鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済藤鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

結局マンブルコアって何だったんだ?(作品リスト付き)

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さて、マンブルコアである。ゼロ年代アメリカ映画界を席巻したムーブメントである。今ブログで“結局マンブルコアって何だったんだ?”というシリーズ名でマンブルコア映画の特集記事を書いている訳だが、それを始めたのは2016年、とうとうマンブルコアを代表する1作と呼ばれる“Hannah Takes the Stairs” aka 「ハンナだけど、生きていく」が公開されて間もない頃だった。だが始めた理由は何か。このシリーズの1つ目の記事に私はこんなことを書いている。

“さて、このブログでは"ポスト・マンブルコア世代の作家たち"というタイトルでテン年代に頭角を表し始めた米インディー作家を多く紹介してきた。というのも「ハンナだけど、生きていく」が公開されマンブルコア受容がとうとう日本で始まった故に、マンブルコアについての解説記事も増えるだろうと目論み、じゃあ自分はその後に続々と登場している才能について紹介していこうかなと思っていったからだ。

だが約9ヶ月ほど書いてきて、マンブルコア受容が本当に進んできたかと言えば特にそうではなかった。「ハンナだけど、生きていく」が公開されたらされっぱなしで、誰もこのムーブメントに属している作家たちや作品を紹介する人々は殆ど現れてはいない。誰か3月にビデオスルーになった「新しい夫婦の見つけ方」「ハンナだけど、生きていく!」の監督ジョー・スワンバーグの最新作"Digging for Fire"だと宣伝していた奴は、この前Netflixで配信スルーになった「成果」がマンブルコアのゴッドファーザーであるアンドリュー・バジャルスキーの最新作"Results"だとキチンと紹介していた奴がいただろうか。Twitterで検索すると何人かはいるってそのレベルだ。

まあそういう物かと思った。マンブルコアだけでなくヨルゴス・ランティモス「ロブスター」だって"ギリシャの奇妙なる波"について解説しているのなんかほぼなかった、パンフレットにすらロクに記述がない。まあそういう物だ。じゃあさ、やるよ、じゃあ私がやるよ、最終的には本を纏めるくらいの感じでやるよ、マンブルコアの作家にはどういう人々がいて、どういう作品があって、どういう繋がりがあるか、私が書くよ!!!!”

そうして私のマンブルコア探求の旅が始まった訳だが、その頃と比べて今日本におけるマンブルコア受容はどうなっているのか。結論から言えばかつてない活気に満ちていると言っていいだろう。今年は、マンブルコア界のミューズと呼ばれるグレタ・ガーウィグの初単独監督長編レディ・バードが日本でも好評を博し、更に「Girls」も人気なレナ・ダナムの長編デビュー作タイニー・ファニチャーが7年の時を越えて日本公開という偉業が成された。それ故に彼女たちが属するという“マンブルコア”に興味を抱いた映画ライターや映画サイトが特集をやっと始め、マンブルコアという言葉が日本にも広まることになった。

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じゃあ、である。そのレディ・バードタイニー・ファニチャーは実際にマンブルコアに属する作品なのかというと、私の答えは“うん、まあ……何て言うの、一応マンブルコアかなあとは思うんだけど、でも完全にマンブルコアって言い切るには、こう、ちょっと、何かがあるっていうか、間違いじゃないよ、間違いじゃないんだけど、あー、何か難しいんだけど、うーん、マンブルコア……かなあ、違うかも、でもマンブルコアっぽくもあるよなぁ……”という感じである。いや、この答えはふざけてない。全然ふざけてない。むしろマンブルコアを反映した答えだと(自分では)思う。

それが何故かを説明するには、マンブルコアとは一体どのようなジャンルであるのかを説明するのが手っ取り早いだろう。一般的にマンブルコアとは超低予算、俳優は監督の友人かその更に友人でもしくは自分の家族、脚本をほとんど執筆しない即興演技が主体、そしてそれ故のマンブル(mumble)つまりはもごもごして聞きづらい台詞の数々、デジタルのフットワークの軽さを生かしたDIY的精神、自分たちの半径5mという頗る狭く生ぬるく閉じられた世界を描く……などの特徴が挙げられる。代表的な人物には“マンブルコアのゴッドファーザー”と呼ばれるアンドリュー・バジャルスキー Andrew Bujalskiやマンブルコアの切り込み隊長として名高いジョー・スワンバーグ Joe Swanberg、マンブルコアの宣伝&製作担当ジェイ&マークのデュプラス兄弟 Duplass Brothersにマンブルコア界の姉御リン・シェルトン Lynn Sheltonなどがいる。

しかし一応世に言われる特徴を列記したは良いが、当てはまらないものも数多い。まず代表的存在であるバジャルスキーはデビュー長編から第3長編まで全て最初から脚本はしっかり執筆&フィルム撮影だし、デュプラス兄弟は第3長編「ぼくの大切な人と、そのクソガキ」(英題:“Cyrus”)の時点でジョナ・ヒルジョン・C・ライリーを起用したり製作のバックにリドリー・スコットがついていたり……上記の特徴を途中までキチンと体現していたのはスワンバーグただ1人だが、彼も2009年の“Alexander the Last”ではプロ俳優を多く起用していたり製作がノア・ボーンバックだったり、早い段階から既にそれらをマンブルコアと呼んでいいのかという問いが存在している。

とは言え、一応の定義を固めなければ話にならない。ということでここでは私の思うマンブルコアにおける重要な要素について書いていきたい。それは2つあってまず1つが関係性へのこだわりだ。上述の通りこの潮流は自分たちの半径5mの生ぬるい世界を描き出す訳だが、マンブルコアはそこにおいて不可避的な人間と人間の関係性を必ず見据えている。なあなあの友達関係、何かどっかで見たことあるけど名前とかは思い出せない人間との交流、優柔不断さ故に出来上がるフワッフワした三角関係、そういうものを描いているのだ。例えばバジャルスキーのデビュー作“Funny Ha Ha”は片想い中の男子とか自分に好意を持っている男子の間でフラフラする女子の三角関係ものであり、続く“Mutual Appreciation”も主人公と親友とその恋人の三角関係を描く作品だった。

更にこの関係性というのは、後にマンブルコアが成熟するにつれコミットメントとしての意味の関係性をも内包し始める。愛しあう2人が直面する恋と結婚の違いとそれが引き起こす摩擦、同性異性関係なしに2人の人物の間に広がる友情と愛情の間にある言葉にならないような関係性などを描き出していく訳だ。例えばスワンバーグの“Mareiage Material”はとあるカップルが結婚という概念を目の前にして起こす衝突を描いた作品で、シェルトンの“My Effortless Brilliance”は主人公と疎遠だった親友の間にゆらめく友情以上恋愛以上の不思議な関係性を追った作品だった。私たちは他者とどう関係していけばいいのか、これはマンブルコアの至上命題である。

そしてもう1つの重要な要素が肉体性である。マンブルコアの作家たちは“私たちのことは私たちが語る”というDIY精神を以て作品を作り続けていたが、中でもスワンバーグは“私たちの身体は私たちが語る”という路線を推し進めていた。どういうことかと言えば、普段のアメリカ映画、つまりはハリウッド映画に出てくる人々は男女問わずバッキバキに仕上がった身体を披露し、これが理想の体型であると喧伝する。しかしあんなバッキバキの身体を持った人々なんてそうは居ない。自分たちや周りの人々はもっとブニブニだったりヒョロヒョロだったり、そういう完璧じゃない身体を持っている。ハリウッド映画の身体はリアルじゃない。だから自分たちがリアルを語るしかない!とスワンバーグは自ら率先して自身の微妙な裸を晒し、グレタ・ガーウィグ含むキャスト陣もバンバン脱いでいく。そしてだらしない身体を思う存分見せつける。これが私たちのリアルだと、これが私たちの真実だと。

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そしてマンブルコアはこのだらしなさという肉体性を物語のギミックとして利用する。それ故に最も裸が重要視される日常の行為、つまりはセックスがこの潮流ではかなり重要視されている。スワンバーグのデビュー作“Kissing on the Mouth”は題名通りに濃厚な唇同士のキスから幕を開け、彼の中期作“Art Historyは映画のための濡れ場撮影中ぺニスにコンドームをつける場面から幕を開ける。そういった場面が印象的に現れるのだ。更にこのセックスという奴が曲者であり、物語を複雑化させていく。ネタバレになるので具体名は出さないが、カップル同士の決定的決裂のきっかけが恋人とのセックスで濡れないのに気づいたことというのがあったり、とある関係性がセックスによって完膚なきまでに破壊されたり逆に優しく癒されたりというのが繰り返される。そもそもゲイポルノ撮影が主題のシェルトン監督作“Hump Day”というのも存在していたり、肉体性が露骨に反映されるセックスはマンブルコアにおいて重要な部分を占めている。彼女について詳しくは後述するが、レナ・ダナムという人物がいて、彼女も自身のドラマ作品「Girls」でだらしない身体を前向きにさらけ出して、セックスを描き出しているが、これはモロにマンブルコアの影響だったりする。

さてさて、定義のため簡単にマンブルコアにおいて重要なものは一体何なのか?を説明してきたが、そもそもの話、マンブルコアという言葉はどうやって生まれたかに興味を持っている方も多いだろう。その誕生は今から10年以上遡った2005年、この年に行われたSXSW映画祭において“Kissing on the Mouth”のスワンバーグ、“Mutual Appreciation”のバジャルスキー“The Puffy Chair”のデュプラス兄弟など今後マンブルコアを背負って(もしくは背負わされて)立つ映画作家が勢揃いした。彼らはお互いの作品を観てそのDIY精神に感銘を受け、すぐさま友人関係となった。そして酒を飲みながら“俺たちの映画にもしキャッチーな名前をつけるとしたらどうなる?”というお遊びが行われた。ここからは少しバジャルスキー本人に語ってもらおう。

"思うに自分と同じ影響を受けた――逆に受けるのを拒んだのも然り――映画作家が何人も現れていますが、そこにはインディー映画界の、それこそ葬り去りたいくらいには思っている安っぽい側面が見え隠れしています。私の新作"Mutual Appreciation"はSXSW映画祭でプレミアになったのですが、そこではあるムーブメントについての会話が繰り広げられていて、それは若い理想家気取りの作家たちが演技重視の映画が多く上映されていたからです。私の映画で音響効果を担当しているエリック・マスナガがそのムーブメントに付けた"マンブルコア"という名前はとてもキャッチーなものではあります。何本かそういう映画を観て気に入ったものも多いのですが、それらを同じグループに括ってしまうのは作品を矮小化させていると思いますし、馬鹿げてるでしょう。もしそれが確かにムーブメントであったとしても、私はそこから出ていきたいし、何か別のことをしたい。誰かがもう既に作っている映画を作ったって意味はないんです、そこに何か新しいものを宿すことが出来ない限りは"*1

記録に残っている限り"マンブルコア"という言葉が初めて使われたのがIndiewireにおけるこのインタビューらしい。友達がこんな造語作ったんだけど、でもさぁこりゃ括りが雑すぎるよねーという感じで不用意に出した言葉が、彼の危惧した通りの形で、しかも世界的に広がるとはブジャルスキー自身予想していなかっただろう。ちなみにマンブルコアは口ごもるという意味のmumbleに、音楽ジャンルであるhardcoreなどにつく接尾辞coreを繋げて出来た造語である。

こうして生まれたマンブルコアだったが、この潮流は時代精神と若者たちの真実を反映していると批評家たちに祭り上げられることになる。そこに属する作家と言われたバジャルスキーたちも実際その評判に即した映画をDIY精神で以て製作していたのだが、ここで重要なのがその作家たちは1つの場所に集まらず、皆バラバラの地で作品を製作していたことだ。例えばニューヨーク派のように1つの場所に固まるのではなく、それぞれの場所でそれぞれの作品を作り、それを携えては映画祭で仲間と再会したり同じ精神を持った同士を見つけ出す。更に時々は相手の元に赴き共同生活を営みながら映画を製作(これで出来た作品こそがマンブルコアのマニフェストと呼ばれる「ハンナだけど、生きていく!」だった)し、別れては自分たちで映画を作る。このような離合集散を繰り返すことで、彼らは他の潮流にはない全米に渡る映画製作ネットワークを作り上げたのだ。これがマンブルコアの隆盛を生んだのに疑いはない。

しかしもう1つ重要なのは、マンブルコアの隆盛が配信時代の黎明と重なったことだった。ここで中心人物となるのがデュプラス兄弟である。彼らのデビュー長編“The Puffy Chair"が”映画祭で上映される度、配給会社の人々は口々に「この映画気に入ったよ」と言うのだが、この映画に客足は見込めないとどこも配給権を買うことはなかったのだ。しかしプレミア上映されたちょうど1年後、この映画を配給したいと名乗り出る会社が現れた、それがあのNetflixだった訳である。この時期配信は行っていなかったがオンラインでのDVDレンタルで躍進を遂げ、ブロックバスターなどの大手レンタル店に拮抗するほどのシェアを誇っていた。更にその勢いで以て自社で100本近くのインディー映画を配給するなどもしており、その一環として"The Puffy Chair"の配給を決めたのである。

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そして2006年に公開された本作は製作費1万5千ドルのところ興行収入19万ドルを稼ぎ出し、そして後にNetflixで配信されるとなると更なる人気を獲得、これ以降彼らの監督作・製作映画は勿論のことマンブルコア作品が多く配信されることとなる。こうしてマンブルコア映画は全米の若者の間に広まっていき、熱狂的に受け入れられることとなったのだ。

これがきっかけかどうかは定かではないが、マンブルコアからマンブルゴアという潮流も生まれることになる。ゴアとつく通りこの潮流はマンブルコアと同じ方法論でホラー映画を製作する映画作家たちの総称で、中心メンバーには今や「ブレアウィッチ」続編やゴジラ続編を任されたアダム・ウィンガード Adam Wingardやインディーズでコツコツ映画製作を続けるタイ・ウェスト Ti Westなどがいる。彼らもまたアメリカに散らばり、映画祭などで出会ってカラオケで親交を深め、協力して超低予算ホラー映画を作るという活動を行っている。マンブルコアから名前が取られているのは、毎度お馴染みジョー・スワンバーグがこの潮流に深く関わっているという理由もあるだろう。ウィンガードと共同で映画“Autoerotic”を監督したり、かと思えばウィンガードの監督作「サプライズ」に出演したり、ウェストを自身の監督作「ドリンキング・バディーズ」に出演させたりとガッツリ関わってるのである。

そうして潮流がどんどん膨れ上がっていくのとは裏腹に、マンブルコアに属するとされる作家たちはそう括られるのに飽き飽きし始めていた。だが批評家たちは彼らが新しい作品を製作するたびに“これが新しいマンブルコア映画ね”という反応を示し、彼らをウンザリさせていた。その間にもマンブルコアという言葉は作家たちの意に反して、アメリカ映画界に膾炙していく。それ故に彼らはマンブルコアから離れ、それぞれ独自の道を行き始める。スワンバーグはデジタル製作を放棄しフィルム撮影に移行、デュプラス兄弟は監督よりも制作者としてインディーズ作家をサポートし始め(その中には「タンジェリン」ショーン・ベイカーもいた)、シェルトンは映画製作の合間にドラマ界で職人監督として重宝されることとなる。マンブルコアの終わりは確かに近づいていた。

そしてマンブルコアから影響を受けながら、マンブルコア作品とは一線を画するポスト・マンブルコア作家とも言うべき映画監督たちも現れ始める。例えばレナ・ダナム Lena Dunham、彼女は弱冠23歳で作ったタイニー・ファニチャーが評判を呼び、ジャド・アパトーの助けを受けテン年代を代表するだろうドラマ「Girls」を作り上げた。先述した肉体性などマンブルコアに背負うものはとても大きいが、彼女自身は自分の作品がマンブルコアと呼ばれることをやんわりと否定している。そしてアレックス・ロス・ペリー Alex Ross Perryネイサン・シルヴァー Nathan Silver、前者は“Color Wheel”Queen of Earth”で頭角を現し始めた米インディー界で最も注目すべき才能であり、後者は「エレナ出口」や“Uncertain Terms”などの作品を手掛けている新鋭の1人だ。彼らはマンブルコアの関係性へのこだわりに影響を受けているが、更にその先にある関係性の終焉やそもそも人と人との間に関係性など成立するのか?という問いを突き詰め続けている。そしてジョセフィン・デッカー Josephine Decker、彼女は今年新作の“Madeline’s Madeline”で米インディー界1の才能だと絶賛された人物だが、そもそも彼女が映画界に進出するきっかけとなった人物がスワンバーグであり、彼に薫陶を受けた後に作品を監督し始めた存在だ。彼らは確かにマンブルコアに影響を受けながら、全く違う方向へと舵を切った作家たちであり、その登場は世代交代を予感させるものだった。

そしてとうとうその時がやってくる。2015年、マンブルコアのゴッドファーザーであるバジャルスキーが素人俳優起用という大きな特色を捨て去り、ガイ・ピアースなどの有名俳優を使って第5長編“Results”を完成させたのだ。その影響は凄まじく、今までマンブルコアと騒いでいた評論家たちも考えを改め、ある批評家はこんな題名の記事を記すことになる。“マンブルコアという名前が生まれて10年になった。もうこの言葉を使うのは止めにしないか?” こうして10年にも渡ったマンブルコアの時代は幕を下ろしたのである。

さて、それから3年の月日が経ち、マンブルコアの誕生から13年もの時間が経った。日本ではマンブルコア受容がとうとう活発化し始めたと書いたが、それでもこのジャンルが深く深く掘り込まれていっているとは言い難い。ということで良い機会だ、私は今まで書いてきたマンブルコア作品記事約70本(おそらく計10万字以上は書いている、いっぱしの研究書並だ)を製作年順に並び替えて、マンブルコアとは?という趣旨の序文をつけて、今における総決算記事を公開することにした。序文はあくまでマンブルコアの簡単な要約文であって、本質を示してはいない。本質に近づくためには作品1つ1つに触れていかなくては意味がないのだ。下に記す作品リストを順に読んでいけば、マンブルコアとは一体何なのか、マンブルコアは後の世代にどういう影響を与えたのか、そして傍流であるマンブルゴアやポスト・マンブルコア世代はどういう文脈から現れたのか、それらの一端をかいま見ることが出来るだろう。一端というのは、このリストはまだ未完成だからである。自分の機嫌の赴くままに書いていた故、何本か重要な作品について書けてなかったりと手落ちがあるのだ。なので公開した後も、どんどん作品は追加されていくこととなるだろうし、そういう状況であるが故に自分でもマンブルコアを探求していって欲しいと私は願っている。ということで楽しいマンブルコアの旅を!

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2002年

アンドリュー・ブジャルスキー&"Funny Ha Ha"/マンブルコアって、まあ……何かこんなん、うん、だよね

2003年

アダム・ウィンガード&"Home Sick"/初期衝動、血飛沫と共に大爆裂!

2005年

ジョー・スワンバーグ&"Kissing on the Mouth"/私たちの若さはどこへ行くのだろう
デュプラス兄弟&"The Puffy Chair"/ボロボロのソファー、ボロボロの3人
アンドリュー・ブジャルスキー&"Mutual Appreciation"/そしてマンブルコアが幕を開ける
マンブルコアの黎明に消えた幻 "Four Eyed Monsters"
フランク・V・ロス&"Quietly on By"/ニートと出口の見えない狂気
タイ・ウェスト&"The Roost"/恐怖!コウモリゾンビ、闇からの襲撃!

2006年

ジョー・スワンバーグ&"LOL"/繋がり続ける世代を苛む"男らしさ"
アーロン・カッツ&"Dance Party, USA"/レイプカルチャー、USA
リン・シェルトン&"We Go Way Back"/23歳の私、あなたは今どうしてる?
サフディ兄弟&"The Ralph Handel Story”/ニューヨーク、根無し草たちの孤独

2007年

ジョー・スワンバーグ&「ハンナだけど、生きていく!」/マンブルコア、ここに極まれり!
アーロン・カッツ&"Quiet City"/つかの間、オレンジ色のときめきを
フランク・V・ロス&"Hohokam"/愛してるから、傷つけあって
ケンタッカー・オードリー&"Team Picture"/口ごもる若き世代の逃避と不安
タイ・ウェスト&"Trigger Man"/狩人たちは暴力の引鉄を引く
アダム・ウィンガード&"Pop Skull"/ポケモンショック、待望の映画化

2008年

デュプラス兄弟&"Baghead"/山小屋ホラーで愛憎すったもんだ
サフディ兄弟&"The Pleasure of Being Robbed"/ニューヨーク、路傍を駆け抜ける詩
ジョー・スワンバーグ&"Nights and Weekends"/さよなら、さよならグレタ・ガーウィグ
リン・シェルトン&"My Effortless Brilliance"/2人の男、曖昧な感情の中で
フランク・V・ロス&"Present Company"/離れられないまま、傷つけあって
リチャード・リンクレイター&"ROS"/米インディー界の巨人、マンブルアアに(ちょっと)接近!

2009年

ジョー・スワンバーグ&"Alexander the Last"/誰かと生きるのは辛いけど、でも……
アンドリュー・ブジャルスキー&"Beeswax"/次に俺の作品をマンブルコアって言ったらブチ殺すぞ
リン・シェルトン&"Humpday"/俺たちの友情って一体何なんだ?
サフディ兄弟&"Daddy Longlegs"/この映画を僕たちの父さんに捧ぐ
タイ・ウェスト&"The House of the Devil"/再現される80年代、幕を開けるテン年代
アレックス・ロス・ペリー&"Impolex"/目的もなく、不発弾の人生

2010年

ライ・ルッソ=ヤング&"You Wont Miss Me"/23歳の記憶は万華鏡のように
ケンタッカー・オードリー&"Open Five"/メンフィス、アイ・ラブ・ユー
フランク・V・ロス&"Audrey the Trainwreck"/最後にはいつもクソみたいな気分

2011年

ジョー・スワンバーグ&"Silver Bullets"/マンブルコアの重鎮、その全貌を追う!
ジョセフィン・デッカー&"Art History"/セックス、繋がりであり断絶であり
ジョー・スワンバーグ&"The Zone"/マンブルコア界の変態王頂上決戦
ジョー・スワンバーグ&"Autoerotic"/オナニーにまつわる4つの変態小噺
ケント・オズボーン&"Uncle Kent"/友達っていうのは、恋人っていうのは
ジョー・スワンバーグ&"Caitlin Plays Herself"/私を演じる、抽象画を描く
ジョー・スワンバーグ&"Private Settings"/変態ボーイ meets ド変態ガール
リン・シェルトン&「ラブ・トライアングル」/三角関係、僕と君たち
ソフィア・タカール&"Green"/男たちを求め、男たちから逃れ難く
タイ・ウェスト&「インキーパーズ」/ミレニアル世代の幽霊屋敷探検

2012年

ライ・ルッソ=ヤング&"Nobody Walks"/誰もが変わる、色とりどりの響きと共に
エイミー・サイメッツ&"Sun Don't Shine"/私はただ人魚のように泳いでいたいだけ
ジョー・スワンバーグ&"Marriage Material"/誰かと共に生きていくことのままならさ
ケンタッカー・オードリー&"Open Five 2"/才能のない奴はインディー映画作るの止めろ!
ケイト・リン・シャイル&"Empire Builder"/米インディー界、後ろ向きの女王
マーサ・スティーブンス&"Pilgrim Song"/中年ダメ男は自分探しに山を行く
フランク・V・ロス&"Tiger Tail in Blue"/幻のほどける時、やってくる愛は……
サフディ兄弟&"The Black Baloon"/ニューヨーク、光と闇と黒い風船と
ネイサン・シルヴァー&「エレナ出口」/善意の居たたまれない行く末

2013年

アンドリュー・バジャルスキー&"Computer Chess"/テクノロジーの気まずい過渡期に
ジョー・スワンバーグ&"All the Light in the Sky"/過ぎゆく時間の愛おしさについて
ジョー・スワンバーグ&"24 Exposures"/テン年代に蘇る90's底抜け猟奇殺人映画
ジョー・スワンバーグ&「ドリンキング・バディーズ」/友情と愛情の狭間、曖昧な何か
リン・シェルトン&"Touchy Feely"/あなたに触れることの痛みと喜び
タイ・ウェスト&「サクラメント 死の楽園」/泡を吹け!マンブルコア大遠足会!
ネイサン・シルヴァー&"Soft in the Head"/食卓は言葉の弾丸飛び交う戦場
ジョセフィン・デッカー&"Butter on the Latch"/森に潜む混沌の夢々

2014年

ジョー・スワンバーグ&「ハッピー・クリスマス」/スワンバーグ、新たな可能性に試行錯誤の巻
リン・シェルトン&「アラサー女子の恋愛事情」/早く大人にならなくっちゃ
ローレンス・マイケル・レヴィーン&"Wild Canaries"/ヒップスターのブルックリン探偵物語!
サフディ兄弟&「神様なんかくそくらえ」/ニューヨーク、這いずり生きる奴ら
ネイサン・シルヴァー&"Uncertain Terms"/アメリカに広がる"水面下の不穏"

2015年

アンドリュー・バジャルスキー&「成果」/おかしなおかしな三角関係
ジョー・スワンバーグ&「新しい夫婦の見つけ方」/人生、そう単純なものなんかじゃない
フランク・V・ロス&"Bloomin Mud Shuffle"/愛してるから、分かり合えない
ネイサン・シルヴァー&"Stinking Heaven"/90年代の粒子に浮かび上がるカオス
アレックス・ロス・ペリー&"Queen of Earth"/今すぐに貴方を殺せば、誰にも知られることはないでしょう

2016年

タイ・ウェスト&"In a Valley of Violence"/暴力の谷、蘇る西部
ソフィア・タカール&「ブラック・ビューティー」/あなたが憎い、あなたになりたい

2017年

ジョー・スワンバーグ&「ギャンブラー」/欲に負かされ それでも一歩一歩進んで
リン・シェルトン&「不都合な自由」/20年の後の、再びの出会いは
E.L.カッツ&「スモール・クライム」/惨めにチンケに墜ちてくヤツら
ネイサン・シルヴァー&"Thirst Street"/パリ、極彩色の愛の妄執

2018年

アンドリュー・ブジャルスキ&"Support the Girls"/女を救えるのは女だけ!

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