鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Ilian Metev&"3/4"/一緒に過ごす最後の夏のこと

さてさて、最近このブログではテン年代におけるブルガリア映画の隆盛について何度か記している。例えばRalitsa Petrovaの"Godless"Grigor Lefterovの"Xristo"など頗る質の高い作品が数多く作られている訳だが、顕著なのはそのどれもがブルガリアという国の腐敗/惨めな現状を描き出した社会批評的作品ばかりということだ。こういった作品が世界的に評価されることは歓迎すべきことだが、ブルガリア映画の可能性はそれだけに留まることはない。ということで今回はブルガリアの新鋭Ilian Metevの監督作"3/4"を紹介していこう、素晴らしい映画来ちゃったよこれが!

この映画の主人公はソフィアに住むとある3人家族だ。ミラ(Mila Mihova)は将来を嘱望されるピアニストで、来る日も来る日もピアノの練習に明け暮れている。だが弟ニキ(Nikolay Mashalov)は彼女の努力を尻目に、練習を邪魔したり外で遊んだりとやんちゃ盛り。彼らの父である天文物理学者のトドル(Todor Veltchev)はそんな2人を心配そうに見守っている。

今作を構成するのはこの家族の何気ない日常の数々だ。小学校のグラウンドでニキが遊んでいる冒頭から、ミラがピアノの練習をしたりヨガで精神統一に励んでいたりすると思えば、トドルは大学の生徒が抱える実存的な悩みに耳を傾ける。そこに劇的な事態は何もなく、むしろないからこそ舞台はブルガリアとはいえ、ただ私たちの周りにも広がっているかもしれない親しみ深い風景がそこには確かにあるのだ。

その中でも印象的なのは3人の歩き回る場面がとても多いことだ。撮影監督Julian Atanassovのカメラは道を歩く彼らを延々と映すのだが、そこには街路樹の木をふざけて折ってしまうニキやピアノの練習の帰りにじゃれあう姉弟の姿が克明に描かれる。そうして行動の流れや表情の移り変わりが丹念に撮し取られていくことによって、どこか微笑ましい雰囲気が物語を包みこみ始めるのだ。

そしてこの撮影法は必然的にソフィアという街そのものをも捉えることになる。道端に立ち並ぶ車の列や生徒たちがお喋りを繰り広げる大学の構内、アパートの階段や踊り場の窓から見えてくる景色。そういったものが登場人物たちの合間から立ち上がってくる訳だ。この遊歩小説ならぬ遊歩映画的な側面について考える時注目したいのが監督が今作の前に作った、2012年製作のデビュー長編“Sofia's Last Ambulance”だ。このドキュメンタリーはソフィア中をめぐる救急車の道行きと救急隊員の眼差しを通じて、この街の現在を描き出すという試みに溢れた作品だった。つまりある意味で今作は救急車を人々の足に置き換えて、ソフィアを描き出す作品であるのだ。観光的ではないその風景の数々を目の当たりにしながら、私たちの周りに広がる風景を思い出すという人もきっと少なくはないはずだ。

だがこの日常にどこか物悲しい影が差すことにも、観客は気づくことになるだろう。それはある事実が源にある、ミラはピアノのオーディションのためドイツへと留学することになっているという事実が。つまりはこの夏は皆が一緒に居られる最後の夏なのだ。すると姉の邪魔ばかりするニキの行動にも説明がつく。姉に行ってほしくない、ピアノなんか失敗すればいい、最後なんだから構ってほしい、そんな思いが平凡な日常の色彩を別のものへと変えていってしまう。

こうして物語が進むにつれ、ある疑問が浮かんでくる。題名にもなっている“3/4”とは何を意味するのか。“3”とは家族3人を指すのだろうが、なら“4”とはなんだろうか。ここで物語に目を向けると1人明らかに欠けた存在がいる。それはミラたちの母親だ。彼女がどうしているのかはハッキリしないが、1度だけニキとミラが彼女を話題に挙げる時がある。 ”ママが悲しそうに見えたことある?” “ないけど” “ぼくはあるよ。でもママは悲しいんじゃなくて、ただ疲れてるだけって言ってた” この会話は肝心なことを語ってはいないが、それでも彼女の不在が彼らの心に影を投げかけていることは分かるはずだ。そしてこの不在がもう1つの別離、つまりはミラとの別離として物語それ自体にも切ない予感を投げかけるのだ。

“3/4”において描かれるものは他愛のない日常に他ならない。しかしここには全てが過ぎ去りゆくことが運命付けられているからこその寂しさと切なさが深く根を張っている。そして物語が終りに近づく頃、別離の予感は思わぬ形で家族を襲うことになる。その時私は涙を流しながら祈らずにはいられなかった。ミラたちが幸せでありますように、家族がずっと一緒にいられますようにと。

最後に監督のフィクションとドキュメンタリーに対するスタンスについてのインタビュー記事を以てこの記事を締めよう。

"(なぜドキュメンタリーからフィクション作品へ鞍替えしたか聞かれ)現代における家族の物語に興味があったんですが、その題材でドキュメンタリーというのは搾取的すぎるように感じました。ドキュメンタリー作家として、私たちは人々から"物事"を、つまりは最も深い性格を暴露し、正式に契約しているにも関わらず共有しているとは意識していないだろう"物事"を奪うことができます。それゆえ監督の責任は巨大なものとなります。私がよりフィクション的な方向に舵を切ったのは、まずモラル的な理由だった訳です。それでも面白い事に"3/4"を製作するプロセスにおいて、作品の主人公たちを描くにあたり同じような責任を感じていましたが"

"フィクションを監督するにあたり、自身の作品世界を作り上げる責任があります。ドキュメンタリーでは現実を我慢強くかつ注意深く観察することで、現実の複雑さを捉えることになりますが、フィクションでは信じるにたる環境や場面を作るよう努力する必要があります。私は場面場面に宿る矛盾へ特に注意を向けるようにしていて、その理由は日常においてそれが不可欠な要素であると信じているからです。どれほど多くの時に喜びと悲しみは隣同士でいるのか、という訳です"*1

私の好きな監督・俳優シリーズ
その151 クレベール・メンドーサ・フィーリョ&「ネイバリング・サウンズ」/ブラジル、見えない恐怖が鼓膜を震わす
その152 Tali Shalom Ezer&"Princess"/ママと彼女の愛する人、私と私に似た少年
その153 Katrin Gebbe&"Tore Tanzt"/信仰を盾として悪しきを超克せよ
その154 Chloé Zhao&"Songs My Brothers Taught Me"/私たちも、この国に生きている
その155 Jazmín López&"Leones"/アルゼンチン、魂の群れは緑の聖域をさまよう
その156 Noah Buschel&"Bringing Rain"/米インディー映画界、孤高の禅僧
その157 Noah Buschel&"Neal Cassady"/ビート・ジェネレーションの栄光と挫折
その158 トゥドール・クリスチャン・ジュルギウ&「日本からの贈り物」/父と息子、ルーマニアと日本
その159 Noah Buschel&"The Missing Person"/彼らは9月11日の影に消え
その160 クリスティ・プイウ&"Marfa şi Banii"/ルーマニアの新たなる波、その起源
その161 ラドゥー・ムンテアン&"Hîrtia va fi albastrã"/革命前夜、闇の中で踏み躙られる者たち
その162 Noah Buschel&"Sparrows Dance"/引きこもってるのは気がラクだけれど……
その163 Betzabé García&"Los reyes del pueblo que no existe"/水と恐怖に沈みゆく町で、生きていく
その164 ポン・フェイ&"地下香"/聳え立つビルの群れ、人々は地下に埋もれ
その165 アリス・ウィノクール&「ラスト・ボディガード」/肉体と精神、暴力と幻影
その166 アリアーヌ・ラベド&「フィデリオ、あるいはアリスのオデッセイ」/彼女の心は波にたゆたう
その167 Clément Cogitore&"Ni le ciel ni la terre"/そこは空でもなく、大地でもなく
その168 Maya Kosa&"Rio Corgo"/ポルトガル、老いは全てを奪うとしても
その169 Kiro Russo&"Viejo Calavera"/ボリビア、黒鉄色の絶望の奥へ
その170 Alex Santiago Pérez&"Las vacas con gafas"/プエルトリコ、人生は黄昏から夜へと
その171 Lina Rodríguez&"Mañana a esta hora"/明日の喜び、明日の悲しみ
その172 Eduardo Williams&"Pude ver un puma"/世界の終りに世界の果てへと
その173 Nele Wohlatz&"El futuro perfecto"/新しい言葉を知る、新しい"私"と出会う
その174 アレックス・ロス・ペリー&"Impolex"/目的もなく、不発弾の人生
その175 マリアリー・リバス&「ダニエラ 17歳の本能」/イエス様でもありあまる愛は奪えない
その176 Lendita Zeqiraj&"Ballkoni"/コソボ、スーパーマンなんかどこにもいない!
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その190 Rachel Lang&"Pour toi je ferai bataille"/アナという名の人生の軌跡
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