鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

ベロニカ・リナス&「ドッグ・レディ」/そして、犬になる

私は常々思っているのだが、“犬になる”という言葉が日本語で“誰かに従属し媚びへつらう”というような意味になるのは人間のとんでもない傲慢さの表れではないだろうか。人間は太古の昔から犬に助けられ、そして今でも共に並び立って生きる存在である。そんな彼らに対して私たちは恩を仇で返すような行為をしているのではないだろうか。だが今回紹介するラウラ・チタレラ&ベロニカ・リナス監督作「ドッグ・レディ」(原題:La mujer de los perros)はこの“犬になる”という言葉の意味を再考させるような力に満ち溢れた作品だ。

とある女性(ベロニカ・リナス)が森の中を彷徨う姿から、この作品は幕を開ける。身なりは薄汚れているが彼女の眼差しは鋭く、虎視眈々と闇へ視線を巡らせている。そしてある瞬間、手に持っていたパチンコを打ったかと思うと、一瞬で獲物の鳥を仕留めたのだ。死体を持って何処かへと向かう彼女の後ろには何匹もの犬たちが付いてくる。そう、彼女こそが題名の「ドッグ・レディ」という訳だ。

まず今作はそんな女性の奇妙なる日常を淡々と描き出していく。ブエノスアイレスの郊外、豊かな自然と可愛い犬たちに囲まれながら、ドッグレディは自給自足の生活を送っている。焚火の前で犬たちと食事をしながら戯れあい、彼らとハンモックの上で昼寝に耽り、狩猟や採集はお手の物だったりと、彼女は本当に自由気ままという風だ。

監督の語りは余計な要素をほぼ全て切り捨てたような、徹底したミニマルを志向していると言っていい。なぜ彼女が自給自足生活をしているのか、なぜ彼女は犬たちと一緒に生活しているのか、なぜ彼女は一言も喋ることはないのか、そういった説明は一切ない。投げられた石で窓ガラスが割れるような唐突さで、彼女の人生の手がかりが突如現れることはありながらも、監督たちはその全容を観客の想像に委ねていくのだ。

この謎めいた豊かさは、巧みな演出の数々によって更に強化されていく。撮影監督○のカメラは大地に厳と腰を据えたまま、長回しによって目前に広がるありのままの風景を映し取っていく。ここに余計な装飾は一切存在しないながら、その風景自体の美しさに感嘆せざるを得ないだろう。アルゼンチンの四季折々の風景がドッグレディを包みこみ、熱気に満ちた陽光や凍てつく雨が彼女を翻弄していく。そんな自然の移り変わりが画面から匂いたってくるのだ。

更に監督は音にもこだわりがある。私たちはドッグレディの暮らしぶりを目の当たりにしながら、同時に彼女の生きる世界から様々な音が響いてくるのに気づくだろう。周りの犬たちのせわしない足音や親しみ深い鳴き声はもちろん、鳥たちの囀りや風に擦れあう葉々の囁き、遠くから聞こえる若者たちの歓声、大地を疾走する車の唸り。私たちがその時見ている世界の外にも、また世界は存在している。そんな当たり前だが映画を観ている時には忘れがちなこの事実が音によって提示されることで、ドッグレディの世界は広がりを見せる。

そんな彼女の生活は、まるで世界滅亡後の黙示録の時をサバイバルするSF的なもののように描かれている。他の人間の存在感は希薄で、彼女の周囲には自然と犬たちだけがいるという風に。だが実際には彼女の存在が隔絶されているだけで、人間たちは普通に存在している。そして時おり、ドッグレディと人間たちの生活が交差する瞬間がある。例えば家の庭でくつろいでる家人を尻目に網を使って果物を盗んでいったり、時にはブエノスアイレスの町へと繰り出したりもする。だが2つの世界が交差するからこそ、ドッグレディの論理が私たちとは全く違うということが明確になる。

彼女はまず人間の論理では生きていない。いわゆる人間の言葉を発することはなく犬の言葉を駆使しながら(例えば身振りや唸り声など)、お金も持たずに自給自足の生活を送っている。そして彼女は仲間である犬たちと寄り添いながら、時には喧嘩もしながら、過酷な自然を生き抜いていく。ここに人間の常識は適用されない。それ故に彼女は人間が生み出した価値観、例えば資本主義的な価値観からも自由でありうる。彼女はその外でこそ生存しており、だからこそこの価値観に疲れた者たちにとってドッグレディの生活ぶりはユートピア然とした物と映るかもしれない。

さて、この映画がアテネフランセで上映された際、アルゼンチンの映画作家マティアス・ピニェイロによる“現代アルゼンチン映画レクチャー”が行われた。このレクチャーがまあ濃い内容で、当初30分の予定が1時間超過するほどの熱気を見せており、これ以上のアルゼンチン映画談義を日本で聞けることは一生ないのではと思わされた。そしてその中で今作を手掛けた作家たちについての解説もあった。なんでもこの映画の監督の2人はEl pampero cineという映像団体に所属しているそうだが、この団体は映画協会などの補助に頼らず、真にインディペンデントな作品を作り続けているのだという。その作品はあるヒエラルキーに対抗するような、映画業界にいては作れない作品ばかりだが、私の見る限りこの「ドッグレディ」はそんな理念を体現するような作品に思える。今作は表面上変人の日常を映す淡々とした映画という印象だが、その実人間の論理を疑い、資本主義の理念を疑い、既存の体制に挑戦するような作品であるからだ。

そんな本作を支えるのがドッグレディを演じるベロニカ・リナスの存在感だ。犬が余りに懐きすぎで、サバイバル技術も相当なので、てっきり監督たちが彼女を見つけ出して、ドキュドラマ的な映画を作っているかと思ったら、彼女実は今作の共同監督だった訳で、本当にこんな生活をしている訳ではないらしい(犬は全部飼い犬らしいが)演じるというかドッグレディそのものとして彼女は犬として力強く生きる姿を見せるが、逆説的にこれが演じるという行為の凄まじさを感じさせる。正に俳優根性が炸裂した存在感をこれでもかと見せてくれる。そしてそのヨタヨタした身体感覚は頗る愛おしいものだ。

つまり“犬になる”とは“誰かに従い、媚びへつらうこと”ではない。人間の外の論理に則りながら、資本主義などの残酷なシステムから逃れて、時には仲間たちと寄り添いながら世界を生き抜くことを指すのだ。この映画はそんな“犬になった”女性についての、生命力溢れる強靭な肖像画なのだ。

アルゼンチン映画界を駆け抜けろ!
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その237