"O lună în Thailandă"/今の幸せと、ありえたかもしれない幸せと
その16 Paul Negoescu&"Două lozuri"/町が朽ち お金は無くなり 年も取り
その17 Lucian Pintilie&"Duminică la ora 6"/忌まわしき40年代、来たるべき60年代
その18 Mircea Daneliuc&"Croaziera"/若者たちよ、ドナウ川で輝け!
その19 Lucian Pintilie&"Reconstituirea"/アクション、何で俺を殴ったんだよぉ、アクション、何で俺を……
その20 Lucian Pintilie&"De ce trag clopotele, Mitică?"/死と生、対話と祝祭
その21 Lucian Pintilie&"Balanța"/ああ、狂騒と不条理のチャウシェスク時代よ
その22 Ion Popescu-Gopo&"S-a furat o bombă"/ルーマニアにも核の恐怖がやってきた!
その23 Lucian Pintilie&"O vară de neuitat"/あの美しかった夏、踏みにじられた夏
その24 Lucian Pintilie&"Prea târziu"/石炭に薄汚れ 黒く染まり 闇に墜ちる
その25 Lucian Pintilie&"Terminus paradis"/狂騒の愛がルーマニアを駆ける
その26 Lucian Pintilie&"Dupa-amiaza unui torţionar"/晴れ渡る午後、ある拷問者の告白
その27 Lucian Pintilie&"Niki Ardelean, colonel în rezelva"/ああ、懐かしき社会主義の栄光よ

私の好きな監督・俳優シリーズ
その151 クレベール・メンドーサ・フィーリョ&「ネイバリング・サウンズ」/ブラジル、見えない恐怖が鼓膜を震わす
その152 Tali Shalom Ezer&"Princess"/ママと彼女の愛する人、私と私に似た少年
その153 Katrin Gebbe&"Tore Tanzt"/信仰を盾として悪しきを超克せよ
その154 Chloé Zhao&"Songs My Brothers Taught Me"/私たちも、この国に生きている
その155 Jazmín López&"Leones"/アルゼンチン、魂の群れは緑の聖域をさまよう
その156 Noah Buschel&"Bringing Rain"/米インディー映画界、孤高の禅僧
その157 Noah Buschel&"Neal Cassady"/ビート・ジェネレーションの栄光と挫折
その158 トゥドール・クリスチャン・ジュルギウ&「日本からの贈り物」/父と息子、ルーマニアと日本
その159 Noah Buschel&"The Missing Person"/彼らは9月11日の影に消え
その160 クリスティ・プイウ&"Marfa şi Banii"/ルーマニアの新たなる波、その起源
その161 ラドゥー・ムンテアン&"Hîrtia va fi albastrã"/革命前夜、闇の中で踏み躙られる者たち
その162 Noah Buschel&"Sparrows Dance"/引きこもってるのは気がラクだけれど……
その163 Betzabé García&"Los reyes del pueblo que no existe"/水と恐怖に沈みゆく町で、生きていく
その164 ポン・フェイ&"地下香"/聳え立つビルの群れ、人々は地下に埋もれ
その165 アリス・ウィノクール&「ラスト・ボディガード」/肉体と精神、暴力と幻影
その166 アリアーヌ・ラベド&「フィデリオ、あるいはアリスのオデッセイ」/彼女の心は波にたゆたう
その167 Clément Cogitore&"Ni le ciel ni la terre"/そこは空でもなく、大地でもなく
その168 Maya Kosa&"Rio Corgo"/ポルトガル、老いは全てを奪うとしても
その169 Kiro Russo&"Viejo Calavera"/ボリビア、黒鉄色の絶望の奥へ
その170 Alex Santiago Pérez&"Las vacas con gafas"/プエルトリコ、人生は黄昏から夜へと
その171 Lina Rodríguez&"Mañana a esta hora"/明日の喜び、明日の悲しみ
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その173 Nele Wohlatz&"El futuro perfecto"/新しい言葉を知る、新しい"私"と出会う
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その188 João Nicolau&"John From"/リスボン、気だるさが夏に魔法をかけていく
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その190 Rachel Lang&"Pour toi je ferai bataille"/アナという名の人生の軌跡
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その224 Jang Woo-jin&"Autumn, Autumn"/でも、幸せって一体どんなだっただろう?
その225 Jérôme Reybaud&"Jours de France"/われらがGrindr世代のフランスよ