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映画痴れ者/ライター済藤鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

ラドゥ・ジュデ&"Inimi cicatrizate"/生と死の、飽くなき饗宴

ラドゥ・ジュデ&"Cea mai fericită fată din ume"/わたしは世界で一番幸せな少女
Radu Jude&"Toată lumea din familia noastră"/黙って俺に娘を渡しやがれ!
Radu Jude & "Aferim!"/ルーマニア、差別の歴史をめぐる旅
ラドゥ・ジュデの経歴及び今までの長編作品のレビューはこちら参照。

さて、ラドゥ・ジュデである。ポルンボユやプイウ、ムンジウなどに続く“ルーマニアの新たなる波”第2世代とも言える彼は様々な映画を作りながら、世にルーマニアという国について問うてきた。デビュー長編のCea mai fericită fată din lume”はある少女がめぐる地獄のCM撮影を通じて共産主義から資本主義へと移行するこの国の激動を捉え、第2長編の“Toată lumea din familia noastră”では激動の中における家族という概念の劇的な崩壊を凄まじい密度で描き出していた。

こうして当初ジュデはルーマニアの現代を独特の視点から見据えてきたが、第3長編である“Aferim!”からその趣を異とし始める。現代は元よりチャウシェスク政権時代より前の19世紀ルーマニアを舞台とした本作品によってジュデは世界的な名声を獲得した訳であるが、それに続く第4長編“Inimi Cicatrizate”はそこから約100年が経った第2次大戦直後のルーマニアを描いた作品となっている。そしてこの作品はジュデが名実ともにルーマニアひいては世界でトップを行く存在と証明しうる希代の傑作でもあるのだ。

舞台は1937年のルーマニア黒海沿岸、今作の主人公と呼ぶべき人物は20代の青年エマヌエル(Lucian Teodor Rus)だ。彼は裕福な家庭に生まれた、詩人として前途有望な若者であったが、脊椎に重い障害を患っていた。それが原因で黒海に面するサナトリウムへと送られることとなり、そこでマヌエルは最期の時を過ごすこととなる。

今作はMax Blecher マックス・ブレケルという“ルーマニアカフカ”とも称される著名な小説家の著作を基とした作品であると言える。劇中には彼が執筆した同名小説の文章が幾度となく挿入され、エマヌエルの心情を詩的に語る。ブレケル自身もまた重い病に苦しみ、若くして亡くなることとなったのだが、この作品には先述した同名小説とブレケルの人生が組み合わさり再構成されたことによって完成した訳である。

まず目を惹くのは精緻に作り込まれた世界観だ。エマヌエルが滞在することとなるサナトリウム瀟洒な佇まいをみせ、30年代の息遣いを濃厚なまでに私たちに伝えてくれる。その中では様々な症状を患った患者たちがベッドに横たわり、彼らを救おうと絶えず医者や看護師たちが院内を駆け回るが、そんな人々を包み込む内装(プロダクション・デザイン担当はChristian Niculescu)はこれでもかと仕立てあげられ、実際その時代に作られた建物内で撮影を行っていると思わされるほどだ。

美術が緻密ならば、Marius Panduruによる撮影もまた凄まじく美しい。35mmフィルムを駆使した撮影によって、彼は当時のルーマニアに広がっていただろう豊穣な色彩と不穏な美を捉えていく。エマヌエルが入院時に父と見る黒海の青い揺らめきは、ここではないどこかへの郷愁を観客の心に滲ませ、色とりどりの迷宮を彷彿とさせる院内のうねりには恐怖と高揚感が交わるような感覚がある。彼の撮影する風景には観客に様々な感情を喚起させるような力強い美が宿っているのだ。

それでも実情は過酷だ。廊下にいようと医務室にいようと手術室にいようと何処からともなく患者たちの悲鳴が響き渡る様はまるで地獄さながらだ。そしてエマヌエルも医師であるチャファラン(ジュデ監督作常連のシェルバン・パヴル)の手によって処置を受けるが、腹から膿を抽出する時の絶叫、身体にギプスを巻き付けられ寝たきりに追い込まれる状況など手酷い洗礼を受けることになる。そして私たちの目前には劣悪な環境と未だ発展途上の医療が映し出されていくが、それらはスティーブン・ソダーバーグが1900年という時代を医療を通じ忌憚なく描き出したドラマシリーズ“The Knick”を想起させるものだ。過去に宿るのは郷愁と美だけではないのだ。

そんな中でもエマヌエルは病院で様々な出会いを果たすことになる。首に疾患を抱えたエルンストや足に病を患うヴィクトルら病人仲間と知り合う一方で、彼はソランジュ(Ivana Mladenovic映画作家としても活躍)という女性と運命の出逢いをも果たす。彼女も元はサナトリウムの病人であったが、完治した後はここでスタッフとして働いているらしく、幾度となくエマヌエルの前に現れるうち、彼はソランジュに恋に落ちてしまう。

“Inimi cicatrizate”は上述のように悲惨な実情が広がりながらも、エマヌエルやソランジュたちの態度はむしろ明るすぎるまでに明るい。患者も医者もとにかく場違いな軽口を叩きまくり、手術中にはオペラまで唄ったりするほどのテンションを誇っている。更に病院なのに煙草は吸うわ酒は呑むわ、そのノリのままハチャメチャに踊っては下ネタを繰り返す。ここには死の予感が絶えず付きまといながらも、だからこそ彼らはそれを吹き飛ばすくらいに生を煌めかせていくのだ。

それはジュデ監督による空間の捉え方とも共鳴している。撮影自体は固定カメラによる長回しという他のルーマニア人作家の方法論と似通いながらも、映し出されるのは寒々しい現実ではなく美的に作り込まれた現実だ。そしてその世界では登場人物たちが絶えず行き交う。例えば病院の食堂、手前には横たわりながらアスパラガスを食べるエマヌエルが映りながら、その奥ではダンスを踊る名もなき患者と看護師が映る。更に大量の人物がフレームイン/アウトを繰り返しているのだ。ジャック・タチ作品がそうであるように、その情報量の異様な多さによって私たちはどこに目を向けていいのか分からないままに、しかし世界はフレームの外にも存在していることをある種の溌剌さと共に知ることとなる。

それに加えてこの豊穣なる空間には言葉すらも氾濫することとなる。エマヌエルたちは悲痛な現実から目を背けるように、種種雑多な話題を縦横無尽に駆け回らせる。エマヌエルの綴る詩、エミール・チョランルーマニアの知識人たちの思想を交えた哲学的な問いから、胸を燃やすような恋に下半身を焦がすセックスについての問答まで、彼らは色とりどりの話題に華を咲かせ、言葉は激しく交錯する。その時のエマヌエルの熱狂たるや物語それ自体を揺り動かすほどの熱さが存在しているのだ。

この逸脱的な熱狂が思い出させるのは、ルーマニア映画界における偉大なる先人ルチアン・ピンティリエによる作品の数々だ。彼の作品は例えば第2次世界大戦中におけるナチス支配下の時代、チャウシェスク独裁時代、独裁政権崩壊後の経済停滞期などなどそれぞれの形で鬱屈した時代を描き出してきた。だが作品にはそんな鬱屈を吹き飛ばす、異常なまでの生命力が存在していた。絶望的な状況であるからこそ、それを笑いのめしてやろうという強い意思によって噴出する煌めきが彼の作品には確かに存在していた。“Inimi cicatrizate”において溢れでるのは同種の生命力なのである。

物語が進むにつれて、つまりこの映画に広がるのは生と死の飽くなき戦いの構図であることがハッキリしてくる。中盤で前面に出てくる要素はエマヌエルの愛の行く末だ。ソランジュに恋焦がれながらも自由な彼女は自身を翻弄し、詩や哲学の中で交わりながらも完全に合わさることはない。そして彼は同じく病を患ったイサベル(Ilinca Harnuț)という女性にも心を震わせるのだが、寝たきりというハンディがありながらも彼は金で雇った看護師らの力を借りて病院内を、時にはルーマニアの町を広と駆け抜けていく。これが生の爆発でなければ何なのだろうか?

だが死の予感もまた力強く物語を侵食していく。私たちは何の前触れもなく、ふとした瞬間に気のいい病人仲間たちが死んでいく姿を目撃していくこととなるだろう。そしてエマヌエル自身の身体もまた自由を奪われて、衰弱していく苦しみをも目の当たりにする筈だ。彼らを取り巻く潮風は爽やかで、海はなだらかで、照り輝く太陽の光は暖かい。その中で腐っていかざるを得ない若い命についての光景は不条理以外の何物でもない。

更にエマヌエルをもう1つの脅威が襲いくる。1937年という時代は近隣国のドイツにおいてヒトラーが台頭し、ファシズムの波が隆盛の兆しを見せていた時代だ。それと同時に反ユダヤ主義ルーマニアにも広がろうとしていた。エマヌエルはユダヤ人(ブレケル自身もユダヤ人だった)であり、ラジオから流れてくるニュースや仲間たちが気軽に語る反ユダヤ主義は正に脅威だった。前作“Aferim!”においても排外主義の恐怖を描き出していたジュデ監督だが、ここにおいても今に続く差別の系譜を見出だすことを忘れてはいない。

だが今作において最も重要なのは、そうして様々な要素を内包することとなる死と生の戦争が収斂していく場所、つまりはエマヌエルの肉体に他ならない。冒頭を除けば彼はほぼ寝たきり状態であり、ベッドから逃れられる時間は殆んどない。いわばここには、ある一人の若者が肉体という名の監獄に閉じ込められる地獄が広がっているのだ。それでも死や排外主義の脅威に絶えず晒されながら、ジュデ監督は彼の苦しみを何より鮮やかな映像詩として描き出す。身体は動かずとも、その中にある心から溢れる生の豊穣さを彼は確かに見据えている。

今まで数あるルーマニア映画を観たが”Inimi cicatrizate”のこの豊饒さ、悲痛さ、美しさは今までにないほど胸を打つものだ。黒海沿岸のサナトリウムで死を待つ者たちの溌剌な饗宴と、迫りくる死と世界崩壊の予感が衝突し、躍動する詩へと昇華される。今作の飛翔を以て、ルーマニア映画は新たなる局面へと突入したというべきだろう。

ルーマニア映画界を旅する
その1 Corneliu Porumboiu & "A fost sau n-a fost?"/1989年12月22日、あなたは何をしていた?
その2 Radu Jude & "Aferim!"/ルーマニア、差別の歴史をめぐる旅
その3 Corneliu Porumboiu & "Când se lasă seara peste Bucureşti sau Metabolism"/監督と女優、虚構と真実
その4 Corneliu Porumboiu &"Comoara"/ルーマニア、お宝探して掘れよ掘れ掘れ
その5 Andrei Ujică&"Autobiografia lui Nicolae Ceausescu"/チャウシェスクとは一体何者だったのか?
その6 イリンカ・カルガレアヌ&「チャック・ノリスVS共産主義」/チャック・ノリスはルーマニアを救う!
その7 トゥドール・クリスチャン・ジュルギウ&「日本からの贈り物」/父と息子、ルーマニアと日本
その8 クリスティ・プイウ&"Marfa şi Banii"/ルーマニアの新たなる波、その起源
その9 クリスティ・プイウ&「ラザレスク氏の最期」/それは命の終りであり、世界の終りであり
その10 ラドゥー・ムンテアン&"Hîrtia va fi albastrã"/革命前夜、闇の中で踏み躙られる者たち
その11 ラドゥー・ムンテアン&"Boogie"/大人になれない、子供でもいられない
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その13 クリスティ・プイウ&"Aurora"/ある平凡な殺人者についての記録
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その15 Paul Negoescu&"O lună în Thailandă"/今の幸せと、ありえたかもしれない幸せと
その16 Paul Negoescu&"Două lozuri"/町が朽ち お金は無くなり 年も取り
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その24 Lucian Pintilie&"Prea târziu"/石炭に薄汚れ 黒く染まり 闇に墜ちる
その25 Lucian Pintilie&"Terminus paradis"/狂騒の愛がルーマニアを駆ける
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その27 Lucian Pintilie&"Niki Ardelean, colonel în rezelva"/ああ、懐かしき社会主義の栄光よ
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その29 ミルチャ・ダネリュク&"Cursa"/ルーマニア、炭坑街に降る雨よ
その30 ルクサンドラ・ゼニデ&「テキールの奇跡」/奇跡は這いずる泥の奥から
その31 ラドゥ・ジュデ&"Cea mai fericită fată din ume"/わたしは世界で一番幸せな少女
その32 Ana Lungu&"Autoportretul unei fete cuminţi"/あなたの大切な娘はどこへ行く?